年の瀬の慌ただしい中、今日も、振り替え用紙の余白に
皆様が書いてくださったコメントをご紹介します。
このお言葉にいつも励まされています。
新しく届いたコメントをご紹介します。
◆1年9か月経ったのですね。先日も大きな地震がありましたが、一日も早く安心して暮らせるようになります事をお祈りしています。よい年をお迎えください(大阪市平野区)
◆息長く御活動 続きますように・・・(大阪府吹田市)
◆尊い活動をしておられることに心から敬意を表します。心ばかりですが、お役立てください(島根県松江市)
◆店頭募金、ふれあいフェステバル出店時の募金、作業所での昼食作りの食材費余剰金をこつこつとカンパです(兵庫県明石市)
◆まだまだ東北に(岐阜県関市)
◆心のこもったお働きに感謝します(埼玉県新座市)
◆今年の冬は寒いとか?みなさまも寒さに負けぬようにお過ごしください(東京都世田谷区)
◆あつまればちいさな力も大きな力に(埼玉県戸田市)
◆永六輔さま お身体に気を付けて。無理をされませんように(愛知県春日井市)
◆10月に長田に行きました。街はキレイに見えましたが、傷跡も残っていたり、利害の対立もあったりして、空店舗の目立つビルの中には、きびしく、さびしい現実がありました(東京都小金井市)
◆12月15日カタログハウスで初めてゆめ風基金を知りました。主人も難病と闘い、3年前に旅立ちました。少しですが障害者の方のお役に立ててくださいませ(横浜市)
◆月一回留守宅に風を通しに行きます。ゆめ風基金と同じ。これからもずっと続けます(栃木県佐野市)
◆「生きているということは」ゆめ風の基本ですネ!(東京都渋谷区)
◆ご多忙な年末。くれぐれもお体を大切におすごし下さいませ(さいたま市)
◆震災問題の報道は、めっきり減りましたが、まだまだ終わっていないはず。ゆめ風基金の活動に使っていただければ幸いです(東京都豊島区)
◆厳しい寒さになってまいりました。皆様お身体大切に(愛知県名古屋市)
◆ご活躍をお祈りいたします(多摩市)
◆いつも夢と希望を忘れず、歩んでください。3.11を忘れません(山形県米沢市)
◆来年もご健闘ください(宮崎県都城市)
◆細々ですが、支援します(千葉県柏市)
◆被災地の皆さんの支援に、少しでも、お役に立てればと思います(兵庫県川西市)
世間は、「ジングル・ベル」のあと、迎春ムード一色ですが、
東北の皆様が、心からお正月を祝える日が来るまで、
皆様の温かい思いとともに、一歩ずつ進んで参ります。
また、皆様の今日明日に幸多きことを祈りつつ…
心からの感謝を込めて。
事務局員一同より。
ヒデの救援レポート:2012年12月25日№101
ヒデの救援レポート:2012年12月25日№101
●今回で、このhideの救援個人レポートは、2012年度最後とします。
とは言っても、人間は不条理な生き物で、空間に、季節、時間を刷り込んで、
勝手に年末だあ、新年だあと騒いでいるだけなんですね~!?
人間以外の生き物には、年月は無く、時間の流れるままに、命を生きているだけです。
我が家の2匹のネコも、お正月なんて知らないよ顔してます。
ボクはと言えば、連れ合いを亡くしてからは、年賀状を出さないと決めて、
欠礼したまま、酔っ払うばかりだす。
まぁ、あれこれは、あるけれど、被災地のことを想いながら、2013年を迎えます。
みなさん方、来年もよろしくお付き合いくださいませ!
