ヒデの救援レポート2013年2月18日№108

★1月21日、ゆめ風事務所の郵便受けに、普通の茶封筒が無造作に入っていました。
内容物を確認すると、現金が7万円、2枚の便箋。
その便箋には、短く3行の文章が書き付けてあり、
「私のあることへの贖罪の気持ちです。申し訳ありませんが、住所、氏名は、
仮のものです」とありました。
匿名のために、領収書もお礼状も出すことができません。
どのような贖罪なのかは、見当もつきませんが、ありがたく、被災障害者支援金として、拝受する事にしました。現金書留ではない茶封筒の裏書きの住所は、東京都江戸川区ですが、世の中には、想像を超える、人びとの気持ちがあるんだなぁと、ついつい、首傾げ、傾げでした。
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これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
【たむら市民ネットニュースVOL:6 2013年1月21日号】からの抜粋
「市民による健康を守るネットワーク」
福島県田村市船引町東部台2-285
TEL 0247-82-2909(9時~17時)
私が国連人権委員アナンド・グローバー 氏(インド人弁護士)に話したこと(Sさんの文章の抜粋)
・昨年11月20日福島市内の被災地支援団体事務所内にて、夜7時30分から約1時間、単独インタビューという当初の内容を変更して行いました。
法人の事業・活動以外に昨年2月1日から食品等の測定を行う活動を通して、
また独自に市内小中学校、幼稚園の校庭、園庭付近の土壌を測定し、その結果、
予想を上回る放射能汚染のデータを市の災害対策室、市の教育委員会に対して提出し、
校庭、園庭内外の測定とその対策についての要望を行った。
市の災害対策室は、除染は、前年度の予算を今年執行することから、新たな除染費用を早急に予算化することは難しい事との説明を受けた事。
また、この土壌の測定を行っているところで、黒い色のある種のバクテリアは、放射能を多大に吸収する性格があり、船引町のJR船引駅の駐輪場付近のバクテリアを自前の簡易測定器で計測した結果、10万ベクレルの数値を示し、市内外至る所に生息していることを考えると行政としての対策を行う事が必要であると判断し、同じく市の災害対策室、市の教育委員会に対してデータを示して行った。
後日、市の災害対策室はゲルマニウム半導体測定器に委託測定しセシウム134、137合わせて10万ベクレルの測定結果から、国に問い合わせたところ、最終処分地が特定できないところで、何もできないと話されたとの事。
〓後略〓


18年前、阪神淡路大震災の折、「被災地障害者センターこうべ」を立ち上げた、ゆめ風基金の畏友、大賀重太郎さんの関連記事。(日本経済新聞 2013年1月11日(金)夕刊
「思い継いで~阪神大震災18年(写真付き)復興、障害者の目線で 被災地訪ね、自立支える」
・ハンチング帽をかぶった人なつっこい男性の遺影を車いすに乗った障害者ら約130人がじっと見つめた。
学生時代にたまたま障害者と出会って以来、障害者支援に半生をささげた団体職員、大賀重太郎さん(享年61)を偲ぶ会が昨年10月、神戸市で開かれた。
東日本大震災で被災した障害者を支援するボランティアも大勢駆け付けた。
・安否確認に走る
1995年1月、阪神大震災の朝、大賀さんは兵庫県姫路市の自宅にいた。
『身動きのできない障害者がたくさんいるはず』
つながりやすい公衆電話に通って障害者の安否確認などに奔走。
自宅を拠点にワープロ通信でファックスを送り続けた。
「無事か?だいじょうぶか?」
頭文字をとって「ΟZの箱」と名付け毎日発行した通信は何度も転送され、
全国100カ所の施設や個人宅に届いた。
半月後には「被災地障害者センター」を立ち上げて行き場を失った障害者を探し出し、
ボランティアの若者らと24時間介護をした。
『復興じゃない。震災前より良くしていくんや』が口癖でした。
ファックスをきっかけに神戸市を訪れ、今も同市長田区で障害者支援に携わる毛利須磨子さん(41)は振り返る。
『障害者は仲間。困っている人を探して、困っていることを聞くんや。』
若いボランティアに大賀さんはいつもこう語りかけた。
障害者の避難生活を間近で見た大賀さんは95年5月、兵庫県と神戸市に復興計画への要望書を出した。
「障害当事者と共同でニーズ調査を」
「仮設住宅の段差やトイレは高齢者や障害者の生活が前提になっていない」
こうした声が少しずつ行政に届き、復興の過程で駅のバリアフリー化などが実現していった。
そして16年後に起きた東日本大震災。
阪神大震災を機に障害者の自立を支援してきたNPΟ法人「ゆめ風基金」(大阪市)を中心に、
のべ100人を超える障害者がヘルパーを伴って東北を訪れた。
東北で、生活相談・東北の被災地では7カ所で「被災地障害者センター」が立ち上がり、
障害者の生活相談や送迎を手掛ける。
ゆめ風基金の橘高千秋事務局長は
『大賀さんを中心にやってきたことが今の活動の教科書になっている。』と話す。
2004年、大賀さんは交通事故で高次脳機能障害になり、晩年は障害者施設「ひびき福祉会」(兵庫県姫路市)などに役員としてたまに顔を出すのが精いっぱいだった。
昨年7月、食事をのどに詰まらせて急逝した。
『被災地に行きたいんや。』
昨春、同会の後藤由美子理事長(54)は大賀さんの絞り出すような声を聞いた。
『東北が気になって仕方がないのに、自らも障害者になり体が動かず悔しそうだった。
これからも活動を続けることが大賀さんの願い。』と空を仰いだ。
ヒデの救援レポート2013年2月18日№108 以上。

