ヒデの救援レポート、11月21日

ヒデの救援レポート、11月21日:47
 ゆめ風基金と友好的な関係にある、カタログハウスの雑誌通販生活2011年秋冬号で、1日も早く、原発国民投票を。とキャンペーンを展開しています。原発は安全だ、心配ないと言ってメルトダウンを引き起こした電力会社べったりの経産省、過去と現在の与党に、原発の将来を決定する権利なんてあるんだろうか。今後の原発のありようを決める権利者は、万一のときには子どもの命、ふるさとの喪失、農業牧畜漁業の崩壊を賭けなくてはならない国民1人1人です。
 どうか皆さんで決めてちょうだいという声がどうして出てこないのだろうか。と思ったら、前原政調会長は、どうやら原発国民投票に反対らしいぞ。2011年7月6日、朝日新聞の記事からの抜粋。前略・かつて、臓器移植の拡大を認めるか否かが大きな議論になりました。中略・まさにプロフェッショナルな政治家として判断を下すというプロセスを持ったわけですが、すべての国民にそれができたでしょうか。原発の問題も同じです。一部はともかく、国民全体が国会議員が行うような複雑な過程と長期の勉強をへて判断できるかというと、現実は難しいと思います。
 本誌から前原政調会長への反論、まず国民投票は問題を単純化して、イエスかノーで決めてしまう。そんな二元論に危うさを感じるとおっしゃいますが、だったら、設問を三元論、四元論でつくればいいのではないでしょうか。判断できないから保留を入れたらいいのではないでしょうか。
 つぎに、国民全体はプロフェッショナルである国会議員より今後の原発についての判断ができにくいとおっしゃいますが、それもどうかなと思います。閣僚や国会議員の中には官僚の振り付けで動いている人がけっこういること、国会議員の政治判断の前提にしばしば次の選挙という制約条件がついて回ることは国民の常識になっています。そんな議員さんたちと比べて国民は理性的、客観的な判断力で劣るとは言えないと思うのですが。そもそも国民投票とは、国民が1つのテーマについて、複雑な過程と長期の勉強をへて判断できるようにする制度のことでしょう。
 すでに成立している憲法改正国民投票法は、発議から投票日まで60~180日の勉強期間を置いた末の投票システムになっています。まずは国民自身の勉強からスタートするのが、国民投票システム。そんな勉強の一例をごらんに入れましょう。国民投票が約束されたら、国民はせっせとさまざまな主張を勉強するので、心配なさらないでください。
 ね、なかなかオモロイでしょ。ご一読を!
 連絡・TEL03-3200-9115
 FAX03-3200-9274
 みんなで決めよう原発国民投票
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、11月14日までに、190,784,349円です。これまでに支援した団体、個人への金額は10月17日までに、100,832,600円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 ヒデの畏友のおひとり、京都花園大学の八木晃介特任教授の私的メディア試行社通信11月号、それでも原発なのか、からの抜粋1
連絡TELFAX075-221-2672
 事故おこした福島原発がいまどのような状況のもとにあるのか、まったくわかりません。原発本体の状態もさることながら、たとえば大量の汚染水がどこに流出しているのか。地中・地下から周辺地域の土壌や海底・外海に滲出した汚染水の量と濃度はどれほどなのかといった基本的な情報もストップしたままです。
政府も東電も従来はもっぱら虚偽情報をタレながしてきましたが、ここにきて虚偽情報さえ差し止めている気配が濃厚です。政府は今年中に福島原発の冷温停止を達成すると発表しましたが、これは虚偽情報というよりは愚鈍情報というべきです。
 正常に作動している原発の核分裂反応をとめ、徐々に冷やして百度以下にすることが冷温停止であって、すでにメルトダウンをおこしている場合に冷温停止などという概念を用いることそれ自体が詐偽のようなものであること、素人の眼からしてもはっきりしています。一号炉の炉心に水がないらしいことはわかっているようですが、2、3号機はまだ原子炉建屋の中に人が入ることさえできないので水位計の調整も不可能だし、原子炉の中にどこまで水があるのかもわかっていないようです。
