巻頭言 【ひとりひとりが主人公の、社会という舞台でつながろう】

機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
巻頭言 【ひとりひとりが主人公の、社会という舞台でつながろう】
NPO法人ゆめ風基金副代表理事 河野秀忠
 前々回にも書いたけれど、今回もまた、季刊障害者問総合誌「そよ風のように街に出よう」特集取材のために、ゆめ風基金代表の牧口と、編集長の河野が、老老へろへろコンビで、岩手県盛岡にある、『被災地障がい者センターいわて』を訪ねた。その内容については、83号そよ風誌特集をお読みいただければと、密かに願っている(そよ風編集部tel06-6324-7702)
 さすがに、大阪から、東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで、岩手県に向かうと、その遠さを実感し、へろへろする。今回、初めて知ったのだが、岩手県の面積は、日本の府県の中で一番広いとのこと。乗車時間が長いため、話題も途切れて、老老コンビが、つくねんと車窓に流れる風景を眺めるばかり(本当は、飛行機を使えば時間を短縮出来るのだが、牧口の使っている電動車イスが大きく、荷物として飛行機に積み込めば、新型のために、故障する可能性があり、やむなく新幹線となったのだ)。東北3県を縦断するように、新幹線は走る。
 東北には、想像する以上に、川が多く、水が豊かに流れている。新幹線は、内陸部がコースなので、東日本大震災の被災風景もあまり見当たらない(被災状況は、もっぱら沿岸部に集中している。沿岸部では、地震、津波によるガレキが撤去されているものの、ガレキの山が出来ただけで、今もつて、復活の道筋は不透明のままにある)。あちこちの山並みの緑も、深く、濃ゆい。流れる風景は、大阪などと違って、ゆったり、広々としている。広い敷地の人家が点在して、大地の豊かさが視界に刻まれる。
 ところが、都市部に近づくと、民家やビルが立ち並び、家々が肩を寄せ合うように立ち並ぶ。そのような家々にも、ひとりひとりのドラマがあり、その主人公の記憶がある。ボクたちもまた、被災地のひとびとと同じように、自分のドラマの主人公であり、生きた記憶を持つ。しかしながら、その自分ドラマには、舞台としての『社会』があらねばならない。今回の大震災で被災されたひとたちは、ドラマを失い、生きた記憶を失い、ドラマの舞台である社会すら失ったひとたちが多くいるのだ。
 そのひとつの天災ではなく、人災の福島県の原発事故では、放射能の拡散によって、社会=地域に帰れぬひとが多数いる。なかでも障害を持ったひとや高齢者のひとたちは、避難も出来ないままに、汚染地域での困難な生活を強いられているひとが多い。東京電力や、政府の言葉も、どこまで信じればいいのか、真実が分からぬままに、空虚な言葉だけが、奇麗な東北の風の中を漂う。
 ボクたちには、自分のドラマと、他者のドラマをつないでいくことが求められている。それが同じ社会、世界に生きるものの証なのだ。ひととしての証である。本当の気持ちと、本当の言葉で、本当のことを話し合おう。被災地とつながろう。今はまだ、被災地救援の時だけれど、いずれ、自然に、つながりの先に、ボクたちの、自分が主人公のドラマが演じられる新しい舞台=社会が必ず創出される。その本当のひとびとの歴史作りに、ひとりひとりが自分で決め、参加しょうではないか。
 前にも書いたけれど、ボクたちの社会は、化学エネルギィで成り立っている。人間そのものが化学結合で作られている。地球上のありとあらゆるものが、化学エネルギィで支えられているのだ。その化学エネルギィの百万倍もの力を持つ、核エネルギィを、化学エネルギィで作った物質で押え込むなんて、出来るハズもない。もうそろそろ、本当のことを語ろう。にんげんには、限界があることを。その限界の内に、豊かに暮らすのが、にんげんらしい生き方であり、つながり、願い、記憶を創造する中に、自分があると。まだまだ被災地には、支援が必要だ。だから、必要が無くなるまで、つながり、支援を続けよう。
 ボクのために、あなたのために、みんなのために!
 新幹線の車窓の夢の中から・・・。

