被災地障がい者支援センターふくしまから

被災地障がい者支援センターふくしまから
20110626日誌2011年06月27日 18:55
カレーパンマンさんの報告
10時前に支援センターへ。
Wさん、Sさん、和歌山からのKさん、Kさんが南相馬に出かけていく。
10時にヘルパーのW君と待ち合わせ。
日記つけをしていると、ボランティアのIさんが無線ルーターは?というので、みんな(私、S、W、I)で買い物へ。ケーズデンキへ。無線ルーターとサーバーに使うハードディスクを買う。イトーヨーカド―へ。傘立てを探すが、売っていない。変わりに可愛い緑の扇風機があったので、桃ちゃん用に買う。ビバホームへ。感電死させる電気虫取り機、噴霧器、傘立てを買う。ビバホームの駐車場0.74μ?。かなり高い。
支援センターに戻ると12時近くなっている。
昼食後、W君に手伝ってもらって、EM菌の培養。家から持ってきた1.5リットルのペットボトルに作る。大きいペットボトルで作ると失敗するかも知れないと、Uのたじまさんが言っていたが、35℃に盥の水を温めているので大丈夫ではないかな。
2時過ぎにきょうされんの京都グループのNさん、Kさんが南相馬から帰ってきて、3時に京都に向う。
4時ごろにMちゃんのお父さんがみえて、Mちゃん帰っていく。雨がひどく降っている。雨の日だけでもMちゃんの送迎ができる状況ができるといいな。ボランティアの体制を整えて。
相談支援のS君がみえて、ここの線量計を借りて家の中や外を測ったのだが、部屋の中が0.6μ?。玄関が0.8μ?。1μ?以上あるという。大分危険。愛情込めたEM菌の培養を急がなければ。
Uさんのお知り合いのSさんがみえる。知的障がい者のようだ。Uさんのお知り合いには知的障がい者が多い。宇田さん関係から知的障がい者など、いろいろな方が支援センターを訪ねてくる。良いことである。どんどん関係を深めていこう。
6時過ぎになるが、雨がやまない。Uさんが私の運転で良ければ送っていくというので、お言葉に甘えて、ボランティアさんたちとリフト車に乗り込んで、Sのセブンイレブンまで送っていただく。
20110625日誌 2011年06月27日 18:52
カレーパンマン
9時前に支援センターへ。裏からはいると、線量計の警告音が鳴る。0.64μ?。
EM菌の培養は順調にいっている。ポリ盥の水が少なくなっているので、ボランティアのIさんにお湯を継ぎ足してほしいと頼む。
日誌付け。
10時半過ぎにWさんとリフト車で福島に向う。
福島県社会福祉協議会の入っている建物の3階へ。Aさんや親の会のTさんなど多くの人が会場準備をしている。Y君の兄さんも来ている。親の会の人たちを始めたくさんの障がい者団体の方たちが集まって来る。身障福祉協会のHさん、聴障会のKさんと会長のYさん、施設協会のHさん、Mさん、ALS協会さんらが集まる。参議院議員の衛藤晟一さん(自民党)、衆議院議員の高木美智代さん(公明党)、衆議院議員の初鹿明博さん(民主党)、厚生労働省の地域移行・障害児支援室長の内山さん、支援センターに一度おみえになったMさんがみえる。1時過ぎに国会議員との意見交換会が始まる。私が開会挨拶をして、Wさんが支援センターの活動報告をする。そのご、3人の国会議員の挨拶。そして、各団体の発言に移る。29名のエントリーがあり、1人2分ぐらいの持ち時間で話していく。原発問題関係と事業所や施設の施策等に分けてそれぞれ話していく。放射能の問題で、それぞれの学者の発言ややインターネットでの情報には開きがあって、どれを信じていいかという質問に、自民党の衛藤さんが、政府のいうことが一番正しいという。困ったものだ。福島県民は見殺しなのか。みんなからの障がい者施策に対する質問に、国会議員が「県の方では大丈夫できるだろう」と言われて、県の障がい福祉課長は答えに窮していたようだ。予定時間を20分ぐらいオーバーして報告会を終える。自民党の衛藤議員のパフォーマンスというものであったのかな?衛藤議員は障害者自立支援法をつくる時に活躍した議員であるとのこと。きょうされんのことは目の敵にしていると、和田さんが言っている。
4時過ぎに福島市を離れて、二本松の道の駅でおにぎりを買って、車中で食べて、支援センターへ。Wさんに携帯電話を取ってもらって、家まで送ってもらう
20110624日誌 2011年06月27日 18:34
カレーパンマン
11時半にあいえるの会事務所を出て、郡山駅に向かう。外は晴れていてとても暑い。しかし、マスクはかけていく。緑の窓口でチケットを買って、改札口に行き、これから新幹線に乗って福島まで行くのだがというと、「お名前は」と聞く。いつもなら介助者と行くのだが、介助者が私の名前を言ってしまう。きょうは私一人なので、電動車いすの者は私一人なので分かるでしょうと、名前は言わなかった。
12時23分発の新幹線で福島駅へ。西口に降りる。線量計で測ると0.22μ?。福島駅はそれほどでもないが、通常の5倍程度。
