明後日11日(土)午後1時より午後5時まで、大阪なんば高島屋前で街頭募金を行います。
3.11震災以来27回目を迎えます。
少しの時間でかまいません。関西障害者ネットワークの街頭カンパ活動に、なにとぞご参加をよろしくお願いします。
8月19日から12日間 東北の障害者たち(総勢40名)がバリアフリー社会を訴え、被災地沿岸部の宮古から陸前高田まで150㎞を歩きます。
「街頭カンパ行動の心意気」は東北の障害者にしっかりと届くことでしょう。
当日 少しでも曇り 気温が下がりますように!
水分補給をくれぐれもお願いします。
ヒデの救援レポート、012年・8月6日
ヒデの救援レポート、012年・8月6日:82
7月4日から6日までの2泊3日で、仙台に行ってました。バクバクの会定期総会と記念講演会、交流会と、被災地障害者センターみやぎ訪問です。強行日程なので、へろへろです。ということで、発信が遅れました。すんまへん!リポートは後日にします。hide拝
福島県民として大飯原発再稼働に関してもの申す その3
福島県民・白石清春脳性マヒ者被災地障がい者センターふくしま代表
放射性物質による福島の現状についてはまだまだ書きたいことがあるが、現状報告はこれくらいにしておく。このように、福島の原発事故は私たち障がい者にも多大な影響を及ぼしている。
私は、福島県に生きる人間として、障がい者として原発の再稼働に関しては絶対に容認できない。何故に、人間の力や技術では制御できない原発にこだわるのか。もし仮に、事故を起こさないで原発が寿命を終えたとしよう。 その引退した原発を解体しなければならない。原発を解体するにも何年もの時間を費やし、被ばくを受ける作業員を無駄に増やし、解体作業にも莫大なお金がかかるだろう。そのような経費の計算は各電力会社ではしていないだろう。そして、何十年とかけて冷やされた使用済み核燃料を固化したガラス容器に詰めて、地下深く何十万年という気が遠くなるほどの歳月を安全に保管しなければならないのだ。
フィンランドでは原発が立地されているオキルトオト島の地下の岩盤をくり抜いて、地下400メートルに核廃棄物を永久保管するオンカロ計画が進行中である。私は、オンカロをモデルとした映画100000年後の安全を観た。10万年後では文明自体が変化して、この時代の言葉が通用しないかもしれない。危険な核廃棄物が入っていることも知らずに地下400メートルの封印を開けるとも限らない。いくら堅い岩盤とはいえ年月を経る中で海水が貯蔵施設に入り込んでくる危険性も零ではない。
我が国ではまだ核廃棄物最終処分場をどこにするのか決まっていない。このように地震の多い日本の地下深くに最終処分場を建設できるのだろうか?最終処分場が決められないなか、原発を再稼働させていくということは使用済み核燃料を冷やしておく燃料プールを原発の敷地内に増設していくことになるのだろうか?日本で処分することができない場合は外国に処分を依頼するのだろうか?
