ヒデの救援レポート5月19日

おわび
河野秀忠氏の「ヒデの救援レポート」をしばらくブログに掲載できませんでした。もうしわけありませんでした。ある読者のご厚意により、過去のレポートを送っていただきました。古い情報ですが貴重な記録ですので掲載します。
==ヒデの救援レポート5月19日17=================
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月14日までに、133263061円。5月16日までに、134610457円。5月17日までに、135371157円。5月18日までに、142978015円。15月19日までに、144275799円です。
5月14日に行われた、被災障害者救援本部おおさかの統一共同カンパ活動には、11団体、60名が参加。集まった金額は、122853円でした。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。ボクが住まいする街は、5月14日に開催された、被災障害者救援大バザーの行われた、大阪北部の箕面市です。山々の緑に囲まれた、静かな住宅の街です。バクバクの会全国事務所もあります。
その街にある、人権課題を担う市民組織で、市内のあらゆる住民団体が参加されている、箕面市人権啓発推進協議会という組織があります。ボクが恥ずかしながら、事務局長を努めています。その人権協が28日に定期総会を迎えるのですが、その場で提案される、議案活動の基本的考え方の方向の冒頭部分の抜粋を紹介します。ガンバレ日本!ガンバレ東北!の居丈高な論調に異を唱えながら。
○2011年3月11日、突然、東日本が大震災に見舞われました。マグネチュド9、0という、観測史上最大の地震であり、その後の大津波の襲来によって、東北、関東地方は、壊滅的な被害を被りました。また津波被害を受けた福島県の原子力発電所6基が壊れ、高い放射能汚染が広がりました。被災地の広範性、被災者の数の多さ、死者、行方不明者が2万人を超えるのではないかと予想される現実の只中に、わたしたちは生きています。人権の基礎である命が失われたのです。国内外の人びとの被災者支援、救援の輪が広がってはいますが、まだまだ混乱に満ちています。箕面市も被災地であった、16年前にわたしたちが経験した阪神淡路大震災と比較しても、被害のケタが違います。あの時には、日本全国、世界から多くの支援を受けました。それをわたしたちは忘れてはいません。今度は、わたしたちが踏ん張る番でしょう。被害の大きさ、放射能汚染の解消、ひとと街の復興には、10年単位の国家的再生計画が求められます。全ての箕面市民も感じているであろう、まさしく国難的状況なのです。
本協議会も、全力を上げて救援活動に取り組んでいます。しかしながら、その支援活動は、1回や2回の単発なものであってはなりません。息の長い長期に渡る支援活動でなければなりません。本協議会を構成する個人、団体が力を合わせ、あらゆる市民とつながりながら、人権再生の想いの元、本年度を東日本大震災支援の最初の年と位置づけ、長年に渡る誠実な支援活動を開始し、続けます。
過日、ゆめ風基金事務所に、43歳になる頑丈そうに見え、ひとの良さそうな人物が、知人に紹介されたからと訪れてきました。そして、ボランティアの経験は無いけれど、身内に精神障害者がいるので、長期にひとの役に立ちたいから、被災地の救援活動団体を紹介して欲しいとのことでした。これはまぁ、ラッキーと思ったのですが、話しを聞く内に、首をひねってしまいましたね。元は土木作業員をしていたが、手にケガを負って、重労働が出来なくなり、会社をクビになって、現在、失業中。生活保護を申請したけれど、若い頃に、ヤンチャをしていたことを理由に断わられた。現在、大津のアパートで暮らしているが、家賃を払えなくなっている。現地に行くのなら、短期はダメ。長期ボランティアを希望する。そのために、今のアパートを引き払うつもりでいる。このボランティアの話しがないと、ホームレスになるしかない。うんぬん。こちらから、行くにしても、交通費がいるし、食事費用も必要ですと話すと、解ったような、解らないような、ヘンな表情を見せたけれど、とにかく、現地の救援活動をしたいので、現地組織と連絡を取って欲しいと、連絡電話番号を書き置き、お帰りになったけれど、その電話がブリペイドカード用なんだなぁ。さて、どうしたもんかなぁと、事務所メンバーは、ハテナ印色に染まっております。結局、その翌日に、ボクから電話をかけ、丁寧に、申し出をおことわりしましたが、やっぱり、ハテナでしたね。
ゆめ風基金事務所の前の道路沿いにある並木の根元に、一本の小さな薔薇の木があります。ご近所の方が植えられたのでしょう。その薔薇の木に、5輪の真っ赤な薔薇の花が咲きました。少し小さめですが、とても綺麗で可憐に、初夏の風に吹かれて、揺れています。その光景が、被災地のガレキの中で咲いている、名も分からない小さな花の映像に重なって、自然は、猛威もふるうけれども、優しさも届けてくれますねと。
東日本大震災障害者新潟支援センターからの報告からの抜粋です。
