神戸から愛をこめて 加納浩美

加納浩美さん
豊能障害者労働センター機関紙「積木」225号より
 五月一四日、豊能障害者労働センターさんのバザーに、参加させてもらいました。かれこれ一〇回以上の参加になる恒例の春のバザー。今年は「被災障害者救援バザー」というタイトルがつけられました。
売上金の全額を、東日本大震災で被災した障害者の方々のために、ゆめ風基金さんに寄付するということを聞き、「なんて無謀!なんて素敵!」と、私の心は躍ったのでした。
 今回ばかりでなく、いくつもの災害に寄付をし続けるとよのさん。その度私は、「いったい自分たちの生活は大丈夫なのか!?」と心配になってしまいます。そんな心配をよそに、やりきってしまうとよのさん。ほんとに大好きです!
 自分がたいへんな時でさえ、誰かのために何かをする。
 久しぶりに、一九九五年一月一八日の朝を思い出しました。私は、阪神淡路大震災の被災者です。私の住むマンションと隣のガソリンスタンドを残し、町内はすべて地震のあとの火事で燃えてしまいました。部屋のベランダに降りかかる火の粉を見ながら、なすすべもなく近くの小学校に避難しました。
 翌朝、五時半頃だったと思います。なんと小学校で、おにぎりと毛布が配られたのです。茫然自失だった私は、「こんな時におにぎりにぎってくれる人がいるんだ!誰だろう?すごい。」と、ほんとに驚きました。そして、その人の存在がうれしくて、とても力づけられました。
 
 東日本大震災。何の資格も特技ない私に何ができるのだろうか、まして短い日程でと悩みましたが、ゴールデンウイークに、被災地障がい者センターいわてとみやぎに行ってきました。現地スタッフさんやボランティアさんのサポートであれば私にもできるかなと思い、思いきって行きました。
 一日だけ、ボランティアの方々と、津波の被災地である大船渡市へ同行させてもらいました。避難所などで聞き取りをしたり、経過を確認したりしました。
被災と障害だけではなく、地域や家族、社会構造そのものの問題を突きつけられたようでもありました。神戸に戻ってからも、お話を伺った方々のその後が気になります。
 
 今回は全国から、被災地からも、あたたかいメッセージとともにたくさんのバザー用品が届いたと聞きました。だれかの思いが、まただれかをつないで、愛のバトンリレーのようですね。そんな関係をこれからもみなさんとともにつくっていきたいと思っています。また、震災の長い支援も心に決めています。
 
                                 神戸から愛をこめて 加納浩美


加納浩美
1961年、秋田県天王町に生まれる。神戸市在住。シンガーソングライター。24歳、初めてバンドを組み、各種オーデションを荒らしまくる。平行してソロ活動もしていたが、1995年の震災以後、ギターの弾き語りでオリジナルの他、ジャンルを問わず自らの感性で選んだ数々の名曲を歌いつづけている。
現在も震災関連イベントや障害者団体の催し等、請われるままに年間40回程のライブを継続している。
*作品に、トルコ・台湾地震救援活動支援CD「ラブパラシュート」がある。

豊能障害者労働センター 平田和也さんの手紙

豊能障害者労働センター機関紙「積木」225号より
全国からバザーのための品物おくってくれました。
倉庫に、宅配がきました。
スタッフがはこからあけておくりじょうをファイルしてメッセージを、書きました。
はこの中からいろいろなものがありました。
手紙もはいっています。よんでいくとあたたかい言葉がありました。
服も本やタオルはいっていました。食べものもおくってくれてたりします。
いっぷくして下さい、ってメッセージです。
いろんな言葉を、おもって僕達に、メッセージがとどきます。
そして東北からもありました。だいじょうぶかな、どきどきしました。
倉庫が品物でふえていました。
一日でたくさんふえていくと、足ふみができないこともありました。
1枚ずつ読んでいきました。手紙は、お宝ものです。
被災障害者救援バザーを、ひらきました。
スタッフも汗をかきながらたくさんお客さんに、かってもらいたいと思いました。
被災障害者救援バザーを、やれてよかった。
いろいろな人の気持あつまってひろがりました。
皆で楽しくやりました。お客さんは、楽しくバザー品物を、もって帰っていかれました。
本当に、五月一四日土ようびありがとうございました。
しんぱいを、もらってありがとう。
天気がよかった。ステージで笑顔を、いっぱいでした。
この笑顔を、東北に、おくります。