そのような深刻な問題を棚の上に置いて、原発の再稼働をするというあきれたずさんな計画?を立てているのが日本政府や電力会社、原発関連会社である。前述したが、福島原発1号機から4号機の内部がどうなっているのか全然わかっていない状況がある。放射線量が非常に高いために作業員たちが原発の内部を確認することができないのである。
福島原発は建設されてから40年も稼働し続けていたため格納容器などが劣化していたことも考えられる。東日本大震災の地震によって格納容器が壊れたかも知れない。福島原発の事故の検証や内部状況の点検などが全然行われていないにも関わらず、大飯原発の再稼働やその他の原発の再稼働にゴーサインを出すという政府の判断は絶対に間違っている。
原発事故により福島県民が失意のどん底に突き落とされているこの現実を日本の政治家はどのように把握しているのか。農業も漁業も牧畜業や酪農も放射性物質のばらまきによって、何もかもが崩れ去っていく福島のこの現実をどう見ているのか。福島県民は多量の放射性物質にまみれて福島県が衰退していくのを待っているだけなのか。第一次産業が壊滅的であるなら、第二次、第三次産業においても壊滅的ダメージをこうむるのではないか。
せめて、せめて福島県の子供たちだけでも政府の責任で放射線の影響のない地域に集団疎開させていただきたい。一時的に福島県の人口が減ってもいいだろう。子供たちが放射能に汚染されずに済むのなら。何百年、何千年かかろうと、福島県の新生を願う強い志があるのなら、福島県民の子孫が自然豊かな、米の美味しい、果物がたくさん実る福島県は不死鳥のようによみがえさせるはずだ。それにかけて、遠い未来を見据えよう。
大都市東京が停電になると昨年の夏は大騒ぎしたが、なんとかその危機を乗り切ったではないか。今夏、大飯原発を再稼働しないと大阪は14%マイナスの電力減になるという。大阪人の気質でみんなの創意と工夫があれば、大飯原発を再稼働しなくてもこの夏を乗り切れると私は信じる。
病院には自家発電装置を設置政府や行政が補助して、ALS患者等人工呼吸器をつけた者に対しては行政が小型発電機を支給するような対策をとっていき、大阪府民や大阪市民、それに大阪の企業が消費電力を減らす努力をすれば、必ず乗り切れる。
日本の全国民が数年間の夏の季節を乗り切り、その数年間で地熱発電、海洋風力発電、太陽光発電、波力発電、河川発電などの自然エネルギーを利用した発電システムを設置していけば、必ず未来は拓けるであろう。
もう一つ、原発が稼働を停止すれば原発を抱える地方自治体では、多額の補助金が降りなくなるので、原発の稼働を停止したくないと言っているところが多いが、原発が設置される以前にはその地方自治体独自の予算だけで運営していたのだろう。それでも補助金がほしいという地方自治体に対しては、原発を解体していくまでの間は補助金を出していく方法を考えればよい。
ドイツでは現在原発を解体中だが、解体作業にも何年もの時間が必要なのだ。原発解体の期間中にその地方自治体では原発に頼らない、自立した地方自治体を創造していけば良いではないか。我が国日本では、大小いくつもの戦争や災害、公害を経験して、幾多の苦難に立ち向かって日本再生を図ってきた。この未曽有の東日本大震災を、福島原発事故を経験しておきながら、我が国の政府はこれまでの方法をまったく変えようとしないで、このまま突き進んでいく気でいるらしい。
福島の原発事故、普天間の問題、世界の紛争、難民問題、経済問題、世界の貧富の格差問題、自然破壊、環境問題、どれにしても人間がかかわっている問題である。人間の醜さが奏でる不協和音交響楽はこれで終りにしよう。もうこれぐらいにしてよ、人間よ、変わらなければ人類は滅亡してしまう。それほどの崖っぷちに立たされているのだ。まずは日本国民が先頭に立って平和の礎を構築していくために、大飯原発はじめ全国の原発の再稼働をストップしていく行動から始めようではないか!!おわり
ただいまの基金額は、290907921円・012年4月30日現在被災障害者支援ゆめ基金が東北被災障害者支援した救援金、金額は、6月7日までに、130209050円です。これまでに支援した団体、個人への金額。6月7日までに、178547749円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
いろいろな場面で、ゆめ風基金と協力関係にある、NPO法人共同連の第29回全国大会・東京大会の案内から
012年9月1日(土)12時~2日(日)8時半
立教大学・池袋キャンパス
連絡先・東京実行委員会
東京都北区中十条1-2-18、障害者福祉センター4F
NPO法人わくわくかん内
TEL・03-6388-9163
FAX・03-3906-9997
1日目、特別報告
これからの生活困窮者支援ー生活支援戦略ー中間まとめーを中心に・生活困窮者自立支援室長・熊木正人さん予定
基調講演
生活保障ー排除しない社会へ・宮本太郎さん・北海道大学教授全体交流会
2日目、12分科会
第6分科会大震災から1年半大きな被害をもたらした東日本大震災から1年以上が過ぎました。様々な団体から震災についての検証が出されています。ゆめ風基金でも今回の震災を受け、新たに防災提言集をまとめました。
私たちは、今回の震災からなにを学び、今後にどう生かしていくべきでしょうか。ゆめ風基金の八幡さんにお話をお聞きしながら考えたいと思います。
一方、福島はもちろん、沿岸部ではまだまだ復興へは遠い道のりです。福島県南相馬市の青田さんからは、1年半を過ぎた被災地の現状を語っていただき、今後の支援のあり方についても考えたいと思います。
コーデネィター・発題者飯嶋茂さん・コッペ仙台
八幡隆司さん・NPO法人ゆめ風基金
青田由幸さん・NPO法人さぽーとセンターぴあ
以上!