ここまでに至った経過として、3月にゆめ風基金の八幡理事が私たちの事務所に立ち寄ってくださったことが大きなきっかけです。ホテルに避難中の田村市の皆さんとお会いし、その思いを受けとめたいとできることを話し合ってきました。一連の支援を通じて感じたことは、今回避難されてきた方達は原発事故による放射能汚染の影響を心配している方が多く、新潟で暮らしたいというよりも地元に戻りたいという当然の願いを持っていらっしゃることから、日々揺れ動く心の葛藤は大きいものがありました。少し落ち着いて田村市に戻られましたが、放射能の影響による不安は続いています。最悪の場合、北陸ルートを通り避難しなければならず、新潟で暮らすというよりもさらに西に避難を余儀なくする可能性もあります。私たち新潟市に住む者もひと事ではありません。今回は避難施設とマンパワーが大きな課題でした。新潟市内の支援体制として現在の避難所は大型体育館4ケ所中心で、保健師や行政が24時間体制で常駐しておりましたが、介護が必要な方のための環境が不備でした。福祉避難所は老人福祉センター1ケ所のみだったことも、今後の課題だと考えております。
尚、4月には、福祉避難所には、1世帯のみ避難されている新潟市に避難されてはどうかということを提示しましたが、1ケ所にまとまって避難できる提案を今回できず、自立生活センター新発田が管理してきた一軒家がその条件に合って、その一軒家に4月から移ったのです。新発田市内で確保した一軒家は、広くて障害を持った方、ヘルパーなど10人くらいは過ごせると思います。
入浴設備やトイレの設備が不便なため、この度ゆめ風基金の支援を受け、南相馬市、田村市の方達のために浴室の改修費用を助成していただきました。避難されてくる場合、住民の確保はもちろんですが、人材の確保も必要でした。避難されてきた方達がヘルパー資格を持っているとは限りません。私たちの団体は昨年重度訪問介護事業の研修実績がありました。本年度も、重度訪問介護事業の研修を何度かして、20時間の研修で重度の障害を持った人を支援できる人材育成の試みをしていきます。以上のことを課題として、5月には仙台市のたすけっと、郡山市の救援センターを訪問し、北陸から福島への支援の拠点として、また、避難する際の新潟の役割を話し合っていきたいと思います。ゆめ風基金のご支援を受け、さらに、長期的かつ継続的な支援ができるよう新潟で取り組みます。
ポテトファームの佐野さんからのレポートからの抜粋です。○放射線検知器の脅威の数値。一分間でガイガー管に飛び込むベータ放射線の個数の通常数値を25カウントとします。滋賀県の平均数値です。南相馬市に入ると100カウントを超え、時折、アラームが鳴りました。アラームは、99にセットしてあります。県道62号線山道にさしかかり、高の倉ダム付近では、計測ごとに、約100カウントずつ増えるという、信じられない現象が起き、一時1000カウントを突破。道として迷ったことに加え、生きて帰れるのかと心細くなりました。
ようやく二本松にたどり着き、100カウント台に数値が下がると、ほっとしました。先日、二本松インター付近で、150カウント台を表示されたとき、恐ろしい思いをしたのに、1000カウントに遭遇すると、100や200カウントでも安心するという、人の心理は複雑です。今回、標高が高く、特定の地域に高濃度の放射線が存在する、いわゆるホットスポットの存在を実感しました。ううううう
○ひとりじゃないよ!信じあい、助けあいながらふくしま支援センター
ニュースつながりナンバー2被災地障害者支援センターふくしま発行よりの抜粋
震災から1ケ月以上過ぎましたが、福島県は原子力発電所の事故のこともあり、不安の中生活しております。住民のみなさんは、肉体的な疲れと共に精神的なストレスも徐々に溜まってきています。私たち被災地障害者支援センターふくしまは、現在、福島県内の避難所の障害者の困っていることを聞いて行政や相談支援員に回す段階にきています。今後は、避難所にも入れずに、他のつながりがほとんどない在宅の障害者支援と労力と時間のかかる活動もしていきます。先日、NHKや新聞で支援できるが紹介され、相談の電話も増えてきています。今後も支援の輪をもっと広げて、障害者のみなさんの支援に全力で取り組んでいきた
いと思います。○調査累計。障害者支援事業所39ケ所、避難所152ケ所、個別相談対応108件、電話相談22件、4/14まで。
○避難所からの声自治体では避難所にいるすべての障害者の状況、人数について把握がむずかしく、当支援センターも避難所の障害者の状況とニーズ、困りごとを調査してきました。調査して上がってきた問題点。食事の栄養が偏っている。プライバシーが守られていない。介護用品、薬が足りない。避難所から学校に通うための交通手段がない。入浴ができていない。聴覚、視覚障害者には、情報が入りにくい。トイレが使いづらい。などがありました。
○ポテトファームの佐野さんが、滋賀県から野菜ジュースとトイレットペーパー
の差し入れを持って、支援センターに来て下さいました。全国のみなさんに支え
られていることを、改めてスタッフ一同が実感しました。また佐野さんは、当支
援センター内の放射線量を測定してくれました郡山市の放射線量が思ったよりも
高いと心配されていました。
以上!

