ヒデの救援レポート、2012年5月2日

ヒデの救援レポート、2012年5月2日:68
大至急のお知らせ!!引っ越しました!
5月5日、カール・マルクス生誕の日、人工呼吸器を使用する子の親の会・バクバクの会初代会長の平本さんの命日、不肖hideの亡き母親の誕生日ひととしての幸せを願う、世界中の子どもの日を前にした5月1日、メーデーの日、ゆめ風基金事務所が、多くの人たちに支えられて、引っ越ししました。
新しい住所は、大阪市東淀川区東中島町1-13-43-106。電話番号及び、連絡方法は、変わりません。
場所は、前の事務所から50M東、大きな交差点を北へ10M、5軒目です!!
比較的安い家賃で借りれました。
室内も広く、作業や障害者雇用も充分に可能になりました。トイレも、ストレッチャー型車イスでも使用できるように、広げました。皆さんが遠慮無くおいでいただくよう、ゆめ風スタッフは、お待ちしております。拝
京都花園大学の人権教育研究センター報第21号に掲載された、障害者問題総合誌・そよ風のように街に出よう・副編集長の小林敏昭さんの文章「大震災と想像力」からの抜粋。
発行・花園大学人権教育研究センター
TEL・075-811-5181
 東北関東大震災から一年が過ぎました。10か月後の今年1月11日の時点で、亡くなった人は1万5千人を越え、行方の分からない人は3千5百人に達しています。当たり前のことですが、その1人ひとりが社会の中でさまざまな人たちと関係を結んでいた、かけがえのない存在でした。遺された人たちの悲しみはどれだけ深いことでしょう。
 妻と幼い娘2人を津波にさらわれ、家族の中でただ1人生き残った30代くらいの男性がテレビのインタビューに答えているのを観たことがあります。その人はカメラに向かって、淡々と娘たちのことや被災した時の状況を語っていました。その姿に、私は大きなショックを受けました。私が彼だったら、あのように取り乱すことなく語ることができるだろうか、いや、そもそも生きようという気力など出てくるだろうか、と思ったのです。
 彼が深い悲しみの中にあることは、その表情からすぐに読みとれました。それでもなお、彼は愛する者たちの思い出を語り、そうすることによって生きようとしていました。私はそこにたくましさとかひたむきさ以上のもの、何か生き物としての人間のすごさのようなものを感じて、その映像に見入ってしまいました。
 大震災からの復興には長い年月がかかります。地震と津波による被害だけでも甚大なのに、そこに福島第一原子力発電所の爆発事故という大惨事が加わりました。人類が歴史上経験したことのない巨大復興プロジェクトです。みなさんがおばさんやおじさんになり白髪の老人になってもこのプロジェクトは続いているかも知れません。
 その長い復興の道のりの第一歩は、被災者の生活再建のための制度や資金を十分に用意することと、放射能汚染によって生じた損害を電力会社と国がきちんと賠償することです。これは政治や司法の仕事です。一方、被災地に入ってボランティア活動をしたり息の長い募金支援をしたりといった、市民サイドの活動も欠かせないでしょう。 そして長期的な視野に立って、原発に依存してきた私たちの国のあり方を変え、安定した再生エネルギーを産み出しいく方法を真剣に考えていかねばなりません。
 そうした復興プロジェクト全体を支えるのは、被害に遭ったひとたちに対する私たちの共感力や想像力ではないかと私は思います。テレビに登場した男性に感銘を受けたのも、私の心が彼の心に共振したからだと言えるかも知れません。被災した人たちが失ったものに思いを馳せ、その人たちと思いを重ねること。そのことを通して、復興だけではなく今後襲ってくるだろう新たな天災に備えることもできるし、同じような人災を繰り返さないための努力を傾けることもできると思うのです。
 この文章を読んでいるみなさんの中には大震災で身近な人を失った人もいるかも知れませんが、たいていの人はそうではないと思います。だから被災した人たちと思いを重ねることなど無理だ、想像したり共感することなどできるはずがないと思うかも知れません。
 でもそうではありません。私たち人間には、他の動物にはない共感力や想像力が備わっているのです。中略・
 目の前にあるものだけを見ているチンパンジーは、瞬間的な記憶力、例えばコンピューターの画面に一瞬提示された数字を覚える、では人間よりはるかに優れています。でも、そこにはないものを想像する力では3歳の子どもにも及ばない。
 松沢さんはチンパンジーは絶望しない。たぶん、明日のことさえ思い煩ってはいないようだ。それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。どんな過酷な状況の中でも、希望をもてると書いています。
 これから続く復興プロジェクトの長い道のりでは、私たちの想像力が試されるでしょう。復興という場面に限らず、その力は私たちが他者と共に生きようとする時に必ず役に立ってくれます。みなさんには、ぜひ大学生活で、その力に磨きをかけてほしいと思います。人権研センター委嘱研究員
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、4月14日までに、227969836円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、12月31日までに、123599050円です。
●その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●hideの畏友のおひとり、花園大学の八木教授さん発行の個人メディア;試行社通信;305号の中の記事;メディアと向き合う;からの抜粋、○その2
●連絡TELFAX075-221-2672
○定義不明の;冷温停止;報道の垂れ流しも絶対に許容できない。通常運転の原子炉をとめて安定的に冷却できたことを冷温停止ということくらいはすでに常識のはずなのに、メルトダウンした炉心が圧力容器をもメルトスルーし、しかもその状態を誰も確認できないまま水をかけつづけている状態を冷温停止などといえるわけがありません。
 この2月中旬、2号機の格納容器の温度がかなり上がったことについて東電は温度計の故障と説明しました。それならいいのですが、ならば東電はなぜに再臨界防止のためのホウ酸水や大量の水を注入しなければならないのかと素人ながら疑っていたところ、どうやらキセノンが確認されたらしいという。つまり核分裂がつづいているらしいのです。何が冷温停止なものか。新聞各社のかなり優秀な科学記者は一体全体なにをしているのでしょうか。
 これも素人ながらかねがね疑問におもっているのが除染。原発事故が終息せず、放射性物質も出つづけている2号機の温度上昇の際、セシウムが異常に高値になったという情報もある。
 そんな段階でおこなう除染に意味があるのかどうか。さらに除染はどうかんがえても、汚染の移動でしかないはずですが、本当のところはどうなんでしょうか。福島から遠隔の地にあって、無責任な発言は慎むべきでしょうが、私の目には、除染は人々を避難させないための手段、すなわちある種の人体実験にしかみえません。除染の有効性を強調するマスコミは、人々の自主避難をも切り捨てる政府の棄民政策に加担していると批判されても仕方がないのではないか。放射性物質にたいしては除染よりは;避難;あるのみだと新聞は説得すべきなのではないか。
 いま思い出しましたが、管おろし報道が激化したのは、管首相が浜岡原発の運転停止を要請した昨年5月6日以降のこと。管が安全が確認されるまでと発言したことへの反応です。この点について産経の社説は手続きを欠いた管首相の要請には、原発事故の深刻さをパフォーマンスに利用した思いを禁じ得ない。諸外国からは、日本が原発を否定したと受けとめられる恐れがあると書き、読売の社説は、浜岡に限らず各地で原発停止が広がるかもしれない。そうならないよう、政府と電力各社は対応を急がねばならない。と書きました。
 原発維持のための管おろし、実に破廉恥だ。
頑張ろう、東北!頑張ろう、仙台!頑張ろう、
パルいずみ!仙台七夕ストラップ、
1個500円
パルいずみ・宮城県仙台市泉区七北田字大沢烏谷ケ沢8-11
TEL・022ー377-4802FAX・022-377-3762
○ストラップは、ピンクと青の2種類あります。
○パルいずみは、就労移行支援事業所・就労継続支援ビィ型事業所です。申し込みは、数をなるべくまとめてあげてください!
パルいずみは、精神に障害をお持ちの方を対象に、就労移行支援、就労継続支援という2つの事業を行っています。
○就労移行支援事業とは?
 企業への就労を希望される方に対し、必要な知識・技能等を習得してもらうための支援や、関係機関と連携し、実習・求職活動から就職後の定着までの支援を一環して行う事業です。
○就労継続支援事業とは?
 パルいずみ内での生産活動や、利用者さん同士の付き合いを通して、自分の希望を実現できるよう支援を行う事業です。
○生産活動の一環として、ビーズアクセサリー・仙台七夕ストラップなどを作製して販売をしています。売り上げ収入は、利用者さんの工賃給料となっています。
京都北部盲ろう者たんぽぽの会・設立5周年記念講演会
○東日本大震災を体験して~その時、障害者は~
○2012年6月23日(土)、式典・午後1時から20分。講演・1時30分から4時
○会場・福知山市総合福祉会館3階・福知山市内記10-18
○講演者・早坂洋子さん(みやぎ盲ろう児・者友の会会長)
○参加協力費1000円
早坂洋子さんプロフィール
1982年宮城県生まれ。弱視難聴。生まれつき、目と耳の両方が不自由。小・中・高と普通校に通い、高校卒業後三療の資格を取るため宮城県立盲学校現・視覚支援学校に進学。あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師免許取得。現在みやぎ盲ろう児・者友の会で活動中。
問い合わせ・設立5周年記念講演会実行委員会
TEL&FAX・0772-66-0034以上。