2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第七組
2012年度障害当事者派遣プロジェクトレポート第七組
2012年 被災地当事者派遣 報告書
自立生活夢宙センター 陶山雄一 時枝高志
【スケジュール】
7月16日(月)
○CILもりおかにて「みちのくTRY」会議参加
○そば処「東屋」に「みちのくTRY」参加・ボランティア募集のチラシを置いてもらいに行く。
*「みちのくTRY」Tシャツ販売に関しても相談した。
7月17日(火)
○北日本医療福祉専門学校に講演とボランティア募集に行く。
*「みちのくTRY」や被災地障がい者センターの活動などの話を行なう。
○身障者企業組合「夢IT工房」で活動している、「みちのくTRY」参加希望者に会いに行く。
*不安な気持ちに対し、整理が行なえるようサポートを行なう。
(当事者2名が一部参加してくれる。)
○盛岡医療福祉専門学校に行く。
*担当者が不在のため窓口で「みちのくTRY」のチラシを渡し、生徒さんたちにTRYの話が出来る機会を作ってもらえるようにお願いした。
7月18日(水)
○被災地障がい者センターみやこでのミーティングに参加
*各担当者から支援活動の報告
○被災地障がい者センターみやこ付近散策(仮設住宅など)
○山田町社会福祉協議会に「みちのくTRY」での協力の確認と山田町のイベントで配ってもらう「みちのくTRY」のチラシを持って行く。
○大槌役場に「みちのくTRY」の協力依頼に行く。
*休憩場所・トイレ・充電などの利用許可はもらえたが担当者が不在のため、要望書の受け取りに関しての説明は行なわずに後日訪問することになった。
○重症心身障害者の方に送迎などの支援
7月19日(木)
○被災地障がい者センターみやこでのミーティングに参加
*各担当者から支援活動の報告
○NPO法人 さんりく・こすもす訪問
*「みちのくTRY」参加の呼びかけに行く。(当事者2名・スタッフ2名が一部参加)
○大船渡市で住民と話をする。
○大船渡屋台村散策
*「みちのくTRY」参加・ボランティア募集のチラシを置いてもらえた。
○大船渡市障害福祉係りに「みちのくTRY」の協力依頼に行く。
*休憩場所・トイレ・充電などの利用許可と要望書の受け取りの確約を得る事ができた。
○被災地障がい者センターおおふなとに「みちのくTRY」の協力に行く。
7月20日(金)
○被災地障がい者センターみやこでのミーティングに参加
*各担当者から支援活動の報告
○被災地障がい者センターみやこ付近散策・来訪者の対応・住民との交流を行なった。
7月21日(土)
*「みちのくTRY」宿泊場所として、大船渡市三陸町「南区公民館」を利用できるように話をしに行く。
*利用の確約を得る事ができた。
*宿泊時にNPO法人 さんりく・こすもすの方とイベントを行なおうという話も出た。
○陸前高田市の障害者支援施設「ひかみの園」に「みちのくTRY」参加と宿泊場所として利用協力のお願いに行く。
*利用の確約を得る事ができた。
○陸前高田市の作業所「きらり」に宿泊場所として利用協力のお願いに行く。
*利用の確約を得る事ができた。
○陸前高田市の仮設住宅の視覚障害者の方に「みちのくTRY」参加の呼びかけに行く。
*一部参加してくれる。
○大船渡市の脊髄損傷の方に「みちのくTRY」参加の呼びかけに行く。
*一部参加してくれる。
