11/23ポジ祭ご報告!

11/23、毎年恒例になった「ずっと続けていく 被災障害者支援 東北⇔関西⇔熊本 ポジティブ生活文化交流祭」(通称:ポジ祭)
あいにくの曇り空で風も強かったのですが、雨も降らずなんとか大盛況のうちに終了しました!
被災地東北・熊本から当事者の皆さんも参加。
東北・熊本の名産や作業所の商品を販売したり、いろんな話をしたり・・・。
年に一回、「ここであえる」という、不思議な思いが生まれています。

(ボランティアさんもたくさん手伝ってくれた本部スペース)

(玉入れに夢中!)



(寒かったので豚汁が早くに売り切れ・・・お腹いっぱいになります!)

(前日から泊まり込み「日常生活支援ネットワーク パーティ・パーティ」の椎名さん。運営本部担当。いつもありがとうございます!)

(一足早いけれどサンタさんも来場!『自立生活 夢宙センターの岡前さん!』)

(ステージも大盛り上がり!ゆめ風のアイドルちなっちゃん(右)、ゆめ風公認歌姫・かのうひろみさん(真ん中)、豊能障害者労働センターのプリンセス・かなちゃん!左)

(ほぼ大阪府内の車いすユーザーの車いす修理を担う、(株)ユーダの社長)
お祭りはそれぞれの立場で楽しみました!
来年は皆さんもぜひ参加してみませんか?
笑顔の中心はア・ナ・タです
(な)

【拡散希望】恒例の!ポジ祭お知らせ!

今年もこのお知らせをブログで書く季節となりました!
「ずっと続けていく 東北⇔関西⇔熊本 ポジティブ生活文化交流祭」
2016年11月23日(水) 11時~16時
長居公園 自由広場

たくさんの屋台やミニコンサート、催し、まさにお祭りです!
楽しく東北や熊本の被災障害者のかたがたと交流しませんか?
皆様のお越しをお待ちしています~~!

香川県でのイベントお知らせ

香川県にお住まいのかたに!
2016年4月16日、13:30~17:3.0(受付13時から)、
高松市総合福祉会館(高松市観光通2-8-20)にて、
ドキュメンタリー映画「逃げ遅れる人々」の上映会と、この映画にもご出演されている、鈴木絹江さんの講演会が開かれます。

<チラシ(表)はこちらをクリックしてください>
(faxで頂いたので荒いですがお許しくださいませ)
<チラシ(裏)はこちらをクリックしてください>
貴重な貴重な講演会です。
長丁場ですが、実際に福島第一原発事故を福島で経験し、その後、避難生活を送っている鈴木さんだからこそ、
言えることがたくさんあります。
愛媛の伊方原発が、もし事故を起こしたら、もちろん香川も被害を受けます。
そのとき、災害弱者は逃げられるのか・・・。
そんなたくさんある課題にも、答えてくださると思います。
是非、お出かけください!

3.11石巻訪問~N協・小西さんからの報告です

震災から5年目となった3.11。
大阪からも、仲間がたくさん訪問していました。
その中から、東淀川区の「ノーマライゼーション教会」の小西さんが、写真とレポートをおくってくれましたので転載します。


ここから転載
3月10日~12日、障害当事者の凪裕之さんとともに「被災地障がい者センター石巻」に行ってきました。
3月10日は、現地で、豊能障害者労働センターの本澤健太郎さん、石原礼さんと合流し、行動をともにしました。
事前に「ゆめ風基金」より預かった折り鶴(※東京の菅原武子さんが折って「ゆめ風基金」に送付いただいた折り鶴)を持って、箕田朗子さん、阿部俊介さん、石森祐介さんら石巻のメンバー、当日事務所に寄ってくれた阿部晃大さん、阿部陽子さんに思いを込めて届けました。
2月28日(日)に放映された「バリバラ」(NHK・Eテレ・バリアフリー・バラエティー)の「『東日本大震災から5年』①障害者の主張」の話題をはじめ、近況や現地の課題、今後の歩み等について話しをしました。
3月11日は、被災された阿部俊介さんの自宅跡で、黙祷・合掌し、祈りました。

