ヒデの救援レポート 2015年2月6日№172

●このリポートを発信した、2月6日午前に、徳島県南部で、震度5の大きな地震がありました。
被害報告はありませんが、自然災害列島に住むボクたちは、常に防災の構えが求められます。
お互いに用心深い日常を送りましょう!
●前回からの続き
AM7:30。
関西空港から北へ飛び立つ。
予定通りに仙台空港に到着。
仙台空港アクセス線にてJR仙台駅へ。
東北新幹線「やまびこ」でJR盛岡駅(岩手県)到着。
時はまだAM11時過ぎ。
岸和田から盛岡までの直線距離約777キロをたったの5時間半程で移動する。
朝ドラ風に表現するならば、まさに「じぇじぇじぇ!」とか「てっ!」とか「わしゃぁびっくりじゃけぇ!」などの驚愕の表現なのでごいす。
盛岡駅周辺を散策し、昼食時は地元ソウルフードを堪能しょうと話し合い「わんこそば」「盛岡冷麺」など思案した挙げ句、
「じゃじゃ麺」をセレクト。
美味しゅうございました。
昼食後、NPO法人:結人・被災地障がい者センターみやこの黒柳さんがハイエースで迎えに来てくれました。
本日の目的地である朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった「北三陸町」もとい「久慈市」へと向かう。
国道4号線を北上し、281号線で東へと車を疾走。
長閑な岩手県の山間の風景に魅了されながら聖地へ到着。
久慈市では「北アリス線・久慈駅」や「小袖浜」などの聖地を巡礼。
聖地巡礼を終え、一路、宮古市へ向けハイエースで45号線を南下させる。
その道中に「グリーンピア三陸みやこ」仮設住宅の見学をしました。
その後、NPO法人結人の事務所で一泊させて頂きました。
・7月26日(土)。旅の二日目は事務所の近所にある魚市場を散歩がてら寄り道してから、「結人」スタッフの佐々木さんを含む3名はハイエースで45号線を南下し、宮城県石巻市を目指す。
「国道45号線」とは、宮城県仙台市から青森県青森市までを沿岸で繋ぐ国道です。
強引な言い方をすると、45号線のその殆どが大津波の甚大なる被害を被った地域と言える。
現在では震災の爪痕は喪失し、瓦礫も建物の土台すら撤去された平坦な更地は無機質さを演出し、山林を削った大量の土砂は、その無機質な更地に渦高く盛る。
10m以上も土を盛る。
45号線を車で走ると、更地と土盛り作業をいやが上にも目にすることになる。
【東谷氏の感想】
私は実際に起きた津波の状況を被災地で直に見ていない。
映像で見た津波や瓦礫だらけの被災地と、今回初めて訪れた被災地のギャップに驚愕を隠せないでいた。
真っ新になった大地に、嵩上げのための10M以上に上る巨大な盛り土工事。
それと並行するかの如く走る高速道路の工事。
しかし、震災から3年以上経った現在においても仮設住宅で生活を余儀なくされる被災者の方々と、遅々として進まない復興住宅の建設。
これらのギャップを上手く言葉にすることが出来ないもどかしさを痛切に感じた被災者の風景だった。
宮古市を出発し、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、宮城県に入り、気仙沼市、南三陸町を駆け抜けて石巻市に到着。
二日目の宿は石巻駅の近くにあるサンプラザホテル。
明日行われる被災地障がい者センター・石巻主催のイベント『みちのくにょっきりフェスティバル』に参加するため、夜の石巻の繁華街を徘徊し、英気を養う。
・7月27日(日)
本日は被災地障がい者センター・石巻主催の『みちのくにょっきりフェスティバル』に参加しました。
風が強く会場を包む。
初夏の日差しが来場者を容赦なく照りつけ、真夏を思わせる気温が汗を誘う天候のもとフェスは開催されました。
フェスには様々な店舗が個性と匂いを振りまいていました。
B級グルメでおなじみの「石巻焼きそば」は勿論、暑さにどうしょうも無い来場者を冷ます「かき氷」や地元・東松島産の色鮮やかな冷やし野菜の数々。
石巻の福祉事業所もハンドメイドの物品やパンやクッキーなど色とりどりの品々を販売していました。
ステージに目を向ければ、南三陸町から「奏海の杜」の「にこまる48」によるとても可愛らしいダンス。
仙台の障害者プロレス団体「ODAZUNA(おだずな)」による白熱した障害者たちの戦い。
レイドロシーや 西村組、中川敬・ソウル・フラワー・ユニオンさんらプロのミュージシャンによるライブなど、観客を魅了し、感動させるみごとなステージを演出してくれました。
私は「被災地障がい者センター・いしのまき」の設立から長く関わってきた。
大阪の岸和田出身のボランティアとして、様々な活動を行ってきた。
私のみならず、全国から来たボランティアと共に。
しかしこの『みちのくにょっきりフェスティバル』は石巻を中心とした被災した地域の人々が中心となり、企画を考え、自らが活動し、実現にこぎつけた。
2011年3月11日に起きた東日本大震災から3年以上の月日が経ち、ボランティア中心ではなく、被災者自らが実現したこの企画に、ボランティアとして深く関わった一人として万感の思いが胸を突き上げる。
大阪に帰阪するためのフライト時間が迫る。
仙台空港まで三陸自動車道をハイエースで西に走らせる。
今回の旅路で岩手県と宮城県に跨り、私たち二人をずっとお世話して頂いたAPO法人「結人」のスタッフの方々に深く謝意を申し上げます。
そして私たちを運び疾走し続けたハイエース、どうもお疲れ様でした。
仙台空港から南へ飛び立ち、無事、関西空港に着地。
今回の被災地を巡る旅路では、総移動距離2000キロメートルを二泊三日という短い期間、東西南北を駆け回り、被災地の現状を注視した結果、考えさせられるものが得られた。
そして東北の方々の人情味や温かさに包まれた旅路であった。
(追伸1、2がありますが、後略とします!)
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これまで届けた救援金
332,750,649円(2014年12月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,542,139円(2014年12月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。

