近畿ろうきんがゆめ風基金の募金支援

 かねてから障害者拠点への融資などで提携してきた近畿ろうきんが、ゆめ風基金を資金的に支援する「募金プロジェクト」を立ち上げられました。
 近畿ろうきんは、2006年にゆめ風基金と提携して、NPO法人や社会福祉法人が障がいのある人たちのために行う事業を支援する障害者市民活動支援融資制度「ゆめのたね」を創るなど、団体の活動を幅広く支援していただいています。
 ろうきんは労働組合や生活協同組合(生協)などが会員となる非営利組織(協同組織)であり、株式会社である銀行とは組織形態が異なるとはいえ、ひとつの金融機関が大きな後ろ盾もないNPO法人のゆめ風基金の障害者救援活動に支援していただくことは、前例のない画期的なことで、並々ならぬ思いで企画された担当者の方々のご熱意と、それを受け止め、決済された近畿ろうきんに深く感謝します。
プロジェクトの内容は次の3点です。
1.近畿ろうきん営業店に募金箱を設置
2.近畿ろうきんの会員(労働組合、生協)に募金の呼びかけ
3.近畿ろうきん窓口からゆめ風基金(ろうきん)口座への振込手数料の無料化
くわしくは以下のアドレスのPDFをごらんください。
(ちょっと重めのPDFデータです)
http://yumekaze.in.coocan.jp/2011sinsai/roukin/roukintirasiuraomote.pdf

