みやぎ登米支部・活動日誌 NO.51

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.51
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.51
日時:2011年11月6日(日) 天気:雨
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 中田秋祭り カフェ
12:00~17:00 中田秋祭り カフェ
活動した上で感じたこと
【カフェ】
昨日に続き、隣接する中田庁舎で「なかたの秋まつり」が開催される。センター内でカフェを開設。無料でコーヒーなどの飲み物を提供するが、雨天のため本日は来客なし。また、外でのチラシ配布も見合わせた。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.50

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.50
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.50
日時:2011年11月5日(土) 天気:晴れ時々曇り
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 Sさんレスパイト
12:00~17:00 中田秋祭り カフェ
活動した上で感じたこと
【Sさんレスパイト】
 10時自宅に迎えに行くと既に外に出て待機されている。
後部座席に両脇を男性支援員が付き添う形で座る。出発すぐに支援員の手を取り、プレーヤーの裏蓋を開けて欲しいとアピールする。電池を交換して欲しかったようであるが、電池切れというより、普段の取り扱い方が多少乱暴なだけあって、プレーヤーの不調が原因だと思われた。
途中、平成の森(あづま~れ)でぶどうジュースとクッキーを食べる。その後、三滝堂に立ち寄るが、下車しようとした支援員を手で塞ぐ形で止めており、下車を拒否する。次に行ったひころの里では、一度躊躇したものの、自ら扉を開けて下車をする。数分ほど周囲を歩くと、自ら車の扉を開けようとして車内に戻る。
車中ではCDは聴かなかつた(聴けなかった)が、カーラジオで音楽が掛かっていたことや、両脇の支援員の髪を触りながら機嫌良く過ごせており(長髪を好んでいると思われる)、機嫌を悪くする場面は見られなかった。
【カフェ】
 隣接する中田庁舎で「なかたの秋まつり」が開催されており、センター内でカフェを開設。無料でコーヒーなどの飲み物を提供する。同時にセンターのチラシも配布。センターでの活動を周知した。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.49

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.49
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.49
日時:2011年11月4日(金) 天気:晴れ時々曇り
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 カフェ準備
12:00~17:00 仮設訪問Oさん   Wさん送迎   
活動した上で感じたこと
【Оさん訪問】
姪が不在のため、義姉と話をする。前回の聞き取りを受けて「風の里」の情報提供をする。本人は殆ど外出ができておらず、義姉が散歩を勧めても拒否をする。義姉の話には全般的に耳を傾けず、反抗的な態度であるとのこと。仮設に引っ越してからは周囲に知り合いも殆どいない様子。関節の痛みがあるようだが、通院や服薬は特にしていないようである。
義姉との話の後、本人が屋内から出てきて少し会話を交わす。その際は笑顔が見られ、風の里については拒否的な様子が見られたが、見学のみでも良いことを文字提示で伝えると、笑顔で頷いている。風の里や当センターの連絡先を渡す。
【Wさん迎え】
みのり作業所から荒砥第二期仮設への送り。送り途中、コンビニに立ち寄りたいとのことで、経路上にあるファミリーマートに立ち寄る。買い物は自分でするとのことで、スタッフは店外で待機。雑誌や飲み物などを購入されていた。来週11日(金)は通院のため作業所は休むとのこと(送迎なし)。

11月12日の街頭募金

11月12日の街頭募金に20人の方が参加していただきました。募金額は85,746円でした。
また、遅くなりましたが、10月22日の街頭募金には26人の方の参加、募金額は22,959円でした。
参加していただいた方、ほんとうにご苦労様でした。募金してくださった方々、ほんとうにありがとうございました。
次回は11月26日(土)午後1時より なんば高島屋前です。
みなさんのご参加をよろしくお願いします。