かわいいお客様~啓発小学校・中島中学校の皆さん

1月23日の金曜日、夕方、ゆめ風基金事務所に、たくさんお客様が来てくださいました。

(事務所いっぱいに、笑顔の花が咲きました!)
同じ東淀川区にある、啓発小学校・中島中学校、通称「むくのき学園」の皆さんです!
こちらの小学校には、「しょうがいについて考える」授業や、小学生用に変えた「避難所運営ゲーム」などを通して
何回もお邪魔しています。
今回は、「1.17」に合わせた募金活動を全校で行い、それを持ってきてくれました。
なんと、20回目だそうです!!
来てくれた児童、生徒は20歳未満ですから、あの阪神淡路大震災後に生まれた子どもたちです。
ニュースなどでしか知らない世代ですね。
でも。
しっかりと、語り継がれています。
その小さいからだで、「自分たちにできることがあるはず」と考え、実行してくれたその姿に、
最近涙もろくなった事務局員ナガサキ、目頭が熱くなりました。
事務所に置いてある被災地を写したパネルを熱心に見たり、月に一回は東北に行っている八幡理事から、
現在の東北についての話があったり、と、短い時間でしたが、自分たちのたぶんお小遣いの一部を集めたお金が
今後どのように使われているか、しっかりと、勉強して帰っていきました。

(橘高事務局長が被災地のパネルを説明しているところです。かわいいお客様に八幡理事も南理事もニコニコ!)
たくさんたくさん、ありがとう!!

