ヒデの救援レポート、2月27日

ヒデの救援レポート、2月27日:60
●3月11日、3つの集い
●東日本大震災・福島原発事故1周年原発いらない!3・11福島県民大集会~安心して暮らせる福島県をとりもどそう~
郡山市開成山野球場、午前12時半より。集会とデモ
実行委員会TEL・0800-800-5702
●3月10日記念講演とシンポジウム~11日分科会
原発いらない地球・いのちのつどい~あの日から1年…憤怒、恐怖、絶望、悲嘆、不安の中からすべてのいのちを守れ!と、祈りを込めて集います。
会場・郡山市労働福祉会館、ビッグアイ市民プラザ
問い合わせ、原発いらない福島の女たち
TEL・090-7029-5617
●同月10日午後1時半より○郡山市労働福祉会館にて
障害を持つ人の東日本大震災・その時何が起きたのか
記録映画上映と現場報告
連絡先・集会実行委員会、NPOいわき自立生活センター
TEL・0246-68-8925
●人間の社会には、喜怒哀楽の感情が満ち溢れている。それらの原因が自然災害であれ、人災、個人的な事柄であれ、人びとの気持ちは、深く、広く、拡散しつつ、沈澱して、人びとの記憶に定着するものですね。
●hideの辛い憂鬱
 2月7日、一通のメールが、hideの携帯電話を泣かせた。メールは、たった2行の文章で、ガンになっちゃった。とあった。hideの畏友のひとりで、車イスを使用している脳性マヒ者の女性K・Iさんからだった。
 大慌てで、彼女に電話をかけたところ、7日当日、病院で診断を受けたところ、肝臓に悪性腫瘍が見つかり、肝臓ガンと診断されたとのこと。進行ステージもまだ定まらず、近々のうちに、家族を交え、医師と治療方針を話し合うと。笑うしかないね。悲しむと本当に泣き出しそうになるから。誰かに話したかったから、メールしたんよ。と、はらはらと笑った。そして、心配させて、ゴメンね。何かあったら、知らせるからねと、言葉を閉じた。
 彼女とは、彼女がまだ未成年で、ある整肢学園卒業後頃に、大阪府営住宅アパートでの母親と妹の3人暮らしの在宅時代からの付き合いになる。(彼女は今年、62歳になった。)
 それ以後、彼女は、自立生活を始め、日本脳性マヒ者協会・青い芝の会の活動の中で、様々な障害者差別糾弾闘争に参加した。その後、当時、まだ珍しかった、障害者の労働を意識した作業所を、大阪府豊中市で立ち上げた。
それらのプロセスの中で、彼女は、盛大に恋愛をし、結婚をし、出産して、2人の息子を育て上げる。今では、下の息子が結婚して、孫も出来、リッパなおばあちゃんに。彼女の出産に当たっては、医師、役所から中絶を勧められたが、断固拒否。そのいずれの場面にも、hideは、立ち会った。
 またその後、彼女は、豊中市会議員に立候補し、日本で始めての、全身性障害者、女性、車イス使用者、子育て中の議員として当選。4期務めて、地域社会の福祉、人権化に力を尽くした。議員引退後は、大阪北部の障害者市民解放運動の精神的主柱として、その存在感を発揮し続けている。
 ただ、何もかもが順調であった訳ではない。彼女の母親も亡くなって、彼女自身の離婚もあった。議員活動の過重さもあったのだろう、吐血を繰り返して、酒もタバコも止めて、入退院生活をしていた。そんな彼女からの、ガン発病の知らせなのだから、hideの脳は、活動を停止して、混乱している。
 阪神淡路大震災のときも、今回の東日本大震災にも、共に、被災障害者救援の活動の場に、力及ばずとも、彼女もhideも、立っている。更には、hideは、6年前に、連れ合いを乳癌で亡くしている経験があるから、その記憶が蘇り、知らせと重なり合って、呼吸が細り、苦しくなるのです。
 人間は、その人生において、それほど大したことが成せる筈がない。でも、彼女とhideが、とぼとぼと歩き続けてきた、障害者市民解放運動の小さな記憶は、忘れずに共有しているつもりです。想えば、共に、時代に挑んだ者同士、戦友と誇ってもいいふたりです。繰り返し、彼女に大事がないことを祈るしかないhideが情けない。辛いなぁと。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、2月18日までに、215033851円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、12月31日までに、123599050円になります。○台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
●皆様からのご支援をお願いします!
○避難・週末避難・新たに避難を考えている人、また、週末だけでも家族で安心出来る所に避難・静養をしたいと考えている人達のための情報提供と経済的援助にご協力下さい!
○安全な食材を・毎日口にする食べ物、米・野菜・水は皆が気になっているところです。特に子ども達には安心出来る物をと考えるのは当然の事と考えます。そこで、安全な地域から食料・水を取り寄せるためにご協力をお願いいたします!
○測定所の維持運営・日本キリスト教協議会様のご支援により高価な放射能測定器を購入することが出来ました。この測定所を維持運営するために、皆様からのご支援をお願いします!
○放射能に対する意識を高めるために・汚染された中に住むことを余儀なくされてしまった今、放射能防護に対する知識を身に付ける事は必然となりました。そのために、いろいろな方々を招いての講演会・学習会を開くためのご支援をお願いします!
●問い合わせ福祉のまちづくりの会内
○市民による健康を守るネットワーク
○福島県田村市船引町字東部台2の285
○TEL・090-2978-8123
○世話人、鈴木・石井
●市民放射能測定所オープン
○東日本大震災・原発事故によって私達の生活は一変させられました!大量の放射性物質が広範囲に降り注ぎ、不安を抱えながら生活しています。そんな中で少しでも被爆を避け、また、軽減するために出来ることを模索しながら、大切な家族を守るための情報提供や支援活動をして行きたいと考えています。
放射能測定2月1日から測定できます!ドイツ製のLB2045を使用
○ヨウ素131
○セシウム134
○セシウム137
○カリウム40
これらの放射性核種を高感度に測定できます。
●予約電話・事前予約が必要です。
●090-2978-8123
○営業(月)~(金)午前9時から午後5時まで
○市民による健康を守るネットワーク
●検体
○米・野菜等、1000円・測定時間30分、検出限界キロ当たり10ベクレル
○水・牛乳、1000円・測定時間2時間、検出限界キロ当たり5ベクレル
○米・白米・玄米は、500グラムをご持参下さい!
○野菜は、細かくみじん切り・5ミリ程度・にして、500グラムをご持参下さい。
○水は、5日程汲み置いた物500㎜Lをペットボトルに入れてご持参下さい!水の測定は難しく、娯検出を少なくするために一定期間汲み置きが必要です。
○測定できない物・・土・肥料・堆肥・わら・お茶・乾燥キノコ等
○場所・船引駅、船引中学校となり。以上
●NPO法人・京都でてこいランド・機関誌かわら版68号、・バリアフリーネットワークより
●TEL&FAX・0771-83-1180
●復興応援企画!マグカップ販売
○機関紙をお読み頂いている皆様方から義援金などたいへんあたたかい支援をいただき誠にありがとうございます。この度東日本大震災関西障害者応援連絡会では継続した支援の一環として負けるもんか岩手!マグカップを制作し販売を開始しました。
売り上げは岩手県内の障害者福祉事業所の利用者及び地域生活者の生活・余暇支援活動、特に被災の大きかったグループホーム等生活者への支援等に活用して頂こうと考えています。
○マグカップの購入を通じてエールを送りませんか!
○カップは白地で赤色の大きなだるまのデザインが一カ所、他に小さなだるまが三カ所に描かれています。
○口径7、5センチ、高さ8、8センチのサイズで、1個500円で販売しております。
購入ご希望の方は
●問い合わせ 東日本大震災関西障害者応援連絡会・事務局 相楽福祉会
TEL・0774-93-3277まで。
なお他の12事業所でも販売を行っております。
●東日本大震災関西障害者応援連絡会参加団体
・ひまわりの家(奈良市)
・ちいろば奈良県(生駒)
・どうで(奈良県山辺)
・アクティブセンターうだ(奈良県宇陀)
・もちつもたれつ(奈良県大和高田)
・マーブル(奈良市)
・わたぼうしの会(奈良市)
・クリエイティブハウスパンジー(東大阪市)
・ベテスタの家(京都市)
・イエス団愛憐会(京都市)
・西陣会京都市
・相楽福祉会(京都府相楽)
以上12団体
●東日本大震災被災地支援パソコン寄贈・貸し出しプログラム
○宮城、岩手、福島で被災した団体及び個人にリュースパソコンを無償で寄贈・貸し出します。
○対象団体 
被災した非営利団体、教育機関に寄贈
被災した障害者、高齢者・65歳以上・子育て中の主婦に1年間貸し出し
○パソコンノート型及びデスクトップ型
○募集期間・012年3月31日まで
○主催・特活イー・エルダー
●連絡先東北支部・TEL&FAX・022-796-8091
以上

