4月10日までに、被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は79205940円です。
支援する団体、個人と金額。新潟被災障害者後方支援障害者センターの立ち上げ支援金を検討中です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
大震災救援の中のボクの風景。チェルノブイリ原発事故の放射能線量の10分の1だと、福島原発事故の規模を、東電、政府は、発表したけれど、比較にならないことを比較するのを、詭弁と言う。チェルノブイリの事故は、10日で押さえ込むことが出来たけれど、福島原発事故は、相当な規模で、継続中なのです。積み上がる線量は、予測も出来ない規模でしょう。チェルノブイリ原発の30キロ圏内は、現在でも立ち入り禁止区域なっているのです。福島原発周辺から避難しているひとたちは、いつになれば、ふるさとに帰れるのでしょうか。のどかな、暖かい風の吹く土地に、無残な姿の原発が、遥かかなたに佇んでいる風景。風になびく水蒸気の白さが、目と心に痛い。原発も臓器移植も、同じような性質を持っています。人間の尊厳を脅かしながら、いったん始まれば、止まることを知らないからです。人間存在の意味や、いのちの意味を問いかける事柄なのに、それには目を閉じて、作り続け、人間のいのちを切り刻み続けるのです。たった今、少年のからだが切られつつある風景の中にいるボクたち。
ゆめ風基金事務局長橘高さんが、被災地実情把握のために、13日から、17日までの予定で、被災地仙台に向けて出発しました。ますます、ゆめ風基金事務所は、人手不足のままです。誰でもいいですから、お手伝いをお願いします。
ゆめ風基金臨時機関誌に掲載された、箕面市の豊能障害者労働センター主催の5月14日開催、被災障害者救援大バザーの呼びかけに反応して、各地からバザー用品がどんどん届いています。宅急便が40個以上。引き取りが30件以上。持ち込みも多数に上っています。
バクバクの会の平本さんが、病院通いの合間をぬって、ゆめ風基金事務所に、お手伝いにおいでになりました。名古屋からは、はるばる内木さんという方がお手伝いに来られました。感謝です。東京から、中野区議会議員の佐藤ひろこさんがおいでになり、4月には、引退するので、実家が大阪なので、時々帰省するから、お手伝いしますとのこと。東京では、人工呼吸器を使う人たちと一緒に活動していると。たまたま事務所にいた、バクバクの会の平本さんと話し合われました。
仙台:たすけっと:からの文章の要約です。
現在、支援活動も、延べ120件をゆうに超え、今も変わっていく、ニーズに対応しています。
僕たちたすけっとでも、被害を受けた障害者の支援を行っているところです。
元の美しい東北に戻るには、長い年月が必要だと思いますが、一歩一歩前へ、時には休みながら復興へ歩いて行こうと思います。W
もしあの地震のとき、一人でいたら動けずケガをしたかもしれません。もしか
したら死んでいたかもしれません。仲間といてよかった。一人じゃなくて、本当によかったです。ヘルパーさんや大切な仲間とともに過ごせる毎日を大切に自分たちにできることを積み重ねていきたいと思います。I
地震に備えて避難所を整備せねばと主張していた立場から、自ら避難所へ。で
すが、一般避難所には、いられないと身をもって思い知りました。そして、たすけっと事務所で十数人で毛布にくるまり、声をひそめておりました。事務所のある地域は、津波の被害はありません。ライフラインは、徐々に復旧し、地下鉄も走っています。津波の被害を受けた地域は安否確認に追われ、高齢者が野戦病院のごとき所に避難されています。こんなギャップに愕然としながらも、とにかくつながって、復興、再生へ向けて動いています。元気を出して、永く地道に活動したいと思います。ご協力に感謝!O
わらじの会の友人、新野さんからの南相馬市の風景リポートの抜粋、要約です。
国道6号線、原発から30キロ地点には、:10キロメートル先立ち入り制限
中:との看板があり、道路の真ん中に警察車両が待機している。コンビニ、レストランなど、ほとんどの店は開いていない。原町火力発電所あたりでは、津波が国道6号線を超え、国道そばに漁船やクルーザーがゴロゴロしている。役所は、開いているが、避難した職員もいて、手が回らないらしい。
病院も同様。郵便、宅急便、新聞も配達なし。行き交う車は、警察車両か自衛隊車両がほとんど。夕方からは、消防車も加わったが、一般車は、あまり見かけない。家があっても、ひとの気配がしない。南相馬市の道の駅から、2キロほど南下すると、バリケードで、これから先立ち入り禁止の掲示。自動販売機には、電気は来ているが、全て売り切れていた。横川ダムあたりは、人家がほとんどなく、人の気配は、全くない。道は地割れ、土砂崩れが多く、岩がゴロゴロ。町、村も、原発の放射能を避け、集団避難をしたらしい。避難指示地域では、捜索活動がまったくと言っていいほどされていない。
以上!