30分の休憩をはさみ、その間にライブのお客さん40人が狭い事務所につめかけ、第2部のライブが始まりました。
音響は豊能障害者労働センターから機材をお借りし、音響操作は同センターのIさんにお世話になりました。Iさんはゆめ風基金の活動を個人としても応援してくれていて、東日本大震災後は主に石巻に何度も訪れ、現地の若い障害者と親交を深め、よき相談相手になっているようです。
天井の低く狭い事務所で、音が割れたり響いたりしてとても難しい音響操作で苦労をかけましたが、おかげでとても聴きやすいライブになりました。
すでに何度か、今回のようなしっかりとした会場ではないところで演奏していただいていて、とても心苦しいものがありましたが、小室等さんもこむろゆいさんもいつもとは違う新鮮な感じで、なによりもとてもリラックスした歌唱で、わたしたちも自然に心和みながらゆったりと聴くことができました。
ライブはドラマ「木枯らし紋次郎」の主題歌で大ヒットした「誰かが風の中で」から始まりました。「時代劇ではなく、西部劇」というコンセプトのもと、ドラマの制作総指揮を担った市川崑監督は妻で脚本家の和田夏十に依頼した作詞を小室さんに手渡し、「走る」ことをテーマに作曲を依頼されたそうです。当時の時代劇の主題歌とはまったくちがった曲調は幅広い支持を得て、「出発の歌」につづく大ヒットになりました。
最近の小室さんはこの歌にからめて、「あっしにはかかわりのないことでござんす」といいながら、理不尽な権力や暴力に打ちのめされそうになる弱い者たちのために命をかけて助け、またどこかへ去って行く紋次郎は思えば「ボランティア」のかがみではないかと問いかけます。かねてより、当事者のほんとうの願いを聞こうとせず、「善意」を推しつけて自己満足してしまうことに敏感な小室さんのさりげない言葉は、わたし自身の戒めとして心に残ります。
実の所、わたしはステージ(らしき場所?)の背後にあたる事務所の入り口で扉の開け閉めをしていた関係でくわしい曲順はおぼえていないのですが、印象に残った曲を今思い出しています。
「道」という歌は昨年の「ろうきん」でのイベントの時にはじめて聴いた歌です。
右に行くのも左に行くのも今は僕の自由である
戦い敗れた故国に帰り
すべてのものの失われたなかに
いたずらに昔ながらに残っている道に立ち
今さら僕は思う
右に行くのも左に行くのも僕の自由である
戦後すぐ、田村隆一、高野喜久雄、鮎川信夫などともに詩誌「荒地」に参加した黒田三郎は、戦後民主主義という言葉では語れないもっと深い「自由」を歌っていて、小室さんは最近にこの詩を歌にされたのは、ひとつの方向に簡単に生き急いでしまう今の世の中の危険な動きに、「ちょっと待て」と警告を鳴らす意味があったのではないかと思います。
最近は優しくてゆっくりした歌が多い中、若いころからの反骨精神をよみがえらせ、激しい歌い方で聴く者の心を必死にたたく小室さんがいました。
タンゴのバイオリニスト・作曲家の喜多直毅作詞・作曲「この空の下」は今回はじめて聴いた曲で、上条恒彦さんのCD「生きているということ」(題名曲は永六輔作詞・中村八大作曲)に収められています。
この空の下
だれもが皆、それぞれの夢を携えている
雨雲の下
誰もがそれぞれの夢に傘をさしている
「乗れば間に合う故郷に 心だけ帰れ、ほんのひと時」と歌うこの歌を聴いていて、すでに帰る故郷もないのはわたしたちだけではなく、日本全体が「路地裏の民主主義」という「故郷」を捨ててきてしまったのではないかと考えさせられました。しかしながら空の青さが変わらない間は、もしかすると「故郷」は切ない希望となってわたしたちの心によみがえり、「明日」を生きる小さな勇気となるのかもしれないと思います。
もう一曲、「ほほえむ力」。
「いまここにいきるわたしは いのちのねっこでむすばれて いまそこにいきるあなたと
わたしとあなた あなたとわたし」と歌い始めるこの歌は、やさしさが実はもっとラジカル(根源的で過激)であることを強く気づかせる歌でした。いろいろな立場やいろいろな事情で傷つけあってしまう集団や国家に対して、ひとは武器を持つこともできるけれど歌うこともできることを、傷つけあうことでしか守れない平和などないことを、世界と日本の悲鳴がとどろく今、いさかいを終わらせるために暴力を重ねるよりも、人間の「ほほえむちから」を信じることを、この歌は静かな決心とともに教えてくれているのだと思いました。
最後に「ゆめ風応援歌」のひとつである「風と夢」をゆめ風基金のディーバ・加納ひろみさんと、そして最後に「伝えてください」をこの日デビューのゆめ風基金の障害者スタッフFさんとのコラボレーションで歌い、演奏されてライブは終わりました。
その後の懇親会のようすは次の記事で…。
ゆめ風基金事務局員 細谷常彦