●今回、被災地に行き感じたことは、被災して1年数ヶ月が経つことで、瓦礫の撤去が進んだとこでは雑草が生い茂り、そこに街があったことを隠すかのように、広大な草原が広がり、初めてその風景を見た人からすれば、自然が広がる良い場所だと思うほど、被災したことを覆い隠し、何もなかったかのように感じさせてしまう風景が広がり始めたと感じた。と同時に、ここで生まれ育った人にとってはこの風景を見ることで遣る瀬無く思い、私には計り知れない感情や思いが溢れ出てくるのではないかと思った。
被災地支援が始まり、今一度!自分自身に何ができるのだろうかと思うと同時に、今回の「みちのくTRY」で障害者が街を歩くことで、誰もが当たり前に自分らしい生活ができる「街づくり」の第一歩になれば良いなと思った。
障害をもつ一人ひとりが元気になるにも、みんなの応援と支えが必要だと思い、仲間の支えがあり一人ひとりが元気を取り戻し強くなっていくのだなと思い、今後も継続し支援していくことが大切だと感じたと共に、仲間のつながりを広げながら、みんなで被災地の仲間を盛り上げ、被災地の仲間が「みちのくTRY」や「自立生活」を元気にスタートできるように、みんなで盛り上げ頑張っていきましょう!!
☆みちのくTRYから!仲間みんなで誰もが住みやすい街につくりかえよう!!
*上の写真は2011年10月で下の写真が2012年7月の大船渡の茶屋前商店街の写真です。
7月16日に17万人さよなら原発大集会に参加しました! 永さん 小室さんのお話もありました!
7月16日に17万人さよなら原発大集会に参加しました! 永さん 小室さんのお話もありました!
ゆめ風基金 会員 細見圭(文・写真 東京都杉並区)
集会が始まったのは、12時過ぎ。
一日のうちで最も暑い時間帯に突入。 それなのに、参加者はコンサートが始まると行儀よくステージを楽しみ、また呼びかけ人の話には、一言一句聞き逃さないように集中して聞いていました。
第1ステージオープニングは小室等さん、こむろゆいさんが登場
「誰かが風の中で~」木枯らし紋次郎の主題歌
「『あっしには関わりのないことで』と言いながら弱者を助け、颯爽と去っていく。
ボランティアの先駆けだよね」と。
聴いている参加者達は共感の笑いと拍手。
途中主催者スタッフが、立っている参加者やマスコミの人達にみんなが見やすいように座る様に呼びかけたり諸々注意。
コンサート再開に当たり、小室さん「暑いからみんなイライラするよね。でもこういう時こそ皆で仲よくやろうね。
もちろん仲よくしたくない人達にはNOを言わなきゃだめだけど!」
ユーモアを交えて語りかけてくれてくれました。
「永六輔さんに今日の集会参加する、って言ったら、僕も行くって言ってくれたの。
永さん、どうぞ」
永さん、佐高信さんが押す車椅子に乗って登場。
「金曜日の夜は、首相官邸前に行きましたよ。小室さんはチェルノブイリに行ってるの。だから僕は信用している。原発については僕は中山千夏が言ってることを支持している。
湯を沸かして電気を作る装置になんで放射能が必要なの?」
永さんは金曜日の官邸前再稼働反対デモに一人ででかけたそうです。自分でその場に居合わせることが大事だと話していました。
ゆめ風呼びかけ人李政美さんもステージに参加されていました。
やはり呼びかけ人落合恵子さんも力強いアピールをしておられました。
「野田政権に聞きます。
あなた達が国民と言う時、だれを一体見ているのか?