hideの救援レポート2013年2月12日№107

●18年前の記憶・1月17日
・hideの住まいする大阪北部、箕面市の朝。
突然、警報が鳴り渡り、防災無線が飛び交った。
自治会のひとが各家を訪ね回って、安否確認の印しの布を門扉のところに出すべしと触れ回わる。
それで、18年前の阪神・淡路大震災の記憶を探り当てて(18年の時間を使い、東日本大震災に急かされて、やっと行政も、重い腰を上げた、第1回目の全市一斉防災訓練だよなぁ)と、あんまり役立つこともないだろうけど、やらないより、やった方がいいと、
hideも小さく参加の門扉に白いタオルを括りつけました。
別途、障害者市民ネットワークは、安否確認の防災訓練をやっとります。
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これまで届けた救援金
233,894,624円(2013年1月31日現在)
内・東日本大震災救援金総額
188,385,539円(2013年1月31日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
「市民活動総合情報誌【ウォロ 2012年12月号からの抜粋】
社会福祉法人・大阪ボランティア協会出版部
TEL 06-6465-8395
FAX 06-6465-8393
●東日本大震災
・岩手から「大槌町のこれから」被災地にいるからこそ見える現地の今を伝える:末村裕子・大槌町復興局参与
・2011年3月発災直後、多くの人命を失うと同時に燃料に引火した火災に苦しめられた岩手県上閉伊郡大槌町。
民家のプロパンガスや車の燃料も発火し、避難先となった高台の城山体育館にさえ火の手が迫った。
3日間燃え続けた火は津波犠牲者の遺体まで灰にしたという。
まだ雪の舞う被災地の生活は暖の確保に奔走した避難所に始まり、応急仮設住宅(以下、仮設住宅)への最初の入居は2011年6月、8月上旬にようやく全世帯の入居を終えた。
学校は、被災5校を統合した小中学校仮校舎が9月中旬に完成、開校し、やっと一息と思いきや、最初の冬を迎えた仮設住宅では、水道管の凍結に翻弄された。
心休まる時間のないことばかりだが、こうして現実に起こる様々な困難を一つ一つ克服し、各々の思いを胸に1年目の慰霊の日を迎えた。
筆者は現在、岩手県下の被災地の中でもあらゆる面で甚大な被災を被ったこの大槌町で復興事業に携わっている。元々は公共政策(自治・行政改革)を領域とする実務志向の研究者だが、現在の職務を担うようになった原点は、阪神・淡路大震災での行政機能低下を目の当たりにしたことにあるため、被災後の迅速な行政機能の復旧や、状況の変化に対応しうる組織運営など、平素の行政改革も被災時を意識して取り組んできた。
発災から1年8ヶ月、2度目の冬を間近にした大槌町では、1日も早い再建環境や住まいの確保のため、具体的な事業検討を急ピッチで進めている。
その過程は住民参加が基本、まさに官民挙げてだといえよう。
町の立場からは、今回の津波規模を前提に、今後どの地域になら住み続けてもらえるのか、逆にどこはだめなのか、住めなくなる土地の保有者に対する代替地をどこに求めるのか、様々な公共施設の再建場所をどこにするのか、生業をどう取り戻すのか、次の災害時に安全なまちにするにはどうすればよいのか等々が検討課題となっている。
事業検討の結果をもって、大槌町でも2回目の事業説明ができる段階まで漕ぎ着けた。
今年10月下旬から11月中旬までは町の外に避難している住民対象のものを含め、
連日、説明会が開催された。
ある日の出来事。
中心地にお住まいだったAさんの応援職員への労いと「自分は高齢だけれども、なんとしてでもこの町にもう一度家を再建したい。再建して、そして天国に行きたい」との言葉が胸に迫った。
行政の仕事もこういう一人一人の気持ちの上に成立するものだとつくづく思う。
また、今改めて、阪神・淡路大震災から現在までの18年間で進んだこと、
市民として進める努力をしてこなかったことの一つ一つを思い知らされてもいる。
行政、NPO、企業など、色々な括りがあるけれど、どこに属していてもAさんの「切なる願い」を胸に、全員がその願いを実現する紡ぎ手となれるように期待している。


●通販生活No.247:2013年春号より転載
連絡:、カタログ・ハウス TEL 0120-164-164 0120-701-567
「福島を忘れない。」
『1日も早い脱原発なんて、そんなのムリだよ』という声が、経産省や電力業界だけではなくて、経済界を中心に活発になってきました。
曰わく、原発をゼロにしたら原油の価格が上昇したり、再生可能エネルギーのコストが高くついて、電気料金がどんどん上がって家計を圧迫していく。
曰わく、原発をゼロにしたら深刻な電力不足になって、経済が悪化し、雇用は守れないし、社会保障の財源もつくれなくなる。
曰わく、中国、北朝鮮、ロシアにとり囲まれているわが国が原発技術者を放棄したら、国の安全保障があぶなくなる。(核兵器をいつでもつくれる状態にしておかないとナメられる)
曰わく、「危険VS必要」「生命VS経済」といった不毛な2項対立はやめて、
それぞれが対案を出し合っていけば、いずれ国民的合意は生まれてくる。
これらの原発必要論や合意論には福島が欠けています。
つまり、これらはいずれも福島第一原発のメルトダウン事故が起こる以前に論じられるべき話しであって、
福島の事故が起きてしまったいま、多くの人は「必要を越えた危険の大きさ」を知ってしまいました。
もはや地震国における原発の存在については結論が出てしまったと言っていいのではないでしようか。
読者の中には、「いやいや、福島の事故だけで全原発即廃炉という最終結論を出すのは感情的すぎるよ」と顔をしかめる再稼働やむなし派もいらっしゃいますが、そんなやむなし派の皆さんにぜひ聞いていただきたいのが、2012年11月に編集部に届いた福島県の読者S・Tさんの声です。
『日本全国、いつ、どこでも大地震は起きる可能性があります。
原発があるかぎり、誰でも福島と同じような目に遭うのです。
どうしてそのことが、国の偉い人には分からないのでしょう(福島市:46歳)』
もう一回、福島レベルもしくはそれ以上の原発事故が起きたとき、
それでもあなたは、「やはりゼロはいけない、さらに安全対策を練り直して稼働し続けよう」と言えるのか、という問いかけです。
「もう一回起こったらゼロ派になるよ」というのであれば、その「もう一回」をふせぐためにいまゼロ派になってくれませんか。
福島を「もう一回」経験しないと原発を全廃できないとしたら、ドイツやイタリアの人たちに言われそう。
「やっぱり日本人はエコノミック・アニマルだった」って。
今年中に、全国の原発を一基残らず停止させる。
停止させたからといって即安全はつくれません。
炉内の使用済み核燃料は4~5年間プール冷却させたあとでないと乾式貯蔵キヤスク(容器)化できません。
各原発敷地内につくったキヤスク仮保管設備に貯蔵できるのは4~5年後。
これによってなんとか、「いつ、どこの原発が大地震に襲われても、福島レベルの悲劇はふせげる」
そして40年(くらいと言われています)かけて完全廃炉に取り組んでいく。
これが、「福島を忘れない」から生まれた地震国日本の結論でしょう。
以上。

ヒデの救援レポート2013年2月4日№106

●ドキュメンタリー映画【関西初!上映会】
「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者」
・上映時間74分
・入場無料、字幕付き
(監督:飯田基晴、制作:東北関東大震災障害者救援本部)
上映日:2013年3月3日(日)午後1時30分開場、2時開演
場所:大阪市立啓発小学校体育館(新大阪駅東口から、東へ徒歩10分)
●主催:認定NPO法人ゆめ風基金
●共催:啓発連合振興町会、啓発社会福祉協議会、地域防災センター
●問い合わせ:ゆめ風基金
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662
あの日から、私たちに何があったのか~マスメディアでは断片的にしか取り上げられない、
被災地の障害者のさまざまな現実に迫る。
障害があるということは、災害時には普段以上のハンディとなる。
2011年3月11日の東日本大震災、未曽有の大災害の中、障害を持つ人々に何が起きたのか?
福島県を中心に、被災障害者とそこに関わる人々の証言をまとめた。
●DVDも発売中
一般価格・3000円、団体・ライブラリイ価格(上映権付き)10,000円


