小室 等さん、総合プロデュース コンサート

11月16日 栗東芸術文化会館にて
糸賀一雄記念賞第13回音楽祭が行われました。
ゆめ風基金を支えてつづけくれている
小室 等さん、総合プロデュースのもと、
滋賀県内の7団体の「うた」「打楽器演奏」「ダンス」の成果発表。
加えて、障害のあるなし、年齢、表現のジャンルをこえたパフォーマンス。
最後には、会場一体となって
「ほほえむちから」-作詞・谷川 俊太郎 -作曲 小室 等
を、合唱しました。
音楽が引きだしてくれる「生きる底力」を目の当たりにしました。
ただ、まっすぐに自分になる努力が表現活動!
みんな、みんなアーティストなんです。
ただ、障害者はその障害ゆえに
ゆがんだスポットライトを与えられてしまう。
それを知り、障害者を「応援」ではなく、
障害者との「共生」を舞台に・・・。
心が熱くなりました。
ステキな時間をありがとう!です。
―by ふくもと ちなつー

「眼の会」からの防災関連情報

★★「眼の会」からの防災関連情報です★★
■「船を病院に」活用訓練■ 
香住高の但州丸 ・医療物資を積み込む香住高生(神戸市中央区で)
 大規模災害時に、客船を負傷者、病人らの輸送や避難所として活用する「災害時医療支援船」の
 運航訓練が16日、神戸―大阪港で行われた。
 海洋科学科がある兵庫県立香住高校(香美町)の実習船「但州丸」(499トン)を使用。
 難病患者ら約70人と医療物資を輸送する手順を確認した。
 
阪神大震災では、停電や断水によって、多くの病院で医療機器が使用できなくなり、
透析患者ら持病を持つ患者の多くが、治療できる医療機関を探すのに苦労したといわれる。
また、被災後のストレスが持病に悪影響を及ぼすなどして「震災関連死」した人は919人に上る。
 
このため、県内の医療団体やフェリー会社は昨年3月、
災害時医療支援船構想推進協議会を設立。国や県などに船舶活用を訴えてきた。
これを受けて県も、地域防災計画に、透析・難病患者らの輸送や一時的な避難所として
船舶を活用することを盛り込んだ。
今回の訓練は、香住高の教員やNPO法人「兵庫県腎友会」のメンバーらの協力で実現した。
神戸が地震で被災し、日本海から但州丸が救援に駆け付けたとの想定で行われ、
腎友会のメンバーや障害者らが神戸港で船に乗り込んだ。
香住高の実習生はマスクなど医療物資が入った段ボール箱を積み込み、大阪港に向けて出港した。
 
震災時に小野市内の病院まで移動して透析を受けた経験を持つ明石市の森田繁和さん(66)は
「一度に多数を運べる船はありがたいが、道が寸断された場合、どうやって港まで
 たどり着けばいいのかを考えていく必要がある」と話していた。
 (浅野友美)(2014年11月18日 読売新聞)
★★眼の会 イベント案内★★
■災害時における、要援護者の理解と支援について一緒に考えるシンポジウム■
~~当事者からのメッセージ~~
テーマ:私が思う、災害対策から福祉避難所について
・五名の違った立場の当事者からメッセージを発信。
・開催日時:26年11月30日(日) 10:00~16:00(受付9:30より)
・場所:神戸市立東部在宅障害者福祉センター 2F多目的ホール   
神戸市灘区岩屋北町6-1-4 (JR灘駅南隣接:阪神岩屋駅北に2~3分)
 
「眼の会」は
視覚障害者がより快適に暮らせる環境創りを目指すべく
・会員、及び視覚障害者を対象とした事業。
・医療、福祉関係従事者、等を対象とした事業。
・世間に向けての視覚障害者の啓発活動。
上記の三本柱を中心に活動しております。

啓発小学校に行ってきました!