ヒデの救援レポート、012年4月23日

ヒデの救援レポート、012年4月23日:67
●ゆめ風事務所に届いたお葉書から
○ゆめ風基金さま、スタッフの皆様にはお元気にご活躍でいらっしゃいますでしょうか。
 昨年3・11の大震災での尊いお働きを心から感謝申し上げます。力弱い私も何かせずにいられない気持ちで義援金を送らせていただきました。そして食卓に貯金箱を置き、1か月5千円を1年間続けようと決めたのでした。被災地の皆様の戦いはまだ続いており心苦しく思いますが、本日の送金で終わりにさせていただきたいと思います。
 私は73歳、独居の障害者です。ヘルパーさんや友人に助けられながら生活しています。この後も皆様のことは忘れません。また、自らの力で立ち上がろうと奮闘しておられる障害のある若者たちの存在に大変励まされました。どうかお身体お大事に益々のご活躍をお祈りいたしております。私もこの一日を精一杯生きたいと思います。 ゆめ風の皆様本当にありがとうございました。
 2012、3、27 東京、K・H
 リウマチでボールペンが握れません。でもパソコンが使えます。感謝です。
●3月25日、NPO法人・ゆめ風基金・2011年度第11回定時総会が、大阪市北区にある山西福祉記念会館で開催され、参加者、委任状を合わせて定数が達成して、成立しました。
 前日の24日夜には、会員、ネットの方々、30人以上が参加されて、会館のレストランを借りての交流会も開かれ、久しぶりの顔合わせの中、東日本大震災被災障害者救援活動の取り組みや、全国各地の情報交換を飲み、かつ食べながら、深夜まで語り合いました。
 翌日、25日の午前10時からは、会館のホールにて、12時まで法人定時総会。牧口代表理事を議長に、活気ある進行でした。見慣れた顔顔と議論百出は、とても楽しいものです。
○参加されたのは、ゆめ風ネットワークの福岡、尾道、埼玉、宮城、淡路島、福井、愛知、石川、加賀、兵庫、富山、新潟、但馬、そして、8名の全理事、幹事合わせて、50名を上回りました。議事は通例通りきちんと進み、話し合いの大半が3・11以後のゆめ風基金、各地の取り組み、被災地の障害者拠点10ケ所、後方支援2拠点の動向、あり方に集まりました。
 2時間という短い間でしたが、深い味わいのある総会になりました。今年は理事改選期に当たり、障大連の細井さんを新たに理事に選任して、その他の理事、幹事が再選されて、更なる被災地障害者支援を誓いながら、閉会しました。
●25日には、同時並行して、会館隣りの扇町公園で、第2回・東北イコール関西ポジティブ生活文化交流祭りが開催されました。
○あれこれのイベント○大団円!いも煮交流会
○東北被災障害者救援活動100人しゃべり場
○まちなか被災シュミレーション
と、折り重なるように行われ、寒い風が吹く中、述べ1000人以上が参加しました。ゆめ風基金総会に参加された方々も参加し、被災地から参加した被災障害者の方々と、交流を深めました。
○また総会会場では、交流祭り終了まで、ゆめ風基金制作の被災パネル展示も行いました。パラパラの見学者でしたが、みんな熱心に見入ってました。
●被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、4月14日までに、227969836円です。これまでに支援した団体、個人への金額。12月31日現在、●東北へ、123599050円●台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円●フィリピン大洪水、10000000円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。:とうほく:と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
●hideの畏友のおひとり、京都花園大学の八木教授が発行する、個人メディア・試行社通信305号中の「メディアと向き合う」記事からの抜粋。
○連絡先TEL/FAX075-221-2672
●ところで、3・11以後しばらくの間のマスコミはさながら大本営広報機関と化したような体たらくでした。昨年秋頃からは「毎日」を中心に若干正気をとりもどした観なきにしもあらずですが、当初はとくにひどかった。政府・東電・原子力安全・保安院、御用学者にマスコミも合体化して情報の隠蔽と統制にのみ力を発揮したといっても過言ではありません。
 統制された情報を独占する記者クラブ制度の問題点はいうまでもありませんが、もう一つはやはり電力会社の広告宣伝費にマスコミは文字通り金縛りになっていたのではあるまいか。総括原価方式は戦前からありましたが、明確に制度化されたのは、1964年の電気事業法以降のこと。周知のように、総括原価方式というのは、燃料費、人件費、整備修繕費などのほか、広告宣伝費や業界団体会費などまで原価にふくめ、その4・4%を利益にしてもよいという仕組みです。
 一般の企業では、なるべくコストをおさえて利益率を高める算段をするものですが、電力会社の場合は高コストであればあるほど利益もふえるという詐欺的な仕掛けができあがっているわけです。電力会社は完全な独占企業ですから、広告宣伝費など本来的に不要ですが、利益をあげるにはそれにもカネを使った方が有利なのです。人件費もそうです。
 どの企業も今は人件費コストの削減に躍起になっていますが、電力会社は人件費が高ければ高いほど儲かるのです。現在正規労働者の平均年収は約400万円ほどだと思いますが、東電の正規社員の平均年収が757万円とかなり高いのもそのため。
 東電1社の2010年度の広告宣伝費は116億円と相当膨大なものでした。新聞全社の広告収入は2000年からの10年で約4000億円も減少しているわけですから、電力会社の広告宣伝費は新聞をふくむマスコミ各社にとっては垂涎の金づるであって、そうであればあるほど電力会社への筆鋒はにぶくならざるをえません。実になさけないことですが、この場合も下部構造が上部構造を規定しているということになりますか。
●南相馬ファクトリー通信 ボリューム1号より
○私たちは、これからもふくしまで生きていきます。ずっと、私たちの事を忘れないで応援してください。
○南相馬の7つの作業所あさがお、えんどう豆、ほっと悠、ボニーハウス、身友会、ピーンズ、ひばり就労支援作業所と、原発から数キロにあった作業所の「ふたばの里」も仲間に入り、8つの作業所が共同して「南相馬ファクトリー」を立ち上げました。
 まず、みんなで、ふくしまを応援するバッジを製作し販売します!そして、福島から情報を発信していきます。
●カンバッジ・10個入り、100個入り。卸価格1個100円。販売価格1個150円。●申し込み、えんどう豆内・南相馬ファクトリー
○TELFAX0244-23-4177
●ふくしまは祈ります。この悲しみを繰り返さないことを、;ふくしま;は願います。あなたの故郷がいつまでも、美しくあることを。
●僕は相馬、好きだよ
○作詞・えんどう豆、佐藤定広
梅雨の開ける相馬に、旗がなびくよ
野馬追の法螺の音、街に響くよ
城に集う武者たち、風が騒ぐよ
街の人は千年、守ってきたよ
みんな思いつないで、誇りをもって
君と暮らすこの街、守りたいんだ
僕は相馬、好きだよ・どこに居たって
なつかしいふるさとの温もりがするよ
宇多の流れ、清く、松川浦へ
うまいホッキと魚、食べにおいでよ
海は青く、鹿狼の、山は緑に
子どもたちは遊ぶよ、自然の中で
つらいことがあっても、諦めないで
みんなでつくろうよ、ぼくらの街を
僕は相馬、好きだよ いつの日だって
きっと元気君、できるはずだよ
さくら咲く馬稜の、城を歩けば
ひばり空を高く、さえずる街よ
冬が来て鹿狼の、山に光が
灯る頃に君は、帰ってくるよ
子供たちの瞳に、映る明日は
未来見つめ、夢にあふれているよ
今は君と別れて、暮らしていても
僕は君が好きだよ、どんな時でも
今は君がいれば、何もいらない
いつか普通の暮らし、必ずできるよ
つながりエンドレスふくしま
以上

ヒデの救援レポート、2012年・4月16日

ヒデの救援レポート、2012年・4月16日:66
 先週は、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」83号特集取材のために、牧口さんとふたり、老々へろへろコンビで岩手県盛岡市にある被災地障がい者センターいわてを訪ねていたので、メール発信をお休みしました!申し訳ありません。訪問のレポートは、後日に必ずいたします!hide拝
●Fさんの年末被災地訪問・覚え書き風見聞録風手書き日記●その3
○山元町・山下駅で、昼コンビニ弁当。電車は、線路が寸断されて、通っていない。線路のまわりには、看板にいろんな言葉。自衛隊がしばらく滞在していたとのこと。自衛隊さん、ありがとうの看板あり。なんとなく、淋しい駅。電車がきていないから、あたりまえか。駅前の売店。おじさんたちが集まっている。テーブルの上にみかん。カップヌードルにお湯を入れて食べてる。外からはわからない、集い場。
○山元・どこまでも、どこまでも続く、茶色に沈む地。あるところを境に、延々と、延々と、見渡す限り茶色の地が続く。また、さえぎるものがないのだ。どこまでも何もないのだ。建物もない。ひともいない。茶色い地と、家があったであろう白い土台がどこまでも広がる。途方にくれる。押しつぶされる静けさ。死んでしもたなぁと思う。死んでしもた町、死んでしもた村、死んでしもた大地。ようさん、ようさん死んだんやろなぁって、本当に思う。
 山元が、一番こたえた。だれもおらん。何にもあらへん。淋しくて、淋しくてしかたない空気が広がる。生きかえることができるんやろか。なんかもう、見捨てられたところのように思えてしかたがない。見捨てられた町になってしもたんやろか。もう少し南に行くと、福島にはいっていくという。福島は、また違うたいへんさがある。どうなっていくのか。わからないではいけないのだけれど、わからない。
 ひきかえして、亘理へ向かう。小学校もうちすてられたまま。校庭には、ぺしゃんこの車がひしめいている。道路は、なんとか続いている。山元は、いちご農家が多いとのこと。いちご観光の看板が、ぺしゃんこになって道路の脇にある。あとで、ラジオで、いちごの出荷は、例年の2割だと聞いた。8割がつぶれたんやなぁ。被災地センターで聞いたこと。山元では、拠点はつくれない。亘理でつくり、山元につながるようにする。それが現在進行中。ほんまにようやりはったと思う。つなげたんやなぁと思う。
○亘理・Sさんという、お世話好きそうな女性と、ちょっと障害がありそうな、女の子のような女性名前を聞けなかったな。送迎サービスから帰ってきた男のひとがいた。山元で老人サービスのようなことをやってはったとのこと。Sさん自身も家を流されて、100日間避難所暮らし。元気やったからおれたんよとのこと。病院や施設に、たくさんのひとが移っていったとのこと。山元の仮設住宅は、建てるところがなかったので、亘理で、山を切り開いて仮設を作った。だから便利が悪い。病院に行けない。役所に行けない。初めは、救援物資を届けていたりしていたが、今は、送迎サービスが主なよう。あと、カフェを仮設で開いて、人の集まる場をつくっているとのこと。 やっぱり、仮設は遠く、便利が悪い。みたいだし、暮らしはなかなかスムーズにいかない。お茶、コーヒー、おいしいおまんじゅう、柿、りんごで、Sさんがもてなしてくれた。実は、ここに届けるカレンダーを忘れてきてた。ゆりがはまの前に気づいて、取りに帰る。たすけっとでも忘れてたみたい。この4人は、忘れ物が多い。珍道中4人組だ。亘理でも、Iさんがポーチを忘れる。
○カレンダーのこと・カレンダーは、石巻では、これからの自分たちの活動を伝え、広めていく、あいさつがわりの1品に。チラシもできているので、当事者の仲間を増やしていく過程で使ってもらえそう。登米では、これまでつながり、関係をつくってきたひとのところに、ホカロンとともに届けたいとのこと。これまでのごあいさつに使ってもらえて、うれしい。石巻も登米も、これまでとこれからをつなげていくツールになってくれそうで、うれしい。亘理では、事務所にカレンダーの絵の切り抜きが壁にはってあった。Sさん、好きそう。ここでも、送迎サービスの時や、仮設で開くカフェで使ってもらえそうだ。よかった、よかったぁ。
たすけっとに戻る。テーブルの上には、また違うおまんじゅう。ここは、ほんとに、ひとが訪れる場だ。きっと。
○仙台空港・大阪・箕面に帰ります。行きに車イスを押してくれたひとが、また押してくれる。なんか、みんなええカンジのひと。しょうちゅう2本とかまぼこでええ気分。そういえば箕面のもみじの天ぷらは、どこでもウケた。ものとしては、めずらしいものね。
 たすけっとのリフト車は、乗りやすかったな。会計のひとは、パキパキしてたな。
                                         以上オシマイ
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、3月19日までに、222681086円です。これまでに支援した団体、個人への金額。12月31日までに、123599050円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●国土交通省認定講習被災地での、移動支援活動でも役立つ認定講習です
●移動・送迎サービス、運転協力者講習会・福祉有償運送運転者及びセダン等運転者運転協力者講習会
●NPO法人・移動送迎支援活動情報センターからの呼びかけ
●私たちが取り組んでいる福祉有償運送移動送迎支援活動は、非営利法人であれば改正道路運送法(2006年10月1日施行)に登録すれば可能となっています。
○改正道路運送法では、運転者の要件として国土交通大臣認定の講習修了者という要件が新設され、講習内容も最低470分セダン車等研修を含むが規定されています。
○道路運送法改正の目的は、過疎地の生活交通や要介護者・身体障害者等の移動制約者の移動を確保(国土交通省)とされてはいるものの、手続きの煩雑さゆえに各地ではやむなく撤収する団体も出ている状況です。
 私たちは福祉有償運送運転者及びセダン等運転者講習として国土交通省認定(2006年12月1日)を済ませ、活動継続への支援と、移動送迎支援活動のすそ野を広げる努力を行っているところです。この機会に受講いただき、それぞれの地域で取り組みを継続・拡大されるようお願いいたします。
○2日間のカリキュラム全てに出席された方には、運転協力者講習の修了証を発行いたします。
●日時2012年○3月26日~27日
○4月23日~24日
○5月21日~22日
○いずれも10時から5時
●会場Alexビィエルディ・NPO日常生活支援ネットワークの隣り
○大阪市浪速区敷津東3丁目6の9
●定員20名程度・定員になり次第締め切り、先着順
●参加費用12000円・いずれもテキスト代が別途1000円が必要です。運転適性診断を希望される方は、1500円で実施します。
●申し込み、問い合わせ○NPO法人移動送迎支援活動情報センター
○TEL・06-4396-9189○FAX・06-4396-9189
以上
●被災地障害者センターみやぎ・石巻支部の機関紙「にょっきり!」1号が発行されました。「によっきり!」は、石巻支部の当事者スタッフ2名を中心として、被災地障害者センターみやぎ、県北支部・登米、石巻支部・石巻のスタッフが連携し作成しています。
 街もぼくらもこれからにょっきり伸びていく!そんな思いで、障がいのある人もない人にも読んで頂き、お互いの理解を深めるきっかけになるような冊子にしていきたいと考え作成しています。
せっかく作った「にょっきり!」をたくさんの人に読んでもらいたい!そんな想いをプロジェクトスタッフ一同が抱いています。読んでくれるひとの存在は冊子とスタッフの成長に大きく関わります。現地で出来るボランティアのひとつとして、全国各地への「にょっきり!」の配布にご協力お願いします。
●問い合わせ 「にょっきり!」プロジェクト事務局・石巻支部
○TEL・0225-25-5388FAX共用
○宮城県石巻市蛇田字中ぞね37
●1号編集後記抜粋
○今回は初めて記事を書いたこともあって、やや面白みに欠けたかもしれません。今後はこの冊子で、より面白く私達の活動を紹介出来るようにネタ探しをしていきますので、宜しくお願いします。あと地元にいる中学やら高校の同級生のみんな、もし街などで会ったら気軽に声をかけてね!(石森)
○人生で、初めての取材活動をして、これまで知らなかった、様々なことを知ることが出来たし、見たり食べたりして本当に良い体験をしました。初めての取材なので失敗だらけでよい記事が全然書けませんでしたが、これからも、町や色々な場所に行き取材をして、私達の生まれ育った所を知って頂きたいと思います。次回はもっと面白い記事を作るので楽しみにして下さい。(阿部)
以上!

