ヒデの救援レポート、12月5日

ヒデの救援レポート、12月5日:49
南相馬発・福島の再生プロジェクトつながり∞ふくしま・未来を創る仕事
カラーで作られた、言葉の入った素敵なカンバッジが、福島の障害者の手で作られ、発売されました。1個150円です。
2センチ5センチmix南相馬引き渡しご注文数、100個入り、11000円
ふくしまは、いのります。このかなしみがくりかえされないことを
ふくしまは、ねがいます。あなたのふるさとが、いつまでもうつくしくあることを
FAX注文先・南相馬ファクトリー。0244-23-4177えんどう豆内
ゆめ風事務所でも扱っていますTEL06-6324-7702
障害者市民防災活動を助成します!
 NPO法人ゆめ風基金では、大規模な自然災害が起きたときに、少しでも障害者市民が受ける被害を小さくするために、各地で取り組まれる障害者市民防災・減災活動に助成を行います。
支援は、1事業につき、1回10万円を限度とします。
障害者市民防災活動とは?
 障害者市民が災害にあったとき、避難行動や避難生活がスムーズに行われるための活動、支援を有効に行うためのネットワークづくりなど、次のような活動です。
1・障害者当事者が中心となる防災活動避難所・避難行動体験や啓発・学習活動
2・防災を通じて障害者市民と地域住民とのネットワークがつくられ、日常の活動にもつながる取り組み。
3・災害時に障害者支援を行うための具体的な仕組みづくり。
4・障害者当事者の声を反映した防災の研究活動。
助成金の申請方法申請書に、事業を行う団体の紹介や、実施する事業の内容・予算など必要事項を記入して、郵送、FAX、またはメールで、ゆめ風基金事務局へお届けください。
 申請受け付け期間は特に設けていません。事業を計画したときに申請をしてください。ただし、事業実施3ケ月以前に申請をお願いします。単年度1月から12月で助成額100万円に達した場合は、その年度の助成申請を締め切ります。助成金を申請をされる方は、事前に事務局へ確認をお願いします。
助成決定・ゆめ風基金では、申請を受け付けて3ケ月以内に審査結果を申請者に報告します。
問い合わせ・ゆめ風基金事務局
TEL06-6324-7702 FAX06-6321-5662
 被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、11月30日までに、196332466円です。これまでに支援した団体、個人への金額。10月31日までに、112342372円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎのしおり第3期9月1日版・その1
 被災地障害者センターみやぎは、2011年3月31日に設立されて以降、事務局を担うCILたすけっとのメンバーと、センターみやぎに新たに加わった専従スタッフと、県外から応援にやってくるボランティアの皆さんと、日々変化する現実に体当たりで向き合い、混沌とした中でも本質を忘れずに、被災した障害者やその家族の真の声に真摯に寄り添い、活動を続けてきました。
被災地障害者センターみやぎとは
 被災地障害者センターみやぎでは、障害者と健常者が共に被災地の障害者支援活動を行っています。その活動の拠点・事務局は、CILたすけっとです。
 CILたすけっとは、障害を持つ人たちが中心になって運営している障害者を支援する団体で、自分で決めよう!地域で暮らそう!を合い言葉に、障害者が地域で生き生きと生活できる社会を目指し、障害を持つ仲間たちと一緒に様々な啓蒙活動をしています。
被災地障害者センターみやぎ設立の経緯
 3月11日。大地震の後、誰もが予想しなかった大規模な津波が東日本太平洋岸を襲いました。その時、たすけっとのメンバーは、ミーテングの真っ最中。
 電気が止まり、事務所の自動ドアのガラスが割れるなどの被害がありましたが、幸いけが人も出ず、それぞれ指定避難所へ向かいました。しかし、避難者がぞくぞくと増加する避難所では、車いすの通路を確保することさえままならず、その日のうちに事務所へとんぼ返り。
 たすけっとの事務所を緊急避難所にすべく皆で食料や雑貨などを自宅から持ち寄り避難生活を送りました。翌日、運の良いことにたすけっとの事務所がある一角だけ電気が通りました。
一斉に安否確認のメールを送信するとともに、できる限りのことをしょう!との思いで、事務所前に携帯電話の充電器を並べ、充電サービスを開始しました。そして、災害時、障害者が避難所にいられないことを身をもって体験したメンバーは、同じように苦境に立たされているだろう被災地の障害者の救援に乗り出すことを決定。震災から 一週間後には、救援物資の案内ビラの配布を開始。可能な限りの手段を使って、全国から届けられた救援物資をお届けする活動をはじめました。
 一方、大阪・東京では障害者団体が集まり、東日本大震災被災障害者救援本部が設立されました。たすけっと独自での救援活動を開始して数日後に、救援本部の関西の窓口であるゆめ風基金の理事が来仙。被災した障害者への 今後の救援活動について協議した結果、ゆめ風基金から全面的なバックアップを受けて、たすけっとが被災地障害者センターみやぎの事務局を担い、救援物資の提供にとどまらず長期的な視点で、被災した障害者の支援活動を行うこととなりました。続く
2011年11月4日呼びかけ発起人・福永年久拓人こうべ代表
TEL078-642-0142
阪神淡路大震災17回忌&東北沖大震災1周忌法要
復興記念イベント満月の夕、風の市企画案
 日々ご健勝のことと存じます。あの阪神大震災では、私自身も障害者自身による震災支援活動に取り組みました。その中から被災地障害者センター・現拓人こうべ・やゆめ風基金も誕生しました。そして今回の東北震災でも、各地に被災地障害者センターが設立されています。
 私も4月には福島の被災地を訪れ支援活動に当たり、また福島原発放射能被曝から避難する障害者の兵庫県での受け入れを現在取り組んでいます。しかし東北の震災被害からの復興はまだまだにも関わらず、原発問題のみに焦点が当てられ、風化させられる事に危惧します。
 忘れないために、東北震災への支援、そして阪神大震災、東北震災で亡くなった方々への追悼の意を込めて、下記のようなイベントを開催したいと考えています。神戸・阪神間の障害者団体や作業所が中心となり、そして開催地の地元である長田区の市民団体や商店等にもご協力いただき東北物産販売等を通じて、東北支援につなげ、そして何よりゲスト・ソウルフラワー・もののけサミットのライブ演奏で、みんなで元気に盛り上がりたいと思います。
 まだまだ全く構想の段階です。是非、多くの団体・作業所の方々にご協力いただき、一緒に取り組んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。
日時予定2012年2月8日(水)夕方
場所予定新長田駅前鉄人広場
 1995年1月17日早朝5時46分に、激しい揺れが阪神・淡路地区を襲いました。特に被害が大きかった神戸、西宮では、あちこちで家が崩れ、火の手があがり、逃げ惑う人たち。間もなくして潰れた家の下敷きになって亡くなった人たち。炎に巻かれて亡くなった人たち。どこを見てもガレキの街に化してしまっていました。避難所では、赤ちゃんの泣き声や障害者の声が煩いと言われ、肩身の狭い思いをした人たちも少なくありませんでした。
 そんな中なんとか仮設住宅ができ、そこに見知らぬ人たち同士が住み、それでもまだ避難所に残された人たち。心も身体も病んでいきそうな時、大阪のロックバンドのソウルフラワーユニオンの人たちが、エレキギターを三線に、キィボードをアコーデオンに、ドラムをチャンゴに、チンドン太鼓に、そしてクラリネットなどに持ち替えて、たちまちもののけ・サミットというバンドに変わり、昭和初期から大正時代の流行歌を、神戸や西宮にある仮設住宅や避難所に駆けつけて歌ってくれた。
 みんなの荒れた心や身体が癒やされ、それまで泣けなかった人たちが泣き、なごむ人・・・みんな元気になった。それから毎年、もののけ・サミットの人たちは、この神戸に来て、みんなと歌い、踊り、だんだん元気な神戸の復興に向けて歩き出したのです。
 あれから16年、来年は、17回忌を迎えます。もののけ・サミットのリーダーの伊丹さんから、17回忌を一緒にやろうとの声かけがあって、この満月の夕、風の市企画に至りました。
以上!

