ヒデの救援レポート 2015年5月7日№176

●NPO法人:まいどいんあまがさき機関誌「まいど!通信」より転載
連絡先 TEL 06-6498-4183
FAX 06-4960-8711
「みやこ=関西交流上映会」岩手県宮古市
10月に岩手県宮古市「NPO法人結人」(被災地障がい者センターみやこ)の代表が来られた時、ふと口にした宮古市の映画館「シネマリーン」の話。
冗談半分に「宮古市に行きます」と言ったことが2ケ月で実現したこの企画があります。
NPO法人まいどいんあまがさきは、継続して色んなメンバーが宮古市を訪問しています。
自分流で訪問するならと思い映画と言うツールに助けてもらい他の方と違う支援が出来たらと考え「みやこ=関西交流上映会」を企画しました。
現地の方にすべて考案していただき訪問するだけでは交流にならないので、両方の意見を採用するように進めました。
【4日(木)視察編】
初めての大宮以北の地に向かうのは不安もありました。
同じ日本なんですが。
支援するのに費用も時間もかかり、「遠い」事を言い訳にする人もいますが、いざ向かってみると距離感は感じませんでした。やはり現地に知人がいることは大きな存在です。
新幹線の岩手県は盛岡市、雰囲気だけは元気なパワーを感じ、当方の予想よりも穏やかな印象を受けました。
まだ目的地の入り口ですが。
宮古市に到着したのは午後7時過ぎ、東北の夜は早いと言いますが、地域的そして被災の影響で灯の箇所もありました。到着後、沿岸部や市役所を見て周りました。
また明るい時間に視察します。
【5日(金)視察編:2日目】
昨夜訪れた近くの沿岸部や魚市場、そして観光地としても有名な浄土ヶ浜などに向かいました。
テレビで報道されていた施設や、ピースアクション:等で掲示されている写真の場所などをリアルに視察、やはり見る現地は、どんな媒体よりも衝撃でした。
地震の怖さは、阪神淡路大震災で経験しているのである程度わかりますが、津波の怖さと言うのは、経験した方にしかわからないですね。
少し月日がたったとは言え傷跡は多く残っていました。
震災前の状況が伝えられないのが残念と何回も繰り返していました。
浄土ヶ浜にある、チリ大地震時の津波の碑が歴史を語っているのは、周りの美しい景色に反比例しているようで虚しさも感じてしまいました。
津波で被害を受けたレストハウスも今は観光客を笑顔で迎えてくれています。
「宮古の塩~わかめスープ」を土産に購入。
そして沿岸部を南へ下るコースを選び、津波の被害を受けた地域を視察しました。
見つめて言葉が出ない情景も多々ありました。
工事は始まってないなぁと単純に答えてしまうのは客観的すぎました。
電車の来ない津軽駅、その先の線路は続いていない。
代替バスがあっても、障がい者やお年寄りには、無理なのり口とステップの高い車高バス。
本当の足代わりなってない。
少しだけ違う海抜で命の明暗が分かれた場所。安心感も命取りになったらしい。
水の入らない風呂屋さん、いつ再開されるのでしょう?
下の階が津波が貫いた建物が多いのも東日本大震災の被害の大きさを物語っています。
次回に続く


これまで届けた救援金
343,650,649円(2015年3月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
280,442,139円(2015年3月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●この間のネパール大震災は、周辺国を含めて、日が経過するたびに、被害が拡大しています。
その情報に接するごとに、人びとの表情が曇ります。
被災障害者支援ゆめ風基金としても、動きだそうと相談していた矢先に、馬垣理事が、現地の障害者団体と連絡を取り、とりあえず、失われてしまった車イスを、被災障害者に届ける事業に取り組もうということになりました。
早々に、臨時理事会を開催して、行動の大筋を決める手順になっています。
また、順次ご報告リポートします。
以上

ネパール大地震救援活動について

皆様もご存じのとおり、ネパールで起きた大地震の被害は、時が経つにつれ、
甚大なものとなっています。
ゆめ風基金では、今、救援募金活動の準備中です。
いろんな障害者団体のかたと一緒に、なるべく早く、救援金や物資を届けたく、
連休明けには、お知らせできるかと思います。
今しばらく時間をくださいませ。

