①先日、バクバクの会(hideも事務局員をしている・人工呼吸器を使う子どもの親の会)の副会長で、
広島市在住の穏土ちとせさんから連絡があり、8月7日付けの中国新聞が、
大量に手にいれられたから、情報のお裾分けと、中国新聞が送られてきました!
ページを開くと、他の全国紙の記事が、オリンピックオンパレードなのに、
オリンピックの記事は、ホンの少し。
他のページは、原爆被曝67年目の8月6日の記事テンコ盛り。
記事の中には、原爆=核=原発=福島県=被災地東日本の目線が
キチンと織り込まれていました。
「核と人類」のテーマが色濃くにじみ出す紙面になっていました。
そんな紙面を眺めていて、突然、hideの脳裏に、原水爆とは無関係に、
福島県の原発事故=核のことを考えている自分の姿がたち現れ、狼狽しました。
若い頃の、原水爆禁止運動に夢中になり、(正しい原爆、正しくない原爆)論争に明け暮れ、
原水協VS原水禁の運動論のハザマでウロウロし、核の本質的恐怖に気づくことなく、
いつしか、原水爆禁止運動を忘れてしまった、若く、苦い記憶が
確かにあることを気づかされました。
原爆被爆者の方々の想いや無念に想いを致すことなく、
福島県の原発事故を考えてはならないだろう。
全ての人権は、類としての人間のこととして、つながっていることに気づかされ、
強く反省させられた、新聞情報でした!穏土さん、ありがとう!〓
②少し早いですが、恒例のゆめ風基金・カタログハウス共同開催の
東京イベントのお知らせです!
●時・12月15日午後2時30分~4時30分
●場所・カタログハウス地下ホールにて
●参加費・ぺア割引、1500円・学生割引、1000円・通常、2000円
●申し込み、TEL0120-545-450○FAX03-5365-2278
「ゆめ風であいましょう」
3人寄ればウフフフ……
○永六輔さん・ラジオタレント
○小室等さん・ミュージシャン
○ゲスト出演・伊奈かっぺいさん・マルチタレント
●今回で10回目となる「ゆめ風であいましょう」は、2009年に開催して
大好評だった、永六輔さん、小室等さん、伊奈かっぺいさんの3人による
爆笑トークをアンコール開催します。
前回、見逃された方は要チェックです。
他にも飛び入りゲストがあるかもしれません。
小室さん、こむろゆいさんの音楽もお楽しみに!
●この催しは大阪のNPO法人:ゆめ風基金:との共催です。
収益は東日本大震災救援金として使われます!
○定員150人○参加費2000円
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ただいまの基金総額残高は、 300,439,625円(2012年5月31日現在)
被災障害者支援
ゆめ基金が東北被災障害者支援した救援金金額は、7月30日までに
175,209,050円です。
これまでに支援した団体、個人への金額は、7月30日までに
223,547,749円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、「障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長」、「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
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★息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
③東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
社会福祉法人・えんぴつの家:機関誌「えんぴつの家だより327号」より転載
○歴史が見える文章です!
○連絡TEL、神戸252-0109-FAX、神戸231-5281
●追悼・大賀重太郎氏○1999年4月1日より、えんぴつの家の評議員を勤めていただいている
大賀重太郎氏が7月8日、急逝された。
享年62歳。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
大賀氏との出会いは、確か彼が神戸大学生であった頃だから、1970年代の始め頃である。
記憶が薄らいで事の順序が間違っているかもしれないが、神戸大学では障害を持つ青年が
聴講を申し入れて拒否されるという事件が起こった。
学生たちが青年を支援して大学当局と話し合っていたが埒があかず、
ほんの少しだが障害者問題に関わっていた私たち市民に応援を求めて来た。
障害者のきょうだいとして関わっていた私と同じ立場のM氏と