ヒデの救援レポート、4月2日

ヒデの救援レポート、4月2日:65
●Fさんの年末被災地訪問、覚え書き風見聞録風手書き日記 その2
○12月13日・Oさん。南三陸では、障害者拠点はできない。登米につくる。登米では何をしようとしているのか、もうひとつわからなかった。Oさんも、家が壊れ、流されて、仮設住宅にはいってはる。
避難所では、通路にふとん半分ほどの場所にいたという。ダンボールを敷いて、新聞をしいて、毛布をしいてねていた。トイレは、穴掘ってして、ブルーシートをかけていた。物資は届いても、みんなにいき届く数でなければ、配布されなかった。
 このへんのひとは、200坪、300坪のところに住んでいたから、ちょっと雑草をとったり、野菜をとったり、日常を暮らすおおらかな大きさがあった。仮設だと、板一枚でおとなり。むかいもすぐそこ。知らないひとがすぐそばにいる。そのことに、息苦しく、外にでれない。
・昼ごはんは、南三陸から登米にはいって、道の駅にいく、林林館。おおあたり。Kさんたちは、食堂であぶらふどん。私は、ほくほくのやきいもと売店の牛乳。170円。牛乳がとんでもなく、おいしい。大きいの買っとけばよかった。後悔。おもちもおいしそう。Aさんは、あげまんじゅうが気になってる。牛乳は、H君もAさんものんだ。ほんとうにうまい。
○南三陸・涙がにじみ出る。すさまじさが、まだ建物に残っている。クレーン車が動く。建物があった土台が、四角く残る。土台だけが残っている。壊された町。つぶされていった町。めちゃめちゃになった車。防災の看板をかかげて残る市役所庁舎。手をあわせるところ。トラックが通る。散髪屋さんがプレハブでやっている。4階のたてものの窓ガラスが割れている。2階に船が乗っかかっている。
 町のひと隅で、黄色のおそろいのTシャツを着て、がれきをとりのぞいている、いちぐん。トラックやクレーン車が動く中。なんだかむなしく考えてしまう。ほかにできることが、今はあると思う。ボランティアツアーというものがあるという。それかどうかは、わかんないけれど。
○13日の晩・帰ってきてから、Tさんと話をする。Oさんは会議。Kさんは東京。ここからは、東京は近い。南三陸を見てきましたか。Tさんは、シニカルで、おもしろくて、おおきい。KさんとOさんと、近くに飲みに行く。車イスがはいるため、お店のひと、大移動。おしつけないやさしさがある。
 Oさんたちは石巻で活動。仮設の店舗ができているとのこと。お店マップをつくりたいとのこと。Iさんたち、車イスのひとがリサーチする。めずらしいので、お店にはいりやすいとのこと。町にかかわり、発信していくところに、自分たちがいてるということを、これからの日常でつくっていこうとしているように思う。
・ひとりひとりの支援が、対立をも産んでいるとのこと。支援を本当に求めているひと。支援を利用しているひと。支援が必要なのに、家が残っているからと、何の支援もぼちぼちないひと。支援がないのに、ふんばっているひとは、一杯いてる。ひとりひとりの支援より、まち全体の支援が必要だとのこと。被災したまちを再生していく、支援が必要だとのこと。
○みやぎのたすけっと・大阪から、勝手にやってきたような4人。事務所から出るときは、行ってらっしゃい。帰ってきたときは、おかえりなさい。
7時になっても、8時になっても、誰かがいてる。デーブルの上には、おかしが必ず乗ってる。大阪のおかしがある。中之島サブレ。みかんも必ずある。おいしいコーヒーがいれてある。
 朝は、8時半からミーティング。Tさんが、コーヒーがはいりましたよ。という。食べる食材もいっぱい。ゴボウがあったり、みそがあったり。ラーメンもはるさめも。いつも誰かが訪れて、話をして帰っていく。町の中の集い場のよう。便利もいいしね。
・最後の日、わたしたち、ちょっと淋しそうだったのか、行くときは、行ってきますですよ。と、Oさんが教えてくれた。行ってきます
・8時半からのミーティングが、大切なカンジ。私たちの今日の行動も、ちゃんと聴いてくれる。石巻とか、各々の活動や課題もでてきて、KさんやTさんが、きっちり、ていねいにコメントを入れたりして、まとめている。大切な会議だ。
○みやぎのたすけっとのこと
・いろんなことが、つながっていた。・避難所に居れない。事務所に戻る。・水がきていた。発電機も手に入れた。みんなで食料をあつめた。けっこうあった。何日かはやれると思った。そして、発電機をつかわなくても、電気が通った。たすけっとのところだけ通った。生きてた。被災者になりきらなかった。何かやらなければという条件があり、そこから動く思いがあった。そのような状況にあった。つながるようにあった。
 日頃から、ゆめ風ネットワークにあり、H理事、ゆめ風基金がきてくれると思ったとのこだった。H理事の助言で、頭の中の交通整理ができたと、代表のOさん。外からの目で、これからしていくこと、今することの交通整理をする。外からの風の力を借りて、内部で持ちきれない、ごちゃごちゃを立て直していく。道筋をつくっていく。
○12月14日・亘理というところへ行く。
・12日、13日とは反対側。2日より近いので、ゆりあげ:というところと山元というところに立ち寄る。・ゆりあげは、海岸であることを誇りにしていた町であったように思う。海浜プールの看板があったり、海岸の案内があったり、松並木もあって、たぶん散歩するところや遊ぶところがたくさんあったのだろう。海岸の町のにおいがした。・がれきもとりはらわれて、ところどころに山積みになってる。先ほどの看板は、その中にある。
 何もない。低い低い大地が、どこまでも続いて、松並木が茶色くのこる。大地も茶色だ。海がおだやかで、キラキラと青い。どこが北で、とこが南かわからない。立ち入り禁止になっているけれど、何台かの車がはいって、人がところどころでたたずんでいる。海岸沿いには、たすかった舟が何台かうかんでいて、漁師さんらしきひとが、網を広げていた。漁をはじめているのかな。・海がほんとにきれい。・心がやわらかくなる3日間。息をのむ状況を見たあとも、やわらかく1日を終えることができた。たすけっとのおかげだ。
●この年末被災地訪問、覚え書き風見聞録風手書きFさんの日記を、2回で終えようとhideは、愚考したのでありますが、内容が示唆に富んでいる私文で、文量が後1回分ありますので、hideの勝手で、連載3回と変更させていただきます。ということで、●その3に続きます!
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、3月19日までに、222681086円です。これまでに支援した団体、個人への金額、支援総額は、12月31日までに、123599050円になります。
○台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、:われも、また、赤い:吾亦紅:と咲くのです。
●東北関東大震災障害者救援本部・自立情報発信基地から
震災1年を迎えて、被災地は
○代表・中西正司
●震災1年をむかえて、現地の状況は、目まぐるしく変わってきました。福島では、被ばく線量の高い障害者たちは、現地にとどまるべきか、ほかの地域に移転すべきかの選択に迷い始めています。また、介助者がすでに移転してしまって、60人必要なところに40人しか残っておらず、新規募集をしても、ほとんど介助者がみつからないという状況にも直面しています。
 したがって、介助者のいない時間は、不安に満ちた生活を送っている障害者も多くなってきました。この状況で障害者たちがいつまで現地で踏ん張れるのか、また介助者もいつまで現地にとどまってくれるのかは、差し迫った課題です。
 私たちにできることは彼らを側面で支え、東京や関西方面への転居を目指す人たちについては住む場所や介助サービスを受けられるように支援をすることなどです。また現地事務所の維持も、救援本部ではかなりの負担となってきました。被災地センターも沿岸部に拠点が出来ました。岩手では、朝日厚生文化事業団のご支援を受け、自立生活センターの当事者リーダーが現地に滞在して当事者エンパワメントをおこない、自立生活の理念の普及につとめています。
 みなさんにご協力いただいた救援基金は、10か月以降より寄付金が急激に落ち込んでおります。今後少なくとも3年間は支援活動を継続していきたいと考えておりますが、現在の状況で月1000万の支援金をつかわせていただいており、このままの金額で支出していくと、あと1年で基金残高がゼロになる可能性があります。
 そこで、皆さんに再度ご寄付をお願い申し上げます。基金の用途は、現地事務局の維持継続、介助スタッフの雇用継続、地方転出者の支援のための交通費や介助者費用、現地での移送サービス用車両の維持費、運転協力者への謝礼などです。皆さんからの息の長いご支援を承りますようお願い申し上げます。以上