コメントのご紹介

日本では、春風がここちよく吹き、
冬の毛布を洗って、衣替えをしていた休日。
ネパールでは大地震が・・・。
私・福本は、自宅にテレビがない生活を継続中なので、パソコンでニュースなどを見、
亡くなられた方のご冥福を祈りながら、被害の大きさを想像します。
負傷者の救助と同時にがれき撤去。
食料の確保。
水を媒介とする感染症の対策。
被害に見舞われた国だけでは、とても解決できないと思います。
遠い地の見知らぬだれかを思い、
基金と共に届いた大切なコメントを紹介させていただきます。
◆「本当に必要なところに届ける」ゆめ風に、これからも支援をつづけます。(さいたま市)
◆3月12日に三回目の東日本大震災チャリティーフリーマーケットを開催。「忘れない・忘れてはならない」をモットーに、ひとりひとりが歩み寄り、がんばっています。(埼玉県新座市)
◆33年務めた仕事を退くことになりました。何かのお役に立てていただければ幸いです。(三重県鈴鹿市)
◆たまにの一助ですが、忘れずに続けたいと思います。(さいたま市)
◆スタッフの方々、かげながら応援しています。ご自愛ください。(神奈川県横浜市)
◆3月4日開催「東日本大震災被災者応援企画」の基金です。(千葉県四街道市)
◆桜の季節は笑顔が輝いて見えます。すべての人に平和をと祈りたくなります。(大阪市平野区)
◆いつも有効に資金を使っていただいてうれしいです。これからも応援します。(千葉県松戸市)
◆7回目の自閉症啓発ディーです。今年も300人のホールが満員御礼!(大阪府高槻市)
◆今、私のできることは何かを求め続けていきます。(栃木県芳賀郡)
◆H26年分 エールシフォンケーキの売り上げの1割を寄付させていただきます。(大分県国東市)
◆昔,コツコツ貯めたものです。何かお役に立てたら嬉しいです。(東京都杉並区)
◆エッグファーム春のクラフト展の収益です。(埼玉県深谷市)
◆「東北支援チャリティーお好み焼きパーティー」の売り上げを寄付いたします。(兵庫県神戸市)
◆心は皆様と共にと、いつも思っています・(栃木県佐野市)
通常時には保護され、非常時には放り出されるのが障がい者です。
ですが、ここゆめ風では、
人として日々成長を求め合い、人として助け合いながら、
スタッフは、任務を遂行いたしております。
みなさまの、絶え間ないご支援があってのことです。
ありがとうございます。

小室等さん・こむろゆいさん?ゆめ風ご訪問

音速のごとく過ぎていく時間に、ますますついていけない福本。
ブログは旬な話題を素早くお届けするのが鉄則なのですが(-_-;) 
前回、事務局員、細谷さんが詳しく中継した出来事です。
改めて「福本目線」で、感じたことなど、ご報告します。


4月19日 なななんと、小室 等さん・こむろゆいさんがゆめ風事務所に来てくださいました。
ゆめ風は、20周年を迎え、この夏には大きなイベントを予定しています。
小室さんは、前日に京都でライブがあるので、牧口代表、河野副代表と、改めて対談しよう、
おお!それならミニライブもやりましょうとおっしゃってくださったのです。
あいにくこの日は、朝からの雨。
♪しょうがないしょうがない、雨の日はしょうがない♪と歌いながら、日曜の少し混みあう電車に乗る。
電車を降りる20分後、嘘のように雨があがった。
まずは小室等さん、こむろゆいさんが音合わせ。
打ち合わせ中の顔は、厳しい。
プロの顔だ!
誰も入っていけない時間、けれど素敵な歌声が共に流れる。
親子なんだけど音楽家2人で音をつくっていく。
事務局員、福本も「伝えてください」に、七年ぶりに出したキーボードで参加させていただきました。
ど厚かましいにもほどが・・・。
でも、感激しました!
立ち位置、コードの確認 選曲した順番にリハーサル後。
いよいよ小室さんと牧口さん・河野さんの三人の座談会。
ゆめ風の事務所には、40人ほどのお客様。
出会いを語る3人は、少年のようなきらきらとしたお顔。
「こんな大人になっちゃった」の出版記念の小さな場所で、
おそれおおくも、小室さんに歌を歌っていただいて、
それがきっかけで、ゆめ風にご協力いただけることになった。
今日も、こんな小さなゆめかぜにようこそ。小室さん。
その語も、障がい者のイベントと、つながってつながって
そんな時、阪神淡路大震災が起きた!
「一瞬にして変わった街並みを見て、戦争の疎開の場面が浮かんだ。
これ、なんとかせな。金集めよう!根拠ないけど10億円」と
河野さんがとっさに思ったのが、ゆめ風の始まり。
協力を求められた小室さんは
「聞く耳を持つものという表彰状と、一度来てくださいというお願い文が送られてきて・・・。
ゆめ風と関わって全く知らない障害者の世界が、建前のメディアではなく、障害者の生の姿が見えてきた」
『無我夢中やった。震災時の健常者の非日常が、障害者の日常になる。
みんな同じ厳しい状況になっちゃうねん。でも、避難所では弱者が排除される。
だから、日頃、不条理を押し付けられている人間が声を挙げよう。
政府は、責任もとらず、応援もしない。でも、震災後すぐ神戸で、社会がうまく回っている時は
排除されている障害者が市民に「炊き出し」の活動をしたのを目にした瞬間、心が掴まれた。
よし!10年かけて一万円、1万人集めようと思った。
障がい者団体に必要な人に必要な金額。生きたお金の使い方がしたい。
そんな思いが通じたのか、奇跡が起こり続けている。ラジオで聞いてものすごい反響があったりね。
だからこそ、厳格に審議して使うのが、ゆめ風やと。』
『20年間、組織として意見の違いやぶつかり合いもあったんだけど、
お金ではしっかり者の南さんのおかげでトラブルはない。
お金も労金さん協力の元、より生きてくるんよ。信頼関係でより良い支援ができてくると思う。
もちろん、永さんや小室さんの著名人のバックアップがあっての信頼なんだけど。』
『カタログハウスと出会いも大きかったね。大きな団体にアンチな思いもこめて、
応援してくれているのも嬉しいね。』
『騙される危なさはあるけれど、素朴に素人集団がやっているがゆえに手を貸してくれているのも事実。
あと、引き際が難しい。でも、担い手はいつか出てくると思うんよ
まあ、生きているのは、うたかたでね。
希望も絶望もないんよ』と牧口さんは語った。
ゆめ風の始まりと今とこれからを思うお三人の言葉、心に響きました。
(事務局員 ふくもとちなつ)

