埼玉のわらじの会のあんこさんからの手紙

被災地障がい者センターいわてに行かれた、埼玉のわらじの会のあんこさんからお手紙をいただきました。
お久しぶりです。あんこです。
20日から23日まで、被災地障がい者センターに来ています。
今日、すごくかわいい今川さんの顔を見ました。
理由はわらじの田島くんが今日から参加したのですが、今川さんに彼の知人で口で筆を使ってデザイン文字を書く人がいて、その人の作品をプレゼントしたんです。その時の今川さんの嬉しそうな顔!
以下は田島くんのメールです。
今川さんが抱えている笑顔という文字は、実は「なみだは みらいを きりひらく」って書いてあります
春日部のMCKコミュニティピースの人が今川さんにプレゼントしました。
ピースはM(みんな)C(地域で)K(暮らそうよ)の理念を掲げ障がいのある人もない人も誰もが地域で暮らせる街づくりを目指しています。
「ぴーす」には、社会資源の1つ(piece)、平和(peace)な社会を願って・・・という意味がこめられています。
障がいのある人への相談、介助派遣を主な事業として行なっています。障がいのある当事者とそれを支えたい健常者で立ち上げました。
これは ぴーすで関わってくれた学生にプレゼントした書です
舞ちゃんで
「えがお すてき」
って書いてあります
今川幸子さん
笑顔 「なみだは みらいを きりひらく」
えがお すてき

障害者ボランティアを派遣するプロジェクト発進!