日本商環境設計家協会(JCD)関西支部より寄付金をいただきました。

JCDチャリティイベント1
日本商環境設計家協会(JCD)関西支部主催・『頑張れ日本!チャリティークリスマス2011』
 昨年の12月はじめ、社団法人・日本商環境設計家協会(JCD)関西支部の白井進さんからご連絡のメールをいただきました。
 「初めてご連絡させていただきます(社)日本商環境設計家協会(略称JCD)関西支部の白井と申します。
弊協会ではこの度、年末恒例のクリスマスパーティーを『頑張れ日本!チャリティークリスマス2011』として第3回目のデザイナーズアクセスをチャリティ-ライブイベントとして行うことになっています。
 自然災害の多かった今年を締めくくり、日本がもっともっと元気になるために、あらゆる人々に大きな喜びを与えることのできる「音楽」をテーマに『音楽のある空間を参加者全員で演出・共有することに挑戦しようと考えております。
 そして今回のイベントを通じて参加者や協賛企業から寄せられた義援金は貴基金に寄付をして、JCD関西支部として、16年前に神戸を中心に暖かい手をさしのべてもらった全国の方々、特に東日本の震災で被害に遭われた障害者の皆様にお返しが、少しでも出来ればと考えています。
 そこでお願いがございまして本日こうしてご連絡させていただいた訳ですが、当日会場に設置する募金箱をもし余分にお持ちであれば貸し出ししていただけないかなというお願いであります。」
 「私はこの夏に長居障害者スポーツセンターの夏祭りの時に長居公園視覚障害者マラソン練習会『わーわーズ』のメンバーで運営しましたバザーでの売上げ金を、ゆめ風基金さんにというのを聞いていまして、今回はまったく別の団体であるにもかかわらず、私からの提案をJCDの実行委員が快く受け入れてくれたことから実現したという経緯であります。」
 