石巻の講演お知らせ

【お知らせ】
被災地障がい者センター 石巻からメールで連絡がありました。
5月10日に開催する講演会のチラシができましたので、添付いたします。
今回は、石巻赤十字病院のご協力をいただくこととなりました。
ゆめ風のブログなどで広報していただけるとうれしいです。
よろしくお願いいたします。

とのこと。
詳しくは、↓↓をクリックしてください。
「呼吸器をつけて地域で暮らす」~平本 歩さん講演会チラシ
お近くのかたは、是非どうぞ!!!
また、お知り合いのかた、ご友人などに、広めて頂けると、助かります!!
よろしくお願いします!!!

フィリピンからお礼状が!

表題の通り、2013年にフィリピンに甚大な被害をもたらした台風30号被害の支援を、ゆめ風は、2014年4月から、DPI日本会議と一緒に続けてきました。
そのことに関し、現地から感謝状を頂きました!

(光の反射などで見にくく、文字が小さくてすみません)
送ってくださったのは、フィリピンの拠点となった、「ライフヘブン 自立生活センター」のアブナーさんです。
和訳したものが、こちらです。
感謝状
Yume-Kaze Fund 殿
フィリピンレイテ島の台風「ハイエン」の被災者、特に被災障害者への支援に対する
価値ある貢献と揺るぐことのない決意に感謝を表します。
2015年4月17日
ライフヘブン 自立生活センター代表
アブナー N マンラパズ

こういったものを頂けたのも、皆様からのご支援があるから、です。
困っているところに、すぐ。
手渡しをするように。
ゆめ風に、いろんな思いを託してくださって、ありがとうございます。
この感謝状は、皆様のものです。
ご報告申し上げます。
ありがとうございます!

被災地からのお客様

4月21日、ゆめ風に
岩手県田野畑村から 被災障害者が来られました。
「自分らしい生活がしたい」と熱望し、夢宙センターで、自立体験を研修中です。
ひかり
(写真の掲載許可をもらうのを忘れちゃいました。)
ゆめ風に着くなり、笑顔とともに一気に言葉があふれる。
『今は、障害を持つ人の施設で暮らしているんだけど、
高齢の人が多くて、話も合わないし・・・。
困っていることやハテナのことがいっぱい。
リハビリ室とお風呂やトイレの場所が近くて、着替える場所もない。
恥ずかしくて、恥ずかしくて・・。
テレビも共有なん。好きな番組も見られへん。
「小さなテレビを買いに行け」と言われても、
電気屋さんはとても遠いし、外出の時に車いすを押してくれる人もいないし、
買いにいけんもん。
施設の中だけの生活。
施設内には小さな売店だけしかない。
そこでの買い物も職員に頼むしかなくて・・・。
外に出られず、することもなく、
時間だけが過ぎていく、もったいない毎日で・・・。
行政はヘルパー制度すら知らなくて。
その割に作業所に通いたければ、年金を公的機関に預けろだとか、
車いす修理やヘルパーの使い方とか管理してくる。
事業所もとても少なくて、コーディネーターとさえ連絡がつかない。
今まで介助してくれていたお母さんが年をとって、病気になってね。
改造したお風呂にね、入りたいんだけど、無理になった。
へルパーさんがいなくて・・・。やっときてもらっても、障がい者になれていなくて、
「お年よりの対応しかしたことがないの」とか言って、
ヘルパーさんも若くはなくて、せっかくヘルパーさんが2人きてもシャワーだけ。
浴槽にはつかれない。ゆっくり温まりたいのに。
しもやけもひどくなって、かゆいし痛いし・・。
前に通っていた作業所もね、車いすで使えるようにトイレを改善したからって寄付してねと言うし。
ほんとは、私使えないんだけど。』
耳をダンボにして話を聞いていた事務局員福本は、
かわいいお顔でしっかり自己主張して行動する彼女に感銘!
毎日がもったいないの一言が特に響きました。
大阪も、希望と夢ばかりではないけれど。
あなたなら大丈夫。
いろんな経験ができると思う。
大阪を楽しんで、ご縁があったらお友達にしてねとお伝えしました。
おいしいタコ焼きは食べたかな~

