「働く」実態調査報告書(第1報) 被災地障がい者支援センターふくしまより

被災地障がい者支援センターふくしまより
2011年11月19日
就労系事業所のみなさま
                   被災地障がい者支援センターふくしま
                          代表    白石清春
「働く」実態調査報告書(第1報)の送付
冬の気配が感じられる頃となりました。
毎日の作業所での仕事はどのような具合ではしょうか。
大変お忙しい中でご協力いただいた「働く」の実態調査、本当にありがとうございました。
遅くなりましが、第1報の報告書ができましたので、送付いたします。
みなさまの作業所での仕事は、以前の姿を取り戻されたでしょうか。
地震、津波に加え、原発事故の影響は、企業の撤退縮小、農林水産物の汚染、地産地消の
仕組みに打撃、購買力の低下など、多くの問題を生みました。
今後、作業所の仕事の減少が、そこで働く障がいのある人たちの工賃の減収問題と東電への賠償請求へと進んでいくこととあわせ、希望を持って思う存分働ける新たな仕事おこしや、除染による環境づくりに取り組んでいかなければ解決の道はないことは、明らかです。
福島にとどまり、そこで暮らすことを決めた人々にとって、暮らしや仕事を取り戻す取り組みに、すべてのみなさんの知恵と力をお借りして、進めていかなければならないことを強く感じています。今後とも福島の総力の集結に、よろしくお願いいたします。
JDF被災地障がい者支援センターふくしまの福島県障がい者事業所(就労系、含む小規模作業所・地域活動センター)実態調査