 ありがたいお申し出をいただき、早速募金箱をお送りしたのですが、先日、事務所にイベントの収益と募金の合計206,127円を届けてくださいました。
 そして、日本商環境設計家協会(JCD)の活動やイベントの模様などをお話しくださいました。わたしたちも、ゆめ風基金のこれまでの活動や、今回の救援活動についてお話させていただきました。
 チャリティイベントは大阪市港区の弁天町「世界館」を会場に302人の入場者、7組の出演グループで、会場が一体となったとても楽しいイベントになったということです。
 当日参加者の方々から63,053円募金をいただきました。
 日本商環境設計家協会(JCD)関西支部のみなさん、そしてこのイベントに参加されたみなさん、ほんとうにありがとうございました。
 今後とも、ゆめ風基金の活動にご支援いただきますよう、よろしくお願いします。
JCDチャリティイベント1


社団法人・日本商環境設計家協会(JCD)は、商環境デザインの専門的職能を確立し、都市社会のコミュニケーションのあり様と商業活動に関わる環境の質的向上を目的として、1961年に創立。1963年に社団法人として設立されました。
JCDは、インテリアデザイナー、建築家、空間プロデューサー、プランナー、照明デザイナー、グラフィックデザイナーなど、幅広い空間デザイン領域のクリエーターによって構成されています。
デザイン賞(JCDデザインアワード)、シンポジウム、教育活動、研究活動、セミナー、機関紙の刊行、出版などの活動により、日本国内のみならず、海外のデザイン界にも大きな影響を与えています。近年の社会状況の変化に向けて、それらの活動はさらに多岐にわたり、デザインの新たな価値の創出に貢献しています。
日本商環境設計家協会(JCD)ホームページ http://www.jcd.or.jp

