震災直後から被災地障がい者センターみやぎの支援活動に参加されてきた社会福祉法人「そうそうの杜」は、現在は被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、地元のグループ「ハグハウス」とともに登米市や南三陸町の仮設住宅をまわり、移動カフェを運営しながら個別ニーズを掘り起こす活動をされています。
「そうそうの杜」・東日本大震災派遣報告書 NO.10
日時:2011年9月10日(土) 天気:晴れ
報告者:T、H
9:00~12:00 Sさんレスパイト(三滝堂・南の沢農村公園)
12:00~16:00 志津川中学運動会 炊き出しボランティア(カレーライス)
活動した上で感じたこと
2ヶ月ぶりのSくんとの出会い。車を降りて本人を迎えると笑顔で寄ってきて腕をつかむ。覚えていることはまずないだろうが、懐かしくも昨日のことのような再開だった。
車で三滝堂へ。ところが三滝堂は小学生団体の飯盒炊爨でにぎわっており、車を降りたSくんは近づけない。仕方なく車を走らせすぐ近くの南の沢農村公園へ。芝の坂をあがりしばしくつろぐ。機嫌もよく落ち着いた感じを受けたが、大好きな音楽を聴いている時は体を揺らせながら少し興奮気味。自分から手をつないでくるなど前回より落ち着いた雰囲気を感じた。
午後の志津川中学運動会では、到着するとすでに学生・保護者の方々への分配を終えており、残った数名の方々への炊き出しを手伝う程度だった。配食予定が1,000食であったが、900食ほどを配食。東京からのボランティアさんや近隣の方々に混じりひたすらカレーを配ったり片付けたりの繰り返し。結局、父兄の方々や障害のある方々にも会えず。
ただ、被災後初めての志津川地区での運動会ということもあり、出会った地元の方々は笑顔を見せておられた。ただ、明日で震災半年を迎え、それぞれの悲しみや痛みを抑えるためにも、こういった集いの場があることでお互いが何かしら安心感を持っているようにも見受けられた。
言い換えれば、常に被災というとてつもない重たい思いが生活の中にあり、それを我慢しようとしても一人では難しいときも多々あり、それで同じような思いを持ったもの同士が寄り添うことで苦境をしのいで行こうとされているようも感じる。
まだまだ心の復興まではかなりの時間を要するだろう。被災者の方々の思いを癒すことはとうてい難しいだろう。だが、ある人は笑顔で、またある人を涙を浮かべて「ありがとうね」と言って下さる一言が有る限り、被災地支援は続けていくべきだと思う。あくまで個人的な意見ではあるが・・・。
炊き出しの材料の残りの野菜は志津川中学仮設の方々に分配。特に買い物が出来ないお年寄りの方々はとても喜んでくださる。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
仮設調査やカフェを通じてさまざまな方々にお会いします。そのときの事だけでなく、被災から今日までの被災地の様子やスタッフの報告(所感もありますが)をきっちりと確認してから現地に入ったほうがいいです。
特に初めて被災地に入られるスタッフの方は、新聞やニュースの情報も少しは入れておくと、メディアと地元の方々の思いの違いや現実が少しは理解しやすくなると思います。→備考にもつながります
他へ依頼したこと
備考
本日の河北新報には南三陸町の役場の方々で無くなられた方の写真などが掲載されていました。その中にOさんの知人が3名おられたとのこと。実は仮設によってはまだテレビの配線がしっかり復旧しておらず、テレビが映らないところがあります。新聞をとる余裕も経済的に無い方々にとっては、地元の「現在」を知る機会が少なすぎます。
逆にわたしたちのようなボランティアから情報を得ることも多いとの事です。これが南三陸の現状です。