隔月刊誌 Weより

プレ国際人権大学院大学講座での、ゆめ風基金理事・八幡隆司の講演を取材された報告記事が隔月刊誌 Weに掲載されました。「We」編集部のご協力で、転載します。


【報告】ゆめ風基金・八幡隆司さんのお話より
「防災」はコミュニティをつなぐ道具
(プレ国際人権大学院大学講座より「被災地の障害者はいま」)
 5回シリーズの講座「人権の視点から考える東日本大震災」の第1回で、ゆめ風基金(阪神淡路大震災を機に被災した障害者市民を支援しつづけている団体)の八幡隆司さんのお話「被災地の障害者はいま」を聞いた。3月から現地に入った八幡さんは、知り合いもほとんどいない東北で活動を続けてきた。
 東北沿岸部は、仙台をのぞけば、大規模な入所施設が多く、障害者本人も家族も入所に抵抗がない。施設を利用しない場合は、ヘルパーを頼むのではなく家族が支えることが当たり前になっていて、介護サービスの事業所が成り立たず、NPOも育っていない。これまでゆめ風基金は、被災当初の支援に入ったあとは地元に引き継いできたが、今回はそもそも地元のサービスが少ないため、新たな事業立ち上げも含めて、まず拠点づくりからおこなっている。
 被災した障害者は、施設を頼るか遠くの親戚を頼ることが多く、避難所ではとても暮らせないとつぶれかけた自宅に留まるケースもあり、障害者の安否は避難所ではなかなか分からなかった。また「障害者=車椅子の人」と認識しているところもあり、この避難所に障害者はいませんと聞いてる横から、自閉症の子が出てくることもあった。
 安否確認、緊急の物資支援の時期をすぎ、避難所から仮設住宅へ移る人が多くなってから、車が使えない人が困っている。医者や買い物へ行くための移送サービスの要望が多い。地域格差も出てきている。
 避難所で「与えられ続ける」生活を何ヶ月もしているとおかしくなってくる。住民自身のはたらき、地元の力が大事で、「いかに地元に引き継いでいくか、この冬をどう迎えるか」がこれからの課題だ。地元団体との連携を強めながら、ゆめ風基金でつくった活動拠点を、地元で使えるものにしていきたいとのこと。
*    *    * 
 お話のあと、自分ごととして考えるためにというグループワークがあった。6~7人のグループに分かれ、テーブルごとに簡単な自己紹介のあと、八幡さんからの第一問。
【避難所開設から48時間以内に必要だと思うものは?】
 外部からの救援がくるまでの目安が48時間、それまでは自分たちでもちこたえるしかない。各テーブルに配られた紙に「一枚に、答えひとつ」、思いつくだけ書き、次にそれを「物資倉庫にあると思うもの(行政が用意しているもの)」と「それ以外」に分ける。作業の後、八幡さんからの解説とコメントがあった。
 避難所の物資は、家がつぶれて何も持ち出せない人のために使うことが原則。物資が200人分あっても300人が来れば足りなくなる。水、毛布は持ち込める人は持ち込む。「避難所へ行けばある」と思わないことが大事。
 避難所となる学校や施設の鍵を誰がもっているか知らない人がほとんどだが、知らないと入ることもできない。トイレも大きな問題。トイレを使ったら水を汲んで流す。バケツはどこ?プールの水は使える?その鍵はどこにある?そこまで具体的に考えている人はいない。八幡さんは「健常者でもトイレに困る避難所へ、障害者は来られない」と続けた。
 物資倉庫に「何があるか」が分からなければ、「何が必要か」分からない。例えば大阪市の物資倉庫には簡易便器はあるが、囲いはない。それを知っていれば、トイレに囲いができるものが必要だと分かる。地域住民は物資倉庫を見ておくほうがいいし、災害が起きたときのことをふだんから話し合うことで、被災時にはこんなものが必要だ、倉庫に置いてくれと行政に提案していくこともできる。
【避難所に必要な役割は?】
 これも各テーブルで書き出したものを発表し、八幡さんが解説していく。大事なのは、せっかく助かったいのちを、避難所で死なせないこと。災害発生時に行政ができることは少ない、できないことのほうが多い。地域で避難所を開設し、そこを運営するという発想が必要だと八幡さんは強調する。避難所で、例えば障害者や高齢者は何に困るか、何が必要か。高齢者や体調を崩した人を優先してカーペットの敷いてある多目的室に入ってもらうとか、子どもが騒いでもいい部屋を別に設けるとか、そういうことをふだんから考えて話し合っておく。
 災害時は我慢大会のようになってしまう。被災者は「大丈夫?」と訊かれたら「大丈夫」と答える。でもその「大丈夫」は、いのちはたすかったということで、着の身着のまま、トイレにも困るというような状況で発せられていたりする。「大丈夫」といっても支援が不要なわけではない。
*    *    *
「防災マニュアルを読むと分かった気になるでしょ、でも分かった気になったことは忘れる。何が必要か、こうやってみんなで考えるのが大事」。被災地で支援を続けてきた八幡さんの言葉は説得力があった。このグループワークを通じて、自分の中にぼんやりとある「なんとかなる」意識に危機感をおぼえた。消火訓練や救急救命の講習は「防災」のほんのわずかな側面で、そのあとのことが大切なのだと気づかされた。
 「避難所」は災害があったら逃げ込むところ、行政から何かをしてもらうところという発想から、「避難所」は地域の拠点、支援センターで、何かあったときには「運営する」発想に変えていく。そう考えれば「避難所」は、家がつぶれてどうしようもなくなった人だけが行くところではなくて、自分の家は大丈夫でも、地域での役割分担が決められていれば、自分の役割を果たしにいくところになる。自分たちには何ができ、行政は何ができるか。地域に暮らすそれぞれの人が、災害時に何に困り、何を準備しておけば安心できるか。「防災」は、そういう地域のコミュニケーションをつないでいく道具になるのだ。
 今の私には地域のつながりといってもハードルは高い。挨拶からもう一言、ご近所とまずは知りあっていこうと思った。(報告:冠野 文)


隔月刊誌 We 175号
隔月誌「We」
一人ひとりが大切にされる社会の実現をめざし、知恵や情報の交換、ネットワークづくりができる〈場〉として、毎号さまざまなテーマをとりあげています。
特集:暮らしを自分の手に取り戻す
リック・タナカさんは、エネルギーをできるだけ使わずにすむ生き方、人のつながりに支えられた新たな地域社会の創出への希望を語ります。
自身も広島で被爆した医師・肥田舜太郎さんは、福島の原発事故のあと、私たちが被曝の現実をどう引き受けて生きていくかについて語ります。
学生時代にエクアドルに出会いフェアトレードの仕事をつくってきた藤岡亜美さんの、いのちを大事にする地域づくりの話、311の震災直後から東北へ入り被災障害者支援を続けてきた八幡隆司さんの、災害が起きたときのことをふだんから話し合える地域づくりの話、いずれも「暮らしを自分の手に取り戻す」ことを問いかけます。
▼1冊800円(送料80円)
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▼隔月発行、年6冊 5,000円(送料込)
 定期購読 http://femixwe.cart.fc2.com/ca15/33/p-r15-s/
または、フェミックスまでご連絡ください。
電話045-482-6711、FAX045-482-6712、メール order(at)femix.co.jp

