コメントご紹介♪

大型連休も後半~!
今日、5月2日の大阪は、ぱらぱらと小雨が降ったものの
すぐに快晴に。
洗濯日和&衣替えも、そろそろかなあと空を見上げている事務局です。
さて、恒例となりました、振込用紙の余白に書いてくださった皆様のコメントご紹介コーナーです!
◆良いことがありましたのでおすそ分けです。(東京都小金井市)
◆年に1回ですが応援させていただきます。(埼玉県比企郡)
◆私も精神障害者です。同じ病気の方、頑張ってください。(愛知県岡崎市)
◆北見市のとなり端野町で小室さんの原発反対のコンサートに行ってきました。こんな近くに来てくれて感激でした。早く原発のない国になってほしいです。(北海道北見市)
◆「ゆめごよみ風だより」でガンバッテいる人達に励まされます。私にできる事を少しずつですが続けたいと思います。(さいたま市)
◆新しい事がスタートする季節ですね。すべての人が平等に、希望を持って前へ進める社会に早くなりますように(大阪市平野区)
◆ゆめごよみ風だよりをいつも有難うございます。忘れてはならないことを忘れないために、心ばかりですが(岩手県和賀郡)
◆「地震や災害の多いこと」と思ってしまうけれど、でも多いのが実は普通なのかも。あたりまえのように受けとめる準備はまだできてないけれど、とりあえず送金。活用して下さる方に感謝。(東京都港区)
◆障害者へのボランティア7年になります。東北への支援に心動きましたが、こっちも大事とあきらめました。皆様のご活動、頭が下がります。ガンバッテください。(埼玉県富士見市)
◆日々に埋もれてしまっています。現場で努力いただく皆様にただ感謝。ありがとうございます。(滋賀県甲賀市)
◆みなさんのご活躍を応援しています。障害のある人達が暮らしやすくなるといいですね。(北海道帯広市)
◆3/31に78才になりました。未だ健康で過ごせそうですので感謝の気持ちです。(東京都府中市)
温かいお言葉、本当にありがとうございます!
事務局一同、いつも仕事をする上で、大変励みになっております。
機関紙などお送りするときに振込用紙を同封させていただいていますが、
これは、決して、寄付を強制しているものではありません。
御気分を害されるかたもいらっしゃるかと思います。
申し訳ないことです。
あくまでも、御寄附くださるみなさまのご厚意に支えられての活動です。
ふっと寄附しようかと思ってくださったときに、振込用紙が手元にあったら便利かなという理由です。
至らぬところも多々ありますが、どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

茨木からの・・・

ゆめ風茨木サテライトからの嬉しいメールをご紹介します♪
過日(4月29日 月曜日)に茨木市内で「第20回みんな集まれボランティアINいばらき」(主催茨木市社会福祉協議会他)が開催されました。
茨木市内の知り合いに声をかけさせて頂き「ゆめ風基金茨木サテライト」として、
パネル展示とチラシ配布・募金活動を行いました。
お預かりしたカンパは 33.800円。
近日中に送金させて頂きます。
多くの来場者から、「ブログ見てますよ」「少しですが・・・・」と募金に協力してくださいました。

とのことです。
世間は大型連休で、行楽地はにぎわっていたでしょう。
そんな中での募金活動、茨木サテライトの伊良原さん!
ありがとうございました!
そしてお疲れさまでした!
皆様から頂いたお金は必要なところへ必ずお届けします!
深謝。

ヒデの救援レポート:2013年4月30日№118

●風光る4月から、風薫る5月へ!
5月1日は、今は姿なき、世界中の労働者のメーデー。
そして、5月5日は、世界中の子どもたちのいのちの日。
カール・マルクスの生誕日。
そして、何よりも、hideの畏友のおひとり、人工呼吸器を使う子どもたちの親の会『バクバクの会』初代会長の平本さんの命日。
ついでに、いい親ではなかったけれど、亡くなったhideの母親の誕生日です。
合掌あるべしです。


