被災地障がい者センター石巻のブログより

被災地障がい者センター石巻のブログより
 2012年1月17日(火)に、石巻の障がい者スタッフが京都の日本自立生活センター(JCIL) という障がい者の自立支援事業所へ研修に行くことになりました。
障がい者スタッフI君は将来的には独り暮らしをしたいし、仕事として障がい者のピアサポートをしたいと考えております。
自分の将来に向けて、今回はJCILで研修を行い、地域での自立的な活動を体験することになりました。
今回の京都研修を毎日メールで報告するとのことなので、今回はその報告をブログにアップしました。
ツイッターでは報告していますが、改めてその全文を、ノーカットで掲載いたします(但し、名称はイニシャルにしております)。
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 今日は午前中にJCILの共同作業所のワークスを見学し、午後から京都市シルバー人材センターにて障害者権利条約の批准に関する会議に参加しました。
 あとは二条城を観てきました。
 3日目はJCILのTさんDさんの二人と共に西京区の「療護園」という施設を訪問し、利用者のKさんという方の話を聞きました。そこでは彼は施設を出て、地域で暮らす事を望んでいました。施設ではプライバシーが殆ど無く、施設側が決めた生活リズムに縛られており自由に行動が出来ないらしいです。Kさんの話を聞き、施設に入所している方の中にも地域での暮らしを望んでいる方が多くいるんだなと改めて考え、彼らが自立した生活をするには長い期間を継続して行う必要がある事を痛感しました。
 4日目から京都は強い雨が降り始めました。それから2日続いた雨によりしばらく続いた乾燥注意報も解除されたの事。その日は午後から活動が初まり、その日は烏丸線という地下鉄の沿線上の駅のホームに柵を取り付けるよう要請する為の署名活動を京都市役所の地下鉄入口付近で行い、それをサポートしました。
 時間帯が午後4時から2時間行い、意外と多くの方が署名してくれました。そこでJCILのメンバーの何人かが車椅子にプラカードを取り付けていましたが、皆に見てもらうには中々良い方法だと思いました。近い内に私達も実践する必要がありそうです。最も、私達の地域は柵以前の問題なんですがね…。
 その日は活動終了後JCILの数人と共に飲みに行きました。意外にそこはチェーン店の蕎麦屋でした。そこで私は何を思ったのか焼酎とレモンハイを真っ先に飲んでしまい、頭がクラクラしながら蕎麦をすすりました。何で飲んでしまったのだろう?
 5日目は前日の雨が止まず、少し憂鬱な気分で1日が始まりました。その日は午後からの三条アーケードでの東北の被災地に向けた募金活動が中心でしたが、前日の署名運動に比べ効果は今一つに感じました。前日から雨が降り続き急ぎ足の人が多かったのもあるでしょうが、段々皆から東北の震災の事が薄れつつあるようです。やはり直に体験しないとすぐ記憶から薄れるんだなと私は少し悲しくなりました。ただそれ以上にまさか活動終了後にまた前日と同じ店にいくことになるという驚きの方が強かったのですが。
 昨日は日曜で活動が休みという事もあり、市内を観光しようと思い前日誘ったJCILの数名と共に京都の街を見て回りました。観光スポットとして有名な場所を2、3ヶ所行きましたが特に清水寺が素晴らしかったです。あの境内から見た京都の街並みは忘れられません。あと色々土産物を購入出来たのも良かった。
 その後JCILのメンバーの一人であるYさんの部屋に泊まってます。NHKの取材と重なり色々緊張してます。
 
被災地障がい者センター石巻のブログ
日本自立生活センター(JCIL)

ぷくぷくの会「まねき猫通信」特集記事・被災地報告会

 昨年の11月23日の東北⇔関西ポジティブ生活文化交流祭の中で開催された被災地報告会のくわしい報告ができないままで、もうしわけなく思っています。
 参加された方々から「すばらしいシンポジウムだった」と高い評価をいただき、参加できなかった方々から「ぜひ内容を知りたい」という要望が多数寄せられています。
 その中で、シンポジウムに参加されたぷくぷくの会発行の「まねき猫通信」の特集記事がとてもよくまとまっていることから、「まねき猫通信」編集部のご協力をいただき、転載させていただきました。
 下の下線部分をクリックしていただきますと、Word文書が開きます。
 「まねき猫通信」では次号で、シンポジウムで衝撃的な事実を証言された原発被災地・福島県南相馬市の青田由幸さん(デイさぽーと・ぴーなっつ)のお話を特集される予定です。
ぷくぷくの会発行「まねき猫通信」2012年1月2日発行