15日の土曜日、ゆめ風地元にある「啓発小学校」に行ってきました!
こちらの学校は、「障害者」への理解を深める学習を多く取り入れており、
先日も、講演にお招きいただきました。
今回は、「防災」の勉強。
災害が発生し、小学校の講堂に、いろんな立場の人=「障害者」が避難してきたら・・・?
というテーマで、考えてもらいます。

先生が、素晴らしいパワーポイント資料を作ってくださり、
今まで、児童たちが出会って、または体験してきた「障害者」への配慮について考えます。
車いすの人が避難してきたら?
高齢者が手押し車で来たら?
音に敏感な人はどこがいい?
耳が不自由な人は何が不便なんだろう?
じっとしているのが苦手な子どもがいたらどうする?
ペットと一緒に避難してきた人にどう接する?
など、いろんなケースについて、グループごとに考えてもらいます。
「何が難しい?」と聞くと、
「全部!!」という元気な声が返ってきたり、
「車いすの人は出入口近くがいいよね!」と答えてくれたり・・・。
今回は、「避難所運営ゲーム:ゆめ風バージョン」をさらに要点を絞って、
小学生向けに、やってみました。
いざというとき、子どもたちにも。いろんな役割があること、
例えば「小さい子のお守りをしつつ、自分もストレス発散する」とか
大人の手伝いをするとか。
もちろん、ショックを受けている災害発生直後から落ち着いたら、の仮定です。
大人でも、なかなか、いろんな役割や、配慮が必要だと、なかなか分かりにくいのですが、
一回でも、こうした「避難所運営ゲーム」をやっていると、「命をつなぐため」に自分たちにできることが
たくさんあることに気づいてくれます。
そして、「もしも」のときに、落ち着いて対処できるようになるかもしれません。
誰も弾かずにみんなで助かる、そんな勉強をしてくれたみんな、ありがとう!
皆さんの地域でも、「避難所運営ゲーム」やってみませんか?
一斉避難訓練などが難しい場合、ちょっとした会議室などで、「避難所」をどう運営するのか、
疑似体験できるかも?です。
寒い講堂で、90分の授業を終え、元気に教室へと戻る児童たちが
頼もしく見えました。

街頭募金のご報告

あっという間に11月。
待ちゆく人の服装が、冬仕様になっていますね。
11月8日、恒例のなんば高島屋前での街頭募金に参加してきました!

車いす参加者も、完全防備の服装です。
気温は19度。
ただ、吹きさらしの路上ゆえに、風が全身を直撃してきます。
普段より冷えるため、トイレの回数も増えたり・・・。
そんな中、
「頑張ってね。」
「ご苦労さま!」など、声をかけながら、募金してくださる方が今もいて下さることが、
私たちの大きな励みです。
参加者  41人
募金額  67,784円 

参加者の皆様、お疲れさまでした!
そして、募金を寄せてくださった方々、ありがとうございました!
被災地が笑顔を取り戻すまで、ずっと続けていきます。
また来月!

啓発小学校に行ってきました!

毎年、この時期になると、「障害」や「共生」についてお話ししてくださいと、
ありがた~いお申し出をくれる、地元の小学校。
今年もお邪魔してきました!
事前に、DVDを見てもらい、普段の生活の一部を知ってもらいます。
そして、5年生の前で、「障害があって生活するってどんな風なの?」と、
子どもたちの素朴な疑問に、答えていきます。
「電動車いすってずっと動くの?」
「電気で動くから、充電しないといけないんよ。満タンにして、梅田2往復くらいはできるかな~?」
「痛くないの?」
「痛いよ~だからお薬飲んだり、注射したりしてるよ~」
「なんでにこにこしてるの?」
「うーんとね、こんなふうに、いろんな人に障害を知ってもらえるって、嬉しいことやから!」
「つらいこと、しんどいことはないんですか?」
「毎日、しんどいなあ、とか、つらいなあ、とか思うよ~。でもさ、障害があるから、みんなとも出会えたよね?
辛いこともあるけど、今日みたいに、新しく出会いがあったりすると、辛さも吹っ飛ぶよ!」
「危ないこと、怖いことは??」
「車いすに乗っていると、目線が低いので、歩きたばこの人の火があたることや、肩にバッグをかけて歩いてる人のバッグが当たって傷ができることもあるよ!歩きスマホの人ともぶつかりそうになる。すみませーん!と言ってるのに、イヤホンで音楽聞いたりしてるから、私の声も聞こえない。いろんな危険が街にはいっぱいだけど、それでも楽しいことのほうが多いよ!」
ストレートに聞いてくる子供。
瞳がきらきらしています。
こんなふうに、ゆめ風の地元とのお付き合い、どんどん増やしていきたいと考えています。
コンビニの近くで
「あ!長崎さんだ!」と声をかけてくれる子供を一人でも増やしたいのです。
そして、この子達が、もっと大きくなる頃、今よりも良い社会になっているよう、
笑顔で過ごせているように、
負の遺産は残さず、良い遺産を残せるよう、活動していければと。
人権などに関する出前授業も承ります♪
お気軽にご相談ください!
(長崎圭子)