ヒデの救援レポート、11月7日

ヒデの救援レポート、11月7日:45
ゆめ風基金呼びかけ人のおひとりである浪花の歌う巨人・パギやん・こと、趙博さんがニッポン国に出現して、55周年。ライブ録音コンサートうたう轍を開催する。是非とものご参加を!
2011年11月18日(金)午後6時開演
入場料1000円
会場・大阪市東成区民ホール
地下鉄千日前線・今里筋線今里駅下車。2番出口から西へ3分
TEL06-6972-0717
チケット・TEL080-3119-7074
FAX06-6763-0211
このコンサートを収録したアルバムの売り上げは、すべて東日本大震災被災者支援と原発廃止のための活動に役立てられます!
被災障害者支援ゆめ基金に寄せられた救援金、金額は、10月31日までに、188243834円です。これまでに支援した団体、個人への金額は、10月31日までに、114665200円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
ヒデ、中沢新一著日本の大転換新書版を読む。集英社、その2
 中沢さんといっても、ヒデの知り合いでも何でもない、赤の他人ではありますが、その中沢さんは、著書の冒頭で、次のように述べている。
 三陸沖の海底に起こった巨大な地震の引き起こした津波は、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に、壊滅的な被害をもたらした。津波のエネルギーは莫大であり、数え切れないほどの家屋を押し流し、おびただしい人命を奪い去った。
 このときの津波は、福島県の海岸につくられた原子力発電所・東京電力福島第一原子力発電所・にも襲いかかり、電源設備を完全に破壊することによって、原子炉の冷却機能を危機に陥れた。空焚きによって炉心の溶融が起こり、大量の放射性物質が、周辺にまき散らされた。スリーマイル島の事故をはるかに超える規模の、深刻なレベルの原発事故であることは、もはや誰の目にもあきらかである。
 この文章が書かれている時点では、福島原発における事態収束の見通しはまったく立っていない。また津波による破壊のあと、東北の人々の生活の立て直しは、遅々として進んでいない。したがってここでおこなわれる考察は、今回の未曽有の出来事の全貌が、いまだにあきらかになっていない状態で進められなければならないという限界を抱えている。
 しかし、出来事の推移のいかんにかかわらず、いまの時点でも確実に言うことのできる、ひとつの明白な事実がある。それはこの出来事を境として、日本文明が根底からの転換をとげていかなければならなくなった、という事実である。もとどおりの世界に・復旧・させることなどはとうていできないし、また、してはならないことだ。私たちは否も応もなく、未知の領域に足を踏み入れてしまったのである。と。
 ヒデは、核&原子力問題を、前回に書いたように、世界冷戦構造の中で、反戦、反安保の視点でしか、考えていなかった。だから、この新書版の中に指摘されている、原子力の本質について知ることには、とても関心が湧く。人類最初の原子炉が稼働したのが、1942年だという。奇しくも、ヒデが生まれた年であり、さすれば、ヒデは、原子力と共に、現在に至ったことになる。
 当時、その核技術は、驚異的な成功と讃えられたが、1972年にフランス原子力庁が発表した17億年前の地球生成期には、天然の状態で、核分裂が存在していて、その痕跡がガボン共和国の鉱床にある。によって、コピーの座に転げ落ちた。ヒデの人生は、コピー並みか。(泣)
 中沢さんの本をヒデなりに解釈をすれば、人間は、太陽エネルギーの恩恵によってしか、物質を作り出せない。 ひとは、その物質を利用することによってしか、生存できない。ひとは必ず食事を摂取するけれど、それも太陽エネルギーによってしか生産されないのだ。魚も植物もなにもかもだ。つまり、人間は、太陽の子どもとして、生きているだけで、意味のある、平等な存在であると。