ありがとう。1月14日の街頭募金

1月14日の街頭募金は19人のご参加をいただき、53307円の募金額となりました。
参加してくださったみなさん、そして募金してくださったみなさん、ありがとうございました。
次回は1月28日(土)午後1時~5時 大阪なんば高島屋前です。
よろしくお願いします。

1995年1月17日

 今年もまた、特別な一日が終わろうとしています。17年前の1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。6400を越えるいのちが失われてしまったこの大災害では、避難所から仮設住宅、そしてがれきが取り除かれ、町が復興していく過程でも次々と困難が押し寄せ、時には生き残ったいのちさえもが奪われました。
 町全体が混乱と困難に覆われる中、障害者はより過酷な状況にありました。
 避難所になった学校や会館そして仮設住宅は、障害者市民にはとても使えるものではありませんでした。また視覚や聴覚そして知的に障害がある市民には最低限の必要な情報が届かず、非常事態における被害が直撃しました。
 そんな困難な状態の中、被災地の障害者市民の生きる場・働く場をつくってきた障害者市民グループと全国の障害者市民グループが結集し、障害者救援本部を立ち上げました。救援本部は緊急の救援物資を届け、介護者を派遣し、車イスを利用する人に対応した障害者用住宅を建設しました。
 全国からの支援に力づけられた被災地の障害者たちは、届いた救援物資を活用して寒さにふるえる地域の人びとに豚汁を炊き出し、独居の高齢者に手づくりの弁当を配りました。
 障害があるひともないひとも、みんなで助け合っていこうとした被災地の障害者たちの行動は地域全体を元気づけ、またそれを支援した全国の障害者たちを勇気づけました。
 ゆめ風基金は障害者救援本部の支援活動を受け継ぎ、ふだんから非常事態に備え、必要なときにすぐに救援金を届け、長期的な支援をしていくために結成されました。
 それから17年の間、全国のたくさんの方々から預かった基金で、各地で発生した自然災害に被災した障害者を支援してきました。
 そして、昨年の3月11日、東北関東大震災が起きてしまいました。
 あの日から今日までの被災障害者支援活動を振り返ると、次々とやってくる過酷な現実に押しつぶされそうになるところを、被災地の障害者と全国各地の障害者がつながることでなんとか持ちこたえてきたというのが正直なところだと思います。
 17年前の寒い朝から、わたしたちは2つの「時」を生きてきたのだと思います。ひとつは失われたいのちたちの夢を刻むはずだった「無念の時」、もうひとつはがれきの下から立ち上がり、共に生きる社会をつくりだす「希望を刻む時」、この2つの時の間で、わたしたちの心の振り子は激しくなるばかりでした。
 それでも、わたしたちの社会は「共に生きること」、「助け合うこと」以外に生きる道がないことを、わたしたちは知りました。共に生きることも助け合うことも実は簡単なことではなく、とても勇気がいることで、数千人の命がうばわれてしまった悲しみをもってしても、わたしたちの社会はその勇気を持てないのでしょうか。
 今回の大震災の被害は、阪神淡路大震災を経験した障害者ですら、ただただ言葉をなくすばかりと証言しています。
 17年前の教訓が生かされていないと怒りを表しながらも、だからこそ17年前から夢見てきた「共に生きる社会」は被災地の障害者とつながることからしかつくりだせないと、障害者自身が被災地を訪ね、また被災地の障害者が移住するための受け入れなどもすすめられています。
 その意味からも、障害当事者によるボランティア派遣プロジェクトは、これからの障害者の運動の大きな可能性を予感させる大切な活動だと思います。
 さらに今回の災害はその上に福島原発事故を引き起こし、わたしたちが見過ごしてしまった大きな問題が解決できないまま、次の世帯、また次の世代へと負の遺産を届けることになってしまいました。福島の障害者運動は地域で地道な学習会をすすめ、自分たちのためにも、また地域のひとたちのためにも、そして未来を担う子どもたちのためにも原発をなくしていく運動を続けておられます。
 阪神淡路大震災の時、被災地にも春が来て、桜が咲きました。こんなに大きな苦しみをもたらしながら春の手紙を届ける自然を一瞬うらめしく思いました。しかしながら、ふりかえるとほんとうに「痛い春」でしたが、それでもこの自然とつきあうことでしか人間が生きられないことも知りました。この年に被災地に生き残った桜がひときわきれいで、被災地のひとびとの心をいやしてくれたことも事実としてあります。
 今回の過酷な状況もまた、どれだけの時間を費やせば希望がやってくるのか、まったく先が見えないこともたしかですが、ゆめ風基金を応援して下さる全国のみなさんに支えていただくことで一歩また一歩、問題を解決していきたいと思っています。
 これからも、ご支援をよろしくお願いします。

