ヒデの救援レポート:2012年9月10日№86

①先日、バクバクの会(hideも事務局員をしている・人工呼吸器を使う子どもの親の会)の副会長で、
広島市在住の穏土ちとせさんから連絡があり、8月7日付けの中国新聞が、
大量に手にいれられたから、情報のお裾分けと、中国新聞が送られてきました!
ページを開くと、他の全国紙の記事が、オリンピックオンパレードなのに、
オリンピックの記事は、ホンの少し。
他のページは、原爆被曝67年目の8月6日の記事テンコ盛り。
記事の中には、原爆=核=原発=福島県=被災地東日本の目線が
キチンと織り込まれていました。
「核と人類」のテーマが色濃くにじみ出す紙面になっていました。
そんな紙面を眺めていて、突然、hideの脳裏に、原水爆とは無関係に、
福島県の原発事故=核のことを考えている自分の姿がたち現れ、狼狽しました。
若い頃の、原水爆禁止運動に夢中になり、(正しい原爆、正しくない原爆)論争に明け暮れ、
原水協VS原水禁の運動論のハザマでウロウロし、核の本質的恐怖に気づくことなく、
いつしか、原水爆禁止運動を忘れてしまった、若く、苦い記憶が
確かにあることを気づかされました。
原爆被爆者の方々の想いや無念に想いを致すことなく、
福島県の原発事故を考えてはならないだろう。
全ての人権は、類としての人間のこととして、つながっていることに気づかされ、
強く反省させられた、新聞情報でした!穏土さん、ありがとう!〓
②少し早いですが、恒例のゆめ風基金・カタログハウス共同開催の
東京イベントのお知らせです!
●時・12月15日午後2時30分~4時30分
●場所・カタログハウス地下ホールにて
●参加費・ぺア割引、1500円・学生割引、1000円・通常、2000円
●申し込み、TEL0120-545-450○FAX03-5365-2278
「ゆめ風であいましょう」
3人寄ればウフフフ……
○永六輔さん・ラジオタレント
○小室等さん・ミュージシャン
○ゲスト出演・伊奈かっぺいさん・マルチタレント
●今回で10回目となる「ゆめ風であいましょう」は、2009年に開催して
大好評だった、永六輔さん、小室等さん、伊奈かっぺいさんの3人による
爆笑トークをアンコール開催します。
前回、見逃された方は要チェックです。
他にも飛び入りゲストがあるかもしれません。
小室さん、こむろゆいさんの音楽もお楽しみに!
●この催しは大阪のNPO法人:ゆめ風基金:との共催です。
収益は東日本大震災救援金として使われます!
○定員150人○参加費2000円
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ただいまの基金総額残高は、 300,439,625円(2012年5月31日現在)
被災障害者支援
ゆめ基金が東北被災障害者支援した救援金金額は、7月30日までに
              175,209,050円です。
これまでに支援した団体、個人への金額は、7月30日までに
            223,547,749円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長」、「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
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★息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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③東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
社会福祉法人・えんぴつの家:機関誌「えんぴつの家だより327号」より転載
○歴史が見える文章です!
○連絡TEL、神戸252-0109-FAX、神戸231-5281
●追悼・大賀重太郎氏○1999年4月1日より、えんぴつの家の評議員を勤めていただいている
大賀重太郎氏が7月8日、急逝された。
享年62歳。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
大賀氏との出会いは、確か彼が神戸大学生であった頃だから、1970年代の始め頃である。
記憶が薄らいで事の順序が間違っているかもしれないが、神戸大学では障害を持つ青年が
聴講を申し入れて拒否されるという事件が起こった。
学生たちが青年を支援して大学当局と話し合っていたが埒があかず、
ほんの少しだが障害者問題に関わっていた私たち市民に応援を求めて来た。
障害者のきょうだいとして関わっていた私と同じ立場のM氏と
大学近くの教会の牧師さんの三人が学生たちと共に大学の教養部長と話し合った。
その中に大賀氏がいたのかどうかは記憶にない。
その頃、義務教育を受けることができていない障害児・者の教育権を保障しようと
私たち教師は取り組んでいた。
就学猶予になっている子どもや、たとえ成人していても「教育を受ける切符」を
まだ使っていない人を、公教育の場につなぐ取り組みをしていた。
一人の脳性麻痺の青年が学校へ行きたいと言ってきた。
当時丸山中学校に勤務していた私は校長に受け入れてほしいと話した。
その校長が玉本格氏、えんぴつの家初代理事長である。
丸山中学校には、全国的にも数が少ない夜間中学校「西野分校」が併設されていた。
青年はそこへ入学することになった。
ところが、西野分校は幼稚園の二階にある。
車椅子の青年を数人でかつぎ上げなければならない。
神戸大学の学生に応援を求めた。
夕方学生たちが青年を車椅子ごと二階の教室へ上げてくれた。
その学生の一人が大賀重太郎氏であった。
その青年とは後に「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」や「被災地障害者センターこうべ」の
代表として大賀氏とともに活躍する福永年久氏である。
大賀氏はその後、全国障害者解放運動連絡会議の事務局を担って大活躍をしていく。
そして、1995年に阪神・淡路大震災である。
姫路市の実家にいた彼は、被災地の状況や今必要とする「物」「者」「情報」を
全国へ流してくれた。
彼はこの情報源を「オズの箱」と名付けていた。
被災地のド真ん中で、毎日バイクにまたがって在宅障害者の安否確認を続けていた私たちにとって「オズの箱」はどんなに力強かったか。
二月二日、被災地の障害者団体が結集し「被災地障害者センター」が結成された。
その中心に大賀重太郎氏が座っていた。
神戸へ帰って来てくれたのだ。
これで神戸の運動は大丈夫だ。
心底ほっとした。
その時思った通り、「被災地障害者センター」は兵庫県における障害者運動の
中心的役割を果たして来た。
前述のように彼は1994年より18年間、評議員としてえんぴつの家を支えてくれた。
これからというときに、あまりに早すぎるではないか。
悔やんでも悔やみ切れない急逝であった。
安らかにお休みください。
松村敏明
●大賀重太郎さんを偲ぶ会は、
○10月13日(土)午後
○神戸市勤労会館・JR三宮駅スグ
●実行委員会主催
以上!
ヒデの救援レポート:2012年9月10日分№86

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