「Songs for 福島」実行委員会より寄付金をいただきました。

 2011年7月9日(土)、きたやまおさむさん、山本コウタローさん、山本潤子さんが出演された「Songs for 福島」(会場:原宿クエストホール)実行委員会より、コンサート収益金、山本コウタローコンサート寄付金、オリジナルTシャツ販売収益金の合計3,401,119円から1,700,559円を、ゆめ風基金に寄付していただきました。(あと半額は福島県に寄付されました。)
 ゆめ風基金はいただいた寄付金を、福島県特定の救援金としてたいせつに使わせていただきます。
 ありがとうございました。
山本コウタローさんからのメッセージ
Songs for 福島に御協力下さった皆様、大変遅くなってしまいましたが、無事寄付金を“福島県”と“ゆめ風基金”にお渡ししました。
改めて、皆様の御協力に深く感謝致します。
しかし残念ながら、この問題の解決にはまだ多くの時間と労力が必要と思われます。
これからも福島を見つめ、その支援にスタッフ一同尽力して参りたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
( CVI音楽メモリー『Songs for 福島 寄付金贈呈のご報告』より転載)
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ヒデの救援レポート、12月5日

ヒデの救援レポート、12月5日:49
南相馬発・福島の再生プロジェクトつながり∞ふくしま・未来を創る仕事
カラーで作られた、言葉の入った素敵なカンバッジが、福島の障害者の手で作られ、発売されました。1個150円です。
2センチ5センチmix南相馬引き渡しご注文数、100個入り、11000円
ふくしまは、いのります。このかなしみがくりかえされないことを
ふくしまは、ねがいます。あなたのふるさとが、いつまでもうつくしくあることを
FAX注文先・南相馬ファクトリー。0244-23-4177えんどう豆内
ゆめ風事務所でも扱っていますTEL06-6324-7702
障害者市民防災活動を助成します!
 NPO法人ゆめ風基金では、大規模な自然災害が起きたときに、少しでも障害者市民が受ける被害を小さくするために、各地で取り組まれる障害者市民防災・減災活動に助成を行います。
支援は、1事業につき、1回10万円を限度とします。
障害者市民防災活動とは?
 障害者市民が災害にあったとき、避難行動や避難生活がスムーズに行われるための活動、支援を有効に行うためのネットワークづくりなど、次のような活動です。
1・障害者当事者が中心となる防災活動避難所・避難行動体験や啓発・学習活動
2・防災を通じて障害者市民と地域住民とのネットワークがつくられ、日常の活動にもつながる取り組み。
3・災害時に障害者支援を行うための具体的な仕組みづくり。
4・障害者当事者の声を反映した防災の研究活動。
助成金の申請方法申請書に、事業を行う団体の紹介や、実施する事業の内容・予算など必要事項を記入して、郵送、FAX、またはメールで、ゆめ風基金事務局へお届けください。
 申請受け付け期間は特に設けていません。事業を計画したときに申請をしてください。ただし、事業実施3ケ月以前に申請をお願いします。単年度1月から12月で助成額100万円に達した場合は、その年度の助成申請を締め切ります。助成金を申請をされる方は、事前に事務局へ確認をお願いします。
助成決定・ゆめ風基金では、申請を受け付けて3ケ月以内に審査結果を申請者に報告します。
問い合わせ・ゆめ風基金事務局
TEL06-6324-7702 FAX06-6321-5662
 被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、11月30日までに、196332466円です。これまでに支援した団体、個人への金額。10月31日までに、112342372円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎのしおり第3期9月1日版・その1
 被災地障害者センターみやぎは、2011年3月31日に設立されて以降、事務局を担うCILたすけっとのメンバーと、センターみやぎに新たに加わった専従スタッフと、県外から応援にやってくるボランティアの皆さんと、日々変化する現実に体当たりで向き合い、混沌とした中でも本質を忘れずに、被災した障害者やその家族の真の声に真摯に寄り添い、活動を続けてきました。
被災地障害者センターみやぎとは
 被災地障害者センターみやぎでは、障害者と健常者が共に被災地の障害者支援活動を行っています。その活動の拠点・事務局は、CILたすけっとです。
 CILたすけっとは、障害を持つ人たちが中心になって運営している障害者を支援する団体で、自分で決めよう!地域で暮らそう!を合い言葉に、障害者が地域で生き生きと生活できる社会を目指し、障害を持つ仲間たちと一緒に様々な啓蒙活動をしています。