●被災障害者支援「ゆめ風基金」の呼びかけ人代表のフォークソングシンガー、小室等さんが、hideたちも知らなかった、迂闊!アノ、天下の雑誌『週刊 金曜日』に「なまくらのれん」と題するコラムを連載されていた。
天下の雑誌『週刊 金曜日』に「なまくらのれん」と題するコラムその中からの一編。
週刊 金曜日の連絡先
TEL 03-3221-8521
ここから
「災害時に、障がい者は置き去りだ。
例えば避難所でのトイレ問題。
一般人にとっても大変だが、障がい者にとってはその比較じゃない。
けれど障がい者用トイレなど誰も考え付かない。
避難所は障がい者を受け入れてないのだ。
・ベッドでなければ寝起きできない、高齢の母の介護を受けて暮らすAさん。
ベッドなどありうべくもない避難所で、何日も車椅子のまま眠れぬ毎日を過ごした。
その後仮設住宅に入居するも、バリアフリーではない住宅で外に出られず、ようやくスロープが設置されても、高齢の母にそのスロープを車椅子で出入りさせる力がない。
Aさんは、仮設に軟禁状。(記録映画『逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者』より)
障がい者置き去り、枚挙暇なし。
そこで「ゆめ風基金」だ。
「認定NPO法人・ゆめ風基金」
自然災害で被災した障がい者を支援する目的で阪神淡路大震災直後に大阪で設立された団体。
「ゆめ風基金」をなまくらのれん流に説明してみる。
どこかで災害が起きたら、即スタッフが駆けつけ、現地で障がい者のSOSをキャッチ、速やかにSOS発信元に現金を届ける。
実行に際しては不平等に徹する。
あっちもこっちも助けることはできない。「ゆめ風」身の丈の支援活動。
永六輔さんは、「ゆめ風基金」最初の10年間の呼びかけ人代表。
永さんの後を7年間、今僕が引き継いでいる。
実働は、もちろん事務局の最強スタッフのみなさん。
さて、あれから2年、今はどうか。
ほとんど被災地にはいりっ放しの事務局八幡隆司さんに聞いた。
『東北被災地沿岸、人口の流出で介護スタッフが圧倒的に不足。
買い物や病院への移送状態が深刻。
ようやくヘルパーが付いて病院までたどり着けても、病院内は介護支援管轄領域外。
病院内で過ぎてゆく時間の介護支援費は本人全額負担です』と、八幡さんは心痛める。
心痛めながら「ゆめ風」は支援活動を続ける。
この17年間で地震・噴火・豪雨・台風など様々な自然災害が起こり、「ゆめ風基金」は海外も含め、約4千万円を被災地の障がい者に届けてきた。
そして起こることが予想される大災害に備え基金2億円をキープしてきたが、これほど大規模な災害は予想できていなかった。
2億という金はそっくり東日本大震災支援に投入された。
その後2年間で更に2億以上の基金が集められている。
凄い。
「ゆめ風基金」への評価の現れだと思う。
だけどね、「ゆめ風」が必要とされるのって変でしょ。
「ゆめ風」がやっていることは、行政がやる気になればできることばかりなのに。
ここまで。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