被災地障害者支援センターいわてにて by 水谷

皆さまへ
おはようございます。
すでに、AJU自立の家のポータルサイトでご覧になられた方は重複して申し訳
ありません。
昨日より、名古屋・AJU自立の家のスタッフ、水谷真(わだちコンピュータハ
ウス所長)が「被災地障害者支援センターいわて」に赴いており、早速、その報
告をサイトにアップしています。ご参考まで。
今後も追加してアップされると思いますので、それぞれご覧いただければと思い
ます。
AJU災害時要援護者支援ポータルサイト 
東日本大震災 被災被災障害者緊急支援サイト
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?top
2011年5月02日 17時00分
盛岡に到着しました by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13415&blk_id=12519
5月2日
1:00 車で自宅出発
途中、2度休憩
6:00 蓮田SA着 、食事と仮眠
9:00 蓮田SA発
17:00 盛岡着
途中で宮城県内を回ろうかと思ったが、八幡さんが盛岡のセンターに移動してい
るとのことで盛岡に行くことに。
900km、16時間かかった。
道路は空いていた。東北道は所々段差と波打ったところはあるが、それほど混ん
でいない。この日東北地方は暴風警報が出るくらいのもの凄い風、横風の方が大
変であった。
2011年5月02日 19時12分
被災地障害者支援センターいわてに到着 by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13416&blk_id=12519
被災地障害者支援センターいわて盛岡市本宮1-3-2 光立ビル
http://yj.pn/mxBJXu
元は電気屋さんだった事務所で、オール電化のショールームを兼ねていたらし
く、立派な電化厨房、大きな電気温水器、床暖房のコーナーを備えていた。2階
に男女別寝泊まりの場所がある。
本日到着のスタッフ2名とともに八幡さんから改めて説明を受けた。
広大な岩手県、盛岡から沿岸部の宮古市、山田町、大船渡などまで200km、片道3
時間。もともと社会資源がない土地なので、支援ニーズを掘り起こしたとしても
どのように継続していけるのかが問題だ。 安請け合いができない。安否確認で
単に無事を確認するだけでは完結しない。調査とその場の相談だけでは終わらない。
ニーズは単発でなく、個別、専門、継続性が求められる。どの範囲なら出来るか
問われる。だから、要援護者名簿を開示してもらいそれをもとにローラー作成し
たとしても、対応しきれない。膨大なマンパワーが必要となる。
中越沖の安否確認のイメージでいたが、通用しない。柏崎市でできたのは、福祉
課のW課長と、茨内支援センターの○さんがいたからできたのだろうと、八幡さん
に言われた。
岩手では、知的障害の施設を中心に地福協と呼ばれる集まりが精力的に開かれて
おり、毎週火曜と金曜、その構成団体を中心に調査をやっている。きょうされん
よりも早くから動いている。全県的に相談支援センターもしっかり動いていて、
各団体の名簿を寄せ集めて個人の安否確認を行っているらしい。
岩手の障害者支援センターとしては、弱小ながらより個別の埋もれた声に対応。
つては、元支援学校教員を頼りに、そのつながりから養護学校卒業生の進路情報
をもとに動いている。
沿岸北部は、施設系が強い。
沿岸中央部(宮古、釜石、山田町など)。
沿岸南部は、街自体が壊滅的。
沿岸部にも支援拠点が必要。
宮城北部では登米市を中心に現在拠点を探している。岩手県南部は登米市からの
方が近いかも知れない。
岩手では自立をめざす障害者は県外をめざす。
と代表の今川さん。CILで8年活動してきたが、当事者が2名のみという現状。
代表の今川さんが食材を買ってきてカレーを自炊しました。これから一緒に頂き
ます。
明日はいわてメンバーとして調査に入ります。
2011年5月03日 22時00分
被災地障害者支援センターいわてにて by 水谷
http://wadachi.ecom-plat.jp/index.php?module=blog&eid=13428&blk_id=12519
4月26日大阪の会議では、岩手のスタッフは2-3名と聞いていたが、この日は後か
ら2組調査隊が戻ってきて総勢12名にもなった。こんなに多いのは初めてらしい。
夕食後ミーティング。
宮古を回ってきたチームからは、4箇所の報告。
①レインボーネット生活支援センターKさんからの聞き取り
流された地域では盛岡等内陸部へ移った。地域移行の流れができてきていたのに
戻ってしまうことを懸念。再建の土地がない。生活の場も就労の場もない。刊行
安井さんで成り立っていたところ、自力では難しい。行政の支援が必要。
もともと重心向けのサービスがない。盛岡に入所。
精神の人にとってもグループホームと仕事が亡くなった痛手が大きい。
レインボーネットから以下3件を紹介された。
②宮古市育成会Sさん
就労継続支援B型のむあとりえサン。1m水没して1週間で片付けた。機器類が
パーになったが、建物や設備よりも、以前からの課題についての話が中心に語ら
れた。
発災時に自宅に家族がいることを確認せずに帰したヘルパー事業所への不満と期
待。事業所側は日割り計算なので1日も早く通ってきてほしいが、親としては被
災したところはどうなのだろうという迷い。
機器類設備類ならばゆめかぜで支援できる。国の支援を待っていたら何ヶ月も先
になる。
③身体と知的の重複障害Aさん23歳。障害名不明。
重心と紹介されたが、医療的ケアは必要ではない。
レインボーネットからの紹介、自宅を訪ねた。
震災後3週間避難生活してきた。大槌町しきのさと=デイサービスに以前より水
金通っていたが、そこに身を寄せた。
物資は足りている。見守りでいてくれると助かるとのこと。ヘルパー派遣を受け
るが質が悪いと不満有り。高齢者のヘルパーは重心のことわかっていない。6月
まででよい。自宅に来てほしいとの要請。
④身体障害者福祉センター@金浜
1階が津波で水没。2階部分に多い時で200名が避難していた。陸の孤島じをょ
謡で、1日1人、角砂糖2個で飢えをしのいでいた。
65歳CPの人は、助けようとして母親も姉とともに流された。
仮設住宅は進んでいる。障害者優先枠がある。
山田町を回ってきたチームから、通院支援、買い物支援の報告。
この方、避難先の体育館から障害を理由に追い出されたとのこと。「あなたのよ
うな人が来るところではない」
北海道、埼玉、東京、大阪などから、優秀なスタッフが長期で滞在、活動してい
る。災害ボランティアとは違って、非定型な細々した生活ニーズに応えようとし
ていたのが印象的。