ヒデの救援レポート、2012年2月20日

ヒデの救援レポート、012年2月20日:59
●ゆめ風基金では、各被災地障害者センターの方々に、これまでの活動と、そのまとめを伺い、これからの活動について共に考えるために被災地3県を巡る行動をしました。
●参加理事。細井理事、永村理事、橘高事務局長、八幡理事、東京救援本部高木さん。
●期間2012年1月30日から、2月4日まで
●訪問先・センターみやぎ・センター石巻・センター登米・センター亘理・センター宮古・センター大船渡・センター釜石・センター岩手・仙台すまいる作業所・気仙沼ケアホームめぐみ・気仙沼児童デイ拠点三陸こすもすなど。
●30日・1時~センター岩手で会議。夕方、センター宮古に移動宮古泊
●31日・宮古作業所見学。センター釜石へ移動釜石泊
●2月1日・センター釜石、センター大船渡、三陸こすもす、、ケアホームめぐみ、話し合い。夕方から、南三陸町おもちゃ図書館、センター登米と話し合い。登米泊
●2月2日・登米、南三陸障害者拠点見学、センター石巻話し合い。仙台泊
●2月3日・宮城野区すまいる作業所見学、県南支部訪問。午後から、センター宮城、たすけっとと話し合い。仙台泊
●2月4日・センター宮城で話し合い。橘高、永村は帰阪、細井残留。
●これらの行動報告がまとめられましたら、改めてレポートします。
●ゆめ風基金呼びかけのお一人であった、マルセ太郎さん没後11年を偲んで、マルセ太郎読本・DVD付が発刊されました。○芸と魂・舞台裏・人間を語るマルセ太郎読本刊行委員会・編
○偉大な芸人とその類いない芸を文章と映像で知る!永六輔・古館伊知郎・小栗康平・宮本輝・木津川計などがマルセ太郎が編み出したスクリーンのない映画館など、彼の芸・魂・人間を縦横無尽に語る!
貴重な立体講談2本を初めて収録。没後10年記念出版。
○A5判210ページ●2350円
○発売・かもがわ出版○発行・クリエイツかもがわ
●マルセ太郎のお笑い芸・芸人マルセ太郎の芸と魂・舞台裏のマルセ太郎・人間マルセ太郎・舞台のないマルセ太郎劇場
●申し込みは、●神戸芝居カーニバル実行委員会
○神戸市中央区東川崎町1-5-7・神戸情報文化ビル3F・文化村
○FAX0797-77-4657
○hideは、もう買いましたよぉ!(笑)
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、2012年2月18日現在215,033,851円。これまでに支援した団体、個人への金額は2012年2月21日現在 123,599,050円
その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎ・石巻支部の文集No.1からの抜粋1編
●大震災と医療的ケアが必要な障害者の対応○新田綾女母・理恵
○TEL&FAX・0225-25-5388
 3月11日、東日本大震災当日、その日は石巻支援学校に通う次女の小学部卒業式が午前中にあり、夫婦で出席しました。長女は、学校が休みで友人宅に遊びに行っていました。午後に卒業式を無事に終え、3人で自宅に戻り一息ついていると地震がありました。立っているのが困難なほどのとても強く、とても長い揺れでした。
 揺れがおさまらないうちに、すぐに停電になり、外からは、大津波警報の発令を知らせるサイレンと、避難を呼びかけるアナウンスが聞こえてきました。揺れがおさまってすぐ長女と携帯がつながり、無事でいる事と安全な場所にいる事が確認でき、それから避難の準備を始めました。
 次女は重度の障害があり、気管切開からの痰吸引と、胃ろうからの栄養注入などの医療的ケアが必要です。吸引器や薬、栄養剤など、とにかく娘に必要な物品を一式持ち、車で近くの高台へ避難しました。早めに避難したので渋滞に巻き込まれずに山の上にたどり着くことができました。
 その後は津波の被害状況など詳しい情報が分からない状態で動くことも出来ず、暖房もなく、何百人もの人達が避難して来ていて、横になるスペースもない状態でした。そんな中にはとても娘を連れて行けないと思い、一晩中車の中で過ごしました。
 二日目夜が明ける頃、家には戻れないくらい津波の被害が大きい、ひどい状況だと知り、そこから近くにある親戚の家へ向かい、しばらくお世話になることになりました。そこは津波の被害は無かったものの、ライフラインは完全に寸断されていました。
 吸引器の電源は車からとり、なんとか確保していましたが、そのうちにガソリンの残りが少なくなってきました。その後は、足踏み式の吸引器を使い何とか乗り切ることが出来ました。吸引に使う物品などは、娘の学校のお友達から分けて頂きました。薬や栄養剤やおむつは、主治医の先生が手配して下さり、酸素の業者の方が避難先まで届けて下さいました。
 その他の足りない物などは、保護者仲間やボランティアの方に届けて頂き、娘に必要な物は何とか揃いました。たくさんの方々に助けてもらい、非常時は切り抜けることが出来ました。
 次に待っていたのが、住まいの問題でした。自宅は津波で全壊したため、仮設住宅の入居を希望しました。3月末、市役所へ申し込みに行くと障害者は優先されると説明がありました。すぐに入居出来ると思い待っていましたが、抽選に何度もはずれ、入居出来たのは、4ケ月後の7月でした。
 スロープ付きの仮設を割り当てられ安心していましたが、玄関の幅が狭く車椅子が通れません。家への出入りが大変だったので窓側にスロープを設置してもらいました。その他にも、お風呂に段差があったり、駐車場が砂利だったり、障害者や高齢者にはとても住みにくい環境です。改修工事もなかなか進まず、いつになるか分からない状態です。件数が多く大変なのも分かりますが、最初からきちんとバリアフリーの仮設住宅を建てていればこのような問題は起きなかったと思います。
 仮設の生活にも少しずつ慣れ、気持ち的にも少し落ち着いてきた今、これまでに経験してきたことを少しでも多くの方に知ってもらい、障害者にとって住みやすい地域にしていくことが私達被災者の務めだと思います。
 今回、多くの方達に助けて頂き、たくさんの出会いもありました。被災地障害者センターみやぎのみなさんとも震災後に出会い、活動が始まりました。どんな障害があっても、地域で当たり前に暮らしていけるよう、これからみなさまの力を借りながら活動していけたらと思っています。
●みやぎボランティア・市民活動情報誌、杜の伝言板月刊・ゆるる1月号特集からの抜粋。●ゆるる編集部○TEL022-791-9323○FAX022-791-9327
●合い言葉はやっぺす○石巻復興支援ネットワーク
●TEL&FAX0225-23-8588
●石巻復興支援ネットワークは、石巻市で子どもの環境教育や子育て中の親を支援する活動をしていた任意団体・子どもと環境を考える会が母体となり、震災後に被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト・つなプロの協力を得て、5月に石巻復興支援ネットワークを立ち上げました。
 メンバーの12人は大半が地元のお母さんという構成で、地元の方々にもやっぺす隊の愛称で親しまれています。やっぺすという言葉は、一緒にやりましょうの意味で、頑張ろうや頑張ってという言葉に少々疲れてきた時期にやっぺすという地元の言葉を使って活動するようになりました。
○震災発生時から空白の3日間
 3月11日、代表の兼子佳恵さんは、中学三年生の息子さんと連絡が取れないまま一夜を過ごしました。息子さんは避難所で一泊し、腰まで水に浸かりながらなんとか帰宅。その第一声が避難所に戻りたい。でした。避難所の大変な状況を目の当たりにし、食料や毛布を持って戻り、助けたいという思いがあったのです。しかし、余震が続き、街中の海水も引いていない状況で、外に出すことは出来ませんでした。
海水が引いた3日後、息子さんは避難所に食料や毛布などを持って行きましたが、なんでもっと早く行けなかったんだ。もっと早く行きたかった。と言いました。
 この息子さんのもっと早く行きたかった。といった言葉が兼子さんの背中を押し、石巻復興支援ネットワークの活動の糧になっています。この空白の3日間を埋めることにできないですが、目の前にある沢山の問題を一つでも解決していきたいと活動をしています。と兼子さんは言います。
 その後は子どもの居場所づくりの支援を行うと共に、石巻市には多くの外部団体や企業が訪れて来ていたためマッチングやコーディネートを行っていました。震災後に千回以上の名刺交換をし、多くの団体や企業を繋げています。
 また、石巻の中高生と阪神淡路大震災の被災地である神戸の学生交流や、震災後石巻市の中高生が中心となって活動している団体WMIの一万本ミサンガ作り支援を行うなど、子どもの活動支援を継続して行っています。
○仮設住宅でコミュニティーづくり
 8月からは石巻市開成地区の仮設住宅1150世帯のコミュニティー形成の支援を継続して実施しています。ただイベントを開催することだけが目的ではなく、年齢や男女に関わらず、参加者に隔たりが無くなるように心がけています。と兼子さん。
 仮設住宅の集会所では、お茶会やミニ居酒屋、将棋やカラオケ、縁台や物置づくり、手芸やメイク、詩吟やヨガ教室などを開催しています。イベントを行うことで孤独死や自殺の予防にもつながり、参加者が普通の生活に戻っていけるように自立を促す形を取りながら行っています。と事務局長の渡部慶太さんは言います。
 また、集会所での様々な教室もやってあげるやってもらうということではなく、一緒にやることで、徐々に住民自らがイベントを企画・運営ができるようにサポートしています。年末31日から1月3日までは、鍋を囲んで紅白を見たり、餅つき大会などもします。
○復興支援ソングやっぺす石巻石巻復興支援ネットワークでは、神戸市のシンガーソングライターの石田裕之さんと共同で制作した復興支援ソングやっぺす石巻のシィディを販売しています。
 この曲は、震災から少しずつ前に向かって進んでいる被災者の姿を描いています。忘れないでね~みんなまだはじまったばかりです~いつか元気を返せる日まで~今日も笑顔でやっぺすという歌詞の通り、石巻復興支援ネットワークは、笑顔で住民と一緒に活動し、地元の団体として長期的に支援を行っていきます。以上以上。