ヒデの救援レポート、2012年3月26日

ヒデの救援レポート、2012年3月26日:64
 被災地障害者拠点訪問にゆめ風基金理事4名が行った後に、ゆめ風事務所に届いた、ゆめ風基金呼びかけ人のお一人、伊奈かっぺいさんのおはがき。
「みなさんが東北へお越しを。東北にいる私がお手伝い出来ずに申し訳なく。伊奈かっぺい・サイン」
●フィリピン・ミンダナオの視覚障害者団体が、大洪水で拠点を流されました。ゆめ風基金の馬垣理事が二度、現地調査を行い、3月中にはゆめ風基金からの支援の視覚障害者用白杖を50本を携えて、3度目の現地入りをすることになりました。
●3月16日、ゆめ風基金事務所近くの中島中学校と啓発小学校(阪神淡路大震災からお付き合いがあります。)から、生徒さん9人、先生4人がゆめ風事務所においでになり、学校で集めた被災障害者支援金を届けていただきました。
狭い事務所なのでギュウギュウ詰めになりましたが、全員ひとりひとりが被災地へのエールを語り、ゆめ風側も副代表理事、事務局長、事務局員がエールを送り返しました。支援金は、中島中学校・27132円、啓発小学校・12698円です。本当に、心のこもったお金です。ありがとう!
●被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は3月19日までに、222681086円です。これまでに支援した団体、個人への金額。
12月31日現在、●東北へ、123599050円、●台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円、●フィリピン大洪水、10000000円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
●主催・大阪府大東市・大東市教育委員会・大東地区人権擁護委員会・ヒューネットだいとう○協力・NPO法人ゆめ風基金で行われる一連のイベントのお知らせです!
●いずれも、問い合わせは、大東市人権啓発室
○TEL・072-870-9061○FAX・072-870-0907
●第29回人権パネル展3、11東日本大震災。そのとき障害者に何が起きたか!
○ゆめ風基金制作パネルの展示
●5月2日~5日・午前10時~午後4時
●ところ、野崎詣りで有名な・野崎観音会館慈眼寺境内
●5月3日午後3時より○トーク&ライブ河内家菊水丸&牧口一二ゆめ風基金代表理事
●5月4日午後1時より○トーク&トーク落語家、桂文福&牧口一二
●憲法週間記念のつどいみんなの笑顔がこぼれる社会とは
●トーク&コンサート●出演・冬が来る前に・が大ヒットした、紙ふうせん&牧口一二
●5月11日(金)午後6時30分開場
●会場・サーティホール大東市立総合文化センター
○JR住道駅から南へ徒歩5分
○参加費無料・定員1200人
これらの会場で集められた寄付金は、被災障害者支援金として、ゆめ風基金に寄せられます。
●仙台・自立生活センター・たすけっと機関紙ステップ42号より
●アンケートご協力のお礼
○私共、被災地障がいセンターみやぎは、NPO法人ゆめ風基金と宮城県内の障がい者関係団体14団体で構成された団体です。過去の災害時においても被災障がい者支援活動を行って参りましたが、残念ながら今回の大災害にも安否確認、支援物資、避難所、仮設住宅等、様々な場面での困難事例が発生し、またもや障がい者がより大きな苦難を背負う羽目になってしまいました。
 このことをきちんと後世に伝え、同じ過ちが起こらないようにするための冊子作りの一環として、大変お忙しい中、アンケートへのご協力をお願いしましたところ、数多くの皆さまにご協力いただくことができ、皆さまにとっても安心して生活するために、まだまだ多くの課題があり様々な対応が求められているのだということが分かりました。
 今後の支援活動へつながるものと信じております。本当にありがとうございました。
○アンケートについて被災状況を尋ねています
○今回830名の方から回答をいただいた内容について、現在分析を進めているところです。
 回答をいただいた方は障害当事者463名、支援者284名、無記入83名となっています。障害別には知的376名、精神227名、身体132名重複有りとなっていて、3障害それぞれの方から一定の回答を得られました。
 避難場所については福祉施設など269名、指定避難所164名、親戚68名、避難しなかった293名、無回答45名と指定避難所よりも施設や親戚などを頼った人が倍以上います。避難所で必要な支援としてヘルパーを上げた人が276名、医療242名、物資235名、建物構造121名重複回答有りとあり、建物構造より、ヘルパーや医療の必要性が高い回答となりました。
 震災直後や避難所、仮設住宅などについて色々とご意見をいただきました。また自由記述についても色々と書いていただき、みなさんがこのアンケートに対し関心が高いことがうかがえました。
現在詳細な分析結果を集計しているところで、この結果が今後の大規模災害時における障害者支援に少しでも役に立てばと思っています。
○ゆめ風基金・八幡隆司
●ゆめ風基金から支援した、陸前高田市の障害者団体の改修報告書からの抜粋
○ゆめ風基金様、平成24年3月13日、ずらんとかたつむり一同
○寒い寒いと言いながらも、ネコヤナギの芽が大きく膨らみました。そちらは春らしい陽気の日々が続くようになったことと思います。私たちは、震災地であることを忘れるくらい、毎日大きな笑い声に包まれ、元気に過ごしています。
 この度は、活動場所の改修資金を救援して頂きましたが、改修した建物の報告が遅れたことをお詫びいたします。本当にありがたいことに活動場所が明るく、清潔感あふれる部屋になりました。
トイレは同じフロアにありながら音が全く聞こえないので、利用者さんにとっては、特に自慢できる場所となりました。お風呂はまだ使用してはいませんが、利用者さんは夏になったら使ってみたいと話しています。食事をする場所と作業をする場所とが別になりましたので、落ち着いて食事も摂れるし、作業もゆったり行えるようになりました。
 休憩時間というのは形式上は設けてありますが、実際は自由にしています。作業途中で喉が乾いたら、食事を摂る場所に来て各自でお茶やコーヒーを入れて飲み、ちょっと休憩をします。時には、そのまま長い休憩になる人もいるようですが、部屋が別になったおかげで、このようにのんびりできるのだと思います。また、まるで自分の部屋のようにエィケィビィの写真カードを並べたりして楽しみ、皆大喜びです。
 これからも貴法人の温かいご配慮をしっかりと胸に刻み、職員一同、一丸となってがんばります。遠方ですが、またぜひおいで下さい。明るい部屋でひときわ明るい笑顔をお見せできると思います。皆心より感謝申し上げます。
○3月になり、すずらんとかたつむりに、視覚障がい者の方が週に1回お茶を飲みに来ています。仮設に住んでいて、外出する機会が少ないようです。利用者さんとお話しをしたり、一緒に昼食を食べながら、徐々に和らいだ表情になっていくようです。
●NPO法人アップストリーム障がい者支援センター通信No.25号よりの抜粋
○センター・兵庫県尼崎市
○TEL・06-6483-4588FAX・06-6483-4587
●救援と報告・M・O○支援するにあたって、いろんな事があります。先日は心肺停止・低酸素脳症・肺炎で意識不明になられた人が、本人の頑張りとあきらめない気持ちで、無事に退院され、現在は自宅で生活されてます。後遺症もありません。通院され採血・胸部レントゲン・診察など受けられてます。検査結果によると、肺も綺麗になり腎臓・肝臓・血圧も、少し炎症のあった血液も炎症がなくなっているそうです。医師によると、奇跡的な事らしいです。意識がもどらなかったり、後遺症が残ったりするそうです。だけど、入院前の姿にもどられて本当に良かった。と思ってましたけど先日、痰がつまり呼吸がしずらくなって再び入院されました。精神力の強さで1日も、はやい回復を願います。
 また自傷のある人などは、大きくなるにつれ、落ち着いてきて、なくなってきています。多動性を持つ児童も、急に走り出す事も少なくなっています。なぜだろう?って考えると明確な答えはわかりませんが、私が思うのは、本人の思いを受け止めてくれているのと、支援の思いが伝わってきているのかな?それが1本の線になりつつあるのでしょうか。
 話は変わりますが、通勤と移動で使うバイクを購入してもらいました。ありがたく思います。前車はセルモーターがきかず、エンジンがなかなか始動しない状態でした。長く乗っていた為、バッテリーやプラグの問題ではなかったです。新車なのでメンテナンスを気にしなくて走れるので良かったです。また、自分ごとですが健康診断で中性脂肪の数値が基準値よりも高かったです。3年前と比べると、胴回りが11センチ太くなりました。医師からは少しメタボの入り口かな。と言われました。予防としてはバランスの良い食事をとる・脂肪をとり過ぎない・糖分を控える。などあります。視力も低下しました。近頃では肩と肘、膝の関節が痛む時があります。難しいですが健康管理に気をつけて、さらにベストな支援をする為に今年も宜しくお願いします。
○被災地当事者派遣プロジェクトに参加された方です。以上