コメントのご紹介

今年も始まったと思ったら、
もう節分。ゆめ風基金は「福は外、福は外」で、
それぞれの任務を遂行いたします。
皆様からのあたたかい「福の声」を紹介させていただきます。
◆今後も、できる限り続けたいと思っています。(東大阪市)
◆戦争のない世界は、むずかしいのでしょうか。父が戦死しています。(東京都東久留米市)
◆些少ですが、長く続けていくつもりです(東京都練馬区)
◆ますます、住みにくい世の中になりそうです。ささやかですがよろしく。(大阪市住之江区)
◆2015.8.16、20年記念イベントが楽しみです。いきたいです。(兵庫県姫路市)
◆いつも応援しています。必要なところに届けてくれることに感謝、ありがとう。(大阪府吹田市)
◆いろいろな災害が、いつ、どこで、何が起こるかわからないですね。日々の備えが大切だと実感しています。(東京都国分寺市)
◆お役に立てていただけたら幸いです。わたしたちも、明るく生きられる社会が築けるよう努力・協力します。(埼玉県志木市)
◆弱者切り捨ての社会―政策―が、早く終わりますように。(北海道北見市)
◆年末に「お互い様」を、ほっとした思いで送りました。(東京都世田谷区)
◆いつも勝手な時に入金します。11..23の「であい」の講演会の謝礼です。(大阪府吹田市)
◆年明け、また宮古に行ってきます。微力ですが、お役立てください。(大阪府吹田市)
◆ゆめ風だよりを読んで、被災地の今を知ること・目をそらさないことが、とても大切だと思います。(東京都八王子市)
◆3.11復興はなぜ進まないのでしょうか。国民の平和を守るといっていますが・・・。毎日の生活から守ってほしいものです。(神奈川県横浜市)
◆必要な方に確かな支援が行き届くことを心から願っています。(香川県綾歌郡)
◆忘れてはいけません。お役に立てばと思います。(東京都豊島区)
◆献金の形でしかお手伝いできませんが。祈りと共に。(兵庫県神戸市)
◆被災障害者支援はもちろんのこと、原発に対する反対姿勢をまっすぐ表明すること、声を挙げること、行動すること、(一応)健常者の私も見習うことが多いです。(神奈川県横浜市)
◆チャリティーヨガクラスで集まった寄附です。お役立てください。(石川県金沢市)
◆教会のみんなで、基金の呼びかけをし、捧げます。お使いください。(北海道旭川市)
◆いつも被災地の状況に心を痛めています。忘れないために。(京都市)
◆寒いですね。そちらの様子はいかがですか?服飾雑貨同好会の生徒が、がんばって作品を販売しました。どうぞお身体ご自愛ください。(神奈川県藤沢市)
◆いつも心ばかりで・・・。心を続けていきたいので。(兵庫県加古川市)
◆寒い季節、寒い政治。でも、負けずに歩き出す。(大阪府茨木市)
◆年末に少しバイト代が入りました。何かのお役に立てば・・・。(東京都杉並区)
◆出来る時に出来る分だけ・・・。自身が働いている間に。(大阪市平野区)
◆阪神大震災から20年。地道な取り組みに感謝を込めて。(大阪府箕面市)
◆災害がないことを、祈りながらのカンパです。(和歌山県西牟婁郡)
◆夏と秋のお祭りの収益から、東日本大震災支援として、寄付させて頂きます。(愛知県名古屋市)
◆ホームレスを見かけることが、増えたような気がいたします。この日本、どうなるのでしょうか(大阪市阿倍野区)
◆援助の必要な方々に素早く手が差し伸べられる「ゆめ風」の活動を応援しています。(千葉県市川市)
◆一年間ありがとうございました。今年も少しずつお手伝いさせてもらいます。(長崎県佐世保市)
◆経済と防衛のみ「国益」とみなす怖さを感じます。(福岡県久留米市)
◆みんなが笑顔あふれる世界になりますように。(大阪府高槻市)
皆様の理解と協力、お言葉に支えられて、
いつも、いつも感謝しております。
ありがとうございます。―スタッフ一同―