 太陽エネルギーの営みは、人間生存域外にあり、ひとの力では、コントロールできない。人間は、太陽の子どもではあっても、太陽にはなれない。太陽エネルギーの範囲でしか、生存域を維持できないのだ。ヒデたちが、価値があるとするエネルギーも物質も、全て太陽エネルギーの恩恵の下にある。化石エネルギーなどは、その典型で、太陽エネルギー遺産に他ならない。ヒデたちは、その太陽エネルギー遺産に価値を付与し、貨幣によって、取り引きをし、富といわれるものを生み出す。ヒデたちが学んだ、階級闘争論は、その富の分配を巡ってのものだったのだ。
 そして、地球上のあらゆることをコントロールできると思い上がった、人間は、原子力という技術に手を出してしまった。人間にはコントロールできない、生存域外の太陽エネルギーをコピーしょうとして、今回の大震災で、見事に、原発事故として、コケたのである。回復は、不毛荒野にあり、半永久的に消えないキズとして残される。
 だからこそ、人間は、今回の原発事故を契機として、太陽エネルギーの恩恵の下にあることを意識した、経済や政治のあり方、哲学や考え方に大転換して、社会の仕組みを構築するべきなのだ。云々。と、ヒデは、浅学非才なれど、読ませてもらった。短いけれど、簡潔にまとめられていて、オモロイから、ぜひ、ご一読をお薦めする。
 まぁ、どんな本でも、根底のところで、ちょっと違うやんという部分はあるわけで、そこは、ひとが違えば、考え方も、10人10色。批判もまた知見の栄養だす。終わり。
ゆめ風基金に届いたお便りから
 2011年3月11日の大震災から7ケ月経ち、かみくり荘も落ち着きを取り戻しつつ在ります。震災後、今の釜石を自分達の目で見たいとの希望で5月1日、東京から駆けつけてくれた親族達と共に、釜石市内をはじめ大槌迄見て周り、テレビで知っていた光景だが、あまりのひどさにショックを受けながらも、見てよかった・・・とうなずきあった入居者さん達でした。
 緊急避難していた方も8月1日無事仮設に移り住み、かみくり荘は静かになりましたが、入院者が退院出来ない為、定員不足が続くと経営的にも難しくなるので、釜石の病院にこだわらないで遠野、花巻、宮古地区の担当者に声をかけているところです。下宿屋さんの様なホームを目指している私達です。
 震災で不安な日々の中、突然ゆめ風基金さんが訪れて下さったお陰で、トイレの改造がされ清潔になり喜んでいた上に、バルコニーの修理が始まっています。これで晴れの日は洗濯物や布団が干せるし、雨の日は雨漏りの心配をしないで済むとホッとしている、かみくり荘の人々です。本当に有り難うございます。夢みたいで心から感謝しております。
2011年10月17日・釜石市小佐野町・NPO法人かまいし共生会・グループホームかみくり荘・K・K
以前にお知らせした7月11日・東京、新宿の全労災ホールで開催されたゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんの小室等・音楽活動50周年ライブ(復興)の完全実況録音盤2枚組3600円が、10月26日に発売されました。
多士済々のゲストとのかけ合い、音楽とに、とても素敵な出来上がりです。ぜひ、お聴きください。
購入は、KKフォーライフ・ミュージックエンターテイメント
TEL03-5466-4113
FAX03-5466-4153まで。
少し早めになりますが、ゆめ風基金からのお知らせです!
第7回・ゆめ風基金東京イベントゆめ風であいましょう
今回のテーマは、震災報道のうそ&まこと
出演者・永六輔さん、シンガーソングライター・小室等さん、ドキュメンタリー作家・森達也さん
12月24日(土)午後3時より
定員150名
参加費2000円
障害者の介助者1人まで半額ベア割引、
ベアでこられた方は、ひとり500円割引、合計1000円割引
学生割引、半額
会場・渋谷区代々木2の12-2
カタログハウス本社ビル地下2階セミナーホール
都営新宿線京王新線出口6からすぐ
参加申し込み・TEL0120-545-450
FAX03-5365-2278まで。以上!

