相模原障害者施設殺傷事件をうけて

7月31日
認定NPO法人 代表理事 牧口 一二
先日、とても無視できない相模原の事件が起こってしまった。
残忍な事件でまず直観したのは、施設ではなく、それぞれ家族と一緒に暮らせていたら、それが当たり前の社会になっていたら、あんな短時間に障害ある仲間たちが十九人も殺され、二十六人も重軽傷を負うことはなかった、と無念でならない。
新聞やテレビの報道が事実ならば、障害者施設で働いていた容疑者は園長に「ずっと車いすなどに縛られて(障害者たちは)幸せなのか。周りを不幸にするだけだ」と言い、
園長に「その考えはヒトラーと同じだ」と指摘されても「そう取られてもいい、自分は正しい」と譲らなかった、という。
かって脳性まひ者集団・青い芝の会の人たちが主張していた「愛と正義を否定する」というキリスト者のボクが解釈に悩み続けつつも触発された言葉を具現化したような事件だった(まるで予見していたように)。
どうも容疑者の彼は、そうした考えから障害者を殺すのが正義で平和への道(愛)と思ったようだ。
で、衆議院議長に賛同が得られるものと手紙を書いていた、とのこと。
彼がそう思ってしまう世相がヘイトスピーチなどに表れている。
それは強者の論理、1%の強者のために99%を犠牲にする社会のことだ。
真逆だよ、キミ。
今の世が辛うじて滅び切らないでいるのは、我ら丸腰の(抵抗できない)障害者とその生き方に共感している障害なき人たちがいるからだ。
その人間らしいゆたかさが戦争の広がりを必死で喰い止めているのだ。
そして事件後の対応だが、十数年前の大阪教育大付属池田小学校事件を思い出した。
あの時、全国の学校は校門に鍵をかけ、防犯カメラを設置した。
世の中には、そうしないと許さない空気があったからで、「これで再発は防げる」と信じた教師が何人いただろうか。
ほんとうに安心できるのは常にいろんな人が見ていること、そんな空気が流れていることだ。障害者施設もしかり。
守り、閉じ籠るのではなく、真逆のできるだけオープンにすること、外からの空気が漂い続けることこそ凶悪な犯罪から守られるのだと考える。
 
最後になってしまったが、お亡くなりになられたかたに心から哀悼の意を表します。
そして、心や体に傷を負ったかたが、一刻も早く日常を取り戻せますように・・・。
 

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