ヒデの救援レポート、2012年・4月16日

ヒデの救援レポート、2012年・4月16日:66
 先週は、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」83号特集取材のために、牧口さんとふたり、老々へろへろコンビで岩手県盛岡市にある被災地障がい者センターいわてを訪ねていたので、メール発信をお休みしました!申し訳ありません。訪問のレポートは、後日に必ずいたします!hide拝
●Fさんの年末被災地訪問・覚え書き風見聞録風手書き日記●その3
○山元町・山下駅で、昼コンビニ弁当。電車は、線路が寸断されて、通っていない。線路のまわりには、看板にいろんな言葉。自衛隊がしばらく滞在していたとのこと。自衛隊さん、ありがとうの看板あり。なんとなく、淋しい駅。電車がきていないから、あたりまえか。駅前の売店。おじさんたちが集まっている。テーブルの上にみかん。カップヌードルにお湯を入れて食べてる。外からはわからない、集い場。
○山元・どこまでも、どこまでも続く、茶色に沈む地。あるところを境に、延々と、延々と、見渡す限り茶色の地が続く。また、さえぎるものがないのだ。どこまでも何もないのだ。建物もない。ひともいない。茶色い地と、家があったであろう白い土台がどこまでも広がる。途方にくれる。押しつぶされる静けさ。死んでしもたなぁと思う。死んでしもた町、死んでしもた村、死んでしもた大地。ようさん、ようさん死んだんやろなぁって、本当に思う。
 山元が、一番こたえた。だれもおらん。何にもあらへん。淋しくて、淋しくてしかたない空気が広がる。生きかえることができるんやろか。なんかもう、見捨てられたところのように思えてしかたがない。見捨てられた町になってしもたんやろか。もう少し南に行くと、福島にはいっていくという。福島は、また違うたいへんさがある。どうなっていくのか。わからないではいけないのだけれど、わからない。
 ひきかえして、亘理へ向かう。小学校もうちすてられたまま。校庭には、ぺしゃんこの車がひしめいている。道路は、なんとか続いている。山元は、いちご農家が多いとのこと。いちご観光の看板が、ぺしゃんこになって道路の脇にある。あとで、ラジオで、いちごの出荷は、例年の2割だと聞いた。8割がつぶれたんやなぁ。被災地センターで聞いたこと。山元では、拠点はつくれない。亘理でつくり、山元につながるようにする。それが現在進行中。ほんまにようやりはったと思う。つなげたんやなぁと思う。
○亘理・Sさんという、お世話好きそうな女性と、ちょっと障害がありそうな、女の子のような女性名前を聞けなかったな。送迎サービスから帰ってきた男のひとがいた。山元で老人サービスのようなことをやってはったとのこと。Sさん自身も家を流されて、100日間避難所暮らし。元気やったからおれたんよとのこと。病院や施設に、たくさんのひとが移っていったとのこと。山元の仮設住宅は、建てるところがなかったので、亘理で、山を切り開いて仮設を作った。だから便利が悪い。病院に行けない。役所に行けない。初めは、救援物資を届けていたりしていたが、今は、送迎サービスが主なよう。あと、カフェを仮設で開いて、人の集まる場をつくっているとのこと。 やっぱり、仮設は遠く、便利が悪い。みたいだし、暮らしはなかなかスムーズにいかない。お茶、コーヒー、おいしいおまんじゅう、柿、りんごで、Sさんがもてなしてくれた。実は、ここに届けるカレンダーを忘れてきてた。ゆりがはまの前に気づいて、取りに帰る。たすけっとでも忘れてたみたい。この4人は、忘れ物が多い。珍道中4人組だ。亘理でも、Iさんがポーチを忘れる。
○カレンダーのこと・カレンダーは、石巻では、これからの自分たちの活動を伝え、広めていく、あいさつがわりの1品に。チラシもできているので、当事者の仲間を増やしていく過程で使ってもらえそう。登米では、これまでつながり、関係をつくってきたひとのところに、ホカロンとともに届けたいとのこと。これまでのごあいさつに使ってもらえて、うれしい。石巻も登米も、これまでとこれからをつなげていくツールになってくれそうで、うれしい。亘理では、事務所にカレンダーの絵の切り抜きが壁にはってあった。Sさん、好きそう。ここでも、送迎サービスの時や、仮設で開くカフェで使ってもらえそうだ。よかった、よかったぁ。
たすけっとに戻る。テーブルの上には、また違うおまんじゅう。ここは、ほんとに、ひとが訪れる場だ。きっと。
