被災地障害者センターくまもと
支援5日目 伊勢
夜中の大雨のせいで、男性宿舎は夜中なんどもスマホの緊急速報のアラームが鳴り続けて、男性陣全員が寝不足気味という状態でした。
被災者の中には、雨漏りがしてきた家や避難所があったようです。
そんな日でも支援は続きます!
いや、むしろ増えます!!
今日は、午前中は事務所業務を東さんや田口さんと連携しながら過ごし、昼からは、一昨日、家にある大量の家財道具を掃除した人の所に、引き続きの支援という形で入らせていただきました。
前回は2人で訪問し、人員不足を感じたので、AJUの竹内くんと、香川県からいらした看護士の方の2人で人員を増やして挑みました!!
今日の目標は、前回、生活動線を確保するためにベランダに押し込んだ家財道具を軽トラとワゴン車の2台に乗せて、処理場まで運ぶこと!!
(捨てるとおっしゃった家具など)
前回入ったときに依頼者からゴミだと言われた物も、再度確認して処分してもいいのかどうか、聞きながらの作業でした。
その中で、いらないと言われたものの引き出しを開けると、真珠のネックレスが入っていたり、メキシコ産の貝で作ったネクタイピンがあったり、厚生労働大臣からいただいたバッチがあったり、、、
もちろん、それは捨てないと言われましたが(笑)
(見事、きれいに片付きました!)
そんな中、支援者の看護士の方が、依頼者とお話をしていたときに、
「死にたい。僕はもう死にたい。家の中もグチャグチャだし、誰もいないし一人だし。でも、こうやって作業に来てくれるは、本当に嬉しいし楽しいね。」と言われたそうです。(依頼者はうつ病の方)
この震災で、亡くなった人は本当に残念です。
でも生き延びた人に「死にたい」と思わせたくない!!!
また明日も今日の支援メンバーで嬉し楽しがらせに行ってきます!!!
被災地障害者センターくまもと
支援6日目 伊勢
僕の最後の報告です。
明日大阪に帰ります。
今日の活動は、午前中にゴミをリサイクルセンターに持って行き、午後らからは、昨日の続きという感じで、うつ病の方の家の片付けをしてきました。
僕は今日で、最後なので、引き継ぎをAJUの竹内くんと現地ボラの津隈くんにしてきました。
ただ、1週間程度で帰ってしまうボランティアに、引き継ぐのが非常に難しく、引き継ぐボランティアが、その次に引き継ぎやすいように引き継ぎをする。
それが非常に難しかったです。
普段の引き継ぎとは、また違う言い方や指示の出し方、目の前のことだけに捉われず、その先を見据えた伝え方をしなければなりませんでした。
今日が最終日ということで、思い残すことのないようにこの1週間支援してきましたが、やっぱり心残りがあります。
まだまだここで出会った仲間と支援をしていきたい気持ちが湧きて出てきます。
そう思わせてくれたのは、仲間との出会いであったり、依頼者とのコミュニケーションであったり、関西実行委員の動きであったり、被災地障がい者センターの雰囲気であったり、、、
本当に支援ができてよかったと思います。
みなさん本当に楽しい時間をありがとうございました!!!!
では、大阪に帰ります!
【熊本地震】大阪からのボランティア活動報告~自立生活センター ムーブメント
被災地障害者センターくまもと
活動支援1日目(自立生活センター ムーブメント・伊勢)
・伊丹空港で、「ゆめ風基金の東くん」と一緒に2回目の熊本支援に向かいました。
飛行機の中から、熊本を見た第一印象は、ブルーシートの屋根が減ってる!という印象をうけました。
少しずつですが復興への道を進んでいるんだなぁーと感じさせられました。
空港からシャトルバスで肥後大津駅に向かい、先日、被災直後に支援に入った熊本学園大学の様子を見にいきました。
あの時に障害者、高齢者が40人ほどいた記念ホールは、ここに多くの避難者がいたという面影はなくなり、大学生も笑顔で笑いながら学生生活を過ごしている状態でした。
そして、学園大学で支援をしていたときにお世話になった吉村先生に挨拶をし、今回、支援に入る「被災地障害者センターくまもと」に着きました!
