hideの救援レポート 2013年12月26日№147

自業自得の年末の一撃!
12月14日、15日、東京新宿にあるカタログハウスで開催された、恒例の「ゆめ、風であいましょう」イベントには、永六輔さん、小室等さん、こむろゆいさん、朴慶南さん(作家)、きたやまおさむさん(精神科医)、松島とも子さんと、多彩な方々がご出演くださり、大いに盛り上がりました。
15日、牧口さんと喜びながらの帰阪。
その夜、hideひとりで祝杯を挙げた後、自宅玄関口に、とここで、hideの記憶が行方不明。
気がつくと、ベッドの上におり、ベッドが血まみれ。
玄関口を見ると、血溜まりがデケていた。
枕元では、同居している愚息が救急車を呼んでいた。
こうして、人生で初めての救急搬送。
病院に着くやいなや、頭の傷の縫合手術。
8針も縫われてしまった。
帰宅して、翌日からは、近所の外科医通い。
全治20日。
どうも記憶が無いけれど、玄関口でひっくり返り、頭を強打したみたいです。
天国から地獄。
年末の一撃でした。
現在は、抜糸も済ませ、普通生活に復帰しました。
というところで、このhideのリポートは、この回で年内は、オシマイ!
次回は、新年が始まってからになります。
皆さんには、良い新年でありますように!
hide拝