箕面の新居良さん、石原礼さんの現地報告

新居良さん、石原礼さん
 6月28日、箕面の豊能障害者労働センターの新居良さん、石原礼さんの宮城での支援活動の報告会がありました。
 石原さんは6月7日から6月12日まで、新居さんは6月13日から6月17日まで仙台の被災地障がい者センターみやぎ(CILたすけっと)の支援活動に参加されました。
 報告では、震災から3ヶ月がたち、よくも悪くも一定の時間の経過が落ち着きをもたらし、ボランティアの役割がかわってきたりすることで一部で混乱もあったそうです。阪神淡路大震災の時もそれ以後のいくつもの災害の時でも、発生直後の支援活動はみんなが必死で、そのことでかえって結束力もおのずと高まるのですが、一定の時間がたつと被災状況も、まだ安否確認をしている場合から、すで仮設住宅での生活をサポートする場合まで、より支援の幅が広がっていきます。さらに、今回の場合は被災地があまりにも広く、その上、福島ではいつおさまるか検討もつかない原発をかかえ、一部には全県避難もいわれるほどの困難な状況にあります。
 そのため、より幅のある支援活動をボランティアに求めざるを得ない現地の苦しい事情がうかがえました。
 そのなかでも、前任者からひきついだ障害者のお宅を訪ねると、すでにかなり思い病気にかかっておられて、玄関に出てくるのもやっとの状態でしたが、それでも一度目は遠く大阪から来たボランティアを気づかってくれながら、話を聞くことができたのですが、2度目のときは「もう帰ってくれ」と会ってくれなかったそうです。あのひとがいまどうなっているのか心配です。(石原)
 
「情報が集まる仮設住宅とそうでない仮設住宅の差が大きい。」
「今はボランティアが来てくれるが、あと一ヶ月もすれば仮設のことは忘れられると思う。」
 名取市のみのり園をたずねると「ゆめ風さんには、話を聞いてほしい」と、窮状を話してくださいました。
「ここは、90名ほどの障害者の生活支援、就労支援の場ですが、被災後、同建物で活動中の障害当事者が日中活動の場を失い、緊急の活動場所確保が必要となり、宮城農業共済会の旧家畜診療所を無償で借り受けました。ところが4月7日の余震により、この建物がまた被害にあい、その修復と障害者対応の改築の費用に困っています。さまざまな助成団体に支援要請を出したのですが、本来の場所の復旧ではなく緊急の活動の場所であることや、そこが借り受けたもので返却する見込みであることなどで、ことごとく断られてしまいました。ゆめ風さんが頼みの綱です」。
 この依頼をうけて、支援センターで話したところ、ゆめ風基金から支援金が出る見込みだと聞きました。(新居)
(注*本日6月29日、みのり園に375万円をおとどけしました。)
 また、新居さんはその後共同連とともに、共同連宮城大会を支えた各障害者団体の被害の様子を見て回りました。個別の障害者の支援活動と平行して、障害者の生活拠点や生産拠点の復興もまた、とても時間がかかることだと思いました。
 けれども、これを機会に東北の障害者団体とも新しいネットワークを結んでいくように活動したいという話でした。
 新しいプロジェクトとして、障害者当事者によるボランティア活動がはじまります。被災障害者の心の奥の奥を受け止めるのは、障害者自身ではないのかと、被災地の障害者の発案で、すでに被災地に先遣チームが入り込んでいます。
 今後はこの活動の中から新しいニーズが掘り起こされるように、全国の障害者団体のより強いネッワークを必要とすることを、あらためて確認しました。