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これまで届けた救援金
233,744,624円(2012年12月28日現在)
内・東日本大震災救援金総額
188,235,539円(2012年12月28日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある
河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
2013年3月出版予定「障害者市民防災提言集~東日本大震災版(仮)
定価500円~予約受付中
・お問い合わせ~ゆめ風基金
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662
【提言の内容】
1.地域に見合った災害対策を
2.命にかかわる支援と情報、すぐ届く体制づくり
3.福祉避難所に問題をすりかえないで
4.障害者などが関われる支援体制の確立を
5.障害者がふつうに暮らせる仮設住宅づくり
6.病院へも買い物にも行けない障害者、災害対策に移動手段の確保を
7.コミュニティーづくりこそ最大の防災
・番外編.自然災害は止められないけど、原発事故は止められる
・東日本大震災版刊行に当たって~「災害が起こる前の社会問題が浮き彫りになる」
  認定NPO法人ゆめ風基金:代表理事、牧口一二
2011年3月11日に東北地域を中心に起こった大地震、それに伴う大津波、
加えて福島第一原発の大事故は、あの日から1年半以上が経過した現在でさえ、
問題のほとんどが解決されていないばかりか、かえって深刻な事態が露呈してきています。
当初から、「1000年に一度の」とか「想定を超えた大規模な」と語られてきましたが、
そのような言い逃れこそ自然界の営みを超えようとした人類のオゴリにほかなりません。
自然のダイナミックな営みは、人間がいくら想像を膨らませてみても想定できるものではありません。
「大地震は地球がほんの少し寝像を変えたようなもの」と言われたりしますが、
そのたとえからボクは、地球が両手を伸ばして大きなあくびでもしょうものなら、
日本列島ぐらいはすべて大海原に呑み込まれてしまうのではないか、と
怖くて畏れ震え上がってしまいます。
大きな自然災害が起きると、その災害が起こる以前の社会が抱えていた問題点が浮き彫りになる、とよく言われます。
私たち障害者の立場からいうと、まさにその通りで、災害が起こる前に何となく感じていた疎外感、一人前扱いされていない生きにくさは、世の中全体が大混乱になった時に、障害者市民(私たちも社会を構成する一員なんだと、時々自らの自覚を促す意味でも「障害者市民」と名乗ります)が
不安になり、混乱状況を尋ねに行くと「いま、それどころではありません」とか
「あなたの来るところではない」などと、いろんな場所で、さまざまな事柄で後回しにされてしまったのです。
ボク自身が障害者市民の1人なので、説得力をもたないかもしれませんが、
世の中全体が大パニックに陥った時に、まず優先的に助け出される立場は障害者であり、高齢者であり、子どもたちだと思うのです。
それを障害者の身勝手であるとするなら、人間社会とはどのような理念や理性で形づくられているのでしょうか。まさか、人間も動物であるから弱肉強食もしかたないこと、ということでしょうか。
いま東北関東大災害・福島原発大事故から丸1年半が経ち、そしてゆめ風基金活動のきっかけになった阪神淡路大震災から17年が経過しました。
阪神淡路大震災を体験することから学んだ私たちはゆめ風基金の活動を進めていく中で
10年経ったころに「障害者市民・防災提言集」を刊行することになり、
その編集長を務めた八幡隆司理事は、大災害の2週間後には東北に入りました。
そして今年3月まで東北を拠点に側面からの支援活動に奔走してきました。
(じつは現在も続けています)
そして今回、前回の「障害者市民・防災提言集」を改めて検証しょうと試みていますが、
今回の東日本大震災は広範囲で規模も極めて大きく、その上原発事故という、
あってはならない人災が複雑に絡んでいるため、まだまだ掴み切れていないことも多く、
それでも今後に備えて、少しでも早くすべての市民と確認し合っておきたいことがある、との思いから新たに「東日本大災害特集・東北3県版」の刊行に踏み切りました。
そしてまた、ゆめ風基金からの声明として、これだけの大被害に福島市民をはじめ
多くの市民を巻き込み、仕事はもとより、住み家、そして家族や地域をバラバラにした原発の存在そのものの即時停止、廃絶を強く求めます。
人間の能力で制御できないものを作り使ってはいけません。
放射能を消滅させるには1000年もいやそれ以上かかるわけで、
次世代にツケを回してはなりません。
ここに断固として宣言します。
以上!
ヒデの救援レポート2013年2月4日№106

ヒデの救援レポート~2013年1月21日№104

放射線による障がいを持つ福島県民などの健康等に関する影響
「JDF被災地障がい者支援センターふくしま代表・白石清春」
●その4
「原発に関する私の主張と未来の方向性」
このように、福島の原発事故は私たち障がい者にも多大な影響を及ぼしている。
私は、福島県に生きる人間として、障がい者として原発の再稼働に関しては
絶対に容認できない。
何故に、人間の力や技術では制御できない原発にこだわるのか。
もし仮に、事故を起こさないで原発が寿命を終えたとしょう。
その引退した原発を解体しなければならない。
原発を解体するにも何年もの時間を費やし、被ばくを受ける作業員を無駄に増やし、
解体作業にも莫大なお金がかかるだろう。
そのような経費の計算は各電力会社ではしていないだろう。
そして、何十年とかけて冷やされた使用済み核燃料を固化したガラス容器に詰めて、
地下深く何十万年という気が遠くなるほどの歳月を安全に保管しなければならないのだ。
フィンランドでは原発が立地されているオキルトオト島の地下の岩盤をくり抜いて、
地下400メートルに核廃棄物を永久保管する「オンカロ計画」を進行中である。
私は、オンカロをモデルとした映画「100000年後の安全」を観た。
10万年後は文明自体が変化して、この時代の言葉が通用しないかも知れない。
危険な核廃棄物が入っていることも知らずに地下400メートルの封印を開けるとも限らない。
いくら堅い岩盤とはいえ、年月を経る中で海水が貯蔵施設に入り込んでくる危険性も零ではない。
我が国ではまだ核廃棄物最終処分場をどこにするのか決まっていない。
このように地震の多い日本、地下深くに最終処分場を建設できるのだろうか?
最終処分場が決められないなか、原発を再稼働させていくということは
使用済み核燃料を冷やしておく燃料プールを、原発の敷地内に増設していくことになるのだろうか?
日本で処分することができない場合は外国に処分を依頼するのだろうか?
そのような深刻な問題を棚の上に置いて、原発の再稼働をするというあきれたずさんな計画?を立てているのが日本政府や電力会社、原発関連会社である。
前述したが、福島原発1号機から4号機の内部がどうなっているのか全然わかっていない状況がある。
放射線量が非常に高いために作業員たちが原発の内部を確認することができないのである。
福島原発は建設されてから40年も稼働し続けていたために格納容器などが劣化していたことも考えられる。
東日本大震災の地震によって格納容器が壊れたかも知れない。
福島原発の事故の検証や内部状況の点検などが全然行われていないにも関わらず、
大飯原発の再稼働やその他の原発の再稼働にゴオサインを出すという政府の判断は絶対に間違っている。
原発事故により福島県民が失意のどん底に突き落とされているこの現実を
日本の政治家はどのように把握しているのか。
農業も漁業も牧畜業や酪農も放射性物質のばらまきによって、何もかもが崩れ去っていく
福島のこの現実をどう見ているのか。
福島県民は多量の放射性物質にまみれて福島県が衰退していくのを待っているだけなのか。
第一次産業が壊滅的であるなら、第二次、第三次産業においても壊滅的ダメージをこうむるのではないか。
せめて、せめて福島県の子供たちだけでも政府の責任で放射線の影響のない地域に集団疎開させていただきたい。一時的に福島県の人口が減ってもいいだろう。
子供たちが放射能に汚染されずに済むのなら。
何百年、何千年かかろうと、福島県の新生を願う強い志があるのなら、
福島県民の子孫が自然豊かな、米の美味しい、果物がたくさん実る福島県は不死鳥のようによみがらせるはずだ。
それにかけて、遠い未来を見据えよう。
大都市東京が停電になると2011年の夏は大騒ぎしたが、
なんとかその危機を乗り切ったではないか。
2012の夏、大飯原発を再稼働しなければ
大阪は14%マイナスの電力減になるといっていた。
大阪人の気質でみんなの創意工夫があれば、大飯原発を再稼働しなくてもこれからの夏を乗り切れると私は信じる。
病院には自家発電装置を設置(政府や行政が補助)して、人工呼吸器を使用する
医療的ケアを必要とする人たちには、行政が小型発電機を支給するような対策をとっていき、
大阪府民や大阪市民、それに大阪の企業が消費電力を減らす努力をすれば、必ず乗り切れる。
日本の国民が数年間の夏の季節を乗り切り、その数年間で地熱発電、海洋風力発電、太陽光発電、
波力発電、河川発電などの自然エネルギーを利用した発電システムを設置していけば、
必ず未来は拓けるであろう。
続く
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被災障害者支援ゆめ風基金がこれまでに届けた救援金
233,744,624円(2012年12月28日現在)
内・東日本大震災救援金総額
188,235,539円(2012年12月28日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある
河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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東日本大震災救援活動の中のhideの風景
ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんのコンサート
「六文銭’09コンサート あしたを考える力」を被災地と共に
日本のフォークシーンを支えた小室等、及川恒平、四角佳子による伝説のフォークユニットが、
2009年こむろゆいの新加入を機に「六文銭’09」として再び始動。
「うた・と・おと」を模索し続け、今に生きる70年代の「おとのば」で、
懐かしく、そして新たな感動を呼び続けています。
2013年3月10日(日)午後1時30分開場
神戸新聞松方ホール(JR神戸駅、南へ徒歩5分)
全席自由、前売り3500円、当日4000円
●お問い合わせ、チケットは→「神戸芝居カーニバル」
TEL・090-1914-4907(中島)
FAX・0797-77-4697
予定演奏曲目:「雨が空から降れば」、「たびだちの歌」他
協力・認定NPO法人ゆめ風基金
以上