今日ここにいるのが国民であり市民なんです」
2時からいよいよ3コースに分かれてデモ行進をしました。
一緒に歩いた女性が手作りのプラカードを日傘につけていました。
デモが始まると、また警官の交通規制が酷く、
そして800人単位で歩かせるとの約束だったのに、
200人位で分断しようとしていました。
私も熱中症対策をしていったおかげか、倒れることもなく、
デモも最後までコールをしながらしっかり歩けました。
<デモに参加した市民の様子>
個人グループのデモ隊 到着地が明治公園(千駄ヶ谷)のコース
コールは自然発生的に誰かがリードして、途中で途切れると違う人が「再稼働反対!」「原発反対!」とコールし始めます。もちろん、私も何度かリードして声をあげました。みんなに悲壮感はなく、沿道を歩く人に手を振ったり、一緒に歩く子どもや抱かれている赤ちゃんに声をかけたりとても家族的な雰囲気でした。盲導犬を連れて歩く視覚障害者の方もいらっしゃいました。
5月5日の芝公園からのデモより、今回の方がずっと参加者も多く、フレンドリーな感じでした。
それは毎週金曜日に行われている「首相官邸前の抗議行動」の影響も強いのでしょう。
回を重ねるごとに参加者が増え、「再稼働反対!」のコールを休むことなく
2時間続けている結果、私達も鍛えられていると思います。
一過性のものではない、「子どもの命を守りたい」という女性達の強い思いが、
この運動をリードしていると実感しています。
猛暑にも関わらず、真に強靭で優しい精神が「原発をゼロにしたい」という行動を推し進めているのです。
<帰りの電車の中で・・18:30頃>
プラカードを持っていた中高年グーループ
細見「お疲れさまでした」
女性(60代後半か70代前半)
「あ~本当にお疲れ様。私達は最終だったみたいだけど、みんな良い顔してました。
次に繋げましょうね」
「LOVE FUKUSHIMA」のプラカードを下げて歩いた私に、後ろを歩いていた女性(50代?)が
声を掛けてくれました。
女性「福島からこられたのですか?」
細見「いいえ、娘が二本松で仕事しているんです」
女性「うちは姉が郡山に住んでいて、毎年お米送ってもらってたんですよ。それがもう・・・
でもみんな向こうに住んでいます。行くところがないから仕方ないって感じです」
彼女は発泡スチロール製のおにぎりの模型を持って歩いていました。
小室等さん、こむろゆいさん
永六輔さん、佐高信さん
17万人のひとが集まりました。
大江健三郎さん
落合恵子さん
7ヶ所の被災地障がい者センターの活動資金に4500万円を送金
7箇所の被災地障害者センターの活動を支えるために2012年度支援金4500万円を送金しました。
震災から1年4ヶ月たちました。
岩手、宮城、福島の被災地障害者センターでは、15人の地元の方を雇用し、県外ボランティアと共に毎日、送迎、介助、見守り、相談、ニーズほりお こし、避難支援など多岐にわたる救援活動を続け ています。病院や作業所、買い物などへの送迎ニーズが高く、活動の大きな部分を占めています。切実なニーズ ですが、公的支援は一切ありません。
ゆめ風基金では、障害者ネットワークで構成する救援本部世話人会議(障害者8ネットワークが参加、事務局はJIL全国自立生活センター協 議会+DPI障害者インターナショナル日本会議+ゆ め風基金)と共に救援活動を行っています。救援本部では被災地の声をもとに、被災地障害者センターを支える2012年から3年間の資金計画を立てました。2012 年度の支出予算は1億2506万円(3年で約3億円)。 内訳は7被災地障害者センター活動費、3障害者団体への送迎委託費、当事者派遣活動費、事務所改造、移送サービス車両費など。
ゆめ風基金の会員の古庄和秀さん(大牟田市議会議員)より
ゆめ風基金の会員の古庄和秀さん(大牟田市議会議員)より
関係各位、酷暑の候、暑中お見舞い申し上げます
本日の日経夕刊に宮城の震災被害は障害者は2.5倍との記事がありましたので
参考まで添付します。
2012年7月30日(月)日本経済新聞夕刊
ヒデの救援レポート、2012年7月28日
ヒデの救援レポート、7月28日:81
28日、54歳で逝った女性の友人のお通夜。29日は、告別式。30日は、亡くなった連れ合いの保子さんの命日です。ということで、早めの発信にしました!すんまへん!