hide の救援レポート 2015年1月26日№171

NPO法人 まいんどあまがさき機関誌「まいど!通信」
(兵庫県尼崎市東園田町9丁目37-10-
TEL 06-6498-4183 FAX 06-4960-8711
114号より転載
「東北復興支援活動報告」宮城県気仙沼市~岩手県宮古市
●なかなかまとまった時間を作れない「まいんどあまがさき」の代表と東北への訪問です。
日ごろから代表は東北で親しくされている方々に会いに行きたい。
時間が作れたら東北へ行きたいと言ってるのを聞いていたので同行できる僕も気持ちが入ります。
東北の子供たちに届ける鼓笛隊の楽器を持って夜間に車での移動になりました。
夜間の走行だったこともあり、翌日の午前中に最初の目的地である気仙沼に入ることが出来ました。
代表の予定まで少しだけ時間があったので、その時間を使って気仙沼の港からフェリーに乗り、大島を見に行きました。
小さな島にある標識が津波で折れていたり、防波堤に壊れてしまった船、空き地には動かなくなったトレーラーなど震災の跡がまだまだ残る場所でしたが、島に幾つかある浜は、真っ白な砂とエメラルドグリーンの海をもつ素晴らしく美しい浜でした!
夕方から気仙沼の支援活動をしている尼崎市の方々や交流のある地元の方々と、地元の海産物をいただきながら楽しく話をさせてもらいました。
皆さん気仙沼とゆう歴史ある港町への愛情をもって復興に力を注いでいるので、気仙沼について話す内容なども自信に溢れたものなので、復興で一番大切な事は、地元の方々の地元の未来への思いと前に進む自信なのだと感じることが出来ました。
翌日には宮古市へ移動し、代表と交流のある方から、宮古市の現在を案内してもらいました。
市場や駅前などや、浄土ヶ浜、スーパー堤防などを案内してもらいながら被災から現在までの宮古市の状況を教えていただきました。
代表が翌日の水辺まつりで尼崎市の皆さんに食べていただこうと、宮古市のサンマを買いに市場を巡りましたが、どちらのお店でも並んでいる魚や貝の大きさ太さがハンパないです。
宮古市へ訪れる際には是非とも市場を見て元気なホタテやホヤで感動してください。
大量のサンマとホタテ、大きな鮭を手に入れて…水辺まつりに間に合うように代表を尼崎市に連れて帰りました。
現地にいくことでしか知り得ない事をたくさん教えていただけたので実りある有意義な東北訪問になりました。
お世話になった皆さんに心から感謝します。有難うございました。
以上
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これまで届けた救援金
309,951,224円(2014年10月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,542,139円(2014年10月31日現在)
ただいまの基金残高
248,623,733円(2014年9月30日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●NPO法人 自立生活センターいこらー 
「機関誌いこらー通信」からの転載
大阪府岸和田市中北町7番21号
TEL 072-488-7334
FAX 072-488-7338
東日本大震災の被災地を巡る旅路~あまちゃんからにょっきりフェスティバル~編・大薗拓郎
初夏の朝の岸和田駅 。
AM6時前の関西空港行き急行に東谷さんと2人で乗り込む。
今回の東北の被災地を巡る旅路は2人。
その2人の思惑は2つ。
1つ目は東日本大震災後に私は宮城県へ障害者支援ボランティアとして、主に石巻市で活動していた。
そこで出会った方々が、7月27日に「みちのくにょっきりフェスティバル」を開催する運びとなり、参加するためである。
2つ目はそう、喜びと悲しみと、笑いと心喪失感を与えてくれた彼の地を、私たちの聖地を巡る旅路を。
関西国際空港に到着し、簡単な朝食を済ませてからピーチの搭乗口へ向かう。
LCC(格安航空会社の意)の車椅子ユーザーの利用事例は少数ではあるが、今後の利用率は飛躍的に伸びることは想像に難くない。
なので、東谷さんと金銭的な事由はあったものの、車椅子ユーザーにとってのLCCの対応の見極めも今回の旅路の目的の1つであった。
ピーチの車椅子対応は(東谷氏の感想)「今回の旅路の行程を考えた時に、手動ではなく電動車椅子で行きたかった。だが、ピーチに電話で問い合わせて詳細を聞くも不安を払拭できずにいた。しかし実際に搭乗口に行ったところ、搭乗用の車椅子に乗り換えることを求められたものの、それ以外の対応はとても心地よいものであり、嬉々たる思いにさせてくれた。今後も電動車椅子でピーチを利用し旅行へ行きたいと思う。課題としては搭乗口の車椅子に乗り移ることが出来ない当事者の問題があるのではないか。最後に根気強くピーチに働きかけてくれた障害当事者のOさんに感謝!」だそうです。
以下次回に続く!
●1月20日に開催された「第10回・ゆめ風であいましょうイン東京『少年期は戦争だった!』」
渋谷区文化総合センターでは、永六輔さん、詩人の谷川俊太郎さん、小室等さん、こむろゆいさんが登場して、素敵なつどいになりました。
一部は、3人の方のトークショー、二部では、小室父子のミニライブと、谷川さんの詩の朗読で、大いに盛り上がっていました。
カタログハウスの学校の支援もあって、会場内は満席でした。
またの開催をお約束して、終了しました。
ありがとうございました!