大学近くの教会の牧師さんの三人が学生たちと共に大学の教養部長と話し合った。
その中に大賀氏がいたのかどうかは記憶にない。
その頃、義務教育を受けることができていない障害児・者の教育権を保障しようと
私たち教師は取り組んでいた。
就学猶予になっている子どもや、たとえ成人していても「教育を受ける切符」を
まだ使っていない人を、公教育の場につなぐ取り組みをしていた。
一人の脳性麻痺の青年が学校へ行きたいと言ってきた。
当時丸山中学校に勤務していた私は校長に受け入れてほしいと話した。
その校長が玉本格氏、えんぴつの家初代理事長である。
丸山中学校には、全国的にも数が少ない夜間中学校「西野分校」が併設されていた。
青年はそこへ入学することになった。
ところが、西野分校は幼稚園の二階にある。
車椅子の青年を数人でかつぎ上げなければならない。
神戸大学の学生に応援を求めた。
夕方学生たちが青年を車椅子ごと二階の教室へ上げてくれた。
その学生の一人が大賀重太郎氏であった。
その青年とは後に「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」や「被災地障害者センターこうべ」の
代表として大賀氏とともに活躍する福永年久氏である。
大賀氏はその後、全国障害者解放運動連絡会議の事務局を担って大活躍をしていく。
そして、1995年に阪神・淡路大震災である。
姫路市の実家にいた彼は、被災地の状況や今必要とする「物」「者」「情報」を
全国へ流してくれた。
彼はこの情報源を「オズの箱」と名付けていた。
被災地のド真ん中で、毎日バイクにまたがって在宅障害者の安否確認を続けていた私たちにとって「オズの箱」はどんなに力強かったか。
二月二日、被災地の障害者団体が結集し「被災地障害者センター」が結成された。
その中心に大賀重太郎氏が座っていた。
神戸へ帰って来てくれたのだ。
これで神戸の運動は大丈夫だ。
心底ほっとした。
その時思った通り、「被災地障害者センター」は兵庫県における障害者運動の
中心的役割を果たして来た。
前述のように彼は1994年より18年間、評議員としてえんぴつの家を支えてくれた。
これからというときに、あまりに早すぎるではないか。
悔やんでも悔やみ切れない急逝であった。
安らかにお休みください。
松村敏明
●大賀重太郎さんを偲ぶ会は、
○10月13日(土)午後
○神戸市勤労会館・JR三宮駅スグ
●実行委員会主催
以上!
ヒデの救援レポート:2012年9月10日分№86
9月8日の街頭募金の写真
ヒデの救援レポート:9月3日№85
ヒデの救援レポート:9月3日№85
①以前に、訃報でお知らせした、hideの畏友のおひとりであった、
兵庫県の大賀重太郎さんの続報です!
●大賀重太郎さんを偲ぶ会
・呼びかけ人
福永年久・障害者問題を考える兵庫県連絡会議代表
石橋宏昭・全国障害者解放運動連絡会議関西ブロック代表
竹本貞雄・NPO法人拓人こうべ理事・元自治労兵庫県本部委員長
大賀さんが亡くなられ、早や1ケ月が過ぎようとしています。
62歳という余りの早さ、突然の訃報に誰もが驚きました。
交通事故に遭われて以来、体調がすぐれず、以前のような活動は制限されたものの、
昨年12月には地域福祉政策研究集会:震災と障害者:の開催に尽力され、
関わられる団体の会議等にも顔を出され、お元気になられたのかとの感もあったのに…。
日本における障害者解放運動が、創生し高揚した1970年代から、
裏方として駆けずり回られ、兵庫においては障問連結成、
兵庫障害者解放意見交流会の組織化、
関西においても、長らく全障連関西ブロックの専従を務められ、
さらに全国各地の個別闘争等の事務局、全国的な組織化など、
業績は語り尽くせません。
また、阪神大震災の際には、お住まいの姫路から「オズの箱」と題した救援ファックス、
(現在のように携帯電話やメールはなかったんですよね…)を
連日、被災した仲間に届けられ、どれだけ励まされたことでしょう。
そんな大賀さんの取り組みが被災地障害者センター:現在の拓人こうべ:を生み出し、
それが今般の東日本大震災においても、当たり前に被災障害者救援、
被災地障害者センターの活動へとつながっています。
かけがえのない同志であり仲間であった大賀さんの死を追悼し、
大賀さんと言う「人」を偲び、同時に大賀さんが遺された言葉や業績、
障害者運動の歩みを、皆で確かめ合うような「偲ぶ会」を開催できればと願います。
どのような「会」にするのか、準備会を行い、有志皆さんとご相談したいと思います。
今日までのところ、
●開催日:10月13日(土)午後
●開催場所、神戸市勤労会館にて(三ノ宮駅近く)、までが決められました。