 にもかかわらず東電は、福島第一原発は、原子炉周辺の冷温停止状態ができたので今後もこの状態を維持すると発表しました。政府はこれに呼応して原発から半径20キロ~30キロの緊急時避難準備区域の解除をしてしまいました。福島第一原発には、まだチェルノブイリ原発の10倍の放射性物質があるといわれています。再度、大規模な地震や火災が発生した場合、冷温停止など維持できるわけがない。
 にもかかわらず、20キロ~30キロ圏内で人が生活できるなどと決めてしまう政府の真意がどこにあるのか、どうにも理解不能です。政府もマスコミも福島原発の状況の過少評価を懸命にしつづけているようですが、しかし、放射能の汚染は逆に深刻化し全国化しつつあるようにもおもわれます。10月中旬に大騒ぎになった東京世田谷区の高濃度汚染の怪はおくとしても、放射能はまちがいなく首都圏全体を汚染しつつあります。いや、あるいはより広範囲に汚染がひろがりつつあるかも。
ゆめ風基金に届いたお知らせから
主催・障害者自立支援法応益負担違憲訴訟弁護団被災障害者110番
被災障害者支援法法律相談のご案内
 私たちは、障害者自立支援法応益負担違憲訴訟を戦ってきた弁護団です。このたびの東日本大震災の大きな被害の中、障害者の方々が孤立してしまっていないか、私たちも全国から何かできないかという思いから、無料法律相談を行っております。電話、FAXなどでご連絡頂ければ、受付先から全国の弁護士に配点し、後日、弁護士が折り返しご連絡いたします。
TEL075-241-2244
FAX075-241-1661
 相談は無料です。障害者ご自身のみならず、支援者、行政の方々を通じたご相談でも、誰からでもお聞きいたします。障害者特有の法律相談のみならず、一般的な法律相談でも、生活でも、単なる不安感でも、何でもお聞きします。例えば、まだローンを払っている途中なのに、家がなくなってしまった。地震の後、家でよくつまづくようになったけど、ひょっとしてかたむいてない?どの避難所に行っても発達障害が理解されず、ずっと居づらい思いをしている。生活保護を受けないと生活できないが、どこへ相談したらいいかわからない。など、今でもまだ被災地で孤立している障害者の方々に対し、私たちがお役に立てれば幸いです。どうぞご連絡ください。
つくし法律事務所・担当弁護士・佐野就平さん。
 ある日、ポンと、救援金100万円!にんげんは、棄てたもんじゃないですね!
 11月の初旬のよく晴れた日の昼下がり、Mさんという男性が、ふらりとゆめ風基金事務所を訪ねておいでになりました。そして、自己紹介を交えて、橘高事務局長と2時間くらい話し込まれました。
自分が兄と共に、100人くらいの社員を抱える会社を経営していること。自分の子どもが全身性の障害を持って生まれてきて、医師からは、余命1年と診断されたけれど、28歳まで、アトピーに苦しみながらも、頑張ってくれ、昨年のある朝、眠るように逝ったこと。その生涯にお連れ合いさんが、制度も使わずに、寄り添っておられたこと。
 会社でも被災地救援義援金を集めたけれど、兄が日本赤十字に寄付してしまったこと。自分は、被災地の障害のある人に届けたいと強く感じていること。お連れ合いさんが、子どもさんの死に納得していなくて、ずっと落ち込んだままにあり、その姿を見ているのが辛いこと。会社の社員を始め、自分の知る人たちが障害のある人、被災地支援に、あまり関心を持っていないこと。会社でも知的障害の人を雇用したけれど、どちらかというと、邪魔者扱いされがちなこと。
 恋人を失うのは、今を。親を失うのは、過去を。子どもを失うのは、未来を失うことだと、大震災を通して感じたこと。
 インターネットで、被災地支援活動を調べている内に、ゆめ風基金の活動に出会い、ここだと感じたこと。それで、本日、訪ねてきたこと。などなどを熱心に話されました。そして、最後にと、長い時間を頂いて感謝します。と挨拶をされて、帰り際、これを役立ててくださいと差し出された封筒。中には、100万円の札束がありました。
 事務所スタッフは、そのさりげなさに、言葉がありませんでした。一同、にんげんは、棄てたものではないと、感じ入りました。そんな、感謝の日もあるのです。
ヒデの今的スローガン、守銭奴のように、お金を集め!天使のように、配ろう!を、再び、三度、実践するぞと叫ぶ!のであります!以上。