まちなか被災シミュレーションのお知らせ

NPO法人 日常生活支援ネットワークの皆さんが、「第8回 まちなか被災シミュレーション」を
2月11日、13時~17時に開催します!
詳しくはここをクリックしてください
今まで、いろんな場所で、「今、地震が起こったらどうするか!?」と、さまざまな障害を持つ人や介助者、ボランティア経験のあるかたもないかたも、土地勘のある人もない人も、一緒に街を歩きながら考えるという、ユニークなイベントです。
今回は、絶体絶命の梅田地下街!
水没の可能性あり、崩落の危険あり、どう安全を確保して、いろんな状態の人と避難するのか?という・・・・。
定員は30名。
障害者、お子様連れのかたも気軽にご参加くださいませ。

シンポジウムのお知らせ

下記のような興味深いシンポジウムが開催されるそうです。
興味のあるかたは是非!
第13回 インクルーシブ教育を考えるシンポジウム(入場無料)
■日 時  2月14日(土) 受付:午後1時00分 午後1時30分~午後4時30分
■会 場  豊中市立大池小学校 体育館
■内 容
  第一部 講 演
「 ともに学び、ともに育つ 」教育から共生社会へ
~ 『障害者権利条約』批准と『障害者差別解消法』 ~
講師 大谷 恭子さん(弁護士・元内閣府「障害者政策委員会」委員)
第二部 パネルディスカッション
        コーディネーター遠藤 哲也さん(毎日新聞社学芸部副部長)
             パネラー ・大谷 恭子さん  
                 ・太田 祥代さん(「障害」児・者の生活と進路を考える会)
・山崎 誠さん(桜塚高校定時制)
                 ・藤下 功一さん(桜塚高校定時制 教員)
・濱田 真羽さん(豊中市立第五中学校 教員)
主催: 豊中市教職員組合 毎日新聞社
後援: 「障害」児・者の生活と進路を考える会、国障年豊中市民会議、障害者問題資料センターりぼん社、インクルーシブ(共生)教育研究所ほか
問い合わせ先:豊中市教職員組合 
電話06-6863-1600 FAX06-6863-2721
メールアドレス ttu-toyokyoso@peace.zaq.jp

【第10回ゆめ風であいましょう イン 東京】大盛況でした! 

1月20日に行われた「第10回ゆめ風であいましょう イン 東京」、
大盛況のうちに終了しました。
強風のなか、ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。
「少年期は戦争だった」というタイトルのもと、 永 六輔さん・小室 等さん・谷川 俊太郎さんという、まずテレビでは見られない豪華な「ゆめ風呼びかけ人」の皆様が一つの舞台に立っておられます。
その奇跡的な時間に立ち会えた喜び。
第一部は、小室等さんが、巧みに、永さんの「おもしろい話」を引き出してくださいます。
その合間に、涙ぐみながら語られた戦争体験。
貴重な谷川さんの少年期の思いで。
笑いと涙と、戦争の悲惨さが皆さんに伝わった、その手ごたえをスタッフも感じました。
第二部は、小室等さん、こむろゆいさんの音楽と、永六輔さんワールド全開のステージから始まり、
続いて、谷川さんが「ことばと言葉」を紡ぎ編んであふれ出た魂の詩の朗読を。
小室等さんのリードやツッコミで繰り広げられた贅沢なトーク。
会場の皆様は、一言一句聞き漏らすまい、と熱心に聞いてくださる。
その熱気であふれかえる空間にいられたことに、感謝です。
このイベント、ゆめ風発足当時から、応援してくださっている、いろんな著名人のかたがたや、カタログハウスさんのご尽力があって、11回も続いています。(0回、というのが最初だそうです!)
名もなき団体だったゆめ風基金に、応援の手を差し伸べてくださった皆様。
その呼びかけにこたえてくださった皆様。
ずっとボランティアで参加して舞台裏を支えてくださる皆様。