○仙台空港・大阪・箕面に帰ります。行きに車イスを押してくれたひとが、また押してくれる。なんか、みんなええカンジのひと。しょうちゅう2本とかまぼこでええ気分。そういえば箕面のもみじの天ぷらは、どこでもウケた。ものとしては、めずらしいものね。
 たすけっとのリフト車は、乗りやすかったな。会計のひとは、パキパキしてたな。
                                         以上オシマイ
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、3月19日までに、222681086円です。これまでに支援した団体、個人への金額。12月31日までに、123599050円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
●国土交通省認定講習被災地での、移動支援活動でも役立つ認定講習です
●移動・送迎サービス、運転協力者講習会・福祉有償運送運転者及びセダン等運転者運転協力者講習会
●NPO法人・移動送迎支援活動情報センターからの呼びかけ
●私たちが取り組んでいる福祉有償運送移動送迎支援活動は、非営利法人であれば改正道路運送法(2006年10月1日施行)に登録すれば可能となっています。
○改正道路運送法では、運転者の要件として国土交通大臣認定の講習修了者という要件が新設され、講習内容も最低470分セダン車等研修を含むが規定されています。
○道路運送法改正の目的は、過疎地の生活交通や要介護者・身体障害者等の移動制約者の移動を確保(国土交通省)とされてはいるものの、手続きの煩雑さゆえに各地ではやむなく撤収する団体も出ている状況です。
 私たちは福祉有償運送運転者及びセダン等運転者講習として国土交通省認定(2006年12月1日)を済ませ、活動継続への支援と、移動送迎支援活動のすそ野を広げる努力を行っているところです。この機会に受講いただき、それぞれの地域で取り組みを継続・拡大されるようお願いいたします。
○2日間のカリキュラム全てに出席された方には、運転協力者講習の修了証を発行いたします。
●日時2012年○3月26日~27日
○4月23日~24日
○5月21日~22日
○いずれも10時から5時
●会場Alexビィエルディ・NPO日常生活支援ネットワークの隣り
○大阪市浪速区敷津東3丁目6の9
●定員20名程度・定員になり次第締め切り、先着順
●参加費用12000円・いずれもテキスト代が別途1000円が必要です。運転適性診断を希望される方は、1500円で実施します。
●申し込み、問い合わせ○NPO法人移動送迎支援活動情報センター
○TEL・06-4396-9189○FAX・06-4396-9189
以上
●被災地障害者センターみやぎ・石巻支部の機関紙「にょっきり!」1号が発行されました。「によっきり!」は、石巻支部の当事者スタッフ2名を中心として、被災地障害者センターみやぎ、県北支部・登米、石巻支部・石巻のスタッフが連携し作成しています。
 街もぼくらもこれからにょっきり伸びていく!そんな思いで、障がいのある人もない人にも読んで頂き、お互いの理解を深めるきっかけになるような冊子にしていきたいと考え作成しています。
せっかく作った「にょっきり!」をたくさんの人に読んでもらいたい!そんな想いをプロジェクトスタッフ一同が抱いています。読んでくれるひとの存在は冊子とスタッフの成長に大きく関わります。現地で出来るボランティアのひとつとして、全国各地への「にょっきり!」の配布にご協力お願いします。
●問い合わせ 「にょっきり!」プロジェクト事務局・石巻支部
○TEL・0225-25-5388FAX共用
○宮城県石巻市蛇田字中ぞね37
●1号編集後記抜粋
○今回は初めて記事を書いたこともあって、やや面白みに欠けたかもしれません。今後はこの冊子で、より面白く私達の活動を紹介出来るようにネタ探しをしていきますので、宜しくお願いします。あと地元にいる中学やら高校の同級生のみんな、もし街などで会ったら気軽に声をかけてね!(石森)
○人生で、初めての取材活動をして、これまで知らなかった、様々なことを知ることが出来たし、見たり食べたりして本当に良い体験をしました。初めての取材なので失敗だらけでよい記事が全然書けませんでしたが、これからも、町や色々な場所に行き取材をして、私達の生まれ育った所を知って頂きたいと思います。次回はもっと面白い記事を作るので楽しみにして下さい。(阿部)
以上!