ヒデの救援レポート、11月28日

ヒデの救援レポート、11月28日:48
 以前にも紹介した、大阪北部にある、豊能障害者労働センターのスタッフIさんものがたり!
 以前に、10日間、被災地障害者センターみやぎに入り、救援ボランティアとして活動したIさんは、その後も被災地のことを気にし続けて、被災障害者救援本部おおさかの会合にも欠かさずに参加していましたが、11月に入って、労働センター機関誌に被災地のことを掲載するために、センターみやぎに取材に行くことになりました。
 取材のために、労働センターの知的障害者スタッフ、PさんとYさんの3人で、3人軍団を結成。生まれて初めての飛行機に搭乗して3人共に、飛行機は初めて。滑稽な程に怖がっていましたね。デッパツしたのです。そして、3日後に帰ってきました。
 そのIさんの語る話。センターみやぎに着くと、知り合いの人たちが、とても歓迎してくれたのだけど、ボクが髪の毛をグリーンに染めていたので、みんな眼をパチクリ。その上、ふたりの知的障害者の登場に、もっとパチクリ。そう言えば、センターみやぎには、知的障害者がいないのです。
でも、代表の及川さん、事務局長の井上さんと話し込め、快く、取材をさせて頂きました。救援ボランティアのOさんには、大変お世話になりました。みんな気持ちのいいひとばかりです。
 中でも傑作だったのは、障害児のお母さんのひとりが、ボクの頭を見て、このグリーン色、いいなぁ。私、大好きと言ってくれたこと。軍団のPさんが、なんのてらいもなく、センターみやぎの会議に参加していたこと。障害児の親たちが、ボクのことを、こんなひとたちを連れて、仙台にまで来るなんて、エライなぁ。と、噂していたこと。ボクにすれば、Pさんも、Yさんも、同じ職場の同僚なんだし、普通の毎日の風景なんだけどなぁ。とブツブツ。
 さぁて、へんてこ3人軍団の取材で、どのような被災地取材記事になるのか、とってもタノシミです。
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、11月24日までに、192901932円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、10月31日までに、112342372円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
花園大学特任教授・八木晃介さんの私的メディア試行社通信からの抜粋
それでも原発なのかその2
 10月12日、横浜市港北区のマンション屋上で、放射性物質のストロンチウムが検出されました。ストロンチウム90半減期は約30年が1キロ当たり195ベクトル。
 横浜は福島第一原発から約250キロ。この数値は、福島第一原発から29キロの福島県浪江町の250ベクトルよりは低いが、36キロの飯館村の120ベクトルいずれも今年3-5月の文科省による土壌調査結果よりも高い。ストロンチウムはカルシウムに似て水に溶けやすく、体内に入ると骨に集中するので、骨の癌や白血病の原因になりやすいとされています。
 また東京大田区は10月7日、区立の保育園と小中学校の一部で空間放射線量を測定し、大森第4中学校の雨どいの地上5センチで毎時1・01マイクロシーベルトを記録したと発表しました。
 さらに千葉県船橋市金堀町のふなばしアンデルセン公園の一角で市民団体が10月12日に放射線量を測定したどころ、毎時5・82マイクロシーベルトが検出されていたことがわかりました。船橋市はかっては私が、最近までは娘夫婦が暮らしていた所なので、皮膚感覚的にもまさにわがことです。
 こうした遠隔地の高濃度汚染地域を一般にホット・スポットとよんでいますが、これもまたどことなく作為的な呼称のようにおもわれます。というのも、点状の汚染地点という表現には、例外的地点というニュアンスがつよいからです。
 現時点においては、検査地点がすくないゆえに結果的にスポットになるのであって、メッシュ状により緻密な検査が実施されれば、もしかするとスポットではなくベルト、点ではなく面になる可能性もあるとおもいます。どのホット・スポットもおおむね市民の個人や団体がボランタリーに検査に従事して発見し、通報をうけた当局がそれを追認する形をとっていることも象徴的だとおもいます。
 福島県はいうにおよばず、この国のかなりの部分が徐々に人間の住めぬ場所になりつつあるのではないか。私などの世代はある意味もうどうなろうが世の大勢に影響はありませんが、これからの世界を生きていく権利と義務をもつ乳幼児をふくむ若い世代が今後10年あるいは20年先にいかなる災厄をこうむるか、まったく知れたものではない。そのような局面になってきました。
 このような局面をつくったのが私などの世代であってみれば、老人は老人なりに、いま反原発を懸命に闘わないかぎり若い世代への申し開きもできそうにありません。後略
被災地3県障害者センターでは、被災障害者の方々にアンケート調査を行っています。結果がまとまれば、またレポートします。
被災地障害者センターアンケートご協力のお願い
NPO法人・ゆめ風基金
被災地障がい者センターいわて
被災地障がい者センターみやぎ
被災地障がい者支援センターふくしま
 今回の東日本大震災で被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。ゆめ風基金は阪神淡路大震災をきっかけに、阪神間の被災障害者支援やその後の自然災害における被災障害者支援を目的に作られた団体です。
 ゆめ風基金では、今回の東日本大震災発生直後に障害者支援に当たることを決め、大阪、東京を中心とした全国の障害者団体のネットワークを形成し、岩手、宮城、福島の東北3県に現地支援センターを開設、緊急物資の提供はもとより、全国から福祉に関わりのある方々に現地入りしてもらい、様々な福祉サービスの提供を行ってきました。
 しかし過去の災害と同様に今回の大災害でも避難所では生活できない障害者が、親戚宅や日中活動の場に避難せざるを得ませんでした。その結果障害者の避難所を回っても障害者は見つからず、支援が十分届かない事態が起こりました。
 また避難所を始め避難生活で障害者特有のさまざまな困難事象があったり、仮設住宅の生活においても構造的な問題や利便性の問題など、多くの課題は過去の事例に学び解消されることがなかったため、またもや障害者がそのほかの人に比べてより大きな困難を背負う羽目になってしまっています。
 ゆめ風基金では過去の災害に学びそれを今後の災害支援に活かしていこうと設立10年を機に平時における防災・減災を活動の柱に加え、障害者市民防災提言集や防災ブックレットなどを作成し、この6年間は各地にその取り組みを広めようと努力してきましたが、未だそれらの取り組みが実を結んでいない現状を大いに反省しています。
 今回の大災害で犠牲になった人、様々な困難を背負った人が多数いる中で、その内容を後世に伝えるとともに、同じ過ちが起きないように新たな冊子を作り伝えていきたいと考えております。
 みなさまの中には今も日々大変な生活をしておられる方がいらっしゃると推察され、このようなアンケートが失礼になることがあるかもしれませんが、何卒私たちの趣旨をご理解いただき、ご協力をしていただけたらと考えております。
 また私たちは調査そのものが本旨ではなく、現在も被災障害者支援活動を最大の目的としておりますので、何かお困りの点などがありましたらこちらにお伝えください。微力ではありますが、最大の努力を持って応えていきたいと思います。
 なお、このアンケートや内容につきまして不明な点などがございましたら、下記までご連絡ください。誠に勝手ではございますが、できるだけ多くの方々にご協力頂ければと考えまして、アンケート用紙を5部同封いたしましたが、もし、足りない場合はコピーをお願い致します。10月末日までにご返送いただきますよう、どうぞよろしくお願い致します。以上
ゆめ風事務所に届いたお便りから
 初めてご連絡申し上げます。お忙しいでしょうから、なるべく要点だけと思っております。私、パッチワークをする者です。仲間の方達と福祉施設や個人の方に車椅子用のひざかけをお届けして来ました。ゆめ風基金のことは、永さんのラジオで知りました。阪神淡路大震災の寄付金の配り方に疑問を持ち、すぐに届けるという発想の元、立ち上げたと聞きました。今回の大震災にも3月12日には、必要なところに届けたとのこと。拍手喝采をしました。
 その趣旨に賛同し、何かお役に立てないかと思っておりましたが、最近、震災より半年を経て、少し落ち着いてきた仲間に相談したところ、我々にもできることがあるのか知りたいということでお便りさせて頂きました。
大金をポンと送金できれば良いのですが、殆ど年金暮らしの身の上、募金は続けられそうにありませんが、キルトパッチワークした布に薄い綿と裏をつけて縫い合わせたものや手提げ、クッションカバー、種々小物、テッシユボックスカバー等々なら、自前の物でできるのですが。お役に立つのかどうか知りたいのです。差し上げてご迷惑にならないものがあればお知らせ頂きたいのです。
 お忙しいところお手数をかけて申し訳ありません。どうぞよろしくお願い申し上げます。以前、施設に届けたひざかけのコピーを同封いたします。ご参考にして下さると嬉しいのですが。パッチワークの柄はいろいろ変わります。読んで下さりありがとうございます。11月3日・神奈川県中郡大磯町・F・N
スタッフの皆様へ。以上

