障害者派遣プロジェクト1

障害者派遣プロジェクト1
 障害者ボランティアを派遣し、障害当事者による被災障害者へのピアカウンセリング的な聞き取り、働きかけによるニーズ発掘をすすめようという画期的なプロジェクトがいよいよはじまりました。
 被災障がい者センターいわての代表・今川幸子さんの要請から具体化したこのプロジェクトによって被災地の障害者と各地の障害者がつながっていくことで、これからの被災地の障害者の自立生活をすすめていくエネルギーが高まることが期待できるだけではなく、日本全体の障害者の自立生活運動にも大きな足跡を残す予感を感じます。ゆめ風基金としてもこのプロジェクトを共に推進しようとと300万円の予算を計画しています。
 このプロジェクトでは当面来年の3月まで、障害者が介護者とともにボランテアとして一週間交代で現地に入り込み、支援活動をする計画です。
 ゆめ風基金では、障害者ボランティア派遣プロジェクトに参加された方の体験レポートをお願いしています。
 その一回目の現地報告です。
2011年7月4日(月)
「被災地障がい者支援センターいわて」での活動報告
<活動にあたって>
 5月に盛岡を訪問したときに話し合った結果、障害者の存在をアピールすることが大事だという話になりました。そのためにはJILの加盟団体が障害当事者を被災地に派遣して、被災者のお宅を回って障害があるからって他人に迷惑をかけるからとかいうような無用な遠慮をすることはない、震災前と変わりない当たり前の生活ができるということ、更にはもっと当たり前に地域で暮らしていける社会ということを障害当事者自身が伝えていく必要があります。
岩手の障害者はただでさえ引きこもりがちだそうです。今回の震災後ますますその傾向が強くなるおそれがあり、そういった状況を変えていくためにも日本全国から障害を持っている人に来てもらって、肩身の狭い思いをする必要がないと言うことを伝えて欲しいと被災地障がい者支援センターの今川さんは言っていました。
 そこで、メインストリーム協会として障害当事者スタッフ1名と健常者スタッフ1名が岩手に行き、被災された障害当事者に直接会いに行くことになりました。
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【写真①】「被災地障がい者支援センターいわて」にて会議の様子
みなさん、マジメな表情。
<岩手県沿岸部の状況>
 沿岸部の状況は5月に訪問した際に比べて整地が進み、新しく家を建てているところ、住居の補修作業なども至るところで見るところができました。しかし、場所によって道路の交通事情もあるのか、整地作業が重機を使って行われているところもまだ残っています。
 避難所や親戚等へ避難していた人たちが、やっと出来はじめた仮設住宅へ入居申請をしたり、入居を始めているという状況です。
 物資はある程度行きわたっているように感じました。大船渡市の役所でも救援物資の支給活動は6月末で終了し、残った物資等はボランティア活動を行っているところなどに委託となっていました。
 町の中では津波によって海水が浸水し、それによって打ち上げられた魚や海藻が腐っているのかかなりの異臭が漂い、大量のハエが発生していました。今後気温が高くなってくるにつれてそれに伴う被害が増えるのか心配です。節電の中、ハエによって窓が開けられずそれに伴う室温の上昇による熱中症が心配されています。
 たくさんの不安要素がありますが、それでも地元の健常者の人たちは復興ムードが出てきていると感じました。
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【写真②】津波に遭った沿岸部地域
5月に訪問した時よりガレキが撤去されていた。
<岩手県沿岸部の障害者と接して>
 沿岸部の障害者は健常者の復興ムードとは違いまだまだ悲惨な状況を強いられているように感じました。地元近所の社会資源、医療が完全に津波で流され、今まで送ってきた日常は全くおくれていない状況でした。
 人工透析をしている方は通院が不可欠ですが、通院するための病院が流されたため遠くの病院までタクシーを使わなくてはいけません。それにかかる費用が莫大になり生活していくうえで多大な負担になっていました。家族も付き添う必要があるため、仕事探し、日常の生活を送るのにも大きな負担がかかっていました。
 公共の交通手段がなくなり、町にあった買い物をする市場、髪を切る理髪店、薬などを買う薬局等、すべてが津波によって流され、物資を調達するにも役所などに取りにいったり、連絡をしてしばらく待たなくてはいけない状況もあるそうです。(物資は本人が来ないともらえないという対応の悪さもあるとか)
 保守的な傾向のある岩手ではまだまだ障害者の権利という考え方が浸透していないため、なかなか近所との関わりがもてない人が多く、数少ない知人との交流も、デイサービス等での活動も外に出ていけない状況によってもんもんと家の中で暮らしている人が多くいました。
介助制度も乏しいうえに、非常時ということもあってか役所の対応もかなり悪く、人によっては家族と生活をしている人には派遣しないということもありました。このままでは障害のある人のいる家は一家共倒れになってしまうということは目に見えているのに、その状況を把握するだけの余裕は行政にはない状況でした。それに緊急事態だから自分は我慢しなければというような傾向も少なからずあり、困っていることを強く言えない状況にもあるように思います。
 仮設住宅もいたるところで建設が進んでいますが、私たちが訪問したところすべて仮設住宅の周りは砂利が敷き詰められて、スロープはついていませんでした。
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写真③】仮設住宅バリアフリー化が進んでなく砂利道&スロープがついていない
障害者はもちろん、高齢者やベビーカーの家庭は住みにくい!
 残念ながら内装は見ることができませんでしたが、支援者の中には入浴ができない、家の中が車いすを利用できないくらい狭いため這って生活をしなくてはいけない、洗面台にいけない、トイレに入れないため簡易トイレが必要な人もいました。
 非常時であることは仕方がないことかもしれませんが、こういった避難生活を送らなくてはいけない障害者たちはなかなか情報も得られず、どこに伝えればそれが解決できるのかということも知らない人が多く、また今は無理だろうとあきらめている人も相当いるという状況でした。
 そんな状況下被災地に当事者が行くことは本当に意味があることだと思いました。
 支援や情報提供だけでなく、ちゃんと要望していこうということを伝え、悲惨な生活状況を一人や家族が抱え込むのではなく、一緒に解決していこうということが訪問するというだけで伝えられます。被災している障害者の共通することは孤立化していることだと思います。外出もままならず、地域の交流もできず、普段もんもんとしてる生活状況を解決する原動力になるのは障害当事者が訪問し一緒に解決をしていくネットワークを作っていくことだと強く感じました。
 