事務局長の東さんに挨拶をし、夜は「よか隊ネット」の全体会議に参加させていただきました。
この「よか隊ネット」は、熊本を拠点に活動している、外国人のサポート、農業、弁護士、お坊さん、母子支援などなど、様々なプロフェッショナルの方たちが集まって、ネットワークを作る会議に参加させていただきました!!
僕たちは、今、被災障害者の支援でセンターに入っています。
しかし、実際にセンターにSOSの電話をしてくる方は、本当に様々なのです。
そこで、「よか隊ネット」のネットワークを使ってより専門性のある支援につなげて行くことが大切だと思います。
被災地障害者センターくまもと
支援2日目 伊勢
今日は、事務局で主に活動をしていました。
電話対応に今日の活動記録、明日のスケジュール管理やボランティアの活動管理、書類整理等の仕事を任されました。
今までこの仕事をされていた岡崎さんと田口さんが、今日はお休みを取るということで、僕と東さんで主に対応していました。
そこで、東さんとボランティアの募集体制のあり方であったり(今の募集要件は厳しいのではないか)、これからのセンターの活動方針はどのようになって行くのかなどの話しをして、僕の中で今までのセンターの状況やこれからの課題を整理することができたと思います。
今後、ボランティアコーディネーターとしての自分の役割をしっかりと努めていこうと思います!!
そして、今日の1日の活動が終わった後に、NPOちゅうぶのジョージさんと、自立生活センター松山の須賀さんの3人で、銭湯に行ってきました!!
みんなで1日の疲れをとって、また明日から頑張っていきます!!
ps.銭湯に入っているときに震度4がきました!
3人で全裸で逃げようとしましたが、思いとどまりました。笑
まだまだ余震の多い熊本ですが、ボランティアスタッフ全員、元気にやってます!!
被災地障害者センターくまもと
支援3日目 伊勢
今日は、支援の人員が足りないと言うことで、うつ病の方のマンションに片付けに来て欲しいとSOSがあったので、学園大学で知り合った学生のボランティアと同行で行ってきました!!
初めの電話調査では、一部屋だけの片付けと言われていたようですが、訪問してみてビックリ!!
家財道具がなぎ倒されて足の踏み場もない状態でした。
まず「今、本当にお困りのこと」「今後の生活の方向性」についてお話を聞きました。
今、困っていることは、「このぐちゃぐちゃの家では食事と睡眠ができない。またエアコンが壊れたのかエアコンがつかない(訪問時室内30℃本人は汗だくでした)」ということでした。
1日に全ての部屋の片付けを2名で行うのは不可能と判断し、生活の動線を確保することと、食事と睡眠がとれるようにすること、エアコンの点検の3点のクリアを目標に、片付けに入りました!
掃除の片付けは、まずは換気からと母親に教えてもらっていたので、ひとまずベランダまでの動線を確保するために、必要な物と不必要なものを確認しながら、作業を進めようとすると、本人から「全て要らないので捨ててください」とのこと、、、
何度か確認しましたが、本当にいらないとのことなので、全てをゴミ袋とダンボール詰めながら、ベランダまで片付けました!
ベランダに出てみるとエアコンの室外機倒れていたので、起こしてみると、エアコンが可動!
汗だくの3人でしばらくエアコンの涼風に吹かれて、作業を再開!
13:00頃に、寝室、キッチン、ダイニングの片付けを終えて、みんなで一休み。
一休みをしながら、今後の方向性を確認すると、荷物が多すぎるので、これを機に全て捨てたいとのこと。
だが、今日は疲れたし生活は出来る状態になったので、今のところはこれでいいと言われました。
全ての家財道具を捨てるとなると、2tトラックがいるなぁーと考えながら、また必要になったらいつでも連絡をしてほしいと伝え、今日は失礼しました。
センターに帰り、他の支援者に協力要請はないか電話をしてもどこも人手は足りている様子だったので、溜まっていた洗濯物や荷物の整理をして、今日1日が終わりました!!