被災地障がい者支援センターに行って

政治参加ネットのメールから転載です。
[seijisankanetML][00783]
被災地障がい者支援センターいわて
2011年11月14日 月曜日 午後1:07
皆様 八幡様
 9月のはじめ、被災地障がい者支援センターに行って来て、その様子を報告しますと勇ましく言っていたのに、今頃の報告になり、ほんとうに申し訳ありません。
 八幡さん、その節は大変お世話になりました。
 もう盛岡も大船渡も寒いでしょうね。
 以下、長いですが、私のブログにも書いた2ヶ月前の報告です。
 9月5日いわてのセンターの事務所に行く直前に、電車を下りる時に足をくじいてしまい、痛みをこらえてやっと被災地障がい者センターいわての事務所にたどり着きました。
 笑顔で迎えてくれた八幡さんや事務所の人に「大丈夫です。」と、私も笑顔であいさつしましたが、実は足の痛みで頭がいっぱいだったのです。「運転できますよね。」と聞かれ、「いえ運転できません。」これが一番事務所の皆さんをがっかりさせたようです。
 津波で被災した沿岸部へ支援に行くためには、車で2時間半山を越えて行かなければなりません。往復で5時間。支援に行くためには車の運転が必要なのです。支援センターの事務所には、スケジュール表が貼りだしてあり、ポストイットがたくさん貼ってあり、どのようなニーズがあり、だれが支援に行くのかが一目で分かるようになっています。私は、翌日、大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人に聞き取りに行くことになりました。
 事務所の上がボランティアが宿泊できるアパートになっていて、沖縄から長期に支援に入っている女性といっしょに泊めていただきました。八幡さんは1階の事務所の裏で寝泊りしているそうです。
 食事は交代でつくり、夕食が終わったらミーティングをして、情報の共有と明日の予定を確認しあいます。
 痛い足は大きく腫れなかったので、経験上、骨折ではなく捻挫だと自己診断し少しは安心しました。(私は今まで何度も足首を骨折したり捻挫したりしています。)翌朝は、少しは痛みもおさまり、関西から来たボランティアの青年と長期で支援に入っている青年の運転で、大船渡市に向かいました。美しい景色の遠野を通り、運転できない私はただ乗っているだけで申し訳なかったです。
 大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人にお話を聞きました。住宅は木造で外側にはスロープや視覚障害者用の誘導ブロックがありました。しかし、住宅の中は障害のある人にとって使いやすいものになっていません。台所は流しの下は収納がなく、車いすが入るように空いていますが、なべなどの収納が上の手の届かない吊り戸棚になっていて、結局台所用品を床に積み上げることになり、台所は車いすでは回転ができない狭さになっています。 風呂場に入るには段差があります。部屋の引き戸は重くて開けられません。危ないからベランダをつけて欲しいと要望していた掃きだし窓は、転落事故があってから、やっとベランダがつけられたそうです。障害者用仮設住宅だというのに、障害者が住んで不便な状態になっているのには驚きました。なんでこんなことになるのかが、一番の問題です。
 住民の方からお話を聞いて帰ろうとした時に、この仮設住宅の一部屋に配置されている生活支援員の人から、勝手に来ては困る、支援員に断って欲しいと声をかけられました。大船渡市は障害者用仮設住宅だけでなく、すべての仮設住宅の団地の中の一部屋に生活支援員を9月から置いたそうです。他の仮設住宅に住んでいる人達からも支援員というより、管理員のようだと言われています。民間の業者に委託されていて、支援員の人もどうしていいかわからず手探り状態のようでした。
 あれから2ヶ月がたちました。冬は雪で山越えもむずかしいので、沿岸部に支援の拠点を設けたいと八幡さんは言っていました。長期に支援していくためには地元で支援センターの職員を雇用していきたいと言っていました。 9月も地元の若者が支援センターの非常勤職員として仕事をしていました。被災地障がい者支援センターを支えているのは、全国の人々から寄せられる「ゆめ風基金」へのカンパです。私達は「ゆめ風基金」へカンパすること、継続的に被災地を支えていけたらと思います。 
                                              佐藤浩子