ヒデの救援レポート5月16日

おわび
河野秀忠氏の「ヒデの救援レポート」をしばらくブログに掲載できませんでした。もうしわけありませんでした。ある読者のご厚意により、過去のレポートを送っていただきました。古い情報ですが貴重な記録ですので掲載します。
==ヒデの救援レポート5月16日:16================
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月10日までに、127,986,329円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
夏のような白い雲が広がって、暑さが、ボクたちの肌を攻撃してくる季節です。今年は、ついに春が無かったですねぇ。被災地では、状況が刻々と変化しており、被災障害者への救援の間口が広がるばかりです。連休には、ボランティアが街に溢れていたのですが、現地障害者センターが、ボランティア受け入れのための、宿泊施設を用意した今、人手はさっぱり集まりません。どのような形でもいいから、被災障害者支援のボランティア活動に参加してくれるひとを募っています。本当の意味で、ヘルプです!被災地からのヘルプ!の声が、初夏の風に乗って、びりびりと届きます。
●被災地障害者センターみやぎ・ボランティア総合受け付け。電話022-746-8012・FAX022-248-6016
応えよ!さらば与えられん!叩けよ、さらば開かれん!です。被災地のひとびとと、今ある困難と対峙して、共に時代と世界を切り開き、人の世に光りあれと、人間の叫びを上げるためにも
ゆめ風基金に届けられた、タレント、おすぎ&ピーコさんからのメッセージ!
光・おすぎもピーコも被災した方々へ私達で出来る事をいつもふたりで話しています。何が出来るか具体的には未だですが、少なくとも大きくなくても小さな光でありたいと想っています。長い時間が掛かります。ふたり共消えない光でいたいです。おすぎ&ピーコ
都道府県宛の厚労省健康局からの事務連絡。
非常用電源などについて東日本大震災による電力不足対策のため、エイエルエス等在宅人工呼吸器等使用患者の療養に支障を来すことのないように、非常用電源装置非常用自家発電機、無停電電源装置の整備について事業を円滑に進めるため、予め下記のとおり示しますので、難病医療拠点・協力病院との調整等、よろしくお取り計らい願います。
1、難病医療拠点・協力病院で非常用電源装置非常用自家発電機、無停電電源装置の整備を行う場合、保健衛生施設等設備整備費を活用できること。
2、本事業を活用する場合は、難病医療拠点・協力病院が非常用電源装置を難病患者に対して、原則として無償で貸与すること。
●非常用電源装置の基準額は、247000円非常用発電機207000円、無停電電源装置40000円で調整しているので、補助の参考とされたい。なお、本事業に係る重症難病患者拠点・協力病院設備整備事業実施要項については、追って通知することとする。以上。
岩手陸前高田市・児童デイサービス、ふれあい教室障害児に対して、肢体不自由児施設などに通わせ、日常生活における基本的な動作の指導、集団生活への適応訓練など。
市直営の発達障害児の為の音楽教室が津波で流失。八幡理事が各行政機関に電話をかけ確認したところ、補助金は出るが、出るまでに相当な期間がかかるとのこと。連休明けには、場所を移動しながら、教室を再開したい。津波で流失した楽器などを揃えたいので、支援してほしい。支援金送金済みこの教室の先生、7人中5人が津波で亡くなった。2人は、生存。
被災地障害者センターみやぎ活動報告No.1からの抜群。被災地障害者センター・東北・設立。被災状況が各県別に異なることは明らかであるが、県を越えての緊急避難が現実には行われている。この時、岩手県・宮城県・福島県が相互に協力し合う為の環境として、東北統括本部としての被災地障害者センター東北を被災地障害者センター・みやぎ内に設置。被災状況は、時々刻々と変化し支援するタイミングの重要性は、2ヶ月を経過しようとしている今日でも変わりない。被災の中、孤立障害者困っている障害者を出さないよう、今
後さらに各県と綿密な情報交換と対話をしながら活動をしていく。
福島で大震災の津波で失われたひとつの命。筋ジスの佐藤真亮さん。享年35歳。人工呼吸器使用、車イス生活。いわき自立生活センターで、週3日、わずかに動く指で、パソコン入力作業に従事。海べりの家で祖母とのふたり暮らし。
3月11日、いつものように、作業を終え、ヘルパーに送られて、午後2時過ぎに帰宅。次のヘルパーが来るまでに、1時間空いていた。午後2時46分大震災発生。津波が襲来。近くの親族が駆けつけ祖母共々連れ出そうとしたが、一緒に流された。助かったその親族は、助けようとしたとき、佐藤さんは、もう、あきらめましょうとつぶやいたとのこと。それが最後の言葉になった。読売新聞からの抜粋、要約。無念を心に、合掌します。
被災地障害者センターみやぎ・活動報告No.1からの抜粋。
被災地ローリング調査・全県に渡る被災状況を調査するために、北地域・仙台市地域・南地域の3ブロックに分け、それぞれにチーム1チーム、調査ボランティア2、3人ごとの活動を行い、調査報告書及びミーティングでの調査報告を行ってきた。時と共に変化する被災地の状況に対し、より有効な支援をするため、チームごとの地域状況の引き継ぎ、情報の共有化、事務局の他団体との調整・協力等を行っていった。主に、避難所を中心に調査を行っているが、各避難所には、代表者もしくはリーダーを中心に自治がなされ、役割分担も明確化されてきている。各所には地域の保健師、看護師、職員、他ボランティア団体看護師等の専門職等が常駐または巡回の形でかかっている。但し、個人情報保護法・地域の特性、習慣等の為、障害者自身との面談はなかなか厳しい面がある。
丁寧に信頼関係を構築しながら、情報を得るという時間のかかる作業が必要ではあったが、各ボランティアスタッフは根気強く熱心に、困っている障害者を支援する為活動を継続している。
以上!