ヒデの救援レポート、11月21日

ヒデの救援レポート、11月21日:47
 ゆめ風基金と友好的な関係にある、カタログハウスの雑誌通販生活2011年秋冬号で、1日も早く、原発国民投票を。とキャンペーンを展開しています。原発は安全だ、心配ないと言ってメルトダウンを引き起こした電力会社べったりの経産省、過去と現在の与党に、原発の将来を決定する権利なんてあるんだろうか。今後の原発のありようを決める権利者は、万一のときには子どもの命、ふるさとの喪失、農業牧畜漁業の崩壊を賭けなくてはならない国民1人1人です。
 どうか皆さんで決めてちょうだいという声がどうして出てこないのだろうか。と思ったら、前原政調会長は、どうやら原発国民投票に反対らしいぞ。2011年7月6日、朝日新聞の記事からの抜粋。前略・かつて、臓器移植の拡大を認めるか否かが大きな議論になりました。中略・まさにプロフェッショナルな政治家として判断を下すというプロセスを持ったわけですが、すべての国民にそれができたでしょうか。原発の問題も同じです。一部はともかく、国民全体が国会議員が行うような複雑な過程と長期の勉強をへて判断できるかというと、現実は難しいと思います。
 本誌から前原政調会長への反論、まず国民投票は問題を単純化して、イエスかノーで決めてしまう。そんな二元論に危うさを感じるとおっしゃいますが、だったら、設問を三元論、四元論でつくればいいのではないでしょうか。判断できないから保留を入れたらいいのではないでしょうか。
 つぎに、国民全体はプロフェッショナルである国会議員より今後の原発についての判断ができにくいとおっしゃいますが、それもどうかなと思います。閣僚や国会議員の中には官僚の振り付けで動いている人がけっこういること、国会議員の政治判断の前提にしばしば次の選挙という制約条件がついて回ることは国民の常識になっています。そんな議員さんたちと比べて国民は理性的、客観的な判断力で劣るとは言えないと思うのですが。そもそも国民投票とは、国民が1つのテーマについて、複雑な過程と長期の勉強をへて判断できるようにする制度のことでしょう。
 すでに成立している憲法改正国民投票法は、発議から投票日まで60~180日の勉強期間を置いた末の投票システムになっています。まずは国民自身の勉強からスタートするのが、国民投票システム。そんな勉強の一例をごらんに入れましょう。国民投票が約束されたら、国民はせっせとさまざまな主張を勉強するので、心配なさらないでください。
 ね、なかなかオモロイでしょ。ご一読を!
 連絡・TEL03-3200-9115
 FAX03-3200-9274
 みんなで決めよう原発国民投票
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、11月14日までに、190,784,349円です。これまでに支援した団体、個人への金額は10月17日までに、100,832,600円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 ヒデの畏友のおひとり、京都花園大学の八木晃介特任教授の私的メディア試行社通信11月号、それでも原発なのか、からの抜粋1
連絡TELFAX075-221-2672
 事故おこした福島原発がいまどのような状況のもとにあるのか、まったくわかりません。原発本体の状態もさることながら、たとえば大量の汚染水がどこに流出しているのか。地中・地下から周辺地域の土壌や海底・外海に滲出した汚染水の量と濃度はどれほどなのかといった基本的な情報もストップしたままです。
政府も東電も従来はもっぱら虚偽情報をタレながしてきましたが、ここにきて虚偽情報さえ差し止めている気配が濃厚です。政府は今年中に福島原発の冷温停止を達成すると発表しましたが、これは虚偽情報というよりは愚鈍情報というべきです。
 正常に作動している原発の核分裂反応をとめ、徐々に冷やして百度以下にすることが冷温停止であって、すでにメルトダウンをおこしている場合に冷温停止などという概念を用いることそれ自体が詐偽のようなものであること、素人の眼からしてもはっきりしています。一号炉の炉心に水がないらしいことはわかっているようですが、2、3号機はまだ原子炉建屋の中に人が入ることさえできないので水位計の調整も不可能だし、原子炉の中にどこまで水があるのかもわかっていないようです。
 にもかかわらず東電は、福島第一原発は、原子炉周辺の冷温停止状態ができたので今後もこの状態を維持すると発表しました。政府はこれに呼応して原発から半径20キロ~30キロの緊急時避難準備区域の解除をしてしまいました。福島第一原発には、まだチェルノブイリ原発の10倍の放射性物質があるといわれています。再度、大規模な地震や火災が発生した場合、冷温停止など維持できるわけがない。
 にもかかわらず、20キロ~30キロ圏内で人が生活できるなどと決めてしまう政府の真意がどこにあるのか、どうにも理解不能です。政府もマスコミも福島原発の状況の過少評価を懸命にしつづけているようですが、しかし、放射能の汚染は逆に深刻化し全国化しつつあるようにもおもわれます。10月中旬に大騒ぎになった東京世田谷区の高濃度汚染の怪はおくとしても、放射能はまちがいなく首都圏全体を汚染しつつあります。いや、あるいはより広範囲に汚染がひろがりつつあるかも。
ゆめ風基金に届いたお知らせから
主催・障害者自立支援法応益負担違憲訴訟弁護団被災障害者110番
被災障害者支援法法律相談のご案内
 私たちは、障害者自立支援法応益負担違憲訴訟を戦ってきた弁護団です。このたびの東日本大震災の大きな被害の中、障害者の方々が孤立してしまっていないか、私たちも全国から何かできないかという思いから、無料法律相談を行っております。電話、FAXなどでご連絡頂ければ、受付先から全国の弁護士に配点し、後日、弁護士が折り返しご連絡いたします。
TEL075-241-2244
FAX075-241-1661
 相談は無料です。障害者ご自身のみならず、支援者、行政の方々を通じたご相談でも、誰からでもお聞きいたします。障害者特有の法律相談のみならず、一般的な法律相談でも、生活でも、単なる不安感でも、何でもお聞きします。例えば、まだローンを払っている途中なのに、家がなくなってしまった。地震の後、家でよくつまづくようになったけど、ひょっとしてかたむいてない?どの避難所に行っても発達障害が理解されず、ずっと居づらい思いをしている。生活保護を受けないと生活できないが、どこへ相談したらいいかわからない。など、今でもまだ被災地で孤立している障害者の方々に対し、私たちがお役に立てれば幸いです。どうぞご連絡ください。
つくし法律事務所・担当弁護士・佐野就平さん。
 ある日、ポンと、救援金100万円!にんげんは、棄てたもんじゃないですね!
 11月の初旬のよく晴れた日の昼下がり、Mさんという男性が、ふらりとゆめ風基金事務所を訪ねておいでになりました。そして、自己紹介を交えて、橘高事務局長と2時間くらい話し込まれました。
自分が兄と共に、100人くらいの社員を抱える会社を経営していること。自分の子どもが全身性の障害を持って生まれてきて、医師からは、余命1年と診断されたけれど、28歳まで、アトピーに苦しみながらも、頑張ってくれ、昨年のある朝、眠るように逝ったこと。その生涯にお連れ合いさんが、制度も使わずに、寄り添っておられたこと。
 会社でも被災地救援義援金を集めたけれど、兄が日本赤十字に寄付してしまったこと。自分は、被災地の障害のある人に届けたいと強く感じていること。お連れ合いさんが、子どもさんの死に納得していなくて、ずっと落ち込んだままにあり、その姿を見ているのが辛いこと。会社の社員を始め、自分の知る人たちが障害のある人、被災地支援に、あまり関心を持っていないこと。会社でも知的障害の人を雇用したけれど、どちらかというと、邪魔者扱いされがちなこと。
 恋人を失うのは、今を。親を失うのは、過去を。子どもを失うのは、未来を失うことだと、大震災を通して感じたこと。
 インターネットで、被災地支援活動を調べている内に、ゆめ風基金の活動に出会い、ここだと感じたこと。それで、本日、訪ねてきたこと。などなどを熱心に話されました。そして、最後にと、長い時間を頂いて感謝します。と挨拶をされて、帰り際、これを役立ててくださいと差し出された封筒。中には、100万円の札束がありました。
 事務所スタッフは、そのさりげなさに、言葉がありませんでした。一同、にんげんは、棄てたものではないと、感じ入りました。そんな、感謝の日もあるのです。
ヒデの今的スローガン、守銭奴のように、お金を集め!天使のように、配ろう!を、再び、三度、実践するぞと叫ぶ!のであります!以上。