ヒデの救援レポート、11月14日

ヒデの救援レポート、11月14日:46
 11月4日、NPO法人・自立生活センターほくせつ24の山下事務局長と、管理者補佐の橋本さんが、ゆめ風基金に来てくださり、先日開催された歌声交流会2011・東日本大震災被災障害者支援で集められた救援金365,928円を届けて頂きました。感謝です!
歌声交流会実行委員会事務局
大阪府茨木市中津町3-26・ほくせつ24内 TEL072-638-1466
実行委員会参加団体
茨木市肢体不自由児父母の会、茨木市障害児(者)を守るわかくさ会、茨木市障害者生活支援センターすてっぷ21、茨木市身体障害者福祉協会、ぐるうぷすばる、茨木市障害者福祉をすすめる会とんぼ、NPO法人自立生活センターほくせつ24、社会福祉法人たゆたう、地域、校区で(障害児、者)の生活と教育を保障しょう茨木市民の会、NPO法人いばらぎ自立支援センターぽぽんがぽん、NPO法人フィフテイ、フィフテイいばらぎサロン
                                         以上
11月6日(日)・読売新聞掲載記事より
被災障害者へ支援の輪23日大阪でイベント
 東日本大震災の被災障害者への支援の輪を広げるイベント東北ー関西ポジティブ生活文化交流祭が23日午前11時から午後6時、大阪市北区の扇町公園で開かれる。
関西の障害者支援団体など40団体以上が参加。踊りや音楽を披露するステージ、たこ焼きや焼きそばなどが楽しめるブースを設け、障害者作業所がクッキーや雑貨などの手作り品を販売する。被災地向けにメッセージカードを作るコーナもある。
 会場ではカンパを集め、収益の一部とともに被災地支援に充てる。
 近くの山西福祉記念会館では同日午後1時半から、岩手、宮城、福島3県の被災障害者を招いた現地報告会も行う。参加無料。
 問い合わせは、日常生活支援ネットワークTEL06-4396-9189
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、11月4日までに、188,750,034円です。これまでに支援した団体、個人への金額。10月31日現在、114,665,200円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
またまた奈良県在住のヒデの畏友のおひとり、吉田智弥さん発行の蛇行社通信の出番です。
TEL/FAX0742-49-0170
備忘録 原発とシィアールより
 多くの電力会社が、原発の建設に本腰を入れ始めたのは、1973年の石油危機に直面して以降である。あの時も、電力供給が不安定になり、停電があり、節電が強要された。その頃の某日、ある新聞広告を見て衝撃をうけた。真ん中にエレベーターが宙ぶらりんで止まっているイラストがあり、たったいま、電気が止まったらという惹句がついていた。
 スポンサーは電気事業連合会、全国9電力会社の業界団体である。ボディコピー本文を要約すると電気が止まったら困るだろ。それだったら発電所の建設に協力しなさいよというのである。まるでゲッペルス的な狡猾さ。広告マンとしてこんな広告は許せない。
 だが、もし同じ広告主が、同じ趣旨の広告制作を、私の勤める広告会社に発注してきたらどうなるか。その時、もし仮に私がスタッフに指名されたらどうするのか?それを拒否できるのか?サヨクの新米コピーライターは悩んだ。
 ところが、その上に、たまたま目にした経済誌に、広告会社・電通の制作部門=責任者であった中井某が、全国各地で行き詰まる発電所建設を推進するために創造開発という会社を立ち上げた、という記事があった。新しい説得の方法を試みるためだという。
 シィアールという言葉を知ったのはその時である。よく知られているピィアールにも適切な日本語訳がないけれど広報は超訳シィアールにもぴったりと対応する日本語がない。あえて政治的な文脈で翻訳をすれば、地域社会における多数派工作とでもいうべきか。
 もともと、アメリカミズーリ州セントルイス市警察が黒人暴動を・予防・するために考案した戦術である。善意のマジョリティ派の住民による、マイノリティ派住民に対する包囲作戦日本の警察がカゲキ派・対策として展開したアパート・ローラー作戦もシィアールの応用である。
同誌によれば、中井某らは宮城県女川町を最初の標的に定めて活動を始めたという。その地には原発建設に粘り強く反対し続ける闘いがあったが、中井シィアール理論によれば、それらに対して警察行政をもって弾圧するのは下策である。