お問い合わせは、
・稲本:拓人こうべ(078-642-0142)
・栗山・障問連事務局(090-6980-5426)
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◎これまで届けた救援金: 223,647,749円
◎2012年7月30日現在:東日本大震災への救援金の金額は、
175,209,050円
◎2012年7月30日現在:
ただいまの基金残高: 300,439,625円
◎2012年5月31日現在:その他、届けた救援金
○台風12号関連 2,942,828円。
○フィリピン洪水関連、1,000,000円です。
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このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
●息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
②東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、
わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、
「われも、また、赤い=吾亦紅」と咲くのです。
③hideの畏友のおひとり、京都・花園大学の八木晃介さんの私的メディア:試行社通信:
310号からの抜粋。
○連絡TEL&FAX 075-221-2672
●もうひとつ、被災関係で団体の設立当初から、ささやかに定期的な献金を続けているのが
「NPO法人ゆめ風基金」です。
阪神淡路大震災を機に、地震などで被災した障害者を支援する団体で、
全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんなどさまざまな領域の人たちが
呼びかけ人になって、被災障害者への救援・支援をつづけている、
そういう団体です。
ゆめ風基金代表理事の牧口一二さん、副代表理事の河野秀忠さんとは
三十年以上のつきあい、畏友中の畏友でもあります。
牧口さんがグラフィックデザイナーとしての最後の仕事に選んでくださったのが
本通信の現在の題字です。
また河野さんは二年前まで、花園大学の非常勤講師をお願いしていたほか、
今も河野さんの地元・大阪府箕面市の人権教育関連の仕事を共同ですすめている仲です。
これまで全国各地の被災障害者に届けられた救援金は、
一億七千八百五十四万七千七百四十九円、
うち東日本大震災救援金総額は
一億三千二十万九千五十円(いずれもこの六月七日現在)
というのですから、相当な金額に達していますが、
河野さんらによると、それでもまったく十分ではないということです。
●郵便振替00980-7-40043-ゆめ風基金:
河野さんが一ケ月に二、三回の頻度でメール送信してくださっている
「ヒデの救援レポート」がこれまた凄い。
もともと口舌・文章ともに他の追随をゆるさない達人ですが、
それにしても一回のレポートに四百字詰め原稿用紙換算で、十五~二十枚ほどの
分量の情報「いや、情報以上に意味ある内容」が詰め込まれていて、
しかも、それを指一本で打ち込むというのですから、
これはもう脱帽あるのみです。
すでに記したように、河野さんは被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事のほか、
障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長や、
人工呼吸器をつけた子の親の会「バクバクの会」事務局員をつとめ、
さらに地元・箕面市における障害者市民運動をはじめとする、
反差別運動の中心的存在でもあり、しかも私より二歳年上。
ホントに凄い人物です。
ちなみにゆめ風基金代表理事の牧口一二さんは、私より七歳年上。
松葉杖から電動車椅子にかわりながら、今も八面六ぴの大活躍、
もう畏れ入谷の鬼子母神みたいな人々です
《hide注・あまりに誉め過ぎだぁ!お尻の穴が痒くなるますです!以上》
④今年の「東北=関西ポジティブ生活文化交流祭」は、被災地から、
被災された障害者の方々をお招きして、開催する準備が進められています!
●時・11月23日祭日
●場所・大阪市北区の扇町公園・JR環状線天満駅すぐ
●ご予定ください!
●「被災障害者救援本部おおさか」の救援カンパ共同統一活動は、
毎月第2土曜日です!
午後1時から5時まで!
大阪・難波、高島屋前にて!
短時間の参加もOKです!ご参加方をよろしくお願いいたします!