hide拝
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連: 2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い=吾亦紅」と咲くのです。
●京都・花園大学・人権教育研究センター報第22号からの転載
連絡先
TEL 075-811-5181
FAX 075-811-9664
●阿部泰宏氏の紹介~中通りの人として
「中通りの人としてしかものは言えません。他の地域の人たちのことは実感できない。
でも、中通りの人としてなら話せます。」
そう前置きされた阿部泰宏氏。
阿部さんの口より流れ出た言葉は、阿部さんが現在も住む福島市の様子、さらには中通りの抑圧された現状を、私たちの前に映し出した。
阿部さんは、福島市内にある映画館、フォーラム福島の支配人である。
福島に生まれ育ち、東京の大学を卒業された後、福島に戻った。
そして当時立ち上がったばかりの、市民出資型の映画館・福島フォーラムへと就職した。
以来27年間、今はスクリーンを6つ持つ映画館の支配人として勤めておられる。
10数年前にシネコンが進出してきた際も、原発事故が起こった後の今でも、そして原発事故からいままで、原発や放射能に関連する映画、たとえば原発から出る放射性廃棄物を題材にしたマイケル・マドセン監督「10万年後の安全」や、チェルノブイリ原発事故で強制移住地域となった農村の暮らしを追った本橋成一監督「ナージャの村」などー多数を上映されている。
3・11と題される東日本大震災、そしてその後原発事故。
その発生から1年、そして2年経とうかというところであるが、未だ収束の気配はない。
だが、そうであるのに新聞の紙面やニュースからは原発事故や復興に関する話題はどんどん減っていく。
「原発事故の一連の問題は、忘れてはいけないし、常に意識の上においておかなくてはいけない問題です。
そして原発事故は、どのような街にも当てはまる問題の根っこを持っています。」
阿部さんは語る。
今もっとも恐れていることは、原発事故、問題を、忘れられてゆくことであると。
原発事故の被害を受けた街、そのように聞くとどのようなイメージを持ってしまうだろうか。
黒くよどんだ雰囲気に包まれた街なのか。誰もいなくなった街であろうか。
実際は、普通に生活しているのである。
放射能、という異常なものを受け入れて。
否、心の底に押し込んで、押し込められて、生活している。
子供連れの家族、土や水と関連する農業、林業、漁業といった第一次産業の人たちは敏感に察知して外に避難していった。
避難区域の人たちも避難してゆくが、福島市は避難区域ではない。
放射線管理区域になりうるホットスポットは探せば出てくるのに。
例えば、ある、雨どいの下のじめっとしたところを線量計で計ったことがある。
そのとき、40マイクロシーベルトはかれる測定器が、数値を振り切った。
2つの地元紙、福島民報と福島民友新聞の一面。
そこには、毎日、原発事故、あるいは放射能に関連することが記載される。
中を開けばずらりと並ぶ数字の一覧表。
株価の紙面ではない。
それはすべて放射線量の測定結果。
また、食品の放射性セシウムの摂取について書かれた記事など。
テレビをつければ天気予報の前後には今日の線量予報。
「でも【危険】をいわなくちゃいけないけど言えないんです。…~このマインドが中通りです。」
そこには裏づけのない「よくわからないけど、大丈夫なんじゃないのか」という無責任な物言いが存在する。
「いざ、という非常事態が起こったとき、私たちは白、黒、という判断はできないものです。そのときには、グルーゾーンでしか生きられない。」
映画を見ていると、どうしても一見関係のない映画も、自分たちの状況に照らして見てしまう。
例えば映画「マトリックス」。
主人公であるネオ(トーマス)が迫られた、このまま日常に違和感を持つ仮想空間で生きるか、
それとも現実の世界に目覚めるかという選択。
ある登場人物の「これは嘘の快楽だ」といった言葉。
どうしても今の自分にぴったり来てしまう。
「いい映画は、普遍的な、すべての問題に通じるメッセージを持っていると僕は思っています。」
原発事故から1年を過ぎ、中通りの現状も変わりつつある。
1つに、昨年6月からフォーラム福島での「映画から原発を考える」という企画は10数回を過ぎたが、当初より人が減少・固定化されてきた。
阿部さんが見るに、「ここ・福島・から出るか、残るか」の判断を決めた人たちが大半を占めるようになってきたからではないか、と。
ここまでの記述は8月の末に阿部さんにインタビューを行った際のものであったが、
そのインタビューの最後に、私にとって印象的なことがあった。
インタビューを始めて2時間経た阿部さんの表情が、幾ばくか明るくなっていたのだ。
「日ごろ溜め込んでいることすら忘れているのです。
出ればハッとわれに返る。
話を聞いてくださるあなた方は、セラピストのようなものです。」
「グレゾーン」の現状は、ひとことでは伝えきるとができない。
そして私も力及ばずながら、ここに書付けたことは、阿部さんが言っている事の本質を、
半分も捉えることができていないのではと思っている。
しかし、あらゆる問題はこのグレーゾーンの現状から発せられてている以上、
知ることが重要である。
事は単純ではない。
だからこそ、私たちは直接に耳で、身体で、その現状を聴き、問題の根底にあるものは何なのかを見極めようとしてゆくことが必要である。
岐路に立たされている私たちは、ここがスタートラインなのではなかろうか。
〓以上〓
ヒデの救援レポート:2012年12月25日№101
ヒデの救援レポート:2012年12月17日№100
ヒデの救援レポート:2012年12月17日№100
●お待たせしました!