被災地障がい者センター宮古にボランティアに行ってきました。

 今年の3月で日本財団を退職された千葉寿夫さんがゆめ風基金を通じて被災地障がい者センター宮古に行かれた感想を送っていただきましたので、紹介させていただきます。
 千葉さんは「アジア途上国障害情報ブログ Blog for Asia Disability Information」というブログを運営されていて、アジア途上国の障害者情報の発信とご自身の障害者支援活動を報告されています。


「被災地障がい者センター宮古にボランティアに行ってきました」
「ゆめ風基金」さんのご紹介で「被災地障がい者センター宮古」に3月20日~29日までボランティに行ってきました。現地では主にセンターの紹介であるポスティング(ビラ配り)や障害者や高齢者の送迎、自宅訪問、そして事務所の掃除からゴミ出しまで、多くのことをやらせて頂きました。
 現地スタッフの中には、昨年の震災後直ぐに現場に駆けつけ、既に1年近く活動を続けている人もいらっしゃいました。現地に密着した、人情味あふれるセンターで活動できたことを、現地スタッフと「ゆめ風」基金の皆様に感謝致します。
 
 被災地障がい者センター宮古は、今後、地元スタッフも雇用し、ますます地元未着型で地域に根付いた支援を実施していくと聞いています。また5月のゴールデン・ウィークにはスタッフと利用者さんで花見を企画しているそうです。これからもセンターが被災地の障害者の支えとなり、交流の場、笑顔の場となることを願っています。苦労も多いかと思いますが、センターの発展を期待しています。今回は、本当にありがとうございました。
千葉寿夫
アジア途上国障害情報ブログ Blog for Asia Disability Information(千葉さんのブログ)

守口市「春をよぶみんなのコンサート」よりの募金

守口春をよぶみんなのコンサート
 2月25日(土)、守口市で「春をよぶみんなのコンサート」が開催されました。
 このコンサートは、守口市、門真市、寝屋川市、四條畷市、交野市、大東市、枚方市の大阪府民と障害者とのふれあいの場として、上の各市行政と社会福祉協議会、支援学校などの後援と三洋電機、京阪百貨店など多数の企業やお店などの協力のもと、実行委員会が毎年開催されているもので今年で22回を迎えました。
 今年は会場でゆめ風基金への募金をよびかけてくださり、事務局をされている「あしたの会」を通じて募金額38,407円を入金してくださいました。
 募金していただいたみなさん、実行委員会のみなさん、ありがとうございました。
 いただいた募金は、被災地の障害者への息の長い支援のために、たいせつに使わせていただきます。
守口春をよぶみんなのコンサート
ゆめ風基金の募金箱をつくっていただき、募金を呼びかけてくださいました。

東北の冒険、わたしたちの冒険 障害者救援本部会議

 4月4日、障害者救援本部大阪の会議がありました。
 新しい年度に入り、被災地のそれぞれの拠点では、被災地直後から1年間の活動を振り返り、これからの1年の活動計画を決定したところです。
 岩手、宮城では、活動拠点の中心を津波の被害が大きかった沿岸部に移したところで、これからは仮設住宅の訪問や個別訪問などに加えて、ますますニーズが広がる移送サービスの充実が必要となってきました。また、それぞれの拠点での交流サロンの開催などを通じて、障害当事者の地域活動拠点としての役割を担おうとしています。
 救援本部は現地の活動を後方支援しながら、全国の障害者をはじめとする市民の方々に、現地の活動を広く伝える役割を果たしていくことを確認しました。
 移送サービスについてはボーイング社の支援もいただくことで支援拠点の移送サービスを充実させつつ、介護タクシーの充実など行政サービスの緊急かつ長期的な課題として、制度の創設や充実を県や市町村に働きかけて行こうと話し合いました。
 また、障害当事者の地域活動拠点としても家事援助、身体介護などの生活介護を担うヘルパー派遣、放課後デイサービス、地域活動支援センターなどの立ち上げに、現地の実情をふまえながら資金援助や煩雑な事務処理の支援をしていくことを話し合いました。
 また、3月25日、大阪扇町公園での「第2回東北⇔関西ポジティブ生活文化交流祭」として開催しました「いも煮交流会&東北被災障害者救援活動100人しゃべり場」は500人の参加をいただき、大好評でした。被災地からも多くの障害者に参加し、熱いメッセージをいただきました。
 少し肌寒く、風もありましたが晴天に恵まれ、野外でのフリートークはとても新鮮でした。また会場ではいも煮の他、焼きそば、お好み焼きなどがふるまわれ、出店してくれた人たちは仕入れ金などを取らず、すべて寄付金となり、その金額が110,084円になり、ゆめ風基金に届けられました。ありがとうございました。
 この催しは震災という大きな悲しみがきっかけではありますが、最近乏しくなっていた各障害者のグループが運営の違いを越えてつながり、熱いネツトワークを構築した証であり、よびかけた日常生活支援ネツトワーク・パーティパーティをはじめ、実行委員会に参加されている関西の障害者のグループのみなさんの献身的な努力に敬意を表したいと思います。そして、昨年にひきつづき今年の11月23日にまた交流祭を開催できないか、これから検討していくことになりました。
 次回の会議は5月23日(水)午後6時30分より、ゆめ風基金新事務所で開きます。