箕面市主催・障害者問題連続講座の日程変更

 先日、「ヒデの救援レポート」で、箕面市主催・障害者問題連続講座「障害者の社会的雇用国モデル事業化へ向け、さまざまな視点から働くことを検証する」のご案内をしましたが,2月24日(金)開催予定の講座第2回(竹下弁護士)が、3月2日(金)午後6時半~8時半に変更になりました。
 第3回目の佐藤先生の講座は、予定どおり3月9日(金)午後6時半~8時半です。
くわしくはここをクリックしてください。

「東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」2012年春のイベント

「東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」2012年春のイベント
 2月24日(金)、午後6時半より浄土宗應典院本堂ホールにて、「いざというときに、わかってもらいにくいこと。」を開きます。災害が起きるたびに一般避難所ではトイレなどがバリアフリーでないことや、知的障害者が実質的に避難所から締め出されてしまうことが後を絶ちません。
被災時にさまざまな制約がある人たちが苦しい経験を強いられるとすれば、それは被災時だけの問題ではなく日常の問題だとわたしたちは思います。普段からの生活のなかで、誰もが他人にはわかりづらい制約や事情を持っているのではないでしょうか。みなさんが日ごろ感じておられる「いざというときにわかってもらいにくいこと」をお互いに話し、聞くことが、防災、減災へとつながる大切な一歩ではないかと思い、企画しました。
 つづけて翌日の2月25日(土)、午後1時30分よりシアトリカル應典院にて、「東北⇔関西被災障害者救援をふりかえる&これから」を開きます。
 昨年11月23日に開催しました「東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」で開かれた「被災障害者報告会」の模様をダイジェストにしたDVD上映と、被災地への障害当事者派遣プロジェクトに参加した障害当事者の体験とそこから感じたことを共有し、これからの支援活動に生かそうとする試みです。
 春の連続イベントの締めくくりに、3月25日(日)に扇町公園で開催します「東北-関西 障害者支援 ポジティブ生活文化交流祭」のメインイベントとして、午後2時から「100人しゃべり場」を企画しました。被災障害者救援活動へ行った人も、これからやってみたい人も大歓迎で、テレビ報道と同じところ、ちがうところ、被災地に行って感じたこと、行かなくても感じたことなど、参加者みんなで語り合う場を持ちたいと考えました。被災地からも何人か障害者をお招きする予定です。みなさんのご参加、ご協力をよろしくお願い申しあげます。


おすすめのシンポジウム
 3月3日(土)午前10時半より、京都のラボール京都(京都労働者総合会館)で開かれる、シンポジウム「障害者と原発問題-福島原発事故以後をどう生きるか-」のご案内をさせていただきます。福島県の鈴木絹江さんの基調講演と、堤愛子さん、槌田劭さん、橋本尚樹さんをパネラーにしたシンポジウムは、原発事故の影響でこれから100年以上もつづく負の連鎖がはじまろうとする今、障害者のメッセージから未来のありかた、社会のありかたを考える機会となることでしょう。

宮崎のたんぽぽ作業所のみなさんから

 2005年の台風の時にゆめ風基金が支援させていただいた宮崎市のたんぽぽ作業所のみなさんから、励ましのお手紙をいただきました。
「たんぽぽ作業所」のみなさん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。