東日本大震災救援活動の中のhideの風景
●月刊「むすぶ」№506からの転載。
発行:ロシナンテ社
連絡先 TEL&FAX 075-533-7062
・福島を忘れないでください(高野桜さん:南相馬市小高区出身、高校生平和大使。)
小高工業高校をこの春に卒業しました。
私の家は南相馬市小高区にあります。
原発から20キロ圏内にあります。
原発事故がおきてから警戒地区に指定されました。
最初、私の家族は山形県に避難していました。
父は仕事の関係で、私と弟は学校で南相馬市に戻りました。
母、祖母、兄は今も山形で生活をしています。
家族はばらばらです。
母の実家が海沿いでしたので、そこの状況を見てきました。
一時帰宅したときは懐かしい気持ちでした。
そしていつかまた戻ってきたいという気持ちがつよくなりました。
その2ケ月後、4月に私のふるさとである小高区は警戒区域が解除されました。
でもいまだに除染も始まっていません。
だから人は住んでいません。
しばらく人が住んでいない家というものは傷みやすいです。
壊れてしまった家も沢山あります。
今は解体作業も始まっていて、崩れてしまった家は無くなっています。
町並みも変わっています。
ガレキの撤去も今月から始まっています。
小高区には、今中間貯蔵施設が作られています。
私はその様子を先月見てきました。
これから人が戻れるようにと計画されている町に中間貯蔵施設ができていることは、遠回しに国から、しばらくは戻れないと言われているようでなりませんでした。
私の家は雨漏りがしていて、そこは放射線量が高いのです。
東電の説明会では、家の中は除染ができないと言われました。
またネズミが住み着いていてネズミのフンだらけでした。
ネコやハクビジンが出入りしていました。
いつか戻りたいと思っていた家ですが、そうやって動物が住み着いているのを見ると帰りたくないという気持ちも生まれてきます。
私の高校は、30キロ圏内にあるスポーツセンターに仮設校舎を建ててすごしています。私は1年生から3年生まで違う校舎で過ごしてきました。
震災前は小高にある本校舎。
2年生では各地区にあるサテライト校舎で過ごし、3年生になって、みんなで今の仮設校舎に戻ってきました。
私は工業高校なので実習をしなくてはいけないのですが、その実習は仮設校舎とは別のところであります。
友達も避難した先の学校に転校する友達が沢山いました。
その友達も『みんなでまた一緒に勉強したかった』、『一緒に卒業したかった』という友達が何人もいました。
そして私は福島の高校生では初めて平和大使としてスイスのジュネーブにある国連欧州本部に訪問させていただきました。
そこで今の現状を報告させていただくと、情報が十分に伝わっていなかったようで
『もう復興していたと思っていた』と言われました。
●続く
以上
週刊金曜日の記事はこちらです!

ボランティア募集~♪

5月に入りました。 
連休でお出かけのかたも多いかもですね。
事故のないように、思い出と一緒に帰ってきてくださいね!
さて、ボランティア募集のお知らせです。
明石市内の大学が閉鎖になり、大量の机、いす、ロッカー、パソコンなどを、被災地の障害者作業所に届けることになりました。
ことの始まりは・・・
4月はじめ、ある大学から神戸の障害者活動団体に備品を使いませんか?と一報が入りました。
神戸の人々は、
『東北の障害者作業所やグループホームの人たちは、震災で備品をなくし、困っておられるのではないか。
阪神淡路大震災で被災した自分たちだからこそ、その大変さがよくわかる。
被災地で使ってもらったらどうか、運送費は自分たちでカンパを集めよう』
と考え、ゆめ風基金に連絡をくれました。
ゆめ風基金は、すぐに、東北被災地障害者ネットワークのML(メーリングリスト)に流しました。
すると、仙台市内の障害者作業所「スマイル」から電話が!
スマイル作業所は、おいしい国産大豆のお豆腐をつくっている所で、地震で大豆をゆでる機械が壊れ、ゆめ風基金から救援金をお届けしたところです。
また、スマイルは、地震や津波で、通っていた作業所がなくなり、行く場所を失った障害者を受け入れるために、今年、作業所を増設したところで、ソファや、机、ロッカー、いす、パソコンを買う資金がなく、困っていたところでした。
同じく仙台市内の別のケアホームからも、作業台やいすなどが必要との連絡があり、
5月6日(月・祭)9時から搬出作業をすることになりました。
神戸、明石の作業所の人たちにも呼びかけていますが、大量の備品のため、人手が足りません。
☆そこで助っ人を募集したいと思います。
来ていただける方は、ゆめ風基金までご連絡ください。
どうぞよろしくお願いします。
☆場所は神戸ファッション造形大学  JR西明石駅から北へ徒歩15分のところ。
明石市明南町2丁目1番50号
現地地図
閉鎖するのがもったいないくらい、緑にあふれた素敵なキャンパスです。
きれいな空気と景色の中、いい汗かきませんか~
ご連絡お待ちしています!!

ヒデの救援レポート:2013年4月22日№117

●先日、ゆめ風事務所の近所にある大阪市立中島中学校の生徒会の人たち5人と先生1人が、事務所においでになりました。
そして、学校内で行った被災障害者支援募金、3月11日分:12,847円、
1月17日分:19,163円を届けてくださいました。
年来から防災のことで、お付き合いのある学校ですが、重ね重ね、ありがたい訪問でした。
事務局長の橘高さんが対応しました。
感謝、感謝です。