ヒデの救援レポート、2012年6月11日

ヒデの救援レポート、2012年6月11日:74
大阪府枚方市の枚方ふれあいフェスティバル実行委員会&社会福祉法人、枚方市社会福祉協議会からの呼びかけ
東日本大震災被災地支援義援金ご協力のお願い
 東日本の広範囲な地域へ未曽有の被害をもたらした大震災から、早や1年3カ月の歳月が流れました。仮設住宅から抜け出せないで苦しんでいる被災者、遠隔地への避難を余儀なくされ、帰還の目途すら立っていない被災者、復興には程遠い痛苦の現実が、いまなお横たわっています。とりわけ、支援の手が遅れがちであった障害者たちの現状はいかばかりかと思いやられます。
 障害者と健常者が、共に生き、共に学び合う中から、誰もが生活しやすい地域づくりを願い取り組んできた私たちは、どれだけ歳月が経とうとも、被災障害者の状況から目をそむけず風化させないで、どんな支援が可能なのか、共に考え行動していきます。さまざまな団体・個人が知恵と力を集め、それぞれの形で支援の手を差し伸べてきました。現地へ子ども劇団として訪れ、交流し、芝居を通じてメッセージを発信してきた団体もあります。
障害のある仲間も多く参加してきました。引き続き、こうした支援を息長く継続させていきます。
 本日、障害者と健常者の交流の場~第33回枚方ふれあいフェスティバルへご来場の皆様、ここ大阪・枚方から被災地の障害者を応援するための義援金ご協力を心からお願い申し上げます。なお、集まった義援金はNPO法人ゆめ風基金へ預けさせていただきます。
NPO法人ゆめ風基金とは?
阪神淡路大震災を機に自然災害の被災障害者を支援しつづけている団体です。全国の障害者運動と、永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の方々が呼びかけ人として参加しています。連絡先TEL06-6324-7702FAX06-6321-5662
仙台自立生活センター・たすけっと機関誌・ステップ43号より
○連絡先、TEL022-248-6054
○FAX022-248-6016
及川代表あいさつ(及川さんは、被災地障がい者センター・みやぎの代表でもあります。)
 あの日から1年になろうとしています。車いす上で感じたあの時間は決して忘れることはありません。そしてあの時から再び暮らしを取り戻す、新たに築いていく日々が動き出しています。
 昨年4月より被災地障がい者センター・みやぎの事務局をたすけっと事務所において活動してきました。東北関東大震災障害者救援本部、NPO法人ゆめ風基金をはじめ、全国各地からの全面的バックアップのもと、活動してまいりました。心から厚く感謝申し上げます。
 1年が経とうとしている今、新たな活動への基盤づくりを進めています。永い時間をかけ、試行錯誤しながら活動してまいりたいと思います。
 被災障がい者の支援と自立生活センターの支援とはどう違うのですか?まだまだ騒然雑然としていた5月末、京都JCILの方々がいらしてくれたときに投げかけられた質問です。
 僕は大きな気づきをもらいました。もともとやっていた自立支援活動と新たな災害救援活動。そのどちらも障がい者が地域で安心して暮らせる社会を目指す、というところでは同じだということを気付かせてもらったのです。
 2012年は復興元年と言われます。昨年も全国の皆様の強力な支援をいただいてまいりましたが、宮城県内にも多くの仲間ともつながることが出来ました。今年は、これまでにできた様々なつながりを基にしながら、さらに広げ強固にしていきたいと思います。
 そして、もともと、行っていた、自立生活プログラムや交流活動、相談支援に重点を絞り、メンバー一丸となって、地道に確実に進めていきたいと思っています。一昨年から始めているサロン活動も、今年に入って少しずつ参加される人数が増えています。そうしたことを一つ一つ大事にしながら、今年も活動していきたいと思っております。
被災障害者支援・ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、288046817円(2012年2月29日現在)
東日本大震災救援金としてこれまでに支援した団体、個人への金額は、130,209,050円(2012年6月7日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
新聞記事より
○骨抜きにされた自立支援法見直し
○日本社会事業大学教授、佐藤久夫(64)