「南相馬は、わが街」: 和合亮一「詩の礫」

norio suzukiさんからの情報です。
 人間、目一杯、感傷的になりたい時があるものの、年を取ると、その後が恥ずかしくなって、いけません。
 若いときには、感傷的になるのに、理由は要らないのが、年を取るとは厄介なもので、それ相応の理由がないと、恥ずかしくていけません。 それで(笑)、先般お届けした、和合亮一氏の、「詩の礫」の中で、割と私は、南相馬市について述べられているところが好きで、ところが、この、詩の礫は、延々と続けて書かれていて、切れ目のようなところはあるのですが、なかなか取り止めがありません。
それで、今回紹介するのは、偶然見つけて、割とまとまりもよく、それも、南相馬に特化して書いてありますので、しかも、目一杯感傷的で、感傷が許されるのは、大震災ゆえと知れば、忸怩たる思いになるも、この際勘弁してもらって、次の、詩の礫を、鑑賞してください。 ついでに、私が、警察小説、堂場瞬一を読むのも、感傷的になりたいからでしょう(笑)。
(鈴木)
「南相馬は、わが街」: 和合亮一、「詩の礫」2011・3・31
  南相馬は、わが街。
  あなたは知っていますか、 南相馬の若馬の誇りを、 かなたに砕け散る波頭に似た、誇りを。
  あなたは知っていますか、 南相馬の春の恋しさを、 かなたに砕け散る波頭に似た、恋しさを。
  あなたは知っていますか、 南相馬の星空の高さを、 かなたに砕け散る波頭に似た、高さを。
  あなたは知っていますか、 南相馬の夏の激しさを、 かなたに砕け散る波頭に似た、激しさを。
  あなたは知っていますか、 南相馬の秋祭りの楽しさを、 かなたに砕け散る波頭に似た、楽しさを。
  あなたは知っていますか、 南相馬の秋の切なさを、 かなたに砕け散る波頭に似た、切なさを。 
  あなたは知っていますか、 南相馬の雪の静けさを、 かなたに砕け散る波頭に似た、静けさを。
  あなたは知っていますか、 南相馬の冬の祈りを、 かなたに砕け散る波頭に似た、祈りを。