ヒデの救援レポート5月13日:15

おわび
河野秀忠氏の「ヒデの救援レポート」をしばらくブログに掲載できませんでした。もうしわけありませんでした。ある読者のご厚意により、過去のレポートを送っていただきました。古い情報ですが貴重な記録ですので掲載します。
ヒデの救援レポート5月13日:15
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月10日までに、127986329円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ゆめ風基金事務所は、新幹線新大阪駅東口を出て、JR東海道線の線路沿いに、南へ100メートル。ふたつ目の大きな角を、東へ曲がり、20メートル先のマンションの1階にあります。
お隣りは、そのマンションも管理している住建設という、不動産屋さんです。以前からは、ご近所のひとたちから、この団体は何者かと、胡乱な目で見られていて、ほとんど交流は、無かったのですが、東日本大震災以降は、ゆめ風基金のことが、新聞やメディアに取り上げられることもあって、その新聞などを読んだらしく、不動産屋さんの事務員さんたちの、事務所を見る目が変わってきました。
ある女性事務員さんは、救援金を届けにおいでになりました。
ある日の夕方、腹が立つけれど、室内全面禁煙なので、ボクひとりで、事務所前で、ぷかり、ぷかりやっていたところ、その女性事務員さんが、そろそろと近づいて来て、声をかけてくれました。被災地の方は、どうなっていますかとのことだったので、障害者や高齢者は、避難所生活が厳しい、褥瘡が悪化しても、治療> が受けられない、とかのことを話すと、その女性事務員さんは、突然、涙をボロボロと流して、そうでしょ、そうでしょ、みなさんひどい目に合っておられるんでしょうねと、とかぶりを激しく振られたのでした。
そして、いつも、あなたがたの頑張りは見ていますよとも。他の義援金は、なかなか被災地に届けられないのに、あなたがたの救援金は、素早く届けられると、聞いています。そんな団体は、あなたたちの団体だけです。救援は、長引くでしょうが、頑張ってください。私は、何も出来ませんけど、少額ですが、救援金をまたお届けしますねと。それから、最後に、私の母親も、車イス生活なので、被災地のことは、とてもひと事とは、思えないんですと、涙を拭われた。
ボクは、タバコの火が燃え尽きることも忘れて、呆然と、そのひとの言葉に、聞き入るばかりでした。縁は、心を発信すれば、いつも、どこかで、つながるものなんですねぇ。
前回お知らせしましたように、被災現地に常駐している、ゆめ風基金理事の八幡さんが、5月20日に、一時帰阪しますので、被災地の救援活動報告会を開催します。
時・20日、午後6時30分より、所・市民交流センターひがしよどがわ:旧東淀川人権センター:旧日の出解放会館:会議室にて。新幹線新大阪駅東出口裏側から、北東へ五分。ゆめ風基金事務所とは、反対側です。各位のご参加をお願いします。
事務所に届けられられた案内から。被災障害者支援チャリティー大正琴コンサートを開きます。お近くの方は、ぜひいらしてください。6月5日、日曜日、午後2時から4時。神戸市灘区民ホール。阪急六甲駅、王子公園駅下車。問い合わせ先。エヌピイオウ法人ボレロ。電話、078-881-4721。
ホームページ:小規模作業所ボレロで検索。
6月4日、前夜祭。5日本番の、被災地仙台での、とっておき市民音楽祭に、ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんをはじめとして、ゆめ風基金も参加します。事務所のメンバーも、準備方々、3日から参加することになりました。ゆめ風基金呼びかけ人のおひとり、作家の山田太一さんからのメッセージ。代表の牧口さん。白い紙に:ことば:とのこと。どうも難しくて、妙なことになりました。不都合でしたら、使わないでください。私もこの津波にはびっくりして、あちこちに寄付などをしましたので、沢山集まっているゆめ風にはしません。どうも根性が歪んでいて、すみません。山田太一拝。いかにも山田さんらしいメッセージですね。言葉の奥底から、匂い立つ、優しさを感じますよ。ヒデ。
ゆめ風基金事務所の皆様へ。先日は、ゆめごよみ、風だよりと領収書をお送り下さりありがとうございました。私は足が悪く、自力歩行は出来るものの、階段などは手すりがないと上り下り出来ません。もちろん重たい物なども運べません。しかし幸いなことには仕事や仲間に恵まれ、休日は、買い物や食事行ったり、好きな歌手のコンサートに出掛けたりしています。
私は、障害者でありながら、全く障害者団体のことも知らず、活動に参加したこともありません。もちろん、永さんのラジオで紹介されるまで、ゆめ風基金のことも知りませんでした。こんな私ですが、ぜひ会員にさせて頂けたらと思います。年に千円ならば長く続けられそうです。ただなかなか郵便局に行かれませんので、パソコンからの振り込みとさせて頂きます。
また活動内容は、ホームページで見られますので、ゆめごよみ風だよりの送付や領収書は不要です。パソコンは、週に1、2度開きます。何かお手伝い出来ることがありましたら、連絡頂ければ幸いです。千円は、7日に振り込む予定です。
浦和区のケイさん。
医療的ケア連絡協議会機関誌:空とぶくじら:巻頭文。この度の東日本大震災により、多くの命が失われましたことに深く哀悼の意を表し、また、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。地震、津波に、原子力発電所の事故が重なりました。障害を持つ方々の避難生活が少しでも快適に過ごせますよう、また1日も早い復興を祈っております。
仙台・たすけっとに届けられたお見舞い文。初めまして。ゆめ風基金に加盟しております福井県エヌピイオウ法人福井市手をつなぐ育成会と申します。先般の東日本大震災では、仙台も激しい揺れに遭われ甚大な被害を受けられたとのこと、心からのお見舞いを申し上げます。御地の現状をゆめ風基金より派遣されていた橘高事務局長より聞き及び、この度の想像絶する震災被害の甚大さに心が痛みます。復旧には大変なご苦労もあるかとは存じますが、1日も早く日常が戻りますことを切にお祈り申し上げます。
本来なら、直ぐにもお手伝いに駆けつけたいところですが、遠方でもありそれもかなわず、心ばかりのお見舞いとしまして、ゆめ風基金ネットふくい、福井市手をつなぐ育成会、コミュニティーネットふくい、ひまわり会より、福井市でも有数の水揚げ量を誇る腰回漁港の海産物を送らせていただきます。おいしい魚で皆様のお心が少しでも和らいでいただければ、幸いです。略儀ではございますが、まずは書中をもちましてお見舞い申し上げます。
社会福祉法人ヒューマンライツ福祉協会:部落解放同盟系:の屋代さん、岡田さんのお二人が、ゆめ風基金事務所においでになり、協会職員を交代で、ボランティアとして被災地に派遣するために、現地調査に行きたい。ついては、現地の救援組織と連絡が取りたい。とのことでした。当然のこととして、宮城に、常駐している、ゆめ風基金八幡理事とつなぎました。
ところで、この屋代さんは、視覚障害者で、ボクの住まいする、大阪府箕面市の中学校の先生の息子さんで、ヒデも小さい頃からよく知っている人物でした。大震災がもたらす、偶然の再会でしたね。