 健全者ボランティアだけではなく、障害者ボランティアを派遣してもらえないかという岩手の要請を受けて、西宮のメインストリーム協会の佐藤さんと、提案者の被災障がい者センターいわての代表・今川さんが企画した障害者当事者派遣プロジェクトがはじまります。
 障害当事者による障害者当事者へのピアカウンセリング的な聞き取り、働きかけによるニーズ発掘は大きな可能性を持っているとわたしたちは思います。このプロジェクトによって、被災地の障害者と各地の障害者がつながっていくことで、これからの被災地の障害者の自立生活をすすめていくエネルギーが高まることが期待できるだけではなく、日本全体の障害者の自立生活運動にも大きな足跡を残す予感を感じます。
佐藤さんからのメッセージとともに、企画書を掲載します。
メインストリーム協会の佐藤です。
お世話になります。盛岡への当事者派遣プロジェクトの件ですが、
現地と調整して、6月27日(月)から第一陣を派遣し、スタートすることになりました。
予算案は別紙の通りです。
2011年6月22日
被災地障害者センターいわて 障害者当事者派遣 企画書(案)
1. 経過
5月16日に被災地センターいわてを訪問し今川代表と懇談したときに、障害当事者を派遣して欲しいという要請があった。岩手県はもともと自立している障害者が少なく、街を歩いていても障害者を見かけることがない。被災地センターの活動も当事者は今川さん一人しかいないため、当事者が被災現地へ行き、被災された障害当事者の方と直接話すシフトを作成することが難しいため、ピアカン的なケア支援ができないでいる。健常者ボランティアが被災地をまわり、障害者に会って困っていることがないか聞いても、困っているとは言わない。実際には困っているのだが、我慢強い風土で誰も本当のことを言わない。
このような状況なので、健常者ボランティアだけではなく、障害当事者に来て被災した障害者を訪問して欲しい。それによって、被災された障害当事者は自分より重度の方が一人暮らしで生活をしていることに驚き、自分も本当は将来は自立生活をしたいけれど、この地域では難しいという本音を話したり、逆にこちらから支援で来た障害者当事者もこの岩手の福祉の現状を知ることができ、互いに良い刺激になるのではないか。それによって、被災地における障害当事者による、被災された障害当事者の支援の方法をモデルとして残すこともでき、それを今後、被災があったときの支援方法にも活用できるのではと考えられる。そのために、ぜひ、当事者をボランティアとして派遣して欲しい。
この要請がきっかけとなり、このプロジェクトを企画した。関西の自立生活センターを核として、全国の自立生活センターに呼びかけ、協力者を募り実現したい。
2. 取り組みのイメージ
(1) 障害者を1週間交代で派遣し、救援活動に加わる。
・ 健常者ボランティアとセットで沿岸部をまわり、救援活動を行う。
・ 自立生活の経験を伝える。
・ 1週間交代で派遣。必ず引き継ぎもする。
(2) 介助者
・ 障害者は介助者を一人連れて、2人1組で派遣する。
・ 被災地センターいわてに来ているボランティアにも介助をしてもらう。
・ 常勤の介助者を被災地センターいわてで雇う。
・ 上記の3者で交代で介助にあたる。
(3) 被災地での交通方法
・ 被災地センターいわて所有のリフトカーを使い、被災し地域等を訪問する。
・ 運転は現地ボランティアが担当する。
(4) 宿泊
・ 電動車いすでも生活出来るアパートを借りる(住宅改造有り)。
・ 見つかるまで(8月はじめまで?)は、事務所とビジネスホテル(東横インのバリアフリールー)に1日おき程度で宿泊する。
(5) 派遣期間
・ 2011年6月27日~2012年3月31日まで。
・ 毎週月曜日に盛岡に入り、日曜日に帰る7日間。
(6) 延べ人数
・ 約60人(障害者30人+介助者30人)
(7) 対象
・ 自立生活を実践しており、当事者支援をしている当事者。
3. 募集方法
・ JILの加盟センターを中心に障害者ボランティアを呼びかける。
・ 6月27日から8月末まではメインストリームのスタッフを派遣する。
4. 宮城、福島への展開
・ 被災地センターはいわての他に、みやぎ(仙台市)、ふくしま(郡山市)がある。
・ 今回は被災地センターいわてからの要請で企画したものなので、まずは6月末から岩手で実施する。
・ ある程度軌道に乗ってきた段階で、他の2つのセンターにも提案し、希望があればその地域でもとり組む。
5. 企画調整
・ 初めての取り組みなので、活動の内容、方法、介助体制等を定期的に振り返り、その後の活動の展開を含めて被災地センターと岩手と話し合い、調整していく。
・ そのために、3回程度、佐藤(メインストリーム協会)が盛岡を訪問し、今川代表と打ち合わせを行う。
6. その他 
・ 7月15日に佐藤が盛岡を訪問し、今川代表と3週間の派遣を振り返り、再度微調整してこのプロジェクトの企画をまとめる。
・ それをもとに、7月19-20日のJIL総会で全国の自立生活センターに当事者派遣を呼びかける。

7月22日 第6回救援本部会議を開きます。

第6回救援本部会議を開きます。
地震発生から3ヶ月を過ぎ、被災地では岩手、宮城、福島の3つの拠点に加えて、より沿岸部の近くで活動できるように岩手に1つ、宮城に2つの拠点をつくりました。
一般的にも避難所から仮説住宅へと重点が移動しているのに呼応する形で、障害者の状況は安否確認から仮設住宅でのサポートまでとより複雑になり、支援のあり方もある程度中期的なスタンスも視野に入れた継続的な支援も課題となってきています。
第6回目となる今回の救援本部会議では、継続的な支援についても議論したいと思います。
みなさんのご参加をお待ちしています。
 日時/ 7月22日(金)6時半~
 会場/パーティパーティ(地下鉄大国町からすぐ)
    大阪市浪速区敷津東3-6-10 TEL・FAX  06-6649-0455
 内容/ 1.被災地報告
     2.東京本部、街頭募金ほかの動き報告
     3.11月イベントについて
      そのほか 目白押し。