ヒデの救援レポート、2012年3月19日

ヒデの救援レポート、2012年3月19日:63
●福岡県の虫の家の機関紙から。
hideの畏友のひとりで、福岡近畿短大の講師をし、虫の家の事務局でもある、高石伸人さんの記事。
虫の家はゆめ風基金ネットで、数年前に呼びかけ人のお一人、作家の山田太一さんをお呼びして、福岡イベントを共催したこともあります。
●虫の家・TEL&FAX・09496-2-6003
●障害児が生まれるから反原発ですか
○昨年の11月、映画チェルノブイリ・ハートを観る機会をいただきました。チェルノブイリ原発事故から16年後の2002年に、放射能汚染地域のベラルーシを取材したマリアン・デレオ監督のドキュメンタリー作品です。
原発事故の影響で、心臓に障害を持って生まれてくる子どものことを現地ではチェルノブイリ・ハートと呼んでいるのだそうです。多くは心房中隔欠損など心臓に穴が開くなどの症状のため手術が必要であるにもかかわらず、手術の順番を待つ子が7千人もいて、間に合わずに亡くなっていると伝えています。
 また、甲状腺がんや水頭症などの重度な知的障害、身体障害を抱える子どもたちの出生率が増加し健常児が生まれる確率が15~20%とされています、事故の前には存在しなかった遺棄乳児院と呼ばれる施設がつくられ、小児用ベッドがすし詰めの小部屋に、まるで物体でも扱うように放り出され、棄てられた子どもたちの空ろに見つめる眸、弓なりの姿が長回しのカメラで執拗に写し出されていきます。
 心房中隔欠損で二度の手術をした子と暮らしている身には、それこそ心臓によくない映像の連続だったのですが、とくにその子らに対する人を人とも思わぬ職員の接し方には、いささか腹立たしい想いが胸にこみ上げきたのでした。
 福島原発の事故以来、この国でも放射線内部被曝の問題が報道され、とりわけ胎児や子どもたちへの影響が語られるなかで、女性たちを中心に多くの普通の人びとが反原発・脱原発の行動に立ちあがっているようです。
そしてそれは、チェルノブイリ原発事故の後にも一定の世論の波を形成し、従って、そこに潜む障害児が生まれるから反原発・脱原発という危うい論理をめぐって、いくらかの議論が巻き起こったことでもありました。
 当時も今日においても、反論する障害当事者の言い分は、たとえば障害者は常に一定の割合で生まれてくる。放射能の恐ろしさは、そのような確率が極端に増えたり減ったりして、生態系のバランスが崩れてしまうことであり、決して障害者が生まれてくることそれ自体ではない。(堤愛子氏)とするもので、自分のカラダが傷つけられるからありのままの生命を否定する原発に反対するという主張です(一方で私のような不幸な子どもが生まれる可能性のある原発は止めて!という声もあります)。
 基本的に私も同感です。ありのままの生命とは自然の生命と解します。その上で、生命の自然性を破壊する可能性のある原発・放射能に反対するという立場は、必然的にチッソが垂れ流したメチル水銀をはじめ、ダイオキシンや電磁波、PCB、アスベスト、DDT等々、科学技術が造り出す化学物質が、ありのままの生命を破壊し続けているという射程までを照らすと考えられます。最首悟さんは多重化学物質相乗微量汚染と表現しています。
 その被害はヒトのみならず、まさに生態系、生きとし生きるものすべてに及びます。それらを作り出しているのは人間、私やあなたという人間の欲望です。もうひとつ、それを踏まえて、水俣の母たちは胎児性水俣病のわが子が生まれた後にも、子どもを産み育て続けたという事実、そのいのちへの無限信頼のような感覚を、私たちはどのように継承するのか、ということも問われている気がするのです。
 いずれにしても、二項対立ではない丁寧な議論を重ねたいと思います。
                                  以上
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、3月1日までに、216745614円です。これまでに支援した団体、個人への金額は12月31日までに、123599050円です。その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●東日本大震災支援まけない!タオルタオルで届けるメッセージ・タオルでつながる心・白い雲のもっと向こう、青い空の真ん中で、ぼくらは同じ方向に向かってつながっている
○このタオルはちょっと短めの50㎝だからね、首にも巻けない、頭にも巻けない、私はまけない!絶対にまけない!ほどけそうになる自分にまけない!どうしてこのサイズなの?だってまけたらだめでしょう…。ごらん、青い空に白い雲。
 深い悲しみと、絶望的な困難ではあるけれど、決して負けないで、絶対に乗り越えて欲しい。そう祈っている人はたくさんいます。その心を一本のタオルに託して届けます。同じ青い空の下で、同じタオルを握りしめて乗り越えて生きます。
○東日本大震災復興支援歌「まけないタオル」作詞・早坂文明・作曲・やなせなな
まけないぞ まけないぞ 首(くび)にも頭(あたま)にも
まけないタオル(たおる) 半端(はんぱ)じゃないぞ
泥(どろ)にまみれて 明日(あした)が見(み)えなくなっても
まけないタオル(たおる)が 拭(ぬぐ)ってくれる
ほら 笑顔(えがお)と一緒(いっしょ)に明日(あした)が来(く)るのさ
まけないぞ まけないぞ 夕陽(ゆうひ)にまけない
紅(あか)い血潮(ちしお)が 流(なが)れている限(かぎ)り
涙(なみだ)で曇(くも)り あなたが見(み)えなくなっても
まけないタオル(たおる)が 拭(ぬぐ)ってくれる
ほら 想(おも)い出(で)探(さが)しあなたを忘(わす)れない
まけないぞ まけないぞ汗(あせ)にもまけない
愛(あい)の息吹(いぶき)が 漲(みなぎ)っている限(かぎ)り
まけないぞ まけないぞ 首(くび)にも頭(あたま)にも
まけないタオル(たおる) 半端(はんぱ)じゃないぞ
うつむかないで みんなで希望(きぼう)の雲(くも)つかむ
まけないタオル(たおる)を 空(そら)に投(なげ)げ上(あ)げて
ほら 拍手(はくしゅ)が響(ひび)く新(あた)しい舞台(ぶたい)に
まけないぞ まけないぞ大樹(たいじゅ)にまけない
根(ね)っこのこころ揺(ゆ)るぎはしないから
まけないぞ まけないぞ 首(くび)にも頭(あたま)にも
まけないタオル(たおる) 半端(はんぱ)じゃないぞ
まけないタオルプロジェクト、郵便振替口座02220-4-86114
加入者名宗教法人松林寺
山形県最上郡最上町大字富沢1826の1・松林寺
支援金千円以上で、タオル1本進呈とのことです。
●元参議院議員で、視覚障害者の堀利和さんが、NPO法人共同連・れざみブックレットから、冊子付録共生社会論その後・一歩前進、振り返って二歩後退・を出版されました。その中からの抜粋
●3月11日午後2時46分のつらさ、私の予想をはるかに超えたあまりのつらさを、私はようやく吐き出す。
がれき・大津波が残してくれた・私たちのがれき・がれき以外のすべてを・無慈悲に奪っていった・大津波・それでも残してくれた・私のがれき・がれきが言う・治の家・勝次の塀・まさみの松・駄菓子やへ続く細い道・私たちに残してくれた・生活のがれき・4月11日・がれきの中で・きのうを感じる・慈悲のがれきが・私たちに語りかける・日に日に・がれきが消える・すべてが平坦で・がらーんとした空間に・カモメがキーキー・大津波が残してくれた・せっかくのがれき・生活の証拠・それまでも・すべて・取り去っていった・復興という名の・無慈悲な未来
●大震災が私に残した3つの心と1つの制度
○目の前で津波に流されていく娘、それを救えなかった母親の自責の念。
エイエルエスの息子を看病していた母親が、息子を置いて逃げられなかった親子愛。
津波がせっかく残してくれた生活の証のがれき、きのうの記憶もその証拠までも、復興という未来が、もう一度被災者を打ちのめす良心。
避難所にはミルクがないので、乳飲み子にミルクを飲ませるため病院に入って、患者でない若い母親が2日間何も食べられない医療制度。
●冊子の申し込みは、共同連東京
○東京都北区中十条1の2の18・北区立障害者福祉センター4F・NPOわくわくかん気付
○ねっこ共働作業所・TEL077-546-2420FAX077-546-3661
●昨年末に、自前のカレンダーを携えて、数日被災地を訪れた、4名の中の女性のFさんの覚え書き風見聞録風手書き日記を2回に分けてお届けします!
●その1
○12月12日・お昼すぎ、仙台、たすけっとに着く。代表のOさんがいる。Oさんがいる。ふたりとも盛大に風邪をひいてる。Oさんがでっかくハナをかんでる。みかんを食べて、また食べてる。緊張するけど、大きな声を出さなきゃ。あいさつをして、私たちの地元、箕面の名物もみじのてんぷらを渡す。石巻に行くのだ。ほんとうに行く。
○石巻・Aさん、Iさん、Mさん。まだまだ若い2人と1人。これから障害当事者という意識を持って、自分たちが行動していこうとしてるトコロ。どうやって他者をまきこんでいくのか、迷いながら動こうとしている。
 Iさんは、人がいいから、押しが弱いのだそうだ。分かるなぁ。私も押しが弱いもの。Iさんの家は、1Mくらい水につかったのだそうだ。それを聞いているAさんが、たった1Mかぁ。とつぶやいた。Aさんは、家を流されたのだそうだ。
 お昼は、コンビニ弁当。豆パンがおいしい。仙台のパンだ。自分たちの自立がまず必要やといってた。そこから見えてくることを制度にしていきたいって。そやなぁ。まず自分たちやなぁ。
○たすけっとに戻って隣のスーパーで、おそうざいを買って、押しかけ飲み会。Kさん、Tさん、Oさん、Oさん。あたりまえのようにつきあってくれる。東北に来て、コーフン気味で、酔っぱらってる言葉を聞いてくれてる、大阪から来ている、ボランティアのKさん、Oさん。Kさんは、私たちの代表のKのファン。アーティストミーってニコニコして言いはる。私たちの団体の情報をインターネットで見てくれてはる。海の暮らしと陸の暮らしが分断されてしまうのか、という私のひとりごとみたいな質問に、KさんとTさんが、とまどい気味でうなずいてくれる。ぽっとやってきた、大阪もんの言葉だ。
続く
以上