1時になり、ILセンター福島のS君とS君が車でみえる。私も同乗して、飯館村の役場が来ている福島市の飯野出張所へ。飯館村には何回も行ったので、顔なじみになったIさんに会う。飯館村の重度の身体障がい者の消息をざっと聞く。大震災前に入所していた身体障がい者は10名程度。今度の大震災で3名が入所したとのこと。残りの障がい者は家族と共に避難しているという。これから仮設住宅の生活になるので、障がい者の家族から相談があったら、支援センターへ連絡して下さいとお願いする。Iさん、「支援センターにはお世話になっているので、何かあったら必ず連絡します」とのこと。Iさんとは信頼関係ができたようだ。
次に、二本松市の男女共生センターに入っている浪江の役場出張所へ。支援センターに電話をかけて、Uさんに浪江の障がい福祉の担当者の名前を聞く。飯野から二本松に抜けていく山道(針道)を通っていくと、山頂から下り始める場所で0.7以上のμ?ある。車中でだから、降りたら3倍ぐらいになるのか。山は多い。
二本松市の男女共生センターの浪江出張所に行き、担当者はと聞けば、きょうは休みとのこと。上司に出てきてもらうが、私たちの質問に答えられない。いったい今まで何をしていたのだ、この人は。これではらちが明かないので、後からファックスに質問事項を書いて送るからよろしくと、帰ってくる。
帰りの車中で、設楽君とこれからの予定を決める。S君が会津にも行きたいと言っていたので来週の火曜日はどうかといえば、設楽君も良いとのこと。会津坂下町と美里町に行くことになる。それから、埼玉まで避難している双葉町の役場にはいつ行くかいう話になり、7/12に郡山で福島県自立生活センター協議会の総会があるので、それが終わってから埼玉に向かい、13日の午前中に双葉町の役場に寄り、午後から東京の参議院議員会館で行うJDFの大震災報告会に参加して、その日は東京に泊って、14日に福島に帰って来るかという予定を立てる。
20110622日誌 2011年06月27日 18:18
カレーパンマン
WさんとS君と待ち合わせる。10時過ぎの新幹線で東京へ。
東京駅から丸ノ内線で霞が関へ。エレベーターが少なく、新霞が関ビルから遠いほうの出口から出るようになる。和田さんが地図を調べておいたので、すぐに新霞が関ビルを見つけことができた。ビルの中で食事を摂ることにする。1階に蕎麦屋があったが、石の2段の階段が立ちふさがっている。全国社会福祉協議会が入っているのに、障がい者を締め出すような食事処があってもいいのか?隣の弁当屋で弁当を買って、狭いテーブルで食事を摂る。
ビルの1階で休んでいると立命館のAさんから電話がある。赤い羽根の助成金で支援センターのサロン作りの助成を申請するのに、申請書を書いても良いかというので、こちらではあまり時間が無いので、よろしく頼むと伝える。
1時近くなったので、5階の会議室へ。JDFの意見交換会。Hさん、Mさん、内閣府の東さんはじめ、宮城と福島の支援センターの面々。南相馬の報告にNさんも参加。会議の内容は、自己紹介を行い、宮城、福島の活動の報告と、今後の方針を話してから質疑応答、今後のJDFの活動の在り方について話し合う。
7月以降の支援センターの活動の在り方については良く考えていなかったので、戸惑ってしまう。JDFとしては、3か月に一度意見交換会を持って、今後どうしていくのかを討議していくらしい。JDFとしては、支援活動で何らかの成果をあげたいらしい。訪問活動での聞き取り調査のデータの整理や福島、宮城のデータ共有化を図りたいとのこと。組織としてはそうだろうけれど、こちらとしては現場での個別支援等をどうしていくのか気を揉んでいるのに…。どうしても温度差を感じてしまう。Wさんが、JDFからの支援は長いスパンでは考えていないのか。福島の場合、原発問題でまのたまだ支援活動は続いていくだろう。長い目で見てのJDFからの支援をお願いしたいと述べる。宮城の支援センターのKさんも同じような発言を行なう。その発言に対して、Hさんが、3か月たったからそれで支援を終わるわけではない。3か月が過ぎれば、支援の仕方も変わってくるので、その点検の意味で報告会を開催していく。という答え。JDFの集めた義援金は2100万円あまり。これは少ないなとWさん。
20110621日誌 2011年06月27日 18:03
カレーパンマン
ミクシーの日記を三日分アップする。
10時にILセンター福島のS君とS君がみえる。3人でリフト車に乗ってビックパレットへ。まずは川内村の災害対策本部へ。U田さんから教えてもらったOさんと会う。支援センターのニュースとお願い文を手渡し、話を聞く。川内村は人口3000人。脳性まひ者は6人か。大震災前から8名の重度障がい者が施設に入所していたとのこと。数的には合う。重複の障がい者が避難先から仮設住宅に移ってくるとのこと。宇田さんの担当。知的障がい者は施設ごと他県に移っているという。震災後に入所施設に避難した方はいないらしい。
