ヒデの救援レポート 2015年2月6日№172

●このリポートを発信した、2月6日午前に、徳島県南部で、震度5の大きな地震がありました。
被害報告はありませんが、自然災害列島に住むボクたちは、常に防災の構えが求められます。
お互いに用心深い日常を送りましょう!
●前回からの続き
AM7:30。
関西空港から北へ飛び立つ。
予定通りに仙台空港に到着。
仙台空港アクセス線にてJR仙台駅へ。
東北新幹線「やまびこ」でJR盛岡駅(岩手県)到着。
時はまだAM11時過ぎ。
岸和田から盛岡までの直線距離約777キロをたったの5時間半程で移動する。
朝ドラ風に表現するならば、まさに「じぇじぇじぇ!」とか「てっ!」とか「わしゃぁびっくりじゃけぇ!」などの驚愕の表現なのでごいす。
盛岡駅周辺を散策し、昼食時は地元ソウルフードを堪能しょうと話し合い「わんこそば」「盛岡冷麺」など思案した挙げ句、
「じゃじゃ麺」をセレクト。
美味しゅうございました。
昼食後、NPO法人:結人・被災地障がい者センターみやこの黒柳さんがハイエースで迎えに来てくれました。
本日の目的地である朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった「北三陸町」もとい「久慈市」へと向かう。
国道4号線を北上し、281号線で東へと車を疾走。
長閑な岩手県の山間の風景に魅了されながら聖地へ到着。
久慈市では「北アリス線・久慈駅」や「小袖浜」などの聖地を巡礼。
聖地巡礼を終え、一路、宮古市へ向けハイエースで45号線を南下させる。
その道中に「グリーンピア三陸みやこ」仮設住宅の見学をしました。
その後、NPO法人結人の事務所で一泊させて頂きました。
・7月26日(土)。旅の二日目は事務所の近所にある魚市場を散歩がてら寄り道してから、「結人」スタッフの佐々木さんを含む3名はハイエースで45号線を南下し、宮城県石巻市を目指す。
「国道45号線」とは、宮城県仙台市から青森県青森市までを沿岸で繋ぐ国道です。
強引な言い方をすると、45号線のその殆どが大津波の甚大なる被害を被った地域と言える。
現在では震災の爪痕は喪失し、瓦礫も建物の土台すら撤去された平坦な更地は無機質さを演出し、山林を削った大量の土砂は、その無機質な更地に渦高く盛る。
10m以上も土を盛る。
45号線を車で走ると、更地と土盛り作業をいやが上にも目にすることになる。
【東谷氏の感想】
私は実際に起きた津波の状況を被災地で直に見ていない。
映像で見た津波や瓦礫だらけの被災地と、今回初めて訪れた被災地のギャップに驚愕を隠せないでいた。
真っ新になった大地に、嵩上げのための10M以上に上る巨大な盛り土工事。
それと並行するかの如く走る高速道路の工事。
しかし、震災から3年以上経った現在においても仮設住宅で生活を余儀なくされる被災者の方々と、遅々として進まない復興住宅の建設。
これらのギャップを上手く言葉にすることが出来ないもどかしさを痛切に感じた被災者の風景だった。
宮古市を出発し、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、宮城県に入り、気仙沼市、南三陸町を駆け抜けて石巻市に到着。
二日目の宿は石巻駅の近くにあるサンプラザホテル。
明日行われる被災地障がい者センター・石巻主催のイベント『みちのくにょっきりフェスティバル』に参加するため、夜の石巻の繁華街を徘徊し、英気を養う。
・7月27日(日)
本日は被災地障がい者センター・石巻主催の『みちのくにょっきりフェスティバル』に参加しました。
風が強く会場を包む。
初夏の日差しが来場者を容赦なく照りつけ、真夏を思わせる気温が汗を誘う天候のもとフェスは開催されました。
フェスには様々な店舗が個性と匂いを振りまいていました。
B級グルメでおなじみの「石巻焼きそば」は勿論、暑さにどうしょうも無い来場者を冷ます「かき氷」や地元・東松島産の色鮮やかな冷やし野菜の数々。
石巻の福祉事業所もハンドメイドの物品やパンやクッキーなど色とりどりの品々を販売していました。
ステージに目を向ければ、南三陸町から「奏海の杜」の「にこまる48」によるとても可愛らしいダンス。
仙台の障害者プロレス団体「ODAZUNA(おだずな)」による白熱した障害者たちの戦い。
レイドロシーや 西村組、中川敬・ソウル・フラワー・ユニオンさんらプロのミュージシャンによるライブなど、観客を魅了し、感動させるみごとなステージを演出してくれました。
私は「被災地障がい者センター・いしのまき」の設立から長く関わってきた。
大阪の岸和田出身のボランティアとして、様々な活動を行ってきた。
私のみならず、全国から来たボランティアと共に。
しかしこの『みちのくにょっきりフェスティバル』は石巻を中心とした被災した地域の人々が中心となり、企画を考え、自らが活動し、実現にこぎつけた。
2011年3月11日に起きた東日本大震災から3年以上の月日が経ち、ボランティア中心ではなく、被災者自らが実現したこの企画に、ボランティアとして深く関わった一人として万感の思いが胸を突き上げる。
大阪に帰阪するためのフライト時間が迫る。
仙台空港まで三陸自動車道をハイエースで西に走らせる。
今回の旅路で岩手県と宮城県に跨り、私たち二人をずっとお世話して頂いたAPO法人「結人」のスタッフの方々に深く謝意を申し上げます。
そして私たちを運び疾走し続けたハイエース、どうもお疲れ様でした。
仙台空港から南へ飛び立ち、無事、関西空港に着地。
今回の被災地を巡る旅路では、総移動距離2000キロメートルを二泊三日という短い期間、東西南北を駆け回り、被災地の現状を注視した結果、考えさせられるものが得られた。
そして東北の方々の人情味や温かさに包まれた旅路であった。
(追伸1、2がありますが、後略とします!)
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これまで届けた救援金
332,750,649円(2014年12月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
269,542,139円(2014年12月31日現在)
ただいまの基金残高
258,818,333円(2014年12月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。