ヒデの救援レポート、11月14日

ヒデの救援レポート、11月14日:46
 11月4日、NPO法人・自立生活センターほくせつ24の山下事務局長と、管理者補佐の橋本さんが、ゆめ風基金に来てくださり、先日開催された歌声交流会2011・東日本大震災被災障害者支援で集められた救援金365,928円を届けて頂きました。感謝です!
歌声交流会実行委員会事務局
大阪府茨木市中津町3-26・ほくせつ24内 TEL072-638-1466
実行委員会参加団体
茨木市肢体不自由児父母の会、茨木市障害児(者)を守るわかくさ会、茨木市障害者生活支援センターすてっぷ21、茨木市身体障害者福祉協会、ぐるうぷすばる、茨木市障害者福祉をすすめる会とんぼ、NPO法人自立生活センターほくせつ24、社会福祉法人たゆたう、地域、校区で(障害児、者)の生活と教育を保障しょう茨木市民の会、NPO法人いばらぎ自立支援センターぽぽんがぽん、NPO法人フィフテイ、フィフテイいばらぎサロン
                                         以上
11月6日(日)・読売新聞掲載記事より
被災障害者へ支援の輪23日大阪でイベント
 東日本大震災の被災障害者への支援の輪を広げるイベント東北ー関西ポジティブ生活文化交流祭が23日午前11時から午後6時、大阪市北区の扇町公園で開かれる。
関西の障害者支援団体など40団体以上が参加。踊りや音楽を披露するステージ、たこ焼きや焼きそばなどが楽しめるブースを設け、障害者作業所がクッキーや雑貨などの手作り品を販売する。被災地向けにメッセージカードを作るコーナもある。
 会場ではカンパを集め、収益の一部とともに被災地支援に充てる。
 近くの山西福祉記念会館では同日午後1時半から、岩手、宮城、福島3県の被災障害者を招いた現地報告会も行う。参加無料。
 問い合わせは、日常生活支援ネットワークTEL06-4396-9189
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、11月4日までに、188,750,034円です。これまでに支援した団体、個人への金額。10月31日現在、114,665,200円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
またまた奈良県在住のヒデの畏友のおひとり、吉田智弥さん発行の蛇行社通信の出番です。
TEL/FAX0742-49-0170
備忘録 原発とシィアールより
 多くの電力会社が、原発の建設に本腰を入れ始めたのは、1973年の石油危機に直面して以降である。あの時も、電力供給が不安定になり、停電があり、節電が強要された。その頃の某日、ある新聞広告を見て衝撃をうけた。真ん中にエレベーターが宙ぶらりんで止まっているイラストがあり、たったいま、電気が止まったらという惹句がついていた。
 スポンサーは電気事業連合会、全国9電力会社の業界団体である。ボディコピー本文を要約すると電気が止まったら困るだろ。それだったら発電所の建設に協力しなさいよというのである。まるでゲッペルス的な狡猾さ。広告マンとしてこんな広告は許せない。
 だが、もし同じ広告主が、同じ趣旨の広告制作を、私の勤める広告会社に発注してきたらどうなるか。その時、もし仮に私がスタッフに指名されたらどうするのか?それを拒否できるのか?サヨクの新米コピーライターは悩んだ。
 ところが、その上に、たまたま目にした経済誌に、広告会社・電通の制作部門=責任者であった中井某が、全国各地で行き詰まる発電所建設を推進するために創造開発という会社を立ち上げた、という記事があった。新しい説得の方法を試みるためだという。
 シィアールという言葉を知ったのはその時である。よく知られているピィアールにも適切な日本語訳がないけれど広報は超訳シィアールにもぴったりと対応する日本語がない。あえて政治的な文脈で翻訳をすれば、地域社会における多数派工作とでもいうべきか。
 もともと、アメリカミズーリ州セントルイス市警察が黒人暴動を・予防・するために考案した戦術である。善意のマジョリティ派の住民による、マイノリティ派住民に対する包囲作戦日本の警察がカゲキ派・対策として展開したアパート・ローラー作戦もシィアールの応用である。
同誌によれば、中井某らは宮城県女川町を最初の標的に定めて活動を始めたという。その地には原発建設に粘り強く反対し続ける闘いがあったが、中井シィアール理論によれば、それらに対して警察行政をもって弾圧するのは下策である。
 そうではなく、まったく非政治的な別の住民運動を組織して広げていく。たとえば主婦の料理サークルや、企業の草野球チーム、保護者会有志による勉強会等々。そうしたグループへ、反原発に心情を抱いている人たちを勧誘したり、交流の場へ招待したりする。親しい人間関係をつくること自体を目的に。
 地域社会の中に対立的な論戦をしない空間や時間を大きくすることができれば、結果として、反対派の政治的色彩を弱めることができ、封じ込めて、硬派を孤立化さす、無力化させうる、という計算。中井らの新しい説得の方法論に関するそうした解説記事を読んで、居ても立ってもいられなくなった。数日後、休暇をとって女川町まで出かけた。彼の地の反対運動の人たちにこのことを伝えねばならないと、考えたからである。
 東北電力がその予定地で原発建設に着工したのはその7年後になる。逆に言えば、資本と権力の側が仕掛けた総力戦に、更に7年間も抗い続けた反対運動の歴史があったということである。彼らの原発とは共存できないという主張の正しさが3・11のような形で証明されるのは、あまりに残酷すぎて、言葉を失うが。
 ヒデの住まいする、大阪北部の街、箕面市では、毎年、人権週間中の(土)(日)に、市民実行委員会が組織され、みのお市民人権フォーラムが、大々的に開催され、今年で、26回目になる。
 今年のテーマは「がんばるのは私たちいま、自分ができること~であう、考える、行動する~」
 2011年3月11日、東日本を襲った大地震。かつて体験しない大災害から日本の危機が叫ばれ、いつしかがんばろうのスローガンが日本全土をおおう。しかし震災から数ヶ月がすぎた今、私たちはなおも日常の戻らない被災地の姿を、すりこまれたがんばろうという言葉の影に追いやってはいないだろうか。がんばろうは誰に向けられたことばだろうか?がんばるのは当事者だけ?
 被災地のこと、人権のこと、参加者1人ひとりが、自分のこととしてとらえ、考え、行動するきっかけとなるように、今年26回目となる人権フォーラムを開催いたします。ご参加を!
2011年12月3日(土)午後1時より
全体会会場・箕面市役所となり、グリーンホール大ホール(阪急電車箕面駅下車)
記念講演 湯浅誠さん内閣府参与震災と貧困から考える、社会と人権
午後6時から、第1分科会グリーンホール大会議室
第1分科会のみ、3日午後6時からです。
東日本大震災!その救援のあり方と宗教活動
人権フォーラム名物の武田住職が、自らの救援活動を赤裸々に語る。そこから、なにが視えたのか。縦への支援・横への支援。・救援活動の中にも人権問題はある。・名物坊さんが、救援活動や、それ以外のことも、あなたの疑問・質問に、ズバリ応える名物分科会。
タメになること、タメにならないこと、タップリお聞きください。
講師・武田達城・浄土真宗本願寺派・千里寺住職
司会&お相手・河野秀忠・箕面市人権啓発推進協議会事務局長
4日午前中、第2分科会。
社会を変えるために動く!人権の息づくまちづくりをめざして
市民活動センター
4日午前中第3分科会
震災の中の女性支援者からのメッセージ
文化・交流センター
4日午前中第4分科会
セクシャルマイノリティってなに?子どもたちを取り巻く、多様な性について知ろう。
らいとぴあ21
4日午後第5分科会
頼りになるのは地域のつながり・災害時の受援力に学ぶ
ライフプラザ
4日午後第6分科会
外国につながる若者たちが語り合う今なら言える。あのときに伝えたかったこと。
らいとぴあ21
4日午後第7分科会
チャレンジのプロセスでつながるもう一つの部落解放運動。
らいとぴあ21
参加費、全体会&分科会フリーパス1000円、分科会フリーパス500円
お問い合わせ・実行委員会事務局・
TEL072-722-5838 FAX072-722-8042
この、ヒデメール通信に、意外なところから反応がありました。
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんによる提案!
障害者問題資料センター経由
 瓦礫焼却に際しては、、放射性物質が拡散しないように、高性能のフィルターが必要だが、それは技術的に可能だ。フィルターに残った放射性物質は、どうするか?
 福島原発を最終的に処理するには、地下10メートルまで届く遮水壁と巨大な石棺が必要。焼却灰とフィルターは、大量のコンクリートの材料にして閉じ込めてしまう。それでも残ったら、原発を順番に廃炉していく時に、同じ用途で使う。以上

ヒデの救援レポート、11月7日

ヒデの救援レポート、11月7日:45
ゆめ風基金呼びかけ人のおひとりである浪花の歌う巨人・パギやん・こと、趙博さんがニッポン国に出現して、55周年。ライブ録音コンサートうたう轍を開催する。是非とものご参加を!
2011年11月18日(金)午後6時開演
入場料1000円
会場・大阪市東成区民ホール
地下鉄千日前線・今里筋線今里駅下車。2番出口から西へ3分
TEL06-6972-0717
チケット・TEL080-3119-7074
FAX06-6763-0211
このコンサートを収録したアルバムの売り上げは、すべて東日本大震災被災者支援と原発廃止のための活動に役立てられます!
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、10月31日までに、188243834円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、10月31日までに、114665200円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ヒデ、中沢新一著日本の大転換新書版を読む。集英社、その2
 中沢さんといっても、ヒデの知り合いでも何でもない、赤の他人ではありますが、その中沢さんは、著書の冒頭で、次のように述べている。
 三陸沖の海底に起こった巨大な地震の引き起こした津波は、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に、壊滅的な被害をもたらした。津波のエネルギーは莫大であり、数え切れないほどの家屋を押し流し、おびただしい人命を奪い去った。
 このときの津波は、福島県の海岸につくられた原子力発電所・東京電力福島第一原子力発電所・にも襲いかかり、電源設備を完全に破壊することによって、原子炉の冷却機能を危機に陥れた。空焚きによって炉心の溶融が起こり、大量の放射性物質が、周辺にまき散らされた。スリーマイル島の事故をはるかに超える規模の、深刻なレベルの原発事故であることは、もはや誰の目にもあきらかである。
 この文章が書かれている時点では、福島原発における事態収束の見通しはまったく立っていない。また津波による破壊のあと、東北の人々の生活の立て直しは、遅々として進んでいない。したがってここでおこなわれる考察は、今回の未曽有の出来事の全貌が、いまだにあきらかになっていない状態で進められなければならないという限界を抱えている。
 しかし、出来事の推移のいかんにかかわらず、いまの時点でも確実に言うことのできる、ひとつの明白な事実がある。それはこの出来事を境として、日本文明が根底からの転換をとげていかなければならなくなった、という事実である。もとどおりの世界に・復旧・させることなどはとうていできないし、また、してはならないことだ。私たちは否も応もなく、未知の領域に足を踏み入れてしまったのである。と。
 ヒデは、核&原子力問題を、前回に書いたように、世界冷戦構造の中で、反戦、反安保の視点でしか、考えていなかった。だから、この新書版の中に指摘されている、原子力の本質について知ることには、とても関心が湧く。人類最初の原子炉が稼働したのが、1942年だという。奇しくも、ヒデが生まれた年であり、さすれば、ヒデは、原子力と共に、現在に至ったことになる。
 当時、その核技術は、驚異的な成功と讃えられたが、1972年にフランス原子力庁が発表した17億年前の地球生成期には、天然の状態で、核分裂が存在していて、その痕跡がガボン共和国の鉱床にある。によって、コピーの座に転げ落ちた。ヒデの人生は、コピー並みか。(泣)
 中沢さんの本をヒデなりに解釈をすれば、人間は、太陽エネルギーの恩恵によってしか、物質を作り出せない。 ひとは、その物質を利用することによってしか、生存できない。ひとは必ず食事を摂取するけれど、それも太陽エネルギーによってしか生産されないのだ。魚も植物もなにもかもだ。つまり、人間は、太陽の子どもとして、生きているだけで、意味のある、平等な存在であると。
 太陽エネルギーの営みは、人間生存域外にあり、ひとの力では、コントロールできない。人間は、太陽の子どもではあっても、太陽にはなれない。太陽エネルギーの範囲でしか、生存域を維持できないのだ。ヒデたちが、価値があるとするエネルギーも物質も、全て太陽エネルギーの恩恵の下にある。化石エネルギーなどは、その典型で、太陽エネルギー遺産に他ならない。ヒデたちは、その太陽エネルギー遺産に価値を付与し、貨幣によって、取り引きをし、富といわれるものを生み出す。ヒデたちが学んだ、階級闘争論は、その富の分配を巡ってのものだったのだ。
 そして、地球上のあらゆることをコントロールできると思い上がった、人間は、原子力という技術に手を出してしまった。人間にはコントロールできない、生存域外の太陽エネルギーをコピーしょうとして、今回の大震災で、見事に、原発事故として、コケたのである。回復は、不毛荒野にあり、半永久的に消えないキズとして残される。
 だからこそ、人間は、今回の原発事故を契機として、太陽エネルギーの恩恵の下にあることを意識した、経済や政治のあり方、哲学や考え方に大転換して、社会の仕組みを構築するべきなのだ。云々。と、ヒデは、浅学非才なれど、読ませてもらった。短いけれど、簡潔にまとめられていて、オモロイから、ぜひ、ご一読をお薦めする。
 まぁ、どんな本でも、根底のところで、ちょっと違うやんという部分はあるわけで、そこは、ひとが違えば、考え方も、10人10色。批判もまた知見の栄養だす。終わり。
ゆめ風基金に届いたお便りから
 2011年3月11日の大震災から7ケ月経ち、かみくり荘も落ち着きを取り戻しつつ在ります。震災後、今の釜石を自分達の目で見たいとの希望で5月1日、東京から駆けつけてくれた親族達と共に、釜石市内をはじめ大槌迄見て周り、テレビで知っていた光景だが、あまりのひどさにショックを受けながらも、見てよかった・・・とうなずきあった入居者さん達でした。
 緊急避難していた方も8月1日無事仮設に移り住み、かみくり荘は静かになりましたが、入院者が退院出来ない為、定員不足が続くと経営的にも難しくなるので、釜石の病院にこだわらないで遠野、花巻、宮古地区の担当者に声をかけているところです。下宿屋さんの様なホームを目指している私達です。
 震災で不安な日々の中、突然ゆめ風基金さんが訪れて下さったお陰で、トイレの改造がされ清潔になり喜んでいた上に、バルコニーの修理が始まっています。これで晴れの日は洗濯物や布団が干せるし、雨の日は雨漏りの心配をしないで済むとホッとしている、かみくり荘の人々です。本当に有り難うございます。夢みたいで心から感謝しております。
2011年10月17日・釜石市小佐野町・NPO法人かまいし共生会・グループホームかみくり荘・K・K
以前にお知らせした7月11日・東京、新宿の全労災ホールで開催されたゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんの小室等・音楽活動50周年ライブ(復興)の完全実況録音盤2枚組3600円が、10月26日に発売されました。
多士済々のゲストとのかけ合い、音楽とに、とても素敵な出来上がりです。ぜひ、お聴きください。
購入は、KKフォーライフ・ミュージックエンターテイメント
TEL03-5466-4113
FAX03-5466-4153まで。
少し早めになりますが、ゆめ風基金からのお知らせです!
第7回・ゆめ風基金東京イベントゆめ風であいましょう
今回のテーマは、震災報道のうそ&まこと
出演者・永六輔さん、シンガーソングライター・小室等さん、ドキュメンタリー作家・森達也さん
12月24日(土)午後3時より
定員150名
参加費2000円
障害者の介助者1人まで半額ベア割引、
ベアでこられた方は、ひとり500円割引、合計1000円割引
学生割引、半額
会場・渋谷区代々木2の12-2
カタログハウス本社ビル地下2階セミナーホール
都営新宿線京王新線出口6からすぐ
参加申し込み・TEL0120-545-450
FAX03-5365-2278まで。以上!