被災地障害者センターみやぎ設立の経緯
 3月11日。大地震の後、誰もが予想しなかった大規模な津波が東日本太平洋岸を襲いました。その時、たすけっとのメンバーは、ミーテングの真っ最中。
 電気が止まり、事務所の自動ドアのガラスが割れるなどの被害がありましたが、幸いけが人も出ず、それぞれ指定避難所へ向かいました。しかし、避難者がぞくぞくと増加する避難所では、車いすの通路を確保することさえままならず、その日のうちに事務所へとんぼ返り。
 たすけっとの事務所を緊急避難所にすべく皆で食料や雑貨などを自宅から持ち寄り避難生活を送りました。翌日、運の良いことにたすけっとの事務所がある一角だけ電気が通りました。
一斉に安否確認のメールを送信するとともに、できる限りのことをしょう!との思いで、事務所前に携帯電話の充電器を並べ、充電サービスを開始しました。そして、災害時、障害者が避難所にいられないことを身をもって体験したメンバーは、同じように苦境に立たされているだろう被災地の障害者の救援に乗り出すことを決定。震災から 一週間後には、救援物資の案内ビラの配布を開始。可能な限りの手段を使って、全国から届けられた救援物資をお届けする活動をはじめました。
 一方、大阪・東京では障害者団体が集まり、東日本大震災被災障害者救援本部が設立されました。たすけっと独自での救援活動を開始して数日後に、救援本部の関西の窓口であるゆめ風基金の理事が来仙。被災した障害者への 今後の救援活動について協議した結果、ゆめ風基金から全面的なバックアップを受けて、たすけっとが被災地障害者センターみやぎの事務局を担い、救援物資の提供にとどまらず長期的な視点で、被災した障害者の支援活動を行うこととなりました。続く
2011年11月4日呼びかけ発起人・福永年久拓人こうべ代表
TEL078-642-0142
阪神淡路大震災17回忌&東北沖大震災1周忌法要
復興記念イベント満月の夕、風の市企画案
 日々ご健勝のことと存じます。あの阪神大震災では、私自身も障害者自身による震災支援活動に取り組みました。その中から被災地障害者センター・現拓人こうべ・やゆめ風基金も誕生しました。そして今回の東北震災でも、各地に被災地障害者センターが設立されています。
 私も4月には福島の被災地を訪れ支援活動に当たり、また福島原発放射能被曝から避難する障害者の兵庫県での受け入れを現在取り組んでいます。しかし東北の震災被害からの復興はまだまだにも関わらず、原発問題のみに焦点が当てられ、風化させられる事に危惧します。
 忘れないために、東北震災への支援、そして阪神大震災、東北震災で亡くなった方々への追悼の意を込めて、下記のようなイベントを開催したいと考えています。神戸・阪神間の障害者団体や作業所が中心となり、そして開催地の地元である長田区の市民団体や商店等にもご協力いただき東北物産販売等を通じて、東北支援につなげ、そして何よりゲスト・ソウルフラワー・もののけサミットのライブ演奏で、みんなで元気に盛り上がりたいと思います。
 まだまだ全く構想の段階です。是非、多くの団体・作業所の方々にご協力いただき、一緒に取り組んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします。
日時予定2012年2月8日(水)夕方
場所予定新長田駅前鉄人広場
 1995年1月17日早朝5時46分に、激しい揺れが阪神・淡路地区を襲いました。特に被害が大きかった神戸、西宮では、あちこちで家が崩れ、火の手があがり、逃げ惑う人たち。間もなくして潰れた家の下敷きになって亡くなった人たち。炎に巻かれて亡くなった人たち。どこを見てもガレキの街に化してしまっていました。避難所では、赤ちゃんの泣き声や障害者の声が煩いと言われ、肩身の狭い思いをした人たちも少なくありませんでした。
 そんな中なんとか仮設住宅ができ、そこに見知らぬ人たち同士が住み、それでもまだ避難所に残された人たち。心も身体も病んでいきそうな時、大阪のロックバンドのソウルフラワーユニオンの人たちが、エレキギターを三線に、キィボードをアコーデオンに、ドラムをチャンゴに、チンドン太鼓に、そしてクラリネットなどに持ち替えて、たちまちもののけ・サミットというバンドに変わり、昭和初期から大正時代の流行歌を、神戸や西宮にある仮設住宅や避難所に駆けつけて歌ってくれた。
 みんなの荒れた心や身体が癒やされ、それまで泣けなかった人たちが泣き、なごむ人・・・みんな元気になった。それから毎年、もののけ・サミットの人たちは、この神戸に来て、みんなと歌い、踊り、だんだん元気な神戸の復興に向けて歩き出したのです。
 あれから16年、来年は、17回忌を迎えます。もののけ・サミットのリーダーの伊丹さんから、17回忌を一緒にやろうとの声かけがあって、この満月の夕、風の市企画に至りました。
以上!

