ヒデの救援レポート2014年5月12日№157

5月1日から4日まで、歌で有名な「野崎観音」で、大東市と共催で「人権パネル展示・被災障害者パネル展」を行い、9日には、これも大東市と共催で、大東市総合文化センター「1200名収容のホール」で、「震災を忘れない・生命を守り、つなげるために。咲かそう花を~」をテーマに、歌手のさとう宗幸さん、ゆめ風基金代表理事の牧口さんのトーク&コンサートを開催して、大盛況でした。
ゆめ風基金には、連休はありませんでした。(泣)


●東北関東大震災障害者救援本部特集号№11「自立情報発信基地」からの転載。
連絡先  全国自立生活センター協議会
TEL 042-660-7747 FAX 042-660-7746
「被災地は…今」その5
「毎日が綱渡り・郡信子」(さぽーとセンターぴあ施設長・南相馬市)
今日2月18日、福島市に来ています。
私のいる南相馬市から福島市に行く道は、一つ。
しかしながら、2週連続で降り積もった大雪の影響で、その道は、通行止め。
今朝も、警備の人が立っていて、3年前のあの日が彷彿されました。
関東甲信地方も未だかつてない大雪に道路が渋滞し、身動きが取れない、除雪が追いつかず、孤立、物流の停止、死亡者…テレビの情報しかなく、そこから入ってくる映像は、まるで3年前のよう。
安否確認、炊き出し、物資搬入、救出…。
大雪相手での困難さ。
「もう3年…」と思っていたが、3年経っても、なぜか歯がゆさで心が押しつぶれそうです。
私たちの日常は、「あの日」=「震災」の前か後かで区切られています。
言葉の端々に、「震災前は○○だった。」「震災後に○○になった。」のように。
私の所属するNPO法人さぽーとセンターぴあの就労Bの「ビーンズ」は、利用者さんが倍増して、全国から自主製品の注文を頂き、仲間のみんなは、やりたい仕事をみつけ、仲間や職員との会話を楽しみ、すこぶる明るく穏やかに良い仲間関係が出来ています。
人と人との繋がりの賜物と思います。
生活介護の「ぴーなっつ」は、高齢で一人暮らしや仮設住宅の方等に、身内同様に関わり生活そのものを支える必要性があり、また、親の高齢化、家庭状況の変化により、やはり、生活そのものを支えざるを得ない状況等があります。
相談支援の「そらまめ」も、病気と向き合う人、独居の人、親の健康問題や介護者が増えたことにより本人に手が回らない等の理由で、入所やショートスティ、グループホームなどの相談が増えています。
法人の問題になりますが、職員不足が深刻です。
避難退職し、新人の職員がほとんどでは、特に、障がいの重い方への対応は困難な状況です。
気持ちがあっても、日々苦しくなってきます。
少ない震災前からの職員も経験年数があったわけではなく、「教える」とか「伝える」という役目は大きな負担で、こちらも潰れそうになりながら毎日奮闘してくれています。
南相馬市全体的に、放射能の関係(30キロの線を引かれたことにより)で、子どもさんのいる若い世代は避難し、なかなか戻るには至っていません。
家族が分かれたまま、高齢者がこの地に残っていて、高齢化率はぐっと高くなっています。
そして、そのような方や、病人、障がい者を介護する「働き手」も年齢が高くなっており、その数は依然として少ないままです。
高齢者サービスの建物は建設されていますが、働き手が見つかりません。
あるファミリーレストランのアルバイトの時給がなんと1200円です。
給料を上げてもなかなか見つからないのが現状です。
求人を出していますが、連絡はありません。
このような中で、ますます利用希望者が増え、生活の困難さからさまざまなプラスの支援を求められ応じなくてはいけない現況。
そうしなくては、助かった命がまた脅かされます。
この状況が、いつまで続くのでしょうか?
もちろん、明るい兆しでこのままいけると思ったこともありますが、毎日が綱渡り状態です。
ソチオリンピックで、19歳の羽生結弦選手が「金メダル」を取りました。
強靭な精神力だと思います。
彼も仙台出身で被災者です。
「スケートなんて続けていて良いのだろうか?」と一度は、辞めることも思ったそうです。
でも、続け、たった3年でこれだけ感動を与えるすばらしい成果を遂げました。
「たった3年」で成し得た功績、「もう3年」と思うしかない自分を奮い立たせるのは、やはり、利用者さんの「笑顔」なのでしょう。
この「笑顔」に助けられて、「これから」の年月を重ねていきたいと思います。


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これまで届けた救援金
301,661,224円(2014年4月4日現在)
内・東日本大震災救援金総額
255,252,139円(2014年2月28日現在)
ただいまの基金残高
238,331,044円(2013年12月末日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
とうほくと書いてください。
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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、「われも、また、赤い『吾亦紅』」と咲くのです。
●社会福祉法人「えんぴつの家・機関誌 えんぴつの家だより」№347から転載。
連絡先 TEL(078)252-0109 FAX(078)231-5281
「被災地に仮設住宅がなくなる日を目指して、『いちいちバザール』」を開催し続けます
東日本大震災では高齢者、障がい者、児童などの社会的弱者に大きな被害がおよびました。
阪神淡路大震災の時もそうであったように、特に障害者のなかには所属する事業所の生産商品の販売場所が少なくなったり、販売の機会が奪われたりして、就労を通しての自立の機会を失った方が多くおられます。
こうした障害者の事業所に対して、中央区内の各種地域組織、団体、行政等が連携し、被災地の障害者作業所の製品を販売することによって支援しょうと 、2011年6月に立ち上げたプロジェクトが「いちいちバザール」です。
東日本大震災のあった3月11日を忘れないという思いから、毎月11日に東北被災地の障がい者事業所商品と、中央区内事業所商品の販売バザーを開催し、3年が経ちました。
しかし、東北の被災地ではまだまだ復興にはほど遠く、継続した支援が求められています。
「仮設住宅がなくなる日を目指して」とは、20年前、神戸へ全国から駆けつけてくれたボランティアたちの合い言葉でした。
ちなみに、神戸では「その日」は5年後でした。
「いちいちバザール」はこうした東北への支援だけでなく、私たち神戸市民への防災の呼びかけでもあるのです。
阪神淡路大震災を経験した私たちも新しくよみがえった町で暮らしていると知らず知らずあの体験を忘れていきます。
遠からず起きるといわれる南海トラフ大地震に備え、ますます防災の意識を高めなければなりません。
毎月11日にお互いに確認し合う場、それもまた「いちいちバザール」の役割です。
また、中央区内のイベントにも参加し、広く区民の方々にも呼びかけています。
開催日時および場所:毎月11日 11時~16時
         JR神戸駅山の手地下・サンポルタ広場
主催:中央区自立支援協議会、防災部会
協力団体:デュオこうべ、中央区役所、中央区社会福祉協議会
以上

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