ヒデの救援レポート、2012年3月12日

ヒデの救援レポート、2012年3月12日:62
●速報!
 被災地3県の沿岸部で展開している被災地障害者センターの移動、移送支援活動に、DPIが折衝していた航空機会社ボーイングから、75万ドル・日本円で6千万円の援助が決定。3月7日に、東京で贈呈式。よかったぁ。
●3月25日の3つのイベントのお知らせプラス
場所はいずれも大阪市扇町公園&山西福祉記念会館・JR環状線天満駅下車すぐ
○連絡・日常生活支援ネットワークTEL/FAX、06-6649-0455
ゆめ風基金TEL06-6324-7702
●午前10時から12時、NPOゆめ風基金法人定期総会
●午前10時から1時、まちなか被災シュミレーション・ボランティア育成ワークショップ●12時から5時、みんなの東北イコール関西・いろいろしゃべろうin扇町公園
●午後2時から4時、大団円!! いも煮交流会・東北被災障害者救援活動100人しゃべり場
●第2回ポジティブ生活文化交流祭・どなたでも参加できます!ぜひ、おいでください!
参加費無料!
●hideは、2月2~3日に開催された、水平社創立90周年記念・全国人権啓発研究集会in熊本に参加してきました。
 全体会は熊本市立体育館。hideは全体会と2つの分科会に参加しましたが、この2日間は全国的に冷え込み、熊本市内は日中でも零下4度前後。雪が間断なくチラチラしていました。震え上がり、とても南国九州とは思えませんでした。
 全体会記念講演に、とても示唆に富んだお話しがありました。その人は熊本学園大学の元教授で、長年、公害問題の原点ともいわれる水俣病を追跡、研究されてきた学者さんです。ところで、hideも障害者市民解放運動に参加し始めた1975年頃、つまり映画「さようならCP」上映運動で走り回っていた頃に、hideの畏友のひとりで、当時水俣に移り住み、チッソ社に対する糾弾闘争・チッソ前座り込み闘争に参加していたNさんに呼ばれて、何回か水俣現地に足を運んだこともあって、関心を持って聞かせてもらいました。Nさんは、その後、自動車事故で物故されたけれど、hideの記憶からは消えない大切なひとでした。
 講演の主題は、水俣病に全く学んでいない福島原発事故でした。講演者の話では当初、チッソ社は毒素廃液を海に排出すれば、薄まって危険性は無いと主張していたけれども、多くの水俣湾の魚を食べた人たちに水俣病が発症したことから、魚を食べたひとが水俣病にかかると主張を変えた。
 その内、魚を食べていない赤ちゃんに水俣病が発症。さらに研究が進むと、排出された廃液は海底に沈澱して、それを食べた虫、虫を食べた魚、その魚を食べた大型魚類へと、毒素濃縮食物連鎖があり、毒素は母親の胎内を汚染していることが分かってきた。汚染は、環境を破壊するが、母親の子宮もまた環境であり、人間そのものも環境に他ならない。環境は、人間の外側にあるのではなく、人間を含めた総和が環境なのだ。母親の胎内が汚染された結果、胎児性水俣病が発症した。
 その全プロセスが、福島原発事故の対処に重なる。海に排出された放射能汚染水は希薄になると主張する学者もいて、放射能汚染水が海洋排出されてきたが、水俣病からは何も学んでいない。放射能は食物連鎖の中で濃縮され、人びとが被曝するだろう。その結果に誰が責任を負うのだろうか?冷静に深く考えなければならない環境を、我々は作り出してしまったのだ。というものでした。メディアの報道でも、海洋のいたるところで、高い放射能汚染の数値が検出され始めています。未来を見据え、子どもたちを早く福島県から疎開させるべきだとhideは愚考するのですが~。
 たまには、あまり働いていない脳を叱咤激励して、他者の言葉に聞き耳ダンボするのも、いいことではありますまいか。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、3月1日までに、216745614円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、12月31日現在、
●東北へ、123599050円
●台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円
●フィリピン大洪水、10000000円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
●非日常の日常の被災地支援活動を続けていると、時折だけど、現状の深い淵を覗き込む時に息が続かず、呼吸が重くなることがあります。昨年の重さと今年の重さが重なる冬空の下で、こりゃあいかんと気分転換を図ることにしました。
 知り合いに懇意にしているメガネ屋さんがあり、以前から使用しているメガネでは目が霞むようなので視力検査をしてもらったところ、乱視と遠視の度が進んでいるとのことでした。ええい、気分転換だぁと、新しいメガネを誂えることにしました。
 以前のメガネはまん丸レンズでしたが、新しいメガネはやや四角いレンズです。丸いレンズのメガネで視ると世間は丸く見え、四角いレンズのメガネで視ると四角い世間に見えるかと言えば、そんなことは、全然あ~りません。(笑)
 全然変わらない世間と、東日本大震災被災が厳然とあるだけです。hideの気分がいかようにあれ、やるべきこと。成さねばならぬことが、あるだけです。なんだか、当たり前のことだよなぁと、ひとり、うん、うんしているhideなのであります。アホらしくて、ため息まむしなんですね。以上、32000円の顛末でした!!
●いちごものがたり
●工房地球村です。全国の皆さん、ありがとう。
 宮城県の最南端に位置する山元町。イチゴやリンゴ、ホッキ貝が特産の小さな町です。東日本大震災では地震、そして津波によって町は大きく傷つきました。
 この町で、精神に障害を持った方々を支援している工房地球村。幸い、施設の建物は無事でした。しかし、職員、家族、友人、恩人、家など大切なものを失いました。
施設は2カ月閉鎖し、5月9日再開。職員が足りない中、全国から来てくれた精神科スタッフや、作業所職員の支援で少しずつ元気を取り戻しています。現在利用者25名のうち、十数名は仮設住宅から通っています。一人でいるのはつらく、みんなで分かち合って前に進もうとしています。
 津波で、ジャムをつくるためのイチゴ、清掃作業先の公園や介護施設もなくなってしまいましたが、新たな商品づくりにチャレンジ中です。それがエイブルアートカンパニーの応援によるいちごものがたりです。山元町の特産品であるいちごを再びこの地で作れるように、人々の美味しい笑顔が見られるように。可愛いいちごに託した再生のためのプロジェクトなのです。
 プロジェクト第一弾として、いちご手ぬぐいが11月にできました。エイプルアートカンパニーのスタッフがワークショップを開催し、地球村のメンバーたちが山元町のいちごやりんごを描きました。そして、美味しそうないちごたちが、まずは手ぬぐいになりました。それは、職人さんが、手彫りで型をおこし染める昔ながらの注染の手ぬぐいです。すぐ乾く手ぬぐいは、旅行に最適です。インテリアにも、ひと花添えてくれることでしょう。
 山元町の復興も地球村の復興も、いちごの復興が大切なのです。このいちごものがたりをこれから全国の皆さんへ発信していきます。私たち工房地球村一同、わが町・山元の復興を目指す一員として地域の皆さんと一緒に頑張ります。応援よろしくお願いします。
                              工房地球村、代表・田口ひろみ
 地震、そして津波によって多くのものを失った宮城県山元町。さまざまな農作物もその犠牲になりました。いつかまた、たくさんの人たちに山元町で作ったいちごを食べてもらいたい。山元町の特産品であるいちごを、再びこの地で作れるように。人々の美味しい笑顔が見られるように。可愛いいちごに願いを託した再生のためのプロジェクト。それが工房地球村のいちごものがたりです。
●工房地球村とタイヨウプロジェクトの出会いは?
 2010年の12月、地球村のスタッフとエイブルアートカンパニーのスタッフは出会いました。場所は仙台パルコ。エイブルアートカンパニーの期間限定ショップの会場です。将来、メンバーの力でオリジナルグッズをつくりたいなぁ、そんなスタッフの言葉が印象的でした。
 震災後、カンパニーのスタッフが地球村にお見舞いの電話をしました。町は壊滅的な被害。仕事はなくなり、創造的な活動など一切できない状況との返事が。この電話をきっかけに、タイヨウプロジェクトによる支援活動をスタートしました。いちごものがたりの手ぬぐいは、工房地球村のメンバーが描いたいちごやりんごの絵を使ってデザインされました。
●工房地球村・宮城県亘理郡山元町真庭字名生東75の7
●TEL・0223-37-0205
●いちごものがたり手ぬぐい一枚、税込み1050円以上

ヒデの救援レポート、2012年3月5日

ヒデの救援レポート、2012年3月5日:61
●急いでのお知らせです!
●3月の10日、午後1時より、東日本大震災被災障害者支援大阪救援本部統一共同カンパ活動です。
●場所・大阪、難波、高島屋前にて!
○震災後1年にもなると、カンパ活動に参加する人たち、カンパしてくれる人たちは、どんどん少なくなっています。仕方のないことかも知れませんが、息長い救援活動が必要との認識の元、しつこく、しつこく継続したいものです。少しの時間でも結構ですので、ぜひとものご参加を、お願いします!
●遺志と税金と電話の話!
○最近、ゆめ風基金にかかってくる電話が、少し多くなりました。もちろん、被災地の障害者センター・沿岸部拠点からの連絡電話。各救援障害者団体、個人からのものが圧倒的に多いのですが、この時期、納税申告の季節になると、問い合わせが多くなるのです。それはゆめ風基金に寄付をすれば、税金減免の対象になりますか?というものです。1日2、3件はあります。答えは、ブーッ!です。
 ゆめ風基金は普通のNPO法人ですから、税金減免の対象にはならないのですね。現在、税金減免対象になる認定法人化の手続き中なのです。2012年中には、認定法人格を取得することになりますが、問い合わせ電話には、その辺りの事情をくどくどと説明しながら、事務所スタッフは申し訳ありませんのセリフを連発するのです。
 元々、この認定法人化の話は、呼びかけ人権代表の永六輔さんの著作物の印税をゆめ風基金に寄付をするために税金減免措置の必要が上がり、作業を進めていたことがあります。それと、それぞれに寄せられる救援金は大切なお金です。この間の原発事故のことも含めて、被災地支援の取り組みの国、行政の遅さはみなさんご存知の通りです。その国などに大切なお金の一部を税金として取り上げられるのは、悔しい。ケチでいうのではありません。届けられた大切なお金を額面通り、被災者に早く届けたいのです。なるべく早く、税金減免対象となる認定法人格を取得するために踏ん張りますので、ご期待、よろしくお願いします。
●2月の2週目のある日、若い女性がゆめ風事務所を訪ねておいでになりました。橘高事務局長が対応させていただきました。その女性の話では、その方のお母さんがお亡くなりになり、お母さんの遺言に、ゆめ風基金に遺産900万円を3分野に分けて寄付をするようにとあったそうです。知的障害者・視覚障害者・被災難民の分野に、300万円ずつだそうです。
 高潔な意志を持った人だったんだなぁと感服もし、事務所スタッフ全員が感動しました。ただ、またまた税金の問題に直面したのも現実です。これから相談しつつ、税金減免になる方法の検討を交わして、なんとかお母さんの遺志が生かされるようにとお約束しました。
 それにしても、税金のことはややこしい。ひとの気持ちを逆撫でしますね。
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、3月1日までに、216745614円です。これまでに支援した団体、個人への金額。12月31日までに、123599050円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●同じく、2月2週目のある日。以前にご紹介した、神戸のヘルパー派遣事業所に働き、大震災後、長期の救援ボランティアとして岩手県沿岸部に入り、その後、事業所を退職して、期限を決めずに岩手入りしていたYさんが、久しぶりに神戸に帰り、ついでにゆめ風事務所においでになりました。
物静かな人で、とても、岩手は手ごわいとする激しい文章を書く人には見えません。Yさんの岩手での日常支援は、被災者としての障害当事者を探し出すことだそうです。ことほど左様に、いるハズの障害者がいないそうです。早く見つけだして、みんなと一緒に支援活動がしたい。諦めませんよと話してくれました。その顔は、確信に満ちていました。次の日には、岩手に帰ると告げて、さようならでした。
●これもまた、以前にご紹介した、大阪府箕面市のI青年のことです。Iさんは、これまでに2度、宮城県入りをし、1度目は救援ボランティアとして。2度目は知的障害者の仲間と共に、Iさんの所属する豊能障害者労働センターの機関誌の取材のために入りました。
 今度は、3月の9日~12日の4日間、ダウン症の仲間と2人で、石巻市の被災地障害者センターに、短い期間だけど、ゴメンねと入るそうです。雪の季節だけど、お金が無いから往復夜行バスで行くんやと笑いながら、寒いやろなぁとも。hideは、Iさんの気持ちの熱さに、人間っていいなぁと思い知らされました。
●ゆめ風事務所に届いたハガキから
○私の娘は、自閉症で通所施設へ通っています。今、更年期で、なやんでいますが、仕事は楽しいようで、体調が悪くても、休みたくないと言います。年末たすけあいで支援金をいただきました。東北の人にも、おすそわけしたいと思うので、5000円振込ます。神奈川県川崎市・Y
●障害者問題を考える兵庫県連絡会議障問連ニュース・2月号より
○阪神大震災から17年、今後とも東日本被災地の支援復興活動にご支援を!!(石橋宏昭・事務局長)○阪神淡路大震災から今年で17年目を迎えます。また昨年3月11日東日本大震災が起こり、障問連としても17年前~現在を振り返りながら東日本被災地への支援を行っていかなければならないと思います。
 11/26政策研究集会に被災地障害者センター・みやぎの及川さんが来られ、2月には宮城の研修会に来て欲しいと障問連代表の福永に依頼が来るなど、今後とも交流・支援を通じ被災地の復興から障害者の地域生活支援基盤の拡充に向けて取り組んでいかなければなりません。
 また、2つの震災を通じ、私たちが震災前から言ってきた地域で生きるという意味について、もう一度原点に立ち戻って考えて行かなければならないと、ある全国集会で感じました。その意味は、障害者団体間の協力関係はあるものの、作業所・事業所と周りの住民との関係や障害者個々人が自分の住む地域との関係が希薄です。地域で生きるとは単に地域に暮らすだけでなく多様な社会的な関係性を有しつつ、しっかりと障害者の存在を地域に根付かさなければなりません。
 東北被災地では一般市民の死亡率と比べ障害者の死亡率は2倍以上、地域によれば何倍にもなる現実は、まさに人と人が一緒に生きる関係の希薄さを現しています。自分が住む地域の住民との関係(自治会・近所付き合い・行事)で、何かがあった場合、互いに助け合える関係性を創り上げるためにも、地域の活動に重度障害者も積極的に参加し、例えば介護者に指示をしながら清掃活動することによって、地域との関係性が密になってくるのではないかと思いました。
 それはまた、制度改革に際しても、地域移行地域生活が総合福祉法により今後制度的にどうなるのかは未だ不明ですが、私たち自身が地域で共に生きる中味を創り上げて行かなければならないと思います。それが今後の私たちの制度要求にも関わってくるのだと感じました。私たち、多くの障問連加盟団体は、阪神大震災の際に全国から支援をしていただきました。今後とも、東北大震災に対してこれまで以上の協力をして行かなければならないと思います。
●トイレの故障問題から、原発事故を考察する
 過日、hideがゆめ風事務所に行くと、昨日、被災地から帰阪していた橘高事務局長が、お隣の不動産屋さんから借りたトイレ清掃用ポコポコを片手に、汗まむしで便器と格闘していた。聞くと、被災地から身に付けていた簡易ホッカイロを便器に落として、流してしまったようなのだ。結果、便器が糞詰まり。その開通作業なのだという。
 ところで、トイレが使用不可だと聞くと、ことさらに、便意を催すのは、人の常。お腹周りが、妙にフニャフニャしてくる。近くにある公的施設のトイレには、少し距離があり、緊急の場合、危ないかもしれない。ええい、ままよとばかり、事務局長から、ポコポコを奪い取り、hideが蛮勇を奮った。多少、暴力的にポコポコを便器に突っ込んで、ドタバタ。30分ほど、押したり引いたり。結果、ボコボコと便器は息を吹き返した。メデタシ。事務局長とhideは、これで、いつでもトイレ使用可能だねと、お目目キラキラで、よかったぁと、エールの交換。お借りしたポコポコちゃんは、綺麗に洗い、不動産屋さんのトイレにお帰り願った。
 メデタシ物語ではあったが、その時早く、その時遅く、hideの脳をかすめた一事があった!! そう、福島第1原発事故の事柄である。頼りない事務所のトイレ故障でも、hideたちは、お尻を抱えてアタフタするのだ。津波による原発事故。高濃度の放射能汚染。あの膨大な汚染物質はどこに蓄積されるのだろうか?
 原発を、トイレのないマンションとはよく名付けたものである。原発に、ポコポコはない。あったとしても、流し先はない。ああ、原発、原発。ああ、汚染物質、汚染物質。後何万年かかるのか?どうすればいいのだろうか?回復したトイレに座って、力みながら、答えのない考察を、うーんと考えた。以上!