ヒデの救援レポート5月11日:14

おわび
河野秀忠氏の「ヒデの救援レポート」をしばらくブログに掲載できませんでした。もうしわけありませんでした。ある読者のご厚意により、過去のレポートを送っていただきました。古い情報ですが貴重な記録ですので掲載します。
=====ヒデの救援レポート5月11日:14===============
先日、東京に拠点を置く、難病ネットワークに参加している、人工呼吸器をつけた子の親の会・バクバクの会大塚会長から連絡があり、難病ネットワークに集まった被災障害者支援の義援金の配分をする委員に、選任されたけれども、そのような経験が無いので、ゆめ風基金では、どのような配分の仕組みで救援金を配分しているのか、参考にしたいので教えて欲しいとのことでした。
もちろん、難病ネットワークと、ゆめ風基金は、組織の形や目的も違いますから、単純に同等の支援金配分にはなりませんが、とりあえずのゆめ風基金の支援金支給の仕組み、個別救援と支援拠点作りに始まる、顔の見えるつながり支援の粗筋と仕組みを伝えました。参考になるかどうか、分かりませんが、こうして、全国の障害者関係団体に、被災地への救援、支援の力が広がるのは、とても嬉しいことですねぇ。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月3日までに、108965688円。5月7日までに、114902622円です。これまでに支援した団体、個人への金額。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。とうとうと言うか、やっとと言うか、ボクのからだがストライキを起こしてしまいました。3月11日に、東日本大震災。12日、13日に宮崎への取材。その後、統一地方選挙後半戦との2足のワラジ。その他に、原稿書きと、ボクが関係する団体の会議参加を除いて、被災障害者救援のために、ゆめ風基金事務所に、大した役にも立たず、非力ゆえに、労働力にもならないのに、詰め続けてきました。
1日も休まず、連休もぶっ飛ばして、2ヶ月間。被災地のことを考えればのセリフを念仏のように、唱え続けてです。でも、そんな生活態度に、ボクのからだが反乱を起こしたようです。
6日の朝、ベッドから、立ち上がれなくなり、へたり込んでしまったのです。年は争えません。アカンです。だから、7日と8日の日曜日は、休みました。1日中、ぼうっとして、からだに謝罪しました。また、9日からは、まだまだからだが重いのですが、救援活動戦線に、スローテンポで復帰しています。また、踏ん張ります。明日来る朝のために。被災地のひとびとと目指す、人間の未来のために!人権ヤクザと陰口を叩かれている、ボクにも、限界は、あるんですよぉ。(泣)
名古屋のIさんからのお便りから。
ゆめ風基金事務局御中・先日は、資料をお送り下さり、お忙しい中、本当にありがとうございました。お返事が大変遅くなりましてすみません。実は私は緑内障で視覚障害があるので、本日やっと友達に資料を読んでもらい、この文章も書いてもらっています。そして、一緒に郵便局へ行って、入金もしてきました。永さんが年間の会費は、500円以上いくらでもと言ってみえましたので、1000円とさせてもらい、別として、今回の募金として、5000円を入金させて頂きました。少額で申し訳ありませんが、これからも続けていくつもりですので、よろしくお願い致します。復興には、何年もかかると思われます。原発はまだ進行中です。障害を持った方々が少しでも良い方向に進まれる為に支援を願っています。
AJu自立の家のヒアリング調査からの、要約、抜粋です。
○83歳女性。車イス使用。避難所にボランティアはいたが、受付や配給の対応に当たっていて、介護は、被災家族がするしかない。名取市避難所。
○14歳女性。胃ろうによる経管栄養摂取。避難所でも医療的ケアは必要。小学校の隅での避難所暮らし。吸引などの器具は、支給される飲料水で洗浄。経管栄養剤などは緊急物資として届けられた。介護は、主に母親。石巻市避難所。
○60歳代夫婦。夫は、脳出血で半身マヒ。津波に逃げ遅れ、3日間、自宅2階で、孤立生活。車イス、補装具使用。補装具のマジックテープの締め付けで、内出血。バケツの足湯を採用。避難所の自衛隊の風呂は深過ぎて入れず。山元町避難所。
○93歳寝たきり。娘のKさんが、介護。褥瘡が悪化するが治療はない。介護者の体力が限界。東松島の保健センターにつなぐ。東松島市避難所。
○65歳女性。障害者手帳1種2級。自宅は、流され消失。避難所に来てからは、ほとんど動いていない。:自分は、時間がかかるし、みんなと同じように風呂には入れない。迷惑がかかるから諦めている:と言って、風呂に入っていない。気仙沼市避難所。
○気仙沼市障害福祉課の職員。市内には、障害者が3000人いる。内、知的障害者が500人。精神障害者も多数。身体障害者の中でも、重度者の割合は多い。そのひとたちの安否確認や、どこの避難所にいるかは、把握していない。気仙沼市役所。
