とっておきの音楽祭

 仙台で開かれる「とっておきの音楽祭」まで、あと一週間になりました。
 6月4日の前夜祭は「ゆめ風コンサート神戸~仙台」というコンセプトで開催されます。短い期間にも関わらず、「とっておきの音楽祭」とゆめ風基金が出会ったことはゆめ風基金にとってもとてもうれしいことです。
 ゆめ風基金がこの音楽祭に参加することを願って努力してくださった被災地障がい者支援センターみやぎのひとたち、当初1、2曲でも出演することを快諾してくださった小室等さん、前夜祭に出演してくださるさとう宗幸さん、出演するミュージシャンでありながら、現地スタッフとステージの打合せに心をつくしてくださった加納浩美さん、ほとんどプログラムが決まっている中で小室さんのステージを確保し、さらに前夜祭をゆめ風基金といっしょにプロデュースしてくださった実行委員会のみなさん、そしてこの音楽祭を特別な思いで準備されたすべてのみなさんに、心から敬意を表します。
 6月5日には市民広場の一角にゆめ風基金のブースを借り、被災地障がい者支援センターみやぎと協力して被災し困っている障がい者の相談受付をする他、ゆめ風基金の活動を紹介します。
 大阪のゆめ風基金の事務局からも3名が現地に入り、何か手伝えることをしたいと思います。
 
 「歌の力」とよく言われますが、被災地のひとびとひとりひとりが体験したそれぞれのかなしみ、おそれ、不安、絶望はそのひとにしかわからないけれど、その心に寄り添い、止まった時間をゆっくりと動かし、そのうごきはじめた時間を共に歩むための道を照らすことはできるかもしれません。それを、「希望」と呼んでもいいのかもしれません。
 大きすぎる悲しみが、その悲しみをこえて希望に変わることがあるとしたら、寄り添う心と心がともに生きようとする「友情」なくしてはかなわぬことでしょう。歌はそのプロセスの中で生まれ、歌い継がれ、それを必要とする心に届くのだと思います。
 テレビの歌番組や劇場で歌われ、聴かれる歌よりも、「とっておきの音楽祭」で市民が歌い、市民が聴くストリートでの歌の数々は、たくさんの無念のいのちをなぐさめ、いまを生きるひとびとの希望をたがやすことでしょう。
 心に深く、大地に広く、歌は流れる 
 東日本の方々へのご案内になるかもしれませんが、みなさんのご参加を心よりお待ちしています。
 

被災地の障害者作業所の物づくりを支援すること

 昨日、京都府相楽郡の相楽作業所で「東日本大震災関西障害者応援連絡会」の会議があり、参加させていただきました。
 相楽作業所は16年前の阪神淡路大震災の時、救援物資を何度も運んでくださったことを思い出します。今回の震災でも相楽作業所と京都、奈良のグループが集まり、被災地の友人グループの紹介で福祉避難所に入り、支援活動をされてきました。
 相楽作業所は「ゆめ風ネット京都」を引き受けてくださっていることもあり、ゆめ風基金の事務局も出席させていただきました。昨日の会議は現地の支援活動の報告と今後の活動について話し合われました。
 つながりのある障害者作業所から紹介されて、約70人の障害者と家族が避難している石巻の障害者作業所を支援されてきました。現地の窓口になっているスタッフと綿密に相談しながら、地震直後から現在まで刻々変わる要望に対応するために、このグループの各作業所が連携してその時もっとも必要とされることを実行する支援活動は、被災者にとても喜ばれたそうです。
 「直後の支援活動は知り合いや友人などそれまでにつながりのある所から支援を始めないと、いま困っているひとたちのニーズに応えられない」と現地にいち早く入り、支援活動をして来られた行動力に頭が下がりました。
 ゆめ風基金は被災地障がい者支援センターを通じて、一般避難所や自宅、福祉施設の避難所などにおられる被災障害者の介護をしたり支援物資を届けたりと、個別ニーズに徹する支援活動をつづけています。「必要な時に必要な支援活動を」というところで、相楽作業所などのグループの支援活動とつうじるところが大きく、とても心強く思います。
 今後はいままでの支援活動をつづけながら新しい支援として、被災地で障害者作業所が作っている商品をネットワークでの販売を始めることになり、すでに会議室の横の和室に宅配便の段ボールがいっぱいありました。このグループは何をするにもフットワークが軽く、福島県の作業所が風評被害で困っていると聞くと、すぐに現金で商品を買って来た他、岩手にも商品販売のために調査に行き、商品カタログといっしょにたくさん送ってもらったそうです。
 テレビなどで被災地支援の一つとして被災地物産フェアーやイオンなどが支援プロジェクトをはじめたと報道されていますが、わたしたちは被災地の復興の過程で障害者や高齢者が対象となるのではなく、復興の担い手として参加していくことの大切さを訴えていきたいと思います。
 障害者作業所の物づくりは長い間「福祉」の枠の中でしかとらえられて来ませんでしたが、実はいま注目されつつある「社会的企業」の経済活動として評価される時が来るとわたしたちは思っています。今度の復興は、日本社会全体のありようが問われる中で進めなければなりませんが、障害者が福祉の対象ではなく、福祉の担い手として、さらには社会の構成員として参加していくことで、よりやわらかく豊かな社会を実現する役割を果たすことかできるとわたしたちは思います。そのひとつの方法として、まずは被災地の障害者作業所の物づくりを支援していくことが必要ではないでしょうか。
 夢は大きく、行動は地道に、できることから始めていけたらと思います。
文責 事務局員 細谷常彦