●東北関東障害者救援本部特集号№7から転載、その2。
・連絡先 
TEL 042-631-6620
FAX 042-660-7746
○岩手県田野畑村 NPO法人・ハックの家 施設長・竹下敦子
「移送サービスを通して見えたもの…」
平成23年3月11日、私達にとって忘れられない日になりました。
この日より2年、長かったのか、短かかったのか、無我夢中の時間が過ぎ去っていきました。
そんな、2年間のなかで私達にとって大切な支援の一つとなったのが「移送サービス」です。
この事業が震災の時、どれほど皆さんの力になったのか、この場を借りて私なりにまとめていければと思います。
移送サービスが始まる前、ハックに多くの人が相談にきました。
その相談のなかで一番多かったのが「病院に通院したいが、毎回タクシーだと大変。しかも、タクシー自体がつかまらない…。」「買い物にいくにも車椅子ではいくのが難しい。」「勤務先へ出勤できない。」など移動に対するものでした。
涙を流して相談にくる方もいて、その当時「こんなに必要としている人がいるのに、なぜ移動に対する支援が我が村にはないのか…。」と考えさせられる毎日でした。
そんな中、「移送サービスをハックの家でやってみないか。」との話がありました。
三陸鉄道がまだ復旧の目途が経っていない中の話しで、とても嬉しい申し出でした。
ある自閉症の男性から手紙が私達のもとに届きました。
「自分の職場が津波に流されてから、もう仕事はできないと思っていました。でも、何とか仕事を○○さんから(就業・生活支援センターの方)見つけてもらいました。けど、自分には車の免許がなくて、せっかく見つかったのにいけませんでした。ハックで送迎してくれると聞いてすごく嬉しかったです。そして、自分でも通えるように免許をとろうと思って、とれました。冬は助けてもらいたいですが、自分でなんとかいけるようになりました。ありがとうござました。」という内容でした。
すごく嬉しい手紙でした。
移送サービスを使っていく中で、スタッフと話をしたり、保護者と雑談をしたりしていく中で、免許を自分も取得しようという気持ちになり、震災前より頼もしくなったように感じました。
これが、本当の復興なのかなと思いました。
このように、移送サービスのスタッフの1人ですが、一人一人の気持ちに寄り添い小さいけれど大きな成果を挙げているのではないかと思っています。
少しずつ交通も復旧していることもあり、再度ニーズ調査を私たちなりにしています。
当初の予想では、支援ニーズは少なくなっていると考えていましたが、減るどころか増えている現実に驚いてしまいました。
バスは復旧しても、スクールバスと一緒で利用しにくくなったり、長時間の待ち時間があり、障害を持った方にとっては利用が難しかったり…。
まだまだ課題は山ずみという現実をしっかり受け止め支援していかなければと改めて思いました。
最後に、応援していただきました全国の皆様本当にありがとうございます。
復興はまだまだこれから、本当の意味での復興にむけこれからも頑張っていきたいと思いますので、これからも宜しくお願い致します。
以上
その3に続く。
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これまで届けた救援金
297,365,994円(2013年12月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
251,356,909円(2013年12月19日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
南相馬ファクトリー通信№6からの転載。
連絡先 TEL&FAX、0244-23-4550
「インタビュー 震災から2年、作業所で働く人を支えてきたスタッフたちに、現状とこれからの事を聞いた。南相馬を支える人たち」
・原発事故が起きて、避難できなかった障がい者、避難したが戻ってきた障がい者に対して、南相馬市は個人情報を委託する形で、約1300人に対して調査に入ることになった。
その中心となったのが「デイさぽートぴーなっつ」の施設長の郡 信子さんと理事長の青田由幸さんであった。
その後、ぴーなっつは、全国から支援に入ったボランティアを受け入れ、南相馬と全国を結ぶ役割を担った。
1.原発事故が起きて、ほとんどの市民が避難しましたが、南相馬市で障がい者の支援が始まるまでを教えてください。
・「法人内の利用者さん60名の安否確認をしていく中で、一人暮らしで最後まで避難できずに残っている人の対応をしているうち、避難所の障がい者や一旦避難したけれど避難所にいるのがきつくてすぐ自宅に戻ってきた高齢の障がい者の方の相談をするような状況が出てきました。
ほとんどの市民や、病院・福祉施設・商店も閉鎖した時で、いつの間にか、代表理事・男性職員・私の3人が残っているということで、依頼が増えてきました。
そこで、避難せずに残っている数名の障がい者のリストを市に提出し、助けてくれるよう依頼すると、「要援護者名簿があるから」「自衛隊がローラーをかけているから大丈夫」との返答がありましたが、リストにその数名の名前はありませんでした。
障がいのある人は、本当に残っていないのか、困っていないのか?という疑問になり、丁度、日本障害フォーラムと繋がって、調査が開始できるようになりました。」
2.2011年4月、日中活動の場が再開していきましたが、どのような問題があったのでしょうか?また、震災から2年が経過し、今、抱える問題はどのようなものですか?
・「安否確認後、電話や家庭訪問を続けていく中で、利用者さんの心身の状況や、ご家族の疲弊が見え始め、2週間目くらいから、再開することを模索し始めました。
でも、原発がいつ爆発するかわからない状況や、放射能の知識もなく、情報が混乱する中で、再開できるのだろうか、事業所が『屋内退避』の指示区域に入っている中、そこで、利用者さんが日中過ごしてよいだろうか、原発が爆発したらどう避難するかと迷いがありました。
その後、再開決定したものの、23名ほどいた職員が5人しかおらず、職員不足に悩まされました。
2年経過して、職員数は以前に近づき、ある程度の支援体制はできましたが、未経験の職員がほとんどで、中身の充実を考えると、まだまだこれからという段階です。
職員がやりがいをもって仕事ができる環境づくりが課題です。」
3.震災と原発事故から、失ったもの、学んだもの、得たものはありますか?
・「地震の被害は少なかったのですが、原発事故は今現在も大きく影響を残しています。
事故により、『市の生活機能が停止したといっても過言ではないでしょう』その中で、様々な支援の必要な障がいのある方々が、自宅を離れ、避難生活を強いられ、いきがいのある日中活動の事業所にも通所できず、また、医療もしっかりと受けられないまま笑顔がなくなり、心身の状況に大きな低下がありました。
『当たり前の生活』がこんなに大事だったことに気付かされ、失い戻らないことを経験しました。
でも、どうにもならないどん底から、全国から多くの方に食べ物や日用品、義援金を頂き、さらに、この地域に来ていただき助けていただきました。
手を差し伸べていただき、そばに寄り添っていただいたことは、人生の宝物になりました。」
4.最後に、全国の人に伝えたい事があれは、教えてください。
・「この地域で生活することや、事業再開することが不可能と思ったことも度々ありましたが、今、思うことはただ一つ。親身に関わり、助けてくださった全国の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。」
以上