ヒデの救援レポート、6月27日

ヒデの救援レポート、6月27日:26
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、6月19日までに、153887963円。6月22日までに、155492521円です。これまでに支援した団体、個人への金額。総額52314600円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
 6月4日5日と仙台市で開かれた、とっておき市民音楽祭は、とても沢山の人びとが参加して盛り上がり、大成功の内に終わりました。その音楽祭のために、仙台市入りしていた、ゆめ風基金事務所スタッフ三名も、それぞれに任務を終えて、大阪に戻り、ゆめ風基金事務所は、ほぼ空っぽの状況から、オールキャストの状態に戻り、元気にお仕事にいそしんでいます。
 その他にも、救援ボランティアとして、被災地に入っていた人たちも、順次帰り着き、現地をレポートしてくれています。そして、異口同音に話すことは、壊滅状態の沿岸部の風景も身の竦むものだけれど、後何年、復活にはかかるだろうかと思うと共に、その匂いのすざましさには、耐えられないと語ります。それは、第二次世界大戦の被災者、特に、沖縄戦、広島、長崎の被爆地を語り継いでいる人たちが漏らす言葉と共通するところがあります。その人たちもまた、文字や映像では伝えられない事実として、あの耐えられない匂いがあると語っています。
 また、ゆめ風基金代表の牧口さんと話し合ったのは、ボクたちの人生で記憶されている災害では、戦災、阪神淡路大震災、東日本大震災があるなということです。戦災を覚えている最後の年代として、ふたりの記憶が重なります。それは、人間の暮らしの痕跡が、ありありと残っているのに、何も残っていない、荒涼とした空間の広がる風景です。そこでは、絶望が風になって、吹き流れているのです。そして、決定的に、天災であれ、人災であれ、ひとのつながりを奪ってしまいます。だからこそ、にんげんは、にんげんであることを証明するために、つながりを求め、つながりを構築するのです。それが、ボクたちの救援の本質ではありますまいか。
ゆめ風基金事務所に届いたお便りからゆめ風基金を支援なさる皆様へ。
 私は、4月の末に、心ばかりの救援金をおおくり致しました。その後、領収書をお忙しい中をおおくり頂き、御礼申し上げます。まだまだ災害の様子を知ると心がいたみます。私事ですが、戦争中をたいけんいたしましたが、東北の海岸のあたりを見ますと、国の救援もあるのでせうが、お若いボランティアの方々のお働きもあって、人事の身体に出来ない事もあって、大変なことと、感謝するばかりでございます。どうぞ、皆様ご健康とご活躍をねがって居ります。かしこ。
6月12日もうひとつの救援・防災寝屋川市の義務教育における医療的ケアを考える会・通信よりの抜粋
 今年3月22日、寝屋川市の義務教育における医療的ケアを考える会・以下、考える会・としますは、寝屋川市に対して、教育委員会指導課に窓口になっていただき、要望書を提出しました。4月15日、教育長名による回答書では、看護師さんの配置について次の2点が確約されました。
各小学校に配置されている看護師さんの勤務日数は、週5日維持遠足など校外学習にも看護師さん配置まずは、看護師さんの勤務日数を減らされてしまうという、昨年の苦い経験を絶対に繰り返したくないという私たちの願いは聞き届けられました。
 また、毎日の授業ばかりでなく、児童が、親や保護者に頼ることなく、学校行事を受けられるかどうかは大切なことであり、たとえば子どもが遠足にいけるかどうかが、親が付き添えるかどうかにかかっていた状況を変えていただいたことはとてもありがたいことです。泊を伴なう校外学習において看護師さんの配置が認められたことは大きな前進です。
 とはいえ、回答書は昨年同様いたって簡素であり、他の項目については、市教委指導課の方々とお話しをしていても、まだまだ私どもの要望の趣旨が必ずしも理解されているとは思われず、行き違いも多々あるようで、今後の課題はいくつもあります。
 ところで、昨年は、たとえば市立小学校に神奈川県の議員さん4名や石川県立看護大学の先生が視察に来られました。また、読売新聞が大阪府下における医療的ケアの地元学校ついて大きく取り上げられるなど、マスコミの関心も高まり、府の施策や寝屋川市の実践について、全国の人々から注目があつまりました。いうまでもなく、これらは、みなさまの厚いご支援の賜物です。どうか引き続き応援をいただきますようよろしくお願い申し上げます。
 このように、直接の被災地への救援ではなくても、いのちを大切にする取り組みの積み重ねが、子どもたちの学校を防災拠点化し、家族だけの介護に頼らず、保護者に心と体力に余裕を生み出して、子どもたちの自立心を育むのですね。これらの実践は、自然災害に強い学校、街づくりにつながっていくものです。
DPI女性障害者ネットワークの障害のある人に共通して望まれる支援・施設内は、できるだけバリアフリーにし、見やすい案内標識等を表示するチラシからの抜粋。
1/移動しやすい環境の整備段差の解消、通路の幅の確保、障害物を置かない等が必要。
2/車いすが通れる通路直線での幅は90センチ以上必要。
3/案内所・物質配布所・トイレ等の表示は、大きな表示板・色別テープなどでわかりやすく。
4/集団生活に適応しにくい人々には二次的避難所を設ける。
5/できるだけその人の事情が分かっている人と共に過ごすことができるような配慮。
6/盲導犬、聴導犬、介助犬は、使用者の移動や生活にとって、必要なので、使用者とともに避難し、避難所内で一緒に過ごし、必要な食事や給水を受けられるようにする。
7/混乱の中で支援が効果的に実行できるよう、障害当事者及び支援者介助・介護者は分かりやすい名札などで識別・表示も考えられる。ただし表示を希望しない人へは強要しないように。
8/情報伝達機器のうち、テレビは字幕付き、電話は、ファクス付きを設置する。
9/トイレには手すり等を取り付ける。
10/大人用紙オムツ、尿取りパッドは、各サイズ別に多く備える。
11/非常食としておかゆ・パック用をを用意する。またトロミ剤、ストローを用意する。12/簡易な医療器具を設置する。酸素吸入器及びボンベを設置する
13/避難生活のなかでのトイレや着替え等女性のプライバシーを確保し、安全対策をとることが必要。
14/避難生活のなかで性暴力がおこるおそれがあり、特に障害をもつ女性は暴力から逃れるのが困難なことがある。性暴力の防止対策、被害があった場合の相談・支援体制を用意する。
西宮市のメインストリーム協会のSさんから!
 お世話になります。6月1日の被災障害者救援本部世話人会議で承認された被災地センターいわてへの当事者派遣の件ですが、企画書が出来ましたのでご確認ください。6月10日に盛岡にいって、Iさん、Nさんと企画内容について打ち合わせをしました。当初は、一週間の派遣と長期の派遣を組み合わせ、ILPなど本格的に行って、自立する人を発掘し、CILの活動に関わってくれる人材をつくるという目標で考えていました。
しかし、Iさん、Kさんは、新しく自立する障害者がでてきても、支える自信がないので、いまはそこまで考えられないということでした。そこで少し残念ではあるのですが、一週間交替の派遣で取り組むことにしました。6月27日から一週間交替で派遣します。8月末まではメインストリーム協会のスタッフを派遣し、様子を見ながらシステムを作りたいと思います。その上で、8月末くらいからいろんな団体の人に行ってもらおうと思います。初めての取り組みなので、やりながら修正してつくっていくという感じになると思います。そのため、ポイントポイントで僕が盛岡に行き、Iさんと打ち合わせをして修正していきたいと思います。まずは、6月27日から派遣し、様子を見て、7月15日に再度僕がいってIさんと話し、3週間の取り組みを振り返り、企画をしっかり作って、7月20日のJ1L総会で、行ってくれる障害者を募集しようと思います。
費用は、朝日新聞厚生文化事業団にどのくらい助成していただけるか、聞いているところです。足らない部分は、ゆめ風基金にお願いします。
東日本大震災チャリティーイベントのご案内
 日頃の取り組みに敬意を表します。本会は、平松邦夫大阪市長を支援する団体です。発足以来市民協働を柱に学習会等を開催してきました。今回は、東日本大震災をふまえ市民協働と地域社会の絆をテーマで開催します。1部の特別講演は日本辺境論街場のメディア論等の著書で有名な内田樹先生です。2部のトークショーでは羽衣国際大学の斎藤努教授の進行で、女優の鳳蘭さん、平松大阪市長、内田樹先生、天神橋筋三丁目商店街の土居理事長、大阪ボランティア協会の早瀬常務理事、そして、NPオ日本防災士会大阪北摂支部長高槻牧田郵便局の小松局長から、地域社会の絆や被災地への想いを語っていただきます。皆さまのご参加をお待ちしております。
7月2日(土)午後6時15分より
大阪商工会議所7階国際ホール・中央区本町橋2の8
オープン・被災地に想いをこめたエイサー舞踊。
参加費、大人3000円、学生1000円
収益は、全額義援金に
問い合わせ・元気ネット大阪電話06ー6312ー0382
以上!