牧口一二様

牧口一二様
初めましてTと申します
些細な送金に早急に領収書を送っていただき恐縮です
私自身もポリオ(5歳のとき罹患)身障者手帳Ⅰ種2級の両下肢障害のものです
ハンデイ歴62年です
このたびの未曾有の災害に何もできずにただ涙、涙のみでした
たまたまラジオで聞きまして参加させていただきます
近くでしたら事務のお手伝いはできると思いますが、地方が離れており
なにもできません
どうかスタッフの皆様お体にお気をつけてくださいませ
知人にこの運動、ゆめ風基金のことを伝え広げていきたいと思っております

再放送:5月10日(火)NHK教育放送

情報/精神 転送です。
         塚本正治
震災:再放送NHK教育で福島の精神障害者支援特集
おはようございます、Iです。
テレビで被災地の精神障害者の状況を伝える番組は貴重です。
病院が消えた後、アウトリーチでの活動が活発になっているようです。
原発被害の足枷の中で奮闘している、この活動に注目しています。
この番組には堂本暁子さんが出演します。
(元千葉県知事、障がい者制度改革推進会議で精神障害問題に取り組んでいる)
NHK教育放送 福祉ネットワーク
■東日本大震災「病院が消えた -福島 障害者の今-」
 再放送:5月10日(火)
 20:00~20:30 
福島県相馬市で精神障害者支援を行っている
NPO法人「ひまわりの家」が取り上げられます。
相双地区(福島県の双葉、南相馬市、相馬市など)は
現在大変困難な状況になっています。
ひまわりの家では地域に根差した精神医療を作ろうと、
現地の方々が奮闘されています。
ぜひ注目をお願いします。
讀売新聞 健康ルネサンスより
■大震災 福島 から(3)避難で孤立 支援に遅れ
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=40176

余市教育福祉村からのお便り

4月8日着
北海道余市郡 NPO法人 余市教育福祉村からのお便り
拝啓
北国では春を告げる草花が、残雪を割って顔を覗かせる頃となりました。
はじめまして、北海道のNPOの集まりで、ゆめ風基金さんの活動を知りました。
こちらでも支援の為の連絡会ができたり、色々な形での支援の輪が広がっていますが、阪神大震災でも災害に遭われた弱者の方達への支援を頑張って来られた皆様にはノウハウを現地で活かして下さる事を願い、募金を募り、わずかですが私達の販売したものの売上げの一部を合わせて、今日振込みさせて頂きました。
現地へ支援に行く事も簡単な事ではありません。私達はくらしを見つめ直し、小さくとも自分達にできる事で、忘れずに支援を続けて行きたいと思っております。
どうぞ、ご健勝で、支援の活動をなさって下さい。
皆様のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

ゆめ風基金会員様から

4月21日着
名古屋市天白区の会員の方からのお便り
ゆめ風基金事務局 御中
先日は資料をお送り下さり、お忙しい中、本当にありがとうございました。
お返事が遅くなりましてすみません。
実は私は緑内障で視覚障害があるので、本日やっと友達に資料を読んでもらい、この文章も書いてもらっています。そして、一緒に郵便局に行って入金してきました。これからも続けていくつもりですので、よろしくお願い致します。
復興には何年もかかると思われます。原発はまだ進行中です。障害を持った方々が少しでも良い方向に進まれる為に、支援を願っています。

被災地の障害を持つ方々へ

被災地の障害を持つ方々へ
 私たちは「東京都立田無特別支援学校 平成22年度 卒業生有志とその関係者一同」です。知的障害の高等部で、子供たちは地震の一週間後に卒業しました。
 式当日、参列した保護者の胸には、わが子の巣立ちの喜びと同時に、
被災地の障害を持つ児童生徒さんやそのご家族の状況を思う辛い気持ちがありました。
 私たちは社会全体の中では少数派です。想像をはるかに超える困難なことがたくさんあると思います。どうか抱え込まず、辛い時は辛いと、困っている時は困っていると、声に出して周囲に伝えてください。我慢をせず発信してください。
 東京では桜が咲き、若葉が芽吹きました。春は必ずやってきます。
ゆめ風基金の皆さまへ
多忙極まりない毎日を送らせていらっしゃることと思いますが、
どうぞ私たちのお金を被災地の中でもより困っていらっしゃる方々へお届けください。
少しでも私たちの気持ちが届けられますこと、心から祈念いたします。
東京都武蔵野市 F