(ピンボケでごめんなさい!ボランティア「ひょうたん島」の皆さんです。みなさん、ゆめ風20周年記念のTシャツを着て、
開演前の準備や裏方にと大活躍してくださいました!)
いろんなかたの力が一つになり、大成功したのだと思っています。
ほんとうにほんとうに、ありがとうございました!
伝え続けていく。
語り継がなければいけないことがある。
改めて考えさせられた会でした。
来年もまた、お会いできるといいですね!!
たくさんの笑顔をありがとうございました!
(長崎 圭子)

お知らせ~サンテレビ

いつも防災情報を送ってくださる、「眼の会」の榊原さんから、
ローカルなお知らせですが、この度、「眼の会」の活動がサンテレビで紹介していただける事となりました。
お時間のある方は、ご覧・お聞きいただければ幸いです。
11月30日に放送していただいた「防災シンポ」の様子も当日より、長い時間、流していただけるようです。
放送局:サンテレビ
日時:1月20日(火曜日) 21時30分より
番組名:「ニュースポート」
この中で、少しですが、紹介いただけるようです。

とのメールをいただきました!!!
関西のかたはお時間が合えば是非ご覧ください!!

街頭募金のご報告

先日、毎月恒例の第二土曜日、1月10日。
なんば高島屋前で行われた街頭募金のご報告です。
ちょうど、「商売繁盛で笹もってこい!」でしたか、「十日戎」の日で、地下鉄なんば駅に降り立ったときから笹を持った人々の群れに押し流されそうになりながら、なんとか地上に。
しかし、地上も、通常より何倍もの人が歩いており、「さすが大阪・・・どこから人が来るねん」と四国育ちの私は人混みに酔いました。
いつもの場所で、すでに多くの障害者、介助者やボランティアで来ている人が大きな声をあげています。
気温は4度。
じっと車いすに座っていると、もう寒さが痛みへと変わります。
体温調整ができにくい左足は、カイロを張り付けていても、ジンジン痛みます。
あの日もこんなに寒かったんだろう・・・。
痛かったんだろう・・・。
1週間後に「阪神淡路大震災から20年」を迎える、そしてもうすぐ「東日本大震災から4年」となる・・・。
他にも、自然災害で「想定外」という言葉で括れないたくさんの命、たくさんの人生が失われ奪われた追悼をしながら、
2時間ほど声を出してきました。
「えべっさん」の日だったせいか、「頑張ってね!」「ご苦労様」と声をかけながら募金してくれるかたがたくさんいました。
本当にありがとうございます。
当日の参加者   25人
募金総額    46,173円
たくさんの「頑張って」の言葉とともに、復興には程遠い東北支援や、これから起きるかもしれない災害に備えていきます。
皆様の支えに心から感謝申し上げます。
いつもありがとうございます。
深謝。
(長崎 圭子)