hide の救援レポート 2015年1月26日№171

NPO法人 まいんどあまがさき機関誌「まいど!通信」
(兵庫県尼崎市東園田町9丁目37-10-
TEL 06-6498-4183 FAX 06-4960-8711
114号より転載
「東北復興支援活動報告」宮城県気仙沼市~岩手県宮古市
●なかなかまとまった時間を作れない「まいんどあまがさき」の代表と東北への訪問です。
日ごろから代表は東北で親しくされている方々に会いに行きたい。
時間が作れたら東北へ行きたいと言ってるのを聞いていたので同行できる僕も気持ちが入ります。
東北の子供たちに届ける鼓笛隊の楽器を持って夜間に車での移動になりました。
夜間の走行だったこともあり、翌日の午前中に最初の目的地である気仙沼に入ることが出来ました。
代表の予定まで少しだけ時間があったので、その時間を使って気仙沼の港からフェリーに乗り、大島を見に行きました。
小さな島にある標識が津波で折れていたり、防波堤に壊れてしまった船、空き地には動かなくなったトレーラーなど震災の跡がまだまだ残る場所でしたが、島に幾つかある浜は、真っ白な砂とエメラルドグリーンの海をもつ素晴らしく美しい浜でした!
夕方から気仙沼の支援活動をしている尼崎市の方々や交流のある地元の方々と、地元の海産物をいただきながら楽しく話をさせてもらいました。
皆さん気仙沼とゆう歴史ある港町への愛情をもって復興に力を注いでいるので、気仙沼について話す内容なども自信に溢れたものなので、復興で一番大切な事は、地元の方々の地元の未来への思いと前に進む自信なのだと感じることが出来ました。
翌日には宮古市へ移動し、代表と交流のある方から、宮古市の現在を案内してもらいました。
市場や駅前などや、浄土ヶ浜、スーパー堤防などを案内してもらいながら被災から現在までの宮古市の状況を教えていただきました。
代表が翌日の水辺まつりで尼崎市の皆さんに食べていただこうと、宮古市のサンマを買いに市場を巡りましたが、どちらのお店でも並んでいる魚や貝の大きさ太さがハンパないです。
宮古市へ訪れる際には是非とも市場を見て元気なホタテやホヤで感動してください。
大量のサンマとホタテ、大きな鮭を手に入れて…水辺まつりに間に合うように代表を尼崎市に連れて帰りました。
現地にいくことでしか知り得ない事をたくさん教えていただけたので実りある有意義な東北訪問になりました。
お世話になった皆さんに心から感謝します。有難うございました。
以上
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これまで届けた救援金
309,951,224円(2014年10月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,542,139円(2014年10月31日現在)
ただいまの基金残高
248,623,733円(2014年9月30日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●NPO法人 自立生活センターいこらー 
「機関誌いこらー通信」からの転載
大阪府岸和田市中北町7番21号
TEL 072-488-7334
FAX 072-488-7338
東日本大震災の被災地を巡る旅路~あまちゃんからにょっきりフェスティバル~編・大薗拓郎
初夏の朝の岸和田駅 。
AM6時前の関西空港行き急行に東谷さんと2人で乗り込む。
今回の東北の被災地を巡る旅路は2人。
その2人の思惑は2つ。
1つ目は東日本大震災後に私は宮城県へ障害者支援ボランティアとして、主に石巻市で活動していた。
そこで出会った方々が、7月27日に「みちのくにょっきりフェスティバル」を開催する運びとなり、参加するためである。
2つ目はそう、喜びと悲しみと、笑いと心喪失感を与えてくれた彼の地を、私たちの聖地を巡る旅路を。
関西国際空港に到着し、簡単な朝食を済ませてからピーチの搭乗口へ向かう。
LCC(格安航空会社の意)の車椅子ユーザーの利用事例は少数ではあるが、今後の利用率は飛躍的に伸びることは想像に難くない。
なので、東谷さんと金銭的な事由はあったものの、車椅子ユーザーにとってのLCCの対応の見極めも今回の旅路の目的の1つであった。
ピーチの車椅子対応は(東谷氏の感想)「今回の旅路の行程を考えた時に、手動ではなく電動車椅子で行きたかった。だが、ピーチに電話で問い合わせて詳細を聞くも不安を払拭できずにいた。しかし実際に搭乗口に行ったところ、搭乗用の車椅子に乗り換えることを求められたものの、それ以外の対応はとても心地よいものであり、嬉々たる思いにさせてくれた。今後も電動車椅子でピーチを利用し旅行へ行きたいと思う。課題としては搭乗口の車椅子に乗り移ることが出来ない当事者の問題があるのではないか。最後に根気強くピーチに働きかけてくれた障害当事者のOさんに感謝!」だそうです。
以下次回に続く!
●1月20日に開催された「第10回・ゆめ風であいましょうイン東京『少年期は戦争だった!』」
渋谷区文化総合センターでは、永六輔さん、詩人の谷川俊太郎さん、小室等さん、こむろゆいさんが登場して、素敵なつどいになりました。
一部は、3人の方のトークショー、二部では、小室父子のミニライブと、谷川さんの詩の朗読で、大いに盛り上がっていました。
カタログハウスの学校の支援もあって、会場内は満席でした。
またの開催をお約束して、終了しました。
ありがとうございました!