 政府が3月に国会に提出した障害者総合支援法案が審議中だ。私は政府の障がい者制度改革推進会議のもとに設置された作業部会の部会長を務め、約一年半、18回の会合で法案への提言をまとめた。障害者と家族、事業者、自治体など立場を超えて合意したものだ。
 その内容は、支援対象をすべての障害者とする。支援の必要度合いを示すとされる障害程度区分を廃止し、本人のニーズにあったサービスにする。利用者負担は原則無償とする、など60項目に及ぶ。障害者を保護する対象ではなく権利の主体であるとし、地域で他の人と平等に生活するための必要な支援を示している。
 しかし、法案にほぼ盛り込まれたのは共生社会の実現を目指すという法の目的と理念だけ。障害の範囲に難病が加わったものの、支援を受けられない谷間は残る21項目が不十分ながら取り上げられ、それ以外は全く触れられていない。小宮山厚生労働相は提言実現への第1歩だと言うが、どういう方向に行こうとしているのか、法案からは見えない。
 2006年施行の障害者自立支援法は、サービス利用に応じて利用者にも負担してもらうという考えだったが、実情は収入がほとんどない障害者が多く、悲鳴が上がった。マスコミも含めて反対意見が相次ぎ、違憲訴訟も全国で起きた。
 民主党は09年の総選挙で現行法を廃止し新法を制定するとマニフェストに掲げた。新政権は新法を作ると約束して裁判をやめさせた。障害者に寄り添う姿勢は政権交代の大きな原動力になったのではないか。
 我々が最大限の努力をして提言をまとめても、こういう法案しか出てこないことに徒労感を覚える。民主党はねじれ国会を理由に国会で否決されるような法案を出すわけにはいかないと言うが、本当にそうか。野党の賛成が見込めないなら国民の目の前で議論して、どちらが障害者が求めているものなのか、はっきりさせれば良いではないか。
 先月、和歌山市に対し、筋萎縮性測索硬化症の男性76に1日21時間の介護を義務づける判決が出た。男性は人工呼吸器をつけながら必死に生きている。74歳の妻は歩行も不自由だが、睡眠以外の時間は介護に充ててきた。我々は、このように裁判に訴えなくても必要な支援がなされ、障害者も家族も安心して暮らせるようにとの願いで、提言を作った。
 障害者は社会に参加して貢献し、胸を張って生きたいと考えている。そのために必要な支援は何か。自らのプライバシーをさらして法廷や社会に訴えてきている。理解が広がり、社会と障害者の距離が変わってほしいと願っている。障害者も含めてみんなが参加し支え合う共生社会こそが、大震災から再生する日本社会ではないか。
NPO法人・ちくほう共学舎虫の家機関誌虫の家だより98号より
○連絡先TEL&FAX09496-2-6003
 沖縄と福島~その相似する構図・大場康司さん(大場さんは、ゆめ風ネット福岡の世話人でもあります。)
民主主義社会は世論を尊重することが基本です。日米両政府とも沖縄県民の切実な声を尊重しないのですか。
今年、沖縄が本土復帰40周年を迎えた。国土の0、6%しかない沖縄に全国の74%の米軍専用基地が集中する現実の中、世界一危険だと言われる普天間飛行場の返還問題も、辺野古への移設をもくろむ政府と拒否する地元という構図で進展が見られない。
 そんな中、5月15日に行われた復帰40周年式典で、戦後初の沖縄選出衆院議員で元沖縄開発庁長官の上原康助氏は野田総理、ルース駐日大使の目の前で式典にふさわしくないものになるかもしれないと一言添えて始まったあいさつの中で、こう発言した。
 2年前、イベント時に普段は入れない辺野古にあるキャンプシュワブ米軍海兵隊基地の中に入ったことがある。敷地内にはショッピングセンター、映画館、ボウリング場、プールなど、ありとあらゆる施設が整備されているのを見て驚いた。これらを整備するために、多くの思いやり予算が使われているだろう。ジュゴンが住む美しい海に、さらに基地を作ろうとするのかと考えさせられたことを思い出す。
 危険なものは押しつけ、利益は中央が享受する構図が沖縄と福島は似ていると、東日本大震災後、指摘されるようになってきたという。国策を進めるため補助金を投じた結果、地域経済が国依存型になってしまう点も似ている。
違うのは銃剣を突き付けられて土地を収奪されたかどうかだという。大きな原発事故起きた福島に新たな原発を造ることは不可能だろうが、沖縄では、いろいろな事件・事故が起きても基地が減るどころか、7月に日米両政府は普天間飛行場に問題の多い米軍新型輸送機MV22オスプレイを配備することを決めている。復帰後40年たっても変わらない基地被害に抗議する集会も沖縄県内各地で開かれたという。
沖縄をいつまで捨て石にするつもりなのだろうか。これからも、沖縄問題に関心を持ち続けていたいと思う。
以上!