被災地報告会に50名の方が参加され、充実した報告会になりました。

 5月20日、ゆめ風基金・八幡理事の被災地報告会には約50名の方々が参加してくださいました。今回の報告会では4月の終わりから5月のはじめにかけて現地でボランティア活動をされた方々も多数参加されていて、お一人お一人の体験を通じて感じたことや課題などがつぎつぎと報告され、とても充実した報告会になりました。
 支援活動の中味は、今もつづけている安否確認、一般避難所や福祉施設の避難所と自宅にいる障害者の介護、支援物資の配達などですが、他の支援活動とちがうのは個別ニーズに対応することを徹底的に実行することです。
 現地のボランティアとして活動された人たちが異口同音に語ったのが「ニーズがなかなか上がってこない」ということでした。ある所では、行政が「すでに調査は終わっています。ゆめ風基金さんにお願いするようなニーズはありません」といったそうです。また、一般の避難所でも「障害のある方はいらっしゃいませんか、困っておられることがありましたら連絡してください」と呼びかけたりチラシをおいたりしても、「はい、わたしは障害者です」と名乗ってくれるはずもありません。結果、「ここには障害者はいません」といわれてしまうのでした。
 それでも、粘り強く呼びかけたり、個別のニーズに対応した支援活動をし続けることで、「こんなことも頼んでいいのかな」と声をかけてくれる人が現れたり、ひとりの障害者への支援を通じて、あの人もこの人もと教えてくださったり、反対に支援活動のことを伝えてくださったりして、少しずつですが確実に活動が広がっていったそうです。
 一般避難所での支援活動は、「みんな困っているのだから、あのひとだけというのは問題」とみられる反面、障害者に限らず特別のニーズを持っている人がいることを周りの人が知るチャンスにもなります。それがきっかけでいろいろなニーズが上がってくることもあり、またいろいろな人が助け合うコミュニティを新しくつくっていくことにつながったらというお話もありました。
 また、避難所には物資が届いていても、自宅に避難している人には物資が届かず、毎日物資を届けて、とても喜ばれたという報告や、「とにかく支援が早い」とほめられたこともうれしいことだったそうです。
避難所から仮説住宅へと移る時にバリアフリーになっているかどうか、また仮設住宅の改修はできないことになっていて行政との交渉が必要ということ、これから移送サービスなどもニーズが上がってくること、また親戚に避難していた障害者が仮設住宅に移ったときには介護が必要になることなど、支援活動が広がっていくことでさまざまな課題もあきらかになってきます。
 よりきめ細かい支援活動にするため、宮城では亘理町に南地区の拠点をつくり、近くにあった高齢者デイサービスにたずさわっていた職員を地域雇用した他、北の拠点も登米市のそば屋さんの協力でお店を借りることができました。また、岩手では遠野市に拠点を置くことですでに場所を借りました。
 被災地では連休後ボランティアの人数が急減して困っているということで、一週間以上活動できるボランティアの方を求めています。
 現地のボランティアとして活動された人たちが、現地のスタッフがたおれてしまわないかと、とても心配されていました。これから息の長い支援を必要としています。
 そこで被災地では支援センターの障害者を中心に障害者自身による支援体制をつくりだすため、関東や関西の障害者が被災地に入り現地の障害者との交流を深め、障害者による支援ネットワークを広げようとしています。子供の時は大きな町の支援学校での寮生活、大人になれば施設への入居か親元での在宅になってしまう地域事情は、地域での自立生活を支えるための福祉サービスの少ないことに結びついています。その状況を変えて、ひとがひととしてあたりまえに暮らしていく社会をつくりだすために、障害当事者がつながっていくことはいまもっとも必要とされることだと思いますし、現地を長期に支えようとするボランティアのひとたちに勇気を与えることでしょう。
 
