中学生プロジェクト
摂津二中 先生方の人権講習に参加しました。
障害者を招いて、毎年、避難訓練に取り組んでくださっている二中の先生方。
年一度のこの取り組みを、もっと充実させたい互いの願いから
うちの牧口理事長と応援センター理事の福島さんをゲストに人権講習会。
障害者の本音を少しでも知ろうと
まずはNHK放送のパリバラ・「感動ポルノについて」をみんなで観覧した。
―注 「感動ポルノ」は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、健常者が「感動をもらった、励まされた」と感じる場面を表わすステラヤングという女性障害者か考えた新語であるー
ちなみに、この言葉が世に出始めたころ、私は感動ポルノを官能ポルノとしばらく聞き違えていた。ステラヤングとは大違いだ。
こんなことを知ってか知らずか、観覧後、牧さんは「障害者と一口に言うても、全然違うんよね。今日はポリオの僕と脳性麻痺の福島さん・福本さんとの違いを話しながら進めますね。まずは僕から・・・僕が生まれたのは、障害者が不具者 かたわものと言われた時代。この言葉があったころの日本は、差別という言葉さえなくて石も投げられた。でも、それは僕を知っている人はしない。僕を知らないからだ。と耐えられた。それより悲しかった記憶は、僕の頃は就学免除っていうのがあって、障害児は学校に来るなと言われた。おふくろも僕をおぶって学校に連れて行ったんだけど、あかん言われたみたい。その日の帰り、おぶった背中が震えていた。泣きながらの母のうなじが一番悲しかった。福島君は?」
「小さいころ、最初の悲しかった出来事は夜に・・・僕だけ遊べなかったこと。必死で行きたい、なんで?って言うんだけど、親は迷惑かけるやん。これ以上迷惑かけたらあかんと」「これ以上ってな。で、そのあとは?」と牧さんは突っ込む。
「僕 四国の田舎で大きくなったんです。それもあって、高校卒業後は施設か在宅の選択しかなかった。で、どっちも嫌で受験して大学に。やったーですよ。で、卒業して企業就職は体力的にも難しいかと思って、現在にいたってます」福本さんは?
「私はずっと大学まで普通校でもまれて育って、就職活動もしたんだけど この時ことごとく落とされて、ゆるーいところで⒉年足らず働いて、ひそかに結婚をもくろんで寿退社です。ですが・・・死別で主婦廃業。でゆめ風基金職員五年目です」
「僕一回聞きかったんだけど、二人は、中学生と避難訓練していて、子供の言葉や視線ってどうなん?子供って正直やん」
「正直ですね。僕ここではないですけど、歩いてて、子供からーふらふらダコーや言われて、うわって思った。でも、だから逆にこちら側のありのままを受け止めてくれる気がします」さすが―福島さん、えっ?私
「子育てしている間はもーう必死で・・・でも、いまは関わり方がわかりにくい。もう○○ちゃんのおばちゃんじゃないし、環境も子育てしていた時代と違うしね」障害者と一緒に何かをした経験がないと、間違ったイメージが植え付けられる。正しい想像も育たない。
初めて中学に行ったとき、生徒さんに「リアル障害者」と言われ、驚いた。「そうやでー。バーチャル違うで、貞子とも違う、ちなつ」と言ったら、一瞬きょとんとして、笑った。伝わっている気がした。
そのことを思い出していたら「福本さんは言葉の壁は感じてない?」と牧さんからの質問が飛ぶ。「そんなん、しょっちゅうです。今もあー話せたらなって思ってる」「けど、中学生と避難訓練したら、帰りにはちなつさーん、ばいばいって」うふふ、。それは「言葉は相性もあるし」私理詰めなんてできないので、大人じゃない安心感みたいなものがでているんじゃ。社会人としては(・・?なんですけど。
本日もみなさんとお勉強させていただきました
ふくもとちなつ