「ひとつの命、ふたつの出会い、みっつの絆」をテーマにした、
2013年改訂版・A4判88ページ・500円の「障害者市民防災提言集」が出来ました!
編集委員会編・発行、認定NPO法人:被災障害者支援ゆめ風基金
申し込み
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662
売り切れ状態が続いていた提言集が、やっと刷り上がりました。
ぜひ、お申し込みください!
来年早々には、「障害者市民防災提言集・東日本大震災版(仮)」が出来上がる予定です。
予約受付中です!
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連: 2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
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長期戦です。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・認定NPO法人、市民活動センター神戸の機関誌みみずく31号からの転載
連絡先
TEL 078-367-3336
FAX 078-367-3337
「東日本大震災支援(避難サポートひょうご)始動」その2
・これからの課題
避難者の7割が母子避難といわれています。
なぜ母子避難の方がこれほど多くなってしまったのか、支援にあたり
行政も民間もそのことに思いをよせることが大切だと感じています。
せめて大切な子どもたちには、放射能の影響の少ない関西の地で健やかに育ってほしい、
そういった思いで兵庫県まで避難されてきています。
避難されるまでの葛藤、家族間の衝突、避難されてからの不慣れな土地での生活・・・。
長期化する避難生活に離婚問題なども顕在化しています。
メンタル面は問題、放射能による健康被害なども見聞きするようになりました。
母子家庭と似た境遇でありながら、支援の手がなかなか届いていません。
柔軟な就労支援やいつでも利用できる健康診断、また個別のパーソナルサポートの必要性が増していきます。
今後も、どのような応援の仕方があるか考える場を持ち続け、避難者とまだつながりのない社会資源「地域の持つ力やNPO活動、専門支援など」とを結びつけ、支援の輪を広げていきたいと思っています。
東日本大震災の被災地は東北ですが、関東にも、そして私たちの住む関西・兵庫・神戸にも、
被災されてる方々が多くいることに関心を持っていただければ幸いです。
地域がどのようにこの課題を乗り越えていくか、皆さまからのご支援をお願いいたします。
文 F
「月桃の花」
歌舞団ミュージカル・ワーキングプア希望宣言
フリーダム「原発時代を人間として生きる!」
日時:2013年1月26日(土)午後1時30分開場
場所:大阪市・西区民センター(地下鉄の西長堀駅下車)
前売り~大人2000円、学生、障害者1000円、高校生、フリータ、非正規500円、
被災地避難のかたは無料です!
●問い合わせ
TEL06-6885-8475
「放射線による障がいを持つ福島県民などの健康等に関する影響と、原発に関する私の主張と未来の方向性」
JDF被災地障がい者支援センターふくしま 代表:白石清春
10月に訪ねた福島・郡山市の白石さんから、現在の心境を綴った文章が届きました。
ご紹介しますが、長文のために、何回かに分けて、お届けします!
その1
「2011年3月11日の東日本大震災によって、福島県は地震、津波の自然災害と原発事故の人災による
3つもの大きな災いを受けた。
特に原発事故によっては、放射性物質が福島県全体に撒き散らされ、
今後、福島県民の健康を脅かす状況がたくさん出てくることを危惧している。
障がいを持つ福島県民として、放射線によるリスクをどのような形で抱えているのかを
以下に述べていく。
①「細胞の成長の早い子どもたちの健康不安」
放射線の影響は成長の早い子どもの身体を蝕んでいく。
放射線のエネルギーで細胞のDNAが傷つけられる。
そのDNAが修復されないうちに細胞分裂が起こり、悪性腫瘍ができやすい身体になっていく。
さらに、放射線による影響から免疫力低下の状態になっていくことが考えられる。