ノートパソコンを寄贈していただきました。

 昨年秋、アイ・ティー・エス・ジャパン株式会社のご協力で、ノートパソコンを6台、被災地障がい者センター宮古、被災地障がい者センター石巻、ゆめ風基金事務所に贈っていただきました。
 アイ・ティー・エス・ジャパン株式会社の中古パソコン事業・Be-Stockの呼びかけに応えてくださったユーザーの方々が寄贈されたノートパソコンを調整し、「復興支援に役立ててほしい」と贈っていただいたものです。
 昨年の秋から沿岸部に新しく拠点をつくり、活動費が増える一方、支援金の入金が少なくなっている中で必需品であるノートパソコンをいただけたことは、とてもありがたいことでした。
 お話をいただいた時はまだ沿岸部の拠点が建設中であったため、写真をお送りできなかったのですが、ようやく先日お届けしたところ、早速ブログで取り上げてくださいました。
 アイ・ティー・エス・ジャパン株式会社のみなさん、中古パソコン事業・Be-Stockの呼びかけに応えてくださったユーザーのみなさん、ほんとうにありがとうございました。
掲載していただいたBe-Stockのブログ

本日午後1時より街頭募金を行います。

本日14日(土)午後1時より午後5時まで、大阪なんば高島屋前で街頭募金を行います。
 風が強く寒いので、参加されるみなさんはほんとうに大変だと思います。
 どうか暖かい服装でご参加ください。午後1時より午後5時までの時間帯のどの時間に参加していただいても結構です。
 よろしくお願いします。

国連の「世界ボランティア白書」

 ボランティア国際年の10周年を記念して、国連(UNV)が初の報告書となる「世界ボランティア白書」を発表し、その中の「社会包摂の力としてのボランティア活動」として、ゆめ風基金の「障害当事者派遣プロジェクト」の活動が取り上げられました。
 英文で約120ページの白書は日本人の活動にも触れながら、ボランティアと幸福の関係や、すべての人を排除せずに包み込む「社会包摂」の理念など、活動の未来像も提示しています。
 「障害当事者派遣プロジェクト」は、ゆめ風基金の被災地障害者支援活動の中でも、被災地の障害者の提案から生まれた重要な活動で、障害者ボランティアが介護者と共に被災地を訪れ、障害当事者による被災障害者へのピアカウンセリング的な聞き取り、働きかけによるニーズ発掘をすすめようというプロジェクトです。
 障害者が遠くから応援に来てくれたことで、健全者ボランティアには言いにくかったことも話してくれるようになり、ほんとうに必要な支援活動を進めていくことができました。
 また、ボランティアとして被災地を訪れた各地の障害者にとっても、被災地の障害者とつながっていくことで現状を共有し、被災地の障害者の自立生活をすすめるために行動を共にしようとしています。
わたしたちはこの活動が、当面の支援活動としても日本全体の障害者の自立生活運動としても大きな足跡を残す予感を感じます。
 国連(UNV)の「世界ボランティア白書」の中で「障害当事者派遣プロジェクト」が取り上げられたことは、わたしたちにとっても心強く思います。
2011年12月24日 京都新聞朝刊