ヒデの救済レポート

~被災地NGO協働センター~  連絡TEL078-574-0701:FAX078-574-0702
機関誌・じゃりみち、被災地支援情報NO101号からの転載
・巻頭言・あの日から3年…
東日本大震災の発生から間もなく丸3年以上を迎えます。
道路や防潮堤などの工事はみるみる進んでいますが、
被災者の暮らしは、仮設やみなし仮設、避難生活など不自由な生活が続いています。
仮設から自力再建をした人、復興住宅に入居した人もわずかですがいらっしゃいます
。しかし、残された人との心の隙間が広がっています。
阪神・淡路大震災での3年目あたりは以下のように神戸新聞で伝えています。
:兵庫県警の調べでは、仮設住宅での孤独死は計163人。その周辺に多くの死がある。
避難所などでの関連を追跡してきた神戸協同病院の上田耕藏院長は、
「生きがいがあれば、ストレスも乗り越えられる。か、仮設では、あしたもがんばって生きよう!という
気持ちをなくしてしまっていることが大きい」と指摘する。
「恒久住宅への転居が進めば、仮設に残る人の不安は増し、健康問題が深刻になる」と県担当者。
保健婦らの巡回も限られ、効果的な対策は見いだせない。
                         ー:1997年7月16日神戸新聞:ー
:市街地からあまり離れていないところに帰りたい。
もし住宅が当たっても、高齢で健康ではないので孤独な生活に対する不安がとても大きい。
慣れない土地で、人との語らいのないさびしい生活は、こちらで嫌というほど味わっている。
孤独死する人の気持ちが痛いほどよく分かる。
私たちを忘れないで、県外でさびしい思いをしている者に温かい支援を寄せてほしい。
                -大阪府、70以上女性:1997年12月20日神戸新聞ー
:
先の見えない不安を抱えていたのは、阪神・淡路でも同じ状況でした。
私も実際に仮設を回っているとき、被災者の男性が:「もう生きていてもしかたない。殺してくれ:」と叫んでいました。
私は声も掛けられず、ただただ呆然と立ちすくんでいました。
近所の被災者の方が、その男性に:「死んだってしょうがない。がんばって生きていこう:」など慰めのような言葉で、
必死で止めていました。その日はそのままやり過ごしたのですが、数日後ビルの屋上から飛び降り自殺をしたそうです。
震災から2年、3年くらいは孤独死も増え、自殺も多く発生していました。
このような事態にボランティアの人たちは、仮設を一軒一軒回り安否確認をしていました。
東日本大震災の被災地でも、昨年暮れに仮設から復興住宅に引っ越した方が、
間もなく川で亡くなったという知らせを聞きました。自殺でした。
せっかく終の棲家に移ってこれからだという時に、なぜ??
阪神・淡路でおきたようなことが、東日本でも繰り返されていて、憤りを感じずにはいられません。
3年半を迎える被災地では、表面的には見えにくい課題が多くなり、
関連死を引き起こすようなきっかけがあちらこちらにあるのです。
仮設から復興住宅など新しい引起こし先でも、またあらたにコミュニティーを作り直さなければならないのです。
ある被災者が:これから何回コミュニティーを作り直すのだろう:とつぶやいていました。
また19年前の神戸と同じ言葉を耳にし、ほんとうにやりきれない思いです。
一方で今回の東日本大震災では、原発という過酷事故を引き起こし、大きな課題が与えられいます。
:原発事故で地域と暮らしを引き裂かれた福島と、核のごみのリサイクルを受け入れる青森県六ケ所村。
2枚の地図を重ね合わせて映し出す記録映画:福島・六ケ所・未来への伝言:島田恵監督:が公開された。
:中略:郡山市で自然農法の米作りを営む中村和夫さんは、14代続いた農家。
精密検査でごく微量の放射性セシウムが検出され、大量の在庫を抱えている。
:東京のために福島の人は、電気をつくってきたんだから、今度は福島の人の言うことを聞いて!
原発事故、あれは絶対あってはなんねぇ:・と、声を振り絞る。
島田監督は、「:未来を生きる世代に、私たちはこんな事故を引き起こしてしまったけれど、
新しいあなたたちのことを思って、新しい未来をつくろうと、
悩み、苦しみながら、一生懸命がんばったんだよ、と伝言したい」:と、決意を込める。:
                              ー2014年2月17日東京新聞ー
被災地の復興はまだまだはじまったばかりです。                         増島智子 以上
………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
~今年も行ってきました!忘れないように!~
●10月28日~30日に、hideは、
箕面市人権啓発推進協議会主催の東日本大震災義援活動で、気仙沼、大島に行ってきました。