次に富岡町へ。健康福祉課のSさんが担当。富岡町は人口16000人。脳性まひ者は32人か。震災前から施設に入所している重度障がい者は10人程度だったという。残りは、脳性まひ者を含めても在宅の重度障がい者は40人程度か。震災後に入所施設に避難した方はいないという。二次避難場所のホテルや旅館を教えてほしいと言えば、ビックパレットに行ってホテルなどの住所録をコピーしてくる。
川内村も富岡町も職員さんの対応は良い。帰りにビックパレットの脇にできあがっている仮設住宅を見ていこうと思ったが、S君が午後から福島県自立生活センター協議会の常任委員会があるので、時間が無いというのでそのまま支援センターに戻る。
帰りの車中で考えたのだが、川内と富岡を見る限り、在宅から施設へと移った重度障がい者はいても少数にとどまることが分かった。飯館村の頚損のSさんが「施設に入るとお金を取られるので」と言った言葉が忘れられない。大人の重度の身体障がい者がいると障害基礎年金と特別障害者手当で月に10万円を超える金額が支給される。ところが重度障がい者が施設に入所すれば、特別障害者手当は支給されなくなり、施設のホテルコストを4万円弱払わなければならないし、重度障がい者のいる一般的な家族の意識として、「多少手がかかっても月に10万円のお金が入ってくるので、施設に入れないで家においておこう」という気になるのではないのか。あまり良くない状況ではあるが…。
今後、二次避難所から仮設住宅に移るようになると、障がい者のいる家族も仮設に入るようになるだろう。その時が勝負所かも知れない。
12時に支援センターに戻る。
午後から日誌付け。
S君とボランティアのSさんが小原田の被災障がい者の訪問へ。
H君の給料を払おうと思って、センターの近くの東邦銀行に行くが、暗証番号が分からずに降ろせず。O君に暗証番号を聞いてWさんに銀行に行ってもらうが、O君の暗証番号も間違っている。
3時前から明日のJDF意見交換会の資料の作成を始める。長くかかるだろうと思っていたが、やはり時間がかかる。完成したのは夜の7時過ぎ。
明日は朝の9時にWさんとS君と待ち合わせ。
20110620日誌 2011年06月21日 09:48
カレーパンマン
10時近くに支援センターへ。 みんなが来ていて、「白石さんがなかなか来ないので、どこかでビールでも飲んでいるのかな」と。毎日毎日飲んでいるわけではないよ。
Wさんが、医療関係者と東京電力の「損害賠償に関する会議」に参加するために出かけていく。
Mちゃん、ボランティアのSさん、S君が、Mちゃんでも使える電話機を買いに行く。
Hさん、障害連やDPIのホームページを見て、障がい者制度改革推進会議・障がい者差別禁止部会の開催日程を調べるが、なかなか分からない。障害連のOさん、DPIのOさんにメールを打つ。東京で近いうちに会いましょうという内容で。
昼食後、インターネットで情報散策。
1時近くにMちゃんたちが帰ってくる。電話機は7000円とのこと。
支援センターの物件でお世話になった不動産屋さんが、神明町の虎丸郵便局の隣の土地が空いているという。この前にOさんが見つけていた土地であった。75坪で2100万円とのこと。内部で話し合ってみると答えておく。
MちゃんとボランティアのSさんの名刺を作ろうとしたが、名刺用紙がない。何処に行ったのだろう?Uさんが、なごみの佐藤さんが名刺のことを言っていたので、もしかしたら南相馬に持っていったのか?と。
Sさん(自転車で)とケーズデンキに行って、名刺用紙を買ってくる。
支援センターへ戻り、Mちゃん、Sさん、私、S君の名刺を20枚ずつ印刷する。
Mちゃんは出かけていて、近くの道なりの放射線量を測って来たとのこと。でも、マスクをかけないで、帽子をかぶらずに出かけていたので、「これからはマスクをして帽子をかぶって出かけること」と注意する。Mちゃんは20歳なので、本当に注意しなければ…。
ボランティアのS藤さんに机の上に溜まっている書類をファイルに整理していただく。
Mちゃん、4時ごろに帰っていく。Uさんに、Mちゃんにマスクをかけてくださいと伝える。Mちゃんが帰った後、Uさんが、「桃ちゃんは障がいで体温調節ができないので、早めにエアコンを設置しないと」という。うっかりしていた。早めにエアコンを設置してもらおう。今週の初めに工事をすると言っていたが。
1歳の聴覚障がいのお子さんのいるお母さん(外国人か)が来て、放射線が心配なので、どこか非難する所はないかとのこと。急いでいるのですぐに帰る。
5時前にNさんがみえたので、虎丸郵便局の土地の話をすると、少し待っていれば良いという。様子を見よう。
夕方、Hさんがみえる。Hさんは知的障がい者当事者として頑張っている。私の息子と同じ施設団体で働いている。元気のよい女の子。
あす、ILセンター福島の設楽君と、避難区域となった各町村の職員あての「原発等で非難区域から非難した重度の身体障がい者の所在確認をしていますが」という文章を完成させると夜の7時になってしまう。

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