hideの救援レポート2013年1月15日№103

hideの救援レポート2013年1月15日№103
●放射線による障がいを持つ福島県民などの健康等に関する影響
「JDF被災地障がい者支援センター・代表:白石清春~その3」
10:東京電力に賠償請求を上げられない障がい者が存在する。(東京電力に賠償請求を上げようとしても、目が見えないので説明書が読めない、
相談窓口に手話が分かる職員がいない、知的障がいがあるために説明書の内容が
分からないなどの障がい者が多数存在していた。)
今年の1月29日にJDF・日弁連・福島県弁護士会との共催のもと、障がい者にも分かりやすい東電賠償問題の勉強会を郡山市のホテル・ハマツで開催していった。
関係者も含め参加者は100名を超えかなりの関心度であった。
勉強会開催後、支援センターに原発賠償に関する問い合わせが多くなってきている。
支援センターの職員が初歩的段階での対応が出来るように内部の勉強会を行って
いかなければならない状況になってきている。
支援センター内部の勉強会と併せて、福島県内の弁護士さんや賠償関係団体との連携を
さらに深めていかなければならないと考えている。
第2回目以降の勉強会は、いわき市、南相馬市、福島市、会津若松市で開催された。
11:放射線の影響から堕胎や子殺しなどが増えていく危険性
現在、福島県の水面下で堕胎が増えていっているという情報が入ってきた。
放射性セシウムは筋肉に溜まるといわれている。
女性の場合は身体にあまり筋肉がないので、筋肉質の子宮にセシウムが溜まって、
そこから卵巣に向かって放射線が打ち出される。
女性は産まれてくる時にはもう立派な卵巣を授かっている。
放射線による影響は、子ども、孫とその害は続いていく。
福島の妊娠した女性は、放射線の影響によって我が子が五体満足の子どもでなかったらと考え、
あるいは家族や周りの人たちに言われて、堕胎をしてしまったのであろう。
反原発のデモの時に、プラカードにチェルノブイリで産まれた五体満足でない赤ちゃんの写真を
掲げて歩いているグループがある。
反原発イコール五体不満足の子どもが産まれると、短絡的思考でものごと考えて行動されると、
私は、障がい者の立場から日本国民に、世界人類に向かって訴えていかなければならない。
私は、脳性マヒとしてこの世に産まれてきた。
この、脳性マヒという特性を受容するまでは長い年月を必要としたが、
今では堂々と脳性マヒである自分が愛おしく、脳性マヒであることを楽しんで生きている。
私は若い時分に脳性マヒ者による運動体であった青い芝の会に入っていた。
その当時、我が国は高度経済成長を目指して突き進んでいたころで、
経済成長に合わない障がい児が産まれると、その親が悲観して我が子である障がい児の命を絶ったり、
心中事件があとをたたなかった。
また、全国各地の地方自治体で「不幸な子どもを産まないようにしょう」というキャンペーンが張られていた。
このような優生思想と対決していったのが脳性マヒ者によって組織された青い芝の会であった。
その当時、優生保護法という法律があって、妊娠した際赤ちゃんに障がいが見つかった場合には
堕胎しても良いと法律に明記されていた。
優生保護法は青い芝の会などによる運動によって廃案となったが、
優生思想は、障がい者を差別する意識は脈々と今でも続いている。
私は脳性マヒ者として産まれてきて、本当によかったと考えている。
私と初めて会う人の口からは「あらあらこんな身体で大変でしょう。頑張ってくださいね」という言葉が発せられる、全然大変じゃないよ。
障がい者だから頑張らないといけないの?と、いつも思っている。
宇宙創造主からいただいた身体だから、精一杯愛して生きていかなければ。
「五体不満足」を出版した乙武洋匡氏も人生を最大限エンジョイしているではないか。
原発事故による影響から、福島県でも五体不満足な子どもが産まれてくる確率は
0ではなく増えていくことであろう。
いくら五体不満足でも人間として生きているのには変わりない。
この世で生きていけないものは胎児のうちに淘汰されるから。
そのような障がい児も社会の中でみんなと一緒に生活できる環境を創り出していくのが人間の役目であろう。
私は障がい者、原発事故によって産まれてくる障がい児を否定することは、
私自身を否定することになるから。
続く
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これまで届けた救援金
233,744,624円(2012年12月28日現在)
内・東日本大震災救援金総額
188,235,539円(2012年12月28日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連:   2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
今年の認定NPO法人ゆめ風基金第11回法人総会は、3月23日、夕刻より、
JR新潟駅構内の新潟大学 駅南キャンパス 「ときめいと」(プラーカ1・2階)で行います!
「被災地支援~ゆめ風であいましょうin新潟」
24日には、午後1時より、「新潟ユニゾンプラザ多目的ホール(TEL025-281-5511)
ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんと、こむろゆいさんのコンサートを開きます。
牧口代表理事との対談もあります。
★申し込み
社会福祉法人 自立生活福祉会・コンサート係
TEL 025-232-7245
FAX 025-378-0153 
前売り2千円、当日2千5百円
・東日本大震災発災時、被災障害者仲間の避難先、後方支援拠点として、
重要な役割で奮闘していただいた、新潟の仲間、ゆめ風ネットワークに
今回もお世話なることになりました。
ゆめ風理事会も、なるべくたくさん参加するべく、交通費を安く上げるべしと(ゆめ風基金としては、当然のことですが(笑))早割引とか、障害者割引を駆使するために、新スタッフたちが、交通機関の値段表とにらめっこし始めております。
やはり、早ければ、早いほど、料金は安くなります。
参加をご希望の方は、ゆめ風事務所までお問い合わせください。
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662
〓以上〓
hideの救援レポート2013年1月15日№103