●デケだぁ!ゆめ風基金法人総会新潟に間に合って
「障害者市民防災提言集・東日本大災害版」(80ページA4判●定価500円)
申し込み:ゆめ風基金
TEL 06-6324-7702
FAX 06-6321-5662
・今回の提言の趣旨
ゆめ風基金は設立10年を機に、活動の柱である被災地の障害者支援に防災を加えました。
災害が発生した時に障害者市民が地域の避難所では過ごせないなど、災害が起こってからの支援にはさまざまな課題が噴出してくることを痛感し、起こる前から防災に心がけるとともに、緊急時における障害者市民への意識を共有しておきたいと考えたからです。
そしてゆめ風基金を発足させてから16年目を迎えた頃、近い内に宮城県沖で大地震が起こるかもしれないとの予想が出ましたが、こんなに早く、こんな大規模で東北関東地域に大地震、大津波そして原発大事故が襲いかかるとは思いもしませんでした。
この2年間はゆめ風基金も被災地の障害者市民への支援活動に追われることになり、今回の大災害の検証はまだまだできていません。
しかし、これほどの大災害をできる限り調べて回り、そこから何を学び、これからに備えて何を準備しておかなければならないか対策を講じておかないと、また同じ失敗を繰り返すだけで、これから先の障害者市民に関する救助・防災活動も危ういものになってしまいそうです。
そしてまた、これから息長く東北関東地域への支援活動を続けていくには、この1年間の活動から見えてきたものを記憶がまだ鮮明なうちに整理しておかなければならないと考えました。
2006年に発行した「障害者市民防災提言集」では、それまでの災害をもとに、大規模が起きた場合の障害者市民への支援について検討しなければならない内容を15項目にまとめ提言しました。
その提言は今回の災害に通じるものですが、なかなか改善されないまま、今回も多くの被災した障害者市民が命を失ってしまい、あるいは助かったものの必要な支援が受けられない状態になっています。
さらに救援活動の拠点になるはずの役所が津波で流されて行政機能がマヒしてしまった市町村も出現し、地震に伴って発生した津波や原発事故の問題など、これまで考えてこなかった新たな課題も数多く見られます。
そのため、今回の大震災の支援活動から見えてきた点と、2006年の提言集から改めて重要性を再認識できた点を中心に、この提言集をまとめてみました。
まず課題を7項目+1項目:原発事故:に絞って緊急提言とし、前回の提言集や防災ブックレットと合わせ、それぞれの地域における障害者市民の救助・防災に関する具体例を紹介し、そして東日本大震災の支援活動のヒントになればと考えました。
ただ、あまりにも被害が大きかった東日本大災害の検証には時間と人手がまだまだ必要で、不足している点もいっぱいありますが、この冊子をたたき台に、更なるご提言、ご指摘をいただければと願っています。ぜひ、お力添えいただきますように。
本書の構成としては、まず知っておきたい提言を冒頭にご紹介し、この間のゆめ風基金の活動などについては資料として報告することにいたしました。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
これまで届けた救援金
236,894,624円(2013年2月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
191,385,539円(2013年2月12日現在)
ただいまの基金残高
260,654,573円(2012年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


【日本大震災救援活動の中のボクの風景】
・吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと「われも、また、赤い」=吾亦紅と咲くのです。


2013年3月23日、ゆめ風基金法人総会が、新潟駅構内の新潟大学南キャンパス「ときめいと」で開催されました。
社員数は、個人会員11名、団体会員51ネット。
当日参加は、個人9、団体11、委任状18でした。
出席理事は、牧口、岩永、河野、永村、八幡、山田、福永、南、馬垣。
欠席は、楠、細井。
事務局スタッフの長崎、福本も参加。
議事は、2012年活動報告、決算報告、監査報告、2013年活動計画、収支予算、定款変更と続き、参加者全員の議論と賛成拍手で無事に、全議事が可決されました。
●その後、ゆめ風ネットワーク新潟も参加して、交流会が持たれ、呼びかけ人代表の小室等さんと、こむろゆいさんも合流されて、大いに盛り上がりました。
久しぶりに、事務局長が、地元のネットから差し入れられた、新潟の地酒を痛飲した結果、酔っ払い姿を披露して、会場を笑いで満たしました。(笑)
●24日は、小室等さん&こむろゆいさんのコンサート。
会場もほぼ満席で、和やかで、温かい歌声で満たされる素敵なコンサートになりました。
●それにしても、大阪から新潟までは、遠い。へろへろの新潟往復総会でしたね。
●新潟のネットワークは、東日本大震災発生直後から、被災障害者支援の一環として、後方支援拠点を立ち上げ、主に、福島県からの避難障害者の受け入れを継続してもらっています。
堅実な、その活動実践には、敬服しますし、その実践力は称えられものとしてあります。
感謝の一文字があるばかりです!
以上