被災地からのお便り 仙台在住の方より

被災地からのお便り
<5月4日着>
仙台の障害者の状況、私にわかる限りですが。
通所施設の「まどか荒浜」は津波で壊滅的な被害(人は大丈夫だったらしいです)。
気仙沼の「ネットワークオレンジ」さんは障害児の受け入れ再開。
知的障害者がはたらく、パンとクッキーの店「くるみの木」(仙台市青葉区)は営業再開。
「発達障害サポートネッ-ト」さんは震災以降も変わりなく継続、ブログは頻繁に更新されています。
高次脳機能障害者の就労支援サポートをしている「ほっぷの森」さんも、運営しているレストランや農場は再開しています。
ビーアイにも、知的・自閉症・ADHD・ダウン症などを抱える子達がいます。
高校生のMちゃんは地震とショッピングや学校になぜ行けないか?がつながらず
夜中にパニックを起こし、傘を壊してしまったとのこと。
ダウン症のRくんは水槽の金魚に向かって
「ちーずちゃん、ちーずちゃん、ちーずちゃん・・・」
とスタッフの名を繰り返し呼びかけ、10回に1回くらい「ひまわりちゃん(好きな女の子)」と混ぜたりして15分くらいやっていたかなあ・・・、ちょっと気持ちが不安定な感じでした。
Nちゃんは地震以降、家から出られなくなり、ようやく先週、お母さんと一緒に来ました。
逆に「いつか地震がくる!」といつも言っていたHちゃんは、地震が来たことでようやく安心し、落ち着いたり・・・・。
私が書いたものは転載していただいてもOKです。
東京や西日本には、沿岸部の悲惨な映像ばかりが誇大に流れているような気もするので、
等身大の市民の声ということでご参考になれば・・・。
アメリカなど「地震と津波で壊滅的な被害を受けた港町・仙台」というイメージが一人歩きしているらしいけど、仙台市中心部は海から離れており全然港町じゃないですから。
また、今は山形県堺まで仙台市で山も川もあり、東北自動車道より西側はそんなに大きな被害はなかったのです。(震度4の地震程度の被害)
うちはいまだ2階は使えず、昨日ようやく罹災証明申請のための写真撮りました。
古い土壁なのであっちもこっちも崩れていて、たぶん部分的ではなく壁すべてを修繕してもらわないとダメだと思う。天井板もあちこちすきまだらけ。
この連休は沿岸部に親戚や友人がいる人たちはみな泥かきや片付けに行ってます。
粉じんやアスベストなども舞っているようで、母が勤める病院には最近肺炎の患者さんが多いとのこと。
息子の通う学校はようやく9日から始まりますが、ふたつある体育館・グランド・駐車場は危険なため使用不能です。
<4月23日着>
家族は無事ですが、毎日のようにやってくる余震で
「もう、いい加減にして~!!」って感じです。
うちは古い家なので2階は土壁がぼろぼろ落ちて使えず、
両親が子ども達の部屋に寝て、子どもらは6畳間に無理やり布団4枚敷いて私と寝ています。
3月にはなんとか持ちこたえたビルや商店も、4月の余震で倒壊・立ち入り禁止になったところもけっこうあります。
学校は始まりましたが、給食はパンと牛乳のみ(給食センターが被災しているため)。
また、小学校の修学旅行は例年会津若松(福島県)なのですが、岩手に変更となりました。
被害甚大だった沿岸部と、さほどでなかった山間部の感覚の差は大きく、戸惑いも大きいです。
各地から「支援したい・ボランティアしたい」というモノやヒトが来るのだけど
その対応で疲弊している今日このごろ・・・。
職場「ビーアイ」ではこんな動きをしています。
http://1987bei.blog.shinobi.jp/
また絵本やさんや子ども関連の仕事をしている人たちと、被災した子ども達のため
「こどもとあゆむネットワーク」をたちあげました。
http://ayumunet.jp/↑見てね。
明日は多賀城市というところに絵本を届ける予定です。