28日、14名の市民に同行して、、
南三陸町防災対策庁舎から、最後まで、避難を呼びかけ、津波の犠牲になった、
町職員遠藤美希さんの母親が、震災の記憶を語り継ぐ場として開かれた:美希の家:で聞き取りと交流。
特別養護老人ホーム:春圃苑:で聞き取りと交流。
29日、
カキ養殖場の復興と、仮設住宅の現状の聞き取りと見学。
NPO法人ネットワークオレンジの障害者福祉の聞き取りと交流。
障害者自立生活支援・交流と聞き取り。
八瀬民泊に宿泊。
30日、
陸前高田の:奇跡の1本松:と:スーパー堤防:の聞き取りと見学。
陸前高田の道の駅、気仙沼お魚市場、魚の駅などで買い物。
石巻市の大川小学校:70名以上の子どもと先生が津波に流され、亡くなった。現在、裁判で係争中
などなどを訪れ行帰阪いたしました。
また、これとは別に、ゆめ風基金の細井理事、八幡理事、豊能障害者労働センターの
石原さん、本沢さんたちが、4日からの日程で、石巻、南三陸の被災障害者支援拠点を訪ね、意見交流をします。
大震災の記憶をつなげるために、規模が少なくなっても、
こんな行動を続けて行きたいと考えています!
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●これまで届けた救援金
309,701,224円(2014年8月12日現在)
内・東日本大震災救援金総額
264,292,139円(2014年8月12日現在)
ただいまの基金残高
254,988,305円(2014年6月末日現在)

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 
●これは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、
障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、
各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。
■救援金の送り先は、郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。

山形県の「梓園」に出張してきました!

先日、山形県米沢市にある、梓園さんから「障害者の自立について」話をしてほしいとのご依頼を頂き、
2泊3日で行ってきた、事務局員・長崎です!
東京までは、慣れているので、2時間半が早く感じました。
1時間に一本の東北新幹線から見える車窓の風景は、見事な紅葉。
雪が降るまでもう少し、という、いい季節でした。
大阪から新幹線で片道およそ5時間弱。
米沢駅で降りると、すぐに宿泊先の東横インが見えます。
あまり高層の建物はなかったので、地図が読めない私も、迷わずチェックインできました。
部屋はバリアフリーで、入浴の際には、シャワーチェアの貸し出しもOK!
ちょっと体を休めて、職員の佐藤さんと打ち合わせ。
とっても優しい、そして山形弁が心地よく聞こえる、「おっかさん」タイプの方でした。
(まだまだお若いです!!!)
今回は、自立について原稿を書いたものが、梓園の自治会のかたの目に留まり、お招きいただきました。
当日は、100人くらいのかたが、梓園の体育館に集合!
私自身、どのように生活しているかなど、パワーポイントや、DVDを見て頂きながら100分ほど、お話を。
「ヘルパーさんの料理をもう少し甘くしてほしいけど言えない」
など、通所しながら自立生活を送っているかたならではの悩みも聞けました。
終了後は、自治会の会長さん、副会長さんや園長さんをはじめ、職員の方々と会食!