 ゆめ風基金の皆様
 お元気でお過ごしのことと思います。
 南の島(宮崎)にいて3月の大地震の事は、テレビの報道などで十分わかっているのですが、遠い国での災害のような錯覚を覚えてしまうようで、自分の心が寒くなります。
 17年(2005年)の台風の時は、被害に合って途方に暮れていたたんぽぽ作業所へどこよりも早く大阪のゆめ風基金から支援の手を頂きました。
 ゆめ風基金のことをまったく知らなかった私は、こんな小さな作業所へ大阪の団体から基金を頂いたことに深い感動を受けました。
 ゆめ風基金様、どうぞこれからも障害者団体への救援活動をお願い致します。
 私たちたんぽぽ作業所も少しでも気持ちを届けたいと思いながら障害者の社会参加の手助けをして行きたいと思います。
 通所生が手紙を書きました。読んであげて下さい。
 寒い日が続きます。お体ご自愛ください。
                          NPO法人たんぽぽ作業所
                                 西本マリ子
ゆめかぜききんのみなさんへ
おげんきですか。
はるになってじしんをうけたおともだちがねしあわせになるといいですね。
みやざきからたんぽぽさぎょうしょのみんなでおうえんしています。
ゆめかぜききんのみなさん元気ですか
僕も元気です。2011年3がつ11日にみやぎ岩手のたいへんな地震と水の中
おうちがこわれてたいへんでしたね。
僕達もおうえんします。
ゆめ風基金の皆さん
お元気ですか。たんぽぽのみんなも元気です。
昨年の3月11日に東日本大震災がありましね。
大きな地しんで津波におうちが流されて大変でしたね。
お友だちとたすけあってがんばって下さい。
私たちたんぽぽのみんなも応えんしています。
みなさんのしあわせを心からねがっています。
みなさんの寄せ書きはここをくりックしてください。
宮崎市たんぽぽ作業所
たなばたのかざりつけ
皆が幸せになりますように!