ヒデの救援レポート、2月27日

ヒデの救援レポート、2月27日:60
●3月11日、3つの集い
●東日本大震災・福島原発事故1周年原発いらない!3・11福島県民大集会~安心して暮らせる福島県をとりもどそう~
郡山市開成山野球場、午前12時半より。集会とデモ
実行委員会TEL・0800-800-5702
●3月10日記念講演とシンポジウム~11日分科会
原発いらない地球・いのちのつどい~あの日から1年…憤怒、恐怖、絶望、悲嘆、不安の中からすべてのいのちを守れ!と、祈りを込めて集います。
会場・郡山市労働福祉会館、ビッグアイ市民プラザ
問い合わせ、原発いらない福島の女たち
TEL・090-7029-5617
●同月10日午後1時半より○郡山市労働福祉会館にて
障害を持つ人の東日本大震災・その時何が起きたのか
記録映画上映と現場報告
連絡先・集会実行委員会、NPOいわき自立生活センター
TEL・0246-68-8925
●人間の社会には、喜怒哀楽の感情が満ち溢れている。それらの原因が自然災害であれ、人災、個人的な事柄であれ、人びとの気持ちは、深く、広く、拡散しつつ、沈澱して、人びとの記憶に定着するものですね。
●hideの辛い憂鬱
 2月7日、一通のメールが、hideの携帯電話を泣かせた。メールは、たった2行の文章で、ガンになっちゃった。とあった。hideの畏友のひとりで、車イスを使用している脳性マヒ者の女性K・Iさんからだった。
 大慌てで、彼女に電話をかけたところ、7日当日、病院で診断を受けたところ、肝臓に悪性腫瘍が見つかり、肝臓ガンと診断されたとのこと。進行ステージもまだ定まらず、近々のうちに、家族を交え、医師と治療方針を話し合うと。笑うしかないね。悲しむと本当に泣き出しそうになるから。誰かに話したかったから、メールしたんよ。と、はらはらと笑った。そして、心配させて、ゴメンね。何かあったら、知らせるからねと、言葉を閉じた。
 彼女とは、彼女がまだ未成年で、ある整肢学園卒業後頃に、大阪府営住宅アパートでの母親と妹の3人暮らしの在宅時代からの付き合いになる。(彼女は今年、62歳になった。)
 それ以後、彼女は、自立生活を始め、日本脳性マヒ者協会・青い芝の会の活動の中で、様々な障害者差別糾弾闘争に参加した。その後、当時、まだ珍しかった、障害者の労働を意識した作業所を、大阪府豊中市で立ち上げた。
それらのプロセスの中で、彼女は、盛大に恋愛をし、結婚をし、出産して、2人の息子を育て上げる。今では、下の息子が結婚して、孫も出来、リッパなおばあちゃんに。彼女の出産に当たっては、医師、役所から中絶を勧められたが、断固拒否。そのいずれの場面にも、hideは、立ち会った。
 またその後、彼女は、豊中市会議員に立候補し、日本で始めての、全身性障害者、女性、車イス使用者、子育て中の議員として当選。4期務めて、地域社会の福祉、人権化に力を尽くした。議員引退後は、大阪北部の障害者市民解放運動の精神的主柱として、その存在感を発揮し続けている。
 ただ、何もかもが順調であった訳ではない。彼女の母親も亡くなって、彼女自身の離婚もあった。議員活動の過重さもあったのだろう、吐血を繰り返して、酒もタバコも止めて、入退院生活をしていた。そんな彼女からの、ガン発病の知らせなのだから、hideの脳は、活動を停止して、混乱している。
 阪神淡路大震災のときも、今回の東日本大震災にも、共に、被災障害者救援の活動の場に、力及ばずとも、彼女もhideも、立っている。更には、hideは、6年前に、連れ合いを乳癌で亡くしている経験があるから、その記憶が蘇り、知らせと重なり合って、呼吸が細り、苦しくなるのです。
 人間は、その人生において、それほど大したことが成せる筈がない。でも、彼女とhideが、とぼとぼと歩き続けてきた、障害者市民解放運動の小さな記憶は、忘れずに共有しているつもりです。想えば、共に、時代に挑んだ者同士、戦友と誇ってもいいふたりです。繰り返し、彼女に大事がないことを祈るしかないhideが情けない。辛いなぁと。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、2月18日までに、215033851円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、12月31日までに、123599050円になります。○台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
●皆様からのご支援をお願いします!
○避難・週末避難・新たに避難を考えている人、また、週末だけでも家族で安心出来る所に避難・静養をしたいと考えている人達のための情報提供と経済的援助にご協力下さい!
○安全な食材を・毎日口にする食べ物、米・野菜・水は皆が気になっているところです。特に子ども達には安心出来る物をと考えるのは当然の事と考えます。そこで、安全な地域から食料・水を取り寄せるためにご協力をお願いいたします!
○測定所の維持運営・日本キリスト教協議会様のご支援により高価な放射能測定器を購入することが出来ました。この測定所を維持運営するために、皆様からのご支援をお願いします!
○放射能に対する意識を高めるために・汚染された中に住むことを余儀なくされてしまった今、放射能防護に対する知識を身に付ける事は必然となりました。そのために、いろいろな方々を招いての講演会・学習会を開くためのご支援をお願いします!
●問い合わせ福祉のまちづくりの会内
○市民による健康を守るネットワーク
○福島県田村市船引町字東部台2の285
○TEL・090-2978-8123
○世話人、鈴木・石井
●市民放射能測定所オープン
○東日本大震災・原発事故によって私達の生活は一変させられました!大量の放射性物質が広範囲に降り注ぎ、不安を抱えながら生活しています。そんな中で少しでも被爆を避け、また、軽減するために出来ることを模索しながら、大切な家族を守るための情報提供や支援活動をして行きたいと考えています。
放射能測定2月1日から測定できます!ドイツ製のLB2045を使用
○ヨウ素131
○セシウム134
○セシウム137
○カリウム40
これらの放射性核種を高感度に測定できます。
●予約電話・事前予約が必要です。
●090-2978-8123
○営業(月)~(金)午前9時から午後5時まで
○市民による健康を守るネットワーク
●検体
○米・野菜等、1000円・測定時間30分、検出限界キロ当たり10ベクレル
○水・牛乳、1000円・測定時間2時間、検出限界キロ当たり5ベクレル
○米・白米・玄米は、500グラムをご持参下さい!
○野菜は、細かくみじん切り・5ミリ程度・にして、500グラムをご持参下さい。
○水は、5日程汲み置いた物500㎜Lをペットボトルに入れてご持参下さい!水の測定は難しく、娯検出を少なくするために一定期間汲み置きが必要です。
○測定できない物・・土・肥料・堆肥・わら・お茶・乾燥キノコ等
○場所・船引駅、船引中学校となり。以上
●NPO法人・京都でてこいランド・機関誌かわら版68号、・バリアフリーネットワークより
●TEL&FAX・0771-83-1180
●復興応援企画!マグカップ販売
○機関紙をお読み頂いている皆様方から義援金などたいへんあたたかい支援をいただき誠にありがとうございます。この度東日本大震災関西障害者応援連絡会では継続した支援の一環として負けるもんか岩手!マグカップを制作し販売を開始しました。
売り上げは岩手県内の障害者福祉事業所の利用者及び地域生活者の生活・余暇支援活動、特に被災の大きかったグループホーム等生活者への支援等に活用して頂こうと考えています。
○マグカップの購入を通じてエールを送りませんか!
○カップは白地で赤色の大きなだるまのデザインが一カ所、他に小さなだるまが三カ所に描かれています。
○口径7、5センチ、高さ8、8センチのサイズで、1個500円で販売しております。
購入ご希望の方は
●問い合わせ 東日本大震災関西障害者応援連絡会・事務局 相楽福祉会
TEL・0774-93-3277まで。
なお他の12事業所でも販売を行っております。
●東日本大震災関西障害者応援連絡会参加団体
・ひまわりの家(奈良市)
・ちいろば奈良県(生駒)
・どうで(奈良県山辺)
・アクティブセンターうだ(奈良県宇陀)
・もちつもたれつ(奈良県大和高田)
・マーブル(奈良市)
・わたぼうしの会(奈良市)
・クリエイティブハウスパンジー(東大阪市)
・ベテスタの家(京都市)
・イエス団愛憐会(京都市)
・西陣会京都市
・相楽福祉会(京都府相楽)
以上12団体
●東日本大震災被災地支援パソコン寄贈・貸し出しプログラム
○宮城、岩手、福島で被災した団体及び個人にリュースパソコンを無償で寄贈・貸し出します。
○対象団体 
被災した非営利団体、教育機関に寄贈
被災した障害者、高齢者・65歳以上・子育て中の主婦に1年間貸し出し
○パソコンノート型及びデスクトップ型
○募集期間・012年3月31日まで
○主催・特活イー・エルダー
●連絡先東北支部・TEL&FAX・022-796-8091
以上