4月13日の街頭カンパご報告

造幣局の桜の通り抜けも始まり、大阪は、春本番!
という季節もよくなってきた4月13日に、恒例の街頭募金が行われました。
以下、事務局員:福本千夏の報告です!


春だというのに、吹く風はまだ冷たい。
ビルの谷間だからか?
この日、朝18年ぶりに大きな地震が起きた。
街頭で基金箱を抱えて、車いすに座っていると、
少し酔いが回ったおじさん二人連れがやってくる。
「お前が募金なんて似合わんことを・・・」
「ほっとけ。今日地震があったやんけ。
「こんな時にせな、いつすんのんな。なあ、姉ちゃん」と
500円玉を財布から取り出す。
「なんや、札ちゃうのんか」
「昔は500円も札やったやんけ」
大阪人のボケと突っ込みを目の当たりにする。
こらえきれず笑った。
「もーう。おれら笑われたし」
「楽しい。おおきに」と言葉少なに告げる。
「お互いさんや」と握手をして去る。
お た が い さん
ゆめ風の事務局で、背伸びの毎日に少し肩の力が抜ける、大事な言葉だ。
「ゆめ風基金です。よろしくお願いします」
と、みんなの声。
足を止めて、募金してくれる人たち。
おたがいさん。
でも、とってもとっても
ありがとう。

日蔭はちょっぴり冷えたけど。
声はかげりなく、大きいままです!

参加人数 30人
募金総額 56,622円。
皆様、ご協力ありがとうございました!!
次回は5月11日です^^

岩手県訪問記その5~往復500kmの旅by長崎圭子

いよいよ陸前高田を通り、大船渡へ。
っと、その前にお昼ご飯を食べて、しゃんとしなきゃ!
そこで、立ち寄ったのがこちら。
宮城県気仙沼市本吉町三島にある、JR東日本・大谷海岸駅(おおやかいがんえき)が、かつてあったところです。
ケアホームめぐみさんからは、7.4 km- 約 10分
大谷海岸駅あと
日本一海水浴場に近い駅として有名だったそうですが、津波で駅が一部損傷。
線路は津波に流され、近くの砂浜が地盤沈下を起こして海が直近にまで近づき、危険になったことから同じ場所で営業再開するのは難しいと見られているそうです。(ウィキペディアより)
道の駅大谷海岸も、プレハブで営業を再開していました。
この写真の右側が海岸で・・・
道路を隔てて左が山なのですが、津波の爪あとは生々しく残っています。

新しいお花が供えられていた献花台です。
合掌・・・。

フカひれラーメンをおいしく頂いて、大船渡へ。
大船渡へ
43.8 km- 約 58分
ここから、津波あとの写真が何枚か続きます。
PTSDなどになったかたは、飛ばしてください。
効果があるのかと聞かれれば・・・
土嚢が積み上げられたまま、の風景が何キロも続きます。

陸前高田・奇跡の一本松。

奇跡の一本松保存プロジェクトについて
マンションの4階までは浸水し、5階は無事に見えます。

何も変わっていない陸前高田。

堤防を作ろう、としているところでしょうか・・・

工事車両=ダンプカーやミキサー車が何台も通っていきます・・・。
高台移転はどうなっているのだろう。
ところどころ、盛り土をしているのですが・・・。

このような風景が何キロも続き、この地で「復興」と言うのは、正直なところ無理があると感じました。
仮設住宅が、ひょっこり建っている。
あちこちに、何棟かずつ。
どう考えても生活できないだろうというような山奥だったり、とりあえずここなら安全だろうと
急いで建てましたというような・・・
復興住宅を建設しているところは、通った場所では確認できず。
少しでも、前に進んでいるならいいのですが、そういう明るいニュースは見たり聞いたりしなかったのが
本当に残念でなりません。
大船渡に着いてから、「かたつむり」さんが、新たに作業所を建設する土地を見せてもらいました。
(支援先の一つです)
何度か津波にあっている土地なので、安くなったとか・・・。
いざというときは、山に逃げる。
そのために避難訓練も実施するとか。