ヒデの救援レポート2013年1月7日№102

ヒデの救援レポート2013年1月7日№102
●昨日のように、今日があり、今日のように、明日がある。
時は、常に新しい。
2013年の新しい時が始まります!
東日本大震災の被災地に、改めて、想いと視線を注ぎます!
お付き合いをよろしくお願いします!hide拝


●「放射線による障がいを持つ福島県民などの健康等に関する影響」
JDF被災地障がい者支援センターふくしま・代表:白石清春
●その2
5:政府や福島県行政が放射性物質に関する本当の情報を出さないので、
多くの福島県民が放射線量の高い地域で生活している実態
(原発が爆発した時に、
文部科学省にある緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)「スピーディ」の情報が
政府に入ってこなかったので、政府は同心円に避難区域を決めてしまった。
それによって、南相馬の人たちは放射性物質が大量に降りつのった飯館村に避難した。
飯館村の住民も放射線量の高い地域で生活していた。
政治家と官僚の意志疎通ができていない日本のお粗末な政治形態を見る。
福島県民の多くは政府や東電、または福島県から派遣された放射線の専門家の講演を聞いて、
「放射線はそんなに怖いものではない」と錯覚してしまっている面がある。
または放射線の恐怖から逃れたいので、わざと平静を装っている面がある。
6:障がい者にとってハードルの高い自主避難
障がい者は避難先での住環境、交通システム、介助体制などが整っていないと避難することは難しい。
そのような点を考慮して、相模原市に旧ケア付き住宅(私が相模原市にいた時分に建設された)を借り受けて避難拠点とした。
今年の5月末に1人の脳性マヒ者が相模原市に避難した。
その他に東京都、新潟県、兵庫県、広島県に仲間の支援を受けて数名の障がい者が避難している。
7:原発事故によって避難区域となった地域から避難する際に、障がい者など多くの人たちが犠牲になっている。
津波や原発事故で多くの福島県民が着の身着のまま避難していった。
避難者の中には障がい者も含まれる。
6万人にのぼる福島県民が県外に避難している。
避難指示命令が出た時に、すべての住民が避難できたのであろうか。
逃げ遅れた障がい者の家族や、高齢者の夫婦が面倒をみていた重度障がい者のいる
家族は、我が子を置き去りにするわけにはいかないと避難区域に残っていた者がいるのではないのか。
人の支援も受けずに餓死した障がい者がいるのではないか。
または、避難区域にあった大規模入所施設の利用者たちは職員と共に
県内の避難所を回って県外の避難所に避難していったが、
その途中や県外の避難所で死亡者が出ている。
家族と共に避難した障がい者や高齢者は、避難途中の過労から、
避難先で大勢が死亡したという。
避難区域にあった病院は、病人を避難させなければならないと懸命に頑張ったが、
酸素ボンベを調達できずに、多くの酸素ボンベを使用していた患者を看取っていったという。
違う病院ではドクターや看護師が逃げてしまって患者だけが取り残されたという。
8:福島県から若い働き手が避難していくなどの状況があり、障がい者関係事業所では
職員やヘルパーの少ない状態が続いている。

私が理事長を務めているNPO法人あいえるの会では、
郡山市内に住む障がい者に対して福祉サービスを提供していく事業を行っているが、
大震災以降、若い職員やヘルパーが避難して行ってしまったので、
その補充につとめているが、なかなかなり手が集まらない状況が続いている。
福島県内にはあいえるの会のような「自立生活センター」が4か所あるが、
どの事業所も似たような問題を抱えている。
また、地震と津波と原発事故にあった南相馬市の障がい者関係事業所では、
利用者が定員オーバーしているにもかかわらず、職員の数が少ない状態になっている。
大震災当初から働きづめだった職員が精神的に疲れ果てて、退職を願い出る者があとをたたないという。
9:福島県内の障がい者関係事業所では農業ができない所がある。福島県内の障がい者関係事業所では、自然に抱かれた農地を耕して美味しい野菜などを市民の消費者の皆さんへ提供して、その収入を利用者さんの工賃に充てていた所があった。
目の前に「野菜を作ってよ」とささやいている農地があるのに……。
農地を前に呆然と立ち尽くす利用者さんたちと事業所の職員たち。
このような理不尽なことがあっていいのだろうか。
その農地のベクレル量が非常に多く農作業ができないので、農地の除染を行うために
放射性物質を吸着するという菜の花やひまわりを植えていこうという活動を行っていった。
ひまわりの茎や葉や根に放射性物質が吸着することは確かめられたが、
ひまわりなどの残滓をどのように処分していくのかがまだ決まっていない。
〓続く〓
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連:   2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
昨年末、とても嬉しいことがありました!
12月18日、奈良県で小さな町工場をやっておられるMさんのことです。
一昨年、知的身体障害のある息子さんを(27歳・Hさん)亡くされ、ゆめ風基金のことを新聞でお知りになり、東日本大震災の折りには、一般的な支援ではなく、Hさんの遺志として、ゆめ風基金に託したいと、突然おいでになり、
話し合いの後、ポンと封筒に入った、現金50万円を差し出されたのです。
昨年は、100万円でした。
2年連続の嬉しい訪問でした。
兄弟で経営していた会社を退職され、退職金の一部だとのことです。
今年春には、新しい会社を設立するから、これからも、末永いお付き合いをと、
深々と一礼されて、サッとお帰りになられました。
この不景気な世の中、人間を信じることの大切さを確信させる行為ではありますまいか。
お連れ合いさんも、奈良県で小さな、障害者作業所を運営されているとのことでした。
本当に感謝です!
本当に嬉しいことです!
以上!
ヒデの救援レポート2013年1月7日№102

ヒデの救援レポート:2012年12月25日№101

ヒデの救援レポート:2012年12月25日№101
●今回で、このhideの救援個人レポートは、2012年度最後とします。
とは言っても、人間は不条理な生き物で、空間に、季節、時間を刷り込んで、
勝手に年末だあ、新年だあと騒いでいるだけなんですね~!?
人間以外の生き物には、年月は無く、時間の流れるままに、命を生きているだけです。
我が家の2匹のネコも、お正月なんて知らないよ顔してます。
ボクはと言えば、連れ合いを亡くしてからは、年賀状を出さないと決めて、
欠礼したまま、酔っ払うばかりだす。
まぁ、あれこれは、あるけれど、被災地のことを想いながら、2013年を迎えます。
みなさん方、来年もよろしくお付き合いくださいませ!
hide拝


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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連:   2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い=吾亦紅」と咲くのです。