ヒデの救援レポート、4月2日

ヒデの救援レポート、4月2日:65
●Fさんの年末被災地訪問、覚え書き風見聞録風手書き日記 その2
○12月13日・Oさん。南三陸では、障害者拠点はできない。登米につくる。登米では何をしようとしているのか、もうひとつわからなかった。Oさんも、家が壊れ、流されて、仮設住宅にはいってはる。
避難所では、通路にふとん半分ほどの場所にいたという。ダンボールを敷いて、新聞をしいて、毛布をしいてねていた。トイレは、穴掘ってして、ブルーシートをかけていた。物資は届いても、みんなにいき届く数でなければ、配布されなかった。
 このへんのひとは、200坪、300坪のところに住んでいたから、ちょっと雑草をとったり、野菜をとったり、日常を暮らすおおらかな大きさがあった。仮設だと、板一枚でおとなり。むかいもすぐそこ。知らないひとがすぐそばにいる。そのことに、息苦しく、外にでれない。
・昼ごはんは、南三陸から登米にはいって、道の駅にいく、林林館。おおあたり。Kさんたちは、食堂であぶらふどん。私は、ほくほくのやきいもと売店の牛乳。170円。牛乳がとんでもなく、おいしい。大きいの買っとけばよかった。後悔。おもちもおいしそう。Aさんは、あげまんじゅうが気になってる。牛乳は、H君もAさんものんだ。ほんとうにうまい。
○南三陸・涙がにじみ出る。すさまじさが、まだ建物に残っている。クレーン車が動く。建物があった土台が、四角く残る。土台だけが残っている。壊された町。つぶされていった町。めちゃめちゃになった車。防災の看板をかかげて残る市役所庁舎。手をあわせるところ。トラックが通る。散髪屋さんがプレハブでやっている。4階のたてものの窓ガラスが割れている。2階に船が乗っかかっている。
 町のひと隅で、黄色のおそろいのTシャツを着て、がれきをとりのぞいている、いちぐん。トラックやクレーン車が動く中。なんだかむなしく考えてしまう。ほかにできることが、今はあると思う。ボランティアツアーというものがあるという。それかどうかは、わかんないけれど。
○13日の晩・帰ってきてから、Tさんと話をする。Oさんは会議。Kさんは東京。ここからは、東京は近い。南三陸を見てきましたか。Tさんは、シニカルで、おもしろくて、おおきい。KさんとOさんと、近くに飲みに行く。車イスがはいるため、お店のひと、大移動。おしつけないやさしさがある。
 Oさんたちは石巻で活動。仮設の店舗ができているとのこと。お店マップをつくりたいとのこと。Iさんたち、車イスのひとがリサーチする。めずらしいので、お店にはいりやすいとのこと。町にかかわり、発信していくところに、自分たちがいてるということを、これからの日常でつくっていこうとしているように思う。
・ひとりひとりの支援が、対立をも産んでいるとのこと。支援を本当に求めているひと。支援を利用しているひと。支援が必要なのに、家が残っているからと、何の支援もぼちぼちないひと。支援がないのに、ふんばっているひとは、一杯いてる。ひとりひとりの支援より、まち全体の支援が必要だとのこと。被災したまちを再生していく、支援が必要だとのこと。
○みやぎのたすけっと・大阪から、勝手にやってきたような4人。事務所から出るときは、行ってらっしゃい。帰ってきたときは、おかえりなさい。
7時になっても、8時になっても、誰かがいてる。デーブルの上には、おかしが必ず乗ってる。大阪のおかしがある。中之島サブレ。みかんも必ずある。おいしいコーヒーがいれてある。
 朝は、8時半からミーティング。Tさんが、コーヒーがはいりましたよ。という。食べる食材もいっぱい。ゴボウがあったり、みそがあったり。ラーメンもはるさめも。いつも誰かが訪れて、話をして帰っていく。町の中の集い場のよう。便利もいいしね。
・最後の日、わたしたち、ちょっと淋しそうだったのか、行くときは、行ってきますですよ。と、Oさんが教えてくれた。行ってきます
・8時半からのミーティングが、大切なカンジ。私たちの今日の行動も、ちゃんと聴いてくれる。石巻とか、各々の活動や課題もでてきて、KさんやTさんが、きっちり、ていねいにコメントを入れたりして、まとめている。大切な会議だ。
○みやぎのたすけっとのこと
・いろんなことが、つながっていた。・避難所に居れない。事務所に戻る。・水がきていた。発電機も手に入れた。みんなで食料をあつめた。けっこうあった。何日かはやれると思った。そして、発電機をつかわなくても、電気が通った。たすけっとのところだけ通った。生きてた。被災者になりきらなかった。何かやらなければという条件があり、そこから動く思いがあった。そのような状況にあった。つながるようにあった。