ここの空き地にとりあえずプレハブで作業所を作り、ご飯などを食べる休憩場所を、1ブロック上の民家を借り、改修工事中。
写真に写っている家は、浸水しているそうです。
ここの責任者のかたの家も流され、新たに借金をして新築するとか。
「私は嫁だからねえ~ほんとは移りたいんだけど、ダンナがうんって言わないのよ~。津波きて被災したらまた起き上がって復興したらいいって考えてんのね。先祖もそうやってきたからって。被災するから復興できる。その繰り返しだ。もうねえ~しょうがない!」
明るい笑顔に、何か申し訳ない気持ちでいっぱいになったのです。
出発する私たちの車が見えなくなるまで、
ぶんぶん!と、ずっと手を振ってくださった姿が忘れられません。
また来させてください、と、車の中で頭を下げました。
さあ、いよいよ最後の訪問地、「被災地障がい者センターおおふなと」へ。

ここも事務所を11月までに退去しなくてはいけません。
土地を確保し、新たに「NPOセンター123」として、活動を続けていくそうです。
実は、現代表の奥様が、以前は代表を務めておられたのですが、急逝されてしまいました。
障害者福祉に、復興に心血を注いでこられたのですが、心労が積もっていたのでしょうか・・・。
改めてご冥福をお祈りするとともに、現代表の「やっと物を考えられるようになった」とのお言葉に拍手を。
そして、こちらにも新しく職員さんが!
村上さんという女性です。
被災されて現在は仮設暮らし、旦那さんを津波で亡くされました。
サービス管理責任者の資格をお持ちらしく、事業所開設時には大活躍されることが期待されます!
力強い助っ人に感謝感謝!
先にも書きましたが、障害者は、災害時、その障害ゆえにハンディは2倍3倍にもなります。
人の助けが、いつも以上に必要です。
その障害者福祉に尽力されている多くの方々の熱い思いに、胸を打たれた岩手訪問だったと思います。
ついつい都会中心に物事を考えがちですが、東北の良さを活かしつつ、その歩みに寄り添っていきたい。
この記事を書いている最中にも、三宅島の地震が報じられたり、先日も18年も経つのに、阪神淡路大震災の余震とみられる地震が起きました。
考えたくはないのですが、これからおきる災害への備えをきちんとしないといけませんね。
そして。
東日本大震災のことを忘れず、まだまだ支援が必要なところへ、しっかりとお預かりしたお金をお届けする。
それがゆめ風基金の進む道だと考えています。
長いブログ記事にお付き合いくださいまして、心から感謝申し上げます。
どうか。
忘れないでいてください。
ここに記載したのは、ほんの一部の被災者・被災地の姿であることを。
みんながみんな、被災地に行かなくてもいいんです。
できることをそれぞれが考え、実行していけば。
岩手は広いです。
東北は広いです。
被災地の方が、本当に心から笑える日まで、どうか、ゆめ風基金にお付き合いください。
みやこへ帰る
97.1 km- 約 2時間8分
被災地障がい者センターみやこの皆様、お世話になりました!
走行距離の総計を、どなたか出してくだしあ!

岩手県訪問記その4~往復500kmの旅by長崎圭子

ブログを更新していたら、被災地障がい者センターみやこの当事者スタッフ、あけさんからメールが!
あけさんの桜
家の近くの公園だそうです。
宮古の桜も一気に満開になったようですね!
ちなみに、8日の暴風でも雨は降らず、岩手滞在中、ずっとお天気だったのは、
私の日ごろの行いが良いせいだと思われ…異議は認めません(笑)
さて、センター石巻の皆さんに、一泊させて頂いた御礼の置手紙を書いて出発です!
センター石巻の外観です。
スロープが広めで助かりました。
住宅街の真ん中にあるので、夜に来たとき、一回、通り過ぎたのはナイショです。

