ヒデの救援レポート、2012年3月5日:61
●急いでのお知らせです!
●3月の10日、午後1時より、東日本大震災被災障害者支援大阪救援本部統一共同カンパ活動です。
●場所・大阪、難波、高島屋前にて!
○震災後1年にもなると、カンパ活動に参加する人たち、カンパしてくれる人たちは、どんどん少なくなっています。仕方のないことかも知れませんが、息長い救援活動が必要との認識の元、しつこく、しつこく継続したいものです。少しの時間でも結構ですので、ぜひとものご参加を、お願いします!
●遺志と税金と電話の話!
○最近、ゆめ風基金にかかってくる電話が、少し多くなりました。もちろん、被災地の障害者センター・沿岸部拠点からの連絡電話。各救援障害者団体、個人からのものが圧倒的に多いのですが、この時期、納税申告の季節になると、問い合わせが多くなるのです。それはゆめ風基金に寄付をすれば、税金減免の対象になりますか?というものです。1日2、3件はあります。答えは、ブーッ!です。
ゆめ風基金は普通のNPO法人ですから、税金減免の対象にはならないのですね。現在、税金減免対象になる認定法人化の手続き中なのです。2012年中には、認定法人格を取得することになりますが、問い合わせ電話には、その辺りの事情をくどくどと説明しながら、事務所スタッフは申し訳ありませんのセリフを連発するのです。
元々、この認定法人化の話は、呼びかけ人権代表の永六輔さんの著作物の印税をゆめ風基金に寄付をするために税金減免措置の必要が上がり、作業を進めていたことがあります。それと、それぞれに寄せられる救援金は大切なお金です。この間の原発事故のことも含めて、被災地支援の取り組みの国、行政の遅さはみなさんご存知の通りです。その国などに大切なお金の一部を税金として取り上げられるのは、悔しい。ケチでいうのではありません。届けられた大切なお金を額面通り、被災者に早く届けたいのです。なるべく早く、税金減免対象となる認定法人格を取得するために踏ん張りますので、ご期待、よろしくお願いします。
●2月の2週目のある日、若い女性がゆめ風事務所を訪ねておいでになりました。橘高事務局長が対応させていただきました。その女性の話では、その方のお母さんがお亡くなりになり、お母さんの遺言に、ゆめ風基金に遺産900万円を3分野に分けて寄付をするようにとあったそうです。知的障害者・視覚障害者・被災難民の分野に、300万円ずつだそうです。
高潔な意志を持った人だったんだなぁと感服もし、事務所スタッフ全員が感動しました。ただ、またまた税金の問題に直面したのも現実です。これから相談しつつ、税金減免になる方法の検討を交わして、なんとかお母さんの遺志が生かされるようにとお約束しました。
それにしても、税金のことはややこしい。ひとの気持ちを逆撫でしますね。
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、3月1日までに、216745614円です。これまでに支援した団体、個人への金額。12月31日までに、123599050円です。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●同じく、2月2週目のある日。以前にご紹介した、神戸のヘルパー派遣事業所に働き、大震災後、長期の救援ボランティアとして岩手県沿岸部に入り、その後、事業所を退職して、期限を決めずに岩手入りしていたYさんが、久しぶりに神戸に帰り、ついでにゆめ風事務所においでになりました。
物静かな人で、とても、岩手は手ごわいとする激しい文章を書く人には見えません。Yさんの岩手での日常支援は、被災者としての障害当事者を探し出すことだそうです。ことほど左様に、いるハズの障害者がいないそうです。早く見つけだして、みんなと一緒に支援活動がしたい。諦めませんよと話してくれました。その顔は、確信に満ちていました。次の日には、岩手に帰ると告げて、さようならでした。
●これもまた、以前にご紹介した、大阪府箕面市のI青年のことです。Iさんは、これまでに2度、宮城県入りをし、1度目は救援ボランティアとして。2度目は知的障害者の仲間と共に、Iさんの所属する豊能障害者労働センターの機関誌の取材のために入りました。
今度は、3月の9日~12日の4日間、ダウン症の仲間と2人で、石巻市の被災地障害者センターに、短い期間だけど、ゴメンねと入るそうです。雪の季節だけど、お金が無いから往復夜行バスで行くんやと笑いながら、寒いやろなぁとも。hideは、Iさんの気持ちの熱さに、人間っていいなぁと思い知らされました。