6月25日の街頭募金に45人の参加者

6月25日(土)の街頭募金は45人の参加を得ました。炎天下の下、ほんとうにごくろうさまでした。
募金をしていただいた方、ありがとうございました。
くわしい報告は後日に
させていただきます。

今日、街頭募金をします。

今日(6月25日)、第7回目の街頭募金活動を行います。
午後明日1時から午後5時まで、場所は大阪なんば高島屋前です。
みなさんのご参加をよろしくお願いします。

埼玉のわらじの会のあんこさんからの手紙

被災地障がい者センターいわてに行かれた、埼玉のわらじの会のあんこさんからお手紙をいただきました。
お久しぶりです。あんこです。
20日から23日まで、被災地障がい者センターに来ています。
今日、すごくかわいい今川さんの顔を見ました。
理由はわらじの田島くんが今日から参加したのですが、今川さんに彼の知人で口で筆を使ってデザイン文字を書く人がいて、その人の作品をプレゼントしたんです。その時の今川さんの嬉しそうな顔!
以下は田島くんのメールです。
今川さんが抱えている笑顔という文字は、実は「なみだは みらいを きりひらく」って書いてあります
春日部のMCKコミュニティピースの人が今川さんにプレゼントしました。
ピースはM(みんな)C(地域で)K(暮らそうよ)の理念を掲げ障がいのある人もない人も誰もが地域で暮らせる街づくりを目指しています。
「ぴーす」には、社会資源の1つ(piece)、平和(peace)な社会を願って・・・という意味がこめられています。
障がいのある人への相談、介助派遣を主な事業として行なっています。障がいのある当事者とそれを支えたい健常者で立ち上げました。
これは ぴーすで関わってくれた学生にプレゼントした書です
舞ちゃんで
「えがお すてき」
って書いてあります
今川幸子さん
笑顔 「なみだは みらいを きりひらく」
えがお すてき

障害者ボランティアを派遣するプロジェクト発進!