その後、車で移動して、日和山公園で新田綾女さん、新田理恵さんとお会いし、上記「バリバラ」で放映された「避難タワー」にスロープの設置を求める要望や活動、近況等の話しをしました。
いろんなことを回想し、思いを馳せ、心に刻んだ一日でした。
3月12日は、電車で移動し、仙台市福祉プラザ(プラザホール)で午後1時30分に開催される「障がい者の防災を考える学習会」(CILたすけっと、ゆめ風基金共催)に向かい、開会前に、杉山裕信さん(たすけっと代表)、高橋愛美さん(たすけっとスタッフ)、豊川健さん(たすけっとスタッフ)、当日のナビゲーター・コーディネーターの(我らが)八幡隆司さん(ゆめ風基金理事)にごあいさつと安否確認。
菊池正明さん(奏海の杜)も参加され、お会いできてすごく嬉しかったです。
ごあいさつ&安否確認の後、会場を後にし、少し歩いていると、横断歩道の手前で、なんと!(仙台市福祉プラザに向かう)及川智さん(現・ありのまま舎、元被災地障がい者センターみやぎ代表、障害者プロレス「ODAZUNA」リングネーム・及川健二郎)とバッタリ遭遇!!
凪さんは、「及川さんに会いたい」と繰り返し言っておられましたので、思いが通じたのだと確信しました(笑)。
 
「被災地障がい者センター石巻」は、この4月から任意団体のまま、名称が「障がい者ベース 石巻にょっきり団」になるとのことでした。
「ゆめ風基金」や全国からの支援を受けながら、2011年10月「被災地障がい者センター石巻」が設立されました。
この「センター石巻」の背景・基礎・基盤には、当時よりボランティアで寄り添い、ず~っとかかわり続けた大薗拓郎さん(現・いこらースタッフ)の存在を抜きに語ることはできません。
私たちもその思いに共感・連帯し、それぞれのミッションでかかわってきた同志であると、心からリスペクトしております。
今後、この1年度は「ゆめ風基金」の支援により、継続して現在の石巻事務所の場所が確保されると聞いております。
今後の取り組みをどう進めていくのか、課題とミッションを展望して取り組まれていかれると思います。
これまで、当事者や親ごさん、地域住民、関係団体、教育関係者、様々なボランティア、マスコミ・報道関係者等をはじめ、本当に多くの人のネットワークをつくってこられた「被災地障がい者センター石巻」。
その「人のつながり」の持ち味、エネルギー、パワーを一層大切にして歩んでいってほしいと心から願っております。
もうすでに「地域活動支援センター」のような活動と役割を力いっぱい発揮されていると、熱く実感しております。
ボランティア「応援団」としては、これからも、現地の歩みに連帯し、継続して、マイペースでかかわっていきたいと思います。
「写真」や「スケッチ」も、相変わらずマニアックに続けていくと思いますが・・・m(_ _)m(笑)。
 【小西寿一(ノーマライゼーション協会)】

(ゆめ風基金会員の菅原武子さんが折ってくださった千羽鶴。無事、被災地にお届けできました!)

「東北関東大震災障害者救援本部」活動報告・政策提言集会に行ってきました!

先日、2月17日、「東北関東大震災障害者救援本部」活動報告・政策提言集会が東京の衆議院第二議員会館で行われ、ゆめ風基金からは、橘高事務局長、八幡理事、私・長崎が参加してきました。
東京や大阪など一緒に活動してきた救援本部は活動を終え、被災地それぞれが活動を始めています。
今回の集会は、震災以降の活動をスライドで上映したり、問題提起や被災地からの「今までとこれから」を報告したりと
盛りだくさんの内容で行われました。
217東京
第一部では上記の発表があり、救援本部の経験を活かし、提言集を冊子として発行しました。


A4サイズで15ページ。
救援活動で一番重く強く感じたことは、日ごろの障害者が抱える社会問題が、震災という災害でより大きく顕著になったことです。
それらを簡潔にまとめたのがこの提言集です。
今後の活動の大きな指針にもなります。
ほしい!というかたは、ゆめ風基金までメールや電話でお知らせください。
参加者の熱気であふれかえった会場は、休憩を挟んで茶話会へ。
1部とは違ったざっくばらんな会となりました。
(ちなみに進行は私でした~)
『もうすぐ震災から5年とマスコミなんかは言うけど、被災者にとっては日々続いていく日常の1コマで、区切りなんかつかないし、つけられない』との被災地の言葉は、まだまだ続く支援の重みを感じました。
合同の救援本部での活動は終わりましたが、ゆめ風は、活動を続けます。
ゆめ風基金を知らないかたには、是非、お知らせください。
何かお力になれるかもしれません。
復興にはまだまだ時間がかかる。
これからも、いろいろご報告していきます。
(長崎 圭子)

いわき市なこそ授産所に救援金をお送りしました!