ヒデの救援レポート、2012年2月20日

ヒデの救援レポート、012年2月20日:59
●ゆめ風基金では、各被災地障害者センターの方々に、これまでの活動と、そのまとめを伺い、これからの活動について共に考えるために被災地3県を巡る行動をしました。
●参加理事。細井理事、永村理事、橘高事務局長、八幡理事、東京救援本部高木さん。
●期間2012年1月30日から、2月4日まで
●訪問先・センターみやぎ・センター石巻・センター登米・センター亘理・センター宮古・センター大船渡・センター釜石・センター岩手・仙台すまいる作業所・気仙沼ケアホームめぐみ・気仙沼児童デイ拠点三陸こすもすなど。
●30日・1時~センター岩手で会議。夕方、センター宮古に移動宮古泊
●31日・宮古作業所見学。センター釜石へ移動釜石泊
●2月1日・センター釜石、センター大船渡、三陸こすもす、、ケアホームめぐみ、話し合い。夕方から、南三陸町おもちゃ図書館、センター登米と話し合い。登米泊
●2月2日・登米、南三陸障害者拠点見学、センター石巻話し合い。仙台泊
●2月3日・宮城野区すまいる作業所見学、県南支部訪問。午後から、センター宮城、たすけっとと話し合い。仙台泊
●2月4日・センター宮城で話し合い。橘高、永村は帰阪、細井残留。
●これらの行動報告がまとめられましたら、改めてレポートします。
●ゆめ風基金呼びかけのお一人であった、マルセ太郎さん没後11年を偲んで、マルセ太郎読本・DVD付が発刊されました。○芸と魂・舞台裏・人間を語るマルセ太郎読本刊行委員会・編
○偉大な芸人とその類いない芸を文章と映像で知る!永六輔・古館伊知郎・小栗康平・宮本輝・木津川計などがマルセ太郎が編み出したスクリーンのない映画館など、彼の芸・魂・人間を縦横無尽に語る!
貴重な立体講談2本を初めて収録。没後10年記念出版。
○A5判210ページ●2350円
○発売・かもがわ出版○発行・クリエイツかもがわ
●マルセ太郎のお笑い芸・芸人マルセ太郎の芸と魂・舞台裏のマルセ太郎・人間マルセ太郎・舞台のないマルセ太郎劇場
●申し込みは、●神戸芝居カーニバル実行委員会
○神戸市中央区東川崎町1-5-7・神戸情報文化ビル3F・文化村
○FAX0797-77-4657
○hideは、もう買いましたよぉ!(笑)
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、2012年2月18日現在215,033,851円。これまでに支援した団体、個人への金額は2012年2月21日現在 123,599,050円
その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎ・石巻支部の文集No.1からの抜粋1編
●大震災と医療的ケアが必要な障害者の対応○新田綾女母・理恵
○TEL&FAX・0225-25-5388
 3月11日、東日本大震災当日、その日は石巻支援学校に通う次女の小学部卒業式が午前中にあり、夫婦で出席しました。長女は、学校が休みで友人宅に遊びに行っていました。午後に卒業式を無事に終え、3人で自宅に戻り一息ついていると地震がありました。立っているのが困難なほどのとても強く、とても長い揺れでした。
 揺れがおさまらないうちに、すぐに停電になり、外からは、大津波警報の発令を知らせるサイレンと、避難を呼びかけるアナウンスが聞こえてきました。揺れがおさまってすぐ長女と携帯がつながり、無事でいる事と安全な場所にいる事が確認でき、それから避難の準備を始めました。
 次女は重度の障害があり、気管切開からの痰吸引と、胃ろうからの栄養注入などの医療的ケアが必要です。吸引器や薬、栄養剤など、とにかく娘に必要な物品を一式持ち、車で近くの高台へ避難しました。早めに避難したので渋滞に巻き込まれずに山の上にたどり着くことができました。
 その後は津波の被害状況など詳しい情報が分からない状態で動くことも出来ず、暖房もなく、何百人もの人達が避難して来ていて、横になるスペースもない状態でした。そんな中にはとても娘を連れて行けないと思い、一晩中車の中で過ごしました。
 二日目夜が明ける頃、家には戻れないくらい津波の被害が大きい、ひどい状況だと知り、そこから近くにある親戚の家へ向かい、しばらくお世話になることになりました。そこは津波の被害は無かったものの、ライフラインは完全に寸断されていました。
 吸引器の電源は車からとり、なんとか確保していましたが、そのうちにガソリンの残りが少なくなってきました。その後は、足踏み式の吸引器を使い何とか乗り切ることが出来ました。吸引に使う物品などは、娘の学校のお友達から分けて頂きました。薬や栄養剤やおむつは、主治医の先生が手配して下さり、酸素の業者の方が避難先まで届けて下さいました。
 その他の足りない物などは、保護者仲間やボランティアの方に届けて頂き、娘に必要な物は何とか揃いました。たくさんの方々に助けてもらい、非常時は切り抜けることが出来ました。
 次に待っていたのが、住まいの問題でした。自宅は津波で全壊したため、仮設住宅の入居を希望しました。3月末、市役所へ申し込みに行くと障害者は優先されると説明がありました。すぐに入居出来ると思い待っていましたが、抽選に何度もはずれ、入居出来たのは、4ケ月後の7月でした。
 スロープ付きの仮設を割り当てられ安心していましたが、玄関の幅が狭く車椅子が通れません。家への出入りが大変だったので窓側にスロープを設置してもらいました。その他にも、お風呂に段差があったり、駐車場が砂利だったり、障害者や高齢者にはとても住みにくい環境です。改修工事もなかなか進まず、いつになるか分からない状態です。件数が多く大変なのも分かりますが、最初からきちんとバリアフリーの仮設住宅を建てていればこのような問題は起きなかったと思います。
 仮設の生活にも少しずつ慣れ、気持ち的にも少し落ち着いてきた今、これまでに経験してきたことを少しでも多くの方に知ってもらい、障害者にとって住みやすい地域にしていくことが私達被災者の務めだと思います。
 今回、多くの方達に助けて頂き、たくさんの出会いもありました。被災地障害者センターみやぎのみなさんとも震災後に出会い、活動が始まりました。どんな障害があっても、地域で当たり前に暮らしていけるよう、これからみなさまの力を借りながら活動していけたらと思っています。
●みやぎボランティア・市民活動情報誌、杜の伝言板月刊・ゆるる1月号特集からの抜粋。●ゆるる編集部○TEL022-791-9323○FAX022-791-9327
●合い言葉はやっぺす○石巻復興支援ネットワーク
●TEL&FAX0225-23-8588
●石巻復興支援ネットワークは、石巻市で子どもの環境教育や子育て中の親を支援する活動をしていた任意団体・子どもと環境を考える会が母体となり、震災後に被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト・つなプロの協力を得て、5月に石巻復興支援ネットワークを立ち上げました。
 メンバーの12人は大半が地元のお母さんという構成で、地元の方々にもやっぺす隊の愛称で親しまれています。やっぺすという言葉は、一緒にやりましょうの意味で、頑張ろうや頑張ってという言葉に少々疲れてきた時期にやっぺすという地元の言葉を使って活動するようになりました。
○震災発生時から空白の3日間
 3月11日、代表の兼子佳恵さんは、中学三年生の息子さんと連絡が取れないまま一夜を過ごしました。息子さんは避難所で一泊し、腰まで水に浸かりながらなんとか帰宅。その第一声が避難所に戻りたい。でした。避難所の大変な状況を目の当たりにし、食料や毛布を持って戻り、助けたいという思いがあったのです。しかし、余震が続き、街中の海水も引いていない状況で、外に出すことは出来ませんでした。
海水が引いた3日後、息子さんは避難所に食料や毛布などを持って行きましたが、なんでもっと早く行けなかったんだ。もっと早く行きたかった。と言いました。
 この息子さんのもっと早く行きたかった。といった言葉が兼子さんの背中を押し、石巻復興支援ネットワークの活動の糧になっています。この空白の3日間を埋めることにできないですが、目の前にある沢山の問題を一つでも解決していきたいと活動をしています。と兼子さんは言います。
 その後は子どもの居場所づくりの支援を行うと共に、石巻市には多くの外部団体や企業が訪れて来ていたためマッチングやコーディネートを行っていました。震災後に千回以上の名刺交換をし、多くの団体や企業を繋げています。
 また、石巻の中高生と阪神淡路大震災の被災地である神戸の学生交流や、震災後石巻市の中高生が中心となって活動している団体WMIの一万本ミサンガ作り支援を行うなど、子どもの活動支援を継続して行っています。
○仮設住宅でコミュニティーづくり
 8月からは石巻市開成地区の仮設住宅1150世帯のコミュニティー形成の支援を継続して実施しています。ただイベントを開催することだけが目的ではなく、年齢や男女に関わらず、参加者に隔たりが無くなるように心がけています。と兼子さん。
 仮設住宅の集会所では、お茶会やミニ居酒屋、将棋やカラオケ、縁台や物置づくり、手芸やメイク、詩吟やヨガ教室などを開催しています。イベントを行うことで孤独死や自殺の予防にもつながり、参加者が普通の生活に戻っていけるように自立を促す形を取りながら行っています。と事務局長の渡部慶太さんは言います。
 また、集会所での様々な教室もやってあげるやってもらうということではなく、一緒にやることで、徐々に住民自らがイベントを企画・運営ができるようにサポートしています。年末31日から1月3日までは、鍋を囲んで紅白を見たり、餅つき大会などもします。
○復興支援ソングやっぺす石巻石巻復興支援ネットワークでは、神戸市のシンガーソングライターの石田裕之さんと共同で制作した復興支援ソングやっぺす石巻のシィディを販売しています。
 この曲は、震災から少しずつ前に向かって進んでいる被災者の姿を描いています。忘れないでね~みんなまだはじまったばかりです~いつか元気を返せる日まで~今日も笑顔でやっぺすという歌詞の通り、石巻復興支援ネットワークは、笑顔で住民と一緒に活動し、地元の団体として長期的に支援を行っていきます。以上以上。