9/3 東京イベントについて

生のラップに圧倒された!
ホントの凄さはダースレイダーさん自身!  理事 牧口 一二

ことしの東京イベントは「カタログハウスの学校」と「ゆめ風基金」の共催で17回目。練馬のココネリホールで開催できた。
この「できた」は意味ありで、ここ数年コロナ禍にしつこく脅かされて開催が危ぶまれた中で感染予防を徹底しての決行だった(とはいえ後で「止めておけば良かった」にならぬようヒヤヒヤドキドキ)。

いつものことながら毎回、とてもお招きできそうにない方々にボランティア出演をお願いして豊かで贅沢な時間が与えられたのだ(呼びかけ人代表の故・永六輔さん・小室等さんの尽力が大きい)。

今回も小室さん推薦のゲストが2人、ドキュメンタリー監督の大島新さんとミュージシャン、ラッパーのダースレイダーさん。そしていつもの小室等さん、こむろゆいさんに河野俊二さんの応援ライブ。さてさて飛び入りゲストのオオタスセリさんのコントから始まった。

 

おっと、その前に今年からゆめ風基金の代表を引き受けてくれた戸田二郎の紹介をしなければ……片通りの挨拶が苦手なボクは、いまは亡き永六輔さんがいつも「まだ始まってませんよ」と言いながら開演10分前から笑い話を始めたのをマネて、新代表の戸田さんを紹介しようと、車いす姿の2人が前に出て軽妙な漫才もどきをと臨むつもりが素人の哀しさ、まじめに話し始めてしまった……

2人とも幼い頃にポリオにかかり、ボクは大阪、戸田さんは岐阜で育ったんですが、少年期にどちらも隣近所の仲間たちと「三角ベースの野球」をやっていて、打っても一塁まで走れないので、戸田さんの場合は一塁までの半分の距離に辿り着くとセーフというルールを作ったそうです。
ボクの場合は代走を認めるというルール。
つまり、子どもが集まって「みんなが一緒に遊べるルールづくり」をごく自然にやっていた話をしました。
山を三つも四つも超えた遠く離れた土地で、小さな広場でもできる三角ベースが行われていた不思議、そして細かいルールは土地ごとに工夫されていた不思議。そんなノスタルジーを話しました。

 

と、話が終わりそうになりかけた時! 会場の後ろから何やら声を張り上げて駆けつけてくる人、オオタスセリさんのコントの始まり始まり。

そして本番、大島新さん、ダースレイダーさん、小室等さんの鼎談。「わたしたちの選挙」がテーマ、サブタイトルは「ドキュメンタリーとエンターテインメントの狭間で」が話し合われました。
選挙戦がテーマの「香川一区」などドキュメンタリーを撮られている大島新監督を中心に「人間を剥き出しにしてしまう選挙のあれこれ」を話し合われた後、小室さん・こむろゆいさん・河野俊二さんによるライブ。
そして鼎談二部へ、この最後でダースレイダーさんのラッブが始まったのです。

テーマはなんとボクと戸田さんが冒頭で語った「三角ベースのルールづくり」。ダースレイダーさんの口から言葉がどんどん飛び出てくる。
小室等さん・ゆいさん・河野さんのリズムに合わせてほとばしる。
とてもついていけない。

でも、ボクたちが語ったノスタルジーがテーマ。
辛うじて聞き取れた言葉、確か「ボクの子どもの頃にもあった」と言われた気がした。
ダースレイダーさんはパリ生まれのロンドン育ち、そして今45歳だから少なくても40年前まではこんな子ども世界があったということ。ということは大阪と岐阜の距離感どころではない。
世界中の子どもたちが「三角ベースのルールづくり」に似た体験をやっていたのではなかろうか。
全く同じとは言えないまでも、よく似た遊びでよく似たルールを編み出していたように思えてきた。そんな気がして、世界中で生きぬいている子どもという人間の賛歌だと思った。そのステキさをボク自身も思い起こしていた。

その反面、いまの大人の情けなさを思わずにはいられなかった。
内戦を含めて大人同士が争っている。
殺し合っている。
日本の為政者たちも理想を忘れ蔑ろにしてしまっている。
なぜ愚の骨頂なる戦争に走るのか、ボクも大人の端くれだけれど、とてもとても辛くなった。

それにしてもダースレイダーさんのラップはすごい。
立て板に水のごとく言葉が飛び出してくる。
言葉の一つ一つに力が魂がこもっている。
いつも物を考え、どう生きたいか、何がしたいか、思い続け考え続けていなければ発せられない言葉の数々。常に世の中を見つめて、どのように生きたいかを考えている人なんだ。
その迫力に圧倒された。ボクたちのノスタルジーを遥かに超えて広がっていった。

「できないことはできる人がやればいい、誰かがやればできないものは1つも無い。力を借りたり貸したりすれば、みんなが味わい深く生きていける」と、あの時のラップの言葉とは違っているかもしれないが、意味はそうずれていないと思う。

もし再生できれば世の障害観をぶっ飛ばす革命歌になりうるだろう、そう確信する。

(当日の様子 写真 吉崎 貴之)

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