栃木県佐野市の古民家ギャラリー風の庵様より

栃木県佐野市の古民家ギャラリー風の庵様より
例年、小室等さんにコンサートに来ていただいていることから「ゆめ風基金」のことを知り、わずかですが送金させていただいています。
今年も当ギャラリーにてご協力いだいた方の震災義援金を送らせていただきました。
その後7名の作家さんと震災チャリティを計画、11月26日、27日に開催し、大盛況に終わることができました。
当ギャラリーがまとめ役になって、109,907円を送金させていただきます。
ご協力いただいた作家さん
茂呂居栄子さん、増山博さん、小林久江さん、島田美智子さん、米山和子さん、島田和子さん、手織工房のろぼっけさん
古民家ギャラリー風の庵様と、風の庵に参集されたすべての方に感謝します。
ありがとうございました。

ありがとうございました。すてきなパッチワークです

キルト2
 「ヒデの救援レポート、11月28日:48」の「ゆめ風事務所に届いたお便り」に掲載している神奈川県のF.Nさんにご返事を差し上げたところ、お手紙とともにすてきなパッチワークのひざかけとクリスマスツリーを届けてくださいました。
 11月23日のイベントでも転じさせていただきましたが、当日は超満員でロビーも混雑していまして、被災地の方々にゆつくりと説明してごらんいただくことができませんでした。
 そこで、こちらからあらためて支援拠点と連絡し、役立ててもらうことにしました。 感想や希望も伝えてもらえる方に、至急にお届けしたいと思います。
 F.Nさん、しばらくお待ちください。
 ありがとうございました。
 先日、ひざかけを差し上げられるでしょうかと、お手紙を差し上げた者です。常にひざかけの在庫があり、貰ってくださる方を探しているわけではありませんでして、急いで作りかけを仕上げ、イベントがあるということで、クリスマスツリーにオーナメントを付けた物と、小人の人形を入れて一緒に送ります。全部差し上げたいと思っており、どの様になさろうとどうぞどうぞというところですが、一つだけお願いがあって、イベントのあと、使って下さる方があれば、ひもを付けて欲しいとか、巾、丈をもう少しどうして、という様なご希望をお聞かせ下さると、とても嬉しいのですが、無理でしょうか。
 私、パッチワークの教室をしている中でのボランティア活動として10年以上してまいりましたが、なかなか感想を頂けないのです。
 長くなるとご迷惑でしょうから、取りあえず、ご送付のご挨拶だけ。
 1ヵ月後の東京の会に出られれば良いのですが、主婦もしているので。
何らかの形でご協力できると良いなと思っています。
 取り急ぎ、雑文でごめんなさい。今なら23日にまにあうかと思い、少し焦っています。
 又、何かの形でご連絡差し上げます。
11月17日 F.N
キルト1