6月9日の街頭募金、ありがとうございました。

6月9日の街頭募金は37人のご参加をいただき、103,109円の募金額となりました。
参加していただいたみなさん、ご苦労様でした。募金をしてくださったみなさん、ありがとうございました。
次回は7月14日(土)午後1時~5時 大阪なんば高島屋前です。
よろしくお願いします。

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第一組

2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第一組
(2012年6月4日~10日)
2012年6月11日
畑 俊彦
桐間智弘
 今年度も昨年に引き続き、東日本大震災障害者支援・岩手県プロジェクトが始まりました。このプロジェクトのトップバッターとして、メインストリーム協会から畑と桐間が岩手へ行ってきました。今回やってきたことは大きく分けて3つのことです。
 1つ目はTRYのノウハウを伝えることです。具体的に今まで開催されていたTRYの趣旨や自分の経験から募金のやりかたや運営方法等のアドバイスをしました。
 2つ目はバリアフリーチェック。被災地障がい者センターいわてが拠点を宮古市に移し、周辺の夜のバリアフリーチェック(飲み屋)を行いました。
 3つ目は「あきんど市」への参加です。被災地障がい者センターみやこの事務所周辺の商店街のイベントである「あきんど市」(復興市)への協力参加です。
 これらのことを行ってきましたが、やはり盛岡をはじめ、宮古でもまちなかで重度障害者を見ることはありませんでした。今後みちのくTRYをやっていくことで、多くの団体や施設などを訪問し参加してくれる人を集め、岩手でも重度障害者が当たり前にまちなかに出ている風景になって欲しいと思います。
●2012,6,4(月)13:00~19:00
「みちのくTRY会議」
出席:八幡、川畑、川口、畑、桐間、岡村(ゆうのゆう)、広瀬
・日程変更→8月19日(日)~31日(金)
・全体スケジュール(案)
09:30~移動
11:30昼休憩
13:00~移動
15:00~小休憩
15:30~移動
17:30移動終了
・みちのくTRY全日程(予定)
19日スーパー堤防から出発
10:00セレモニー、出発
11:30休憩
13:00移動
15:00移動終了
休暇村で宿泊
20日
09:30宮古市市役所へ向けて出発
16:30宮古市市役所到着
   要望書提出
駅前で野宿
21日
09:30つがる石でアピール
00:00とよまねへ向けて移動
00:00とよまね到着
とよまねで宿泊
22日
09:30山田町役場へ向けて移動
15:00山田町役場、山田共生会
山田町で宿泊
23日
09:30
吉里吉里で宿泊
24日
09:00大槌町役場へ向けて移動
12:00大槌町役場到着
00:00釜石役場へ向けて移動
00:00釜石役場到着
車で抜けれなければいけないトンネル
釜石で宿泊
25日
09:30唐丹駅へ向けて移動
00:00
00:00唐丹駅到着
唐丹駅で野宿
26日
09:30道の駅三陸へ向けて移動
00:00
00:00道の駅三陸到着
27日
09:30大船渡へ向けて移動
00:00移動終了
○○で野宿
28日
09:30移動開始
11:00大船渡市役所到着
00:00陸前高田へ向けて移動
○○で野宿
29日
09:30陸前高田へ向けて出発
00:00陸前高田到着
陸前高田で野宿
30日
09:30一本松に向けて出発
00:00一本松到着
00:00作業所すずらんとかたつむり作業所との交流
00:00セレモニー
00:00車で盛岡へ移動
盛岡で宿泊
31日
09:30岩手県庁へ向けて出発
00:00岩手県庁到着
注:会議時に詳細が決まっていないものは00:00にしている。なお上記スケジュール案は6月4日現在のもので、今後変更する場合もあります。
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TRY会議の様子
●みちのくTRY~復興に向けて障害者も住める街づくり~
TRYとは
 1986年に始まった。主に鉄道のバリアフリー化を訴え、車椅子で旅をするイベントです。今まで全国各地を旅した歴史があります。
 大阪~東京、福岡~東京間のバリアフリーを訴え障害者のイメージを変える歴史の1ページとなりました。
 この夏、岩手県宮古市から陸前高田市までのおよそ150㎞を歩き、みちのくTRYを行います。地元の障害者や沿岸部の人たちを交流しながら、障害者も住めるまちづくり・復興を目指して歩きます。
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盛岡での募金の様子
6月6日(水)
朝:朝礼、看板作り
盛岡募金@大通りのミスタードーナツ前
13:00~15:00
募金集計 \15,756-
備考:平日の2時間でこの金額は予想以上に良かった。
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募金集計の様子
これから募金での留意事項
募金箱3,4個、看板2,3枚追加
交差点を4か所抑えたい
●6月6日に行ったこと
 TRYについての書類作成にアドバイスをする。
 それと粟津さんの家に訪問し、近況報告を聞く。
 昨年行っていた夕食作りの当番を復活させるかどうかを決めている段階。
●6月7日に行ったこと
 9時~ミーティング。その後訪問者の対応。
 13時~宮古市の相談支援事業所、宮古市特別支援学校、社会福祉協議会のボランティア派遣センターを訪問し、TRYの参加者や県内ボランティアを募集した。社会福祉協議会のボランティア派遣センターMADでは宮古市だけなら協力できると言ってくれました。
 しかしこういった意義のあるイベントは市民を巻き込んで行うイベントであって欲しいと言うことや、他の地域にもこういった団体があるのでそちらにも行ってみてはとアドバイスを頂いた。
 そして商店街のバリアフリーチェックを行った。普通にバリアフリーチェックをするのは、面白くないので自分の趣味であるお酒を飲むという得意技と合わせて、居酒屋のバリアフリーチェックも行った。
 一件目に行った居酒屋では、車いすと言うことで入店を拒否された。商店街の近所付き合いもあるのでその場は立ち去った。
 二件目に行った居酒屋では段差無く、車いすのままスムーズに入ることが出来たが、カウンターと座敷の居酒屋だった。店員がいい人で障害者のことも理解していて居心地が良かった。
 三件目にスナック行き、ママはTRYの話を真剣に聞いてくれた。
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居酒屋のバリアフリーチェックの様子
●6月8日
・宮古会議
 翌日のイベントである「あきんど市」に被災地障害者センターみやこも出店すると言うことで話し合った。TRYの分かるビデオ上映、ゲーム、カラオケ等を通して、以前支援をしていた人達を巻き込もうと考えた。
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宮古会議の様子
宮古会議を終えて新人スタッフ歓迎会へ
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歓迎会の様子
●6月9日
「あきんど市」
 宮古の祭りですが、残念ながら障害者はいませんでした。今後の復興計画に障害当事者を入れて、重度の障害があっても地域で住みよい社会を目指していくためには、地元で障害当事者を見つけることが最優先だと思った。
また、地域の人はみなさん、障害当事者にでは無く介助者に話しかける。介助者が障害者を祭りに連れて行っているのではなく、障害当事者が主体性を持って、介助者を使って遊びに来ていたのである。
 そんな障害者主体の考え方を広げていくのも大切だと思う。まだまだ障害者が住みにくい社会だと思うが、この当事者派遣プロジェクトで県外の自立生活を行っている人達が行くことにより、少しずつでも障害者のイメージを変えていければと思う。
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あきんど市の様子

みちのくTRYにご支援、ご協力をお願いします。

障害当事者ボランティア派遣につづき、被災地の障害当事者が犠牲になられた方々への鎮魂と祈りをこめて、来るべき共に生きる社会を自らが参加し、共につくりだそうと、新しい行動を起こしています。
 「TRY」という名のこの運動は、障害を持つ者が自ら行動を起こし、社会に障害者の現状を訴え、仲間といっしょに歩き、野宿をし、旅をし、社会を変えていこうとする運動です。
わたしたちはこの運動に全面的に参加し、たくさんの方々のご支援をいただきたいと願っています。
障害当事者ボランティア派遣事業もこの運動に参加し、具体的な派遣計画を作っています。
以下は、みちのくTRY実行委員会のアピール(抜粋)です。