緊急報告!ぜひごらんください。

緊急報告!ぜひごらんください。
東北関東大震災の被災障害者の現状と支援活動を伝えるテレビ番組を2つ紹介します。
11月3日(木)8Ch 関西テレビニュース番組「アンカー」特集
18時15~20分ごろから約10分間
滋賀県のポテトファーム・佐野さんの活動が報道されます。
11月5(土)8ch 関西テレビ ザ・ドキュメント
「いのちの居場所~車いすから問う大震災~」

深夜1時45分~2時45分
 障害当事者派遣プロジェクトをすすめるために積極的に活動された西宮のメインストリーム協会の活動を中心に、テレビではあまり放送されない被災障害者の状況を伝えるドキュメント番組です。
松本さんというジャーナリストが半年以上かけて被災地をまわって、障害者の声をきいて取材された労作です。ぜひごらんになってください。
番組ホームページより
 東日本大震災で、岩手・宮城・福島の3県にある37市町村で被災した障がい者は、およそ9000人。そのうち2.5%にあたる230人ほどが死亡または行方不明となっており、健常者の割合と比べると障がい者の被害が2倍に上っていることが、内閣府の「障がい者制度改革推進会議」で公表された。さらに支援が必要と思われる障がい者は1800人以上もいるとも報告されている。(今年5月時点)
 しかし、地震発生から半年を過ぎた今でも一体どれだけの障がい者がどのように被災したのか、国や自治体も詳しい実態を把握できていない。
 本企画では、これまであまり伝えられることがなかった障がい者の被災状況を現地取材。
 そこから見えてきたのは、過去の教訓が活かされず、様々なハンディをもつが故に過酷な状況を強いられている被災障がい者たちの姿だった。
 その一方で、阪神淡路大震災を経験した関西の障がい者団体の多くが、被災地の障がい者支援を積極的に行っていた。その一つ、かつて事務所が全壊し、メンバーの1人が壊れた自宅の下敷きになるなどの被災体験をもつ「メインストリーム協会」(兵庫・西宮市)は、いち早く障がい者スタッフを被災地へ送り込む活動を開始。同時に、福島での放射能被爆を避けて関西へ移住を決心した障がい者も受け入れている。番組ではこのメインストリーム協会の支援活動を通して「障がい者の視点」から東日本大震災の被災障がい者の現状を捉え、天災だけでなく様々な人災によって翻弄され、自らの“いのちを守る居場所”すら定まらない人々の声を伝えていく。

