4月8日(日)
今日は全体の活動はお休み。西澤さん、広瀬さんは、地元に帰省中。土曜日の夜に宮古から山下くんと河口くん、ゆうのゆうのボランティアの井上さん、京都JCILの石塚くんが盛岡入り。
日曜は2班に分かれて龍泉洞、遠野などに遊びに行ったようです。私は静かな間に原稿書き。夜になって井上さんの希望で河口君はわんこそばの案内。八幡、山下、石塚は近所のお好み焼きやへ。山下くんのこの間の活動と悩みを聞きながら、今後の山下君の行動予定などについて話しました。
4月9日(月)
今日は少し寝坊してしまった。8時40分に事務所のシャッターが開いて起床。被災地でこんなに寝ていたのはたぶん初めて。
入ってきたのは井上さんと宮古の新専従員伊藤くん。宮古スタッフは11時集合なのにすごく早い。
今日は少し盛岡でみんなで会議。11時には宮古スタッフだけでなく、CILもりおかの川畑さん、遠藤さん、関西からメインストリームの佐藤さん、夢宙センターの平下さんも加わり、会議を開始。現在の課題や東京の事務局会議などの報告。
午後からはCILもりおかの伊五澤さん、JILの足立さん、またネットを利用したSKYP参加で広瀬さんも加わり会議。いわてTRYと障害当事者派遣のことなどを話しました。
宮古の新人スタッフは3人にもTRYのことがわかるように、TRYの歴史から佐藤さんは丁寧に説明してくれました。
今回はバスや鉄道など交通アクセスの改善、復興に当たってバリアフリーのまちづくりを視点に入れてもらうこと、災害時の障がい者支援方法の改善などを目的にTRYを実行します。
宮古の田老から陸前高田奇跡の一本松まで、およそ120キロの行程を10日間かけて練り歩きます。日程は7月29日スタート。基本は野宿ということ。途中3日間ほどは避難所になっていた体育館などを予定。
ただ外部の障がい者が実働の中心を担ってもらえると思っていたら、地元の実行委員会中心でないと、後に残るものがないと佐藤さんから説明されました。
その場合、盛岡を中心にするのか、宮古を中心にするのか、また実行委員長を誰にするのか、実働部隊を誰が担うのかなど、解決しなければならない課題が多すぎます。
すぐには決められないということで、結論を次回4月30日の会議に持ち越し、CILもりおかと被災地で障がい者センターでその間に話し合いを持つことにしました。
何となく遠藤くんを実行委員長にと考えていたのですが、彼が収入を得るために5月か6月頃に仕事が決まりそうということで、この案はボツ。仕事が決まると、土曜、日曜くらいしか関わることができないとのことでした。
ただ盛岡を中心にするには被災地障がい者センターとしては盛岡事務所を閉じるので、かなりの部分をCILもりおかで担ってもらわなければなりません。会議の場所も問題です。
CILもりおかでは現在の事務所の拡大移転を予定しており、移転先は被災地障がい者センター盛岡事務所にほぼ確定。あとは両者で時期の確認をするだけです。
5月までで被災地障がい者センターは盛岡の事務所を閉じることで調整することとしました。
4時になって「そよ風のように街にでよう」の取材で、牧口さん、河野さんもお見えになり、5時までは会議を続行して、いったん区切りをつける。宮古スタッフはここで解散し、宮古に帰ることにする。
その後は取材を受ける傍ら、食事の準備。CILもりおかのメンバーは川畑さんだけが残れるということで、みんなで食事をしました。
4月10日(火)
午前中は八幡が取材を受ける。
井上さん、石塚くんは今日で活動を終え、帰路に着きました。
昼からはメールの整理、原稿書きをして、午後からはAJU自立の家の車(宮城で借りていたもの)を返却にいく。
八幡はそのまま釜石に泊めてもらいました。
4月11日
現在の釜石から盛岡へ移動中です。
今日は少し盛岡で沿岸部障がい者センター支援プラットフォーム会議というのがあるので、参加します。
なかなか宮古へ辿り着けない。大船渡にも顔出ししたいと思っているのですが。
まとめteみた.【4月8日から11日まで】
4月8日(日)今日は全体の活動はお休み。西澤さん、広瀬さんは、地元に帰省中。土曜日の夜に宮古から山下くんと河口くん、ゆうのゆうのボランティアの井上さん、京都JCILの石塚くんが…