さて、登米にある被災地障がい者センター南三陸へ。
ブログはこちらです♪
南三陸
(2012年【12月28日】南三陸町 NPO法人奏海の杜(被災地障害者センター南三陸)
 児童デイケア事業所開設のための土地造成費用として5,000,000円
と、ブログトップページ右側にあるのはこちらです。)
新たに建物を建築するご苦労だとか、福祉業界に人材がいないのはなぜか、とか
ヘルパーさんに男性がいないのはどうしてだ?など、いろんなお話をしてくださいました。
足がいっぱいある、緑色の虫がごにょごにょしていて、飛び上がって逃げましたごめんなさい。
そうそう!
大阪は吹田に住んでいた女性が、4月から職員さんになってくれたとか!
ボランティアで何回か通っているうちに、住みたくなって住民票も移して、
福祉の世界にこれからどっぷりと、はまってくれるそうです!
うれしいなあ~!
その笑顔に見送られて次へ移動です!


2012年【3月13日】宮城県気仙沼市「ケアホームめぐみ」の再建費用に300万円と、
ブログトップページ右側にあるのはこちらです♪
ケアホームめぐみさんのブログ
ケアホームめぐみ
31.0 km- 約 45分
こちらのケアホームめぐみさんは、気仙沼市の一番南、本吉町にあります。
設立から3年しかたっていない中、第2施設「ケアホームめぐみ中島」が開設直前に
津波により流失したという・・・。
開設前なので、復興のためのお金がもらえないとか、何かが間違っている、そう思わずにはいられません。
建設中の物件と、新たに立てる物件、二つの借金を抱えることになるのです。
さらに障害者就労の場であったイチゴハウス5棟も全て失ったなか、再建に向け、本当に必死になっておられます。

↑ 第一施設でお話を伺いながら、新しく建てることになった新ホームへ案内してもらうことに。
車で5分ほど走った高台というか、山を削って復興住宅を立てるらしい山中に到着!

ちょっとわかりにくいかもですが、手前が児童デイ、奥がケアホームです。
5月頃、完成予定だそうで、工事も急ピッチで進められているようでした。
ブログを読んでくださっている皆様、ゆめ風基金の支援先が、
なんとかあの震災から立ち上がろうとしている様子をわかって頂けているでしょうか?
私が被災地を訪問した理由は、被災地を知らずして、この仕事ができないというのはもちろんですが
こういうブログを通して、支援してくださる皆様に報告をしたかったというのもひとつあります。
正直、ご自身も被災されたかたが多く、障害者のことなんかほっとけばいいのに、と思いました。
それでもほっとけない、福祉制度がないなら作ろうじゃないか。
既存の管理された施設ではない、一歩二歩先をいくほかの地域の見本になるようなものを
東北で作ってやる!という気概を感じ、私は一人その思いに慟哭する以外ありませんでした。
まだ、2年経っても何も変わらないところもある。
マイナスから立ち上がろうとしているところもある。
私たちにできることはないだろうか?
このブログに共感してくださるかた、どうかこれからもゆめ風基金をよろしくお願いします。
訪問する先々で、
「ゆめ風さんのおかげで、再建のめどがたったんですよ!」
「本当に貴重なお金をありがとうございます!」と
何度も何人にものかたに言われました。
それは
ご支援くださる皆様へ向けての言葉です。
改めて、ご支援に感謝しつつ・・・
次回は陸前高田や大槌などの写真を交えて・・・
うれしい涙と鎮魂の思いをこめて・・・