振込用紙のコメントご紹介♪

今年も残りわずかとなりました。
明日が仕事納めのゆめ風基金。
今年も皆様にご支援頂き、ありがとうございました。
余りにも理不尽な災害や人災が多く、一年を振り返ることが時に辛くもありますが、
ご支援くださった皆様から頂戴する一言ひとことが、ゆめ風基金の大きな力となっています。
今年最後の、「振込用紙に書かれたコメント」ご紹介です。
◆いろいろあった一年もあとわずか。私は忘れないようにしたいと思います。元気を出しましょう。(東京都練馬区)
◆必要なところに素早く届けてください。(茨城県土浦市)
◆昨年に続き、今年も風の庵ギャラリーにてチャリティー展をさせていただきました。教室の仲間たちとお役に立てることが、幸せです。(栃木県佐野市)
◆臨時収入があったので・・・。(福岡市)
◆講演、ありがとうございました。文化祭で集めました。(大阪府松阪市)
◆河野氏の報告は、テレビよりよくわかりました。老人は、大震災から2年半の様子を、心痛むばかりです。皆様の御健康をお祈りします。(静岡県熱海市)
◆平穏な年であることを願います。(群馬県前橋市)
◆寒いですが、暖かくしてくださいね。(和歌山市)
◆義援金はすぐに役立ててもらえない。フットワークの速いゆめ風の寄付を、もっとアピールしたら良いと思います。(さいたま市)
◆骨折に持病の悪化。出来る時に出来るだけ。(大阪市平野区)
◆寒くても朝の散歩とラジオ体操がんばるぞ!気持ちはいつも明るく(東京都足立区)
◆被災地を忘れないよう、現状を発信し続けることが大切ですね。(東京都東大和市)
◆寒いですね。心はあったかで過ごしましょ。(北海道北見市)
◆結婚の記念に、いつもより少し多めに寄付いたします。(大阪府豊中市)
◆体に気をつけて、よりよい明日を。(愛知県一宮)◆東日本震災救援(兵庫県川西市)
◆91才の身で、何事もひとりでできる事に感謝です。(東京都練馬区)
◆いつも心に希望を。小さな光は、そこにもここにもあると思えますように。(大阪府門真市)
◆世の風も厳しくなってきましたが、負けずに一歩一歩進んでいきたいものですね。(千葉県花見川市)
◆息の長い支援を、させてください。(大阪市平野区)
◆明日のことはわかりません。今しかないと思いながら、毎日を過ごさないといけないんですよね。(広島市)
◆伝えようとすることが伝わって、共感できる「だより」です。(東京都杉並区)
◆だれもが、夢や希望を持って生きることを願っています。
◆チャリティライブ行いました(横浜市)
◆家族無事に1年を過ごせそうです。ご家族、バラバラのまま年をこされる方を想うと…。下を向かず、しっかりと支援を続けます。(滋賀県甲賀市) 
◆息子夫婦が仕事で東北に行きました。まだまだ手のついていない被災地をみて、がく然。「お土産を買って支援だ」とたくさん抱えて帰宅しました。こんな応援も?!(東京都荒川区)
◆寒くなりました。お体には気をつけてください。(北海道旭川市)
◆被災地の状況がよく伝わってきます。がんばって。(兵庫県尼崎市)
◆東北の皆さま、これからも応援を忘れずにいます。(東京都墨田区)
◆国が、オリンピック招致にかけた情熱と、これからかける建設費の半分でも、被災地の復興に振り分けてもらえたらと思うのですが・・・。(兵庫県加古川市)
◆物言えぬ世の中になりそうで、自分に何ができるか考えたいです。(愛知県春日井市)
◆福島震災関連死が直接死を上回ったそうです。平和でないと、弱者は生き残れませんね。(埼玉県入間市) 
◆今年も自然の脅威を見せつけられました。人間はそれでも生きていく。生きていかねばならない。気持ちを強くして頑張ります。(東京都江東区)
◆助け合う気持ちで。(大阪市西区)
みなさまと、毎日を歩まさせていただいていること、このようにコメントを頂戴すると、ひしひしと実感できます。
本当に感謝申し上げます。
明日が見えず、不安になりがちですが、私たちは、勇気と元気をもって、前に進んでいきます。
どうか新年も、皆様にとって幸多き年でありますように・・・。
心から願いつつ、今年の更新は終了です。
良いお年をお迎えくださいませ。
事務局員一同
 