シンポジウムのお知らせ

下記のような興味深いシンポジウムが開催されるそうです。
興味のあるかたは是非!
第13回 インクルーシブ教育を考えるシンポジウム(入場無料)
■日 時  2月14日(土) 受付:午後1時00分 午後1時30分~午後4時30分
■会 場  豊中市立大池小学校 体育館
■内 容
  第一部 講 演
「 ともに学び、ともに育つ 」教育から共生社会へ
~ 『障害者権利条約』批准と『障害者差別解消法』 ~
講師 大谷 恭子さん(弁護士・元内閣府「障害者政策委員会」委員)
第二部 パネルディスカッション
        コーディネーター遠藤 哲也さん(毎日新聞社学芸部副部長)
             パネラー ・大谷 恭子さん  
                 ・太田 祥代さん(「障害」児・者の生活と進路を考える会)
・山崎 誠さん(桜塚高校定時制)
                 ・藤下 功一さん(桜塚高校定時制 教員)
・濱田 真羽さん(豊中市立第五中学校 教員)
主催: 豊中市教職員組合 毎日新聞社
後援: 「障害」児・者の生活と進路を考える会、国障年豊中市民会議、障害者問題資料センターりぼん社、インクルーシブ(共生)教育研究所ほか
問い合わせ先:豊中市教職員組合 
電話06-6863-1600 FAX06-6863-2721
メールアドレス ttu-toyokyoso@peace.zaq.jp

ヒデの救済レポート

hideの畏友のおひとり、京都花園大学特任教授の八木晃介さんが発行している:試行社通信:第333号からの転載
●原発事故と人体実験
このところ原発関連報道が新聞でもテレビでも極端に減少していることに、私などはひどく不気味で不安な感覚をいだいています。
マグニチュード9の巨大地震・大津波・原発のメルトダウンによる甚大な放射能汚染の事実を私たちは直接的ないし間接的に確かに体験したにもかかわらず、そして今なお原発関連死が増加し:東京新聞によれば、福島県内だけで千人を超えたということです(多くの人々が帰還の目処もたたないままにディアスポラの状況)福島県の避難者だけで「十三万五千人」におかれているにもかかわらず、メディアも大衆も、早くも忘却を決め込んでいるかの風情です。
いまなお原発からはさまざまな形で放射能が垂れ流されているのに、
政府や東電がしていることといえば:完全にコントロールされている:と国際的な詐術を弄しつつ、
まるでモグラ叩きのようなレベルの対応しかできていないのが現実です。
もしかすると、国家規模の壮大な人体実験が福島をふくむ東北地方のみならず
全国を対象にきわめて意図的・組織的に行われているのではないか、
そういう疑念を私はどうしても振り払うことができないのです。
原発の再稼働および新増設をもくろむ政財界・原子力ムラとそれに連なる利権屋どもは、
放射能汚染を極力過小に評価しつづけています。
それは事故直後の:ただちに健康に影響をあたえる数値ではない:という政府発表からはじまっていました。:
ただちに:の定義もなければ、:健康に影響をあたえる数値:の定義もない、
人を小馬鹿にしたような公式発表が原発周辺の人々の避難を遅らせてしまったのですから、
この局面ではまだ非意図的だったかもしれませんが、客観的には人体実験を開始していたというほかありません。
:
毎日(今年3月25日付け)は避難解除予定地域での被曝線量調査(昨年9月実施)で、
国が被曝線量を低く見積もる形で線量操作していた事実を暴露しました。
調査を実際に行ったのは日本原子力研究開発機構と放射線医学総合研究所ですから、
それらによる調査自体もあまり信用できませんが、ともかくそれらのメンバーは相当低い線量になるはずという仮説で調査をはじめj、その結果でもって避難者を帰還させる根拠にしょうともくろんだのですが、
たとえば川内村の場合、屋外8時間屋内16時間で年間1ミリシーベルト台と予測していたのに2・6~6・6ミリシーベルトの高値が測定されたため、調査結果の公表を見送ったばかりか、屋外を6時間に短縮するなどして数値を下げる操作をしていたというわけです。
しかし、それにしても年間2・6~6・6ミリシーベルトというのは恐るべき数値であって、
帰還促進を急いで安全宣言を出したい政府・東電・原子力ムラとしては相当ショックだったものとおもわれます。
しかし、これに驚いていてはいけないわけで、原子力規制委員会:帰還に向けた安全・安心対策に関する検討チーム:は昨年11月11日、個人線量計による線量管理を前提にしてはいるものの、20ミリシーベルト以下の地域への帰還を認める提言書をまとめました。これも恐るべき提言です。
そもそも放射線において:これ以下なら影響ゼロ:というしきい値はないのであって
しかし、一応の目安として一般人については年間1ミリシーベルト、放射線作業従事者には任意の5年間の年平均で20ミリシーベルト、ただしどの年も50ミリシーベルトを超えないとしているのです。(放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律施行規則)。
つまり、放射線管理区域ではたらく原子力関係者や放射線関係者への限度量を一般住民にあてはめて
いることになるわけですから、人体実験といわざるをえないのです。
政財界・原子力ムラなどは、1日もはやく原発事故の影響をなかったことにしたいわけで、
それは漫画:美味しんぼ:に対する安倍や管、それに石破や福島県:いまの福島県政は完全に県立医大の原子力ムラに振り回されています:らによる言論弾圧の姿勢にも見てとれます。私自身、ジャンルとしての漫画やアニメが大の苦手というか嫌いで、当該作品も読んでいないのですが、各種報道をみるかぎり、作者は相当丁寧に取材していたようです。
ここで問題になるのが「風評被害」という概念。
風評とは、事実でないこと、あるいは些細なことがおおげさにとりあげられ、ある人物やある業界、ある地域が被害を受けることであって、つまりはデマのことです。そして、社会心理学者・オルポートによれば、デマの流布量は、ことの重大性とことの曖昧性との積に比例するとされます。
したがってことの重大性か、ことの曖昧性かのどちらかがゼロになれば、デマもゼロになるという次第。
してみると、福島原発事故の風評:デマ:の本質的発生源が政府・東電・原子力ムラにあったことが明らかになります。
後略・以上
これまで届けた救援金
309,951,224円(2014年10月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,542,139円(2014年10月31日現在)
ただいまの基金残高
248,623,733円(2014年9月30日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
2015年という、未知なる時間帯に突入しました!
更なる知恵と未来を透しする努力をもって、
被災障害者支援の中から、人々の時代を耕さねばなりません。
多くの皆さんの助力を求めます!
本年もよろしくお願いします!
hide拝