 日頃から、ゆめ風ネットワークにあり、H理事、ゆめ風基金がきてくれると思ったとのこだった。H理事の助言で、頭の中の交通整理ができたと、代表のOさん。外からの目で、これからしていくこと、今することの交通整理をする。外からの風の力を借りて、内部で持ちきれない、ごちゃごちゃを立て直していく。道筋をつくっていく。
○12月14日・亘理というところへ行く。
・12日、13日とは反対側。2日より近いので、ゆりあげ:というところと山元というところに立ち寄る。・ゆりあげは、海岸であることを誇りにしていた町であったように思う。海浜プールの看板があったり、海岸の案内があったり、松並木もあって、たぶん散歩するところや遊ぶところがたくさんあったのだろう。海岸の町のにおいがした。・がれきもとりはらわれて、ところどころに山積みになってる。先ほどの看板は、その中にある。
 何もない。低い低い大地が、どこまでも続いて、松並木が茶色くのこる。大地も茶色だ。海がおだやかで、キラキラと青い。どこが北で、とこが南かわからない。立ち入り禁止になっているけれど、何台かの車がはいって、人がところどころでたたずんでいる。海岸沿いには、たすかった舟が何台かうかんでいて、漁師さんらしきひとが、網を広げていた。漁をはじめているのかな。・海がほんとにきれい。・心がやわらかくなる3日間。息をのむ状況を見たあとも、やわらかく1日を終えることができた。たすけっとのおかげだ。
●この年末被災地訪問、覚え書き風見聞録風手書きFさんの日記を、2回で終えようとhideは、愚考したのでありますが、内容が示唆に富んでいる私文で、文量が後1回分ありますので、hideの勝手で、連載3回と変更させていただきます。ということで、●その3に続きます!
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、3月19日までに、222681086円です。これまでに支援した団体、個人への金額、支援総額は、12月31日までに、123599050円になります。
○台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、:われも、また、赤い:吾亦紅:と咲くのです。
●東北関東大震災障害者救援本部・自立情報発信基地から
震災1年を迎えて、被災地は
○代表・中西正司
●震災1年をむかえて、現地の状況は、目まぐるしく変わってきました。福島では、被ばく線量の高い障害者たちは、現地にとどまるべきか、ほかの地域に移転すべきかの選択に迷い始めています。また、介助者がすでに移転してしまって、60人必要なところに40人しか残っておらず、新規募集をしても、ほとんど介助者がみつからないという状況にも直面しています。
 したがって、介助者のいない時間は、不安に満ちた生活を送っている障害者も多くなってきました。この状況で障害者たちがいつまで現地で踏ん張れるのか、また介助者もいつまで現地にとどまってくれるのかは、差し迫った課題です。
 私たちにできることは彼らを側面で支え、東京や関西方面への転居を目指す人たちについては住む場所や介助サービスを受けられるように支援をすることなどです。また現地事務所の維持も、救援本部ではかなりの負担となってきました。被災地センターも沿岸部に拠点が出来ました。岩手では、朝日厚生文化事業団のご支援を受け、自立生活センターの当事者リーダーが現地に滞在して当事者エンパワメントをおこない、自立生活の理念の普及につとめています。
 みなさんにご協力いただいた救援基金は、10か月以降より寄付金が急激に落ち込んでおります。今後少なくとも3年間は支援活動を継続していきたいと考えておりますが、現在の状況で月1000万の支援金をつかわせていただいており、このままの金額で支出していくと、あと1年で基金残高がゼロになる可能性があります。
 そこで、皆さんに再度ご寄付をお願い申し上げます。基金の用途は、現地事務局の維持継続、介助スタッフの雇用継続、地方転出者の支援のための交通費や介助者費用、現地での移送サービス用車両の維持費、運転協力者への謝礼などです。皆さんからの息の長いご支援を承りますようお願い申し上げます。以上