 そうではなく、まったく非政治的な別の住民運動を組織して広げていく。たとえば主婦の料理サークルや、企業の草野球チーム、保護者会有志による勉強会等々。そうしたグループへ、反原発に心情を抱いている人たちを勧誘したり、交流の場へ招待したりする。親しい人間関係をつくること自体を目的に。
 地域社会の中に対立的な論戦をしない空間や時間を大きくすることができれば、結果として、反対派の政治的色彩を弱めることができ、封じ込めて、硬派を孤立化さす、無力化させうる、という計算。中井らの新しい説得の方法論に関するそうした解説記事を読んで、居ても立ってもいられなくなった。数日後、休暇をとって女川町まで出かけた。彼の地の反対運動の人たちにこのことを伝えねばならないと、考えたからである。
 東北電力がその予定地で原発建設に着工したのはその7年後になる。逆に言えば、資本と権力の側が仕掛けた総力戦に、更に7年間も抗い続けた反対運動の歴史があったということである。彼らの原発とは共存できないという主張の正しさが3・11のような形で証明されるのは、あまりに残酷すぎて、言葉を失うが。
 ヒデの住まいする、大阪北部の街、箕面市では、毎年、人権週間中の(土)(日)に、市民実行委員会が組織され、みのお市民人権フォーラムが、大々的に開催され、今年で、26回目になる。
 今年のテーマは「がんばるのは私たちいま、自分ができること~であう、考える、行動する~」
 2011年3月11日、東日本を襲った大地震。かつて体験しない大災害から日本の危機が叫ばれ、いつしかがんばろうのスローガンが日本全土をおおう。しかし震災から数ヶ月がすぎた今、私たちはなおも日常の戻らない被災地の姿を、すりこまれたがんばろうという言葉の影に追いやってはいないだろうか。がんばろうは誰に向けられたことばだろうか?がんばるのは当事者だけ?
 被災地のこと、人権のこと、参加者1人ひとりが、自分のこととしてとらえ、考え、行動するきっかけとなるように、今年26回目となる人権フォーラムを開催いたします。ご参加を!
2011年12月3日(土)午後1時より
全体会会場・箕面市役所となり、グリーンホール大ホール(阪急電車箕面駅下車)
記念講演 湯浅誠さん内閣府参与震災と貧困から考える、社会と人権
午後6時から、第1分科会グリーンホール大会議室
第1分科会のみ、3日午後6時からです。
東日本大震災!その救援のあり方と宗教活動
人権フォーラム名物の武田住職が、自らの救援活動を赤裸々に語る。そこから、なにが視えたのか。縦への支援・横への支援。・救援活動の中にも人権問題はある。・名物坊さんが、救援活動や、それ以外のことも、あなたの疑問・質問に、ズバリ応える名物分科会。
タメになること、タメにならないこと、タップリお聞きください。
講師・武田達城・浄土真宗本願寺派・千里寺住職
司会&お相手・河野秀忠・箕面市人権啓発推進協議会事務局長
4日午前中、第2分科会。
社会を変えるために動く!人権の息づくまちづくりをめざして
市民活動センター
4日午前中第3分科会
震災の中の女性支援者からのメッセージ
文化・交流センター
4日午前中第4分科会
セクシャルマイノリティってなに?子どもたちを取り巻く、多様な性について知ろう。
らいとぴあ21
4日午後第5分科会
頼りになるのは地域のつながり・災害時の受援力に学ぶ
ライフプラザ
4日午後第6分科会
外国につながる若者たちが語り合う今なら言える。あのときに伝えたかったこと。
らいとぴあ21
4日午後第7分科会
チャレンジのプロセスでつながるもう一つの部落解放運動。
らいとぴあ21
参加費、全体会&分科会フリーパス1000円、分科会フリーパス500円
お問い合わせ・実行委員会事務局・
TEL072-722-5838 FAX072-722-8042
この、ヒデメール通信に、意外なところから反応がありました。
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんによる提案!
障害者問題資料センター経由
 瓦礫焼却に際しては、、放射性物質が拡散しないように、高性能のフィルターが必要だが、それは技術的に可能だ。フィルターに残った放射性物質は、どうするか?
 福島原発を最終的に処理するには、地下10メートルまで届く遮水壁と巨大な石棺が必要。焼却灰とフィルターは、大量のコンクリートの材料にして閉じ込めてしまう。それでも残ったら、原発を順番に廃炉していく時に、同じ用途で使う。以上