4/26 八幡さんの現地報告会

4/26に、この大災害から1ケ月間被災地を駆け回っている八幡さんからの現地状況・活動の報告会がありました。
八幡さんの報告の前に、鎌谷さんが車椅子の上から見聞きしてきた被災地の状況(主に福島)の報告と、継続的に避難所に間仕切りを提供している、愛知のAJU自立の家の活動報告と被災者の声の紹介がありました。そこには、被災地でなかなか見えてこない・声を出せない被災障害者の姿がありました。
それでは、八幡さんの報告をお伝えします。
現地ゆめ風ネットのCILたすけっとは、災害後ただちに救援物資を被災障害者に届けてまわりました。これは他にも被災者がいる中で、反感を買うかもしれないという不安もあり、怖いことではあったが。現在この行動が功を奏し、彼らとの関係が作れました。
被災した地域によっては支援の受け止め方に温度差があるので、活動の仕方に少し工夫がいるでしょう。
一ヶ月が過ぎた今でも、被災障害者への安否確認は終っていません。ここでいう「安否確認」とは、ただの生存の確認ではなく、今どういう生活になっているのか・この先ある程度安心した暮らしができるのかどうか、といった生活の安否確認です。しかし、避難所などで得られる情報はただの生存の安否ばかり。だから直接本人に話しに行くと困窮した生活が露になってきます。
避難所に問い合わせても障害者はいないといいます。しかし、実際に訪れてみると、いるのです。彼らはまだ「障害者=車椅子」としか認識していないのです。車椅子じゃない障害者もたくさんいるというのに。
私たちは徹底的に個人支援でいきたい。とにかく声が聞こえてきたなら会いに行き、話す。そして繋がった人たちとは絶対に関係を切らない。ひとりひとりとの関係を大切にしたい。
今後の方針は、岩手では、沿岸部に一時避難所を作るが、これは短期的な処置として、将来現地の活動がしやすいように拠点を新幹線沿線に作りたい。福島は、実際に活動しているあいえるの会の方針に従う。宮城は今後設立する南部と北部の一時避難所は将来は拠点として使いたい。
また、障害者の自立生活を支える為に、現地に新たに事業所を設立したい。もちろん、現地の障害者が主体になって作る。そのためには担い手となる“いきのいい”障害者が必要です。

ゆめ風ネットしまね 大田明夫さんより2

ゆめ風基金事務局
橘高 千秋 様
さっそくのご返信ありがとうございました。
私こそ,ご報告したいこと,当初のとまどいから,いくらか理解でき始めたことなど,
大阪に立ち寄ってお話ししたいぐらいの気もしておりました。
実際には,往路新潟,復路加賀市のサービスエリア車中泊での往復2800キロの道を
還暦組2人での運転ではその余裕もありませんでしたが・・・。
滞在中に出会った皆さんの今後に,いくらかお役に立てる展開になればと,望むばかり
です。例えば,大船渡市の精神障害の男性のお宅では,この男性が帰ってくるずっと前
から,お母さんが4年半もの間,水道のない暮らしをしていて,家の前の水路の水をバ
ケツで運んで暮らしている。それが原因で母親もまた病気治療中。民生委員も市のケー
スワーカーも立ち寄らない。障害以前の,基本的な生活権すら守れない状況に,なぜこ
の町で私が・・・と思いながら保健福祉課や社会福祉協議会を回るのは,ちょっとセン
ターの仕事を逸脱していたかもしれませんが,放っておけない事態でした。書き出した
らきりがないので,またいずれ改めて。
全人教機関紙「であい」,拝読しました。ありがとうございました。
長い期間の取り組み,ご自愛を念じます。
八幡さんともいろいろお話できてうれしかったです。
ゆめ風ネットしまね
太田 明夫