福島県民として大飯原発再稼働に関してもの申すその2
福島県民・白石清春(脳性マヒ者、被災地障がい者センターふくしま代表)
放射線の影響は成長の早い子供の身体を蝕んでいく。放射線のエネルギーで細胞のDNAが傷つけられる。そのDNAが修復されないうちに細胞分裂が起こり、悪性腫瘍ができやすい身体になっていく。さらに、放射線による影響から免疫力低下の状態になっていくことが考えられる。障がい者や高齢者にも、免疫力低下による様々な病気が起こるのではないだろうか。
今後、福島県では放射線の影響によって虚弱児や障がい児が多く生まれてくることも考慮しておかなければならないだろう。いくら重度でも、いくら身体が変形していたとしても、この世に生を受けたものとして、この社会で生きていく権利=生存権が確立していかなければならないと私は考える。放射線の影響で産まれてくる身体が変形している子供たちは、私たちと同じ障害者なのである。その障害者を認めないということは、私の存在自体を認めないことにつながるのだから。
福島県内に住む若い女性が、福島の戸籍を抹消したいと言っているということを聞いた。福島県の女性とは結婚できないという風潮が全国的に広まっているからだろうか。さらに、福島県内では水面下で堕胎が増えているという。福島で生まれた子供は身体に障がいを持って生まれてくるのではないかという優生思想に裏打ちされた障がい者に対する差別意識と恐怖意識があるからだろう。
原発事故を契機に障がい者を排除していく意識に対しては敢然と闘っていかなければならないと私は考えている。障がいがあろうが無かろうが、みんな平等に人権が認められ、明るく楽しく安心して生活していける社会を創設していこうではないか。
福島県民の多くは政府や東電、または福島県から派遣された放射線の専門家の講演を聞いて、放射線はそんなに怖いものではないと錯覚してしまっている面がある。または、放射性物質の怖さから逃れたいという意識が働いて普通通りの生活を送っているふしがある。
原発事故が起こった当初はマスクをかけていた県民だったが、月日が経つにつれて自己防護の姿勢が見られなくなっている。私は郡山市に住んでいるが、電動車いすで走っている途中の保育所の前に放射線を測るモニタリングポストが設置されている。その数値は毎日0・4マイクロシーベルトを示している。この数値は、病院のレントゲン室と同じである。レントゲン室の中で毎日生活しているようなものである。このようなところに住んでいていいものだろうかと、ふと不安になる。また郡山市保健センターのモニタリングポストの数値は0・6マイクロシーベルト以上をさしている。健康を保つ保健センターがこのような放射線量のある場所にあるのが不思議だ。
放射線被ばく関連の情報では、外部被ばくのことだけがクローズアップされているが、本当は内部被ばくの方を真面目に考えなければならない。ある専門家の話だと、外部被ばくの影響が15%だとすると内部被ばくはなんと80%になるという。人間は1日に5キログラムの空気を吸うという。この空気の中にも放射性物質が紛れ込んでいる。また、福島県産の野菜や果物、穀物の中にも放射性物質が混入している。昨年から今年にかけて降った雪が解けて、その水が山から里へ流れてくる。雪解け水の中にも放射性物質が入っている。高齢者のいる家庭では庭に野菜を作っていて家族で食べている現状を聞いている。
チェルノブイリの事故状況を調べている方たちの話を聞いていると、放射線の影響は5.6年後から出てくるとある。今はまだみんな平気で生活しているが、将来が恐ろしい。チェルノブイリ関係の動画を見ていると、原発事故が起きた時に30歳だった男性が40歳になった際、急に白血病に罹ったという。相当重篤な病状を見せていた。福島県にもこのような恐ろしい現実が来るのだと思うといても立ってもいられない気持ちになってくる。