ヒデの救援レポート 2014年12月25日 №169

●第10回ゆめ風であいましょう イン東京
日時:2015年1月20日午後6時より
参加費:2000円(介護者1人まで無料)
場所:渋谷区文化総合センター大和田6階伝承ホール
    東京都渋谷区桜丘町23-21(JR渋谷駅から徒歩5分)
主催:認定NPO法人ゆめ風基金
共催:カタログハウスの学校
●問い合わせ・申し込み
TEL 0120-545-450 FAX 03-5365-2278
「少年期は戦争だった!3人のゆめ風呼びかけ人がじっくり語ります。」
出演:永六輔さん、谷川俊太郎さん小室等さん、こむろゆいさん
●定員300人になり次第締め切り。お早めにお申し込みください!
くわしいチラシはここをクリックしてください。


月刊:スティグマ 220号特集より転載
連絡先:一般社団法人千葉県人権センター
  電話 043-496-4967 FAX 043-496-4572
「東日本大震災東北被災地復興支援「ちばの絆」プロジェクト」東北スタデイツアー報告
経過報告・事務局
・去る9月28より29の2日間にわたって、東日本大震災東北被災地復興支援「ちばの絆」プロジェクト東北スタデイツアーが開催され、県内より34名が参加した。
「ちばの絆」は、すでに本誌でも紹介したとおり、東日本大震災における東北の被災地の多くが、中世東北に所領した奥州千葉氏の築いた町であることがわかり、「千葉氏」の縁により東北復興支援を行おうと結成された千葉県民の団体である。
きっかけは、2013年に、酒々井町の社会福祉関係団体が合同で行った東北スタデイツアーの際、由来も知らずたまたま現地の方に案内された陸前高田市(本丸公園)が、今回の震災を契機に調査した結果、高田のルーツともいえる中世高田城跡であり、且つ城主が千葉氏であるということを発見したことにあった。
この数奇な縁により、昨年10月、佐倉市内で「東北被災地と中世千葉氏」に関する学習会を開催したところ、新聞に報道されたこともあり、150名を超える県民が参加。
その参加者を母体に、本年5月、酒々井町で設立総会を行った。
現在90の個人団体が参加している。
総会では、まず本年度事業として、東北スタデイツアーの開催を決定した。
今回のツアーの目的は2つ。
1つは9月28日に岩手県一関市「唐梅総合公園」で開催される:唐梅館絵巻:を見学すること、もう1つは、翌日陸前高田の被災と復興の状況を視察するとともに、高田城跡を踏査することである。
ここにツアーの概略を掲載するとともに、その元になった関係資料を掲載する。
「唐梅館絵巻」とは今年で14回を数える、300余名の武者行列と軍議の再現を中心とする奥州千葉氏の歴史を偲ぶ時代祭りである。
奥州千葉氏は、鎌倉時代の源氏による奥州藤原氏との闘いにおいて武勲を立てた千葉常胤が、恩賞として東北に所領をえて成立した千葉氏の一族であり、その中でも一関に所領長坂千葉氏は、大きな勢力を誇っていた。
1590年、豊臣秀吉が全国制覇のために、北条家の下に結束する関東の武将と戦った小田原合戦の際、下総千葉氏は全軍を率いて参戦し、敗戦によって滅亡した。
一方奥州千葉氏もこの小田原合戦に関する軍議を開催、豊臣方には与せず、北条方に加勢することを決定するが、参戦の前に小田原城は落城し、合戦は終了してしまう。
その後豊臣秀吉によって奥州千葉氏の所領は没収されたものの、一族は滅亡することもなく、その後も奥州の地にとどまり続けた。
その結果、今日でも東北地方には千葉姓の人が多く存在している。
「唐梅館絵巻」はそのとき北条方参戦を決議した軍議を再現する祭りであり、東北地方では今でも千葉氏をアイデンティティの柱とする文化が残っていることをうかがわせる。
今回、千葉氏の本家ともいうべき千葉県から、奥州千葉氏を偲ぶ東北の人々の文化を学ぶために、このツアーが開催された。
今回のツアーについては、後に掲載する企画書でその目的等を紹介する。
また、今回のツアーには、酒々井町に本拠を置くケーブルネット296のカメラクルーが同行し、全体を記録した上で、後に30分程度のドキュメンタリー映像を作成し、広く県民に周知する教材とすることになっている。
●1日目「唐梅館絵巻」
「中世東北の千葉氏」講演会
●2日目「高田城跡踏査、および市内視察」
2日目は、ホテルの間近にある「高田城跡」を全員で踏査した。
非常に高い立派な山城の城壁、土塁、古道、郭が見事に保存され、城内に2つの立派な神社:構造からして元は寺院とみられる:が建てられていた。
さらに奥へ踏み込むと新たに発見された郭の跡が発掘されていた。
城跡裏はすでに高台移転用地として造成が始まっていた。
市内全域が現在ものすごい勢いで復興造成事業が進められ、多くの高台が平地となり、各所にかさ上げ用の大きな土の山が盛られていた。
その後一行は二手に分かれ、代表団は陸前高田市役所へ表敬訪問に向かい、バスの本隊は高田松原跡の「奇跡の一本松」へと向かった。
代表団は、市役所に向かう前に、地元旧家である「矢作家」を訪問し、当家当主に面会した。
当主の話によれば、矢作家は1315年に矢作城より陸前高田に入部し、以来この地で過ごしてきた。
高台の一角に位置し、津波被害はまぬがれたが、敷地ぎりぎりまで津波が迫ったという。
古い家屋の屋根には「八陽月星」の家紋が刻まれ、千葉氏の一党であることがわかった。
市役所に向かい、戸羽市長以下幹部職員と面会、まずは津波被害のお見舞いを申し上げるとともに、高田城跡周辺の復興支援に微力ながら寄付をしたいという会の要望書を手渡した。
市長から現在高田城跡は、市民の憩いの公園と、いざという時の防災避難所としての位置づけで整備計画ができている旨報告された。
一行は何とか城跡に歴史観光モニュメントをつくっていただき、その建設資金を寄付したい旨申し入れた。
代表団と本隊は再度合流した後、近くにある気仙成田山を参拝し、弔霊の黙祷を捧げ、ご住職より津波被害についての説明を受けた。
ご住職は「ちばの絆」の会員である菅野さん兄弟の甥っ子であるそうで、ここでもまた不思議な縁を体験することとなった。
ご住職の案内で全員旧本堂で焼香し、お土産に大船渡名物「カモメの卵」をいただいて現地を跡にした。
2日間を通じて参加者一同新鮮な驚きに感慨を深くするツアーであり、帰宅時には早くも来年のツアーが話題に上がっていた。
後略・以上
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これまで届けた救援金
309,951,224円(2014年10月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,542,139円(2014年10月31日現在)
ただいまの基金残高
248,623,733円(2014年9月30日現在)>
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い 吾亦紅」と咲くのです。
再び出会うことのない、2014年が、数多くのひとのものがたりと共に、過ぎ去ろうとしている年の瀬。
皆さん共々、新しい2015年には、希望と変革のひとものがたりが創り出せるように強く望みます!
今回のhideレポートを年内最終のものとします!
また来年!
以上