以上
ヒデの救援レポート:9月3日分№85
みちのくトライに参加して
みちのくTRY。
多くの人に「何か」を伝えたこの活動、今回は、
大船渡市にお住まいのFさんの声をご紹介します。
「みなさんは、8月19日から宮古市田老地区スタートして、
8月28日(火)マイヤインターから、市役所に寄り、
そこから古澤が参加してあるきました。
東日本大地震被害地区の障がいがおもい障がい者から
かるい障がい者まで、生活がかわりました。
僕は、大船渡市内福祉の里内の障がい者しせつ朋友かんクリーニング班の仕事しています。
センター星雲そうだんセンターにいっています。
東日本大地震復興には、バリアフリー化など、要望します。
かるい障がい者一般就労も、要望します。
みちのくトライの発展をお祈りし、東日本大震災復旧復興をのぞみます。
応援をよろしくおねがいします。」
とのことです。
また、理事の八幡からは、
「8月19日(日)~8月31日(金)までの期間、バリアフリーなどを訴えて宮古市田
老町から陸前高田市の奇跡の一本松まで歩きました。(31日は盛岡での要望活動)
途中沿岸部の役所に要望書を出したり、地元の人と交流会をしたり、町の人への
アピール活動など様々な活動をしながら、みんなで無事に150キロの道のりを
ゴールしました。
途中沿岸部の人たちの沢山の声援を受け、見知らぬ人からの差し入れもあり、
本当に感謝です。
寝泊りは避難所となった公民館や文化ホールのロビーなどを利用しましたが、
バリアーいっぱいの施設でも見何の協力があればなんとかなるということを
実感しました。
「災害から復興する街が障がい者の住みやすい街となってほしい」、
参加者それぞれの色々な想い声に出しながら、過酷なコースに加え、
例年にない暑さの中、みんなが声を掛け合い、気持ちを一つにして歩きました。
ゴール地点では「ここがゴールではなく、これから始まる復興をみんなで支え
ていくスタート地点だ」という確認をしました。」
との感想がメールで届きました!
皆さんともこういった思いを共有したいですね!
石巻を訪問してきました!
2012年9月3日
ゆめ風基金理事の細井さん、永村さん、八幡さんが被災地障がい者センター石巻を訪問しました。
石巻の取組み状況や事業所化にむけた展望、障害者雇用の実現などについて、情報の共有と意見交換をしました。
また嬉しいお知らせです!
もうひとつ、念願だった、「認定NPO法人」になりました!
(大市民第12003号)
メリットなど、詳しくはまたお知らせします!
みちのくTRY参加者の声
★「ゆめごよみ 風便り」に寄稿してくださった「みちのくTRY」参加者の声を
一足お先にご紹介します!
まずは、盛岡在住のKさんの文章です。
「 東日本大震災後、被災地支援に取り組んで来られた皆さまの活動の集大成として、
TRYをやろうと決意したのは、3月末でした。
ゆめ風基金、全国自立生活センター協議会に事務局を置く東日本大震災救援本部からの
バックアップを受けて、被災地障がい者センターいわて、被災地障がい者センターみやこ、
被災地障がい者センターかまいしが中心となり、みちのくTRY実行委員会が結成されました。
CILもりおかは内陸事務局。
被災地障がい者センターみやこが沿岸事務局です。
あれから5ヶ月、関係団体個人や地域のみなさんの協力のもと、
一丸となって準備に取り組みました。
そして、150キロの道のりを行く
「みちのくTRY~復興に向けて、障がい者も住める街づくり」の旅が始まりました。
ターコイズブルーのおそろいのTシャツが青空に映えました。
日に日に盛り上がるみんなの気持ち。
8月30日の陸前高田一本松ゴールの時のみなさんの表情は、
ぐしゃぐしゃの汗と日焼けと笑顔と達成感でいっぱいでした。
私は、期間中4日しか参加していませんが、全国から集まって下さった参加者の皆さんと、
歩きながらも休憩しながらも寝袋に入ってからも、言葉を交わせて嬉しかったです。
これまでの過去のTRYは、野宿をしアクティブで野生的だったと聞いています。
今回のTRYは、数時間の参加や日帰りなど可能な範囲での参加をOKにしました。
当初そのことに反対意見もあったわけですが、結果、より多くの方が参加でき、
予定より多く泊まったり、一回帰ってまた来たりと、相乗効果が生まれて良かったと思います。
ひとことに復興に向けてと言っても、ひとりの力では何もできない。
声をあげる勇気がありません。
でも100人にも届くほどのみんなの声が集まってこそ、沿岸市町村、県、交通機関に
重みのある要望書を届けることができました。
このみちのくTRYを通して得た「繋がる力」を、今後の岩手の当事者活動に
少しでも活かしていければと思います。
行きたくても実際に現地に行けなかった仲間もいます。
でも、思いはTRYに向かっていましたよ。
最後になりますが、このTRYに直接だけでなく間接的に関わって下さった方、
多くのみなさまへ、本当にありがとうございました。」
ゴールの瞬間の感動がよみがえってくるような息遣いが
行間から立ち上ってくる気がしました。
Twitter始めました!