小室等さんのミニライブ&座談会3

 ライブの後の懇親会にはほとんどの人が残ってくださいました。いつものライブなら時間がほとんどなく、小室さんたちにゆっくりしてもらえないのですが、この日は夕方5時半に終了したことと、小室さんたちが新大阪のホテルに泊まられるということで、幸運にも時間が結構ありました。
 今回この催しにお声かけさせていただいたのはいつもゆめ風のイベントの時に手伝ってもらっていて、いつのイベントでもゆっくり小室さんの音楽を楽しむことができにくい方々でした。
 急にこのライブが決まったことや、手狭な事務所が会場と言うこともあり、お誘いできなかった方々にはほんとうに申しわけなく思っています。
 ささやかな食べ物と飲み物を用意し、乾杯をした後、こんな機会はあまりないということでおひとりずつ自己紹介をしてもらうことになりました。8月16日のコンサートの前に、昼間にイベントを企画している人の顔合わせもできました。
 働くひとの金融機関「ろうきん」の方の自己紹介では、NPO法人にも格安の金利で借りやすい融資「ゆめのたね」をゆめ風基金のろうきんへの定期預金を原資として連携していることや、東日本大震災の年に復興支援の定期預金「サポートV」をつくり、預金者とろうきんが共同で定期預金残高の0.10%~0.30%を寄付し、向こう10年間に毎年約1000万円の基金が生み出されることなどが紹介されました。
 また、遠くは埼玉から、こむろゆいさんから情報を知り、駆けつけてくださった方、大阪の障害者団体の方などが、ゆめ風基金への思いを語ってくださいました。
 その中でもうれしかったのは、地域の自治会のみなさんが7人もきてくださり、懇親会にも残ってくださったことです。ゆめ風基金は障害者団体のネットワークは全国にありますが、もっとも大事な地域とのつながりという面ではなかなかうまくいかなかったのですが、2013年に地域の自治会から相談があり、自治会主催の防災の取り組みとして3月に映画「逃げ遅れる人々」の上映会をゆめ風基金も共催させていただくことになりました。
 それをきっかけにして、ゆめ風基金の障害者スタッフの長崎さんの努力で地域や地域の学校の防災ワークショップや講演などを引き受けるようになり、とても親しい関係を築くことができたのでした。そのことを地域の方々がとても喜んでおられて、これからも連携して活動して行きたいと語られました。もちろん、8月16日のコンサートには連れだって来てくださることになりました。
 楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、小室さんたちもお疲れと思い、8時ごろでしたでしょうか、ホテルにお送りしました。その後、跡形付けを済まし、有志何人かで近くの居酒屋さんで飲んでいたところ、なんと小室等さんからゆめ風基金の事務局長のKさんに電話が入り、「いまどこにいるの?ぼくたちもそこに行く」と言われ、「ほんまかいな」と言っている間になんとなんとほんとうに来ちゃったのでした。
 わたしたちはびっくりするやらうれしいやらで盛り上がり、いま思えばあんな音楽のカリスマに対して失礼なことをたくさん言ってしまったんじゃないかと心配しています。
 この日の小室さんは居酒屋でも焼酎を2杯は飲んでおられたようですが、とても元気でお話もたくさんしてくださいました。ゆいさんともども、ゆめ風基金の事務所に来られたのは初めてで、今回、こういう機会を持てて事務所に来ていただけたことは、ほんとうによかったと思います。
 昨年に谷川俊太郎さんの作詞で小室さんが作曲された 「ほほえむちから」については、小室さんとお話ししながら障害者の芸術表現と日経済的な自立についてあらためて考えました。
 わたしは日本社会ではジャンルを問わずそのひとの芸術的表現が優れていて、また数多くのファンがいる芸術家であっても、芸術表現を「仕事」としてその表現者の生活が経済的に成り立つような仕組みがなさすぎると思っていました。ましてや障害者の場合、施設や養護学校(現在は特別支援学校)における障害者のさまざまな表現行為は「アウトサイダー芸術」として国際的にも評価の高いのは事実ですが、そのことで彼女たち彼たちの施設での暮らしが変わるわけではなく、自立生活へとつながっていかないことに疑問を持っていました。結局のところ障害者の経済的な自立を保障するためにはその人個人の才能や「能力」に依存しない社会的な制度が必要なのだと思っていたのでした。
 その考え方は今でも間違いではないとは思っているのですが、一方でそれでは私が長年活動してきた障害者事業所で障害者の所得が保障されてきたのかと思うと、それもまた情けないけれど充分には目的を達成できていないのもまた事実です。