②「免疫力が弱まっている障がい者、高齢者の健康不安」原発事故の影響からいまだに放射性物質が飛散している福島県である。
放射性物質による被害は一番はじめに子どもたちが犠牲になる。
次に免疫力の低下した障がい者や高齢者に犠牲の矛先が向けられていくと思われる。
私は郡山市に住んでいるが、私が電動車いすで走っている途中の保育所の前に
放射線を測るモニタリングポストが設置されている。
数値は毎日0.4マイクロシーベルトを示している。
この数値は、病院のレントゲン室と同じである。
レントゲン室の中で毎日生活しているようなものである。
③「福島産の野菜、穀物、肉、魚、乳製品などの食べ物を摂ることによる内部被曝」
放射線被ばく関連の情報では、外部被ばくのことだけがクローズアップされているが、
本当は内部被ばくの方を真面目に考えなければならない。
ある専門家の話だと、外部被ばくが15%だとすると内部被ばくはなんと80%になるという。
人間は1日に5㎏の空気を吸うという。
この空気の中にも放射性物質が紛れ込んでいる。
また、福島県産の野菜や果物、穀物の中にも放射性物質が混入している。
昨年から今年にかけて降った雪が解けて、その水が山から里へ流れてくる。
雪解け水の中にも放射性物質が入っている。
高齢者のいる家庭では庭に野菜を作っている。
その野菜を小さな孫にも食べさせている実態がある。
④「放射線による健康被害は長い年月をかけて現れるので、現時点では恐怖をあまり感じていない福島県民」
チェルノブイリの事故状況を調べている方たちの話を聞いていると、
放射線の影響は5、6年後から出てくるとある。
今はまだみんな平気で生活しているが、将来が恐ろしい。
チェルノブイリ関係の動画を見ていると、原発事故が起きた時に30歳だった男性が
40歳になった際、急に白血病に罹ったという。
相当、重篤な症状を見せていた。
福島県にもこのような恐ろしい現実が来るのだと思うといても立ってもいられない気持ちになってくる。
続く
ヒデの救援レポート:2012年12月17日№100 以上
12月8日の街頭募金の金額は73,757円でした。ありがとうございました。
12月8日の街頭募金の金額は、73,757円でした。参加人数は32人でした。
寒い中、参加してくださったみなさん、ご苦労様でした。
募金していただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。
次回は1月12日午後1時~5時
場所は大阪なんば高島屋駅前です。
皆様からのうれしいコメントを紹介します。
振り替え用紙の余白に皆様が書いてくださる短いコメントにいつも励まされ、温かい思いに感謝しています。
新しく届けてくださったうれしいコメントをご紹介します。
◆「とっておきの福祉まつり」の際、募金活動を行いました(千葉県八千代市)
◆心はいつもホカホカ暖かく!と願っています(東京都荒川区)
◆還暦を無事に迎えられました。感謝のチョットしたおすそ分けとして(千葉市)
◆地域交流の祭りのバザー収益金です。お役立てください(奈良市)
◆寒くなりました。お体を大切に!(千葉県佐倉市)
◆ポジティブ文化交流祭のバザー売上金を寄付させていただきます(大阪市生野区)
◆暖かい冬になりますように。特に福島の方々に(東京都府中市)
◆厳しい冬・・・あたたかさをわかちあいたいですね(大阪府茨木市)
◆「路上生活者」貧困にあえぐ人々にも手をさしのべてください(神奈川県相模原市)
◆寒くなりました。皆さま、お身体大切に!(埼玉県深谷市)
◆間違いなく届けてくださるところを探していました。去年実施した「人権フェスタ2011」の手作り品売り上げの一部です。有効に使っていただければ、ご協力いただいた皆様も喜んでくださいます(香川県丸亀市)
◆電話での親身な対応、ほんとうに有難うございました(横浜市)
関西でも一段と寒い日が続きますが、東北の寒さとはくらべものになりません。凍りつく空気に張り巡らされる熱い思いに支えられ、支えあいながら、つながる心の未来が希望であふれますように…。
風の冷たさと人の心の暖かさが身に染みる一日でした。12月8日街頭募金
12月8日、被災障害者救援本部大阪の街頭募金行動がありました。
昨年の震災後の3月19日より、昨年は毎月2回、今年に入っても毎月一回第二土曜日に大阪なんばの高島屋前で行われています。