右から自治会長さん、佐藤さん、副会長さん、職員さん、私、見切れていますが、園長さんです。
な、なんと、米沢牛のすきやき!
美味しい料理に話がはずみます。
今回のテーマは「自立」でしたが・・・
米沢は、冬になると、雪が4~5メートルも降るそうです。
毎日雪かきをしても、また降ってくる。
大きな道路は、市が除雪してくれますが、そこに出るまで、例えば自分の家の前などは、
自分で雪かきをしないといけないそうです。
だから、自立生活をしている人は、まず、一軒家は選べないとか・・・。
街を電動車いすで歩いていて感じたのですが、除雪車や雪かきのせいでしょうか。
道がデコボコしているんですね。
電動が跳ね上がるような衝撃を何度も感じました。
自立を阻む一番の理由は雪。
外に出ようとしても、なかなか出られない、そんな冬がもうすぐやってきます。
一人暮らしをしていても、社会と関わらずにいる人もいる・・・。
それは自立なのか・・・。
その地域にあった施策を、やはり当事者自ら発信していくことが大事だと、皆さんの笑顔を見て感じました。
素敵な出会いに感謝!!です。
梓園の皆さん、お世話になりました!
大阪にも是非、遊びに来てください!
ということで、全国どこへでも、ご依頼があれば伺います!
よろしくお願いします!

「まちなか被災シミュレーション」に参加しました!

体調が悪くて、少しお休みを頂いていた、事務局員・長崎です。
遅くなりましたが、標記の件、初めて参加したので、じっくりご報告いたします。
「まちなか被災シミュレーション」について はここをクリック!
『ガイドヘルプ等で外出機会の多いボランティアやガイドヘルパー、障がい当事者の方が、初めて訪れた土地で災害にあっても無事に避難できるよう、避難訓練と避難のための情報収集にチャレンジする』、それが「まちなか被災(災害時避難)シミュレーション」です。
今までに、大阪市北区(扇町・中崎町・南森町・天神橋筋商店街・梅田)、大阪市福島区(野田阪神・大阪市中央市場)
兵庫県新長田、伊丹、三田で開催。
今回は、大正区でした。

アロハシャツを着ているのがスタッフ。
まずは、商店街をぶらぶら~探索します。
沖縄からの移住者が多いことで有名な大正区ですが、残念ながら、当日は、半分ほどのお店のシャッターが閉じていました。
休日なのか、廃業したのか・・・。
どこの商店街も抱える、「空き店舗」が目立ちました。
このお店を借りて何かできないかな~などと思いつつ、歩みを進めます。
今回は、20人ほどの参加者で、2班に分かれて行動しました。
1時間ほど、歩いて、地元の名所らしきところを目指します。
ちょうど、商店街に置いてあった、「大正区マップ」を手に入れられたので、珍しい「渡船場」へ、てくてく・・・。
マップを見て驚いたのが、大正区は、川に囲まれた地区だということです。

「こういう機会がないと、なかなか「区全体」を知ることは、まずないなあ・・・。」
「そうそう!ここのお店に行くっていう、『点』だけしか調べていかへんよねえ~」
「うんうん!もしものことなんて考えてないよなあ。」
と、話ていると、大きなメガネ橋が見えてきました。

スタッフが走って見てくれてきたのですが、どうやら車だけでなく、自転車なども通行できるようです。
「もしものときは、ここに逃げる?」
「でも人が殺到しそうやねえ・・・」
「パニックになった人の行動は予測不可能やし、こればかりは・・・。」
隣の区に渡るのに、橋もありますが、住民がよく使っているのは、「渡船」。

結構きつい勾配。
電動車いすなので、なんとか行けますが、手動車いすでは、ちょっと怖いし、大変かな?
雨が降っても、ずるずる滑りそうで・・・。
なんとか坂を上りきると、