岩手新年度のはじまり、地元の新しいスタッフが加わる。

日曜に大阪を出発し岩手県宮古の事務所へ。
4月2日今日から地元の新しいスタッフが加わる。
3月の初めに地元スタッフの面接をして、採用となったのは3人。
25歳の伊藤君は採用後、すぐに働いてもらっていて、毎日の流れも掴んできている。採用の決め手となったのは、25歳という若さ。これまで配送の仕事をしていたこともあり、運転には自信を持っていること。
ただ福祉の仕事は初めてということもあり、これから色々研修も必要になってくる。
今日から仕事始まりとなるのは、黒柳さんという40歳の女性。社会福祉協議会のヘルパーをしていたこともあり、地域事情にも詳しいし、障害者に対する経験も持っておられる。チャキチャキした感じで、簿記もわかるという福祉では異質の存在。
事務所にはボランティアとして、京都JCILの矢吹さんほか、3名のスタッフが来てくださっていました。また「ゆうのゆう」からの継続派遣のボランティアは、24歳の井上さん。今回が2度目の派遣となります。
黒柳さんの初出勤ということで、まず最初に被災地障害者センターいわてのこの間の活動や今後の宮古事務所などの役割ついて、オリエンテーリングをしました。
10時になって、昨晩盛岡事務所に戻っていたスタッフ、西沢さんと、河口君も合流。月曜は岩手の定例会議の日。私が月末大阪にいたこともあって、この間の報告をまずしてもらった。
この間に新たに送迎を希望する人が2人あった。面談をすませ、今日の午後と明日の午後に第1回の送迎を開始するとのこと。またミーティングの持ち方について、いつも夕方6時ぐらいから開始となるが、勤務時間を回ってからの仕事にはおかしいというとで、朝にミーティングをすることにした。
午後から、僕の方は山下君、河口君とともに、新年度の予算の確認。
この作業に先がけて、県外スタッフ、盛岡スタッフの今後の動きも聞いた。盛岡事務所にいる武田君は当初予定通り、盛岡事務所を6月には閉めるので、6月末まで。西沢さんは秋を目安にということで、9月末まで。河口君は現時点であまり考えていないということだったが、事務中心なのと、以前自分の引継がすむまでということだったので、やはり9月末を節目にすることにした。山下君は来年3月末までいたいということだった。
これらのことを考慮し、とりあえず、今年度の予算案をつくった。
他のメンバーは一組は送迎サービス、あと2班に分かれ山田町の仮設住宅へのびらまきをした。
夜は京都のメンバーが食事を作ってくれて、みんなでごはん。
その後今後の活動について、山下君、矢吹さんらと12時過ぎまで語り合い。山下君の悩みを聞くことが大半になってしまいましたが、その中でも宮古の閉鎖的な地域性をどう考えるかという話は、矢吹さんが山形出身というともあり、急いでも仕方がないが、外部の力は有力だなど、よいアドバイスがいただけました。

「アクセスホームさくら」から

アクセスホームさくら
アクセスホームさくら
 「アクセスホームさくら」から、うれしいお手紙が届きました。
 アクセスホームさくらはもともと浪江町の、福島第一原発から7~8kmの地点にあり、事故後はいったん閉鎖。その後バラバラに避難されていた職員の方々が集まって、利用者さんのために移転し、昨年の8月1日に再開されました。
 ゆめ風基金も8月30日、建物の改修に役立ててもらうために支援金をお届けしました。
 このたび、最近の様子を伝えてくださる機関紙と写真を送ってくださいましたので、ご紹介します。
みなさんの応援で、無事に二本松事業所が開所することができました!(ワード文書)
大変遅くなってしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。(ワード文書)

JDS日本ダウン症協会 奈良北支部(バンビーナの会)より

JDS日本ダウン症協会 奈良北支部(バンビーナの会)より
ゆめ風基金 御中
 御世話になっております。
 JDS日本ダウン症協会 奈良北支部(バンビーナの会)です。
 先日、3月21日が世界ダウン症の日として、国連で正式に認定されたことを記念して、東京・大阪・奈良ほか全国でイベントが行なわれ、各メディアでも報道され注目を集めました。
 奈良北支部では、3月20日に公開講演会を開催しました。
共生社会の根幹となる教育について
 改正障害基本法は、「可能な限り」障害者である児童及び生徒が障害者でない児童及び生徒と共に教育を受けられるよう配慮する」と定められており、日本では障害者権利条約が求めているインクルーシブ教育が保障されているとは言い難い状況です。(JDSアピール文より抜粋)
 そこで、JDS奈良北支部では、講演会のタイトルを「みんな納得!インクルーシブ教育の実現に向けて」とし、奈良教育大学の越野和之先生に、障害者制度改革と障害児教育の議論の論点を整理していただきながら、みんなが納得できる理想のインクルーシブ教育について、何ができるか考える指南役をお勤めいただきました。
 会場には、ダウン症がある子供の親だけでなく、自閉症がある子の親御さん、療育・教育関係者障がい者雇用の企業人も集まり、有意義な講演会でした。特に終了後の茶話会では、好評でした。
 何より、それぞれの地域で子供の声を深く聴き取り、心を寄せる人びとの輪が広がることを期待しています。障がいの有無に関わらず、あたりまえのことを当たり前にできる人つくりが鍵です。
 そのためには、大人が子供に恥じない生き方を実践するのみだと思います。
 できることから一歩一歩。
 障がいのある人にとって教育は一生の課題だと思います。
 どの子もその子らしく包み込むことのできる教育、寄り添う支援を念願しています。
 今年もJDS奈良北支部の講演会では、ゆめ風基金の募金箱を設置。参加者の皆様から浄財が集まりました。9200円、送金させていただきました。ご確認ください。
 どうぞ、引き続き 温かい被災障害者支援のために生かしてください。
 よろしく お願い申し上げます。
2012年 3月28日
日本ダウン症協会 奈良北支部

復興支援定期サポートV 最後のお願いです!