 日本に限らず近代は「働かなければ暮らしていけない」社会を現代にまで引き継いできました。しかしながら、人間は近代以前より「労働」に縛られない暮らしをしてきたところもあります。たとえばアジアではすべからく金持ちは貧しいひとに施しをすることが義務付けられている村社会が存在していたと聞きますし、村々で障害者に施しの食べ物を用意し、村のはずれのお堂などで眠る布団などを用意するなど共に生き、助け合うルールがあったとも聞きます。
  「ほほえむちから」は糸賀一雄生誕100年を記念してつくられた谷川俊太郎作詞・小室等作曲による歌で、「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」の最後に歌われました。「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」は糸賀一雄記念財団が障害福祉分野で顕著な活躍をされている方に「糸賀一雄記念賞」と「糸賀一雄記念しが未来賞」を贈るのに合わせて毎年開かれている音楽祭で、障害者をはじめ、音楽やダンスが大好きな人たちが集い、人が根源的に持つ「表現することの喜び」をともにわかちあうお祭りです。
 プロのナビゲーターを迎えて滋賀県内の7つのワークショップグループと、さきらホールで活動する「さきらジュニアオーケストラ」と高齢者のワークショップグループ「今を生きる」が出演し、ゲストミュージシャンとしてピアノの谷川賢作さん、パーカッションの高良久美子さん、バリトンサックスの吉田隆一さんが溶け込むように参加し、小室等さんが総合プロデュースを担当されていました。
 わたしはゆめ風基金の障害者スタッフの福本さんと手伝いがてらこの音楽祭に観客として参加しました。開演の前から総勢数十人の障害者たちが思い思いに大小さまざまな太鼓をたたいていました。それぞれが自分勝手にばらばらにたたいているように思えるのですが、しばらくたつとそのばらばらの音の連なりの彼方から、ある意志を持った音の連なりが会場の空気を振動させ、わたしたち観客はフリージャズそのままに自由の風につつまれました。
 その至福の音とリズムは、わたしたちが日ごろある種の緊張感を共有することで成立している表現行為とはまったく真逆で、どこまでも自由でリラックスした人間関係からしか生まれないものなのでしょう。それは人類が誕生して以来、「おーい」と叫び、「わたしはここにいる」と伝えることから発明した言葉や楽器による原初的な表現そのものであることも…。そして、わたしたち人間はつながりを求めて言葉を発し、楽器を奏で、歌を歌うことをやめることができないことを、人間は武器を持つこともできるけれど、楽器を持ち、歌い踊ることもできることを彼女たち彼たちが教えてくれました。
 ステージ狭しと繰り広げられる合唱やダンスや打楽器や太鼓など、どのグループもその自由な表現はナビゲーターのプロの演奏家が「指導する」のではなく、彼女たち彼たちの表現行為の現場に立ち会い、その根源的な表現行為に感動し、そこからまだ見ぬ彼方へと手を携えながら進む音楽的冒険を彼女たち彼たちと共に体験しなければ実現しなかったのではないかと思います。
 それは総合プロデュースを担当された小室等さんにとってもまったく同じで、小室さんが真っ先に彼女たち彼たちの表現に圧倒され、感動され、ご自身の音楽的よりも底の深い表現行為なのではないかと自問自答されたのではないでしょうか。
 そして、200人を越えたかも知れない出演された障害者を取り巻く現実は40年前とあまりかわらないのではないかと思いながらも、「表現すること」への希求や生きがいはそれぞれの人生においてかけがえのないものであることもまた真実なのだと思います。
 それぞれの夢も希望も現実もちがうけれど、同じ空気を吸い、同じ時を生きたことを宝物とするこの音楽祭の意義もまた深く、ゆたかなものであることはまちがいありません。
 フィナーレで登場した小室等さん、こむろゆいさんも加わり、出演者全員と共に「ほほえむちから」を歌っていると、自然に涙が出てきました。ひとはパンのみでは生きられず、自分が自分であるために表現することをやめられず、表現し合うことで解き放たれる精神をだれも抑止できないことと、それは世界の平和へとつながる唯一といっていい道で、音楽はそのためにこそあることを「ほほえむちから」は教えてくれたのでした。
 昨年の「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」のことを思い出しながらそんなことをお話しできた時間は稀有の時間でした。
 小室等さん、こむろゆいさん、ほんとうにありがとうございました。いただいた貴重な時間にいっぱい話ができたことを、決して忘れません。
                               ゆめ風基金事務局員 細谷常彦