本日、福島県いわき市勿来(なこそ)にある「なこそ授産所」に、グループホーム建設資金として、
5,000,000円を送金いたしました。
被災直後から自己資金で、ひび割れた場所の修繕や、作業所仲間へのお見舞い金などを、いわき市内あちこちに贈っておられた、高村所長。
そんなこんなの事情があり、自己資金も不足して、味噌倉庫改築や、念願のグループホーム建設をあきらめるのか、というとき、人づてに、ゆめ風基金のことを知り、SOSを。
去年、実際に現地を訪問し、お話を伺ってきました。
震災直後から、福島第一原発の影響でたくさんのかたが移住して、そのかたがたと親睦を深めたり、地元で30年、地域の皆さんと共生してきたその「力」も拝見し、何かお手伝いができないかと考えていたところでした。
皆様のご支援のおかげで、また一つ、仲間の笑顔が増えました。
ありがとうございます。!
なこそ授産所の紹介はこちらから↓
なこそ授産所のホームページです
作業所の皆さんが作るおいしいお味噌はこちらから↓
しあわせ味噌注文画面

救援金をお送りしました

去年の5月に八幡理事と訪問した、福島県二本松市の、「特定非営利活動法人コーヒータイム」に、
5,000,000円を送金いたしました。
去年の月に、私と八幡理事がお邪魔しています。
(過去記事 は こちら
就労継続支援B型作業所として、カフェを運営。
東日本大震災により町全体が避難区域となり、利用者やスタッフは二本松市をはじめとして各地への避難を余儀なくされました。
仮の作業所として運営していた場所がかなり手狭で・・・。
今後を考えると広い場所へ移りたいとおっしゃっていました。
そして、やっと移転先が決まったとのこと。
新しくスタートするのに、もろもろ費用がかかるということです。
移転し、再々スタートをきったときには、またお邪魔してこようと思います。
皆様のご協力は、このようにしっかりと必要なところへ届き、障害者の集える場所へ、仲間と笑ったり泣いたりできる、大事な場所の確保に使われています。
皆様、本当にありがとうございます。
(な)

常総市を訪問してきました

常総市を訪問して  長崎 圭子 
今年の9月10日。テレビで鬼怒川堤防が決壊し、大量の土砂や水が市街地になだれ込み、家や農作物を呑み込み、流していったあの映像を、沢山の人が今も記憶していることと思います。
あれから3ヶ月。
今、どうなっているのかを確かめたくて、八幡理事と訪問してきました。
一か所目は
「特定非営利活動法人あうんの会」常総市地域活動支援センターさぼてん

ここでは、精神に障害がある方などが袋詰めなどの作業をしに通っています。
いつもはみんなが過ごす一階部分が、1mほど水没したそうです。
みんなで掃除をしたデッキブラシなどが写っています。
中に入ると、水に使った部分の泥などはかき出されていましたが、一階は、畳、床板など全部はがして、濡れたところを乾燥させるため、寒いのに窓を全開にしていました。

壁の茶色く変色している部分まで浸水・・・。
電動車いすの私の座高をすっぽり呑み込む深さ。
電動車いすは、水深15㎝ほどでモーターがやられ、動かなくなります。
3.11の映像を観たときにも感じた「だめだ、助からない…」というあの絶望感が襲ってくるのです。
水に浸かると、電化製品はもちろん使えないし、畳もカビがはえます。
再会は10月7日だったそうですが、ボランティアさんたちやメンバーさんも一緒に、泥かきや消毒など、何日も続けたとか・・・。
職員の大塚さんが話してくれました。
「あの日の大雨で、うちは鬼怒川と小貝川を結ぶ「八間堀川(はちけんほりがわ)」という支流が越水(えっすい・堤防を越えてあふれでた水)して、ここらへんみんな浸かったんですよ。
1mも。
決壊したところからは8.5キロも離れてるのにねえ。
2~3日、水が引かず、カヌーで消防やらいろいろ来て、一軒ずつ人が取り残されていないか探してたそうです。
私も最初の一ヶ月くらいの記憶がなくて…。
半年ぐらい前のことに感じるけど、まだ三ヵ月しか経ってないんやなあって。
よく建物が残っているなあ、奇跡のように思います。
汚れた床を高圧洗浄するボランティアに来ましたって言って、終わったら5万円請求されたとか、そういう話も聞きます。」
ゆっくり2階への階段を上ると、ラジオから懐メロが流れる中、当事者の皆さん、10人ほどが作業をしていました。
ホームセンターなどで売っているカーテンフックを、5個ずつビニール袋に入れ、商品名を印刷した厚紙で挟み、ホッチキスで止める。
慣れた手つき!
「腰まで水がきて怖かった・・・。歩きにくかったです・・・。
姉ちゃんと避難所に、1週間行ってたけど、薬がなくて困った。今は大丈夫です。」
と、いつもの「居場所」で、仲間と一緒に過ごす時間を、なんとか取り戻せたメンバーさんが話してくれました。
床上浸水したメンバーは3人いて、家財道具や思い出の数々がだめになった人もいました。
ゆめ風基金のことをお話して、次の訪問先へ。
途中、あちこちの家の壁に「黒ずんだ線」が入っているのを見ました。