「眼の会」 防災関連情報

「眼の会」榊原様より、防災関連情報を頂きました!
転載いたします。


震災20年 遺族の4割、心理状態回復せず 神戸新聞調査 神戸新聞2015年1月9日(金)
 阪神・淡路大震災から20年を前に、神戸新聞社は、震災で家族・親族を亡くした人たちを対象にアンケートを行った。
20年間の気持ちや暮らしの状態をグラフに描いてもらったところ、4割余りの遺族は、今も震災前の水準まで回復していなかった。中にはグラフが底からほとんど上向かない人もおり、心情面を含めた生活の復興が、容易でないことがうかがえる。
アンケートは昨年10月、遺族約900世帯に郵送。
188人から回答があり、うち123人がグラフを描いた。
グラフは横軸に年、縦軸に心や生活の状態を取り、震0災直前を基準(ゼロ)として上側をプラス、下側をマイナスとした。
グラフを描いた人のうち、震災直前の水準を上回った人(現在の状態がプラス)の割合は42・3%(52人)。
ほぼ震災直前の水準まで回復した人も14・6%(18人)いた。
一方で、現在の状態がマイナスの人は43・1%(53人)に上った。
そのうちの約8割は震災以降、ずっとマイナスに沈んだまま。残りの約2割はいったんプラスに回復したものの、再びマイナスに落ち込んでいる。
グラフには、転機となった出来事も書き込んでもらった。
気持ちや暮らしが上向くきっかけとして、最も多かったのが
「子・孫の誕生」で35・8%(44人)。「子・孫の結婚」「趣味やボランティアに打ち込む」なども多かった。
「自宅再建」「仕事の再開・就職」など生活基盤が安定する出来事も上位だった。
半面、気持ちや暮らしが沈む出来事としては、阪神・淡路の後に起こった「家族の死去」「自分自身の病気・けが」「家族の病気・けが・介護」が目立った。
「東日本大震災」を挙げた遺族も1割を超えていた。(武藤邦生)
 【「人とのつながり不可欠」 甲南女子大看護リハビリテーション学部の瀬藤乃理子准教授(医療心理学)の話】
子や孫の誕生など家族の増加は、災害の遺族に限らず、気持ちが上向くきっかけとなる。
心の復興には、人とのつながりが不可欠だ。一方、震災前まで回復しないとしている遺族が4割に上るが、
20年の年月が経過する中、さらに不幸な出来事に見舞われたケースも多く、震災の影響だけなのか判断が難し
くなっている。見極めは慎重に行う必要があるだろう。
■有志が助け合いグループ結成 神戸の復興住宅神戸新聞2015年1月9日(金)
【震災20年 被災地から】
阪神・淡路大震災の市営復興住宅「西神井吹台住宅」(神戸市西区井吹台西町1)で、60~80代の有志が、住民を手助けするボランティアグループをつくり、活動している。
代表者らの連絡先を書いたチラシを全戸配布し、「友人と思って気軽に声を掛けて」と呼び掛け、電球交換や悩み相談など身近な困りごとに対応している。(阿部江利)
同住宅は1998年に入居が始まり、11棟に約610世帯約1千人(高齢化率約51%)が暮らす。
約6割が被災世帯で、単身の高齢者も約280人いる。
グループは2009年に発足した「つながり」。
当初5人だったメンバーは、14年10月に協力者を再募集したところ60~80代の17人に。
全員被災経験があり、各棟で役員を務める人も多いが、自治会からは独立して活動している。
須磨区白川台のマンションが半壊し、仮設住宅から移り住んだ代表の小森豊さん(82)によると、
活動のきっかけは、メンバーの元に、高齢者から「ちょっとした頼み事」が相次いだこと。
電球や換気扇のフィルター交換、家具の移動など、一人暮らしや病気などのためできないことが増えていた。
グループは地道に活動を続けていたが、昨年秋にメンバーが増えたのを受け、
窓口となる5人の携帯電話番号を書いたチラシを作って全戸に配り、得意分野に応じて出動している。
過去には、老老介護で妻だけでは夫の面倒が見きれない▽トイレが詰まった▽風呂場の電球が換えられず、懐中電灯で入浴していた▽書類の申請が分からない-などに対応。
認知症による徘徊や、室内での人倒れなど命に関わるケースもあった。
独居高齢者が救急搬送された後、対応に苦労した経験から、「緊急連絡先カード」を作ったこともある。
小森さんは「目指すのは、すぐに『困ってんねん』『助けて』が言える関係。
一度声を掛けてもらえれば、親しくなれるはず。お互いの見守りにもつながる」と力を込める。