この日は近くの電光掲示で6度という、大阪では特別に寒い日でしたが、東北の寒さに比べればと30人を超える参加を得て午後1時から5時まで、声を張り上げ募金を呼びかけました。
師走に入った土曜日でもあり、またある政党の街頭演説と重なり、大変な人出でした。
震災から1年9ヶ月がすぎ、人々の関心も景気対策や消費税の是非に傾き、かろうじて原発の問題も取り上げられていますが、人々の話題から遠ざかっている感がある今、被災地での地域間格差や貧富の差、雇用問題などに加えて、障害者や高齢者が復興のプロセスに置いても取り残される厳しい現実があります。
そんな日々の中で被災地の障害者とつながり、支援活動を続ける関西の障害者とその仲間たちの深い思いが、街頭募金行動ににじみ出ていると思います。
ほとんどの人が足早に通り過ぎる中、最初に募金をしてくれたのは、茶色に毛を染めた10代の若者たちでした。それは意外なことではなく、その後も若い人たちが何人も募金をしてくれて、とてもうれしく思いました。
また、車いすを利用されている見知らぬ障害者が、「がんばってね」と募金してくれたり、40代ぐらいの女性が走り寄ってきて募金してくれたり、最初に渡したチラシを見て、通り過ぎた後に戻ってきて募金をしてくれた二人連れの若い女性など、募金をしてくれる人々の生活や実感が垣間見えるようでした。
たくさんの人が行きかう街の真ん中に募金箱を並べ、肉声での呼びかけに募金をして下さる方に「ありがとうございます」とお礼の言葉を言いながら、ほほを走る風の冷たさと人の心の暖かさが身に染みる一日でした。
hideの救援レポート:2012年12月10日№99
hideの救援レポート:2012年12月10日№99
●突然のお知らせ
訃報です。
・「被災地障害者センターいわて」の代表で、障害当事者の今川幸子さんが、
12月7日、午前3時に亡くなられました。(享年32歳)
今川さんのお誕生日,8日の前日です。
(大変申し訳ないことですが、
ご逝去された日を間違えて記入してしまいました。
本日、12月20日に修正させて頂き、心よりお詫び申し上げます。ご指摘くださりありがとうございます。)
巨大な人間としての宿題を、hideたちに残して、多くの先覚者がくぐった、伝説の門の彼方へ、
逝ってしまいました。
その宿題を引き受けることを誓って、合掌するばかりです。
・hideの畏友のおひとりで、人工呼吸器を使いながら、以前では、考えられなかった、
地域での自立生活を先駆的に実践されていた、佐藤有末恵さんが、
緊急入院先の病院で、11月15日、心不全で亡くなられました。(享年25歳)
有末恵さんは、医療的ケアを広げ、深める活動は、言うまでもなく、
仲間のバクバクっ子の先輩若者として、条件の厳しい大阪市内での独り暮らしにチャレンジして、
後に続く、多くのバクバクっ子を励ましておられました。
これらの実践は、それまで、医療と福祉のハザマに放置させられていた、
障害者市民問題の底辺に、鋭い光を注ぎ、障害当事者全体の事として、
世の耳目を集めさせたのです。
また、今回の東日本大震災に際しても、「被災障害者救援本部おおさか」の呼びかけに応じ、大阪、高島屋前での、被災障害者救援統一共同カンバ活動にも、率先して、参加されていました。
それらの活動モデルは、人間解放の質と、ひとらしい生き方に連なるものでもあります。
また、その真剣な生き方も、優しい情念に彩られたものでした。
hideが、6年前、連れ合いを病で失い、落ち込んでいた折り、彼女は、hideの頭をナデナデしてくれ、
「元気出さなアカンよ」と、パチクリしてくれたのです。
大人気ないかもしれないが、本当に嬉しかったし、助けられました。
そんな彼女は、沢山の仲間たちに送られて、多くの障害者市民運動の先駆者たちがくぐったであろう「にんげんの伝説の門」をくぐり抜けて逝ってしまった。
お母さん、お父さんの気持ちに想いをいたすと、言葉無く、呼吸が苦しくなるばかりです。
今は、ただ、宗教を持たないhideですが、合掌するばかりです。
ありがとう…有末恵さん!
あなたが伝えてくれた、視点と想いを、反芻しながら、hideもまた、生きるように死ぬまで、
あなたのことを伝えることを、今少し続けていくことを念じます!