いよいよ今週土曜日街頭募金

今週土曜日6月25日、第7回目の街頭募金活動を行います。
午後1時から午後5時まで、場所は大阪なんば高島屋前です。
みなさんのご参加をよろしくお願いします。

被災地障がい者センターいわてのブログから

6月18日
釜石に行ってきました。
釜石は昨年9月に63メートルの防波堤を完成させたばかりだったとのことでしたが、すごい状況でした。大槌で見たときは、水の勢いで建物の1階部分が流されてしまって、2階だけ残っているような状態の建物が多かったのですが、釜石では泥水に浸った感じというのでしょうか…。
陸前高田に行くと水の勢いで全て流されてしまった状態だそうです。津波の状況によって、被害の形も違ってくるのでしょうね。釜石も防波堤がなかったら……
大きな通りはきれいにされているのですが、路地に入ると流された残骸がいっぱいです。
赤字で×印が大きく書かれた家…解体が決まっているものと思います。
×印の隣に大きく「ありがとう」の字…
釜石の被災されたお宅へお邪魔して、家の中の物の整理を手伝わせていただきました。
3階建てのお宅で、2階まで海水に浸かったそうです。2階の戸棚の一番下の引き戸が開かず、壊して空けると、100日経った今日、海水を含んでぬれた手ぬぐいが出てきました。
お母様の形見の着物も泥がかぶってだめになりまた。
仮設住宅に入居が決まっているので、仮設に持っていってくものを選別して仮設住宅に運びました。
仮設住宅に着くと救援物資が運ばれていましたが、まな板があるけど包丁がなかったり、タオル類など重複して運ばれていて、あるもはあるのにないものはない… なぜかはさみが4本も… コップがない…
大方そろっているけど、ちょっとした不足がまだまだいっぱい…
仮設住宅にガスの点検がきました。一通り説明を受けて、代金は口座から引き落としになるとの説明…
避難所ではかからなかった生活費が、仮設に入るとどんとのしかかってくる…
食事も出ないから、買い物もしなければならない。
お金もかかるし、お店もあまり開店していない…
そんな中でも再開した食べ物やさん、商店、お肉屋さん…がんばって欲しいです。
生協さんの宅配も始まるそうです。
明日、北海道に帰るのですが、時間があったら、被災地の美容室で髪を切って帰りたかったなぁ…
にゅうせんどうのおいしい牛乳、お米、海産物、おいしいものも、豊かな自然もいっぱい…
今度は家族旅行で東北に来ます。そして、元気になっていく東北を応援したい
H・M

被災地障がい者センターいわてのブログから

6月17日
はじめての現地周り
 釜石、大槌町、宮古、田野畑村とまわってきました。
まだまだ瓦礫の山が残っているところ、店舗用の大きな冷蔵庫がひん曲がったシャッターから飛び出したままのところ、「解体OK」と大きく赤字でかかれた半壊の家がまだまだ残っている状態ですが、地震直後からみると8割、9割片付いている状態だそうです。
 大槌町でガソリンを補給。スタンドの建物が何もなくなって、地下タンクのガソリンを自転車をこぐことでポンプが作動して給油される緊急用のスタンドです。私も自転車をこがせてもらいました。
写真を載せたかったのですが、やり方がわからなくて…ごめんなさい。
 そこのスタンドのおじさんがとっても素敵な人でした。笑顔で地震の時の状況をはなされて「1000年に一度の地震にあえて、ほんとラッキーだったよ!俺なんて、津波の中泳いでたもんね!」
「……そうだったんですか…」と驚く私に「ははは!うそだよ!泳げるはずないじゃない」と笑っていました。
なんだろう…ただの面白いおじさんじゃなく、そこにとてつもない大きなエネルギーとやさしさと…たくさんのあったかいパワーを感じて、うまく表現できないのですが、こういうおじさんがいれば、きっと大丈夫と思いました。
 大槌町のさんずろ屋さんで昼食をとりました。素晴らしい景色を見ながらおいしい食事を頂きました。
さんずろ屋さんの駐車場で「こけめ農園」という農園をやっている方にお会いして、内陸から被災地にお花などを配っている方にお会いしました。もうすぐ2歳になるかわいい男の子を連れて、物資などを届けて歩いているとの事。元気な地元の方にお会いできると、本当に嬉しい!!
 田野畑村の保健センターに被災された障がい者の情報を聞きに行きましたが、田野畑村には介助を要するような障がいを持った方がいらっしゃないし、障がいを持った方もみなさん無事で、健康上の問題もなく、村の保健婦で充分足りているような状況との事。よかった!よかった!と思いきや、近くの知的障がい者の事業所で宮古の保健福祉センターの人とお会いして、「そんなことはないはず。地域性かこっちの人はそういう言い方をするんだよね。家族も障がい隠したりするし…」なんてお話を伺って、唖然…。地域生活を送る、障がい当事者のニーズをここの地域で拾っていくのは、簡単じゃなさそうです…
H M

