ヒデの救援レポート5月16日

おわび
河野秀忠氏の「ヒデの救援レポート」をしばらくブログに掲載できませんでした。もうしわけありませんでした。ある読者のご厚意により、過去のレポートを送っていただきました。古い情報ですが貴重な記録ですので掲載します。
==ヒデの救援レポート5月16日:16================
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月10日までに、127,986,329円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
夏のような白い雲が広がって、暑さが、ボクたちの肌を攻撃してくる季節です。今年は、ついに春が無かったですねぇ。被災地では、状況が刻々と変化しており、被災障害者への救援の間口が広がるばかりです。連休には、ボランティアが街に溢れていたのですが、現地障害者センターが、ボランティア受け入れのための、宿泊施設を用意した今、人手はさっぱり集まりません。どのような形でもいいから、被災障害者支援のボランティア活動に参加してくれるひとを募っています。本当の意味で、ヘルプです!被災地からのヘルプ!の声が、初夏の風に乗って、びりびりと届きます。
●被災地障害者センターみやぎ・ボランティア総合受け付け。電話022-746-8012・FAX022-248-6016
応えよ!さらば与えられん!叩けよ、さらば開かれん!です。被災地のひとびとと、今ある困難と対峙して、共に時代と世界を切り開き、人の世に光りあれと、人間の叫びを上げるためにも
ゆめ風基金に届けられた、タレント、おすぎ&ピーコさんからのメッセージ!
光・おすぎもピーコも被災した方々へ私達で出来る事をいつもふたりで話しています。何が出来るか具体的には未だですが、少なくとも大きくなくても小さな光でありたいと想っています。長い時間が掛かります。ふたり共消えない光でいたいです。おすぎ&ピーコ
都道府県宛の厚労省健康局からの事務連絡。
非常用電源などについて東日本大震災による電力不足対策のため、エイエルエス等在宅人工呼吸器等使用患者の療養に支障を来すことのないように、非常用電源装置非常用自家発電機、無停電電源装置の整備について事業を円滑に進めるため、予め下記のとおり示しますので、難病医療拠点・協力病院との調整等、よろしくお取り計らい願います。
1、難病医療拠点・協力病院で非常用電源装置非常用自家発電機、無停電電源装置の整備を行う場合、保健衛生施設等設備整備費を活用できること。
2、本事業を活用する場合は、難病医療拠点・協力病院が非常用電源装置を難病患者に対して、原則として無償で貸与すること。
●非常用電源装置の基準額は、247000円非常用発電機207000円、無停電電源装置40000円で調整しているので、補助の参考とされたい。なお、本事業に係る重症難病患者拠点・協力病院設備整備事業実施要項については、追って通知することとする。以上。
岩手陸前高田市・児童デイサービス、ふれあい教室障害児に対して、肢体不自由児施設などに通わせ、日常生活における基本的な動作の指導、集団生活への適応訓練など。
市直営の発達障害児の為の音楽教室が津波で流失。八幡理事が各行政機関に電話をかけ確認したところ、補助金は出るが、出るまでに相当な期間がかかるとのこと。連休明けには、場所を移動しながら、教室を再開したい。津波で流失した楽器などを揃えたいので、支援してほしい。支援金送金済みこの教室の先生、7人中5人が津波で亡くなった。2人は、生存。
被災地障害者センターみやぎ活動報告No.1からの抜群。被災地障害者センター・東北・設立。被災状況が各県別に異なることは明らかであるが、県を越えての緊急避難が現実には行われている。この時、岩手県・宮城県・福島県が相互に協力し合う為の環境として、東北統括本部としての被災地障害者センター東北を被災地障害者センター・みやぎ内に設置。被災状況は、時々刻々と変化し支援するタイミングの重要性は、2ヶ月を経過しようとしている今日でも変わりない。被災の中、孤立障害者困っている障害者を出さないよう、今
後さらに各県と綿密な情報交換と対話をしながら活動をしていく。
福島で大震災の津波で失われたひとつの命。筋ジスの佐藤真亮さん。享年35歳。人工呼吸器使用、車イス生活。いわき自立生活センターで、週3日、わずかに動く指で、パソコン入力作業に従事。海べりの家で祖母とのふたり暮らし。
3月11日、いつものように、作業を終え、ヘルパーに送られて、午後2時過ぎに帰宅。次のヘルパーが来るまでに、1時間空いていた。午後2時46分大震災発生。津波が襲来。近くの親族が駆けつけ祖母共々連れ出そうとしたが、一緒に流された。助かったその親族は、助けようとしたとき、佐藤さんは、もう、あきらめましょうとつぶやいたとのこと。それが最後の言葉になった。読売新聞からの抜粋、要約。無念を心に、合掌します。
被災地障害者センターみやぎ・活動報告No.1からの抜粋。
被災地ローリング調査・全県に渡る被災状況を調査するために、北地域・仙台市地域・南地域の3ブロックに分け、それぞれにチーム1チーム、調査ボランティア2、3人ごとの活動を行い、調査報告書及びミーティングでの調査報告を行ってきた。時と共に変化する被災地の状況に対し、より有効な支援をするため、チームごとの地域状況の引き継ぎ、情報の共有化、事務局の他団体との調整・協力等を行っていった。主に、避難所を中心に調査を行っているが、各避難所には、代表者もしくはリーダーを中心に自治がなされ、役割分担も明確化されてきている。各所には地域の保健師、看護師、職員、他ボランティア団体看護師等の専門職等が常駐または巡回の形でかかっている。但し、個人情報保護法・地域の特性、習慣等の為、障害者自身との面談はなかなか厳しい面がある。
丁寧に信頼関係を構築しながら、情報を得るという時間のかかる作業が必要ではあったが、各ボランティアスタッフは根気強く熱心に、困っている障害者を支援する為活動を継続している。
以上!

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