○40代女性。車イス生活。高校生と小学生の子ども、夫の4人で避難所暮らし。避難所内での車イス移動が困難。段差があって、ひとりでは、トイレに行けない。:独りきりになる日中が辛い。動けないので、ずっと座っている。:と話している。気仙沼市避難所。以上。
仙台に常駐している、ゆめ風基金理事の八幡さんが、月1回の帰阪報告のために、5月20日頃に、一時的に帰ってきます。また、被災地状況報告会があるかも知れません。その折には、ご案内致します。
被災地障害者センターふくしま・みやぎ・いわて3県共通ボランティア受付票が届きました。
○活動場所希望箇所がある場合は、ありに丸を囲むと同時に岩手、宮城、福島のいずれかをお書きください。希望がない場合は、こちらの方で派遣先を決めさせていただきます。また福島については原発の影響があるため希望先がない場合でも派遣可能かどうかをご自身で選択してください。
●お願い:活動期間は最低1週間お願いします。
:被災地障害者センターの支援活動はさまざまです。専門分野、専門知識を生かせない場合もありますが、どんな活動にも参加していただきます。しかしどの活動でも被災した障害者の方々への支援につながります。
:活動中は、被災地障害者センターの一員として活動していただきます。:活動を通して知り得た情報は秘密厳守をお願いしています。個人参加の方はお住まいの地域でのボランティア保険加入をおすすめします。
●活動中の生活について:宿泊施設は準備していますのでそちらに宿泊していただきます。共同生活です。
:派遣先ではライフラインや物流がほとんど復旧していて、通常の生活を送れます。:洗濯機はありませんが近くにコインランドリーがあります。
:入浴は宿泊施設にありますし、近くに銭湯もあります。
●持ち物について:活動着・動きやすい服装:保険証・布団はあります。:防寒着・寒さ対策:現金:洗面具・タオル、歯ブラシなど。:足りないものがあっても、購入できる環境なので心配いりません。
●ボランティア総合受付先・被災地障害者センターみやぎ・電話
22-746-8012/FAX022-248-6061、以上!
ゆめ風基金・近畿ろうきん募金プロジェクトのお知らせ:ゆめ風基金では現在、仙台、郡山、盛岡に障害者救援活動の拠点をおき、各場10数人のボランティアスタッフが日々、被災障害者の把握とサポートに努めているところです。その中で一般避難所での生活が厳しい障害者の緊急避難所が急務なことから、現在の拠点のほかに宮城県北部、南部、岩手県沿岸部・釜石付近に、障害者駆け込み寺・相談と避難所の機能をもつ場所・を設けるべく準備しているところです。さらに福島県から避難する障害者の受け入れ体制として、新潟市内に後方支援センターを立ち上げました。このように長期かつ広範囲にわたる支援活動が必要であり、すべての基金を投入するつもりですが、圧倒的な資金不足を痛感するところです。
このような中、かねてから障害者拠点への融資などで提携してきた近畿ろうきんが、ゆめ風基金を資金的に支援する募プロジェクトを立ち上げられました。プロジェクトの内容は次の3点です。
●近畿ろうきん営業店に募金箱を設置。
●近畿ろうきんの会員・労働組合、生協など・に募金の呼びかけ。近畿ろうきん窓口からゆめ風基金ろうきん口座への振り込み手数料の無料化。
○金融機関として、恐らく全国初の取り組みと思われますので、広く知らせていただければありがたいです。どうぞよろしくお願いします。この件に関してのろうきんへのお問い合わせは、●ろうきん地域共生推進室・谷口さん、法橋さん。
電話06-6449-0842番です。
兵庫県の熊野さんとおっしゃる弁護士さんが示された、被災時における個人情報保護についての見解からの要約、抜粋です。
・被災時に支援者が、被災障害者の所在に関する情報を求める権利:自由権条約19条2項:と障害者のプライバシーの権利:17条:は、衝突する場合があると思います。しかし、被災障害者には支援者に関する情報を求め、受け取る権利があり、これは行政の援助なしには実現しません。行政が、支援者の実態に関係なく一律に情報開示を拒否するなら被災障害者の権利の侵害になると考えます。また、17条の権利は、:恣意的または不法に干渉:されない権利を保障したもので、生命の危機のある人を支援するために必要な情報を求めることは恣意的で
も、不法でもありません。すべての個人は、自由権条約前文で、他人、社会に対し義務を負い、人権を擁護する責任を負っています。その条約上の義務を果たすために情報を求めるのですから、少なくとも、恣意的、不法とは言えません。国内法は、条約に違反できません:条約法に関するウイーン条約27条。憲法98
条2項。開示を拒否する行政があれば、私でよければ、申し入れする用意があります。
以上!