ヒデの救援レポート、10月31日

ヒデの救援レポート、10月31日
 
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、10月28日までに、187507629円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、10月28日までに、109753122円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
ヒデ、中沢新一著日本の大転換新書版を読む!《その1》
 集英社新書を、以前に紹介した、ヒデの住まいする、箕面市職員で、行政の被災地救援方法を巡って、職場で大ゲンカを巻き起こし、挙げ句の果てに、自主退職。
ゆめ風基金の紹介で、単独、被災地障害者センター・みやぎに入り、救援活動に従事したのち、現在は、いい年こいて、プータローをしている、ヘンな、ヒデの呑み友達、Hさんに勧められて、読んでいる。後少しで読了する予定。
 本の帯には、大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの大転換をとげていかなければいけないことが明らかになった。元通りの世界に復旧させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった 我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、復興に向けて歩んでいくべきなのか。
原子力という生態圈外的テクノロジーからの離脱と、エネルゴロジイという新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界の目指すべき道を指し示すとあります。
 テーマーは、福島第一原子力発電施設の事故にあることは、明瞭です。事故の今を分析して、これからの世界観の構築を考察している。
 さて、ヒデにとって核問題は、広島、長崎への原爆投下被災を語るべくもなく、核の時代の戦後を同時代的に生きてきた世代として、核問題は、脳とからだを貫通している。なんとなくではあっても、原子力発電の反対論者として、呼吸してきている。障害者解放、さらには、人間解放運動の末席に位置している今も、永久的に続くであろう、核汚染は、障害の有る無しに関係なく、類としての人にとっては、共通の課題であることは、人の歴史的認識であることを、確信している。
 だからこそ、ヒデの私的放浪史をパラリとめくり、このメール通信に貼り付けることにも、多少の意味があるのではないかと、愚考して、本書の意味に接近してみたい。
 ヒデは、貧乏ゆえに、授業料を払えず、高校を除籍退学し、家出。酒屋の住み込み店員をしていた、16歳のおりに、当時の日本社会党の浅沼稲次郎刺殺事件を契機に、ひょんな縁で、これまた、左右社会党合併の余波を受けて、放逐された左派社会党青年部によって組織された、日本社会主義青年同盟に転がり込み、左世界に住み込んだ。
 当時は、原水爆禁止世界大会が毎年、盛大に、広島、長崎で開かれ、ヒデは、脳は成熟していないのに、青臭い匂いを発散させていたものだから、毎年の夏は、広島、長崎に動員されていた。
大会の盛大さの裏では、侵略の原爆と、平和のための原爆があると、主張するグループと、そんなものはない原爆は、全て破棄、禁止されるべきと主張するグループが暗闘しており、ヒデは、後者に立ち位置を得ていた。その暗闘が最終場面に至り、原水爆禁止日本協議会原水協が分裂する場面にもヒデはいた。大会の舞台上を占拠するべく、その時には、今や敵と認識されていた、某民主青年同盟のメンバーたちと、盛大に殴り合っていた。若かったなぁ!ニガ(笑)
 壇上へは、そう言えば、スロープは設置されていなかったなぁと、今になって気づく。迂闊。そして、さらにヘンなのは、原爆の威力にばかり、脳が傾き、戦争への影響ばかりに気をとられていたことだった。核の学習会でも、戦争に対する影響を学び、世界各国の原爆の保有個数ばかりが調べられていた。それほどまでに、ヒデたちは、世界冷戦構造に、どっぷりと浸り切っていたのだ。核の歴史や、その生態圈外的エネルギーの本質についての知見などは、爪のアカ程もなかった記憶がある。
 マルクス的手法での、労働と資本関係や、階級論は学んだが、能力主義の問題点や差別論は、かやの外。資本と核の相似形にも、想像力は、及ばなかった。単純な反戦主義だったなぁと悄然としてしまう。下部構造がどうの、上部構造がこうのと、かしましく議論はしていたけれども、ヒデたちは、本当に、下部、上部に触ったことがあったのだろうか。今、振り返っても、謎だらけだ。
 その核の本質に、長く宿題を突きつけられていたのに、ヒデたちは、目先の便利さにとらわれて、目をふさいでい続けていたのかも知れない。そこに、福島原発事故というよりも、爆発、放射能汚染である。もう、後先は無い。かなわぬまでもの答えを求める、未来からの要求が、このような時代を作ってきた、ヒデたちに突きつけられている。続く!
今回は、友人尽くしかな。(笑)ヒデの畏友のおひとりである、奈良県在住の吉田智弥さんが発行している、私的メディア誌蛇行社通信から。電話FAX0742-49-0170
地獄の釜が開いた
 8月12日、京都市は、五山送り火で、陸前高田市岩手県の松でできた薪を燃やす計画を中止すると発表した。放射性セシウムが検出されたからだという。・・計画は、京都市内外の人たちからの批判を受けて二転三転した。最終的結論に至るまでの経過は、さまざまな難題を私たちの前に突きつけた。・・
 第一。早々に中止を決めた大文字保存会への反応は、僧侶で作家の瀬戸内寂聴さんの怒りに集約される。大震災の死者を冒涜するような行為は京都の恥だというのだ。8月12日、朝日新聞大方のマスコミもそうした声に同調した。・・確かに、当初に持ち込まれた薪からは放射能は検出されなかったのだから、燃やさない合理的な理由はなかった。が、ちょっとツッコミを入れておくと、そもそも送り火という伝統行事は合理的理由で存続してきたわけではあるまい。
 先祖への鎮魂・慰霊の風習は、死者との共同体を甦らせ、それを受けついできた自分の命の儚さも意識させられる契機になっただろう。共同体の平安を危うくするような放射能など、言葉を聞くだけでも縁起でもないわ。あっちへ行っとォくれやす。・・
 難問である理由の二つ目は、放射能それ自体の属性にも由来する。・・放射能俗流の解釈で放射性物質の威力、その毒性を総称する呼び方というものには、厄介な性質がある。
 その1それがあるのかないのか、人間の五感では、捉えられないこと。
 その2煮ても焼いても、滅却したり減衰したりしないこと。
 その3被曝量に原理的なしきいちがなく、客観的な許容量が存在しないこと・・・
等である。・・であれば、京都市民が、被災した松のすべてに疑心暗鬼になったことも、すでに政府や東電の言うことが信じられなくなった後に、どこの馬の骨が行ったかもしれない検査の結果を信じる気になれなかったことも、当然やおまへんか。・・
 第二。だが、すでに東北では、大震災に加えて放射能による甚大な被害も受けているのだから、多少のことは同胞としての京都市民も受忍したげたらどないやの、という主張もありうる。人情としては、反対しにくいけれど、それこそ合理的ではない。・・
 高木任三郎さんは、放射性廃棄物の最終処分場をめぐる議論のなかで、六ヶ所村青森県がダメなら、とうすれば良いのかという質問に対して、今ある原発施設内に留置すべきだと答えている(『科学の原理と人間の原理』)。何であれ放射性物質を移動拡散させれば、危険性は更に増大するので、避けるべきであると。・・
 五山送り火の手前にある此岸では、すでに42都道府県572自治体一部事務組合を含むが被災地の瓦礫処分事業に協力を申し出ており、そのうち291自治体は焼却処分同を引きうけるとしている。(8月8日・アエラ)。京都の場合と同様の反対の声が各地住民からあがることが予想されるが、どこかに正しい対案はあるのか?
以上