ヒデの救済レポート

ー東北関東大震災障害者救援本部特集号、NO13より転載ー
●障がいを持つ人の防災提言集発刊
NPO法人いわき自立生活センター理事長・長谷川秀雄
・大震災・津波・原発事故を経験したフクシマから・
福島県内の障がい者団体や支援者の有志が集まり、2011年秋口より:
被災障がい者支援連絡会議:を定期的に開いてきました。
その中で、3・11で障がい者に起きたことが、膨大な情報に埋もれつつあり、
教訓が伝わっていないとの危機感が共有されていきました。
そこで、連絡会議での議論をとりまとめ、社会に発信するために:
障がいを持つ人の防災提言集:を発行することとなり、
2013年9月に:障がいを持つ人の防災研究会:が発足しました。
数回の会議を経て、この7月に発行する運びとなりましたが、
特色は:原発事故と障がい者:に焦点を合わせたことです。
 
なお、14万人もの福島県民に避難を強いている福島第一原発の事故が、
障がいを持つ人にもたらした困難と恐怖。
二度とこのようなことが起きてほしくはありませんが、
地震多発列島に54基もの原発がひしめき合う日本にあって、
自然災害への防災計画と避難訓練が必要であると同じに、
原発事故防災計画と避難訓練が必要である、というのが
本書の核心的な提案です。
水害で避難指示が出されても、実際に避難する人は10%以下であるそうです。:
まさか自分のところにまでは来ないだろう:と、ふと思ってしまう。災害心理学では、
これを:正常化の偏見:と呼ぶそうです。
原発に関しても、この:正常化の偏見:が作用しているようです。
 
福島県でこれほどの原発事故があったにも関わらず、どれほどの国民が:
自分の身にも起きうる:と受け止めているでしょうか?
 
重症患者の避難をどう考えるか?
福島第一原発から数キロのところにあった総合病院は、避難指示が出されたため、
本来は絶対安静で、絶対に動かしてはいけない重症患者をバスに乗せ避難させました。
数時間後に避難所にたどり着いた時には、数名の患者がバスのイスに座ったまま
亡くなっていました。3日間の避難所での生活で更に10名の患者が命を落としました。
今後、原発事故が起きたら、周囲30キロ圏内の病院や福祉施設は、
どうすればよいのでしょうか?
1・無理やり避難する。2・医師・職員は避難、患者は置き去り。
いずれも悲惨な結果を覚悟しなければなりません。
今、鹿児島県の川内原発の再稼働が問題になっていますが、
30キロ圏内の病院や福祉施設の避難については、一切語られてはいません。
もしかして、:もう原発事故など起きるわけがない・:起きるわけもない事故を想定した避難計画なぞ
本来無意味!:とでも言うのでしょうか?
先の設問に対し、本書では:原発の30キロ圏内の病院や福祉施設には核シェルターを設置する
ことを提案しています。そんなのムリ!::莫大な費用がかかる!:との声が聞こえてきそうです。
では、患者・利用者と職員の生命を守るために、これ以外の方法はあるのでしょうか?
:今すぐ原発から撤退すれば、その問題はクリアーできる:と思う人もいるかもしれません。
が、停止中の原発にもおびただしい放射性物質が溜め込まれています。
廃炉作業:原発の解体作業:中にも、放射性物質の拡散事故も考えられます。
私たち日本列島に住む者は、例外なくこの構造のもとで、あと数万年暮らしていくことになります。
たかだか数十年しか発電しない原発の後始末を、数万年も子孫に押し付ける愚かなことを
私たちはすでにしてしまっているのです。私たちの祖先は森林を伐採した後に苗木を植え、
海岸線に防潮林を育てました。すべては子孫への贈り物でした。
現代人のしていることはこれと:真逆:のことではないでしょうか?
・その時福祉・介護事業所は
福島第一原発事故直後、福島県民は避難を始め、数十万人が故郷を離れました。
その中には、当然医師や介護職員も含まれていました。多くの病院や薬局、
介護施設は職員が激減し休止するところが相次ぎました。
家族のことを考え、後ろ髪をひかれながら避難した人。
家族を地元に残し、施設利用者と一緒に県外に避難していった人。残った人。
全ての人が苦渋の選択を迫られました。
このことは、福島県で大変語りづらいテーマとなっています。
障がいを持つ人の中には、自力で避難できない人もいました。
また様々な理由で:残る:選択をした人もいました。
それらの障がいを持つ人への支援を継続することは、
その局面で:業務:とは言えないものになっていました。
ボランティアには:志願兵:という意味もあるようですが、有害物質で汚染された地域での
障がいを持つ人の支援活動は、志願:者による自主的自発的な活動となっていきます。
原発事故が起きたら、自分たちの事業所はどこまで支援を継続するのか。
自分はどうするのかを、あらかじめ考えておく必要があります。
:あってほしくはないことは考えたくない:ということでは、自分や大切な人の命は守れません。
〇本書の構成は、
第一部・原発事故を中心とした防災の問題
第二部・災害時の障がいを持つ人への緊急支援のための災害時要援護者の情報提供の問題
資料編・南相馬市での被災直後に行われた障がい者への訪問調査の報告となっています。
木口福祉財団の助成で発行されたため、300円というお手軽価格での販売となります。
・お問い合わせ、NPO法人いわき自立生活センター 福島県いわき市中央台高久2-26-3
  TEL、0246-68-8925-FAX、0246-68-8926
………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・●被災障害者支援ゆめ風基金が届けた救援金総額は、309701224円:014年8月12日現在:
 東日本関連救援金、金額は、264292139円です。:014年8月12日現在:
〓今の基金残高!254988305円:014年6月末日現在:です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある
河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東日本大震災救援活動の中のhideの風景
■22日、長居スポーツセンターで開催された:大規模災害時の障害者支援・事業継続・についての
研究発表会。 23日の第5回・東北=関西:ポジティブ生活文化交流祭:長居公園自由広場には、
両日とも、好天気に恵まれ、昨年度を上回る人出がありました。出店も50店舗以上、
東北3県から参加された被災地障害者支援拠点からの 物産品も軒並み売り切れてしまいました。
5000人を超える参加者でした! 以上