年末年始の事務所について

昨日は、クリスマスということで、おしゃれをしたカップルが、楽しそうに道を歩いていました。
イルミネーションもあちこちで見られるようになりましたが・・・
平和であるということの証でしょうか。
または、少し落ち着いてきているよというメッセージと、新年への祈りがあの光に込められている、
と書いたら・・・良く言い過ぎですね。
今年も残り少なくなってきました。
ゆめ風基金の事務所は、12月27日(金)が仕事納めです。
新年は1月6日(月)から仕事を開始します。
少々、冬休みを頂戴いたします。
今年は、台風による水害が再び発生し、今なお大変な状況の中で、1日1日を過ごしているかたが多いでしょう。
東日本大震災からの復興もままならず、福島第一原発の収束見通しは立たないなど
人間の力が届かないことへの絶望を目の当たりにする年でもありました。
それでも、人間は、なんとか明日が来ることに一筋の希望を持って、
今日一日を生きる生き物なんだと・・・今年一年の活動を通して実感しました。
大多数の人波に埋もれてしまいがちな一障害者として、
皆様のご支援が、今年もゆめ風を支えて下さったことに心から感謝しつつ、
着実な一歩を来年も記していきたいと考えています。
お体ご自愛のうえ、良いお年をお迎えください。
深謝。

岩手県・大船渡の事務所が完成しました!

東日本大震災以降、岩手県大船渡市で、障害者の救援活動を行っている「被災地障がい者センター大船渡」(NPO法人 センター123)の事務所が完成しましたのでお知らせいたします!
こちらには、事務所(就労継続支援B型指定事業所)の建築費用として、2013年8月9日に5,000,000円、追加支援として10月23日に4,000,000円、合計9,000,000円を支援いたしました。
このたび、建物が完成いたしましたので、ご報告します!
大船渡1
スロープもばっちり!使いやすそうですね!
大船渡3
こうして建物が立つと、皆様のご支援が「形」になっていると実感できます。
交通手段が少ない東北では、通院や買い物に車を使う「移送サービス」の活動が重要になってきます。
必要とされる「足」となったり、障害者・児の見守り支援を行ったり、と、今後も地域でしっかり根をはった活動を続けてくれるでしょう。
これからも一緒にファイト!!!
「NPO法人 センター123」はこちら

街頭募金~12月14日

クリスマスソングやイルミネーションが街を彩るナンバ!!
12月14日、そのナンバで、街頭募金が行われました。
気温が、だいたい10度を切ると、寒さがぐん!っと増す気がします。
午後1時から5時までずっと参加してくださった皆さん、お疲れさまでした!
事務所の留守番もあったので、3時前から参加してきました。
風が冷たくて、すぐに手足が痺れてきます。