東日本大震災から一年が経過しました。私たちは、被災地で障がいを持つ仲間達が過酷な状況の中で生きていることを見聞きし、また、実際に被災の現状を目にしました。犠牲になられた方々を追悼するとともに、私たちは、ここに「みちのくTRY~復興に向けて障害者も住める街づくり~実行委員会」を結成致しました。
 TRYの目的は障害を持つ者が自ら、行動を起こすこと(歩くこと)で、社会に障害者の現状を訴え、仲間と一緒に旅をし、社会を変えていこうとすることです。
 障害を持つ人が、自由にバスや、鉄道に乗れないコトを広く社会にアピールするため、徒歩と野宿の旅です。誰もが自由に乗れるバスや、鉄道を目指して。
 今回、私たち障害者が中心となり、岩手の被災地である沿岸沿道を歩き、市民と交流しながら障害者問題を一緒に考えて歩いていきます。 
【みちのくTRYとは】
8月19日(日)~8月31日(金)までの期間、バリアフリーなどを訴えて宮古市田老町から陸前高田市の奇跡の一本松まで歩きます。(31日は盛岡での要望活動)
途中沿岸部の役所に要望書を出したり、地元の人と交流会をしたり、町の人へのアピール活動など様々な活動をしながら歩きます。寝泊りは避難所となった公民館や文化ホールのロビーなどを利用する予定です。(一部は屋外で野宿になるかもしれません)
「災害から復興する街が障がい者の住みやすい街となってほしい」、また「あらためて被災沿岸部を見ることで全国からの息の長い支援を呼びかけたい」、参加者それぞれの色々な想いを沿岸部を歩くことで、全国に発信しようというイベントです。


実行委員会では、参加者、ボランティアを募集しています。
またみちのくTRY支援カンパにもご協力をお願いします。
みちのくTRYちらし表
みちのくTRYちらし裏
みちのくTRY参加者募集要項(県外用)
みちのくTRY参加申し込み書
みちのくTRYボランティア募集要項(県外用)
みちのくTRYボランティア申し込み書(県外用)

ゆめ風基金は全国のみなさんと連帯して被災障害者の復活を応援します

機関紙「ゆめごよみ風だより」57号より
 震災から2年目に入りました。被災地の人々のくらしはどのように再生されるのでしょうか。
 岩手、宮城、福島の8箇所の被災地障害者センターでは、11人の地元の方を雇用し、県外ボランティアと共に毎日、送迎、介助、見守り、相談、ニーズほりおこし、避難支援など多岐にわたる救援活動を続けています。病院や作業所、買い物などへの送迎ニーズが高く、活動の大きな部分を占めています。切実なニーズですが、公的支援は一切ありません。
 4月12日東京で救援本部世話人会議(障害者8ネットワークが参加、事務局はJIL全国自立生活センター協議会+DPI障害者インターナショナル日本会議+ゆめ風基金)が開かれ、宮古、大船渡、釜石、登米、石巻、仙台、郡山の障害者センターから当事者が参加し、活動報告と今後の方針について話し合いました。救援本部では被災地の声をもとに、被災地障害者センターを支える3年間資金計画を立てました。2012年度の支出予算は1億2506万円(3年で約3億円)。内訳は7被災地障害者センター活動費、3障害者団体への送迎委託費、当事者派遣活動費、事務所改造、移送サービス車両費などで、収入はゆめ風基金、JIL、DPIが担います。
 今後の方針として、障害者ニーズを探りつつ救援活動をできるだけ障害者福祉制度につないでいくこと、そのための相談員や活動ボランティアの派遣をはじめ、全国の障害者ネットワークと連帯して被災地の障害者復活を支えていくことが確認されました。画期的な障害者デモ「みちのくトライ」も計画しています。作業所、グループホームなど障害者の生きる場、働く場の再建、新設支援についてはゆめ風基金が中心に担います。
 3月25日大阪で開催されたゆめ風基金定時総会では、被災地も含め14ネットワークが参加し活動報告、決算報告が満場一致で承認されました。2012年度方針として東北の復興に力を傾けると共に、障害者防災活動に引き続き取り組むことが確認されました。
 16年前の阪神淡路大震災によって生まれたゆめ風基金。東日本大震災では本当に生きたお金として活用されています。
 これまで支え続けてくださいましたみなさまに心から感謝いたします。
                               ゆめ風基金事務局長  橘高千秋

被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部より

被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部より
皆様、ご無沙汰しております。
被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部です。
石巻支部では、様々な活動を通じ、被災地の障がい者の支援を行っております。
その活動報告と被災地・石巻地域での住民との交流のきっかけとなるために、
また、被災地以外の地域との交流をするために「にょっきり」という冊子を作成しております。
今回は第二号を作成しましたので、皆様にご連絡させていただきます。
「にょっきり」はツイッターやブログで宣伝しておりますが、
各地域での宣伝も伏せてお願いいたします。
PDFファイルでダウンロードして頂ければ、原本を印刷することが可能となっております。
6月に入り、石巻も初夏の香りが漂ってまいりました。
今後ともご協力の程、宜しくお願い申し上げます。
「被災地障がい者センター・みやぎ石巻支部ツイッター」
「被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部ブログ」
「にょっきり第2号 PDFファイル」