ヒデの救援レポート、11月28日

ヒデの救援レポート、11月28日:48
 以前にも紹介した、大阪北部にある、豊能障害者労働センターのスタッフIさんものがたり!
 以前に、10日間、被災地障害者センターみやぎに入り、救援ボランティアとして活動したIさんは、その後も被災地のことを気にし続けて、被災障害者救援本部おおさかの会合にも欠かさずに参加していましたが、11月に入って、労働センター機関誌に被災地のことを掲載するために、センターみやぎに取材に行くことになりました。
 取材のために、労働センターの知的障害者スタッフ、PさんとYさんの3人で、3人軍団を結成。生まれて初めての飛行機に搭乗して3人共に、飛行機は初めて。滑稽な程に怖がっていましたね。デッパツしたのです。そして、3日後に帰ってきました。
 そのIさんの語る話。センターみやぎに着くと、知り合いの人たちが、とても歓迎してくれたのだけど、ボクが髪の毛をグリーンに染めていたので、みんな眼をパチクリ。その上、ふたりの知的障害者の登場に、もっとパチクリ。そう言えば、センターみやぎには、知的障害者がいないのです。
でも、代表の及川さん、事務局長の井上さんと話し込め、快く、取材をさせて頂きました。救援ボランティアのOさんには、大変お世話になりました。みんな気持ちのいいひとばかりです。
 中でも傑作だったのは、障害児のお母さんのひとりが、ボクの頭を見て、このグリーン色、いいなぁ。私、大好きと言ってくれたこと。軍団のPさんが、なんのてらいもなく、センターみやぎの会議に参加していたこと。障害児の親たちが、ボクのことを、こんなひとたちを連れて、仙台にまで来るなんて、エライなぁ。と、噂していたこと。ボクにすれば、Pさんも、Yさんも、同じ職場の同僚なんだし、普通の毎日の風景なんだけどなぁ。とブツブツ。
 さぁて、へんてこ3人軍団の取材で、どのような被災地取材記事になるのか、とってもタノシミです。
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、11月24日までに、192901932円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、10月31日までに、112342372円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。とうほくと書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
花園大学特任教授・八木晃介さんの私的メディア試行社通信からの抜粋
それでも原発なのかその2
 10月12日、横浜市港北区のマンション屋上で、放射性物質のストロンチウムが検出されました。ストロンチウム90半減期は約30年が1キロ当たり195ベクトル。
 横浜は福島第一原発から約250キロ。この数値は、福島第一原発から29キロの福島県浪江町の250ベクトルよりは低いが、36キロの飯館村の120ベクトルいずれも今年3-5月の文科省による土壌調査結果よりも高い。ストロンチウムはカルシウムに似て水に溶けやすく、体内に入ると骨に集中するので、骨の癌や白血病の原因になりやすいとされています。
 また東京大田区は10月7日、区立の保育園と小中学校の一部で空間放射線量を測定し、大森第4中学校の雨どいの地上5センチで毎時1・01マイクロシーベルトを記録したと発表しました。
 さらに千葉県船橋市金堀町のふなばしアンデルセン公園の一角で市民団体が10月12日に放射線量を測定したどころ、毎時5・82マイクロシーベルトが検出されていたことがわかりました。船橋市はかっては私が、最近までは娘夫婦が暮らしていた所なので、皮膚感覚的にもまさにわがことです。
 こうした遠隔地の高濃度汚染地域を一般にホット・スポットとよんでいますが、これもまたどことなく作為的な呼称のようにおもわれます。というのも、点状の汚染地点という表現には、例外的地点というニュアンスがつよいからです。
 現時点においては、検査地点がすくないゆえに結果的にスポットになるのであって、メッシュ状により緻密な検査が実施されれば、もしかするとスポットではなくベルト、点ではなく面になる可能性もあるとおもいます。どのホット・スポットもおおむね市民の個人や団体がボランタリーに検査に従事して発見し、通報をうけた当局がそれを追認する形をとっていることも象徴的だとおもいます。
 福島県はいうにおよばず、この国のかなりの部分が徐々に人間の住めぬ場所になりつつあるのではないか。私などの世代はある意味もうどうなろうが世の大勢に影響はありませんが、これからの世界を生きていく権利と義務をもつ乳幼児をふくむ若い世代が今後10年あるいは20年先にいかなる災厄をこうむるか、まったく知れたものではない。そのような局面になってきました。