今回、嬉しかったのが、車いすに乗っていた男性障害者の手を握り、
「頑張ってください!」
「応援しています!」と言ってくださったかたが、3人ほどいたこと。
間近でその光景を見て、ジーンときました・・・。
東北を忘れてはいない。
忘れられがちな障害者のことを覚えているよ。
そのメッセージ、確かに受け取りました!と心の中で、叫びながら
何度も「ありがとうございました!」と足早に去っていく背中に声をかけていました。
久しぶりに、涙腺が刺激されました・・・。
1時~5時まで参加してくれた、本沢さん。
お腹に、カイロを貼っていました。

今回の募金額
78,424円
今回の総参加者
   22人
また一段と寒い冬を迎えた東北。
皆様の熱い思いを、必ずお届けし、有効に使わせて頂きます。
深謝。
(Keiko Nagasaki)

フィリピン台風30号被災支援について

フィリピンを襲った台風30号、Haiyan災害から一か月が経ちました。
ゆめ風基金では、DPI(障害者インターナショナル)とJIL(全国自立生活センター)と共同で
障害者支援を行っていくことを確認しました。
その後の状況ですが、
・障害者の消息がなかなかわからないこと。
・物資や支援金の受け皿となってくれそうな当事者団体が、障害者の情報収集などで奔走中、今後連携する前提で調整中であること。
・輸送が不安定で、今すぐ物資が運べない状況。
など、日本とはまた違った厳しさが浮かんできました。
ゆめ風基金の馬垣理事が、12月14日に現地入りして、当事者団体の、マニラ首都圏にある、
ライフ ヘブン 自立生活センター所長のアブナー氏(車椅子使用者)と会い、
今後、どのような支援が可能か、協議する予定です。
募金活動を行っている当事者団体もあります。
もし、ゆめ風基金にお寄せいただけるなら、「フィリピン」とお書きくだされば、
台風被害の支援に用います。
日本語がわからない土地での支援、しかも壊滅状況にある地域の情報が入らない今、
確実に、被災地へ届けるため、馬垣理事の報告を、お待ちいただければと思います。
よろしくお願いします。

地域の防災活動~東淀川区・菅原地区

ゆめ風基金がある東淀川区の菅原地区では、今年、何回かに分けて地域の防災リーダーさんと一緒に、
防災講習会を開いています。
一回目は、7月に、当基金の八幡理事が「東日本大震災と障害者」と題する講演を行いました。
あの震災において、障害者がどのような状況に置かれていたか。
命からがら逃げたものの、避難所に行って、トイレもできない、横にもなれない、障害ゆえにそこにいられなくなって、半壊の自宅に戻ったり、それが原因で支援物資や配給が受け取れなかったりというような事例についてお話させて頂きました。
避難所は、障害者だけでなく、高齢者、妊婦さん、難病の人、いろんな人が来ます。
どんな人が来ても対応できる避難所にしていくことが、助かった命をつなぐ、防災のかなめである、という考えのもと、計3回の講習を行いました。
(二回目は記事にしております)
三回目は、視覚障害者、車いす使用者、手話サークルが、それぞれ避難するときに必要な支援についてのグループワークを行いました。

アイマスクをして視覚障害者体験をしながら、手引きのしかたを、当事者さんが講習。

見えないって怖い・・・という感想が多かったです。
「街中で困っている視覚障害者を見かけたら手助けしたい」との心強いお言葉。
写真
車いすの扱い方については、「Flat・きた 自立生活センター」の大代裕之さん、大代朋子さんに、お手伝いをお願いし、車いすのたたみかた、広げ方、段差の越え方などなど、教えて頂きました。

「おお!段差って越えられるんやぁ!」
段差を上がって降りて、ニコッ!