ヒデの救援レポート、2012年6月4日

ヒデの救援レポート、2012年6月4日:73
尊厳死法に関する、大急ぎの学習会のお知らせ
 hideたちは、東日本大震災被災障害者支援に必死のパッチ。ひとの命にかなわぬまでものつながりを求めていること。震災で亡くなった人たちに想いをいたしていることをよそ目に、国会ではコソコソと優生思想のカタマリ、尊厳死法案が、議連の手によって上程されそうになっています!
 命の序列化、終末期の医療打ち切りを医師が判断でき、その結果には免罪されるという、酷い法案です。人工呼吸器外しも、対象に入ってます。
 バクバクの会では、緊急に、尊厳死問題を知ろう!勉強会を呼びかけています! 参加費無料です。ぜひ、おいでください!
6月30日(土)午後2時から4時
みのお市民活動センター
尊厳死ってどういうこと。終末期ってどういうこと。尊厳死を法制化するって、どういう意味があるの?
講師、八木晃介さん・京都花園大学・社会学教授
交通、北大阪急行千里中央駅からバスが便利です。
問い合わせ・TEL072-724-2007
人工呼吸器をつけた子の親の会事務局
 野崎参りは、屋形船で参ろうの歌で有名な野崎観音で、5月の連休の間、ゆめ風基金のパネル展示を行いました。「その時、障害者に、何が起きたのか」がテーマです!
 それぞれがゆめ風基金呼びかけ人である、3日には河内音頭の河内家菊水丸さんが、4日には落語家の桂文福さんが来場してくださり、観音様を祀ってある慈眼寺境内は、ゆめ風基金代表の牧口との軽妙なトークと相まって、人びとで溢れ返りました!!
 その野崎観音がある大阪府大東市からの依頼があって、5月11日に人権週間の催しのひとつとして、主催・大東市、協賛・ゆめ風基金でトークとコンサートのイベントが行われました。
 テーマは、野崎観音の時と同じです。ゆめ風基金パネルも展示して、被災地の障害者団体の物品も販売しました。コンサートはゆめ風基金呼びかけ人のひと組・紙ふうせんの平山&後藤ご夫妻です。イベントそのものは、2時間で、前半の1時間はゆめ風基金代表の牧口からの被災障害者支援の呼びかけ。後半は牧口を加えた紙ふうせんのライブです。
 市主催なので、参加費は無料。そのせいもあってか、1000人を超える参加者が集まりました。今時、1000人を超える集まりは、珍しいでしょう。それも、人権課題がテーマの集まりに。
 ライブの中で、後藤さんが阪神淡路大震災での記憶を淡々と語られていたのが、強く印象に残りました。それは、大震災の時に平山&後藤さんのご両親が被災され、家屋全壊となって、仕方なく大阪府吹田市で3家族全員で、1年間共同生活をされた経験があり、その中から、今までのような考え方では駄目だ。ひととしてのつながりの生き方、暮らし方を創り出さねばと考えたそうです。
 今回の東日本大震災においても、素早く、被災地を訪ねられたそうです。それにしても、お二人のハーモニーは、素敵で素晴らしかった!
 hide個人としては、「冬がくる前に」が胸に来ました。音楽オンチのhideには、珍しいことです。(笑)
 ところで、1000人の老若男女が参加とレポートしたいところなんですが、残念ながら、会場には若い人たちの姿はほとんど見かけられませんでした。人権という文字は、若い人たちには、重苦しいのかなぁ?老若男女ではなく、中年以上の高齢者の女性の方々が主流でありました。ニッポンの人権はどうなるんでしょうね!老爺心ながら、グチをこぼしたくなりました。hideの杞憂であればいいのですが!!
 市主催だから、仕方がないのですが、市長あいさつがあり、これも、木で鼻をくくったような紋切り型。あ~あとため息モン。そんなこんなで、ゆめ風事務所のスタッフは休みの神様に見放されて、愛おしい連休はバイバーイと去って行ってしまいました!
 大東市とゆめ風基金を結びつけたのは、長年、大東市役所で人権施策畑を勤め上げ、最近定年退職をされたNさん。このNさんとhideの付き合いは古く、Nさんが高校生の頃から続いて来ました。別名をイラチのNと陰口を叩かれながら、人権一筋を通してきた人物です。イベント当日も、あれこれとイラチの口出しをしては、若い市役所の職員の苦笑と迷惑顔をプレゼントされていましたが、筋目はキチンと通っていました!
 hideは、そんな、イラチのNさんが大好きなんだから、困ったことです!時間は、友情と義理を育てますね。(笑)
ただいまの基金額288046817円(2012年2月29日現在)
これまでに支援した団体、個人への金額、支援総額は、5月2日までに東北関連で、129999050円になります。台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
ずっと、つなぐ○上映会&シンポジウム
○今、被災地で起きていること。今、被災地から伝えたいこと。震災半年後の被災地の人々を記録したドキュメンタリー
東北再興の記録3.11と、気仙沼で実際に起こったエピソードをもとにつくられたアニメーション気球に乗ったオーケストラの西日本初の上映会です。
併せて、被災地で活動を続ける神戸のNPOやボランティア団体から、東日本大震災から1年が過ぎた被災地の今を聞きます。
6月23日○開場、午前11時30分~午後4時○参加費1000円
会場:兵庫県立美術館ミュージアム、阪神岩屋駅・JR灘駅から、徒歩10分
○TEL、078-262-0901
問い合わせ・NPO法人市民基金・こうべ
○TEL、078-230-9774FAX、078-230-9786
震災を風化させない、こうべは忘れない、ずっと
○多くの人々のいのちやくらしを一瞬にして奪い去った東日本大震災発災から1年が過ぎました。津波被害の大きかった沿岸部の町では瓦礫処理さえもままならず、また放射能汚染の影響下にあるふくしまの状況はさらに深刻で、復興という言葉がむなしく響くばかりです。被災者に対する支援のニーズも幅広い分野に広がっており、引き続き多様な人々の協力が欠かせません。
 一方、被災地以外の多くの人々にとっても、この震災は自分自身の生き方や価値観の問い直しを迫られた出来事ではなかったでしょうか。しみん基金・こうべでは、東日本震災被害者支援ボランティア活動基金・愛称ずっとつなぐ基金・を創設して、助成事業を通じた継続的な支援を行っていくとともに、被災地の内外や支援団体間のネットワークづくりのバックアップをしていきます。
 このイベントでは、被災地から遠く離れていて風化しがちな意識を映像を通じて振りかえり、想いを共有する場をつくることで多くの人々の想いを重ね合わせ、その収益金を同じ震災を経験したこうべ発のボランティア団体に託することで、被災者への支援につなげていくことを目指しています。
友遠方より来る、また楽しからずや!
○5月21日、新しく引っ越したゆめ風事務所に一番乗りの、遠方よりのひとが訪れてくれました。hideとは、長年の付き合いのある、熊本県からの珍客です!
○社会福祉法人くまもと障害者労働センター(熊本市長嶺南1の5の40○TEL&FAX096-382-0861)代表の倉田哲也さんが、そのひとです!
 ご本人は脳性マヒ者で、計り知れないくらいに誠実で、その上、頭にどがつくくらいに気のいい人物でもあります。熊本が生んだ障害者問題の映画「典子は、今」を超えるんだと、大阪、吹田市のぷくぷくの会制作のドキュメンタリーもっこす元気な愛の主人公でもありますから、映像を見られた方もおられるかも知れません。今回の来阪は、その映画をもとに、大阪北部の能勢町の学校からの、講演依頼に応えるためのものだそうです。
 そのついでに、ゆめ風事務所に立ち寄った由。(笑)いつもそうですが、倉田さんは、移動は単独です。自分に合うように改造した自動車を運転して移動します。驚異的な冒険者でもあります。hideにも経験がありますが、学校の講演料なんて多寡がしれています。それも驚くくらいにです。(笑)それなのに、倉田さんは、九州高速道、フェリーを使い、車中泊を繰り返し、目的を達成すれば、帰りは、中国道、九州道を走って帰るとのこと。呆れるくらいにタフですね!!
以上