ヒデの救援レポート、10月31日

ヒデの救援レポート、10月31日
 
 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、10月28日までに、187507629円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、10月28日までに、109753122円になります。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの吾亦紅風景
 吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
ヒデ、中沢新一著日本の大転換新書版を読む!《その1》
 集英社新書を、以前に紹介した、ヒデの住まいする、箕面市職員で、行政の被災地救援方法を巡って、職場で大ゲンカを巻き起こし、挙げ句の果てに、自主退職。
ゆめ風基金の紹介で、単独、被災地障害者センター・みやぎに入り、救援活動に従事したのち、現在は、いい年こいて、プータローをしている、ヘンな、ヒデの呑み友達、Hさんに勧められて、読んでいる。後少しで読了する予定。
 本の帯には、大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの大転換をとげていかなければいけないことが明らかになった。元通りの世界に復旧させることなどはもはや出来ない。未知の領域に踏み出してしまった 我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、復興に向けて歩んでいくべきなのか。
原子力という生態圈外的テクノロジーからの離脱と、エネルゴロジイという新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界の目指すべき道を指し示すとあります。
 テーマーは、福島第一原子力発電施設の事故にあることは、明瞭です。事故の今を分析して、これからの世界観の構築を考察している。
 さて、ヒデにとって核問題は、広島、長崎への原爆投下被災を語るべくもなく、核の時代の戦後を同時代的に生きてきた世代として、核問題は、脳とからだを貫通している。なんとなくではあっても、原子力発電の反対論者として、呼吸してきている。障害者解放、さらには、人間解放運動の末席に位置している今も、永久的に続くであろう、核汚染は、障害の有る無しに関係なく、類としての人にとっては、共通の課題であることは、人の歴史的認識であることを、確信している。
 だからこそ、ヒデの私的放浪史をパラリとめくり、このメール通信に貼り付けることにも、多少の意味があるのではないかと、愚考して、本書の意味に接近してみたい。
 ヒデは、貧乏ゆえに、授業料を払えず、高校を除籍退学し、家出。酒屋の住み込み店員をしていた、16歳のおりに、当時の日本社会党の浅沼稲次郎刺殺事件を契機に、ひょんな縁で、これまた、左右社会党合併の余波を受けて、放逐された左派社会党青年部によって組織された、日本社会主義青年同盟に転がり込み、左世界に住み込んだ。
 当時は、原水爆禁止世界大会が毎年、盛大に、広島、長崎で開かれ、ヒデは、脳は成熟していないのに、青臭い匂いを発散させていたものだから、毎年の夏は、広島、長崎に動員されていた。
大会の盛大さの裏では、侵略の原爆と、平和のための原爆があると、主張するグループと、そんなものはない原爆は、全て破棄、禁止されるべきと主張するグループが暗闘しており、ヒデは、後者に立ち位置を得ていた。その暗闘が最終場面に至り、原水爆禁止日本協議会原水協が分裂する場面にもヒデはいた。大会の舞台上を占拠するべく、その時には、今や敵と認識されていた、某民主青年同盟のメンバーたちと、盛大に殴り合っていた。若かったなぁ!ニガ(笑)
 壇上へは、そう言えば、スロープは設置されていなかったなぁと、今になって気づく。迂闊。そして、さらにヘンなのは、原爆の威力にばかり、脳が傾き、戦争への影響ばかりに気をとられていたことだった。核の学習会でも、戦争に対する影響を学び、世界各国の原爆の保有個数ばかりが調べられていた。それほどまでに、ヒデたちは、世界冷戦構造に、どっぷりと浸り切っていたのだ。核の歴史や、その生態圈外的エネルギーの本質についての知見などは、爪のアカ程もなかった記憶がある。
 マルクス的手法での、労働と資本関係や、階級論は学んだが、能力主義の問題点や差別論は、かやの外。資本と核の相似形にも、想像力は、及ばなかった。単純な反戦主義だったなぁと悄然としてしまう。下部構造がどうの、上部構造がこうのと、かしましく議論はしていたけれども、ヒデたちは、本当に、下部、上部に触ったことがあったのだろうか。今、振り返っても、謎だらけだ。
 その核の本質に、長く宿題を突きつけられていたのに、ヒデたちは、目先の便利さにとらわれて、目をふさいでい続けていたのかも知れない。そこに、福島原発事故というよりも、爆発、放射能汚染である。もう、後先は無い。かなわぬまでもの答えを求める、未来からの要求が、このような時代を作ってきた、ヒデたちに突きつけられている。続く!
今回は、友人尽くしかな。(笑)ヒデの畏友のおひとりである、奈良県在住の吉田智弥さんが発行している、私的メディア誌蛇行社通信から。電話FAX0742-49-0170
地獄の釜が開いた
 8月12日、京都市は、五山送り火で、陸前高田市岩手県の松でできた薪を燃やす計画を中止すると発表した。放射性セシウムが検出されたからだという。・・計画は、京都市内外の人たちからの批判を受けて二転三転した。最終的結論に至るまでの経過は、さまざまな難題を私たちの前に突きつけた。・・
 第一。早々に中止を決めた大文字保存会への反応は、僧侶で作家の瀬戸内寂聴さんの怒りに集約される。大震災の死者を冒涜するような行為は京都の恥だというのだ。8月12日、朝日新聞大方のマスコミもそうした声に同調した。・・確かに、当初に持ち込まれた薪からは放射能は検出されなかったのだから、燃やさない合理的な理由はなかった。が、ちょっとツッコミを入れておくと、そもそも送り火という伝統行事は合理的理由で存続してきたわけではあるまい。
 先祖への鎮魂・慰霊の風習は、死者との共同体を甦らせ、それを受けついできた自分の命の儚さも意識させられる契機になっただろう。共同体の平安を危うくするような放射能など、言葉を聞くだけでも縁起でもないわ。あっちへ行っとォくれやす。・・
 難問である理由の二つ目は、放射能それ自体の属性にも由来する。・・放射能俗流の解釈で放射性物質の威力、その毒性を総称する呼び方というものには、厄介な性質がある。
 その1それがあるのかないのか、人間の五感では、捉えられないこと。
 その2煮ても焼いても、滅却したり減衰したりしないこと。
 その3被曝量に原理的なしきいちがなく、客観的な許容量が存在しないこと・・・
等である。・・であれば、京都市民が、被災した松のすべてに疑心暗鬼になったことも、すでに政府や東電の言うことが信じられなくなった後に、どこの馬の骨が行ったかもしれない検査の結果を信じる気になれなかったことも、当然やおまへんか。・・
 第二。だが、すでに東北では、大震災に加えて放射能による甚大な被害も受けているのだから、多少のことは同胞としての京都市民も受忍したげたらどないやの、という主張もありうる。人情としては、反対しにくいけれど、それこそ合理的ではない。・・
 高木任三郎さんは、放射性廃棄物の最終処分場をめぐる議論のなかで、六ヶ所村青森県がダメなら、とうすれば良いのかという質問に対して、今ある原発施設内に留置すべきだと答えている(『科学の原理と人間の原理』)。何であれ放射性物質を移動拡散させれば、危険性は更に増大するので、避けるべきであると。・・
 五山送り火の手前にある此岸では、すでに42都道府県572自治体一部事務組合を含むが被災地の瓦礫処分事業に協力を申し出ており、そのうち291自治体は焼却処分同を引きうけるとしている。(8月8日・アエラ)。京都の場合と同様の反対の声が各地住民からあがることが予想されるが、どこかに正しい対案はあるのか?
以上