ヒデの救援レポート、2012年2月13日

ヒデの救援レポート、012年2月13日:58
●でも、春は、必ず、人びとの暮らしの庭に訪れるのです!
○記念したくもない、3・11東日本大震災の日まで1年に、1ヶ月の時間を切りました。もう一年なのか、まだ一年なのかの感慨を、みなさんがお持ちになっているだろうことを、hideは、静かに、拝察しております。
 時は人間の都合で切り刻むことができません。ずっと流れ続けるばかりです。その証拠に、hideの小さな家のネコが言葉を理解すれば激怒するでしょう、ネコの額ほどの小さな庭に植えてある桃の木の枝の小さな蕾が三寒四温をくぐり抜けて、ちょっとずつ大きくなっています。
 やはり、時は巡るのです。現在も時の流れにさらされ、橋の下を流れる水の想いでからくもこの一年に何が出来たのかと、うろんと振り返ると、言葉にならない気持ちにとらわれます。様々な被災地の状況情報を勘案しても、 あまりにhideたちの非力が目立ちます。努力だけでは成せないことがあるとは、千も承知しています!
起こったことの巨大さ、結果としての、深く広い悲しみ。原発事故の行方を告げない放射能の計算不能な時間の長さに立ち尽くしてしまいますが、でも、春は必ずやってくる。人間も自然の一部なのだから、時間の流れに従い、倦まずたゆまず生き、被災地の人びとと心を通わせ、ひととして被災した人たちが担っている荷物を分け持つしか方法はありません。そのために、hideは、残った時間を使い切る想いでいます。
 みなさんは、どうでしょうか?ひととしての問いは自分から発しますが、それはまた、自分に返ってくるのです!迫り来る一年を前に、まだか、もうかを問い続けます。これからの一年間、ひたすらにお金をいただき、ひたすらに被災地支援に使わせていただきます。
 被災3県の沿岸部には、10ヶ所の被災障害者支援の拠点が地元の人たちの努力でできました。その拠点運用のために車、家賃、人件費などに、毎月1000万円の費用が必要になっています。
 被災障害者救援本部は、この先、三年間の計画的支援方針を決めました。ゆめ風基金もhideも、うんとこしょと踏ん張ります。たとえ、それが空元気であったとしてもです。hideたちは、ひとの気持ちを裏切らないと約束したのですから。どうか、これからの長い道のりを共にしていただきますよう、改めてお願いします!春の巡りを信じ、一年目を目前にして!
hide拝
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、2月7日までに、210337493円です。これまでに支援した団体、個人への金額は12月31日現在、東北へ123599050円、台風12号関連、香川県、和歌山県、兵庫県方面2942828円、フィリピン大洪水、10000000円です。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
 息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
●hideの畏友のおひとり、京都・花園大学、特任教授、八木晃介さんの私的メディア試行社通信の303号の記事ハレンチなこの国からの抜粋。
●連絡先・TEL&FAX・075-221-2675
●3・11を経験したあとに、野田政権が誕生したこと、本当にこの国の不幸であると思います。本質的に無能であって、かててくわえて、やることなすこと、すべて極端にさもしく、かつ、あさましい。むろん、それを追認している国会も同罪です。
 たとえば、原子力協定。政府がヨルダン、ベトナム、ロシア、韓国とむすんだ協定が国会で承認され、このことによってこの国は原発の輸出が可能になったというのだから、驚きをこえて呆れはてます。さらにインド、南ア、トルコとも協定の締結交渉をすすめているらしい。原発の受注競争でこの国の独占資本が不利にならぬことをめざしたものでしょうが、まさに死の商人を地でゆく暴挙であります。
 そもそも、非核3原則にてらしていえば、原発そのものがこれに違反しているのです。核兵器と原発が完璧に同根のものであることを忘れてはならない。原発が絶対に安全でありえないことを証明したのが3・11であったにもかかわらず、野田は国会でヌケヌケと輸出は・国際的な安全の向上に資すると説明していました。
 事故の原因も収束の方法もわからず、最終的にどれほどの人的・物的被害になるのかもわからぬ原発を平然と他国に輸出しようという心根が理解できない。三菱や日立などの死の商人のご機嫌ばかりをうかがい、被害を受けるだけの自国他国の民衆への眼差しをもたない、そのような野田に代表される政治屋どもをその場においておくことは、倫理的にも道徳的にも決して許されることではないとおもいます。
 私たちは何というはずかしい政府をもっているのか。大手マスコミも同罪です。原発問題に関してはこの間、比較的まともな報道を続けてきた毎日にしてからが、拙速にすぎはしないかと見出しされた社説12月10日付を掲載するのが関の山でした。一応は国内で脱原発依存を進める一方で、海外に危険や不安を輸出することがあってはならないと政府のダブル・スタンダードに釘を刺す議論を提起していましたが、しかし、見出しからもわかるように、社説の主張は拙速でなければ、あたかも原発輸出をしてもよいかのようなものでした。他の新聞やテレビの主張はおしてしるべしです。
後略以上
●東京、新宿にある健康アメニティたのし誌編集部からのお便り
●TEL03-3269-9985
●始めてお便りします。Tと申します。昨年TBSラジオから流れている、永六輔さんの呼びかけに応えました。ゆめ風基金の考え方、行い方に共鳴して支援者となりました。4月から毎月僅かですが、僕の会健康アメニティたのしで集めたお金を送金させて頂いてます。同封しましたたのしにその都度報告しております。今月も近日中に送金させて頂きます。できましたら郵便振込票を少し多めに送って頂けますでしょうか。よろしくお願い申し上げます。突然のお願い、無礼お許し下さい。T
●JDF宮城北部センター管轄地域気仙沼市・南三陸町・登米市支援活動の統計表2011年5月から11月26日
●5月・物資支援、8○送迎通院など、4○勉強支援、1○相談支援、1○安否確認、6
●6月・○物資支援、2○引っ越し支援、1○送迎、9○放課後支援、3○勉強支援、8○相談支援、1○掃除支援、1
●7月・物資支援、2○送迎、19○放課後支援、5○安否確認16○
●8月・○物資支援、4○引っ越し支援、1○送迎、24○放課後支援、3○安否確認、10○余暇支援、3
●9月・○引っ越し支援、4○送迎、21○放課後支援、19
●10月・○物資支援、2○送迎、15○放課後支援、2○相談支援、1
●11月・○引っ越し支援、1○送迎、3○放課後支援、1○相談支援、1○安否確認、1○余暇支援、1
●合計・○物資、18○引っ越し、7○送迎、95○放課後、33○勉強、9○相談、4○安否確
認、33○掃除、1○余暇、4以上
●びっくりしたなぁ!でも、うれしいハプニングでしたね!
 以前にお知らせしましたが、ゆめ風基金呼びかけ人のお一人であった、パントマイム、ひとり語り芸人のマルセ太郎さんの没後11年を偲ぶ会2012・文忌(もんき)が、1月29日、神戸新聞、松方ホールで開催され、ゆめ風基金呼びかけ人権代表の永六輔さん、呼びかけ人代表の小室等さん、オオタスセリさんなどが出演されました。
 ゆめ風基金からも、牧口代表を始め、スタッフが6名参加しました。永さんは、みなさんご存知のように、昨年秋に転ばれ、大腿骨骨折のケガを負われました。それ以後、手術、リハビリ生活、車イス生活を余儀なくされています。それ以来、hideたちが見る永さんの姿は、車イスの上にありました。昨年暮れのゆめ風基金東京イベント・カタログハウスにも参加が危ぶまれていましたが、車イスでの登場をされました。
 実のところ、hideたちはそのような状態で神戸までおいでになれるのかと、心配をしていました。出迎えには、ゆめ風事務局員の南さんが、お母さんの通院の時に使っている、座席がクルリと回る車で新幹線新神戸駅まで行きましたが、やはり、息子さんの押す車イス姿で到着されました。
 ところがです、ご自分の出番では車イス姿でしたが、スセリさん、小室さんのステージが始まると、舞台の袖から歩いてトコトコと登場されたのです。これには場内がざわめいて、感嘆の声が上がりました。hideたちスタッフはハラハラドキドキものでしたが、思いっ切りびっくりしました!でも、とても嬉しい気持ちになれました。イベントの終了間際、これから病院に帰らねばならないからと、息子さんの押す車イスに乗って、また、南さんの車に乗り、新神戸駅に向かわれましたが、次は大阪でボクのコンサートをやろうとの言葉を残されました。ホント、びっくりしたなぁ、もう!(びっくり)ものの、歩き姿でしたね~!
以上