私の頭の上、まで浸水したという・・・「しるし」ですね・・・。街のあちこちにありました。
また、近所のファミレスでは、厨房のレンジや換気扇、その他調理器具や椅子、テーブルなどが浸水し、
買い替える資金がないので、閉店するしかないとか・・・。
今回は時間の都合で日帰りでしたが、電話でお話を伺って「大丈夫ですよ」とおっしゃっていても
全く「大丈夫ではなかった」ことを確認できました。
備品やら車やら、必要なものがたくさんでてくるのがこれからです。
再建は、まだまだ。
これから、これからなのです。
(長崎 圭子)

南三陸訪問記~その2

南三陸の今
といっても、東北は広く、ほんの一部しかお伝えできないこと、お詫びします。
東北には百回以上来ているという、大阪の自立生活センター「いこらー」の大薗さんが、石巻から南三陸への往復を手伝ってくれました。
帰りには、にこまる祭で知り合った東京の歯科医師さんも同乗して、被災地めぐりをしました。
まずは、かさ上げ工事の様子です。
津波があった場所をかさ上げするために、トラックが走り回っています。
この写真は、「南三陸防災庁舎跡」です。


皆さんもご存じかと思いますが、津波発生後も「高台へ避難してください!」と、防災無線で呼びかけ続けた職員さんがいた、
あの建物です。
たくさんの花やお線香が備えられ、お参りに来ている人も大勢いました。
その奥の土砂が、10m~15mにも及ぶ「かさ上げ」中の工事です。
最終的には、コンクリートで固めるのでしょうか?
今、また津波がきたら、流されるであろう、土の塊。
もっと近くに寄りたかったのですが、敷き詰められた新しい砂利が、電動車いすの歩みを止めてしまいます・・・。
道路はだいぶんきれいになってきたように思えますが、
リフトカーに電動車いすで乗っていると、かなりの衝撃を受けます。
このあたりから、車酔いしていたのかもしれません。
次に訪れたのは、大川小学校跡地です。
2015101015080001 (1)
あの日、全校生徒108人のうち、7割にあたる74人が死亡・行方不明となったところです。
風に乗って、こどもたちの笑い声が聞こえたように思え、そこから思考が停止する。
「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた校内では、枯葉を掃除する老人が。
花壇の手入れをしていたかたと会話をしている。
枯葉を、びし!しゅっ!と打ち付けるように掃いていたかたはご遺族だろうか・・・。
部外者を拒む空気は、当事者ならば当然と思える。
お地蔵さんが並んでいる。
その写真も撮りたかったのだが、ここも砂利が行く手を阻む。
遠くから、手を合わせ、祈る・・・それしかできなかった。
改めて衝撃の現場を見て感じることは、もう「想定外」という言葉は聞きたくない、ということだった。
ここは大丈夫だろうという先入観や、予測不可能、ということを言い訳に、子供や高齢者や障害者を犠牲にしてはいけない。
災害は防げない。
ならば、被害を減らすにはどうしたらいいのか。
考え行動する時間が、たぶんまだ私にはあるはずだ。
皆さんと一緒に考えて、未来に活かしていければと誓った。
それが今を生きるものの使命でもあるのではないか。
どうか、私たちに、力を貸してください・・・。
(長崎 圭子)