ヒデの救援レポート、10月24日

ヒデの救援レポート、10月24日:43
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、10月19日までに、186582469円です。これまでに支援した団体、個人への金額は10月17日までに、100832600円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 そよ風特集取材・被災地宮城県へろへろコンビ珍道中レポート・その3
3日目の朝が訪れた。宿舎でヒデはヨロヨロと目覚めたけれども、牧口さんが、いつもは早く目覚めがいいのに、時間目一杯、いびきをかきながら、眠っていた。移動、移動で疲れているんやろなぁと感じた。なんせ74歳やもんなぁ。
 ふたりして、ゴソゴソと宿舎を後にして、例のように、コンビニで朝食を買い込み、事務所に向かう。本日の予定は、仙台たすけっとの法人定期総会に参加し、取材すること。総会で、へろへろコンビが少し話すことだった。11時になると、センターのスタッフが、件の軽自動車を差し向けてくれ、総会会場の県立NPOセンターへ、へろへろコンビは、向かう。
 会場に入ると、代表の及川さんは、明日のプロレス試合に備えて、頭をツルツルに剃り上げていた。議長は、正装した、事務局長の井上朝子さんだった。会場の県立NPOセンターの内部は、震災の影響で、壁にひびが走り、トイレのタイルが剥がれたままにあった。仙台たすけっとの総会は、どこの法人の総会もそうであるように、淡々と進行していた。
 他との違いは、活動方針の大きな部分が、救援活動にさかれていたことだ。総会の最後の時間に、及川さんから声がかかり、牧口さんと、ヒデに発言の機会が与えられた。そして、牧口さんが、ゆめ風基金の救援への考え方を発言して、ヒデは、障害者問題総合誌そよ風のように街に出ようの取材意図を発言させてもらった。
 驚いたことに、総会参加者の障害者のひとの大半のひとが、そよ風誌の存在を知らなかった事実だ。もう、40年も発行しているんだじぇ。ヒデの話の中で、みなさんにお目にかかった昨日が、奇しくも、ボクの誕生日だったと話すと、全員が一斉に拍手をしてくれて、口々におめでとー、おめでとうございますと祝福をくれた。この年になっての誕生日なんかと思っていたヒデは、なんとはなしに、忸怩とした。
 やっぱり、長幼を尊んで、礼儀を行う文化が、まだここでは生きているんだと、実感させられた。ヒデの会った人たちが、総じて礼儀正しかったことに、合点できた。縄文時代からの自然との縁を結んできたであろう文化の歴史と、西から来た文化に生きるヒデたちとは、どちらが優れているかではなく、違いを認め合う絆を構築する事が、これからの、人々の未来を担保するのではありますまいか。へろへろコンビの発言を最後に、ヒデたちは、会場を辞した。その前に、写真をパチパチ。
 会場から、仙台駅までは、2キロ程の道のり。地下鉄を使わずに、テコテコと歩く。歩くとやっぱり遠い。駅に着いた時間から、予約してある列車まで、2時間あった。牧口さんが、時間を無駄にしないよう、早い列車に変更しようと、みどりの窓口に行くが、ああでもない、こうでもないと、たらい回しにされて、例のごとく、駅構内を上がったり、下がったり。やっぱり仙台駅は、ややこしい。
 やっと駅長室にたどり着いて、変更を交渉するが、東北新幹線は変更できても、東海道新幹線は、管轄外なので、東京駅で変更交渉をしてくれとぬかす。まぁ、仕方がないかと、変更した列車に乗り込んだ。
 列車が通過する、郡山駅、福島駅のホームマークを目にすると、言い得ぬ気持ちが湧いた。そして、やっぱり牧口さんが事前に電話しておいた効果があって、東京駅のホームには、駅員が待機しており、すんなり、変更列車に乗り込めた。日常に戻った東京駅を発して、日常にある、新大阪駅に帰り着いたのが、夕方の7時ころ。ここで、へろへろコンビそよ風特集取材班は、めでたく解散した。
 今回のへろへろ珍道中には、ピリオドが打たれたが、次回の特集取材先は岩手を予定しているのだ。仙台から、まだ、200キロも先なんだじぇ。へろへろ。
 後日談、壊れたカメラをメーカーに修理に出したのだが、修理費用は、2万1千円也!そして、原稿書き作業が残されたのだった。
レポート終わり。
諸日程
被災障害者救援本部・大阪の会合。
11月11日午後6時から。
パーティ&パーティにて。地下鉄大国町駅下車、すぐ。
救援本部支援統一合同カンパ活動。
11月12日、26日の2日間。各々、午後1時から5時まで。大阪難波、高島屋前にて。短い時間でも、いいです。ご参加を!
011年障害者相談支援事業職員研修会。
11月21日(月)午後1時~22日(火)午前9時30分~
仙台国際センターにて。仙台市青葉区青葉山無番地 
参加費、4千円。
基調講演・障害者相談支援事業は、どう変わるか
茨木尚子明治学院大学教授
シンポジウム・災害に強い地域作りをかんがえる
今井洋・新潟県新潟学園指導課主査
宮下三紀子・あいえるの会
八幡隆司・ゆめ風基金理事
問い合わせ NPO法人当事者エンパワメントネットワーク
電話FAX042-646-5177
ひょうご地域福祉政策研究集会 震災と障害者シンポジウム
11月26日(土)午前1時から5時まで。
新長田勤労市民センターにて。JR新長田駅南側すぐ。
今川幸子・被災地障害者センターいわて
菅野良子・ILセンター福島
橘高千秋・ゆめ風基金事務局長
福永年久・障害者問題を考える兵庫県連絡会議
野橋順子・生活支援研究会連絡・ひょうご地域福祉政策研究会担当
大賀・電話090-3712ー7557FAX079-288-5693
東日本大地震被災障害者救援・大チャリティーバザー
売上は、ゆめ風基金へ!
主催・国障年豊中市民会議
11月3日午後1時から3時まで桜塚公園にて。
雨天の場合、公園向かいの福祉会館にて。
福祉会館では、音楽イベント、ぞうさん寄席・笑福亭純瓶さんの落語ライブを同時開催。阪急電車岡町駅下車、東へ五分。
連絡電話FAX06-6845-4618
NPO法人で・あ・いまで。
鈴木一郎・復興支援コンサート
11月6日(日)午後2時より
神戸朝日ホール
参加費3500円
復興支援コンサート実行委員会
ホール電話・078-331-6362
出演・オクサナ・ヘラシメンコバンドーラ 寺島夕沙子ソプラノ
復興支援コンサート実行委員会では、3月27日に行った緊急支援コンサートの第二弾として、鈴木一郎コンサートを実施し、兵庫県下に避難された被災者の方々をご招待させて頂くほか、被災地の文化復興を支援いたします。
ずーっと続けてく被災障害者支援11・23
東北-関西ポジティブ生活文化交流祭in扇町公園
運営ボランティア大募集中!
東北-関西のつながりを一層深めて、対話を重ね、息の長い活動を。
問い合わせ先・ポジティブ生活文化交流祭
事務局NPO法人、日常生活支援ネットワークパーティ&パーティ
担当・椎名電話FAX06-4396-9189
以上。