そのほかにも、東淀川手話サークル「ほたる」の皆さんに、聴覚障害者の暮らしやいざというときの支援の方法などについて、教えてもらいました。
人は、いつか年をとり、目が見えにくくなったり、聞こえにくくなったり、歩きにくくなったり、また、病気やけがで障害を持つかもしれません。
そんなとき、自分が住んでいる街も含めて、日本全国あちこちがバリアだらけだったら・・・
ちょっとした段差や、暗い道、聞こえにくい駅のアナウンスなどは、今までの生活を維持する上で
バリアになりかねません。
また、万一のときに、避難することも難しくなりますよね。
誰もが暮らしやすい社会を作ることは、防災にも強い社会作りの第一歩なのだと、活動を続けていきます。

振込用紙のコメントご紹介です♪

昨夜の雷は、本当に怖かったです。
皆様、大丈夫でしたか?
今にも近くに落ちるんじゃないかと、ビクビクして、停電になったときのために懐中電灯を握りしめて・・・知らぬ間に寝ていました。
いろんなことがありますね。
でも、振込用紙のコメントは、ひとりじゃないって思わせてくれます。
振込用紙のコメントご紹介です。
◆目が見えなくても、マラソンができる事を知り、やる気さえ起こせば、できることがあると教えられました。身近にそういう話をきくと、心にしみます。(東京都港区)
◆今日は誕生日です。記念に少しだけですが。(東京都荒川区)
◆「津波てんでんこ」私ならその時どうするのだろうか?弱者はたしかに逃げられません!(京都府宇治市)
◆お便りありがとうございました。皆さん風邪をひかないようお元気で。次号も楽しみにしています。(東京都荒川区)
◆夫婦で高齢になりました。「いつ障害を得るかもしれない」と思うようになりました。(東京都東久留米市)
◆相次ぐ災害。避難生活をしていらっしゃる方々、心よりお見舞い申し上げます。(さいたま市)
◆11月4日、永さんにおいでいただき、ライブを行いました。必要経費を除き、寄付いたします。(長野県松本市)
◆震災で、被害にあわれたご高齢の方に。(兵庫県神戸市)
◆今年も父の命日を迎えました。皆様の一助になれたら、嬉しく思います。(東京都品川区)
◆ずーっと続けていく被災障害者支援・第4回東北―関西ポジティブ生活文化交流祭・今年も楽しみにしています。私達もずーっと続けていきますね。(大阪市平野区)
◆まつりとバザーの収益金です。被災地の障がいをお持ちの方にお役立てください。(大阪市生野区)
◆お金は魔物です。魔物にせず、価値以上のものを生み出せるように。職場で実践下さる方が、ボロぞうきんにならずにいてくださいますように。(滋賀県甲賀郡)
◆福島・大島・フィリピン等自然災害が次々と起ります。お役に立てれば嬉しいです。(東京都渋谷区)
◆復興が進んでいないこと、腹立たしく思います。(埼玉県所沢市)
◆寒くなってきます。皆様お身体に気をつけてお過ごしください。一日も早く元の生活に戻れますよう(北海道旭川市)
◆通信を読むと、皆様の大変さが伝わります。そんな中でも、前に向かって活動されている姿に励まされます。(東京都立川市)
いつも、いつも、ありがとうございます。
「ひとりじゃない。ひとりにさせない」
このことを胸に、今日も、業務に取り組んでまいります。

ヒデの救援レポート2013年12月9日№146

7日、8日に開催された、箕面市民人権フォーラムには、全体会に1000人を超える参加者がありました。
2日目の分科会の中の「障害者市民分科会」も盛況で、「障害者市民の防災」をテーマに、会場の小学校の地域防災備蓄倉庫、避難所になる体育館、1階にある1年生の教室などを見学。
ゆめ風基金の八幡理事のコーディネイトで、避難所を巡るグループワークがとても好評でしたね。