被災地障がい者センターいわてのブログから

6月14日
本日より遠野市宮守町の事務所がテスト走行しました。
ここ本宮から一時間ですが、宮守町の事務所のほうが現地に近くなります。
移動時間が短くなる分、現地での活動に時間を費やせます。
 現地での活動も変化してきており、社協などを回って情報を収集するところから、避難所で情報を収集してまわり、現在は仮設住宅まわりへと動きも変わってきています。
継続的に支援される方も増えていっている状況です。
車であっちこっちと被災地を回るのですが、どの車もがたがきて連日修理しながらの活動です。
 一日おおよそ240キロほど走っています。宮守が拠点になっていくと半分の走行距離で済みそうです。
 毎朝、8時頃にスタッフ数人ずつでそれぞれ被災地へ向かって出発します。4時から6時くらいに事務所に戻ってきます。その間に事務所スタッフが食事の準備をして、みんなが戻ったら食事をして、ミーティングです。
 今日は冷やしラーメンを作りました。小さななべで13人分のラーメンを大忙しでゆでました。具沢山冷やしラーメンでまた、明日の活力へと…頑張りましょう!!
H・M

被災地障がい者センターみやぎ 及川 智さん

2011年5月26日原稿
被災地みやぎの2か月
CIL たすけっと 
被災地障がい者センターみやぎ 
 及川 智
  
はじめに、東日本大震災で犠牲になられた方々に対し心よりお悔みを申し上げますとともに、被災された方々に対し心よりお見舞い申し上げます。
 3月11日14時46分。東北から関東にかけて魔物じみた津波を伴って震度7、M9.0の巨大地震が襲った。
当時たすけっと事務所で会議中で、揺れはじめ少しづつ揺れが強くなるにつれ、机にもぐったり車いす上で頭を抱えることしか出来なかった。
指定避難所へ向かい、6時間ほど経ったのち、避難者でいっぱいになった体育館では横になるスペースもなく、トイレにも行けなくなったため、水が出てストーブがあったたすけっとの事務所に戻り、10数人で震災当日の夜を明かした。
最初の2日は、事務所を避難所兼支援拠点として、食料、生活用品を事務所に集めて自分達の安全確保と安否確認に終始した。
その後は、JIL、ゆめ風基金、日本財団などをはじめ、全国各地の団体・個人の皆様から頂いた支援物資をもとに・障がい者の方への物資提供を始めた。
思いつく限りの方法でチラシをまき、広報をした。
今も続く物資提供件数は200件を超す。この時に全国各地でかき集めてくださったガソリンが本当にありがたかった。改めて心から感謝申し上げる。
この物資提供が現在に及ぶ活動の基礎である。
今回の震災の特徴は何と言っても津波である。
津波の被害がない内陸部はほぼライフラインが復旧し、商店も大半通常に戻っている。
そうした二分されたような状況がある。
現在の「被災地障がい者センターみやぎ」の活動も沿岸部への調査とニーズへの対応が中心だ。
また、被災した障がい者の拠点(作業所、通所施設など)の1日も早い再開のため、そして新た障がい者の支援拠点を立ち上げるために必要な救援金を届けることだ。こちらは6つの案件に救援金をお届けすることができている。
これからは社会基盤をどう作っていくか、という議論も必要で、そこには運動が必要だと思っている。それをどう作って盛り上げていくか。少しづつ考え、行動していきたい。
これは「ゆめごよみ風だより」にも書かせていただいたのだが、宮城県は、人・物・金が圧倒的に仙台市に偏っている状況がある。
自立生活センターも当たすけっとが宮城県内では唯一である。
16年の活動の中で広がっていない。
社会資源も乏しいと言わざるを得ないが、その理由の一つは運動団体にあるととみに思う。
街、県をもう一度作り上げていくことになるが、その一端を担えるようにしたい。
連日ボランティアを含むセンターのスタッフは懸命に支援活動にあたっていただいている。
そのおひとりの「さら地と復興は紙一重」というつぶやきが耳を離れない。
さら地となった場所には、風土や歴史とともに無限の可能性がある。
どんな心を入れ、復興していくのか。長い取り組みになる。
 
