南三陸訪問記~その2

南三陸の今
といっても、東北は広く、ほんの一部しかお伝えできないこと、お詫びします。
東北には百回以上来ているという、大阪の自立生活センター「いこらー」の大薗さんが、石巻から南三陸への往復を手伝ってくれました。
帰りには、にこまる祭で知り合った東京の歯科医師さんも同乗して、被災地めぐりをしました。
まずは、かさ上げ工事の様子です。
津波があった場所をかさ上げするために、トラックが走り回っています。
この写真は、「南三陸防災庁舎跡」です。


皆さんもご存じかと思いますが、津波発生後も「高台へ避難してください!」と、防災無線で呼びかけ続けた職員さんがいた、
あの建物です。
たくさんの花やお線香が備えられ、お参りに来ている人も大勢いました。
その奥の土砂が、10m~15mにも及ぶ「かさ上げ」中の工事です。
最終的には、コンクリートで固めるのでしょうか?
今、また津波がきたら、流されるであろう、土の塊。
もっと近くに寄りたかったのですが、敷き詰められた新しい砂利が、電動車いすの歩みを止めてしまいます・・・。
道路はだいぶんきれいになってきたように思えますが、
リフトカーに電動車いすで乗っていると、かなりの衝撃を受けます。
このあたりから、車酔いしていたのかもしれません。
次に訪れたのは、大川小学校跡地です。
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あの日、全校生徒108人のうち、7割にあたる74人が死亡・行方不明となったところです。
風に乗って、こどもたちの笑い声が聞こえたように思え、そこから思考が停止する。
「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた校内では、枯葉を掃除する老人が。
花壇の手入れをしていたかたと会話をしている。
枯葉を、びし!しゅっ!と打ち付けるように掃いていたかたはご遺族だろうか・・・。
部外者を拒む空気は、当事者ならば当然と思える。
お地蔵さんが並んでいる。
その写真も撮りたかったのだが、ここも砂利が行く手を阻む。
遠くから、手を合わせ、祈る・・・それしかできなかった。
改めて衝撃の現場を見て感じることは、もう「想定外」という言葉は聞きたくない、ということだった。
ここは大丈夫だろうという先入観や、予測不可能、ということを言い訳に、子供や高齢者や障害者を犠牲にしてはいけない。
災害は防げない。
ならば、被害を減らすにはどうしたらいいのか。
考え行動する時間が、たぶんまだ私にはあるはずだ。
皆さんと一緒に考えて、未来に活かしていければと誓った。
それが今を生きるものの使命でもあるのではないか。
どうか、私たちに、力を貸してください・・・。
(長崎 圭子)

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