11月10日の被災障害者救援本部おおさかの統一共同救援カンバ活動
・参加者28名
・募金額83,784円
●毎月、第2土曜日、午後1時から5時、大阪、難波高島屋前にて実施中。
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連: 2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
・認定NPO法人、市民活動センター神戸の機関誌みみずく31号からの転載
(連絡TEL:078-367-3336 FAX、078-367-3337)
「東日本大震災支援『避難サポートひょうご』始動!」
その1
千名を超える方々が兵庫県に避難されてきています。
避難者の生活を少しでも安心なものとするためには、兵庫の社会資源と避難者とをつないでいくことが大切と考え、避難者支援ネットワークを立ち上げました。
兵庫県にいてもできる東日本大震災支援、広がる支援の輪にご注目ください。
「関西・兵庫への避難者」東日本大震災から1年7か月以上が経過しました。
しかし10月10日現在、いまだに32万人を超える多くの方々が、震災と津波そして原発事故により
避難生活を余儀なくされています。
そのうち関西圏への避難者は公式発表で4200名、兵庫県でも1000名を超える方々が
避難生活を過ごされています。
避難者は、避難元の住所地が福島県か、東北3県か、その他かによって避難先で受ける公的な支援が
大きく違い、また世帯ごとの避難、母子避難、原発関連の補償があるか、などによって
おかれた境遇に大きな違いが生じます。
よって、ひとくくりに「広域避難者」と呼んでしまいますが、おかれた状況の違いにより、
個人個人に寄り添った様々な支援が必要になります。
「兵庫のNPOによる支援」
昨年から物資提供や引越支援、交流サロン・カフェ、交流イベントの実施など、手探りのなか、兵庫のNPOによる支援活動が展開されてきました。
避難生活への支援の質向上と、支援団体間の情報と課題の共有、そして連携した支援体制の検討などを目的に、避難者支援団体のネットワークづくりを4月から準備し始めました。
「ネットワークへ」
避難者支援の問題は長期化し複雑化することが予想されます。
困難な課題に向けてどのような応援が我々にできるのか、一緒に考えていくような場を
早いうちにつくっておきませんかと各支援団体にお話しに上がりました。
支援団体には、従来の事業活動と避難者支援とで忙しくされているところにお邪魔しましたが、
兵庫県域での支援団体の横のつながりの必要性をご理解いただき、
兵庫県社協を始めとした社協、NPO、弁護士など、19の団体や個人のご協力を得て、
避難者支援ネットワーク「避難サポートひょうご」が立ち上がりました。
「避難サポートひょうご」の活動
・8月20日には、第1回目の避難者支援の勉強会&意見交換会を行い、
そこであがった避難者支援に関する課題を膝を突き合わせて考えました。
10月21日には被災した当事者でありながら支援情報の発信活動をされている「まるっと西日本」東日本大震災県外避難者西日本連絡会代表の古部真由美さん(茨城県から母子避難中)をお招きして勉強会を行いました。
情報発信だけでなく個別の相談にも乗っている現場から切実なお話しをうかがい、
必要な支援強化体制づくりの方向性を検討しました。
また古部さんの活動自体を、支援団体がどう支えられるかということも課題としてあがりました。
11月17日には、県内各地域で立ち上がっている避難当事者グループの座談会&ディスカッションを行い、
支援の質の向上をみんなでさらに考えていきたいと思います。
続く
hideの救援レポート:2012年12月10日№99 以上
明日12月8日(土)午後1時より、街頭募金をします。
明日12月8日(土)、午後1時より5時まで、大阪なんば高島屋前で街頭募金活動をします。
みなさんのご参加をお願いします。
街頭募金活動は昨年の3月19日からはじめ、今回で31回目になります。
昨年の12月24日は関西でも特に寒いクリスマス・イブでしたが、たくさんの個人の方、団体のご参加をいただきました。
また師走のあわただしさにもかかわらず、多くの方々が立ち止って下り、募金をしてくださいました。募金額も129,085円もありました。
震災から1年9ケ月がすぎ、被災地の障害者をとりまく現実は震災前よりの困難さに積み重なるように過酷になる中、みなさまのご参加、ご協力のもと被災各地で障害当事者を中心とした継続的な支援活動が地域のネットワークを育て、たしかな手ごたえのあるものになってきています。
関西の障害者が結集して続けている街頭募金は、地道ではありますが被災地の障害者とつながり、必要な支援金を届けるためだけではなく関西のひとびとに被災地の現実を伝え、遠く離れていても東北と関西がつながっていることを切実に訴える場でもあります。