ろうきん サポートV
復興支援定期サポートV 最後のお願いです!
近畿ろうきんが、ゆめ風基金とあしなが育英会を10年かけて応援してくださる「サポートV」締め切りが迫っています。
3月末までにサポートV定期をしてくださると金利の2倍相当額を近畿ろうきんから寄付されるという支援定期預金です。
あと数日ですが 近畿ろうきんにお問い合わせくだされば復興の強い助けとなります。
ろうきんさん、本当にありがとうございます。
くわしくはこちらまで

ヒデの救援レポート、2012年3月26日

ヒデの救援レポート、2012年3月26日:64
 被災地障害者拠点訪問にゆめ風基金理事4名が行った後に、ゆめ風事務所に届いた、ゆめ風基金呼びかけ人のお一人、伊奈かっぺいさんのおはがき。
「みなさんが東北へお越しを。東北にいる私がお手伝い出来ずに申し訳なく。伊奈かっぺい・サイン」
●フィリピン・ミンダナオの視覚障害者団体が、大洪水で拠点を流されました。ゆめ風基金の馬垣理事が二度、現地調査を行い、3月中にはゆめ風基金からの支援の視覚障害者用白杖を50本を携えて、3度目の現地入りをすることになりました。
●3月16日、ゆめ風基金事務所近くの中島中学校と啓発小学校(阪神淡路大震災からお付き合いがあります。)から、生徒さん9人、先生4人がゆめ風事務所においでになり、学校で集めた被災障害者支援金を届けていただきました。
狭い事務所なのでギュウギュウ詰めになりましたが、全員ひとりひとりが被災地へのエールを語り、ゆめ風側も副代表理事、事務局長、事務局員がエールを送り返しました。支援金は、中島中学校・27132円、啓発小学校・12698円です。本当に、心のこもったお金です。ありがとう!
●被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は3月19日までに、222681086円です。これまでに支援した団体、個人への金額。
12月31日現在、●東北へ、123599050円、●台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円、●フィリピン大洪水、10000000円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
●主催・大阪府大東市・大東市教育委員会・大東地区人権擁護委員会・ヒューネットだいとう○協力・NPO法人ゆめ風基金で行われる一連のイベントのお知らせです!
●いずれも、問い合わせは、大東市人権啓発室
○TEL・072-870-9061○FAX・072-870-0907
●第29回人権パネル展3、11東日本大震災。そのとき障害者に何が起きたか!
○ゆめ風基金制作パネルの展示
●5月2日~5日・午前10時~午後4時
●ところ、野崎詣りで有名な・野崎観音会館慈眼寺境内
●5月3日午後3時より○トーク&ライブ河内家菊水丸&牧口一二ゆめ風基金代表理事
●5月4日午後1時より○トーク&トーク落語家、桂文福&牧口一二
●憲法週間記念のつどいみんなの笑顔がこぼれる社会とは
●トーク&コンサート●出演・冬が来る前に・が大ヒットした、紙ふうせん&牧口一二
●5月11日(金)午後6時30分開場
●会場・サーティホール大東市立総合文化センター
○JR住道駅から南へ徒歩5分
○参加費無料・定員1200人
これらの会場で集められた寄付金は、被災障害者支援金として、ゆめ風基金に寄せられます。
●仙台・自立生活センター・たすけっと機関紙ステップ42号より
●アンケートご協力のお礼
○私共、被災地障がいセンターみやぎは、NPO法人ゆめ風基金と宮城県内の障がい者関係団体14団体で構成された団体です。過去の災害時においても被災障がい者支援活動を行って参りましたが、残念ながら今回の大災害にも安否確認、支援物資、避難所、仮設住宅等、様々な場面での困難事例が発生し、またもや障がい者がより大きな苦難を背負う羽目になってしまいました。
 このことをきちんと後世に伝え、同じ過ちが起こらないようにするための冊子作りの一環として、大変お忙しい中、アンケートへのご協力をお願いしましたところ、数多くの皆さまにご協力いただくことができ、皆さまにとっても安心して生活するために、まだまだ多くの課題があり様々な対応が求められているのだということが分かりました。
 今後の支援活動へつながるものと信じております。本当にありがとうございました。
○アンケートについて被災状況を尋ねています
○今回830名の方から回答をいただいた内容について、現在分析を進めているところです。
 回答をいただいた方は障害当事者463名、支援者284名、無記入83名となっています。障害別には知的376名、精神227名、身体132名重複有りとなっていて、3障害それぞれの方から一定の回答を得られました。