●東北・関東大震災障害者救援本部特集号№7
自立情報発信基地からの転載
連絡先 
TEL 042-660-7747
FAX 042-660-7746
「被災地で移送サービスをしています」宮城県山元町 NPO法人 ささえ愛山元:理事長 中村怜子
~ともしび~
あの日から丸2年が経つ。
悲喜こもごも書ききれないほどの感情が湧き上がる。
ささえ愛山元が、高齢者に買い物や家事援助を提供するボランティア団体を立ち上げたのは、平成6年のこと、高齢化率が急速に高くなった頃でした。
民家を改造し小規模のディサービスを始めたのは10年前のことです。
会員も24名に膨らみ、高齢者に寄り添い、支える方も生きている喜びを感じながら3.11まで楽しく活動をしていた。
しかし、東日本大震災は、私たちの日常を根底から変えた。
大津波で2つの施設が破壊され、3名の職員も犠牲になり、再開など考えられなかった。
戦争でもこんなに破壊されない。
山元町はひどい被害だと支援の手をあちこちから頂いた。
戦後の窮乏生活は体験していたが、これまで味わったことのない身体の芯からの震えが止まらない日々だった。
移動サービスネットワークの菅原さんが菊地正明さんと一緒に避難先で憔悴している私達に会いに来てくれた。
ビッグなプレゼントを持って行くからとの前約束どおり、「隣町の元歯科医院の跡地で活動しませんか」と障害者センターと大文字のステッカーのある軽自動車を「自由に使っていいよ」と置いていった。
全てを失った中、地獄に仏であった。
忘れもしない5月2日のこと。
被災した障がい児・障がい者のために設立した「被災地障がい者センターみやぎ」の県南支部の業務を担当することになった。
主に高齢者に介護を提供する18年間であったので、私たちに出来るのであろうか。
震災から2ケ月も経っていて、障がい児や障がい者はどこで暮らしているのか?
避難所では会えなかった。
続々集まってくる支援物資を亘理や山元の仮設に配りながら探した。
余震がまだ続いていた頃、視覚障害者が余震で転倒して…と役場から援助依頼の電話が入った。
職員はすぐ飛び出し、額に傷を負って震えていた白杖使用者のWさんを助けた。
その後彼女は、サロンのお客様第1号となった。
又、みなし仮設に朝7時に迎えに行き、20キロ先の中学校に息子を下ろし、更に7キロ先にある障害者憩いの場へ母親を乗せた。
帰りは母と息子を家に届ける。
混み合っている時間帯の送迎も職員の協力で支えることができた。
親子の移送サービスを何日かしていた日、息子から被災地障害者センターの看板をはずしてほしいと云われた。
恥ずかしくて学校に行けないと。
車が1台しかなかったので私たちも、デリカシーが足りなかった。
急きょ、職員の買ったばかりのプリウスを走らせた。
ケアホームの交通も寸断され、職員の車を使いながらの受診や買い物などを支援することができた。
町の半分以上が被災し、地域を知り尽くしている私たちは仮設を順番に回ってパラソル喫茶を開き、被災者に寄り添った。
今度の3月9日は久しぶりのパラソル喫茶を開催します。
この2年間は生きるということはなにか、幾度も自問しました。
宮城県の最南端で細々と活動している「ささえ愛山元」が、多くの方々と関わりを持って今日まで生かされてきた。
絆というともしびとなって。
以上
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これまで届けた救援金
302,305,994円(2013年11月29日現在)
内・東日本大震災救援金総額
256,296,909円(2013年11月29日現在)
ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・大阪府吹田市にある:ぷくぷくの会「機関紙:まねき猫通信№129」からの転載
連絡先
TEL 06-6317-5598
FAX 06-6317-0936
当事者リレーエッセイ
●失敗から学ぼうとしない人々(佐野武和)
「『想定外』でなくなった原発事故」
改めて考えるに、私の住んでいる湖北は敦賀・若狭の原発から30キロの位置にある。
若狭には日本で唯一稼動中の大飯原発がある。
滋賀県は盛んに電力会社との間で原子力事故防災協定をむすぼうとしている。
しかし「隣接の自治体以外は協定の対象から外れる。」らしい。
なんという言いぐさだ。
風に乗ってさまよう放射性物質には県境も市町の境もない。
湖北の自治体・長浜市と米原市が相次いで原子力防災計画を発表した。
ハンドブックも各戸に配布された。
しかし、かなり失望した。
国や県の情報を伝達するという姿勢を超えられていないし、その中でも要援護者に関する独自の支援策が見えてこなかった。
ところが唐突にぽてとファーム事業団と市の間で福祉避難所としての協定をむすびたいときた。
そうすれば緊急避難物資の配給を受けられ個々の要援護者の状況に沿ったコーデネイトが受けられるという説明だった。
まったく楽観的で、福島で起きたこと、今なお起きている現実とかけ離れてしまっている。
たとえば南相馬ガソウデアッタヨウニ多くの市民が避難流出する。
国が線引きする避難指定区域と避難準備区域に惑わされ、しかも多くの要援護者が取り残される。
行政機能を移転させようにもその根拠と指針を失い一転二転する。
病院機能も福祉的機能も崩壊すれば本来要援護者は地域にとどまることはできない。
すでに原発事故は想定を超えた出来事ではない。
現実の事故なのだ。
原発で失われた大切なもの
幼いころ若狭の海に何度か海水浴に行った。
琵琶湖と違って塩っばい海水に驚き、なんとなく浮力があってはじめての泳ぎを覚えたのもあの海。
冬になると カニが美味で、敦賀からの行商のおばさんを待ち続けた。
小さなセコガニが好物で売り切れと聞くと泣いたのを覚えてる。
あんなに敦賀や若狭と暮らしが結びあっていたのに、豊さの代償、原発のおかげで大切なものを失った気がする。
どれだけたくさんのお金がばら撒かれても、地域の人々が幸せにはなれなかった責任を、政治や電力会社そして得体のしれない原子力を生業にしてきた人たちにとらせるぞ、と怒りがこみ上げる。
加えて「原子力の平和利用」を掲げていた人たちにも怒りをぶつけたい。
以上