最後に、全国各地から物心両面にわたってご支援いただいておりますこと、心から御礼申し上げます。
被災地障がい者センターみやぎ 及川 智 井上朝子
左:CILたすけっと代表 及川智
右:CILたすけっと事務局長 井上朝子

被災地障がい者支援センター 白石清春さんの日記2

2011年06月14日10:48
白石個人
Y君、Tさん、私とで午前3時まで飲みながら話している。Sさんは居眠りをしている。Y君とSさんは帰る。私とTさんはたいむILに泊まる。何回か目を覚ます。朝方寒くなったので、Tさんに蒲団をかけていただく。Tさんも寒かったかな。
7時に起床。Tさんに着替えの介助をしていだく。8時にSさんがみえる。3人で支援センターへ。きのうのNさんの講演会の際にもらったというEM菌を、Tさんに分けてもらう。そして、Tさんに支援センターにあったペットボトルにEM菌の培養液を作っていただく。EM菌をたくさん増やして、郡山中に噴霧していこうか。まずは、放射線量が高い地面にEM菌をまいての実験をしてからか。F-787プロジェクトと並んでEM大作戦も展開していこう。
…………………………。
電くるのバッテリーが少なくなってきたので7時ぐらいに、Sさんに車で送っていただいて家に帰る。眠いので部屋で横になって寝ている。
支援センター
UさんとSさんが、新聞紙を濡らしたものを千切って、センター内にまいている。そして、それをほうきでかき集めている。なるほど、濡れ新聞紙にほこりがくっつくので放射性物質もとれる。
9時半にヘルパーのW君がみえる。
9時過ぎに私、Tさん、W君が乗り、Sさんの運転で郡山駅前へ。ヨドバシカメラで名刺の用紙を買う。薬屋ダイコクドーで強力ワカモトを買う。
Tさんと別れて、支援センターへ戻る。
日誌付け。
ミクシー、ツイッターにアップ。
1時過ぎにSさん、たいむILのボランティアへ。
午後から提案と要望の点検。Wさんが来ないと…。Wさん少し遅れるとのこと。
2時前にTさんがひまわりの種を届けてくれる。その後、Tさんボランティアでパソコンの仕事をしていく。
Wさんが来て、提案と要望をまとめ上げる。Hさんと構成団体にメールで添付して送る。
Wさんのところのにんじん舎では、EM菌の培養をしているとのこと。大きな噴霧機も持っているとのこと。にんじん舎の存在と、この大震災、何か大きな縁を感じる。
4時ごろになるとさすがに眠くなる。電くるの上で居眠りする。
R君がみえて、携帯電話の継続の手続きのことで充電池の裏に書いてあるシリアルナンバーを書き写している。
西宮市のFさんからファックスがあり、市営住宅の入居に関しては地元からの罹災証明書がないとだめなので、こちらで罹災証明を取れるようにしてほしいとのこと。たいむILの職員の奥さんが妊娠しているので、早めに移住してほしいのだが、職員の彼が郡山に戻ってきてから(今、たいむILの利用者とともに西宮まで避難訓練に行っている)動き始めよう。
2011年06月15日11:22
白石個人
7時前に起床。疲れているためかぐっすり眠る。
8時過ぎに家を出る。雨が多少降っていたので、栄子に合羽を着せてもらう。
8時半に支援センターへ。
支援センター
午前中はミクシーとツイッターアップ。Yahooメールの点検。