●ゆめ風事務所に届いたハガキから
○私の娘は、自閉症で通所施設へ通っています。今、更年期で、なやんでいますが、仕事は楽しいようで、体調が悪くても、休みたくないと言います。年末たすけあいで支援金をいただきました。東北の人にも、おすそわけしたいと思うので、5000円振込ます。神奈川県川崎市・Y
●障害者問題を考える兵庫県連絡会議障問連ニュース・2月号より
○阪神大震災から17年、今後とも東日本被災地の支援復興活動にご支援を!!(石橋宏昭・事務局長)○阪神淡路大震災から今年で17年目を迎えます。また昨年3月11日東日本大震災が起こり、障問連としても17年前~現在を振り返りながら東日本被災地への支援を行っていかなければならないと思います。
11/26政策研究集会に被災地障害者センター・みやぎの及川さんが来られ、2月には宮城の研修会に来て欲しいと障問連代表の福永に依頼が来るなど、今後とも交流・支援を通じ被災地の復興から障害者の地域生活支援基盤の拡充に向けて取り組んでいかなければなりません。
また、2つの震災を通じ、私たちが震災前から言ってきた地域で生きるという意味について、もう一度原点に立ち戻って考えて行かなければならないと、ある全国集会で感じました。その意味は、障害者団体間の協力関係はあるものの、作業所・事業所と周りの住民との関係や障害者個々人が自分の住む地域との関係が希薄です。地域で生きるとは単に地域に暮らすだけでなく多様な社会的な関係性を有しつつ、しっかりと障害者の存在を地域に根付かさなければなりません。
東北被災地では一般市民の死亡率と比べ障害者の死亡率は2倍以上、地域によれば何倍にもなる現実は、まさに人と人が一緒に生きる関係の希薄さを現しています。自分が住む地域の住民との関係(自治会・近所付き合い・行事)で、何かがあった場合、互いに助け合える関係性を創り上げるためにも、地域の活動に重度障害者も積極的に参加し、例えば介護者に指示をしながら清掃活動することによって、地域との関係性が密になってくるのではないかと思いました。
それはまた、制度改革に際しても、地域移行地域生活が総合福祉法により今後制度的にどうなるのかは未だ不明ですが、私たち自身が地域で共に生きる中味を創り上げて行かなければならないと思います。それが今後の私たちの制度要求にも関わってくるのだと感じました。私たち、多くの障問連加盟団体は、阪神大震災の際に全国から支援をしていただきました。今後とも、東北大震災に対してこれまで以上の協力をして行かなければならないと思います。
●トイレの故障問題から、原発事故を考察する
過日、hideがゆめ風事務所に行くと、昨日、被災地から帰阪していた橘高事務局長が、お隣の不動産屋さんから借りたトイレ清掃用ポコポコを片手に、汗まむしで便器と格闘していた。聞くと、被災地から身に付けていた簡易ホッカイロを便器に落として、流してしまったようなのだ。結果、便器が糞詰まり。その開通作業なのだという。
ところで、トイレが使用不可だと聞くと、ことさらに、便意を催すのは、人の常。お腹周りが、妙にフニャフニャしてくる。近くにある公的施設のトイレには、少し距離があり、緊急の場合、危ないかもしれない。ええい、ままよとばかり、事務局長から、ポコポコを奪い取り、hideが蛮勇を奮った。多少、暴力的にポコポコを便器に突っ込んで、ドタバタ。30分ほど、押したり引いたり。結果、ボコボコと便器は息を吹き返した。メデタシ。事務局長とhideは、これで、いつでもトイレ使用可能だねと、お目目キラキラで、よかったぁと、エールの交換。お借りしたポコポコちゃんは、綺麗に洗い、不動産屋さんのトイレにお帰り願った。
メデタシ物語ではあったが、その時早く、その時遅く、hideの脳をかすめた一事があった!! そう、福島第1原発事故の事柄である。頼りない事務所のトイレ故障でも、hideたちは、お尻を抱えてアタフタするのだ。津波による原発事故。高濃度の放射能汚染。あの膨大な汚染物質はどこに蓄積されるのだろうか?
原発を、トイレのないマンションとはよく名付けたものである。原発に、ポコポコはない。あったとしても、流し先はない。ああ、原発、原発。ああ、汚染物質、汚染物質。後何万年かかるのか?どうすればいいのだろうか?回復したトイレに座って、力みながら、答えのない考察を、うーんと考えた。以上!