●京都・花園大学・人権教育研究センター報第22号からの転載
連絡先
TEL 075-811-5181
FAX 075-811-9664
●阿部泰宏氏の紹介~中通りの人として
「中通りの人としてしかものは言えません。他の地域の人たちのことは実感できない。
でも、中通りの人としてなら話せます。」
そう前置きされた阿部泰宏氏。
阿部さんの口より流れ出た言葉は、阿部さんが現在も住む福島市の様子、さらには中通りの抑圧された現状を、私たちの前に映し出した。
阿部さんは、福島市内にある映画館、フォーラム福島の支配人である。
福島に生まれ育ち、東京の大学を卒業された後、福島に戻った。
そして当時立ち上がったばかりの、市民出資型の映画館・福島フォーラムへと就職した。
以来27年間、今はスクリーンを6つ持つ映画館の支配人として勤めておられる。
10数年前にシネコンが進出してきた際も、原発事故が起こった後の今でも、そして原発事故からいままで、原発や放射能に関連する映画、たとえば原発から出る放射性廃棄物を題材にしたマイケル・マドセン監督「10万年後の安全」や、チェルノブイリ原発事故で強制移住地域となった農村の暮らしを追った本橋成一監督「ナージャの村」などー多数を上映されている。
3・11と題される東日本大震災、そしてその後原発事故。
その発生から1年、そして2年経とうかというところであるが、未だ収束の気配はない。
だが、そうであるのに新聞の紙面やニュースからは原発事故や復興に関する話題はどんどん減っていく。
「原発事故の一連の問題は、忘れてはいけないし、常に意識の上においておかなくてはいけない問題です。
そして原発事故は、どのような街にも当てはまる問題の根っこを持っています。」
阿部さんは語る。
今もっとも恐れていることは、原発事故、問題を、忘れられてゆくことであると。
原発事故の被害を受けた街、そのように聞くとどのようなイメージを持ってしまうだろうか。
黒くよどんだ雰囲気に包まれた街なのか。誰もいなくなった街であろうか。
実際は、普通に生活しているのである。
放射能、という異常なものを受け入れて。
否、心の底に押し込んで、押し込められて、生活している。
子供連れの家族、土や水と関連する農業、林業、漁業といった第一次産業の人たちは敏感に察知して外に避難していった。
避難区域の人たちも避難してゆくが、福島市は避難区域ではない。
放射線管理区域になりうるホットスポットは探せば出てくるのに。
例えば、ある、雨どいの下のじめっとしたところを線量計で計ったことがある。
そのとき、40マイクロシーベルトはかれる測定器が、数値を振り切った。
2つの地元紙、福島民報と福島民友新聞の一面。
そこには、毎日、原発事故、あるいは放射能に関連することが記載される。
中を開けばずらりと並ぶ数字の一覧表。
株価の紙面ではない。
それはすべて放射線量の測定結果。
また、食品の放射性セシウムの摂取について書かれた記事など。
テレビをつければ天気予報の前後には今日の線量予報。
「でも【危険】をいわなくちゃいけないけど言えないんです。…~このマインドが中通りです。」
そこには裏づけのない「よくわからないけど、大丈夫なんじゃないのか」という無責任な物言いが存在する。
「いざ、という非常事態が起こったとき、私たちは白、黒、という判断はできないものです。そのときには、グルーゾーンでしか生きられない。」
映画を見ていると、どうしても一見関係のない映画も、自分たちの状況に照らして見てしまう。
例えば映画「マトリックス」。
主人公であるネオ(トーマス)が迫られた、このまま日常に違和感を持つ仮想空間で生きるか、
それとも現実の世界に目覚めるかという選択。
ある登場人物の「これは嘘の快楽だ」といった言葉。
どうしても今の自分にぴったり来てしまう。
「いい映画は、普遍的な、すべての問題に通じるメッセージを持っていると僕は思っています。」
原発事故から1年を過ぎ、中通りの現状も変わりつつある。
1つに、昨年6月からフォーラム福島での「映画から原発を考える」という企画は10数回を過ぎたが、当初より人が減少・固定化されてきた。
阿部さんが見るに、「ここ・福島・から出るか、残るか」の判断を決めた人たちが大半を占めるようになってきたからではないか、と。
ここまでの記述は8月の末に阿部さんにインタビューを行った際のものであったが、
そのインタビューの最後に、私にとって印象的なことがあった。
インタビューを始めて2時間経た阿部さんの表情が、幾ばくか明るくなっていたのだ。
「日ごろ溜め込んでいることすら忘れているのです。
出ればハッとわれに返る。
話を聞いてくださるあなた方は、セラピストのようなものです。」
「グレゾーン」の現状は、ひとことでは伝えきるとができない。
そして私も力及ばずながら、ここに書付けたことは、阿部さんが言っている事の本質を、
半分も捉えることができていないのではと思っている。
しかし、あらゆる問題はこのグレーゾーンの現状から発せられてている以上、
知ることが重要である。
事は単純ではない。
だからこそ、私たちは直接に耳で、身体で、その現状を聴き、問題の根底にあるものは何なのかを見極めようとしてゆくことが必要である。
岐路に立たされている私たちは、ここがスタートラインなのではなかろうか。
〓以上〓
ヒデの救援レポート:2012年12月25日№101

ヒデの救援レポート:2012年12月17日№100

ヒデの救援レポート:2012年12月17日№100
●お待たせしました!
「ひとつの命、ふたつの出会い、みっつの絆」をテーマにした、
2013年改訂版・A4判88ページ・500円の「障害者市民防災提言集」が出来ました!
編集委員会編・発行、認定NPO法人:被災障害者支援ゆめ風基金
申し込み
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662
売り切れ状態が続いていた提言集が、やっと刷り上がりました。
ぜひ、お申し込みください!
来年早々には、「障害者市民防災提言集・東日本大震災版(仮)」が出来上がる予定です。
予約受付中です!


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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連:   2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のhideの風景
・認定NPO法人、市民活動センター神戸の機関誌みみずく31号からの転載
連絡先 
TEL 078-367-3336
FAX 078-367-3337
「東日本大震災支援(避難サポートひょうご)始動」その2
・これからの課題
避難者の7割が母子避難といわれています。
なぜ母子避難の方がこれほど多くなってしまったのか、支援にあたり
行政も民間もそのことに思いをよせることが大切だと感じています。
せめて大切な子どもたちには、放射能の影響の少ない関西の地で健やかに育ってほしい、
そういった思いで兵庫県まで避難されてきています。
避難されるまでの葛藤、家族間の衝突、避難されてからの不慣れな土地での生活・・・。
長期化する避難生活に離婚問題なども顕在化しています。
メンタル面は問題、放射能による健康被害なども見聞きするようになりました。
母子家庭と似た境遇でありながら、支援の手がなかなか届いていません。
柔軟な就労支援やいつでも利用できる健康診断、また個別のパーソナルサポートの必要性が増していきます。
今後も、どのような応援の仕方があるか考える場を持ち続け、避難者とまだつながりのない社会資源「地域の持つ力やNPO活動、専門支援など」とを結びつけ、支援の輪を広げていきたいと思っています。
東日本大震災の被災地は東北ですが、関東にも、そして私たちの住む関西・兵庫・神戸にも、
被災されてる方々が多くいることに関心を持っていただければ幸いです。
地域がどのようにこの課題を乗り越えていくか、皆さまからのご支援をお願いいたします。
文 F


「月桃の花」
歌舞団ミュージカル・ワーキングプア希望宣言
フリーダム「原発時代を人間として生きる!」
日時:2013年1月26日(土)午後1時30分開場
場所:大阪市・西区民センター(地下鉄の西長堀駅下車)
前売り~大人2000円、学生、障害者1000円、高校生、フリータ、非正規500円、
被災地避難のかたは無料です!
●問い合わせ
TEL06-6885-8475