ヒデの救援レポート、2012年5月28日

ヒデの救援レポート、2012年5月28日:72
障害者問題を考える兵庫県連絡会議障問連ニュース5月号からの抜粋
連絡先・TEL078-842-3299・FAX078-842-3354
生活支援研究会気付け
岩手・被災地報告 山下博靖さん(被災地障がい者センター・いわて)
 岩手の沿岸部を移動するのに国道45号は欠かせない。海沿いの町々を南北に貫いているからだ。車窓からは、三陸特有の細く入り組んだリアス式海岸がつづく。鋭く切り立ち平地がなく、夏は手付かずの緑が濃い。
穏やかな海だけを見ていると、あの日はまるで嘘のように思える。しかしこの海で、あの日およそ2万の人が助けも求められずに亡くなった。陸地は地盤沈下し、海はすぐそばに迫っている。防波堤もなくなり、台風シーズンは恐ろしい。がれきという名の被災者の財産は撤去されたが、家の基礎が残るのみで、そこに新たな町が復活できるとは思えない。
 3月11日。被災地は震災から2年目に入った。岩手に入ったのが去年5月。盛岡の被災地障がい者センターいわての専従として沿岸部を行き来してきた。
 避難所、仮設を回り被災した障害者を探す。出会えた方のニーズに応える。衣服や食料、医療器具やストーブなどの物資提供、通院・買い物などの同行、見守り、食事などの身体介助、相談事、行政との交渉など。1日2~3班作り、地理も分からない県外ボランティアがナビを頼りに沿岸部に車を走らせた。
 これまで支援に伺ったのはざっと180名、ボランティアには全国から157名の方に来ていただいた。2012年3月27日現在。また当事者派遣プロジェクトと言って県外多くは関西の当事者も岩手に入りいっしょに活動してきた。
 夏から秋に岩手では大船渡と釜石にセンターの支部ができた。年明け宮古にもセンターができ、ぼくは今そこを拠点にしている。こっちに来て思うのは障害者の置かれた環境の厳しさだ。各圏域に一つはある巨大社会福祉法人以外は社会資源があまりに乏しい。大阪や神戸など都市部との違いは言うに及ばず、岩手の内陸との差もある。家族が見るという考えも根強い。ヘルパー派遣事業所は宮古市内では2つしかない。従って在宅か施設のどちらかという状況だ。そんな状況を良く思わない人は、この地域をあきらめ見切りを付けるか、変えたい思いをうっ積させている。
 この4月から被災地障がい者センターみやこは以下のことに取り組む。
1.被災した障害者支援・震災から1年しかたっておらず、被災した障害者支援は欠かせない。仮設などのチラシのポスティングを継続、この圏域で新たなニーズを掘り起こす。掘り起こしたニーズに応え、入浴や見守り、外出などのヘルパー的な活動と移送サービスを行う。また毎月第2土曜日に交流会を開いており、季節のイベントと併せ今後も継続する。
2.被災地支援地元の福祉力アップ・社会参加や余暇支援、自立に向けた取り組みなど、震災前から不足するサービスを、地元を補完する形で取り組む。また今後もこの地域に必要とされる事業を、これまで支援に伺ったりしてきた方々の意見も踏まえ検討し、将来の法人化と事業化を目指す。また当事者派遣プロジェクトが継続されるので、当事者の目線からこの地域の福祉を見ていただきいっしょに活動する。夏に沿岸部の当事者のエンバワメントを図る大きな企画を当事者派遣プロジェクトと協力して行う。また宮古圏域以外の沿岸部でこれまで出会ってきた方々への支援とフォローも継続する。
 被災地の障害者支援は震災以前からあった問題に移行しつつある。つまり、大津波があろうとなかろうとここにあった問題だ。地域で生活し続ける選択肢が不足し、自立は今の岩手沿岸部では相当に困難だ。だけど悔しい思いをされている人がこの地域にいる以上、少しでも僕たちも変えるお手伝いをしていきたい。みやこのセンターがその選択肢のひとつになれればと願う。震災以前に戻すだけでは意味はないのだ。
 山下さんは、長年神戸でヘルパーとして、活動され、東日本大震災直後から岩手で支援活動を続けられています。以上