2012年の活動 被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部

被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部
~2012年の活動について~
日時:2011年12月27日(火)
文責:大薗 拓郎
◇はじめに
 被災地障がい者センターみやぎ・石巻支部(以下「石巻支部」)は2011年10月1日に事務所を設立し、活動を開始しました。以前からの活動として、障がい者や関係者からの物資の支援や悩み事の相談、行政や福祉事業所の調査、避難所や仮設住宅の戸別訪問や調査などの活動を行ってきました。その活動を通じて障がい者や関係者の方々と出会うことが出来ました。
 石巻事務所を設立して、まず最初に何をしたのかと言えば、障がい者や関係者の方との話し合いでした。ボランティアとして5月下旬から宮城県に入り、主に石巻を中心に上記の活動を行ってきた者と、石巻地域で障がいを抱えながら実際に生活をされ、地域の中で育った方や、実際に行政と話し合いを持ったり、地域資源を活用し重度の障害を抱えながらも在宅生活の実現をされたり、地域福祉活動を展開されてきた方々との話し合いは、まず「何の話し合いをしたらいいのか?」から始まったように記憶しております。
 ボランティアの立場と地域で生活をしている立場。この立場の違いに双方ともに戸惑っていました。私が「地域の中で自立的な生活を送るための話し合いです」といえども、私自身、具体的な提案が出来なかったのは事実です。しかし、こうやって様々な立場の方々が良くわからないままであったとしても、場所に集い何かを話し合う空間が、きっとこの閉塞した地域を打開していけるであろう、という不確定な確信だけは持っていました。
 それから3か月余りが過ぎました。その間、様々な活動を通じ「何の話し合いをしたらいいのか?」という議題が少しずつですが、明確に見えてきたように思います。身体障がい者の方は、自らビラを作成し地域の中でポスティングを始めました。今まで行ったことのない東京や大阪などで講演も体験しました。
 その様々な活動の中から、震災前には現実的に不可能と思われてきた人との繋がりが生まれました。地域福祉活動を行っていた団体も、少しずつではありますが活動を再開しました。知的障がい者の方は自分の人生に新たな選択肢が増えました。医療的ケアが必要な障がい者の方の中には、震災前とは比べるべくも無いほどの支援という人との繋がりを構築された方もいます。
 「何の話し合いをしたらいいのか?」から「(自分の障がいに合わせて)実際にどのような活動をするにはどのような支援が必要なのか?」という「話し合い」が出来るようになったと感じております。
 2012年も引き続き、様々な活動を実現するための支援やアイデアが必要です。2011年の出来事が単なる「障がい者支援活動」で終息するのではなく、継続性のある「障がい者の地域での自立生活の支援」に発展できるような石巻支部の活動と支援をこれからも、皆様と話し合いが出来るような形にしていきたいと考えております。以下の活動はあくまでもわたくし個人の提案でありますが、その他、様々なアイデアやご批判などを承りたく提案させて頂きます。
◇2012年障がい者の活動の提案とボランティアの支援活動
*阿部・石森の活動
・石巻地域の店舗などの取材活動の支援
・取材活動の報告と記事の作成
・活動や取材などの冊子作りの支援
*知的障がい者の方の支援
・レスパイトやガイドヘルプの支援
・絵画が得意な当事者の支援
*地域福祉活動団体
・時折に依頼される活動の支援
*調査
・行政や社会福祉協議会
・福祉事業所
・ボランティア団体
・仮設住宅
・仮設グループホーム
・サポートセンター
・地域資源
*企画
・毎月行う予定の勉強会などの企画の提案と実行支援
・イベントの企画と実行支援
◇終わりに
 石巻地域及び石巻支部の活動は、被災地の復興との関連であったり、障がい当事者や関係者の考え一つで、活動が変更する場合が多々ございます。その変更を柔軟に対応しつつボランティアとしての支援をしていただければ幸いと考えております。また上記の提案以外にも様々な支援があると思いますが、そのような支援や企画やイベントなどのご提案を合わせてして頂ければとも考えております。