あいえるのO君から電話があったので、西宮に避難したいというたいむILの職員の件を話すと、鼻から無理という。少し頭に来て、まだやっていないうちから 無理というな!と声を荒げてしまう。原発の避難区域に入っていないと被災証明は難しいのか。でもやる価値はあるだろう。だめでもともと当たって砕けろだ。
聴覚障がい者協会のKさんが手話通訳さんとみえる。コミュニケーション法を国会に提出するための署名運動をしているので、協力をお願いしたいということと、小冊子を一部300円で販売しているので協力をお願いしたいということ。快く了解する。
お昼はボランティアのSさんと隣の隣の沖縄料理店「三浦屋貝願亭」へ。タコライスを注文する。私の過去の障がい者運動のことや、福島を含め東北人の気質から障がい者運動はなかなか進んでいかないことを話す。貝願亭の放射線量は0.24μ㏜。支援センター内は0.6-1.6μ㏜。
1時ぐらいに支援センターに戻る。Sさん、たいむILのボランティアへ。
IL センター福島のN君に電話をすれば、避難区域になっていない地区外からの、原発の影響で非難した人たちには被災証明書は発行していないとのこと。ただ、 家の一部や家具などが壊れた時には被災証明書が出ることもあるとのこと。たいむILの職員が西宮から帰ってきたら相談しよう。
きのうの夜に、田村のSさんの旦那の匡くんからのメールに、福島第一原発4号機が倒壊しかかっている。倒壊したらプルトニウム等の有害放射線が福島県中に降り注いで大変なことになるとあったので、インターネットで調べる。それらしき情報がいくつか見つかる。4号機の核燃料プールには1,500本もの燃料棒が置いてある。プールの底から燃料棒が流れ落ちたら、多量の放射能で2号機、3号機にも人間が近づけなくなり、あとは水素爆発を待つのみの状態になってしまうのではないかとある。多量の放射線が福島県始め全国にばらまかれるであろう。そうなったら、郡山も避難区域になるに違いない。覚悟しておく必要があるのかもしれない。Wさんにも情報を渡す。
4時過ぎに染井さんがたいむILから帰ってくる。
夕 方の6時ごろか、養護学校同窓会の役員のHさんから電話があって、養護学校同窓生の名簿を頼りに訪問活動をするのはやめにしたいという。養護学校同窓会の 開催案内を出すので、それに近況報告のらんを設けて書いてもらうので、それで大丈夫だろうとのこと。それも葉書だ。同窓生は900名ぐらいいるが、返事が戻ってくるのは100名にも満たないだろう。なんか、郡山養護学校同窓会も行政のようだ。がっかりしてしまう。軽度で自分の力で避難できる障がい者はいいが、家族の世話になっている重度障がい者はどうなるのだろうか。
8時まえに支援センターを出る。
2011年06月16日11:46
白石個人
7時前に起床。
8時半に家を出て、放射線量を測定。神明町・あいえるの会事務所前0.49μ㏜。長者・モールリビン前0.46μ㏜。長者・郷さくら美術館前・0.73μ㏜。その近くのみんなの保険プラザ前1.32μ㏜、急激に2.32μ㏜まで跳ね上がる。緑町・ファミリーマート前0.68μ㏜。センター前0.32μ㏜。センター内0.22μ㏜。窓を開けて換気をしたら0.11に下がる。さくら通りの長者付近が高い。
支援センター
9時過ぎに支援センターへ。
福島県に提出する提案と要望に、入所施設へ非難している障がい者の情報提供の件を、入れることを忘れたので付け加える。
ミクシーをアップして、ツイッター、Yahooメールを点検する。