 あっという間に時間がすぎてしまい、報告会は終わりました。
 八幡理事は23日に現地に戻る予定です。

現実の事とは思えない惨状。まるで空襲にあったかのような状況です。

 神戸の共働作業所シティライトのスタッフの溝渕裕子さんから現地レポートを送っていただきました。
 溝渕さんは16年前の阪神淡路大震災の時に神戸に来たボランティアでしたが、神戸の障害者運動の一員として活動されています。
 ゴールデンウイークの一週間、東北に行ってきました。ゆめ風基金が地元の障害者団体と共同で設立した、被災地障害者センターで活動するためです。
 仙台で2日間、その後の5日間が岩手でした。被災地障害者センター岩手は盛岡に拠点があります。そこから被災地の沿岸部までは片道二時間半~三時間もかかりますが、そこを車で往復する毎日です。
 宮古市、釜石市、大船渡市などの避難所や障害者作業所、社協などをまわったり、保健師さんなどに聞いたりして、障がいのある方を探し、状況を聞いたり、ニーズに対応するなどをしました。これら沿岸部の被災状況は、そこにいながらにして、現実の事とは思えない惨状。まるで空襲にあったかのような状況です。
 避難所めぐりをしましたが、避難所になかなか障害者がいません。元々、大型入所施設が幅をきかせており、地域で生活している障害者自体が少ないのです。また、避難所で過ごすことができず入所施設に入ったり、親戚の家に避難したりしている方も多いようです。それでも何人かの方にお会いすることができました。元々様々な課題がある上に、震災がおきて問題が少しずつ表面化した感じです。
 震災から2ヶ月。仮設住宅への引っ越しも少しずつ始まってましたが、まだまだこれからです。しかし、被災地には様々な解決すべき問題が山積しているのに、圧倒的にボランティアが少ない!阪神淡路の時はボランティア元年と言われるほど、たくさんのボランティアが来ていました。しかし今回本当に少ないのは、原発事故などの影響もあるように思います。私も後ろ髪を引かれる思いで神戸へ帰ってきました。
 東北には、神戸よりひと月遅れの桜が咲いていました。小さな漁村で、いつもだったらみんなで花見をしてるのになあ、と寂しげに桜を眺めていたおばあさんに出会いました。いつかまた桜を楽しめる日がくるよう、これからも被災地を見続けていきたいと思います。

ゆめ風ネット・しまねの太田明夫さんが中国新聞に寄稿されました。

ゆめ風ネット・しまねの太田明夫さんが中国新聞に寄稿されました。太田さんは被災地障がい者支援センターいわてを通じて支援活動をされました。その活動を通して感じられたことをとても的確に書かれていますので、ご紹介します。ゆめ風基金のこともご紹介いただきました。ありがとうございました。
中国新聞「今を読む」2011年5月15日 太田明夫さん

被災地の支援活動で走り回る車窓から

 現地の支援活動は一般避難所や福祉施設の避難所、あるいは自宅におられる障害者の生活介護や支援物資の配達と、いまだ孤立したままの障害者がいないかと安否確認などするために、車で走り回る毎日です。
 一つの避難所から次の避難所へと、移動する車の車窓から見る被災地の映像が現地から送られてきました。
テレビの報道で見ている映像ですが、その風景画を映している人が向かう場所、そこで待っている障害者の姿が目に浮かびます。