政府や東電は、福島第一原発の1-4号機の格納容器の中に水が入っているので、メルトダウンしている燃料棒は安定状態になっていると伝えているが、ある情報によると2号機の核燃料は格納容器から漏れ出して地下800メートルにもぐってしまっているとのこと。格納容器に穴が開いて大量の水が地下に行っているに違いない。
4号機は無残な姿をさらけ出していて、今にも崩れ落ちそうになっている。4号機の上の方の燃料プールには使用済み核燃料棒などが1500本ほど入っている。今後強い地震が起きて、4号機の建屋が壊れて核燃料棒が地上にばら撒かれたら、再臨界が起きて4号機をはじめ1-6号機に人間は近づけなくなり、すべての原発が爆発していくのを、手をこまねいて見ているよりほかない状況になる。東日本は放射線によって人の住めない無法地帯になってしまうだろう。
4号機の上にクレーンを取り付けて、使用済み燃料棒を一本一本取り出し、4号機の下の方に新たに設置した燃料プールに移し替えるというが、あまりにも放射線量が高く4号機の近くに作業員が近づいて作業を行っていくことは難しいだろう。まだまだハラハラドキドキの綱渡りの状態が続いていくのだ。強い地震が来ないことを祈っているしかない。その3に続く
ただいまの基金残高290907921円・012年4月30日現在これまでに届けた救援金・178547749円・012年6月7日現在被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた東日本大震災への救援金、金額は、130209050円・012年6月7日現在。○台風12号関連、2942828円。フィリピン洪水関連、1000000円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
この、7月11日、東京の毎日新聞本社で、優れたNPOを表彰する第1回エクセレントNPO大賞受賞式が開催されました。ゆめ風基金も応募していたので、牧口代表の代理として、橘高事務局長と、車いす使用の女性、Nさんが参加しました。応募したNPO団体は163団体。その中から、受賞団体を選定する段取りです。主催・エクセレントNPOをめざそう市民会議共催・毎日新聞社・共同通信・丸紅など。
ゆめ風基金は、
震災特別奨励賞
貴団体は東日本大震災の被災地域において市民の力を結集して復興活動に取り組み、人々に大きな勇気をもたらしました。ここに第一回エクセレントNPO大賞審査委員会より頭書のとおり高い評価を贈り、これからも復興にむけて豊かな市民社会づくりに貢献されることを期待し、その栄誉を讃えこれを賞します。
課題解決力賞部門
貴団体は社会の課題に挑む非営利組織として課題解決力において第一回エクセレントエクセレントNPO大賞審査委員会より頭書のとおり高い評価を得られました。これからも豊かな市民社会づくりに貢献されることを期待しその栄誉を讃えます。
と、ふたつの賞を受賞しました。7月末頃には、毎日新聞紙上で報道される予定です。
ここからは、hideのぼやきです!一円を笑う者は、一円に泣くと故事にあるように、どんな小さなお金でも、大切に受け取り、被災地障害者支援のために、大切に使うのが、ゆめ風基金のポリシーです!だから、文句を言うつもりは、毛頭ありません。
が、しかしです!二人の、大の大人が、時間の都合をつけあって、大阪から東京まで遠出して、参加した受賞式です。立派なデッカい表彰状が2枚、副賞の目録袋も、紅白熨斗の堂々たるものです。問題は、その熨斗袋の中身なんですよ。これだけ、仰々しく開催された賞の副賞賞金が、驚くなかれ、金10万円だったのです。
もちろん、栄誉は、お金には変えられません。大変にありがたいことです。でも、でもですよ、ゆめ風基金は、讃えられるために、被災障害者支援をしているんじゃない。人としての権利のために、お金を集め、被災地に届けるのが努めなんです。現在進行形の被災地障害者支援のために、お金が必要なんです。hideは、想いました。嗚呼、10万円!たかが10万円。されど10万円!
