被災地障がい者支援センター 白石清春さんの日記2

2011年06月14日10:48
白石個人
Y君、Tさん、私とで午前3時まで飲みながら話している。Sさんは居眠りをしている。Y君とSさんは帰る。私とTさんはたいむILに泊まる。何回か目を覚ます。朝方寒くなったので、Tさんに蒲団をかけていただく。Tさんも寒かったかな。
7時に起床。Tさんに着替えの介助をしていだく。8時にSさんがみえる。3人で支援センターへ。きのうのNさんの講演会の際にもらったというEM菌を、Tさんに分けてもらう。そして、Tさんに支援センターにあったペットボトルにEM菌の培養液を作っていただく。EM菌をたくさん増やして、郡山中に噴霧していこうか。まずは、放射線量が高い地面にEM菌をまいての実験をしてからか。F-787プロジェクトと並んでEM大作戦も展開していこう。
…………………………。
電くるのバッテリーが少なくなってきたので7時ぐらいに、Sさんに車で送っていただいて家に帰る。眠いので部屋で横になって寝ている。
支援センター
UさんとSさんが、新聞紙を濡らしたものを千切って、センター内にまいている。そして、それをほうきでかき集めている。なるほど、濡れ新聞紙にほこりがくっつくので放射性物質もとれる。
9時半にヘルパーのW君がみえる。
9時過ぎに私、Tさん、W君が乗り、Sさんの運転で郡山駅前へ。ヨドバシカメラで名刺の用紙を買う。薬屋ダイコクドーで強力ワカモトを買う。
Tさんと別れて、支援センターへ戻る。
日誌付け。
ミクシー、ツイッターにアップ。
1時過ぎにSさん、たいむILのボランティアへ。
午後から提案と要望の点検。Wさんが来ないと…。Wさん少し遅れるとのこと。
2時前にTさんがひまわりの種を届けてくれる。その後、Tさんボランティアでパソコンの仕事をしていく。
Wさんが来て、提案と要望をまとめ上げる。Hさんと構成団体にメールで添付して送る。
Wさんのところのにんじん舎では、EM菌の培養をしているとのこと。大きな噴霧機も持っているとのこと。にんじん舎の存在と、この大震災、何か大きな縁を感じる。
4時ごろになるとさすがに眠くなる。電くるの上で居眠りする。
R君がみえて、携帯電話の継続の手続きのことで充電池の裏に書いてあるシリアルナンバーを書き写している。
西宮市のFさんからファックスがあり、市営住宅の入居に関しては地元からの罹災証明書がないとだめなので、こちらで罹災証明を取れるようにしてほしいとのこと。たいむILの職員の奥さんが妊娠しているので、早めに移住してほしいのだが、職員の彼が郡山に戻ってきてから(今、たいむILの利用者とともに西宮まで避難訓練に行っている)動き始めよう。
2011年06月15日11:22
白石個人
7時前に起床。疲れているためかぐっすり眠る。
8時過ぎに家を出る。雨が多少降っていたので、栄子に合羽を着せてもらう。
8時半に支援センターへ。
支援センター
午前中はミクシーとツイッターアップ。Yahooメールの点検。
あいえるのO君から電話があったので、西宮に避難したいというたいむILの職員の件を話すと、鼻から無理という。少し頭に来て、まだやっていないうちから 無理というな!と声を荒げてしまう。原発の避難区域に入っていないと被災証明は難しいのか。でもやる価値はあるだろう。だめでもともと当たって砕けろだ。
聴覚障がい者協会のKさんが手話通訳さんとみえる。コミュニケーション法を国会に提出するための署名運動をしているので、協力をお願いしたいということと、小冊子を一部300円で販売しているので協力をお願いしたいということ。快く了解する。
お昼はボランティアのSさんと隣の隣の沖縄料理店「三浦屋貝願亭」へ。タコライスを注文する。私の過去の障がい者運動のことや、福島を含め東北人の気質から障がい者運動はなかなか進んでいかないことを話す。貝願亭の放射線量は0.24μ㏜。支援センター内は0.6-1.6μ㏜。
1時ぐらいに支援センターに戻る。Sさん、たいむILのボランティアへ。
IL センター福島のN君に電話をすれば、避難区域になっていない地区外からの、原発の影響で非難した人たちには被災証明書は発行していないとのこと。ただ、 家の一部や家具などが壊れた時には被災証明書が出ることもあるとのこと。たいむILの職員が西宮から帰ってきたら相談しよう。
きのうの夜に、田村のSさんの旦那の匡くんからのメールに、福島第一原発4号機が倒壊しかかっている。倒壊したらプルトニウム等の有害放射線が福島県中に降り注いで大変なことになるとあったので、インターネットで調べる。それらしき情報がいくつか見つかる。4号機の核燃料プールには1,500本もの燃料棒が置いてある。プールの底から燃料棒が流れ落ちたら、多量の放射能で2号機、3号機にも人間が近づけなくなり、あとは水素爆発を待つのみの状態になってしまうのではないかとある。多量の放射線が福島県始め全国にばらまかれるであろう。そうなったら、郡山も避難区域になるに違いない。覚悟しておく必要があるのかもしれない。Wさんにも情報を渡す。