向こう岸から、自転車や学校帰りの児童が渡船でこちら側に渡っていました。
写真でかすかに見えますが、向こう岸はすぐそこ。
乗りたいね~と言っていると、スタッフが
「さあ、今地震が起きました。1時間後に津波が来ます。どうしましょう?」とグループみんなに問いかけます。
たまたま「大正区マップ」を持っていたので、「高いところ」を探しましたが・・・。
大正区には高層ビルもほとんどなく、10階以上のマンションも、低層階の人や近隣住民が殺到するだろうし
とりあえず、「昭和山」という、標高33メートルの山を目指そうと決めました。
私がいたグループは、子供さんも3人いて、道中は、遠足気分でしたが、
もし、実際に、知らない土地で地震にあったら・・・と、参加者みんなで話しあいながら進みました。
およそ1時間後、なんとか昭和山の頂上に到着。

ちょっとわかりにくいですが、かなり急勾配の所もありました。
それでも。頂上まで、ジョギングしている人とすれ違ったり、地元の人たちが散策したり、子供連れで遊んでいたりと
のどかな感じ。
もしも・・・のときに、ここに住民が殺到したら、大変だね、何人くらい避難できるんだろね、
途中、避難経路の案内板みたいなものが全く見えなかったけど、大正区の人は、避難訓練などどうするんだろうね・・・
などなど、みんなで疑問点などを話し合いながら、大正区役所へ。
もう一つの班と合流し、今回、感じたことを発表し合いました。

まずは、グループトークで、感じたことを出し合います。
すでに書いたこと以外に、
・液状化の心配
・マンションに、ほかの住民が避難してもOKの表示があったらなあ
・阪神高速の上にのぼる
・渡船は有事は「運行できない」と言われたので、大きな橋「めがね橋」に逃げるとか?
現地を歩いたからこそ分かる実感がたくさん出ました。
そして、2班の意見をホワイトボードに書きだします。

本当に、その土地を歩いてみないと、地図だけではわからないことがたくさんありました。
私たちのグループでは、「有事の際には渡船は避ける」という結論でしたが、
もう1班の、「地元の人」がいるグループは、
「渡船で、ほかの区に逃げる、それが一番!」とおっしゃっていて、地元の人の考えとの相違に
ちょっと驚きました。
渡船が、何回も何回も往復して、住民を対岸に運んでくれるのか、人が殺到したらどうするのか、そもそも津波が来るかもしれない、という想定下なら、渡船を運転している人だって、助かりたいはず。
一回、向こう岸に渡ってしまえば、再度戻ってくる保障はないよなあ・・・渡船は「大阪市公営」だけど、有事の際の規定はどうなんだろう、と心の中でつぶやいていました。
初めての参加だし、「スタッフ」もそれが正解っていうならもう意見は言えないよなあ~と思っていると
別の初参加者が
「大勢の意見に従ってしまった。流されたというか・・・。集団心理の怖さがちょっとわかりました。」
と発言。
そうそう、この「集団心理」が、ややこしいんですよね。
はたして最善の選択ができるのか。
自分の意見、考えを持っていても、周囲に流されることはよくあります。
非常時に、みんなが助かるには、やはり、常日頃からの避難訓練や危険個所の確認、
避難経路の確保など、できることはたくさんあります。
何もないからこそ、できること、それはきっと「過去の経験」を活かすこと。
日本は、未曽有の震災をたくさん経験してきました。
その経験を活かし、その地域の特性を考え、何が最善か、考え続けることが、
皆が助かる術だと、改めて感じました。
さて。
次回は、たぶん、地下街に挑戦です。
「ゆめごよみ」の最新号対談でも出ましたが・・・。
大阪は、地下が迷路状態です。
他府県から来た人に「梅田ダンジョン!(ゲーム用語で「地下迷宮」の意)」と呼ばれている、
「梅田地下街」を攻略する予定です。
詳しいことが決まったらまたお知らせいたします。
皆さんも、一度参加されてはいかがでしょう?
普段、何気なく通っている道、場所が、きっと変わって見えます。
以上、事務局員・長崎がお伝えしました!
スタッフの皆様、お疲れさまでした!