また、今日から新しく来たボランティアスタッフに、1年前に出会ったAJU自立の家から竹内元太くんが来てくれて、久しぶりの再会に嬉しかったです。
明日からよろしくお願いします!!
被災地障害者センターくまもと
支援4日目 伊勢
今日は1日中雷雨でした。
午後から大雨警報や土砂崩れの注意などがあり、一時避難指示が出たりしたので、各地への支援活動は、早めに切り上げるよう事務局から指示を出したり(ボランティアの安全の為にやむおえない)で、何かとバタバタした1日でした。
午前中はというと、センター内の整理整頓や、事務業務、新しく来たスタッフへの引き継ぎや熊本大震災の今までの状況説明などをして、昼前から、AJUの竹内くんと御船町にある避難所にSOSのビラを配りに行ってきました!
その道中に、竹内くんが益城町の様子が気になっていたようなので、寄ってみるみました。
彼自身、初めて「被災地」を見たようで、終始「うわぁ」と呟いていたのが、印象的でした。
しかし、その益城町も所々で仮設住宅の建設が始まっており、復興に進んでいる状態だと思います。
まだ障がい者にとって生活がしやすい仮設住宅かは定かではありませんが・・・
被災地のボランティア支援は本当に過酷です!
これは行った人にしかわらないことなのですが、入れ替わりを繰り返す人たちと知らない地域での集団生活、余震、日々の支援、普段との生活の質の低下、センターでの課題、、、
ボランティアを休めるためにボランティアが必要だというのが、僕の率直な考えです。
ただ、この被災地支援に関わっている支援者は全員強いです!
被災地支援のプロです!
必ず地元に大切な何かを持って帰ってくれます!!
地震大国日本。
対人援助に携わっている方々、地震が起きたとき、ヘルパー活動中なら?事務所勤務中なら?夜勤中なら?家族で過ごしていたら?友達と遊んでいたら?
どんな行動を選んだとしても正解なんてない。でも、、、
支援が出来るのもあと2日、たくさんのことを自問自答しながら、少しでも多くの「何か」を持って大阪に帰ります!!!
【熊本地震】大阪からのボランティア活動報告~夢宙センター
6/12 被災地支援 2日目
朝のミーティング後70代の肢体不自由の女性の依頼で地震で台所の物が落ちたりその他後片付けをしてほしいと依頼があり家に向かいました。
台所の後片付け、地震でヒビが入り床に落ちてきた壁の粉塵の掃除、お風呂の掃除等を行いました。帰所後ミーティング、その後昨日の全盲の男性の家の屋根の所々の作業を行い本日の業務終了。
暑いですが被災した方々の苦労に比べたらなんのその明日も頑張ります!
6/13 被災地支援3日目
今日は朝から雨が本降り。
ミーティング後少し時間が空いてたので今日大阪に帰阪するもげるさんと東京の自分の友人や弟とも知人の西村さんとセンターの片付け、その後空港までもげるさんを送り、センターに毎日のようにくる40代統合失調症の男性が昨夜から調子が悪いとのことで病院へ付き添い。この方が本当に面白い方で中々の珍道中でした!1
6時頃センターに戻りミーティング。今センターにいる方々は本当に福祉、運動のエキスパートばかりで、話を聞いているだけで若輩者の自分には勉強になることばかりでかなり影響を受けまくっています!
明日で自分は最終日ですがまだまだ熊本は大変なのは変わりありません。
むしろ2ヶ月たったことで浮き彫りになってきた問題沢山あります。皆さんも自分に出来ることで良いので継続的な支援頑張りましょう?!