小室等さんのミニライブ&座談会2

2015年4月19日小室等
 30分の休憩をはさみ、その間にライブのお客さん40人が狭い事務所につめかけ、第2部のライブが始まりました。
 音響は豊能障害者労働センターから機材をお借りし、音響操作は同センターのIさんにお世話になりました。Iさんはゆめ風基金の活動を個人としても応援してくれていて、東日本大震災後は主に石巻に何度も訪れ、現地の若い障害者と親交を深め、よき相談相手になっているようです。
 天井の低く狭い事務所で、音が割れたり響いたりしてとても難しい音響操作で苦労をかけましたが、おかげでとても聴きやすいライブになりました。
 すでに何度か、今回のようなしっかりとした会場ではないところで演奏していただいていて、とても心苦しいものがありましたが、小室等さんもこむろゆいさんもいつもとは違う新鮮な感じで、なによりもとてもリラックスした歌唱で、わたしたちも自然に心和みながらゆったりと聴くことができました。
 
 ライブはドラマ「木枯らし紋次郎」の主題歌で大ヒットした「誰かが風の中で」から始まりました。「時代劇ではなく、西部劇」というコンセプトのもと、ドラマの制作総指揮を担った市川崑監督は妻で脚本家の和田夏十に依頼した作詞を小室さんに手渡し、「走る」ことをテーマに作曲を依頼されたそうです。当時の時代劇の主題歌とはまったくちがった曲調は幅広い支持を得て、「出発の歌」につづく大ヒットになりました。
 最近の小室さんはこの歌にからめて、「あっしにはかかわりのないことでござんす」といいながら、理不尽な権力や暴力に打ちのめされそうになる弱い者たちのために命をかけて助け、またどこかへ去って行く紋次郎は思えば「ボランティア」のかがみではないかと問いかけます。かねてより、当事者のほんとうの願いを聞こうとせず、「善意」を推しつけて自己満足してしまうことに敏感な小室さんのさりげない言葉は、わたし自身の戒めとして心に残ります。
 実の所、わたしはステージ(らしき場所?)の背後にあたる事務所の入り口で扉の開け閉めをしていた関係でくわしい曲順はおぼえていないのですが、印象に残った曲を今思い出しています。
 「道」という歌は昨年の「ろうきん」でのイベントの時にはじめて聴いた歌です。
右に行くのも左に行くのも今は僕の自由である
戦い敗れた故国に帰り
すべてのものの失われたなかに
いたずらに昔ながらに残っている道に立ち
今さら僕は思う
右に行くのも左に行くのも僕の自由である
 戦後すぐ、田村隆一、高野喜久雄、鮎川信夫などともに詩誌「荒地」に参加した黒田三郎は、戦後民主主義という言葉では語れないもっと深い「自由」を歌っていて、小室さんは最近にこの詩を歌にされたのは、ひとつの方向に簡単に生き急いでしまう今の世の中の危険な動きに、「ちょっと待て」と警告を鳴らす意味があったのではないかと思います。
 最近は優しくてゆっくりした歌が多い中、若いころからの反骨精神をよみがえらせ、激しい歌い方で聴く者の心を必死にたたく小室さんがいました。
 タンゴのバイオリニスト・作曲家の喜多直毅作詞・作曲「この空の下」は今回はじめて聴いた曲で、上条恒彦さんのCD「生きているということ」(題名曲は永六輔作詞・中村八大作曲)に収められています。
この空の下
だれもが皆、それぞれの夢を携えている
雨雲の下
誰もがそれぞれの夢に傘をさしている
 「乗れば間に合う故郷に 心だけ帰れ、ほんのひと時」と歌うこの歌を聴いていて、すでに帰る故郷もないのはわたしたちだけではなく、日本全体が「路地裏の民主主義」という「故郷」を捨ててきてしまったのではないかと考えさせられました。しかしながら空の青さが変わらない間は、もしかすると「故郷」は切ない希望となってわたしたちの心によみがえり、「明日」を生きる小さな勇気となるのかもしれないと思います。
 もう一曲、「ほほえむ力」。
 「いまここにいきるわたしは いのちのねっこでむすばれて いまそこにいきるあなたと 
わたしとあなた あなたとわたし」と歌い始めるこの歌は、やさしさが実はもっとラジカル(根源的で過激)であることを強く気づかせる歌でした。いろいろな立場やいろいろな事情で傷つけあってしまう集団や国家に対して、ひとは武器を持つこともできるけれど歌うこともできることを、傷つけあうことでしか守れない平和などないことを、世界と日本の悲鳴がとどろく今、いさかいを終わらせるために暴力を重ねるよりも、人間の「ほほえむちから」を信じることを、この歌は静かな決心とともに教えてくれているのだと思いました。
 最後に「ゆめ風応援歌」のひとつである「風と夢」をゆめ風基金のディーバ・加納ひろみさんと、そして最後に「伝えてください」をこの日デビューのゆめ風基金の障害者スタッフFさんとのコラボレーションで歌い、演奏されてライブは終わりました。
 その後の懇親会のようすは次の記事で…。
                               ゆめ風基金事務局員 細谷常彦
2015年4月19日小室等