 健全者ボランティアだけではなく、障害者ボランティアを派遣してもらえないかという岩手の要請を受けて、西宮のメインストリーム協会の佐藤さんと、提案者の被災障がい者センターいわての代表・今川さんが企画した障害者当事者派遣プロジェクトがはじまります。
 障害当事者による障害者当事者へのピアカウンセリング的な聞き取り、働きかけによるニーズ発掘は大きな可能性を持っているとわたしたちは思います。このプロジェクトによって、被災地の障害者と各地の障害者がつながっていくことで、これからの被災地の障害者の自立生活をすすめていくエネルギーが高まることが期待できるだけではなく、日本全体の障害者の自立生活運動にも大きな足跡を残す予感を感じます。
佐藤さんからのメッセージとともに、企画書を掲載します。
メインストリーム協会の佐藤です。
お世話になります。盛岡への当事者派遣プロジェクトの件ですが、
現地と調整して、6月27日(月)から第一陣を派遣し、スタートすることになりました。
予算案は別紙の通りです。
2011年6月22日
被災地障害者センターいわて 障害者当事者派遣 企画書(案)
1. 経過
5月16日に被災地センターいわてを訪問し今川代表と懇談したときに、障害当事者を派遣して欲しいという要請があった。岩手県はもともと自立している障害者が少なく、街を歩いていても障害者を見かけることがない。被災地センターの活動も当事者は今川さん一人しかいないため、当事者が被災現地へ行き、被災された障害当事者の方と直接話すシフトを作成することが難しいため、ピアカン的なケア支援ができないでいる。健常者ボランティアが被災地をまわり、障害者に会って困っていることがないか聞いても、困っているとは言わない。実際には困っているのだが、我慢強い風土で誰も本当のことを言わない。
このような状況なので、健常者ボランティアだけではなく、障害当事者に来て被災した障害者を訪問して欲しい。それによって、被災された障害当事者は自分より重度の方が一人暮らしで生活をしていることに驚き、自分も本当は将来は自立生活をしたいけれど、この地域では難しいという本音を話したり、逆にこちらから支援で来た障害者当事者もこの岩手の福祉の現状を知ることができ、互いに良い刺激になるのではないか。それによって、被災地における障害当事者による、被災された障害当事者の支援の方法をモデルとして残すこともでき、それを今後、被災があったときの支援方法にも活用できるのではと考えられる。そのために、ぜひ、当事者をボランティアとして派遣して欲しい。
この要請がきっかけとなり、このプロジェクトを企画した。関西の自立生活センターを核として、全国の自立生活センターに呼びかけ、協力者を募り実現したい。
2. 取り組みのイメージ
(1) 障害者を1週間交代で派遣し、救援活動に加わる。
・ 健常者ボランティアとセットで沿岸部をまわり、救援活動を行う。
・ 自立生活の経験を伝える。
・ 1週間交代で派遣。必ず引き継ぎもする。
(2) 介助者
・ 障害者は介助者を一人連れて、2人1組で派遣する。
・ 被災地センターいわてに来ているボランティアにも介助をしてもらう。
・ 常勤の介助者を被災地センターいわてで雇う。
・ 上記の3者で交代で介助にあたる。
(3) 被災地での交通方法
・ 被災地センターいわて所有のリフトカーを使い、被災し地域等を訪問する。
・ 運転は現地ボランティアが担当する。
(4) 宿泊
・ 電動車いすでも生活出来るアパートを借りる(住宅改造有り)。
・ 見つかるまで(8月はじめまで?)は、事務所とビジネスホテル(東横インのバリアフリールー)に1日おき程度で宿泊する。
(5) 派遣期間
・ 2011年6月27日~2012年3月31日まで。
・ 毎週月曜日に盛岡に入り、日曜日に帰る7日間。
(6) 延べ人数
・ 約60人(障害者30人+介助者30人)
(7) 対象
・ 自立生活を実践しており、当事者支援をしている当事者。
3. 募集方法
・ JILの加盟センターを中心に障害者ボランティアを呼びかける。
・ 6月27日から8月末まではメインストリームのスタッフを派遣する。
4. 宮城、福島への展開
・ 被災地センターはいわての他に、みやぎ(仙台市)、ふくしま(郡山市)がある。
・ 今回は被災地センターいわてからの要請で企画したものなので、まずは6月末から岩手で実施する。
・ ある程度軌道に乗ってきた段階で、他の2つのセンターにも提案し、希望があればその地域でもとり組む。
5. 企画調整
・ 初めての取り組みなので、活動の内容、方法、介助体制等を定期的に振り返り、その後の活動の展開を含めて被災地センターと岩手と話し合い、調整していく。
・ そのために、3回程度、佐藤(メインストリーム協会)が盛岡を訪問し、今川代表と打ち合わせを行う。
6. その他 
・ 7月15日に佐藤が盛岡を訪問し、今川代表と3週間の派遣を振り返り、再度微調整してこのプロジェクトの企画をまとめる。
・ それをもとに、7月19-20日のJIL総会で全国の自立生活センターに当事者派遣を呼びかける。