2時過ぎにWさんとあいえるのトッポ号で福島県庁に向かう。
車中でいろいろな話をしていく。私の応援に大阪から来ていたFさんとはいつ頃からの付き合いなのか?22歳 ごろからの付き合いで、青い芝の会を福島に作ってほしいと私をオルグに来た時からの付き合いだと答える。Wさん、Fさんには大変お世話になったと。被災地障がい者支援センターふくしまは障がい者が主人公であると強く主張していたFさん。そのことを一番分かっているのはWさんかも知れない。
私の言うことは時には暴走することもあるが、言っていることは正しいので、一緒にやっているのだとWさん。本当にうれしい。Wさんは、自分の所の知的障がい者の事業所「にんじん舎」の仕事を半分にして、被災地障がい者支援センターふくしまの活動に力を注いでいる。頼もしい同志である。
2 時半に福島県庁へ。2階のロビーで身障福祉協会のHさんと待ち合わせて、障がい福祉課との話し合いの打ち合わせ。Hさんに、提案と要望の最後に「文章にて回答を」と記してあったが、これをやると行政は嫌うので、この文言は消して、口述して答えを求めた方が良いとのアドバイスを受けて、そのようにする。まあ、喧嘩を売るわけでないので、穏便にいくか。
3時に県庁7階の障がい福祉課へ。主幹兼副課長のSさんといつもの矢吹さんが対応。まずは、私のあいさつから始まり、Wさんが提案と要望の下線の引いてある個所(重要要望)を説明していく。Wさんが話しているときに非常に眠くなる。ぐっと我慢している。
仮設住宅に車いすの障がい者は入れないと話すと、そのような話があったら県に言って欲しい。家族状況を考慮して、仮設住宅を考えるという。果たしてどうだろうか?
仮設住宅の中に福祉サービスの拠点を作ってもよいという厚労省の通達が出ているので、ある町に聞いたところ、高齢者のサービスで手いっぱいなので障がい者のサービスは考ええていないという答えがあったが、県としてはどう考えるのかと質す。そして、市町村と県とで調整してほしいと伝える。
最後に私が、福島県内の避難所や入所施設を回って、障がい者の所在確認を行っていったが、重度の身体障がい者の姿が少なかった。県外の入所施設に避難してい るのではと、問い質せば、市町村で避難先の調整をしているので、県としてはあまり把握していないとのこと。本当かなあ?そして、飯館村からの情報では重度障がい者に関するものは4件あったが、一人入所施設に入ったとのこと。どこの施設に入ったかを教えるわけにはいかないとのこと。ここでもプライバシーの壁が…。
各市町村の担当者に聞いてみないと分からないが、重度の身体障がい者は入所施設にもあまり入っていない模様だ。障がい者の捜索活動の方法を検討しなければならないかも。
もっとWさんは話したが、これまでにしておく。
県との話し合いは30分程度で終わり、帰路に着く。
途中に、二本松の道の駅に寄り、買い物。サイダー、こんにゃく刺身、わさびせんべい、Hさんに甘酒を買う。
Wさんが眠い顔をして運転している。危ない、危ない。
5時前に支援センターへ。
ボランティアのSさんが滋賀に帰っていく。お疲れ様でした。
6時過ぎに支援センターを出て、モールまで行って買い物。EM菌の培養するため砂糖を溶かす鍋、ビンに水分を入れるロート、EM菌の餌とする黒糖を探すがないので、きび砂糖、裂きイカ、焼酎を買って、家に帰る。
居間に行って、パソコンを動かして、きょうの日記を打つ。夜の9時まで。