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.48

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.48
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.48
日時:2011年10月28日(水) 天気:晴れ
報告者: M(育成会)
9:00~12:00 Wさん送迎、荒砥仮設移動カフェ(HUG ハウス)
12:00~17:00 Sさん訪問、Wさん送迎
活動した上で感じたこと
<Wさん 送迎>
 AM 到着後、座った状態で前かがみになって顔が地面についている状態。転倒した様子が伺える。車を停めスタッフが降りるときには起き上がられる。(本人に)状況の確認をすると「大丈夫」と話される。見新しい外傷は見られないため対応は確認のみで終了。母は扉を開けたときにその状況に気付いた様子。
 車内での様子は顔見知りのスタッフとは「私も姪っ子が欲しい」「甥っ子はいるけど・・・」と会話が弾む。道中は落ち着いて過ごされている。
 PM 車内で週末の過ごし方について話題があがる。「(週末は)寝る」と笑いを誘いながら話をされる。顔見知りのスタッフとの会話中心だったが適度に話題をあげ信頼関係を築いていきたい。
<荒砥仮設 移動カフェ>
 AM 高齢者の方々と仮設の集会所で「お茶」をしながら会話をする。
初対面とあってか当時の被災の状況と現在の状況や沿岸部での漁業活動の話を気さくに話される。会話の端々では復興に向けての大きなビジョンというより「仮設に断熱材が入って少しはましになったかな~」などひとつひとつ現在の生活が緩和されていく近況をプラスに捉え日々を前向きに生きている力強い印象を受けた。
<Sさん 訪問>
 PM 訪問時は、おばあさん・母・姉・本人。スタッフの名刺を確認して名前(下の名前)を覚え声に出して読んでおられる。
 自宅の中に入らせてもらい会話。母に①のぞみ作業所がベイサイド近辺に11月中引越し予定で4月には定員増の申請をしているため入所が可能になるかもしれない旨伝え、のぞみ作業所にアポをとり施設見学を勧める。もし見学されるなら前もって本人さんの生活面やニーズなどの情報は引き継ぐ旨も合わせて伝える。
 前向き返事をされる。
 ただ、本人が過去学校や作業所で「モノ」を壊したことがあり、作業所では対応面で心配になられている。
今後はケースについてどういった方向性や体制で支援に取り組むかなど社会資源をつなげる際に引継いでいきたい。その為には本人に対応方法など具体的支援のポイントを整理していく必要があるのでは?
先ずは率先した情報収集を訪問した際に取り組んで行きたいと感じた。

東日本大震災派遣報告書 NO.47

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.47
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.47
日時:2011年10月26日(水) 天気:晴れ
報告者: K(育成会)
9:00~12:00 名足カフェ、菊池氏来訪
12:00~17:00 29~31日の申し送り
活動した上で感じたこと
<名足カフェ>
 ハグハウスのマドフォ氏よりH.M.さんについての情報交換。県北支部が2回訪問しているが、不在。生活支援員が数回にわたり聞き取り調査に行っているが、そこから支援につながっている形跡は無いよう。室内の移動は膝這いの状態とのこと。訪問しているのが平日の日中であるため、曜日や時間帯を変えての訪問も検討していく。明日はルート確認があるのでその際に訪問してみる。様々な団体が被災者支援に来ているので、その中から障がいを持った方の情報を得たり共有したりしていくことが必要であると感じた。
(PM)29,30日、ボランティア受け入れに関しての連絡調整。31日までのイベント参加についての確認・調整。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
社会資源の情報に関しては、状況が刻々変わっていることもあり、情報集めは重要。