小室 等さん、総合プロデュース コンサート

11月16日 栗東芸術文化会館にて
糸賀一雄記念賞第13回音楽祭が行われました。
ゆめ風基金を支えてつづけくれている
小室 等さん、総合プロデュースのもと、
滋賀県内の7団体の「うた」「打楽器演奏」「ダンス」の成果発表。
加えて、障害のあるなし、年齢、表現のジャンルをこえたパフォーマンス。
最後には、会場一体となって
「ほほえむちから」-作詞・谷川 俊太郎 -作曲 小室 等
を、合唱しました。
音楽が引きだしてくれる「生きる底力」を目の当たりにしました。
ただ、まっすぐに自分になる努力が表現活動!
みんな、みんなアーティストなんです。
ただ、障害者はその障害ゆえに
ゆがんだスポットライトを与えられてしまう。
それを知り、障害者を「応援」ではなく、
障害者との「共生」を舞台に・・・。
心が熱くなりました。
ステキな時間をありがとう!です。
―by ふくもと ちなつー

ヒデの救済レポート

~被災地NGO協働センター~  連絡TEL078-574-0701:FAX078-574-0702
機関誌・じゃりみち、被災地支援情報NO101号からの転載
・巻頭言・あの日から3年…
東日本大震災の発生から間もなく丸3年以上を迎えます。
道路や防潮堤などの工事はみるみる進んでいますが、
被災者の暮らしは、仮設やみなし仮設、避難生活など不自由な生活が続いています。
仮設から自力再建をした人、復興住宅に入居した人もわずかですがいらっしゃいます
。しかし、残された人との心の隙間が広がっています。
阪神・淡路大震災での3年目あたりは以下のように神戸新聞で伝えています。
:兵庫県警の調べでは、仮設住宅での孤独死は計163人。その周辺に多くの死がある。
避難所などでの関連を追跡してきた神戸協同病院の上田耕藏院長は、
「生きがいがあれば、ストレスも乗り越えられる。か、仮設では、あしたもがんばって生きよう!という
気持ちをなくしてしまっていることが大きい」と指摘する。
「恒久住宅への転居が進めば、仮設に残る人の不安は増し、健康問題が深刻になる」と県担当者。
保健婦らの巡回も限られ、効果的な対策は見いだせない。
                         ー:1997年7月16日神戸新聞:ー
:市街地からあまり離れていないところに帰りたい。
もし住宅が当たっても、高齢で健康ではないので孤独な生活に対する不安がとても大きい。
慣れない土地で、人との語らいのないさびしい生活は、こちらで嫌というほど味わっている。
孤独死する人の気持ちが痛いほどよく分かる。
私たちを忘れないで、県外でさびしい思いをしている者に温かい支援を寄せてほしい。
                -大阪府、70以上女性:1997年12月20日神戸新聞ー
:
先の見えない不安を抱えていたのは、阪神・淡路でも同じ状況でした。
私も実際に仮設を回っているとき、被災者の男性が:「もう生きていてもしかたない。殺してくれ:」と叫んでいました。
私は声も掛けられず、ただただ呆然と立ちすくんでいました。
近所の被災者の方が、その男性に:「死んだってしょうがない。がんばって生きていこう:」など慰めのような言葉で、
必死で止めていました。その日はそのままやり過ごしたのですが、数日後ビルの屋上から飛び降り自殺をしたそうです。
震災から2年、3年くらいは孤独死も増え、自殺も多く発生していました。
このような事態にボランティアの人たちは、仮設を一軒一軒回り安否確認をしていました。
東日本大震災の被災地でも、昨年暮れに仮設から復興住宅に引っ越した方が、
間もなく川で亡くなったという知らせを聞きました。自殺でした。
せっかく終の棲家に移ってこれからだという時に、なぜ??
阪神・淡路でおきたようなことが、東日本でも繰り返されていて、憤りを感じずにはいられません。
3年半を迎える被災地では、表面的には見えにくい課題が多くなり、
関連死を引き起こすようなきっかけがあちらこちらにあるのです。
仮設から復興住宅など新しい引起こし先でも、またあらたにコミュニティーを作り直さなければならないのです。
ある被災者が:これから何回コミュニティーを作り直すのだろう:とつぶやいていました。
また19年前の神戸と同じ言葉を耳にし、ほんとうにやりきれない思いです。
一方で今回の東日本大震災では、原発という過酷事故を引き起こし、大きな課題が与えられいます。
:原発事故で地域と暮らしを引き裂かれた福島と、核のごみのリサイクルを受け入れる青森県六ケ所村。
2枚の地図を重ね合わせて映し出す記録映画:福島・六ケ所・未来への伝言:島田恵監督:が公開された。
:中略:郡山市で自然農法の米作りを営む中村和夫さんは、14代続いた農家。
精密検査でごく微量の放射性セシウムが検出され、大量の在庫を抱えている。
:東京のために福島の人は、電気をつくってきたんだから、今度は福島の人の言うことを聞いて!
原発事故、あれは絶対あってはなんねぇ:・と、声を振り絞る。
島田監督は、「:未来を生きる世代に、私たちはこんな事故を引き起こしてしまったけれど、
新しいあなたたちのことを思って、新しい未来をつくろうと、
悩み、苦しみながら、一生懸命がんばったんだよ、と伝言したい」:と、決意を込める。:
                              ー2014年2月17日東京新聞ー
被災地の復興はまだまだはじまったばかりです。                         増島智子 以上
………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
~今年も行ってきました!忘れないように!~
●10月28日~30日に、hideは、
箕面市人権啓発推進協議会主催の東日本大震災義援活動で、気仙沼、大島に行ってきました。