2月11日の街頭募金、ありがとうございました。

2月11日の街頭募金は25人のご参加をいただき、75,783円の募金額となりました。
参加していただいたみなさん、寒い中ご苦労様でした。募金をしてくださったみなさん、ありがとうございました。募金額については後日報告させていただきます。
次回は3月10日(土)午後1時~5時 大阪なんば高島屋前です。
よろしくお願いします。
2012年2月11日街頭募金
2012年2月11日街頭募金

【いま、人々の暮らし、その本来のあり方を見つめ直す時かもしれません。】

KSKP No.56 2012年2月6日発行 【ゆめごよみ風だより】より
【いま、人々の暮らし、その本来のあり方を見つめ直す時かもしれません。】
                                    代表理事 牧口 一二
新しい年の始まりです。どのような思いで新たな年を迎えられたでしょうか。とくに被災地のみなさんの思いは、被害を受けられた状況によっても異なるでしょうし、それまで体験されなかった壮絶な情景を目の当たりにされた人々の思いは、いかばかりかと想ってはみるものの、とても想い至るものではないと知るのみです。
 昨年は3月に東北関東大地震大津波そして福島原発大事故、その被害状況があまりにも大きく広範囲だったため、9月はじめに起きた和歌山・奈良あたりを襲った12号など複数の台風での被害はあまり報道されませんでしたが、橋が流されて開通までに3か月を要する陸の孤島が出現するなど、けっこう大規模な傷跡を残しました。
 そしてまた、福島の原発大事故はだんだん東京電力や政府の失態が明らかになり、空気のように住み慣れた故郷と隣人たちから離れ離れにされたまま2度と帰れない人々が、そして家族ができてしまうところに来ています。そのうえ仕事まで奪われて、こんな破壊が、人災が許されていいはずがありません。私たちはいままでの暮らしぶりを変える時ではないでしょうか。「節電、節電」と騒いでいますが、もともと夜はロウソクのほのかな明かりで1日の営みを静かに思い返す時ではなかったでしょうか。ネオン煌めき、高層ビルの窓からの灯が明々と道を照らす現代では考えにくいことでしょうが、せめて本来の意味を思い起こしたいと考えます。
いま、昨年の出来事を少し離れた大阪の地から感じているボクは、正確な表現は忘れましたが宮澤賢治の「みんなが幸せにならなければ1人の幸せはありえない」という言葉がしみじみと胸に迫ってきます。
 また、両手両足がほとんど動かないのでベッド式車いすに寝た状態で(通りかかった人々に声をかけ手足を借りながら)1人でどこへでも旅した畏友Uクンがつねに言っていた「地球上の全ての人々が両手両足を繋いで作った大きな網が地球をおおっている……それが人間の姿だ」という言葉がよみがえります。その彼は40歳を待たずに星になりました。 現代を生きるボクたちは、もっとゆっくり生きてもいいのではないか、もっと自分自身が歩んでいる道程をじっくり見つめ吟味しながら生きなければならないのではないか、と考えます。偉そうに言うのではありません。むずかしく考えているわけでもありません。昨年に大変な体験をしてしまった、させてもらった今という時、この世に生を受けてから今の自分までをじっくり見つめてみる時ではないか、と思うのです。
 いまの世は、解らないことが多すぎないでしょうか。たとえば、ボクが60の頃からおずおずと始めたパソコン、まるで生き物のようにボクに逆らいます。なぜ逆らうのか、何が気に入らないのか、それでもボクの日常にどんどん入り込んできて、ボクを困らせます。だけど機嫌のいい時もあって、その時はとても便利で、とても賢く、もっぱらワープロ代わりに使っているのですが、たまに地図を検索したり、百科事典として活用します。といってもインターネットのことはほとんど知らないボクのこと、日常生活の中には入ってなくて、思えば昨年、いくつかの独裁政権を倒したのはインターネットで繋がった民衆の結束とのことでした。パソコンってすごいなぁ、時代はどんどん変わっていくんだなぁ、と驚きましたが、どこかピンときませんでした。何事も速くなって、そのスピードに戸惑っているボクです。
これからも、多くの人々から寄せていただいた「ゆめ風基金」を活用してもらえる被災地の障害者と障害者支援団体を探し続けます(2億円をそっくり活用してもらおう、と宣言してから10か月が経った現在、12号台風への支援も含めて1億2千万円強の段階です)。
 なお現在、被災3県に設けた救援センター9箇所と避難センター2箇所、計11拠点の日常の支援活動費が毎月1千万円を超えています。これは被災障害者の切実なニーズに応えての結果なのですが、これからも長く支援を続けていくために、被災地の人たち(障害者たちを軸に)と相談しつつ、復旧ではない復興の、それにとどまらない復活の、そして古きよきものを大切にしての新生まちづくりが実現するまでの支援の在り方を考えていこうと語り合っているところです。
 どうか、長い支援を続けていきたいと願っている「ゆめ風基金」に、これからも力づよいお力添えをいただきますように。そして、これからの支援金の届け先についても見守り、見届けていただきますよう、心からよろしくお願いいたします。 (2012年1月)