コメントのご紹介

10月も終わります。年末まで一直線・月日が流れるのがはやいこと早いこと。
今日は、いつも通信発送をお手伝いくださるボランティアさんがご訪問です。
おふたりは、ここ、ゆめ風で出会い、交友を深められたとのこと。
人生を豊かに楽しむ達人です。私達、スタッフがそれぞれの任務ができるのは、こんなさわやかな風が吹くからです。
いろいろな方に支えられて、あたたかい支援のコメントをご紹介させていただきます。
◆私が暮らしている隣県に起きた「8・20広島土砂災害」は、ひとごととは思えません。
 特に被災された障害者のかたが)、 一刻も早く安心できる場所に戻れますように。(山口県岩国市)
◆増税円安の風向きに負けないで、ご活躍願います。(京都府舞鶴市)
◆広島の土砂災害の復旧復興を「てごーす」る気持ちです。(広島県三次市)
◆永さんを信じるファンです。ゆめ風の皆様なら、呼びかけ人の思いを無にすることはないと!(大阪府狭山市)
◆来年8月16日は、思い切って大阪に行きます。「各地からの風だより」好きです。(神奈川県横浜市)
◆地道な活動の一助になればと思います。(東京都新宿区)
◆永六輔さんが頑張っておられるので、すこしですが、お手伝いさせていただきます。(山口県熊毛郡)
◆8月、かわいい女孫が授かりました。バアチャンです。皆様に又会いに行きます。(東京都小金井市)
◆最初はカタログハウスからでした。何もできなくても、寄付するだけでも、心がホッコリします。(神奈川県横浜市)
◆とても大変な夏でしたね。今年もあと三か月。悲しいことがおこりませんように。(三重県伊勢市)
◆老老介護で、外出できず、この三年間どこへも出れず、残念です。(千葉県習志野市)
◆会計報告書ありがとうございます。(埼玉県戸田市)
◆私のカンパはわずかですが、有効に使ってくれるので嬉しいです。(さいたま市)
◆次々起こる自然災害に心配してしまいますが、こんな時こそ、みんなで力を合わせましょう(北海道苫小牧市)
◆おかげさまで自立生活30年目。だからカンパです。皆様も体だけには気をつけてください。(東京都立川市)
◆ダイオードの発明でノーベル物理学賞。よろこびと共に原発に頼らず、
 安心して生活できる日が来ることを願っています。(千葉県流山市)
◆ニュース、いつも楽しみにしています。ちっともいい世の中になりませんねー(栃木県宇都宮市)
◆災害年とでもいうような、次から次へと・・・。でも、昔からこうやって乗り越えて来たんだと思います。(滋賀県甲賀郡)
◆8・20広島の土砂災害のサポート(ゆめ風ネット広島)に使ってください。(広島県府中市)
◆カタログハウスさんの記事に感激いたしました。(宮城県仙台市)
いつ、巻き込まれるやもしれない災害。
でも、ゆめ風は、人が人を信じる力・みんなで生きる心をモットーに
スタッフ一同、頑張らせていただきます。
いつも、ご支援 ありがとうございます!

大往生一座 旗揚げコンサート

永 六輔 イン京都
 
10月15日 永 六輔さん旗揚げのもと
「大往生一座」のフォークコンサートが行われました。
この日、文化芸術会館は、500名の観客がつめかけました。
京都での宵々山コンサートの往年のメンバー
高石ともや さん  小林啓子 さん  なぎら健壱 さん  笠木透 さんの
楽しいトークを交えた、フォークソングにほっこり。
「この街が好きさ。君がいるから♪」の、ともやソングは
30年前に、大好きだった男の子が、突然卒業式で歌いだした
思い出の曲です。
会場の皆さんと、あのころにタイムスリップ!
永さんの 
「これは宵々山コンサートのしぼりかすコンサートです」に大笑い。
おからのおいしさも、粕汁の温かさもわかります。
フォーク世代のお年頃ですから・・・。                     by ふくもと