12月24日 街頭カンパ活動報告

2011年12月24日街頭募金
 クリスマスの買い物客、クリスマスデートのカップルが行きかう高島屋前で恒例の街頭カンパ活動を行ないました。私は3時から5時までの2時間だけ立ちました。いつも立っている柿久保さんの話によると、いつもより入りは多いとのこと。
 カンパを入れてくれるのは若い人が多かったように思います。中学生(?)高校生くらいのグループや、20代、30代とおぼしき人たちが結構入れてくれました。一人の男性は、突然、箱の中を覗き込み「たいしたことないなあ」とポツリ。財布を出してお札を捜すも0だったみたいで、小銭いれから500円玉を「ちょこっとですいません」と言って入れてくれました。隣では馬券(?)でもいいかと聞いて入れてくれた若い男性もいました。
 また、「うちにも障害の子がいるからわかります、がんばってくださいね」と言ってカンパを入れて下さった方もいます。途中でチラシもニュースもなくなってしまったのは少し残念でした。
 とても寒かったので大声で呼びかけると、少しは体が温まるような気がして、「お願いします」「ご支援ください」を連呼。関心を向けてくれる通行人も多かったように思います。
 立っている間は気がつかなかったのですが、終わってみると障害がある方の足が完全に固まるというか、しびれているというか、感覚がなくなっていて歩くのにガクガク。淡路島から来ていたN君たちと鍋を囲んで温まってから家に戻りました。
 みんなとても元気に声を出し続けてカンパを呼びかけていました。皆さん、ご苦労様でした。
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2011年12月24日街頭募金

「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」

2011年~なぜ「東北⇔関西」だったのか
 11月23日の「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」ではお世話になりました。
 本当に多くの思いのある人が扇町公園にお集まりいただきました。そして、東北からも障害当事者や支援者。震災以降、関西に県外避難してきた方々。
“東北と関西”が双方向な関係になれるきっかけとなりました。
 今回の東北・東日本大震災で強く感じたことは、「自分たちがどう生きていくのか、生き抜いていくのか」ということでした。
 この震災は遠い東北の問題ではなく、わたしたちひとりひとりが考えなければいけない、動かなければいけない問題でした。
 震災以降の被災地での現実や放射能のこと。わたしたちは棄てられるし、見殺しにされる。
 3月後半より、東北3県(岩手・宮城・福島)で被災された障害者救援活動に関西のみんなの力を結集して、取り組んできました。
 わたしたちは阪神・淡路大震災の経験を基に、救援活動をずっ~と5年、10年、それ以上でも続けていかなければならない決意で今回の震災に向き合おうとしています。
 わたしたちの活動をより多くの人に知ってもらおう!!
 ということで、なにかおまつりをやろうと実行委員会が発足したのが6月。
 「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」
 東北での救援活動でも、現場からいろんな声が聞こえてきました。
 東北の人は○○だからとか、関西の人はやっぱり○○だとか・・
 生活感も土地柄も人柄も違うそれぞれの異文化がむき出しのまま、ぶつかっていました。
 逆に東北から関西に県外避難してきている方々も不安や心細さを抱えながら、いま生活しているのではとも感じていました。
 こんなきっかけだけど、関西のわたしたちの思いや土壌を知ってほしい。東北の風土やそれぞれのみなさんが持たれている生活文化をわたしたちも知りたい。
 東北と関西、これも何かの縁ですから双方向にお互いが交わることできっと新しい自分たちの生活文化が芽生えてくるのではという思いからスタートしました。
 関西からだけではなく、日本中から様々なかたちで東北を応援している人同士が結びつくことや、東北のなかでも今、奮闘されている人やこれからのことを考えている人。
 わたしたちのテーマは、障害があってもなくても、いかに生きていくのか・・多くの方のどんなに小さなアクションでもいい。そのアクションが集まっていくことにも、このおまつりがきっかけになればと今でも考えております。
 11月23日を終え、この一年をふりかえったときに感じたことは「みんなで生きていける」ということでした。
 みんながひとつになってではなく、それぞれがそれぞれの思いやアクションで被災地支援を含めた東北の復興へ向き合ってきました。そしてみんなそれぞれの立ち位置で日々、関西での営みとも向き合っています。
 わたしたちは引き続き、東北被災障害者救援活動を続けていきます。
 なんば・高島屋前での第2・4土曜日の募金活動も続けていきます。
 また、みんなが集まれるような「東北⇔関西 ポジティブ生活文化交流祭」も続けていきます。
 さあ、2012年はどうしていきましょうか?
 来年もゆめ風基金及び東北被災障害者救援活動を何卒、よろしくお願いいたします。
         特定非営利活動法人 日常生活支援ネットワーク パーティパーティ
                                             椎名保友