hideの救援レポート2015年10月19日№183

●市民による健康を守るネットワーク・たむら市民ネットニュース№113
「フクシマナウ!」
その2
『どうせ死ぬのなら、自宅で死にたい』
帰還希望者の多くは、高齢者や障がいを持つ人とその家族だ。
今回の避難解除をされる多くの住民は、あの3・11の時に、各地の避難所を転々とした住民が多い。
避難場所も当初の体育館からホテル、旅館など平均すると7箇所くらいの避難場所を渡り歩いている。
そこから移動した先の仮設住宅は、また劣悪だった。
仮設の設備が寒冷地に耐えられずに、水道管などの破裂が目立った。
体調の悪い高齢者、障がいを持つ人にとっての仮設住宅への車いす使用の玄関スロープ設置は遅れた。
テレビのリモコンが隣の住人の部屋のテレビのチャンネルを動かすなど、プライバシーには住民相互に過剰に気を使った。
この間、多くの住人はさらに体調を悪化させ、障がいの重度化は進んだ。
住民は地震、津波で家を失い、財産を失い、仕事を失い、そして家族を失うなど、瞬時に、そして今なお埋められない数々の喪失感に絶望視している。
(※3・11直後僅か1日で、元気な高齢者が認知症になった例もある。)
建設された復興住宅は、高齢者、障がい者など、いわゆる弱者を優先的に入居が向けられているものの、それらの優先対象者の入居希望は少ないのだ。
この復興住宅にはもう仮設住宅群にあった:コミュニティー:が希薄になることがその理由の1つだが、最大の理由は:どうせ死ぬのなら、自宅で死にたい。:だ。
このことから、:青く:なっているのは、帰還自治体であり、要介護支援者である。
介護支援者:ホームヘルパー、施設介護支援員等:は、周知のとおり仕事の尊い使命感に反して、収入が見合わないことから全国的にも慢性的に不足している中(県内、介護福祉士養成校定員80名の内、昨年度来入学者47人など)、フクシマは、圧倒的に不足している。
この圧倒的に不足している環境の中に、要介護住民が戻ればどうなるのか、火を見るよりも明らかだ。
『亡くなった申し立て人は343人に上る』
東京電力福島第一原発事故で全町避難する浪江町の住民1万5546人が慰謝料の増額を東電に求めた和解仲介手続き(慰謝料を現行の1人月10万円から35万円に増額するようADRに求めている)で、町は7月2日、和解案が提示された2014年3月末以降、申し立て人のうち202人が死亡したと発表した。
東電は和解案の受け入れを拒否したままで、町によると、ADRを申し立てた13年5月以降、ことし5月末までに亡くなった申し立て人は343人に上る。
死亡した申し立て人はADRの手続きから外れる。
増額分を親族が相続できるか否かは決まっていない。
『所在不明の800人死亡か中間貯蔵の地権者』
原発事故に伴う除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設予定地の地権者で連絡先が把握できていない約1160人のうち、約800人が死亡しているとみられることが、26日までの環境省の調べで分かった。
同省は地権者に応じた対応方針を基に用地交渉を前進させる考えだが、相続人の把握などさらなる難航は避けられない見通し。
連絡先を把握している地権者の所有地と、国などの公有地を合わせた面積が、予定地全体の8割を占めることも明らかになった。死亡したとみられる地権者のうち、死亡が判明しているのは約500人で、残りの約300人は登記記録の年代から死亡したと推測されると判断した。
同省は、死亡した地権者の相続人の連絡先確認を進めているが、土地などが分割されて相続されるケースもあり、用地交渉件数がさらに増えることも予想されるという。
この中間管理施設では建設後30年間の放射能汚染物質等の管理を行うこととして、環境省が長期間ではあるが期間を限定した使用目的としている。
放射能の汚染物質等の管理は元より、土地の貸与契約者である地権者らとも長期の管理態勢とその関係性も求められているが、30年後にこの中間管理施設に集約した放射能汚染物質を他所に動かすことができるのか?
このまま、永久に管理する(最終管理施設)に計画の変更になる可能性が高いのではと、みる県民は多い。
『県内一円に減容化施設を建設する』
旧ソビエト時代に起きた、チェルノブイリ原発事故:1986年:後、政府、科学者らが心配していること、それはチェルノブイリ原発付近での森林等の火災であった。
現在はウクライナのチェルノブイリ周辺では、心配していた森林火災が起きている。
6月末に始まっていた模様で、既に1平方キロ以上が燃えていると報じられている。
4月の火災では4平方キロが燃えているエリアの近くです。
ウクライナの国家当局は、チェルノブイリの立ち入り禁止地域(ゾーン)内で、山火事の結果として、放射線量が管理レベルを超えたと、発表している。
6月30日に採取されている大気サンプルは、セシウム137が管理レベルの上限を一桁は超えているとも伝えられている。
●フクシマ・ナウその3に続く
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これまで届けた救援金
359,650,649円(2015年10月19日現在)
内・東日本大震災救援金総額
295,442,139円(2015年10月19日現在)
ただいまの基金残高
257,311,810円(2015年6月30日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
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【東日本大震災救援活動の中のボクの風景】
●この10月24日から26日にかけ、hideが副会長を務める「箕面市人権啓発推進協議会」の東日本大震災義援活動3回目(年1回)が、約20名の参加者で行われます。
おおよその旅程は、次のようなものです!
・24日:南相馬市にて、子育てカフェのみなさんと昼食、懇談会。
南相馬市小高区等見学、南相馬ファクトリィの佐藤さんたちと交流。
石巻の追分温泉泊。夕食、にっこりパーク仮設住宅・中村さんたちと交流。
・25日:石巻市内~日和山・大川小学校等見学。
南三陸町防災庁舎到着。
最後まで避難放送を続けた末希さんの実家・民宿で昼食。ご両親と交流。
陸前高田市の旧道の駅、市内見学。
気仙沼へ。八瀬の森で民泊。
・26日、海市、気仙沼コンベンション観光協会、熊谷さんたちと交流。
市内見学、スーパー堤防等。
海の市・シャークミュージアム等で買い物、昼食。
午後5時35分、仙台空港発、帰阪。
だいたい以上!

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