大阪市交渉、障大連セミナー

みなさまへ 障大連です。
 表題の件で(2件)ご案内させていただきます。
(1)大阪市交渉
○日程:12月1日(木)、8日(木)の2日間
○会場:大阪市・都島区民センター(ホール)
○アクセス:
 ①JR・地下鉄長堀鶴見緑地線「京橋」より徒歩約10分
 ②JR「桜ノ宮」より徒歩約10分
 ③JR「大阪城北詰」より徒歩約10分
 ④地下鉄谷町線「都島」より徒歩約15分
○時間:10:00~17:00程度(詳細は添付チラシを参照ください)
(2)セミナー
○日程:12月11日(日)
○会場:大阪市民交流センターすみよし南
○アクセス:
 ①大阪市営地下鉄・御堂筋線「あびこ」駅より徒歩約20分
 ②JR阪和線「杉本町」駅より徒歩約8分
*ご注意*「杉本町」駅にはエレベーターはありません
○時間:10:00~16:30
どうぞよろしくお願いします。
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障大連  TEL 06-6779-8126/8136 FAX 06-6779-8109

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.55

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.55
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.55
日時:2011年11月10日(木) 天気:晴れ
報告者: O(育成会)
9:00~12:00 Sさん送迎(入谷のぞみ)、役場(アリーナ)、Sさん訪問
12:00~17:00 Sさん送迎(入谷のぞみ)、Sさん訪問
活動した上で感じたこと
【Sさん 訪問】
 先日来、相談を受けていたSさんの学校送迎についての聴き取りのため、母親を訪問。体調はずいぶん回復しておられ、震災後いまに至るまでを饒舌に語られる。避難時にかなりストレスを受けておられたようだが、仮設に移ったことで徐々に前向きになってきておられるような印象を受ける。送迎については、月曜日の迎えを予定するが、来週14日(月)は振替休校のため、初回は15日(火)を予定する。それまでの間に、Sさんと顔合わせを行うこととする。
【Sさん 送迎(自宅 ⇔ 入谷のぞみ)】
 9:30、自宅前に到着。本人が助手席に座らないよう(ハンドルや運転者に手が伸びることがある為)、事前に支援者が助手席に座ってみる。声掛け(「後ろに座りましょうか」)でスムーズに後部座席に座ることが出来ていた。助手席に人が座っているのを観て判断したのか?
 車内では、出発直後こそカーナビを触ることと運転手(Aさん)に携帯の訴えがあったが、「携帯持っていません」と伝えると、すんなり受け入れていた。以降は特に話をすることもなく時々分かれ道で指差しをするのみであった。やや表情硬いか?問題なく入谷ののぞみへ到着する。
 14:00、入谷ののぞみへ迎えに行く。帰りは助手席には支援者は座らずキーロックしておく。声掛け(「後ろに座りましょうか」)でスムーズに後部座席に座ることが出来る。助手席側のドアを触ることも無かった。本日(11月10日)は入谷ののぞみでお別れ会があり、帰りの車内ではお別れ会の話(「写真撮ったよ」)やガソリンスタンド等の話をされることが多かった。表情も良い。行きと帰りの車内で支援者(O)の名刺を渡そうとするも拒否を示されていた。
【役場(アリーナ)】
◇Wさんのバス乗車の件(バスに行き先の表示があるが、先日のバスには間違った行き先の表示があり、乗車することが出来なかった、とのこと。)を伝える。
◇港仮設住宅のOさん宅(並びの住宅も)が、先日の大雨で入口より雨水が入ってきたので一度見に行っていただきたい旨お願いする。
◇福祉課に病院までの送迎について確認する。病院までの送迎は町内の介護保険適用者のみ行っている、とのこと。知的障害者への病院送迎サービスは行っていない、とのこと。

