8月10日、飛騨高山へ林英哲さんの太鼓を聴きに行きました。正確には了徳寺というお寺で「飛騨の夏祭り」のメインイベントとして開かれたもので、林英哲さんと英哲風雲の会の田代誠さん、辻祐さんの和太鼓演奏と小室等さん、こむろゆいさんのユニットとの共演でした。
ゆめ風基金が来年の20年記念イベントに和太鼓の林英哲さん、サックスの坂田明さん、そしてゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さん、こむろゆいさんのライブをすることになりました。
きっかけは2011年7月11日に東京新宿の「スペース・ゼロ」で開かれたスーパーセッション「小室等音楽活動50周年ライブ~復興~」でした。このライブは震災の渦中で小室さんが「音楽をすることの無力感」に襲われ、一時は取りやめようと思われたそうですが、小室さんとかかわりの深いアーティストたちのはげましによって開催されたのでした。
1960年代から日本の音楽シーンを牽引し、疾走してきた小室等さんの膨大な作品の中から選ばれた名曲を、その場に結集した20人を越えるアーティストが単なるお祝いとしての演奏ではなく、小室さんの根源的な問いかけを自らへの問いとして受け止め、理不尽に奪われたいのちへの鎮魂と、明日へ旅立つ決意を持って演奏されたすばらしいライブでした。
そのライブで演奏された「老人と海」は林英哲、坂田明、李政美、谷川賢作、吉野弘志、渡嘉敷裕一によるスーパーセッションでしたが、まずは坂田明さんが見事なアドリブを聴かせた後、一瞬静まった後に林英哲さんの太鼓の独奏が入りました。それは見事な演奏で、会場に地響きとともに海が一気に押し寄せるようでした。この演奏を聴いたゆめ風基金代表の牧口一二さんが、林英哲、坂田明お2人にゆめ風基金のライブに出演してもらえないものかと、小室等さんにお願いしていました。
それから早や3年の月日が流れましたが、来年の8月16日、大阪中之島の中央公会堂での20周年のライブという形で、念願の計画が実現することになりました。
そんな事情から、いち早く林英哲さんに正式な日程をお知らせし、お礼とお願いを兼ねてこのイベントに参加することになったのでした。
ところがその一週間前ぐらいから台風11号の進路が日本列島を縦断する気配でした。しかも日が近づくととともにますます「危ない」状況で、イベントが中止にならないかと心配しながら会場のお寺・了徳寺に着いた時はすでに開場が始まっていました。
土砂降りの中、若いボランティアスタッフがとても丁寧な対応でわたしたちをお寺のお堂にまで案内してくれました。お堂の中はこの天候にかかわらず満員で、続々お客さんがやって来るので、急きょ中堂開放するほどでした。
このお祭りは永六輔さんの発案ではじまったと、司会をされていた稲本正さん(木製家具で有名なオークヴィレッジ社長)が話されていました。全国各地に散在する様に、ここでも地域の生活文化を育てるひとびとが永さんと出会い、永さんとともにささえ、続けてこられたのがこの「夏祭り」なのでした。
林英哲さんは1982年に太鼓独奏者として活動を開始、1984年、初の和太鼓ソリストとしてカーネギー・ホールに出演されたのですが、永さんは早くから林英哲さんを応援していて、この夏祭りでも永さんの紹介で出演し、その後も何度も出演されてきたそうです。今年、9年ぶりに「夏祭り」が復活し、林英哲さんの太鼓が久しぶりに飛騨の森に響きわたり、風に溶けるこの日をむかえたのでした。
いよいよ時間となり、風も雨もますますはげしくなってくる中、林英哲さんと英哲風雲の会の2人が登場しました。
林英哲さんと英哲の会の田代誠さん、辻祐さんの3人が登場し、最初は小さな太鼓をたたきながらだったと思うのですが、やがて真ん中の大太鼓の前に林英哲さんがたち、たたき始めるとその地響きが御堂の外で激しくなる一方の雨と風にとけて行きました。
最初にびっくりしてしまうのは、どんなにはげしく叩いてもまたどんなに小さな音を紡ぎ出しても、3人の呼吸もバチさばきも言葉通り一糸乱れないことでした。そして、若い二人はもちろんのこと、60才を越えた林英哲さんの筋肉隆々の後ろ姿をみて、わたしたちには想像もつかない体力の鍛練と、とても厳しい太鼓の訓練を毎日続けられていることがわかりました。
今回の演奏を聴き、あらためて太鼓のすばらしさを感じ取ることができました。湿気をきらう太鼓にとって最悪な環境であるにもかかわらず、大太鼓の大きな音ですら空気を切る音がクリアで、その前にたたいた音や別の人がたたいた音とが混ざらないまま共鳴するのです。そして、ぴったりと息のあった演奏には100分の1秒もずれがなく、余程の訓練の裏付けがないとこんな演奏はできないと思います。
林英哲さんが大太鼓の周辺をバチでなでるように、それでいてしっかりとしたリズムで静かに小さく、時にはさするようにして生まれる音は海の波打ち際のようでもあり、また深い森で生まれる音楽の泉の湧き出る音のようでもあり、あるいは木々を揺らし路地を抜ける一陣の風のようでもありました。和太鼓はいくつもの時代の空間を縫い合わせ、人間と自然の遠い記憶の彼方に忘れられていた静かな音たち、いくつもの時代に生まれ、去って行った星の数ほどの愛おしいいのちたち、その無数のいのちたちを励まし、癒し、勇気づけてきた音楽と歌をよみがえらせる祈りの楽器であることを知りました。
太鼓演奏の2曲の後、小室等さん、こむろゆいさんのユニットが登場しました。この親子ユニットの演奏は最近ますますユニゾンコーラスがとても密になっていて、そのぶんハーモニーが心地よくなります。「心地よさ」といえば、小室さんの歌は「年を重ねること」ですばらしい進化を遂げていて、古くからのファンであるわたしはほんとうにびっくりしてしまいます。
フォークシンガーとしてもシンガー・ソングライターとしても、今のJポップスへとつながる偉大な道筋を切り開いてきたひとですが、全国どこへでも誰かが望めば出向き、小さなイベントでも大きなイベントでも変わりなく、ギター一本で歌う小室さんは年を重ねることで「心地よさ」を届けてくれるのでした。
その上に昨今のゆいさんとのユニットではより自然で、またより正直に世の中の哀しいでき事や理不尽な事件、国の暴力への怒りを静かなメロディーに乗せて歌っていて、説得力というのは声高に叫ぶだけではなく、静かな言葉とやさしい決意、時には声にもならない小さな吐息によっても語られ、歌われることでもあると、しみじみ感じます。
その後、太鼓と小室さんとの共演で「老人と海」、「ヴェトナミーズ・ゴスペル」が歌われました。小室さんの歌心と声の質感は林永哲さんの太鼓と共鳴し、歌や音楽はジャンルや言葉、国境を越えて、人と人とのつながり、人と自然とのコミュニケーションの大切なツールの一つなのだと教えてくれました。
映画監督の大林宣彦は「映画は風化しないジャーナリズム」と言いましたが、「音楽もまた風化しない希望の物語」であることを、今回のライブは教えてくれたのでした。
林英哲さん、坂田明さんをむかえ、小室等さん、こむろゆいさんとの夢の共演が1年後に実現することになり、今からドキドキ、ワクワクします。
(文責 事務局員・細谷常彦)
終演後のサイン会にて。左から、林英哲さん、小室等さん、こむろゆいさん。