みやぎ登米支部・「そうそうの杜」活動日誌 NO.11

 震災直後から被災地障がい者センターみやぎの支援活動に参加されてきた社会福祉法人「そうそうの杜」は、現在は被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元のグループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅をまわり、移動カフェを運営しながら個別ニーズを掘り起こす活動をされています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.11
日時:2011年9月11日(日) 天気:曇り
報告者:H、T
9:30~12:00 平貝仮設、Wさん宅訪問(不在)
荒砥ミニカフェ(雨天の為中止)
志津川高校仮設(Mさん訪問)
12:00~16:00 ハグハウスにてミニカフェ・追悼の祈り(14:46)
活動した上で感じたこと
 午前中は平貝仮設のWさん宅に訪問し、知り合いの方で仮設で生活している障害を持った方はいないかを伺いに行ったがあいにくの不在。すぐ近くの荒砥仮説住宅でミニカフェの予定で向かうも雨のため中止。
そのため後日に予定していた志津川高校仮設のMさん宅に訪問。8月27日に一度こちらで訪問した際に靴を履くときに座るイスが欲しいとの事であった。訪問した際はリハビリセンターからイスを借りている状態であった。
こちらで用意して届けるとまでは話はしたが現在も放置状態であった。訪問すると現在も借りているイスを使用していた。確認すると、「パイプイスでも何でもいいので」と話される。しかし三浦さんは左半身麻痺で床はフローリング、入り口の段差、本人の身長を考えても不安定なパイプイスよりも入浴用のイスの方が適していると思われる。
 再度こちらで準備し、届けることを伝える。すると「すみません」「ありがとうございます」との言葉が返ってくる。こちらの引継ぎミスでのことにも関わらず感謝・お礼の言葉が返ってきてしまう。非常に申し訳ないことだと感じた。
 物資を必要とする方々は立場的に下のような感じになってしまっている状態でこの対応は非常にまずい。できることに期待だけ持たせてしまう結果だけは避けなければならない。
 午後からはハグハウスのほうでミニカフェ・震災から半年の追悼の祈りを行う。志津川中学校避難所にいた方、近くの田尻畑仮設の方々に呼びかけ、8名集まる。被災された方同士で「誰か亡くなった?」「私は実の姉だけ」「私は目の前で兄が流された」との会話が出てくる。こちらにきて初めて被災された方の話を聞く。何か言葉を返そうというつもりはないが、自分が聞くだけでもその場にいていいのかという気持ちになった。
 震災発生時刻の14:46分に輪になっても黙祷・祈りの言葉を行う。それぞれその時のことを思い出し涙を流す人もいた。
 終わってから避難所生活の様子のDVDを見せてもらう。「懐かしい」「この時やせてるなぁ」と笑いながら言葉が出る。復興にはまだまだであるが、確実に復興に向けて進んでいると感じられた。被災された方の生きていく力を感じ取れた瞬間であった。
 別で動いていたハグハウスのHさん、Mさんは波伝谷仮設への物資運び。その際以前2度訪問していたが会えなかったMさん70歳と出会ってもらう。話の内容からすると自閉傾向の可能性あり。ニーズ調査のため再度訪問必要。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
受けた依頼のその後の対応(スタッフの引継ぎ・情報交換)他へ依頼したこと
備考
本日ベイサイドアリーナにて合同慰霊祭。道路に車を止めるほど多くの人が集まる。

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