ゆめ風基金も時代の波に乗ろう…かなと、Twitterを始めました。
イベントや、ブログ記事の更新などをお知らせしますので、
ぜひ、フォローをお願いします!
yumekazekikin(ゆめ風基金)
新人が入りました!
さて、残暑厳しい中、長年の夢であった当事者雇用を行うことができました。
まずは、自己紹介をごらんください!
★はじめまして。福本千夏と申します。
このたび、ゆめ風でお世話になります。
脳性まひというキャラクターです。
50才にしてはじめて社会と接点を持つ機会を与えられました。
四年前、夫を亡くし、人の悲しみは簡単に癒えるものではないということ、
それでも人は生きねばならないことを知りました。
電車に乗ること、ゆめ風の人と場所になれることからのスタートです。
よろしくお願いいたします。
★初めまして!長崎圭子と申します。
NHK大阪放送局で、ラジオ「ともに生きる」という番組の
キャスター兼ディレクターをしていました。
3.11のあの日。
たまたま自宅でテレビを観ていたら、今までに見たこともない悲惨な状況が
リアルに放送されています。
私はショックのあまり、呆然と立ち尽くすしかできませんでした。
もし、障害がある私があそこにいたら…。
それが最初に思ったことでした。その後、今までにご出演頂いた「仲間」は
どうしているのだろうということを思いつつ「メディア」に身をおく立場であったため、
特別番組の制作、出演に追われていました。
あれから、1年半以上が経ち、番組は終了しましたが、
被災地の障がい者が抱える問題は解決しないままだと感じています。
あのときのように、今も社会から置き去りにされているのではないか、
その思いが強く、私にできることはないかと「ゆめ風基金」で
お手伝いをさせて頂くことになりました。
番組では、何度も取材させて頂いた経緯もあり、
「復旧ではなく復活をめざして」ということばの持つ意味を常に考えながら、
障がい当事者の立場からできることをやっていけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
という二人です。
同じ痛みを感じあえる仲間が増えたことを誇りに思い、
一歩ずつ進んで行けたらうれしいですね。
どうぞよろしくお願いします。
みちのくTRY ゴール!!
2012年8月30日 いよいよ最終日、陸前高田市役所に向かってスタート。
みちのくTRYが終りました。
8月19日から連日の猛暑がつづき、体調管理が大変だったと思います。しかしながら、自らの体と行動で無数の魂への追悼と、誰にとっても暮しやすいバリフリーの街づくりに障害者の参加を求め、必要とするひとのために必要とする人がになう福祉制度を、被害の大きかった沿岸部の市民と行政に呼びかけたみちのくTRYは、これからの被災地の再生に大切な提案であるだけでなく、日本の障害者の運動に勇気をもたらす行動であると思います。
みちのくTRYに参加されたみなさん、そしてみちのくTRYを企画、準備されたすべてのみなさん、ほんとうにご苦労様でした。
陸前高田市役所に到着、市長に要望書を提出。
ゴール!! 奇跡の一本松の前で記念写真。大きな事故もなく、無事に着くことができて良かったです。
参加されたみなさんお疲れ様でした。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。
復興はこれからです。まだまだ応援よろしくお願いします。少しずつ変わっていくと思われます。
何年か後にまた岩手の沿岸部に遊びに来てください。変わった姿を見に来てください。
(被災地障がい者センターいわてのブログより)
被災地障がい者センターいわてのブログの最新記事で、29日と30日の現地報告が掲載されていますので、こちらもぜひごらんください。
被災地障がい者センターいわてのブログ
また、動画の記録も合わせて転載させていただきます。動画はこれ以外にもUSTREAMにあります。「みちのくTRY」で検索してください。
Video streaming by Ustream
みちのくTRY事務局に寄せられたメッセージを転載させていただきます。
みちのくTRYに参加して
私は、始めてみちのくTRYに参加しました。
参加して、暑い中でボランティアに押してもらい、いろんな人とお話をしました。
このお話の内容は、現在の日本の福祉の事や、お家の事などを話してきました。
いろんなお話の中で、沖縄の自立生活支援センターの女の人との話は、私が思っている気持と同じでした。
暑かったけれど、いろんな人とお話しをできて、楽しいイベントでした。
又、このようなイベントがあったら、参加したいと思っています。
スタッフの皆さんはじめ、ボランティアの皆さん、暑い中、本当にどうも有難うございました。
滝沢村 S