ただいまの基金額は288,046,817円(2012年2月29日現在)です。これまでに支援した団体、個人への金額。東北関連、5月2日までに、129999050円です。その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
大阪府吹田市のぷくぷくの会機関紙まねき猫通信118ひきめからの抜粋
連絡先・TEL、06-6317-5598 FAX、06-6317-0936
●当事者リレーエッセイ
大震災から1年…
○轟広志さん
○全編ルビ付き
 うすら寒い春・アノ日から1年たった。今はもう季節も春爛漫といいたいところだが、僕の住む地域だけなのか?妙にうすら寒いなかで桜を見ている。
気候も変だ。政治も変だ。原発も変だし、市長も変だ。あなたに云われたくないという声が聞こえる(笑)。そんな 僕だってお金は欲しいと思う。大金がいい。減らない額ではなく増えるぐらいの額がいい。でも、そのために人様や動物、魚たちや植物が死のうが滅ぼうがどうでもいいとは思わない。
 アノ日から1年たち、少しだけ原発事故のこともわかってきた。でもその事実はまさに高濃度の放射性物質のごとく何重にもくるまれ、あぁそうだったのかと思うにはほど遠い。お国の経済なのか電気会社の経済なのか何だかよくわからない。経済のことを考えて、あえて原発という意見を聞く。それならせめてアメリカの真似ぐらいはしてほしい。
 福島に配備された原発は、アメリカで開発され俗にマークⅡと呼ばれる初期型であるがゆえに、アメリカ本土でも最も地震被害が少ない地域のみに配備されている。
 さらに緊急事態の電源確保のために、個別に2台の発電機を付属させているが、福島第一ではその非常用発電機2台を地下に並べて設置していた。地震直後の津波で2台もろとも水没し、緊急用の電源は失われた。NHKが取材した元アメリカ原発技術者は、それらの資料を見たあとにつぶやいた。これは人為ミスだ。
 どうする東電?どうやったら償える?いまは償う気もないように見えますが未だに解けない疑問・福島の避難地域の家畜や動物はなぜ全殺処分だった?近隣に迷惑をかけるから?それとも被曝していて危険だから?高濃度の放射線を人が浴びていても言えない?まして殺しはできんからね~。
 なんて、やや病的妄想みたいなことを書きましたが、なぜこうなり、これだけの被害を確認し、さらにこんな被害も想定している。よってこういう対応と救済を行って行きます、と明確には誰もいわない。もう丸1年以上たっているのに!小さな島国の日本が大きな犠牲を払ってまで何故、原子力の脅威を未だに世界に知らしめなければならない?
 それから橋下市長。選挙圧勝の余韻だと思いますが、JR大阪駅裏の再開発であそこはホールだけがある森にしたいの発言はうかれ過ぎです。歴史ある大阪フェスを潰しておいて。
東京医療的ケア研修会
正しい知識を学びましょう!
社会福祉士及び介護福祉士の法改定に基づく研修と被災地支援事業
○日時・2012年6月16日、(土)午後1時30分~4時30分
○6月17日、(日)午前9時30分~11時45分
会場・ホテル・グランドヒル市ヶ谷
内容・16日・新法制度下のかく痰吸引等医療的ケアの実態報告・かく痰吸引等ヘルパー研修事業紹介・さくら会モデル
17日・法制度の概要と質疑応答、厚労省・高木専門官当事者、専門職による課題整理と提言
 先日起こった茨城県の竜巻災害!予測の難しい自然災害ですが、局地的に大きな被害を出しました。その中で、hideも事務局員としてひっそりと名を連ねる、バクバクの会・人工呼吸器を使う子の親の会の会員、ひと家族が被災されました。幸いにも、家屋の被害は軽微で、竜巻の後に起きた停電にも、人工呼吸器を止めることなくクリアーされ、翌日には病院に避難入院されたそうです。バクバクの会では会員に呼びかけ、支援カンパに取り組むことが役員会で決められました。本当に、日本列島は、自然災害列島ですね。なにが起きるか分かりません!
以上。