★DPI日本会議 事務局長 佐藤聡さんからMLで頂きました。
東さんご本人の許可を頂き、転載させていただきます。
熊本の東さん(車いすユーザー、弁護士、熊本学園大学教授)から報告がありましたので、転送します。
---------- 転送メッセージ ----------
東です。
状況報告です。
昨日、ぽてとファーム・佐野さんが滋賀から支援物資を熊本まで運んでくれました。
ほんとにありがたかったです。
ところで、14日の初震から今日で1週間を経過することになります。
この間、現地入りして状況を調査したり、私の勤務する熊本学園大学で急遽開設されることになった避難所の運営で、ほとんど机に向かう時間がありませんでした。
障害者団体もなかなか集まれなかったんですが、やっと「被災地障害者支援センターくまもと」を立ち上げ、これを動かしていくことになりました。
幸い家のある菊池市は激震地からは離れていますので、部屋の中は書類で散乱していますが、支援の後方基地といったような案配です。
学園大学にある熊本市内は、当初、ガスも水も供給停止で、市からの支援物資の配給もほとんどありませんでした。
ですので、理事長に、最低限「1、飲料水」、「2車いすから降りて横に寝られるだけのスペースの確保」、余力があれば、「3、暖かい食事の提供」をしたい旨を申し出て、学内の利用できる設備の利用など、学校側のできるだけの協力を確約してもらいました。
はっきりした数字ではありませんが、障害者と要支援の高齢者40~50を含む700人くらいの避難者の対応に当たっております。
特に、炊き出しする以外に食事を提供する方法がなかったので、うちにあった保有米(実家は農家ですので)2俵、水数百リッター、燃料となる薪、昔大豆を炊いて味噌を造っていた大きな鉄のお釜をいくつか大学まで運び、同僚の教員や大学に避難しているうちの大学生などに、手伝ってもらいながら、ご飯や味噌汁などを提供する体制を作り上げました。
現在では、熊本市内では、コンビニ、スーパーマーケット、ガソリンスタンドが再開し、一般の流通は再開している状況ですが、移動手段をもたない高齢者や障害者がいますし、支援物資は、大量に来ているにもかかわらず、避難所への配給は十分とは言えません。
さらに、避難所を早急に閉鎖しようという動きもあり、現場に不安の声が上がったりしています。
余震もまだ続いている状況ですので(今も軽くありましたが)、緊急避難の状態がまだまだ続いていて、これからどうしようかという現実に立ち向かう気持ちや気力が湧くにはまだまだ時間がかかるだろうと思っています。
ただ、これは、熊本市内の状況で、激震地の益城や南阿蘇の方の支援を要する高齢者や障害者の状況全く把握できていません。
こんなところが、2016年4月21日早朝の現状です。