「放射線による障がいを持つ福島県民などの健康等に関する影響と、原発に関する私の主張と未来の方向性」
JDF被災地障がい者支援センターふくしま 代表:白石清春

10月に訪ねた福島・郡山市の白石さんから、現在の心境を綴った文章が届きました。
ご紹介しますが、長文のために、何回かに分けて、お届けします!
その1
「2011年3月11日の東日本大震災によって、福島県は地震、津波の自然災害と原発事故の人災による
3つもの大きな災いを受けた。
特に原発事故によっては、放射性物質が福島県全体に撒き散らされ、
今後、福島県民の健康を脅かす状況がたくさん出てくることを危惧している。
障がいを持つ福島県民として、放射線によるリスクをどのような形で抱えているのかを
以下に述べていく。
①「細胞の成長の早い子どもたちの健康不安」
放射線の影響は成長の早い子どもの身体を蝕んでいく。
放射線のエネルギーで細胞のDNAが傷つけられる。
そのDNAが修復されないうちに細胞分裂が起こり、悪性腫瘍ができやすい身体になっていく。
さらに、放射線による影響から免疫力低下の状態になっていくことが考えられる。
②「免疫力が弱まっている障がい者、高齢者の健康不安」原発事故の影響からいまだに放射性物質が飛散している福島県である。
放射性物質による被害は一番はじめに子どもたちが犠牲になる。
次に免疫力の低下した障がい者や高齢者に犠牲の矛先が向けられていくと思われる。
私は郡山市に住んでいるが、私が電動車いすで走っている途中の保育所の前に
放射線を測るモニタリングポストが設置されている。
数値は毎日0.4マイクロシーベルトを示している。
この数値は、病院のレントゲン室と同じである。
レントゲン室の中で毎日生活しているようなものである。
③「福島産の野菜、穀物、肉、魚、乳製品などの食べ物を摂ることによる内部被曝」
放射線被ばく関連の情報では、外部被ばくのことだけがクローズアップされているが、
本当は内部被ばくの方を真面目に考えなければならない。
ある専門家の話だと、外部被ばくが15%だとすると内部被ばくはなんと80%になるという。
人間は1日に5㎏の空気を吸うという。
この空気の中にも放射性物質が紛れ込んでいる。
また、福島県産の野菜や果物、穀物の中にも放射性物質が混入している。
昨年から今年にかけて降った雪が解けて、その水が山から里へ流れてくる。
雪解け水の中にも放射性物質が入っている。
高齢者のいる家庭では庭に野菜を作っている。
その野菜を小さな孫にも食べさせている実態がある。
④「放射線による健康被害は長い年月をかけて現れるので、現時点では恐怖をあまり感じていない福島県民」
チェルノブイリの事故状況を調べている方たちの話を聞いていると、
放射線の影響は5、6年後から出てくるとある。
今はまだみんな平気で生活しているが、将来が恐ろしい。
チェルノブイリ関係の動画を見ていると、原発事故が起きた時に30歳だった男性が
40歳になった際、急に白血病に罹ったという。
相当、重篤な症状を見せていた。
福島県にもこのような恐ろしい現実が来るのだと思うといても立ってもいられない気持ちになってくる。
続く
ヒデの救援レポート:2012年12月17日№100 以上

hideの救援レポート:2012年12月10日№99

hideの救援レポート:2012年12月10日№99
●突然のお知らせ
訃報です。
・「被災地障害者センターいわて」の代表で、障害当事者の今川幸子さんが、
12月7日、午前3時に亡くなられました。(享年32歳)
今川さんのお誕生日,8日の前日です。
(大変申し訳ないことですが、
ご逝去された日を間違えて記入してしまいました。
本日、12月20日に修正させて頂き、心よりお詫び申し上げます。ご指摘くださりありがとうございます。)
巨大な人間としての宿題を、hideたちに残して、多くの先覚者がくぐった、伝説の門の彼方へ、
逝ってしまいました。
その宿題を引き受けることを誓って、合掌するばかりです。
・hideの畏友のおひとりで、人工呼吸器を使いながら、以前では、考えられなかった、
地域での自立生活を先駆的に実践されていた、佐藤有末恵さんが、
緊急入院先の病院で、11月15日、心不全で亡くなられました。(享年25歳)
有末恵さんは、医療的ケアを広げ、深める活動は、言うまでもなく、
仲間のバクバクっ子の先輩若者として、条件の厳しい大阪市内での独り暮らしにチャレンジして、
後に続く、多くのバクバクっ子を励ましておられました。
これらの実践は、それまで、医療と福祉のハザマに放置させられていた、
障害者市民問題の底辺に、鋭い光を注ぎ、障害当事者全体の事として、
世の耳目を集めさせたのです。
また、今回の東日本大震災に際しても、「被災障害者救援本部おおさか」の呼びかけに応じ、大阪、高島屋前での、被災障害者救援統一共同カンバ活動にも、率先して、参加されていました。
それらの活動モデルは、人間解放の質と、ひとらしい生き方に連なるものでもあります。
また、その真剣な生き方も、優しい情念に彩られたものでした。
hideが、6年前、連れ合いを病で失い、落ち込んでいた折り、彼女は、hideの頭をナデナデしてくれ、
「元気出さなアカンよ」と、パチクリしてくれたのです。
大人気ないかもしれないが、本当に嬉しかったし、助けられました。
そんな彼女は、沢山の仲間たちに送られて、多くの障害者市民運動の先駆者たちがくぐったであろう「にんげんの伝説の門」をくぐり抜けて逝ってしまった。
お母さん、お父さんの気持ちに想いをいたすと、言葉無く、呼吸が苦しくなるばかりです。
今は、ただ、宗教を持たないhideですが、合掌するばかりです。
ありがとう…有末恵さん!
あなたが伝えてくれた、視点と想いを、反芻しながら、hideもまた、生きるように死ぬまで、
あなたのことを伝えることを、今少し続けていくことを念じます!


11月10日の被災障害者救援本部おおさかの統一共同救援カンバ活動
・参加者28名
・募金額83,784円
●毎月、第2土曜日、午後1時から5時、大阪、難波高島屋前にて実施中。
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
その他、届けた救援金
・台風12号関連:   2,942,828円。
・フィリピン洪水関連:1,000,000円です。
●このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある、河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
・認定NPO法人、市民活動センター神戸の機関誌みみずく31号からの転載
(連絡TEL:078-367-3336 FAX、078-367-3337)
「東日本大震災支援『避難サポートひょうご』始動!」
その1
千名を超える方々が兵庫県に避難されてきています。
避難者の生活を少しでも安心なものとするためには、兵庫の社会資源と避難者とをつないでいくことが大切と考え、避難者支援ネットワークを立ち上げました。
兵庫県にいてもできる東日本大震災支援、広がる支援の輪にご注目ください。
「関西・兵庫への避難者」東日本大震災から1年7か月以上が経過しました。
しかし10月10日現在、いまだに32万人を超える多くの方々が、震災と津波そして原発事故により
避難生活を余儀なくされています。
そのうち関西圏への避難者は公式発表で4200名、兵庫県でも1000名を超える方々が
避難生活を過ごされています。
避難者は、避難元の住所地が福島県か、東北3県か、その他かによって避難先で受ける公的な支援が
大きく違い、また世帯ごとの避難、母子避難、原発関連の補償があるか、などによって
おかれた境遇に大きな違いが生じます。
よって、ひとくくりに「広域避難者」と呼んでしまいますが、おかれた状況の違いにより、
個人個人に寄り添った様々な支援が必要になります。
「兵庫のNPOによる支援」
昨年から物資提供や引越支援、交流サロン・カフェ、交流イベントの実施など、手探りのなか、兵庫のNPOによる支援活動が展開されてきました。
避難生活への支援の質向上と、支援団体間の情報と課題の共有、そして連携した支援体制の検討などを目的に、避難者支援団体のネットワークづくりを4月から準備し始めました。
「ネットワークへ」
避難者支援の問題は長期化し複雑化することが予想されます。
困難な課題に向けてどのような応援が我々にできるのか、一緒に考えていくような場を
早いうちにつくっておきませんかと各支援団体にお話しに上がりました。
支援団体には、従来の事業活動と避難者支援とで忙しくされているところにお邪魔しましたが、
兵庫県域での支援団体の横のつながりの必要性をご理解いただき、
兵庫県社協を始めとした社協、NPO、弁護士など、19の団体や個人のご協力を得て、
避難者支援ネットワーク「避難サポートひょうご」が立ち上がりました。
「避難サポートひょうご」の活動
・8月20日には、第1回目の避難者支援の勉強会&意見交換会を行い、
そこであがった避難者支援に関する課題を膝を突き合わせて考えました。
10月21日には被災した当事者でありながら支援情報の発信活動をされている「まるっと西日本」東日本大震災県外避難者西日本連絡会代表の古部真由美さん(茨城県から母子避難中)をお招きして勉強会を行いました。
情報発信だけでなく個別の相談にも乗っている現場から切実なお話しをうかがい、
必要な支援強化体制づくりの方向性を検討しました。
また古部さんの活動自体を、支援団体がどう支えられるかということも課題としてあがりました。
11月17日には、県内各地域で立ち上がっている避難当事者グループの座談会&ディスカッションを行い、
支援の質の向上をみんなでさらに考えていきたいと思います。
続く
hideの救援レポート:2012年12月10日№99  以上