明日も寒い一日になりそうですが、どうか暖かい服装で、みなさんのご参加をお願いします。
午後1時から5時の間で、30分でも1時間でも結構です。
なにとぞよろしくお願いします。
2012年12月8日(土)午後1時~5時までのご都合の良い時間。
場所は大阪なんば、高島屋駅前です。
ヒデの救援レポート2012年12月3日№98
ヒデの救援レポート2012年12月3日№98
★hideの畏友のおひとり、京都、花園大学の八木晃介さんが、発行している、個人情報紙「試行社通信313号からの転載。
連絡TEL&FAX:075-221-2672
「福島原発訴訟に立つ」
・東京電力福島第1原発事故をめぐり、福島地検はこの8月1日、
東電幹部や政府関係者に刑事責任があるとして、「福島原発告訴団」が提出した
業務上過失致死傷容疑などの告訴・告発状1件を受理、
また、同日付けで東京地検が3件、金沢地検が1件の告発を受理したことは
すでに報道でご存知のとおりです。
検察権力がまじめに捜査するかには懐疑的にならざるをえませんが、
ともかく最高検の指揮のもとに3地検が原発事故における刑事責任の有無を
捜査することになったことは歓迎すべきことだとおもいます。
このうち福島地検が受理したのは、東電の勝俣恒久前会長や清水正孝元社長ら旧経営陣のほか、原子力安全委員会の斑目春樹元委員長、保安院の寺坂信昭元院長ら計33人が業務上の注意義務を怠り原発事故を発生させ、避難した入院患者らを死亡させた上、多くの住民を被曝させるなど傷害を負わせたとする業務上過失致死傷害容疑の他、公害犯罪処罰法違反容疑、業務上過失激発物破裂容疑です。
33人には、当然のことに、山下俊一福島県立医大副学長ら福島県放射線健康リスク管理アドバイザーも含まれました。
これら原子力ムラの悪党どもを一網打尽的に被告の席にすわらせるところにまでいけるかどうか、
大いなる世論の支援が求められるところです。
さて、この11月中旬、第2次告訴・告発が全国的におこなわれることになり、
私と相棒は福島原発告訴団関西支部を窓口に原告団の一員になることにしました。
東電はあれだけの重大事故をひきおこし、甚大な損害を各方面にあたえながら、
なにほどの反省もしていません。
また原発推進政策をすすめてきた国、さらに原発利権にむらがる御用学者も同罪であること、
いうまでもなくありません。
ただし、私と相棒が告訴人になるか告発人になるかは少々微妙です。
捜査機関に対して犯罪を申告し処罰を求める意思表示である点では、告訴も告発も同じですが、
犯罪被害者「もしくは法により定められた親族等」が申告する場合を告訴といい、
被害者でない第三者が申告する場合を告発ということは常識です。
もちろん、福島原発由来の放射能はわれわれが居住する京都をもそれなりに汚染していることはありうるし、もしかすると、やがてわれわれも一定の健康被害を実感することになるかもしれないし、
そこまでいかなくとも、今回の原発人災によって甚だしい精神的苦痛をうけたことは事実なので、
その意味ではレッキとした被害者だといえますが、現時点においてはいずれも証明不可能なので、
その点では、告訴人に不適かもしれません。
ただし、原発事故の被害の概要やそれによる国や東電、御用学者どもの所業をある程度まで
具体的に認識してきたわれわれとしては、告発人になれる客観的な立場にあることは確かです。
さらにいえば、大飯原発が稼働している現状では、私と相棒にかぎらず、
関西圏のかなりの人々が明確に被害予備軍です。
原子力規制委員会が10月24日に公表した放射性物質拡散予測によると、大飯で事故が起きた場合の
1週間積算線量は、原発から32・2キロ離れた京都市でも100ミリシーベルトになるところがあり、
風向き次第では、京都市内中心部に居住するわれわれも避難しなければならなくなります。
原発事故後の展開をみても、かって 丸山真男さんが指摘した「抑圧委譲の原理:」および「無責任の体系」がこの国に貫徹していること明瞭です。
告訴・告発行動で少しでも風穴をあけたいものです。
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金 です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
hideは、この11月4日、hideの住む街の人権バスツアーに同行して、
奈良県にある、水平社博物館と、水平社宣言を起草した、西光万吉の生家、西光寺などを見学して、
部落解放運動の原点を訪ねました。
それまでの頭の中だけの、解放運動の風景の実像を実感しました。
歴史を知ることの大切さを改めてゴツンとですね~!?