ヒデの救援レポート、10月17日

ヒデの救援レポート、10月17日:42
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、10月11日までに、185468628円です。これまでに支援した団体、個人への金額は9月15日現在、94084600円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
 そよ風特集取材・へろへろコンビ・被災地宮城珍道中レポートの2・被災地仙台の2日目。牧口さんとヒデは、救援ボランティア宿舎のマンションで目覚めた。牧口さんは、早朝に目覚めてゴソゴソやってる。ヒデは、集合時間ぎりぎりまで目覚めなかった。ふたりして、宿舎を出、近所のコンビニで、朝食を買い込み、被災地障害者センターみやぎに向かう。
 事務所には、まだ人影がまばらで、へろへろコンビは、朝食をパクつく。しばらくすると、三々五々と、スタッフや救援ボランティアの人たちが登場。簡単な今日の行動打ち合わせをする。救援ボランティアとスタッフが、2台の車に分乗して、60キロ離れた、石巻市を目指し、現地のセンターのニーズ&安否確認活動でつながった、障害者・障害児の親たちと交流会を行うとのこと。この交流会は、すでに数回、食事会などを含めて行っているとのこと。へろへろコンビも参加、取材をする事に。その打ち合わせの場に、ひょこっと現れた人物がいた。NHK大阪局のきらっといきる担当のIデレクターだった。
 Iさんは、牧口さんとは顔馴染み。番組で、障害者プロレスのレスラーリングネームもちゃんとあるでもある、センター代表の及川さんを追っかけているのだ。イギリスから被災地支援のために、来日して、及川さんたちと試合をするヘンなレスラーとのイベント・25日(日)・を取材中なので、石巻市にも同行するという。予定通り、2台の車でデッパツした。鉄道は寸断されているので、交通手段は、車のみ。高速道に乗るも、あちこちの出入り口は、渋滞だらけ。その上、道路が補修で凸凹。高速で走れない高速道。大震災の津波が、高速道でせき止められた地域、遠くの沿岸部の、何もない光景が遠望できるところも、ノロノロと通過した。
車を運転してくれている、スタッフのSさんが、自身の被災状況や、友人を津波で失ったこと。津波が押し寄せたが、高速道でせき止められ、その反対側にいた友人が助かったこと。車窓から景色を指差して、あそこまで、津波が来て、今は、きれいに整地されたけど、当初は、車やがれきでぐちゃぐちゃだったなどを、説明してくれる。Sさんの恋人は、福島県の人で、親元を離れ、ひとりで、親の許可のもと、Sさんと避難同居しているが、親を捨て、故郷を捨てたのではないのかの、自責の念に苦しんでいることも、悲しみの色をした眼で話してもくれた。へろへろコンビは、黙って聞くしかなかった。
約3時間を消費して、石巻市市内に到着。会場の生協のお家・いしのまきに入った。狭い車の中車イス用軽自動車足腰が痺れている。現地の障害者と親たち、救援ボランティアとスタッフが向かい合って、お弁当を食べながら、懇談をした。その後、牧口さんのインタビューと写真撮影。実に生々しい、被災直後の本音トークが聞けた。内容は、そよ風特集に掲載するので、ごらんあれかし。
親密な交流会が終わったのが、3時半ころ。1台の車に救援ボランティアの人たちが乗り、センターの拠点のある登米を目指し、車イス用軽自動車には、へろへろコンビとIさんが乗り込み、仙台にとって帰るが、車内は、より狭くなった。そして、会場前で2台は、別れた。仮設住宅が点在する道を、高速道を目指すが、渋滞はより激しくなっており、仕方がないので、一般道をトコトコ走り、仙台に向かう。センターに帰り着いたのが、午後7時過ぎ。事務所には、スタッフも少ない。牧口さんが、今日一日、運転をしてくれた、スタッフのSさんに、夕食を奢ると提案して、代表の及川さんたちとIさんも加わって、昨夜も利用した、中華料理店に向かう。
盛り上がった食事会も終わり、宿舎マンションに引き上げようと、スタッフのSさんに手伝ってもらってマンションは、修復中で、あちこちに段差があり、牧口さんの電動車イスは重いそしてだ、帰りの道中で、ヒデは、大切なカメラをコンクリート道に落としてしまうという失態を演じてしまった。幸いに撮影には差し支えなかったが、ヘンな音がしたり、カメラが熱を持ったりするようになってしまった。
それでも、へろへろコンビは、宿舎にたどり着いて、直ちに爆睡。コテン!
次回につづく。
ヒデの畏友、京都花園大学の八木晃介特任教授の私的メディア試行社通信●原発・煙草・肺癌・からの抜粋です。
連絡先TELFAX075-221-2672
前略・もうひとつ、文科省が財・放射線影響協会に委託した原子力発電施設等放射線業務従事者に係わる疫学的調査をみることにします。これは2007年までの16年間、約21万人を対象にした調査です。結論だけをみると、放射線業務従事者では肺癌による死亡率が他の癌や他の疾病による死亡率よりも顕著に高かったということです。
報告書では喫煙の影響を排除できないのでと曖昧というかエキスキュウズのような文言を書き入れていますが、やはり、どうかんがえても、喫煙だけでは説明できない肺癌の増加が放射線業務従事者にみられたのです。
原子炉というものはいわゆる事故をおこさないでも常に放射性物質を排出しており、被爆という観点からすれば、平常運転そのものが事故とみなされるべきなのだとおもいます。教科書によると、原子炉運転中に放出される放射性物質の大半は放射性希ガスおもにキセノン133としるされています。これを吸うことで呼吸器としての肺がもっとも被曝の影響をうけることは素人にもよくわかることです。
3.11の4日後の3月15日頃、各地で観測されていた放射線の鋭く強いピークが何に由来するのかが謎とされていましたが、財・日本分析センターは4月1日、それが放射性物質キセノン133であることをつきとめたと発表しました。
前にしるしたように原子炉の平常運転中にも希ガスは放出されているのですが、この時はいつもは原子炉の中でしかおきない核分裂生成物としての希ガスが外部に飛散していたわけで、その時点で実はメルトダウンが想定されてもよかったはずです。東電がしぶしぶメルトダウンをみとめたのは5月12日になってからでした。
このような言い方は不穏当かもしれませんが、放射線業務従事者のまさかのリスクがあの時には全国民化したのではあるまいか。後略
ゆめ風基金事務所に届いたおハガキから
前略・永六輔さんのラジオ番組を通じてゆめ風基金の活動を知り、今回の東北大地震で初めて募金をさせていただきました。
風だよりに同封されている払込取扱い票に記されているこの用紙は、必要な方のみお使いください。必要でない方はメモ用紙・・いいですね。おしつけがましくなく、謙虚で自然体で。これならできる時に、できる分を、と支援を続けられそうです。
山田太一さんのメッセージ、よく言ってくださったと思います。支援をするのに、ボランティアをするのに、カメラがついていって、元気を与えにやってきました!なんて上から目線に腹がたちます。与えられたくないよ。自分で輝くよといってやってください。
本当にそう思います。これから厳しい冬がきます。一人でも多くの方のお役にたてればと、できる範囲で支援させていただきます。皆様もお身体をご自愛の上ご活動下さいませ。東京都町田市・Uさん
コンサート百年を歌う百年に一度の音楽祝祭へようこそ!と題する、2枚組のDVDが、011年10月に発売されます。監督・金聖雄・制作著作・コラボ玉造・時間135分価格・4500円申し込み電話・080-3119-7074このDVDの収益金は、東日本大地震被災者支援と全ての原発廃止のための活動や運動に役立てます。と銘打たれています。
出演者は、ゆめ風基金呼びかけ人のおひとり、パギやん趙博、寿、大熊ワタル・ジンタらムータ、朴根鐘・ユッケジャンバンド、板橋文雄・mixダイナマイト、李政美さんたち
以上。

ヒデの救援レポート、10月10日

ヒデの救援レポート、10月10日:41
●11月23日
東北ー関西・障害者支援・ポジティブ生活文化交流祭(水)
午前11時から午後6時まで
大阪市北区・扇町公園&隣接の山西福祉記念会館
問い合わせ先・日常生活支援ネットワーク・TEL06-4396-9189
実行委員長・牧口一二
●公園では、フリーマーケット&各種イベント
●会館では、被災地報告会○交通・JR環状線天満駅下車、すぐ
●報告会は、P1時30分より・無料・手話、要約筆記あり
●3.11東北・関東大震災・そのとき障害者は!
ー復旧ではなく復活をめざしてー
未曽有の災害、東北関東大震災…地震、津波に加え原発事故、放射能汚染という最悪の災害となり、多くの市民が生命と尊厳を脅かされています。この大災害を私たちはどう乗り越えていくのか。このたび被災地で障害者救援活動を担ってきた障害者、支援者を招いて報告会を行います。現時点の被災状況と支援活動を整理し、めざすべき福祉と人権のまちづくりについて共に考えたいと思います。
●報告者・被災地障がい者センターいわての今川幸子さん・被災地障がい者センターみやぎの井上朝子さん、及川智さん・被災地障がい者支援センターふくしまの白石清春さん・南相馬市デイさぽーと・ぴーなっつの青田由幸さん
コーデネイター、牧口一二・ゆめ風基金代表理事
●なお、実行委員会では、多額の開催費がかかるので、当日の出店、参加はできないけれど、協賛はしたいと思われる、個人、団体に、1口1千円の協賛金の拠出を呼びかけています。ぜひとものご助力をお願いします!
また、チラシ、パンフレット、ポスターが出来上がっていますので、必要な方は、お申し出ください!
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、10月4日までに、184393346円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、9月26日現在 98,912,600円。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 9月22日から、季刊誌「そよ風のように街に出よう」の特集取材のために、被災地仙台のたすけっとグループと、被災地障害者センター・みやぎと、石巻市を、牧口代表と編集長としてのヒデのふたりが、老々介護&へろへろコンビで、被災地をウロウロした。
もちろん、被災地ツアーではないのですから、被災写真は、ほとんどありません。出来るだけ被災障害者の声を集めるように努力したつもりだ。題して大震災から、6ケ月。今何をのぞむかです。そのへろへろ珍道中レポートをお届けします。
 9月22日、台風15号が被害をもたらしつつ通過した翌日、新大阪駅にへろへろコンビは集合し、午前9時発のN700型の多目的室を占拠して、台風を追っかけるかたちでデッパツした。新幹線は、水かさの増した川の鉄橋で徐行しながら、東京駅に到着。それから、東北新幹線に乗り継ぐために、駅員に先導されつつ移動。駅のあちこちに、台風で遅れたり、車中泊で、帰宅難民化していた乗客を散見した。
 東北新幹線には、車イス専用座席はなく、普通席をひとつだけ取り除いたスペースがあるだけだった。牧口さんの電動車イスが回転出来ないので、乗り口のいささか広いスペースの所にいて、仙台駅までの行程。途中の風景には、台風の水害で溢れ出た荒れた景色が続く。
 仙台の方も、あちこちで、水による被害が出ているらしく、思わず、へろへろコンビは、顔を見合わせる。到着した仙台駅内は、とてつもなくややこしい構造になっており、駅員の案内で上がったり下がったり、ただただ歩く。やっと、地下鉄駅に到着。ホームまでのエレベーターのある改札口が、これまた遠い。
 やっとの思いで、被災地障害者センターのある、長町一丁目駅に到着。ここもエレベーターまでに、相当距離がある。エレベーターで地上に出ると、それまでは、比較的にバリアフリーだったのに、エレベーター口のところが、歩道との間に、段差があり、ちょっぴり苦心した。後ほど、仙台たすけっとのひとに聞くと、エレベーター口の段差のところは、元は、歩道との段差はなかったけれども、大震災で、道路が陥没して、段差が出来たのだとのことだった。仙台たすけっとと被災地障害者センターのあるビルも、ビル全体が30センチほど、道路側にせり出たままにある。そのビルは、エレベーター口の斜め前の横断歩道を渡った、正面にあった。
 ビル内の事務所に入ると、仙台たすけっとのメンバーや、センターの救援ボランティアの面々が迎えてくれた。その中に、尼崎市から入っていた、車イスの児玉さんがいて、へろへろコンビと入れ替わるように、飛行機で、大阪に帰って行った。救援ボランティアは、ほとんどのひとが、関西地方の人たちで、東京方面のひとは、ひとりだった。
 だから、事務所内外に、宮城県なのに、関西弁が飛び交っている。その上に、牧口さんの大阪弁丸出しのインタビューなのだから、関西弁大賑わい。ゆめ風基金八幡理事の顔もあった。彼は、次の日の朝、岩手県盛岡に移動して行った。
 早速、センター代表の及川さんと、事務局長の井上朝子さんへのインタビュー開始。内容は、そよ風特集が出たらお読みくだされ。インタビューは、当初、30分を予定していたが、大幅にオーバーして、2時間に及んだ。インタビュー終了後、近所の中華料理店で、希望者で、交流の食事会。大盛り上がり。
 終了後は、八幡理事に案内されて、へろへろコンビは、センターが用意してくれた、救援ボランティアの宿泊施設のマンションに引き上げて、近所のコンビニで買った焼酎を呑みつつ、コテン!次回に続く!
 9月17日に、ヒデが昔から知っている友人のI君・ヒデの住まいする箕面市市役所の職員で、就職したてのペエペエの頃からの知り合いと、箕面市障害者事業団のスタッフTさんが実行委員会形式の結婚式を挙げられました。ヒデも実行委員に名前を連ねて、乾杯の音頭とりでした。その会場で集められた、被災地救援の募金が、届けられました。25725円でした。感謝です!
 また、9月19日に開催された、以前にお知らせした、鹿児島県のルピナスの会主催の、小室等さんコンサートには、1000名を超える参加者があり、会場が暑い、悪コンディションの中、立ち見も出ました。これもまた、感謝です!
被災地障害者センター・いわてからの、避難所・仮設住宅訪問活動報告から
陸前高田市・仮・31件・避・16件
野田村・仮・2件・避・4件
岩泉町・仮・3件・避・3件
大槌町・仮・22件・避・10件
山田町・仮・19件・避・21件
宮古市・仮・45件・避・14件
釜石市・仮・15件・避・9件
大船渡市・仮・19件・避・21件
日野畑村・仮・3件・避・0件
合計・仮・159件・避・98件
個人訪問件数陸前高田市・実人数・28件・延べ人数・104件
野田村・実・1・延べ・6件
岩泉町・実・12件・延べ・37件
大槌町・実・13件・延べ・32件
山田町・実・12件・延べ・79件
宮古市・実・28件・延べ・197件
釜石市・実・24件・延べ・173件
大船渡市・実・42件・延べ・99件
日野畑村・実・3・延べ・19件
一関市・実・1件・延べ・1件
遠野市・実・1件・延べ・1件
盛岡市・実・2件・延べ・4件
ボランティア(専従スタッフを除く) 実・132人・延べ・818人
初期の活動はデータがないため含まれていない。以上。
障害児教育研究集会
2011年10月29日(土)
全体会・午前10時から1時まで
午後2時から4時半まで
会場・ラボール日教済
交通・東京メトロ・東西線神楽坂駅出口2
共催・東京教組・都障労組
連絡先・03-5276-1311
記念講演・ゆめ風基金代表理事・牧口一ニ
演題・分けたらあかん!共に生きる社会は、共に学ぶ教室から
以上!