車いす女性上れず犠牲-津波被害の岩手・大槌町 財政難で未整備

障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワークMLからの転送です。
◆車いす女性上れず犠牲―避難路の石段 改善要望したのに…
  津波被害の岩手・大槌町 財政難で未整備
(2011年6月4日中国新聞)>
岩手県大槌町で車いすのお年寄りの女性が避難所に通じる石の階段を上れず、犠牲になった。町内会は車いすでも避難できる経路を整備するよう町に要望していたが、財政難などを理由に実現していなかった。町内会の「行政の対応遅れ」との指摘を受け、町は防災計画を根本から見直すとしている。
上記記事(2011年6月4日中国新聞)>

第5回障害者救援本部会議

本日、6時半より第5回障害者救援本部会議を開きたいと思います。
この間の動き(救援活動、東京救援本部会議、被災地)のご報告と、これからの動などについて話し合いたいと思います。
どうぞご参加ください。
とき 6月6日(月)午後6時半から
ところ 大国町 パーティパーティ (地下鉄大国町からすぐ)
大阪市浪速区敷津東3-6-10
TEL・FAX  06-6649-0455

被災地のゆめ風基金会員様から

5/31 宮城県宮城郡
☆近況をお知らせください
何かお困りのことがありましたらお知らせください。
伊丹さんよりお願いをされました渡辺です。何が困っているか?色々な方に訊かれますが、これとすぐには思い出せません。
避難所から仮設へと行き、ひとりひとりの心の中に何かしらの思いがあります。
外と部屋の中でのさがない方もいますが、準備しましたお風呂の段差も…これからも何かありますが協力があることと心からの思いやりと穏やかな気持ち、前向きに行きます。

☆障害者の様子がわかればお知らせください。
なんでもかまいません。

障がい者の方々も元気にがんばっているのですが少し心のケアも大切な様な気がしますので、ひとりひとりにあったケアが出来れば良です。
皆んながいるとがんばり元気にしていても、とてもひとりになるのがこわいと言う人々もいます。
お話し相手がほしいと思います。障がい者の方々も元気にがんばっています!!ありがとうございました!!

ヒデの救援レポート6月2日

ヒデの救援レポート6月2日:21
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、5月28日までに、149996399円。5月30日までに、150947733円です。これまでに支援した団体、個人への金額。このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
 ボクの友人のひとりに、大阪の吹田市にある、浄土真宗本願寺派・千里寺の住職をしている武田達城さんというひとがいます。このひととは、20年以上前から、人権市民フォーラムなどを共に活動してきた仲間で、宗教者としては、稀有な人物として、ボクは信頼しています。障害者差別の法的根拠となる、臓器移植法改定阻止運動でも、反対の論陣を積極的に張られたひとでもあります。その武田さんが寺報、:如是:というミニ新聞を出されているのですが、それを紹介します。
 如是6月・823号:震災支援に対する御礼:前号で東日本の震災に対するご支援をお願いいたしましたところ、皆さまから多くのお力添えをいただきました。活動支援金や生活用品を届けていただき、また遠方よりセット仕分け作業に駆けつけていただきました。この場を借りまして衷心より厚く御礼申し上げます。
 一人ひとりができることもあれば、共同体だからこそできることがあります。私は全国に100名の会員が活動する同朋運動を続ける会に入会しています。この会のメンバーと、力を合わせてできることを探すことにしました。4月3日、4日に仲間が現地に向かいました。仙台空港がまだ使えないので、空路福島からレンタカーで石巻に北上し、仙台、相馬と南下しながら、活動拠点となる真宗寺院を探しました。地震による倒壊や津波の被害を受けていないこと、地域に広く開かれた寺院であることが条件でした。西本願寺仙台別院は、残念ながら同じ宗派の寺院を支援し、同信の仲間を助ける方針で、困っている人にわけへだてなくという私たちの考えとは一致しませんでした。西本願寺にあるたくさんの大きな義援金の箱は:無関係な人や違う宗教の人は支援しませんと書いているようなもので、まことに恥ずかしいことです。自身が地震による大きな被害を受けながらも、地域の人々のために活動しょうとされている宮城県亘理町の真光寺を拠点とすることに決め、担当の行政と相談した結果、亘理町の仮設住宅1000戸分の生活用品セットをすべて用意することを約束いたしました。あまねく多くの人々の知恵と力をいただいて、なんとか3分の2まで真光寺を経由して亘理町の仮設住宅に届けることができました。真光寺の門徒の皆さんには、大変根気の要る作業にもかかわらず、本堂での仕分けセット化を何度も快く引き受けていただきました。5月29日(日)には、いよいよ最終セットが10トントラックで大阪の拠点を出発します。私も千里寺での法事をつとめたあと空路仙台まで追いかけて、皆さまのお心が確かに届いたかどうか、この目で確かめてまいります。また次回にそのときの報告をいたします。まことに有り難うございました。2011年5月中旬・住職・仏教者なのに、共通暦の締めが素敵ですね。以上。
 