ポジ祭ご報告~

遅くなりましたが、11月23日、大阪市長居公園自由広場で行われた「ずっと続けていく 被災障害者支援第4回 東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」のご報告です!
前日は、長居障害者スポーツセンターにて、各被災地障がい者センターの今までの活動報告会を実施しました。
震災から2年半以上の時間が経っているのに、何も変わらない現実の中、それぞれのセンターが、
地域で障害者が生きやすくなるよう地盤作りを継続して行っている様子を語ってくれました。
翌23日は、見事なまでの秋晴れ!快晴でした!
前日から準備をしてくれたボランティアのおかげで、たくさんのテントが!
50以上の出店がありました。
ポジ祭4
(本部のテント内から撮影。何か楽しそうだな~という、大阪ならではの「わちゃわちゃ」感をどうぞ)
メインステージでは、ゆめ風基金代表理事のマキさんが、被災地障がい者センターで活動を続けている当事者にインタビュー。
ぽじ祭
その他にも、車いす玉入れや、フォークダンス、歌の競演など、いろんなプログラムが実施され、気持ち良いお天気のもと、障害者も健常者も一緒になって過ごしました。
(東住吉区のゆるキャラも参加!)
ポジ祭3
当日は、いろんな作業所や当事者団体、ボランティア団体などがバザーを、
また、出店ブースでは、おでん、焼きそば、豚汁、パン、東北の食べ物などお店を出していました。
後日、その売上げの一部を「ゆめ風」に寄附してくださった当事者団体さま。
【社会福祉法人 ゆうのゆうさん】

【B-FREEさん】

ありがとうございます!!
復興はまだ遠く、次々に起きる災害と、真摯に向き合っていきたいと思っています。
来年、またお会いしましょう!