司法関係者に教育トレーニングを 障害連事務局FAXレター No.231

障害連事務局FAXレター No.231  2011.11.11(金)
司法関係者に教育トレーニングを
―政治参加の実質的保障が必要、差別禁止部会(第10回)―
11月11日(金)差別禁止部会(第10回)が行われた。まず、この日は司法手続きについて。
東室長から法務省側の取り組み(推進会議でのヒアリング)が報告された。これに対し大谷委員は「現状との違いを強く感じさせられる、例えば刑事施設では手話は暗号として解釈され使うことが禁止されている」という、などの多くの問題があるとした。
また別の委員からは知的障害を伴わない発達障害について誤った対応が多くなされていることが挙げられ、司法へのアクセスについて司法関係者の教育トレーニングの重要性が出された。
さらに司法手続きの中で、どういう合理的配慮がなされたほうが良いか、という調整機関の必要性がある、などの意見もあった。この調整機関は司法手続きに限らず、あらゆる分野で求められる、という趣旨であった。
差別禁止法以前に、各個別法の検証が必要であるという意見もあった。
続いて、「選挙等」について議論された。太田をはじめ、各委員から「選挙等」というより政治参加、政策参加、被選挙権の問題として取り上げられるべきだとした。太田や池原委員は、施設や精神科病院で暮らす人の選挙権が実質的に奪われているのではないか、と発言した。また、地方議会で言語障害がある議員が自ら選択する方法で発言する機会が奪われたことは、国民主権が侵されているという発言もあった。
さらに、選挙公報の点字版が作られていない実態についても言及があった。
最後に、今後の議題について東室長から示され、「差別禁止法の立法化でできる部分と、他の法制度の改正が求められる部分があるだろう」「救済機関については、人権救済法をにらみながら、調整する場面も出てくるかもしれない。いずれにしても、各論がある程度でないと、救済機関には移れない」とし、来年の夏までには提言をまとめていきたい、とした。
次回、12月9日(金)
※本号は日本障害者協議会(JD)の協力によって、つくられました。

茨木市の自立生活センターほくせつ24から

11月4日、大阪府茨木市の自立生活センターほくせつ24から山下裕介さん、橋本さんがお見えになり、毎年、多くの茨木市内の障害者団体の協力を得て開催されている歌声交流会での募金を届けてくださいました。
ありがとうございました。
自立センターほくせつ24 山下さん