 このような局面をつくったのが私などの世代であってみれば、老人は老人なりに、いま反原発を懸命に闘わないかぎり若い世代への申し開きもできそうにありません。後略
被災地3県障害者センターでは、被災障害者の方々にアンケート調査を行っています。結果がまとまれば、またレポートします。
被災地障害者センターアンケートご協力のお願い
NPO法人・ゆめ風基金
被災地障がい者センターいわて
被災地障がい者センターみやぎ
被災地障がい者支援センターふくしま
 今回の東日本大震災で被災されたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。ゆめ風基金は阪神淡路大震災をきっかけに、阪神間の被災障害者支援やその後の自然災害における被災障害者支援を目的に作られた団体です。
 ゆめ風基金では、今回の東日本大震災発生直後に障害者支援に当たることを決め、大阪、東京を中心とした全国の障害者団体のネットワークを形成し、岩手、宮城、福島の東北3県に現地支援センターを開設、緊急物資の提供はもとより、全国から福祉に関わりのある方々に現地入りしてもらい、様々な福祉サービスの提供を行ってきました。
 しかし過去の災害と同様に今回の大災害でも避難所では生活できない障害者が、親戚宅や日中活動の場に避難せざるを得ませんでした。その結果障害者の避難所を回っても障害者は見つからず、支援が十分届かない事態が起こりました。
 また避難所を始め避難生活で障害者特有のさまざまな困難事象があったり、仮設住宅の生活においても構造的な問題や利便性の問題など、多くの課題は過去の事例に学び解消されることがなかったため、またもや障害者がそのほかの人に比べてより大きな困難を背負う羽目になってしまっています。
 ゆめ風基金では過去の災害に学びそれを今後の災害支援に活かしていこうと設立10年を機に平時における防災・減災を活動の柱に加え、障害者市民防災提言集や防災ブックレットなどを作成し、この6年間は各地にその取り組みを広めようと努力してきましたが、未だそれらの取り組みが実を結んでいない現状を大いに反省しています。
 今回の大災害で犠牲になった人、様々な困難を背負った人が多数いる中で、その内容を後世に伝えるとともに、同じ過ちが起きないように新たな冊子を作り伝えていきたいと考えております。
 みなさまの中には今も日々大変な生活をしておられる方がいらっしゃると推察され、このようなアンケートが失礼になることがあるかもしれませんが、何卒私たちの趣旨をご理解いただき、ご協力をしていただけたらと考えております。
 また私たちは調査そのものが本旨ではなく、現在も被災障害者支援活動を最大の目的としておりますので、何かお困りの点などがありましたらこちらにお伝えください。微力ではありますが、最大の努力を持って応えていきたいと思います。
 なお、このアンケートや内容につきまして不明な点などがございましたら、下記までご連絡ください。誠に勝手ではございますが、できるだけ多くの方々にご協力頂ければと考えまして、アンケート用紙を5部同封いたしましたが、もし、足りない場合はコピーをお願い致します。10月末日までにご返送いただきますよう、どうぞよろしくお願い致します。以上
ゆめ風事務所に届いたお便りから
 初めてご連絡申し上げます。お忙しいでしょうから、なるべく要点だけと思っております。私、パッチワークをする者です。仲間の方達と福祉施設や個人の方に車椅子用のひざかけをお届けして来ました。ゆめ風基金のことは、永さんのラジオで知りました。阪神淡路大震災の寄付金の配り方に疑問を持ち、すぐに届けるという発想の元、立ち上げたと聞きました。今回の大震災にも3月12日には、必要なところに届けたとのこと。拍手喝采をしました。
 その趣旨に賛同し、何かお役に立てないかと思っておりましたが、最近、震災より半年を経て、少し落ち着いてきた仲間に相談したところ、我々にもできることがあるのか知りたいということでお便りさせて頂きました。
大金をポンと送金できれば良いのですが、殆ど年金暮らしの身の上、募金は続けられそうにありませんが、キルトパッチワークした布に薄い綿と裏をつけて縫い合わせたものや手提げ、クッションカバー、種々小物、テッシユボックスカバー等々なら、自前の物でできるのですが。お役に立つのかどうか知りたいのです。差し上げてご迷惑にならないものがあればお知らせ頂きたいのです。
 お忙しいところお手数をかけて申し訳ありません。どうぞよろしくお願い申し上げます。以前、施設に届けたひざかけのコピーを同封いたします。ご参考にして下さると嬉しいのですが。パッチワークの柄はいろいろ変わります。読んで下さりありがとうございます。11月3日・神奈川県中郡大磯町・F・N
スタッフの皆様へ。以上