それから、2日置いて、7~8日には、滋賀県で開催された、全国部落解放研究集会に、
友人とふたりで参加しました。
初日の全体会では、記念講演の中で、東日本大震災支援への部落解放運動の視点が色濃く、
力の入ったものでした。
福島県で起きている原発事故における、被曝住民に対する差別の問題が熱く議論され、
参加者は、全体で5千人を軽く超えていました。
2日目の分科会ては、hideたちは、部落解放教育の分科会を選び、参加しましたが、
素晴らしい、お世辞抜きの実践を聞かせてもらった。
大阪西成高校の貧困授業。
兵庫県の小学校でのプラス志向の解放授業が今までに無い、新鮮さを感じさせました。
その中のエピソードのひとつとして、日本で初めてまとめられた、杉田玄白の医学書「解体新書」の
解剖・腑分けが、玄白が実行したものではなく、当時、身分外とされた被差別部落の老人が解剖を行い、
それを玄白が書き移したこと。
後ほど、玄白が、「自分は医者なのに、腑分けも出来ないでいる」と泣いたという。
そのようなエピソードは、hideも初めて知り、本当に感動しました。
日本の医学は、被差別部落民の手によって、切り開かれたとの史実。
やはり、知ることの大切さを連続して感じた週でした。
でも、疲れたぁ!
以上!
ヒデの救援レポート2012年12月3日№98
第3回「東北⇔関西 ポジティブ生活交流祭」
11月23日の第3回「東北⇔関西 ポジティブ生活交流祭」は雨模様にもかかわらず、約2500人の方々のご参加をいただきました。
ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。また、前日と当日朝7時半から準備をしていただいた実行委員会のスタッフとボランティアのみなさん、お疲れ様でした。
昨年は大阪扇町公園のお祭りに約5000人の方々のご参加をいただき、同時に開催しましたシンポジウムでは被災障害者の生々しい体験を聞き、これからの課題を共に考える有意義な集まりとなりました。
今年は震災関連の福祉助成金もなく情報宣伝の費用を少なくせざるをえなかったにもかかわらず、一時は強い雨の中をたくさんの方々が参加してくださいました。ひとからひとへ、東北の被災障害者とつながろうとする関西の障害者の深い思いが伝わった結果だと思います。
昨年同様、50以上の団体がそれぞれの東北支援や日頃の活動を展示し、趣向を凝らした食べ物やグッズを販売した出展ブース、移動動物園や太鼓をたたけるワークショップ、大阪の20代福祉系の若者が東北や大阪のお母さんたちと一緒にいも煮をふるまいながら交流ブースと、長居公園を広く使ったイベントは雨にもかかわらずにぎわっていました。
そして、メインステージでは東北の被災障害者の報告し、17年前の阪神淡路大震災で被災した神戸の障害者からのエールが寄せられました。
また、今年の夏に岩手の宮古から陸前高田までの沿岸150キロを歩き、亡くなられた方々への追悼と、これからの復興が誰にとっても住みやすい「共に生きる街」への再生となることを沿岸の行政と市民に提案した「みちのくTRY」の報告がありました。
さらに、わたしたちの呼びかけに応えて下さり、ゆめ風基金の呼びかけ人の趙博さん、加納ひろみさんが雨が降りしきる中、渾身の歌を聴かせてくださいました。
今年は被災地の支援拠点のみなさんにゆめ風基金のブースに出展し、それぞれの活動を紹介したり被災地の物品を販売しませんかと呼びかけたところ、自費で駆けつけて下さいました。震災から1年8カ月が過ぎ、持続的な事業をはじめているそれぞれの活動拠点の人たちとの意義のある交流の場となりました。
参加したすべてのひとびとの心に降りしきる雨、この雨は大きな悲しみと絶望の果てに用意されていた希望の泉からわき出る涙のように、わたしたちのほほを通り過ぎていきました。
ゆめかぜ基金のブースで準備する被災地の活動拠点のスタッフとゆめ風基金の事務局。被災地同士でも久しぶりということで、いろいろな話でもりあがりました。雨にもかかわらず物品の売れ行きもとてもよく、準備はたいへんだったようですがみなさん喜んでくれました。
2012年8月の「みちのくTRY」の報告。東北でも大変暑かった今年の夏に全国の障害者運動が結集したこのイベントは被災地のひとびとに障害者の存在と街づくりへの思いを強く印象づけ、東北の各新聞でも取り上げられました。永六輔さんのデザインによる「みちのくTRYTシャツ」も大好評でした。
メインステージのエリアに設置したテーブルにはたくさんの方々が集まり、食事をしたりしながらステージの報告に聞き入り、パフォーマンスを楽しんでくださいました。
趙博さんとはるまげんさん。実行委員会の呼びかけに応えて下さり、駆けつけてくださいました。いつもながらのパワフルでハートフルな歌声を聴かせてきださいました。
加納ひろみさんも駆けつけてくださいました。この時は少し強い雨が降り、音響担当の方が傘を広げる中でのライブとなりました。