小室等さんのミニライブ&座談会1

2015年4月19日小室等
 4月19日、小室等さんとこむろゆいさんがゆめ風基金の事務所に来てくださいました。
 ゆめ風基金は1995年、阪神淡路大震災の救援活動をした「障害者救援本部」の後を受け、発足しました。被災障害者への息の長い支援を継続する一方で、これから先いつどこで発生するかわからない自然災害に備えて全国的なネットワークをつくり、東日本大地震の際にも被災地の障害者団体とともに救援、支援活動を続け、今に至っています。
 設立から10年は永六輔さんに呼びかけ人代表になっていただき、それから後は小室等さんが呼びかけ人代表を引き受けて下さり、わたしたちの声が届きにくいところにラジオやライブを通じてゆめ風基金の活動を紹介してくださるおかげで、たくさんの方々が会員になってくださっています。
 20年を迎えた今年、小室等さんからお願いしていただき、ジャズサックス奏者の坂田明さん、太鼓奏者の林英哲さんをお迎えし、小室等さんとの3人によるコンサートが実現しました。
 いま、ゆめ風基金はその準備に昨年の9月から取り組んでいて、コンサート直前に発行する機関紙上で小室等さんとゆめ風基金の代表理事の牧口一二、副代表の河野秀忠との鼎談を企画しました。
 本来ならこちらから東京に出向くところでしたが、ゆめ風基金の事務所に来ていただけないかとお願いしましたところ快諾していただいただけでなく、せっかくだからとミニライブをしていただくことになったのでした。
 ちょうどいいタイミングで18日に京都のライブハウス「拾得」に出演されることから19日に来ていただくことになり、急きょ事務所をライブ会場へと「変身?」させ、日ごろお世話になっていてコンサートを応援してくださる40人の方々に集まっていただき、このサプライズが実現したのでした。
 昼ごろに到着予定でしたので、牧口と河野がお迎えに行き、新大阪駅のお店で昼食をすませていただき、一時前に事務所に来られました。サプライズで障害者スタッフのFさんが永六輔さん・谷川俊太郎さん共作詞・小室等さん作曲の「ゆめ風応援歌」のCDに合わせて電子ピアノ演奏しました。
 お二人は前日の京都のライブでのお疲れも感じさせず、いつものコンサートの時の入りとは少しちがい、どこかリラックスされているようでした。
 小室等さんといえば60年代後半からフォークシンガーとして知れ渡っていたひとで、1971年の「出発の歌」以来、日本のフォークソングからニューミュージック、Jポップへとつながる音楽シーンを切り開き、「自分の歌は自分でつくる」道を若い世代に用意したカリスマです。わたしもテレビやCDなどで一方的にファンである以上にお付き合いさせていただくことなど信じられない所なんですが、豊能障害者労働センターの元代表だった河野とのつながりから1986年に大阪府箕面市でのコンサートに来ていただいて以来、親しくお声をかけてくださるようになりました。
 この日の集まりもそうですが、小室さんとふつうに日常会話ができるのは小室等さんの人柄あってのことだと思います。さらに言えばわたしたちもふくめて全国各地のさまざまなひとと肉声で語りあい、心を寄り添わせるその心から生まれる音楽が単にメッセージソングではなく、ひとの心を沸き立たせ、ひとのかなしみのそばに立ち、ひとの声なき叫びに耳を傾け、ひとが絞り出す希望を勇気に変える静かな歌と言葉の中に裏付けられた、はげしさと根源的という2つの意味をもつ「ラジカル」な音楽性を持ちつづけてきた小室さんでなければありえないことだとわたしは思います。
 いよいよ第一部、牧口、河野、小室さん、そしてゆいさんも加わり、座談会が始まりました。設立当初のことや小室さんとの出会いなど、マスコミ取材もまじえて1時間半ほど、ゆめ風基金誕生秘話というにふさわしいエピソードが語られました。