「東北⇔関西障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」に5000人!

 11月23日、大阪市扇町公園で開催しました「東北⇔関西障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」は一時雨もようだったにもかかわらず、約5000人の参加をいただき、大盛況でした。
 また、山西福祉記念会館で開催しました「被災地報告会 3.11東北・関東大震災・そのとき障害者は!」には250人のご来場をいただき、超満員になりました。
 地震発生以後8ヶ月が過ぎ、関西でははじめて岩手、宮城、福島の被災地障害者支援活動を担うひとたちが一堂に会し、マスコミの報道がおよばない「ほんとうのこと」が被災地の障害者の肉声で届けられました。
 あらためて震災と津波の被害の大きさとともに、一般避難所や仮設住宅から排除されてしまう怒りと悲しみの体験をしながらも、それぞれの地域の障害者への支援活動をつづけて来られた人にしか言えないお話が次から次へとあふれでました。
 そして原発事故により、いとおしい暮らしもせつない夢もうばわれ、行き先のない未来に投げ出された福島の現実を障害者の立場から発された肉声は、この問題が福島からわたしたちの住む関西へ、日本全体へ、さらに世界へと届けられべき貴重な告発であることをあらためて実感しました。わたしたちの世代から何代もの世代へとひきつがれてしまう負の遺産になってしまった原発を止めるまでたたかうと、福島の障害者が力強く宣言されました。
 狭い会場でご迷惑をおかけしたにもかかわらず、参加していただいた方々は被災地の障害者の言葉と心を自分の体験として必死に受け止めようと聞き入り、超満席の会場が深い絆で結ばれたように感じました。 
 この催しをきっかけに、被災地の障害者がたくさん関西に来られ、支援活動の中で出会った障害者や障害者団体との交流を深めることができたことは、わたしたちの大切なたからものになりました。
 この催しを計画し、長い月日をかけて準備し、実行した実行委員のみなさん、ほんとうにお疲れ様でした。
ご協力いただいた方々、ご参加いただいた方々、ほんとうにありがとうございました。
シンポジウムの内容は、後日くわしくお届けする予定です。
11月24日 神戸新聞に被災地報告会の記事が掲載されました。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭1
いっぱいのお客さんで、ステージはテンション高く、大いに盛り上がりました。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭2
特設ブースは食べ物も盛り沢山。被災地作業所の商品販売も好評。
被災地名物のいも煮や、炊き出しワークショップも人気でした。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
シンポジウム会場は超満員で参加いただいた方々にご迷惑をおかけしましたが、
東北と関西の障害者が心ひとつにして息の長い支援活動をすすめていくことを約束しました。
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
左:被災地障がい者センターみやぎの井上朝子さん
右:被災地障がい者センターみやぎの及川智さん
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
左:南相馬市 デイさぽーと・ぴーなっつの青田由幸さん
右:被災地障がい者支援センターふくしまの白石清春さん
東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭被災地報告会
左:コーディネーター ゆめ風基金代表理事の牧口一二
右:ゆめ風基金理事の八幡隆司 被災地障がい者センターいわての今川幸子さんが来れなくなり、急遽岩手の支援活動を報告しました。