 避難場所については福祉施設など269名、指定避難所164名、親戚68名、避難しなかった293名、無回答45名と指定避難所よりも施設や親戚などを頼った人が倍以上います。避難所で必要な支援としてヘルパーを上げた人が276名、医療242名、物資235名、建物構造121名重複回答有りとあり、建物構造より、ヘルパーや医療の必要性が高い回答となりました。
 震災直後や避難所、仮設住宅などについて色々とご意見をいただきました。また自由記述についても色々と書いていただき、みなさんがこのアンケートに対し関心が高いことがうかがえました。
現在詳細な分析結果を集計しているところで、この結果が今後の大規模災害時における障害者支援に少しでも役に立てばと思っています。
○ゆめ風基金・八幡隆司
●ゆめ風基金から支援した、陸前高田市の障害者団体の改修報告書からの抜粋
○ゆめ風基金様、平成24年3月13日、ずらんとかたつむり一同
○寒い寒いと言いながらも、ネコヤナギの芽が大きく膨らみました。そちらは春らしい陽気の日々が続くようになったことと思います。私たちは、震災地であることを忘れるくらい、毎日大きな笑い声に包まれ、元気に過ごしています。
 この度は、活動場所の改修資金を救援して頂きましたが、改修した建物の報告が遅れたことをお詫びいたします。本当にありがたいことに活動場所が明るく、清潔感あふれる部屋になりました。
トイレは同じフロアにありながら音が全く聞こえないので、利用者さんにとっては、特に自慢できる場所となりました。お風呂はまだ使用してはいませんが、利用者さんは夏になったら使ってみたいと話しています。食事をする場所と作業をする場所とが別になりましたので、落ち着いて食事も摂れるし、作業もゆったり行えるようになりました。
 休憩時間というのは形式上は設けてありますが、実際は自由にしています。作業途中で喉が乾いたら、食事を摂る場所に来て各自でお茶やコーヒーを入れて飲み、ちょっと休憩をします。時には、そのまま長い休憩になる人もいるようですが、部屋が別になったおかげで、このようにのんびりできるのだと思います。また、まるで自分の部屋のようにエィケィビィの写真カードを並べたりして楽しみ、皆大喜びです。
 これからも貴法人の温かいご配慮をしっかりと胸に刻み、職員一同、一丸となってがんばります。遠方ですが、またぜひおいで下さい。明るい部屋でひときわ明るい笑顔をお見せできると思います。皆心より感謝申し上げます。
○3月になり、すずらんとかたつむりに、視覚障がい者の方が週に1回お茶を飲みに来ています。仮設に住んでいて、外出する機会が少ないようです。利用者さんとお話しをしたり、一緒に昼食を食べながら、徐々に和らいだ表情になっていくようです。
●NPO法人アップストリーム障がい者支援センター通信No.25号よりの抜粋
○センター・兵庫県尼崎市
○TEL・06-6483-4588FAX・06-6483-4587
●救援と報告・M・O○支援するにあたって、いろんな事があります。先日は心肺停止・低酸素脳症・肺炎で意識不明になられた人が、本人の頑張りとあきらめない気持ちで、無事に退院され、現在は自宅で生活されてます。後遺症もありません。通院され採血・胸部レントゲン・診察など受けられてます。検査結果によると、肺も綺麗になり腎臓・肝臓・血圧も、少し炎症のあった血液も炎症がなくなっているそうです。医師によると、奇跡的な事らしいです。意識がもどらなかったり、後遺症が残ったりするそうです。だけど、入院前の姿にもどられて本当に良かった。と思ってましたけど先日、痰がつまり呼吸がしずらくなって再び入院されました。精神力の強さで1日も、はやい回復を願います。
 また自傷のある人などは、大きくなるにつれ、落ち着いてきて、なくなってきています。多動性を持つ児童も、急に走り出す事も少なくなっています。なぜだろう?って考えると明確な答えはわかりませんが、私が思うのは、本人の思いを受け止めてくれているのと、支援の思いが伝わってきているのかな?それが1本の線になりつつあるのでしょうか。
 話は変わりますが、通勤と移動で使うバイクを購入してもらいました。ありがたく思います。前車はセルモーターがきかず、エンジンがなかなか始動しない状態でした。長く乗っていた為、バッテリーやプラグの問題ではなかったです。新車なのでメンテナンスを気にしなくて走れるので良かったです。また、自分ごとですが健康診断で中性脂肪の数値が基準値よりも高かったです。3年前と比べると、胴回りが11センチ太くなりました。医師からは少しメタボの入り口かな。と言われました。予防としてはバランスの良い食事をとる・脂肪をとり過ぎない・糖分を控える。などあります。視力も低下しました。近頃では肩と肘、膝の関節が痛む時があります。難しいですが健康管理に気をつけて、さらにベストな支援をする為に今年も宜しくお願いします。
○被災地当事者派遣プロジェクトに参加された方です。以上