28日、14名の市民に同行して、、
南三陸町防災対策庁舎から、最後まで、避難を呼びかけ、津波の犠牲になった、
町職員遠藤美希さんの母親が、震災の記憶を語り継ぐ場として開かれた:美希の家:で聞き取りと交流。
特別養護老人ホーム:春圃苑:で聞き取りと交流。
29日、
カキ養殖場の復興と、仮設住宅の現状の聞き取りと見学。
NPO法人ネットワークオレンジの障害者福祉の聞き取りと交流。
障害者自立生活支援・交流と聞き取り。
八瀬民泊に宿泊。
30日、
陸前高田の:奇跡の1本松:と:スーパー堤防:の聞き取りと見学。
陸前高田の道の駅、気仙沼お魚市場、魚の駅などで買い物。
石巻市の大川小学校:70名以上の子どもと先生が津波に流され、亡くなった。現在、裁判で係争中
などなどを訪れ行帰阪いたしました。
また、これとは別に、ゆめ風基金の細井理事、八幡理事、豊能障害者労働センターの
石原さん、本沢さんたちが、4日からの日程で、石巻、南三陸の被災障害者支援拠点を訪ね、意見交流をします。
大震災の記憶をつなげるために、規模が少なくなっても、
こんな行動を続けて行きたいと考えています!
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●これまで届けた救援金
309,701,224円(2014年8月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,292,139円(2014年8月12日現在)
ただいまの基金残高
254,988,305円(2014年6月末日現在)

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●これは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。
■救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。

ヒデの救援レポート 2014年10月6日№166

●バタバタのへろへろ月末、月初め!
9月29、30日は、東京・水道橋で開かれた、「永六輔とその一味・トークとライブ」に、
ゆめ風基金事務局長・橘高さんと2人で、来年のゆめ風基金設立20周年記念イベントの挨拶を兼ね参加しました。
永さん、小室さん、ゲストのみなさんと楽しく時間を共有しました。
10月1日には、大阪上本町で開催された:014年2月16日死去・享年69歳の視覚障害者で、広く
日本の障害者運動を中心になって牽引された、「楠敏雄さんを偲ぶ会」が開かれました。
その中で、ゆめ風基金代表理事 牧口さんがコーデネイト役で「シンポジウム『その人、その仕事、その思想』」のパネラーとして、1972年からの付き合いがあったhideもパネラーのひとりとして、語りました。
やはり、緊張でボロボロ。
延べ600名以上の参加がありました。
10月2日には、箕面市人権啓発推進協議会拡大事務局会議。
10月末に行われる:東北、岩手、義援行動交流の事前打ち合わせ。
さすがに、加齢には打ち勝てず、へろへろですねぇ~!


●東北関東大震災・障害者救援本部特集号、NO12からの転載
連絡先 TEL  042-660-7747
FAX 042-660-7746
顔のみえる支援を・民間の救援組織の求めるもの
災害時に、募金によって被災者支援をする方法には2種類あります。
一つは、共同募金や赤十字社などの国や公共機関の支援です。
集められた義援金はその全てが被災者に対して見舞金として平等に配分されます。
こちらに寄付された方は、有識者によって構成された配分委員会の配分方式に従って、顔の見えない支援に参加することになります。
例えば、倒壊家屋全戸に対して各5万円の支援が行われます。
実体としては倒壊家屋の持ち主が生存しているかどうかわからず、どこに避難しているかも把握できない状況が続いているので、都道府県や市町村の窓口に募金が滞っており、支援したい人になかなか届かない状況が出てきています。
そして今困っている人に常に募金が届かない難点があります。
もう一つは、私達救援本部のような民間団体の支援です。
集められた支援金は、被災地の実情に合わせて、必要な支援活動に使うことができます。
また支援団体の活動資金も含まれます。
救援本部では目の前で困っている障害者や高齢者に的を絞って、個別のニーズに基づいた支援を行っています。
呼吸器の電気が止まったために家族が24時間交代でアンビューパック(手動式人工呼吸器)を押し続けた例があり、緊急に介助者を派遣することになりました。
個別の障害者の支援は、24時間の介助者派遣を行うことになります。
1人5万円の上限設定があるような支援では、ニーズに合った支援とはなりません。
また、行政の支援が届くまでの期間の支援も必要です。
震災発生後2週間も国の支援が届かなかった筋ジストロフィーの人たちばかりが入っている施設がありました。
そこにおむつの緊急配布を行いました。
緊急の場合には必要なところに必要な支援が求められます。
行政の支援が届き始めた頃には、避難所の中の障害者や避難所に避難できずに自宅で家族や介助者と留ま
っている個別の障害者支援に入りました。
重度の障害者は床ずれ予防のために特別なベッドや特別なトイレを必要としています。
筋ジストロフィーや頸椎損傷の障害者は特別な介助の仕方が個人ごとにあり、急に介助者が変わっても対応できません。こうした個別支援が必要なのです。
また必要な救援物資も時間の経過と共に刻々と変わってきました。
要請のあった物品は、その場で調達してその日のうちに送るような緊急対応が必要でした。
さらに、見えない要援護者も今回の課題でした。
地域の支援組織と関係なく暮らしていた障害者たちは、福祉サービスの存在すら知らず、公的な福祉サービスを受けた経験もありません。
この人たちには、行政へのサービス申請のやり方から伝えなければなりません。
(2011年5月「大震災の中で私たちは何をすべきか」救援本部代表・中西正司からの抜粋)
救援活動には、障害者救援本部のような民間団体の救援組織が果たす役割も欠かすことができません。
そしてこの障害者救援活動は、多くの皆様からの暖かいお気持ちに支えられているのです。
救援本部では、感謝の気持ちと救援活動の報告を機関紙を通じて行い、顔のみえる支援となるよう努力しております。
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これまで届けた救援金
309,701,224円(2014年8月12日現在)
内・ゆめ基金が東北被災障害者支援した救援金、金額は、
264,292,139円(2014年8月12日現在)
ただいまの基金残高
254,988,305円(2014年6月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、
バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座 「00980-7-40043 ゆめ風基金」です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●第10回ゆめ風であいましょうイン東京「少年期は戦争だった」
永六輔さん、谷川俊太郎さん、小室等さんの3名のゆめ風基金呼びかけ人がじっくりと語ります。
2015年1月20日(火)
開場:午後6時
会場:東京都渋谷区文化総合センター大和田6F伝承ホール
参加費:2,000円、介護者1人まで無料、ペア割り引き=2人で3,000円
定員300人
主催:ゆめ風基金
共催:カタログハウスの学校
・問い合わせ
TEL 0120-545-450
FAX 03-5365-2278
以上