ヒデの救援レポート2012年12月3日№98

ヒデの救援レポート2012年12月3日№98
★hideの畏友のおひとり、京都、花園大学の八木晃介さんが、発行している、個人情報紙「試行社通信313号からの転載。
連絡TEL&FAX:075-221-2672
「福島原発訴訟に立つ」
・東京電力福島第1原発事故をめぐり、福島地検はこの8月1日、
東電幹部や政府関係者に刑事責任があるとして、「福島原発告訴団」が提出した
業務上過失致死傷容疑などの告訴・告発状1件を受理、
また、同日付けで東京地検が3件、金沢地検が1件の告発を受理したことは
すでに報道でご存知のとおりです。
検察権力がまじめに捜査するかには懐疑的にならざるをえませんが、
ともかく最高検の指揮のもとに3地検が原発事故における刑事責任の有無を
捜査することになったことは歓迎すべきことだとおもいます。
このうち福島地検が受理したのは、東電の勝俣恒久前会長や清水正孝元社長ら旧経営陣のほか、原子力安全委員会の斑目春樹元委員長、保安院の寺坂信昭元院長ら計33人が業務上の注意義務を怠り原発事故を発生させ、避難した入院患者らを死亡させた上、多くの住民を被曝させるなど傷害を負わせたとする業務上過失致死傷害容疑の他、公害犯罪処罰法違反容疑、業務上過失激発物破裂容疑です。
33人には、当然のことに、山下俊一福島県立医大副学長ら福島県放射線健康リスク管理アドバイザーも含まれました。
これら原子力ムラの悪党どもを一網打尽的に被告の席にすわらせるところにまでいけるかどうか、
大いなる世論の支援が求められるところです。
さて、この11月中旬、第2次告訴・告発が全国的におこなわれることになり、
私と相棒は福島原発告訴団関西支部を窓口に原告団の一員になることにしました。
東電はあれだけの重大事故をひきおこし、甚大な損害を各方面にあたえながら、
なにほどの反省もしていません。
また原発推進政策をすすめてきた国、さらに原発利権にむらがる御用学者も同罪であること、
いうまでもなくありません。
ただし、私と相棒が告訴人になるか告発人になるかは少々微妙です。
捜査機関に対して犯罪を申告し処罰を求める意思表示である点では、告訴も告発も同じですが、
犯罪被害者「もしくは法により定められた親族等」が申告する場合を告訴といい、
被害者でない第三者が申告する場合を告発ということは常識です。
もちろん、福島原発由来の放射能はわれわれが居住する京都をもそれなりに汚染していることはありうるし、もしかすると、やがてわれわれも一定の健康被害を実感することになるかもしれないし、
そこまでいかなくとも、今回の原発人災によって甚だしい精神的苦痛をうけたことは事実なので、
その意味ではレッキとした被害者だといえますが、現時点においてはいずれも証明不可能なので、
その点では、告訴人に不適かもしれません。
ただし、原発事故の被害の概要やそれによる国や東電、御用学者どもの所業をある程度まで
具体的に認識してきたわれわれとしては、告発人になれる客観的な立場にあることは確かです。
さらにいえば、大飯原発が稼働している現状では、私と相棒にかぎらず、
関西圏のかなりの人々が明確に被害予備軍です。
原子力規制委員会が10月24日に公表した放射性物質拡散予測によると、大飯で事故が起きた場合の
1週間積算線量は、原発から32・2キロ離れた京都市でも100ミリシーベルトになるところがあり、
風向き次第では、京都市内中心部に居住するわれわれも避難しなければならなくなります。
原発事故後の展開をみても、かって 丸山真男さんが指摘した「抑圧委譲の原理:」および「無責任の体系」がこの国に貫徹していること明瞭です。
告訴・告発行動で少しでも風穴をあけたいものです。
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これまで届けた救援金
228,744,624円(2012年11月13日現在)
内・東日本大震災救援金総額
183,235,539円(2012年11月13日現在)
ただいまの基金残高
258,210,574円(2012年9月30日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめ風基金 です。
「とうほく」と書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
hideは、この11月4日、hideの住む街の人権バスツアーに同行して、
奈良県にある、水平社博物館と、水平社宣言を起草した、西光万吉の生家、西光寺などを見学して、
部落解放運動の原点を訪ねました。
それまでの頭の中だけの、解放運動の風景の実像を実感しました。
歴史を知ることの大切さを改めてゴツンとですね~!?
それから、2日置いて、7~8日には、滋賀県で開催された、全国部落解放研究集会に、
友人とふたりで参加しました。
初日の全体会では、記念講演の中で、東日本大震災支援への部落解放運動の視点が色濃く、
力の入ったものでした。
福島県で起きている原発事故における、被曝住民に対する差別の問題が熱く議論され、
参加者は、全体で5千人を軽く超えていました。
2日目の分科会ては、hideたちは、部落解放教育の分科会を選び、参加しましたが、
素晴らしい、お世辞抜きの実践を聞かせてもらった。
大阪西成高校の貧困授業。
兵庫県の小学校でのプラス志向の解放授業が今までに無い、新鮮さを感じさせました。
その中のエピソードのひとつとして、日本で初めてまとめられた、杉田玄白の医学書「解体新書」の
解剖・腑分けが、玄白が実行したものではなく、当時、身分外とされた被差別部落の老人が解剖を行い、
それを玄白が書き移したこと。
後ほど、玄白が、「自分は医者なのに、腑分けも出来ないでいる」と泣いたという。
そのようなエピソードは、hideも初めて知り、本当に感動しました。
日本の医学は、被差別部落民の手によって、切り開かれたとの史実。
やはり、知ることの大切さを連続して感じた週でした。
でも、疲れたぁ!
以上!
ヒデの救援レポート2012年12月3日№98