<被災地障がい者支援センター>
 CILもりおかの事務局長である今川さんを代表として、責任者八幡さん、専従スタッフ5名と全国からのボランティアが集まり、被災沿岸部を中心に被災障害者を支援しています。
主に、避難所や仮設住宅、自宅で生活している障害者への物資提供や人的支援などを行っています。(物資提供のみの支援は7月末で終了し、人的支援や移送サービス、社会資源への引き継ぎに移行していく)。その他では仮設住宅の調査(スロープの設置状況、集会所の有無、障害者の入居状況、住宅改修の相談等)を行っています。
開設当初は被災されている障害者がどこにいるか町の人に聞いたり、ポスティングを行ったりしていました。6月半ばくらいから何人かの支援がはじまり、そこから口コミで支援センターの事が伝わり、支援が本格化していきました。
 現在は見守り支援、移送、自宅へ介助者を派遣、引き続き聞き込み、ポスティングを行っています。
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【写真④】被災地障がい者支援センターいわて
夜7時10分頃の事務所の外から撮影
<現在の一日の流れ>
8:00 センター出発、
10:00 現地活動 (見守り、介助支援、ヒアリング、ポスティング、避難所・仮設住宅訪問、物資の手渡し、役所へ訪問)
15:00 帰還開始 
18:00 センター帰還
18:30 夕食
20:00 全体報告会議
 *現地の活動が早朝になる場合は遠野の支部で宿泊し朝から活動を行うこともあります。
 報告会議は内容によって深夜になることもしばしばあります。
<感想>
 今回訪問することになってまず感じたことは、こういった災害時になると置き去りにされてしまうのはやはり社会的弱者であり、その方々へのサービスが行きわたるには健常者が復興にとりかかるよりずっと後になってしまうことだと感じました。
 世間的にみると、まるで復興ムードだなと思う昨今ですが、障害当事者たちの生活状況を目の当たりにして、本当に震災当初と一体何が変わったのか、ただ支援を必要としている人が浮き彫りになっただけだという印象をうけました。
 支援を行うにしても、支援を必要としている人の情報開示も少なく、支援センターがどういうところなのか場合によっては不審に思われる方もあったり、支援をされていることが近隣の住民にわからないようにしてほしいという話もありました。
 支援先の遠さも大きな問題で、盛岡から車で2時間半かかる今の状況化で、本当に必要な支援を行っていくのは今後難しくなってくるでしょう。早朝から遅くまで活動をしている支援センターの方々も心身ともに負担が大きくなってくることは目に見えています。 今後拠点を沿岸部に作り、それにともなって支援の内容も変わってくると思われますが、このような状況で続けていくのには無理があると感じました。
 そんな激務の中、支援センターの皆さんは本当に毎日を明るくすごしてらっしゃったことには頼もしさを感じました。なかなか状況的に難しいこともたくさんありますが、そんな彼らのおかげで少しづつセンターへの信頼が得られるようになってきているということも感じました。
 被災者のところでは本当にたくさんの被災地障害者のおかれている状況、地震・津波があった時の状況を話していただきました。近所では「みんなが被災者だから・・・」ということでなかなかそういった話をする場所もなく家の中でもんもんとされているということも感じました。そんな中障害当事者である私が被災者のところに訪問することは彼らのもんもんとする生活の一部を語ることのできる貴重な時間だったのかもしれません。
 西宮での生活の話をこちらからもする中で、「やはり当事者が声をだしていかなくては」というような話も聞くことができました。
 復興をするのは現地の方々なしにはありえない中、障害当事者たちこそが今後の復興に声をだし、今後の町づくり、本当の意味での『災害に強い街』の実現ができると心から感じました。
 不謹慎かもしれませんが、津波によってできた大きな被害を今後新しいまちづくりへの大きな起点、障害者たちがまちづくりに参画していくという大きなチャンスに変えていってほしいと切に感じます。
 そのためには今後障害当事者たちが被災地にどんどんと行き、被災者をエンパワメントしていくことが本当に今求められていると感じました。

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