ヒデの救済レポート 

●hideの畏友のおひとりで、大阪府吹田市の千里山にある、千里寺の住職の武田さんが発行している:
寺報・如是:860号からの転載。連絡先06-6384-0747
ー絶望禁止ー
学び続けていくと、今まで思い込んでいたことが反対だったのではと気づかされることがあります。
たとえば:命よりも大切なことがある:ということばです。:
死んだらおしまい、お浄土も何もない。という意見には賛成しかねますが、だからといって、
:いのちがけ:ということばも、よくよく考えてみなければなりません。
仏教はいのちを大切にする教えです。釈尊の言葉に:すべての者は暴力におびえ、すべての者は死を恐れる。
己が身にひきくらべて殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ・ダンマパダ・:とあります。
仏教徒である限りはこの教えに背くことはできません。:
命を捨てて経典を守った:とか、:命がけで仏の教えを伝えた:というようなことばに
酔いしれたことのある私ですが、本当は逆ではないでしょうか。
如来が、仏教が、私たちの命を守るのです。仏教や教団のために私たちの命を差し出すのではありません。
5月に出された:覆い尽くします原発運転差止請求事件:の判決は、
そのような意味でまさに、仏教の教えそのもののようなことばでした。
判決の中で、原子炉を運転してはならないという理由に、:個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、
各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるいうことができる。
人格権は憲法上の権利であり、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、
我が国の法制下においては、これを超える価値を他に見いだすことはできない:とあります。
人間の生命を守り、生活を維持する以上の大切な値打ちはないということです。
国益や日本経済のために、ましては大企業のために個人の生命や生活が犠牲になるということが、
あってはならないという判決です。命より大切なものはないのです。
司法にも、少し違う風が吹いてきたかなと感じます。
でも、これから先には、へたり込むほどがっかりしたことも起こることでしょう。
そんなことは百も承知です。燃え尽きたと思ったら、また力が湧いてきたりする。
「罪悪深重の凡夫」という絶望からスタートした親鸞聖人の教えに、絶望という文字はありません。
仏歴2557:国際歴2014:年6月中旬ー住職ー
●原発震災、障害者は…消えた被災者
:月刊むすぶ:より新刊が出版されました。◎発行、解放出版社◎定価1200円+税
・・・・青田由幸:南相馬市:八幡隆司:ゆめ風基金理事:共著・・・・・・
 2011年3月11日。東日本大震災。数多くの尊い命が失われました。
その中で、学校の体育館をはじめとする公共機関が開放され、避難所があちこちに開設されます。
関西からも多くの人たちが救援・支援に向かいました。
その中に神戸の震災の経験を経た:ゆめ風基金:の皆さんもいました。避難所を「:障害者の方はいませんか?
:何か困ったことありませんか?」:とあちこち回りました。そうするうち、あることに気がつきます。
:障害者が消えた!:心身にハンディを持つ人が、避難するべき場所にいないのです。
何十万人という被災者。その中に障害者の姿がないのです。
さらに福島県では原発が過酷事故。私たちは弱者をさらに悲惨な場へ追いやるのです。
この書は、福島県南相馬市で長年、障害者の皆さんと共に生きてきた青田由幸さんが、
大震災、そして原発事故のなか、障害者という存在がいかに弱い存在かを再認識し、
その現状を訴えた講演を中心に編まれています。
そして、震災直後から、被災地の障害者支援に取り組んだ:
ゆめ風基金:の八幡隆司さんの報告も併せて掲載しました。
また:障害のある人への訪問調査報告書:も掲載しています。
東日本大震災のもう一つの証言として是非、ご一読いただければ幸いです。
編者として、しかた さとし
▼連絡・ご注文は、◎ロシナンテ社
▼TEL&FAX・075-533-7062-携帯TEL、090-5642-2308
以上
●これまでに届けた救援金・309701224円・014年8月12日現在
東日本大震災への救援金、金額は、264292139円・014年8月12日現在。
ただいまの基金残高・254988305円・014年6月末日現在
・・・・このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
 ー東日本大震災救援活動の中のボクの風景
:吾亦紅:と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
:われも、また、赤い:吾亦紅:と咲くのです。