 そのなかでも、阪神淡路大震災の時、河野が被災地に入り、瓦礫の上に立ち、半ばぼうぜんと、そのうちに何かに取りつかれたように牧口に電話し「金や、牧さん、金や」と叫び、牧口が「どれぐらいいるん?」、「10億円や」、「そんなにいるか、5億円ではだめ?」となんの根拠もなく値切っている自分がおかしかったという話は、そういえば同じ時、豊能障害者労働センターが開いた救援バザーの売り上げの集計をしていた時、障害者スタッフの一人が、「何ぼあると思う?僕一億円あると思うわ」と言ったことと重なります。それは冷静な金額ではなく、その障害者が被災地の仲間を思い、たくさんのお金がいると感じ、理屈ではなく「一億円」と言ったように、牧口も河野も大変で困難な現実を目の当たりにした時に、思わず「10億円」と口走ったのでした。
 本来なら基金活動を始める団体として設立委員会を何度も開き、目標金額を掲げるとすればさまざまな観点から検討し、妥当な金額をはじけだすところでしょう。困っている障害者、中には命が消えようとしている障害者がいつも後回しにされることを痛いほど経験した2人にとって、そんな余裕などあるはずもありませんでした。
それまでの長い年月、生きることがたたかいにならざるをえなかった障害者の生きる場・活動の場がほとんど瓦礫となった今、マスコミがとりあげない障害者の現実を全国に伝え、すなおに「助けてくれ」というメッセージとともにかかげた「10億円」という金額は単なる数字なら日本赤十字などの基金にはるかにおよばないですが、全国の障害者やその仲間たちには「とんでない大きな金額」で、ほかの説明をしなくても被災地の障害者の困難な状況がそのまま伝わるには十分な金額でした。
 このようにして「10億円」は数字をこえて、被災地の障害者の大きな悲しみ、苦しみ、怒りと、その過酷な現状からの一刻も許されない脱出と救援、再建再生へ共に行動しようという決意とつながりを表す心のメッセージとして、全国に広がって行きました。
 その10億円を1年間に1万円ずつ、10年かけて送って下さる方を10万人見つけたいと永六輔さんに話したところ、「それはいい」と賛同してくださり、呼びかけ人代表になってくださり、小室さんをはじめたくさんの各界を代表する方々に声をかけてくださったのでした。
 そして、最初の基金をいただいたのが山田太一さんであったことも、多くの方が知らない事実でした。牧口さんと河野さんがお付き合いのあった山田太一さんがたまたま大阪に来られていることを知り、アポもとらず会いに行き、必死で思いを伝えたところ大いに賛同していただき、「今はこれだけしか持ち合わせがないのでもうしわけない」と、財布からなけなしのお金を基金してくださったのだそうです。
 決して理詰めでない不退転の決意で設立されたゆめ風基金は、救援金や息の長い支援金の拠出の在り方もまた変わっていました。障害者のための基金であることはもちろんのこと、他の基金が公平・平等を重んじるあまりに届けるのがずいぶん遅れてしまうのに対して、伝え聞く親鸞上人の教えではありませんが、長い信頼関係を気づいてきた現地の団体の調査にもとづき、またまったく知らない団体の場合はこちらから調査にうかがい、「いま困っているところに、いますぐ救援金を送る」ために最善を尽くすゆめ風基金の姿勢は、被災地の障害者団体から圧倒的な支持をいただいてきました。 時には2、3日でまったく知らない障害者団体に届け、どれほど感謝されたでしょうか。半年先の1000万円より、今日明日の50万円がどれだけうれしかったかと、メッセージをいただきました。
 小室さんはお客さんと同じ立場で、牧口と河野の、少しずつ遠ざかる記憶を引き出す役目をかって出られて、笑いに包まれた座談会でしたが、今の政治や社会状態の危うさを憂い、沖縄の辺野古基地の問題では思わず涙で絶句されました。ゆめ風基金だけでなく全国の数々の地域で心を痛めながら日常を必死にたたかっているひとたちの話を聞き、共に生きようとするところから、小室等さんのすばらしい歌がうまれることを実感した瞬間でした。
 この長い一日を記録するにはもう少し紙面が必要で、とりあえずは一部の座談会談の報告をここまでとし、つづけてコンサートのもようとその後の懇親会、そして居酒屋での出来事などを書きます。
                                 ゆめ風基金事務局員 細谷常彦
2015年4月19日小室等