 ゆめ風基金事務所が、空っぽになる危機。6月3日の夕方から、夜行バスで、仙台のとっておき市民音楽祭・ゆめ風基金呼びかけ人代表の歌手の小室等さんも参加・の準備のために、橘高事務局長が3日から、6日まで。沼野臨時スタッフが3日から、仙台から、東京での小室さん50周年記念・被災者支援コンサート会場調整を経由して、7日まで。南事務局員&理事が、3日から1週間、支援活動のために、現地障害者支援センターに留まります。その間は、ゆめ風基金事務所には、細谷臨時スタッフと、ボクしかいません。なんとも、かんとも、心許ないことです。ホント、弱小団体ではありますね。まぁ、帰って来たらば、現地報告をすることは、義務ですな。
 被災障害者救援本部おおさかの会合が、これからの救援方針を巡って、6日、午後6時30分から、地下鉄大国町駅下車すぐの、事業所パーティー・パーティーで開かれます。事業所の電話は、06-6649-0455です。また、12日、午後3時から、豊中障害者の自立を支えるサポートネットワークの主催による、豊中市危機管理室のひとと、ゆめ風基金八幡理事による被災現地報告講演会が行われます。会場は、生活情報センターくらし館・豊中市役所の近所です。このふたつの会合に、ぜひとも、足をお運びください。サポネの電話は、06-6846-7781です。変わらぬご奮闘、感謝とともに見守っております。
 さて、私どもの方に、お一人の方からゆめ風基金へと100万円の寄付が寄せられ、本日1日、送金いたしました。匿名寄付となることも了解されていますが、入金の報告と、できれば現地での支援の動きなどをご報告したいと思います。
 「入金を確認されましたら、領収書と最近のニュース等、適当な資料をお送り下さるようお願いいたします。なお、領収書は:市民の声ねりまあてにお願いします。これからも応援してまいります。引き続きのご活躍を期待しております。2011年6月1日・市民の声ねりま」 以上

~大震災の現場から感じたこと~ そうそうの杜の現地報告集

 社会福祉法人そうそうの杜から、被災地の障害者支援ボランティアの体験報告集(機関紙第27号)が届きました。そうそうの杜はゆめ風基金の避難所調査に協力していただいたことがありますが、今回の地震発生後、支援ボランティアの派遣を決め、希望者を募り4月14日の第一次派遣から現在まで継続的に2、3名のスタッフが支援活動に参加されています。
 
 今回届いた報告集では震災後一ヶ月で生々しい傷跡が残った被災地で、障害があるためにより理不尽な困難の中で身をかたくする障害者の現実が報告されています。
 ある所では、「ゆめ風基金さんにお願いするようなニーズはありません」といわれたり、「ここには障害者はいません」といわれたりするところから粘り強く呼びかけ、個別のニーズに対応した支援活動を広げていったことが報告されています。また、現地の支援活動の母体「CILたすけっと」のみなさんの献身的な活動と人柄に敬服されたこととともに、現地のスタッフがたおれてしまわないかと、とても心配されています。
 今後、このことについても現地のスタッフの議論を待ち、必要な支援を考えなければならないと思っています。
 この報告集をごらんになりたい方は、リンクしましたそうそうの杜のホームページからダウンロードできます。
トップページからメニュー「機関紙・想創奏」をクリックし、「第27号」をクリックしてください。
(マイクロソフト・ワード文書)
 報告集から一部を転載させていただきます。
~大震災の現場から感じたこと~
 人は日常から引き裂かれるほどの大きな出来事に遭遇した時、何が現実で現実でないかわからない精神の状態に置かれるのであろう。それは直接その出来事に遭遇したのではなくても、今回の震災跡(それでもかなりがれきも片付いた跡)を見るだけで同じ感覚に陥るほどであった。ならば直接この震災を体験し、津波で全てを失くし、全てが無くなった町を見ている被災した人たちの心は、どうすれば回復できるのか、手立てはあるのか、途方にくれる。
 日常性の断絶から回復するための個々人の立て直しと、社会の立て直しの二つの側面にどんな「支援」が存在するのかを考えさせられる。
 
  今回は、ゆめ風基金のボランティアとして障害のある人の支援にあたる。現地調査の結果、特に知的障害のある人は避難所にはいないというか入れない。そのため家にいれる人は自宅か親戚の家に本人だけを預けるか、一旦施設に預けるかしている様子があった。中には自閉症の子どものいる家庭が避難所にいて、うるさいことを理由に別室に行くように言われ、周りと孤立してしまっている状況もあった。しかし、こうして見える障害者はまだ支援の手立てがあるが、地域の特性から、見えない障害者が多い。
  もともと障害福祉サービス利用者が少ないのである。南三陸にあたっては、知的障害者の移動支援利用、居宅介護利用とも0人、作業所は一つだけで17名の利用のみで、精神の障害サービスとも大きな法人1箇所が全てを担っている。情報としては1000人の障害手帳交付があったそうだが、こうしたことからもいかに障害サービスを受けている人が少ないかがわかる。そして今回は行政機能も全て流され、書類も残されていない状況の中で、要援護者リストどころか、特別な支援を必要とする人たちが完全に見えなくなってしまっていた。また大きな法人1箇所が力を持ってしまっているので、支援が完結してしまっているかのような動きになる。
  そうした現状から今「個々」に必要なこと、これからの「個々」「地域」のために必要なことは、地域の人とつながって、困っている人がいないかを丁寧に拾い上げていき、支援につなげていく。そして今後の地域を、地域の人達の手で作ることのできるバックアップをしていくことが必要である。こういう時はせめて運動団体や障害種別の枠を超えて連携して欲しいと強く思う。(現状は腹立たしいほどに連携ができない。悲しい程)
  
 私たちが生活している所でしなければならないことは、障害のある人や高齢者が埋もれてしまわないように、福祉避難所の設置は急務である。また要援護者リストの作成と災害時のリスト開示方法を地域の中で確立していくことは必須であることを認識できた。
 普段から垣根をなくした地域を作っておくことが障害のある人もない人も救うことになる。地域を守ることになる。
 日常性の断絶から回復するために、地域を作り、一人一人の世界が崩れないように支えていくこと・・・・・・それしか今は考えられない。
そうそうの杜のホームページ