岩手県訪問記その3~往復500kmの旅by長崎圭子

続いては、「被災地障がい者センター釜石」訪問です。
240.8 km- 約 1時間0分
カトレアからかまいしへ

センターかまいしには、名古屋の「AJU自立の家」が震災後に人的支援も含め、さまざまな支援をしています。
(ゆめ風基金ももちろん!)
健常者スタッフも常駐。
移送サービスなどを中心に、当事者スタッフになってくれそうな人もGETし、新たな出発をしようとしているところです。
AJUの御大・山田さんとは10年来のお付き合いをさせて頂いております。
「お~お姉ちゃん、何してるがや?」
「御大がいらっしゃると聞いてご挨拶に伺いましたよ!」
ということで、この2年の活動についての想いなどをじっくり伺っていました。
現地スタッフさんとは、ちょうどNHK岩手の記者が取材に来ていて、なかなかお話しできません><
釜石に限らず、ですが、東北では、障害者が自立して一人暮らしをするということが、まだ珍しかったりします。
親と同居し、その親がバリアフリーの家を建てて、親亡きあとはなんとか生活できるよう、貯金を残したりして、または施設入所とか・・・
選択肢が狭い中、あの震災が起こり、障害者は新たな問題に直面しています。
家が流された、仮設住宅で住めない、福祉制度とつながれていない、などなど、都会に住んでいては実感できにくい困難さが被災地にはあります。
各被災地障がい者センターでは、そういったかたを(障害者を)見つけ、その人らしい人生を送る選択肢を増やすことも活動の大きな柱となっています。
責任も伴うけれど、自由であることの意味を実践できる人が一人でも多く出てきてほしいなあ。
さて、そろそろ次の目的地に移動です。
「被災地障がい者センター石巻」へ。
センター石巻のブログ
センター石巻へ
159 km- 約 3時間13分
ところで。この訪問スケジュールは、誰がたてたか・・・・?
理事の八幡さんですよ!
意味はよくわからず、付いていくだけなんですってば!
センター石巻の当事者スタッフ、Aさんと夕ご飯を一緒に食べながら、今後の活動などについて話し合いができればと思っていたのですが・・・
石巻に着いたのが夜8時前。
当然、帰宅しちゃってました\(^o^)/
なんと、センター石巻では、寝るだけという・・・
スタッフの皆様、一夜の宿をありがとうごいざいました!!!
近くのコンビにで晩御飯を仕入れて、即、就寝。
ぎっくり腰がそろそろ・・・な一日でした。
明日はさらにハードになるとか。
石巻から登米へ、だそうです。
石巻から登米へ
36.2 km- 約 41分
私が障害者だって、忘れてないか?(笑)

岩手県訪問記その2~往復500キロの旅

岩手に着いて3日目、いよいよ長距離移動の日です。
まず最初は、こちら!
センターみやこから、気仙郡住田町のカトレア会さんへ。
カトレア会道のり
移動距離はおよそ109 km- 約 2時間21分
釜石でトイレ休憩後、今回の旅の同行者・ゆめ風基金理事の八幡市が運転するリフト車でひたすら走ります。
山また山。
行けども行けども山、山、山。
山しかない風景と、カーブが多く、揺れるリフト車に酔いそうになった頃、到着です!
出発からおよそ2時間半。
某電子機器部品の会社跡を借りているカトレア会さん。
なんと、人口7千人の住田町初の作業所を作られたところです。
ゆめ風基金は、2012年11月12日に、作業所新設工事費として2,025,489円を。
(ブログトップページの右側に掲載されています)
住田町とは

玄関扉に、カトレア会の文字をつけようか、と、現在、考えているとか。
機械の部品を組み立てる下請け作業中のメンバーさんたち。

皆様からお預かりした基金が、確実に花開こうとしています。
この作業所ができて、
「通所メンバーが、洋服を買いたいと言う。今まで1着しか持ってなく、ほしいとも言わなかったのに。社交的になったのかな」
「あるメンバーさんの親御さんが、優しくなった、というんです。今まで家でずっといて、介護も何もかも親だけで何十年もやってきて・・・親御さんもしんどかったんでしょうねえ。八つ当たりしたりとかがなくなったって。」
「ここに来るのが楽しみだって言う人、家でも明るくなったそうなんです」
とのことです。
やっぱり、居場所や、工賃は今は低くても、自分で稼いだ、という実感が生きる上で大事なんですよね・・・。
部品の組み立てだけでなく、クッキーなどの焼き菓子にも挑戦したいということで、
ヘーゼルナッツや大豆クッキーを丸くして、シュガーパウダーをまぶしたものを頂きました!

おいしい!!!!!!
なんか写真では平べったくなってるんですが・・・
アップするとき、何かを間違えてる・・・
実際は、もっと丸くて、まるで雪の塊のようなんですね!
一口でパクッと食べられて、味も最高!
絶対売れるこれは!!!
完成が待ち遠しいです。
ネット販売など始めたら、お知らせしますね!
あと・・・・春になると、クマが出るとかw
皆さん、気をつけてください。
お昼ごはんを遠野の道の駅みたいなところで食べて、さあ移動!
次は被災地障がい者センターかまいしへ。