以上
みちのくTRYにご支援をよろしくお願いします。
「みちのくTRY~復興に向けて障がい者も住める街づくり~実行委員会」では、ブログを公開し、被災地の障害者のみちのくTRYへの参加を呼びかけるとともに、ボランティアの参加や募金協力などの支援を呼びかけています。
ぜひごらんになってください。
みちのくTRYのブログより
みちのくTRY~復興に向けて障がい者も住める街づくり~
東日本大震災から一年が経過しました。私達は被災地で障がい者の仲間達が過酷な状況の中で生きていることを見聞きし目にしてきました。犠牲になられた方々のご冥福を祈り私たちはここに「みちのくTRY~復興に向けて障がい者も住める街づくり~実行委員会」を結成しました。
TRYとは、1986年に始まったバス、鉄道のバリアフリー化を訴える車イスでの野宿旅イベントのことです。今まで大阪-東京、旭川-札幌、仙台-盛岡、高松-松山、鹿児島-福岡、福岡-東京間など全国を車イスで歩いた歴史があります。そしていつしか、TRYは海を越えてアジア諸国へと発展しました。
TRYの目的は障害を持つ者が自ら、行動を起こすこと(歩くこと)で、社会に障がい者の現状を訴え、仲間と一緒に旅をし、社会を変えていこうとすることです。障害を持つ人が、自由にバスや、鉄道に乗れないコトを広く社会にアピールするため、徒歩と野宿の旅です。誰もが自由に安全に乗れるバスや、鉄道を目指して。
今回私たち障がい者が中心となり、岩手の被災地である沿岸沿道を歩き、市民と交流しながらいわての障がい者問題を一緒に考えて歩いていきます。
岩手県内や全国から、様々な障害を持つ人が参加します。
みなさん、いっしょに歩きませんか?
みちのくTRYのブログ
被災地障がい者センター石巻のブログより
被災地障がい者センター石巻のブログより
公開講座第1回 開催
7月1日(日)、石巻市保健相談センターにて、被災地障がい者センターみやぎ主催の
「共に生きる石巻を作る連続公開講座」の第1回「共に育つ」が行われました。
講師は、石川県金沢市の障害児通園施設「ひまわり教室」の徳田茂さん。
第1部では、「ひまわり教室」での障がいのある子とない子との交流や、
「ひまわり教室」に通う子供の親御さんの体験談などが紹介されました。
第2部では、参加者の皆さんと徳田さんとの間で質疑応答が行われました。
障がい児を持つ親御さんからの質問や感想に、徳田さんご自身の経験に
基づいたさまざまなアドバイスや意見をお話しいただきました。
「障がいのある子もない子も、互いに理解し合いながら育ちあう」ことの
大切さについて、改めて考えるきっかけとなる講座でした。
講師の徳田茂さん、ありがとうございました。
また、本講座の横断幕作成についてご協力いただきました
株式会社ABCパートナーズ様に厚く御礼申し上げます。
なお、この連続公開講座は、三菱商事復興支援財団助成事業です。
三菱商事復興支援財団様のご支援に深く感謝申し上げます。
次回の公開講座は、9月9日(日)、「障害者権利条約批准・インクルーシブ
教育ネットワーク」共同代表の北村小夜さんを講師に迎え、共に学ぶ」をテーマに行います。
被災地障がい者センター石巻のブログでは写真も掲載されています。ぜひごらんください。
被災地障がい者センター南三陸より
被災地障がい者センター南三陸の活動報告と予定
みなさま
お世話になっております
【報告】
16日(月) 鍼灸レンジャー舟橋さん事務所にて施術
17日(火) 送迎(車両貸し出し) 1件
レスパイト 1件
神奈川県社協主催:東日本大震災後被災地の今は・・・講師:太齋
18日(水) 仙台市アフタースクールぱるけ訪問・見学
19日(木) 送迎 1件
送迎(入浴有り) 1件
送迎(車両貸し出し) 1件
気仙沼支援学校先生と打合せ(太齋)
夏休み日中預かり打合せ
20日(金) 放課後見守り 1件
南三陸町観光協会打合せ
夏休み日中預かり打合せ
21日(土) 送迎 1件
【予定】
23日(月) 夏休み日中預かり打合せ
24日(火) 〃
センターみやぎ運営会議(太齋)
25日(水) 夏休み日中預かり 初日
26日(木) 〃
にこま~るにかかわりのある生徒2名の支援会議出席(太齋)
送迎(車両貸し出し) 1件
27日(金) 夏休み日中預かり
南三陸町・宮城県育成会会議(太齋)
28日(土) 送迎 1件
★7月17日より大阪そうそうの杜さんボランティア入りました
★日中預かりの名称をにこま~るにいたしました。
よろしくお願いいたします。
被災地障がい者センター 南三陸