ヒデの救援レポート、10月3日

ヒデの救援レポート、10月3日:40
 宣言!このヒデのレポートには、毎回、1万文字を使っていますが、読者の方々、特に、携帯電話でお読みになる方たちから、大切な情報ではあるけれど、長文に過ぎる、読みづらいと、クレームが来ています。
という事で、それらのご意見に応えて、毎回5千文字をメドに、発信しょうと、ヒデは結論したのであります!(笑)
 まぁ、各種の救援活動をなるべく目こぼししないようには、しますけれどもね。正直なところ、ヒデもその方が、気持ちもからだも楽なんですよね。そこんところをよろしくご理解くださいませ。ヒデ拝
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、9月29日までに、183479076円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、9月26日までに、98912600円になります。まだ、未発表のものもあります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
前にも書いたことがありますが、人権ヤクザと陰口を叩かれるヒデではありますが、柄にもあるまじく、花が好きなんですよね。(にが笑い)
 ゆめ風基金事務所の前の並木の根元は、周りのコンクリートの海に浮かぶ小島のように、そこだけが土の地図なのです。その場所、2ケ所なのですが、周りのビルに住んでいるのであろう、誰かが、花苗を植え、種を育てられているみたいなのです。
 ヒデは、実際に、その作業をしている姿を見てはいませんが、道路を行き交う、ビジネスや働き人の姿をしている人びとが、時折、立ち止まって、あれこれの花に、見入っている姿を散見することがあります。
夏の終わり、秋風がそよ吹く中で、ヒデの名前も知らない、小さな花々が、ピンク、オレンジ、ホワイト、レッドの色を精一杯、小さな花弁を使って、今を盛りと、咲き誇っています。無理をせずに、自然に、なんとなくです。むろん、土の中では、それぞれが根を張り合って、種の未来のために、自己主張しているのだけれども、そんなことは、おくびにも出さず、あくまで、自然に、花色を競い合い、可憐に、綺麗に咲くばかりです。
 大震災被災地から、台風被害地から届く、あれこれの、胸突かれる情報に接すると、ともすれば、無理をしているヒデの顔が鏡に映ってしまうのです。オッサン顔のヒデですから、あの可憐な花々のように、見栄えがするはずはありません。それは保証します。(笑)
 でも、今回の大震災からの、ひとびと的復活には、どう考えても、膨大な時間とお金、人智が要求されます。折れることなく、挫けることなく、笑いながら、自然な態度で、永くなるであろう道程を、情報を集め、発信しながら、お金を集め、支援のために使い続けねばなりますまい。そんなことを、秋風に揺れる花々から教えてもらう、ヒデの今です。とかなんとかいいながら、またまた花々を前にして、タバコをふかすばかりのヒデでもあります。
●サテライト自立生活センター長期避難拠点設立計画ー福島県内の自立生活センター共同連携にてー
被災地障害者センターふくしま代表・白石清春その第2回目
●2・具体的準備
1・先発隊の者が、神奈川県内の各市に行き、各市の情報を集める。市役所などに出向いて人口、予算規模、福祉関係予算、福祉サービスの程度と種類、交通の便利さなどを調査していく。
2・調査結果をみて、神奈川県の障害者団体と協議したうえ、中心拠点となる市を確定していく。
3・中心拠点となる市に事務所と住居一軒家等の場を確保する。そこに代表者が各自立生活センターの職員と一緒に常駐して交代で障害者・ボランティアなどを発掘していく。行政職員、社協職員との関係をいち早く作っていく。その地域の障害者団体、障害者関係事業所、養護学校、障害者入所施設、介護保険関係事業所を回り、生活保護利用者や自立生活センター関係者などを探していく。または、大学や高校を回って、ボランティアを探していく。
4・中核拠点となる市の障害者が何名か集まった段階で、福島県内から若い障害者と若い職員を移住させ、まずは生活介護事業所を立ち上げ、障害者や職員の生活を確保していく。
●3・本格的な計画移住
1・生活介護事業所を拠点としてさらにサービスが必要な障害者を探し出して、自立生活センターを立ち上げる。福祉サービスの提供と、相談支援ピアカウンセリング、自立生活プログラム等を行っていく。うまくいけば、若い障害者を見つけ出して、ILの運営を担える者や、障害者運動を行える者などを育成していく。
2・中心拠点の自立生活センターと生活介護事業所が軌道にのった段階で、さらに周辺の市に第二拠点をつくっていく。第二拠点に残りの福島県の自立生活センター関係者を移住させて、第一拠点と同様の方法で、第二拠点に生活介護事業所を立ち上げ、自立生活センターを並行して開設していく。神奈川県内各地に、第三、第四、第五の自立生活センターを作っていきたい。そして神奈川県内の障害者団体と連携してしていき、神奈川県内の障害者運動の活性化に協力していきたい。
3・福島県内の自立生活センターと関係のある障害者関係事業所関係者らと連絡を取り合って、事業所単位ごとに神奈川県内やその周辺候補地を探して集団避難させていく。
●4・長期的計画の利点
1・福島県民はなかなか自分の土地を離れようとしないので、障害者自らが先頭にたって福島県を出ていこうというアクションを起こせば、みんなも同調して避難するようになるだろう。その口火を切るために、私たちは動いていく。
2・今まで神奈川県内には自立生活センターは、少ない数しか存在しなかったが、私たちが神奈川県に行って活動することによって、何ヶ所かの自立生活センターがつくられていくことになるので、全国自立生活センター協議会にとっても朗報になるだろう。
3・私たちが神奈川県内の各市に自立生活センター等の拠点を作っていくことにより、その地域の障害者を発掘していくことができ、障害者運動を行う後輩たちを育てていくこともできるのではないだろうか。そして、神奈川県内の障害者団体と連携していくことによって、神奈川県内の障害者運動を活性化していくことができるのではないだろうか。
4・長期的視点に立てば、神奈川県から別な地方千葉県、長野県等にも移動していって、自立生活センターを広めることができるだろう。
5・30年間ぐらいたてば、福島に住民が戻ってこられるようになるのかも知れない。そのときに各地に分断して後輩たちを福島県に戻して、新たな自立生活センターを立ち上げていくこともできるだろう。
●全国各地に福島県の障害者ネットワークをつくっていこう。以上