4時過ぎに染井さんがたいむILから帰ってくる。
夕 方の6時ごろか、養護学校同窓会の役員のHさんから電話があって、養護学校同窓生の名簿を頼りに訪問活動をするのはやめにしたいという。養護学校同窓会の 開催案内を出すので、それに近況報告のらんを設けて書いてもらうので、それで大丈夫だろうとのこと。それも葉書だ。同窓生は900名ぐらいいるが、返事が戻ってくるのは100名にも満たないだろう。なんか、郡山養護学校同窓会も行政のようだ。がっかりしてしまう。軽度で自分の力で避難できる障がい者はいいが、家族の世話になっている重度障がい者はどうなるのだろうか。
8時まえに支援センターを出る。
2011年06月16日11:46
白石個人
7時前に起床。
8時半に家を出て、放射線量を測定。神明町・あいえるの会事務所前0.49μ㏜。長者・モールリビン前0.46μ㏜。長者・郷さくら美術館前・0.73μ㏜。その近くのみんなの保険プラザ前1.32μ㏜、急激に2.32μ㏜まで跳ね上がる。緑町・ファミリーマート前0.68μ㏜。センター前0.32μ㏜。センター内0.22μ㏜。窓を開けて換気をしたら0.11に下がる。さくら通りの長者付近が高い。
支援センター
9時過ぎに支援センターへ。
福島県に提出する提案と要望に、入所施設へ非難している障がい者の情報提供の件を、入れることを忘れたので付け加える。
ミクシーをアップして、ツイッター、Yahooメールを点検する。
2時過ぎにWさんとあいえるのトッポ号で福島県庁に向かう。
車中でいろいろな話をしていく。私の応援に大阪から来ていたFさんとはいつ頃からの付き合いなのか?22歳 ごろからの付き合いで、青い芝の会を福島に作ってほしいと私をオルグに来た時からの付き合いだと答える。Wさん、Fさんには大変お世話になったと。被災地障がい者支援センターふくしまは障がい者が主人公であると強く主張していたFさん。そのことを一番分かっているのはWさんかも知れない。
私の言うことは時には暴走することもあるが、言っていることは正しいので、一緒にやっているのだとWさん。本当にうれしい。Wさんは、自分の所の知的障がい者の事業所「にんじん舎」の仕事を半分にして、被災地障がい者支援センターふくしまの活動に力を注いでいる。頼もしい同志である。
2 時半に福島県庁へ。2階のロビーで身障福祉協会のHさんと待ち合わせて、障がい福祉課との話し合いの打ち合わせ。Hさんに、提案と要望の最後に「文章にて回答を」と記してあったが、これをやると行政は嫌うので、この文言は消して、口述して答えを求めた方が良いとのアドバイスを受けて、そのようにする。まあ、喧嘩を売るわけでないので、穏便にいくか。
3時に県庁7階の障がい福祉課へ。主幹兼副課長のSさんといつもの矢吹さんが対応。まずは、私のあいさつから始まり、Wさんが提案と要望の下線の引いてある個所(重要要望)を説明していく。Wさんが話しているときに非常に眠くなる。ぐっと我慢している。
仮設住宅に車いすの障がい者は入れないと話すと、そのような話があったら県に言って欲しい。家族状況を考慮して、仮設住宅を考えるという。果たしてどうだろうか?
仮設住宅の中に福祉サービスの拠点を作ってもよいという厚労省の通達が出ているので、ある町に聞いたところ、高齢者のサービスで手いっぱいなので障がい者のサービスは考ええていないという答えがあったが、県としてはどう考えるのかと質す。そして、市町村と県とで調整してほしいと伝える。
最後に私が、福島県内の避難所や入所施設を回って、障がい者の所在確認を行っていったが、重度の身体障がい者の姿が少なかった。県外の入所施設に避難してい るのではと、問い質せば、市町村で避難先の調整をしているので、県としてはあまり把握していないとのこと。本当かなあ?そして、飯館村からの情報では重度障がい者に関するものは4件あったが、一人入所施設に入ったとのこと。どこの施設に入ったかを教えるわけにはいかないとのこと。ここでもプライバシーの壁が…。
各市町村の担当者に聞いてみないと分からないが、重度の身体障がい者は入所施設にもあまり入っていない模様だ。障がい者の捜索活動の方法を検討しなければならないかも。
もっとWさんは話したが、これまでにしておく。
県との話し合いは30分程度で終わり、帰路に着く。
途中に、二本松の道の駅に寄り、買い物。サイダー、こんにゃく刺身、わさびせんべい、Hさんに甘酒を買う。
Wさんが眠い顔をして運転している。危ない、危ない。
5時前に支援センターへ。
ボランティアのSさんが滋賀に帰っていく。お疲れ様でした。
6時過ぎに支援センターを出て、モールまで行って買い物。EM菌の培養するため砂糖を溶かす鍋、ビンに水分を入れるロート、EM菌の餌とする黒糖を探すがないので、きび砂糖、裂きイカ、焼酎を買って、家に帰る。
居間に行って、パソコンを動かして、きょうの日記を打つ。夜の9時まで。

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