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.54

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.54
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.54
日時:2011年11月9日(水) 天気:晴れ
報告者: H(育成会)
9:00~12:00 たすけっと・菊池氏・田中氏、ゆめ風・八幡氏来所
12:00~17:00 平成の森にて、福祉アドバイザー・本間輝夫東北大学教授講演会
活動した上で感じたこと
【今後についての検討会議】
 現状のセンター機能についての確認と方向性を模索する。
① 送迎について・・・依頼されているニーズの多くは送迎にあるものの、距離や時間の問題で全てに対応し切れていない。本来、施設利用に関する送迎は家族と当該施設間との問題でもあるため、徐々にフェードアウトしていく必要もあるのではないか?ただし、Wさんのように、施設から送迎サービスをしないと断言されているケースについては、専属の運転手の契約等、別途、手段の検討は必要。
② レスパイト・・・Sさんのレスパイトを土曜日の午前中に行っている。内容は、本人の好みもありドライブが殆どだが、雪が降る季節が近づいてきたため内容の再検討が必要か?おもちゃ図書館の利用や自宅、登米拠点などの模索が急がれる。
直面している課題は以上の内容だが、今後の方向性については、中心となる3人での更なる検討が必要となるため、足元の支援をしつつ、データーや資料・記録の整理、また長期的なスパンで学習や会議を重ね、3月末頃には一定の方向が示せるように。
そのために、定例の会議をも持つなど、事務所の運営の方法も必要に応じて変えていくよう⇒日曜に閉めることとする。
【福祉アドバイザー 本間照雄東北大学教授 講演】
 地域に根ざした福祉を造り上げていくために、専門領域を超えた意見交換会を月一回行うこととなる。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.53

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.53
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.53
日時:2011年11月8日(火) 天気:晴れ
報告者: H(育成会)
9:00~12:00 Sさん送り、南三陸町役場、地域活動支援センター風の里
12:00~17:00 入谷公民館、風の里自主製品見学、Sさん迎え
活動した上で感じたこと
【Sさん送迎】
 車内で同行したスタッフ(女性)の携帯を触りながら過ごしている。目的地まで大人しく過ごせている。車内からの景色は確認しながらで途中、施設までの道を間違えたときもすぐに正しい方向を示しておられた。
帰りは朝よりも元気でこちらとのやり取りも多かった。
【南三陸町地域活動支援センター風の里】
 Sさんの状況確認に訪れる。在宅が続いており日中は姉が仕事に出かけた際に同行し気仙沼で過ごしているとのこと。母は送迎についてはこちらでするので早く本人が日中を過ごせる場所が欲しいと思っているとのこと。古川にあるレスパイトケア「カムカム」という施設を教えていただく。また、Oさんについては風の里を見学することはできるが元々大工をされていたということなのでここでは本人さんが持て余してしまうのでは、というお話もある。一度本人さんが大工をしていた、ということについて確認してみることとする。
【入谷公民館 風の里自主製品】
 手芸活動で製作中の作品をみせていただく。かなり精巧できれいな作品が多かったがスタッフの方からのお話しでは作られた方の調子で同じ作品でも仕上がり方が変わりまた、完成した後に出来栄えがご本人にとって不本意だと落ち込んでしまわれることもある、ということを教えていただく。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.52

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.52
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.52
日時:2011年11月7日(月) 天気:曇り
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 あやめ園訪問・見学、登米市役所米山支所訪問
12:00~17:00 Sさん宅訪問、商工団地ポスティング、Wさん迎え
活動した上で感じたこと
【あやめ園訪問・見学】
あやめ園へアンケートをお渡しする。その後、施設の活動内容や園内の様子についてお話いただく。カレー作りやお菓子作りではそれぞれ役割りなどを設け各利用者がやりがいをもって取り組めることを考えて取り組んでいるとお話しされていた。手作り商品や作成の行程なども見学させていただいた。
【登米市役所米山支所訪問、アンケート配布】
始めに米山障害者地域活動支援センターを訪問するが管轄である米山支所へ届けていただきたい、とのお話しを受ける。その後、支所に訪問しアンケートを手渡す。
【K・Kさん宅訪問】
母と面会しお話しを聞く。前回の訪問からあったように送迎のニーズについては強く持っておられる。特に本日は咳き込む様子がみられるなど体調も優れないようで、特にこういう日は送迎があるとありがたい、とお話しされていた。また、仮設での生活ではスペースが限られ衣服の整理も大変であるということもお話されている。送迎については出来る限りご協力できれば、というところで本日は引き上げる。
【商工団地にて案内を配布】
各家に対し当センターの案内をポスティング
【Wさん迎え】
車内での会話でのぞみ園には戻りたくないな、ということをお話しされていた。