6/14
ボランティア4日目
自分が滞在する最終日です。
朝ミーティング後、センターから程近い団地に住む「娘さんが統合失調症」の60代女性からの依頼で
壊れたタンスや重たい物を処分したり運んだりお風呂で使うすのこの解体等、所謂日曜大工的なことをしました。
午後は、初日からもろもろ作業が詰まっていたので見にいけていなかった益城町の付近へ車で行きました。
自分のチンケな文章力では本当に月並みなことしかいえませんが、2ヶ月たったとはいえ地震の爪痕が生々しく残っていて
改めて被害の甚大さを再確認した次第です。
その後センターに帰りミーティング。
自分は今日で帰りますが被災地障害者センターくまもとの支援はまだまだ続きます。
ああ、もっといてまだまだやれることをやりたいなという気持ちで一杯です。
本当に力足らずで役不足だと感じる日々でしたがこの経験を糧に日々の介助、生活に活かして行きたいと思いました。
そして改めて
熊本県熊本地方を震源とする地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。
(自立生活夢宙センター 介護者・山田)
7月2日イベント~紹介されました!
今朝の大阪日日新聞で、7月2日の「第3回 ゆめ風であいましょう」イベントのお知らせ記事が掲載されました。
わかりやすく書いてくださり、感謝です!
チケットのお申込みは、
ゆめ風基金まで!!
〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106
TEL 06-6324-7702、 06-6324-7703
FAX 06-6321-5662
E-Mail yumekaze@nifty.com
●日時:2016年7月2日 13:30開場 14:00開演
●場所:近畿ろうきん メインホール
●参加協力費は 1,500円(障害者 1,000円(介護者1,000円)
●定員 200名、全席自由。
●手話通訳あり。
皆様のお越しをお待ちしています~!!!
街頭募金活動ご報告
【熊本地震】大阪からのボランティア・活動報告:「自立支援センター ぱぁとなぁ」
熊本支援報告
6月1日~7日 東大阪市 自立支援センター『ぱあとなぁ』
1日(水)
空路熊本入りしましたが、飛行機から見る熊本は、ブルーシートが掛かっているのが多い地域とそうでない地域の差が激しいように思いました。
空港を出て、ゆめ風基金の東さんと合流し、タクシーで「被災地障害者センターくまもと」へ向かいました。
道中何軒かブルーシートが掛かっている家を見ました。
この時は想像していたより被害が少ないように思いましたが、タクシーの運転手さんは「地震の影響で道路がデコボコになって振動が多くなりました」と他の地域から来た人には分かりにくい被害状況を話してくれました。
「被災地障害者センターくまもと」に到着後は事務所内を案内して頂き、ボランティア情報シートを記入、支援に出ていた人たちが帰ってくるたびに名刺交換をさせて頂きました。
メンバーが大まかに揃い、17時頃に報告会が始まり、報告が終わると翌日の支援件数や内容をコーディネーターの岡崎さんが話してくれ、どこに行くかを挙手方で決めました。(この時に大体の流れを把握)
翌朝8時30分頃に事務所に集まりだして、9時からミーティング(その日の支援を再確認(変更もあり))、
支援開始時間に間に合うように出発。
午前の支援が終われば一度事務所に戻り休憩(昼食)(午後からも支援がある人はそのまま次の支援場所に行くこともある)
午後から急な相談が入ることもあり、そこに行くことも。
休み等で車が空いていれば益城町や上原村、南阿蘇等の被害の大きかった地域を見に行くことも出来る(その際に被災地障害者センターくまもとのビラ(SOS)を避難所や役場に説明し、埋もれているSOSの発掘)。
男性の宿泊場所は事務所で、女性はおれんじカフェ(就B)。
(おれんじカフェは震災の影響により営業が難しくなり現在は別の場所であおぞらカフェを営業中)
2日(木)
個別支援の予定は6件
8時30分頃に女性陣が事務所に到着し、9時より朝礼(ミーティング)。
この日の支援先を確認し、最低二人一組で出発。
この日僕が担当した相談者は、西区の男性で統合失調症。
最初の電話で友人からセンターのことを聞いて電話をされ、ボランティアをしたい。とのことでしたが、話をしているうちにこの方の自宅も雨漏りをしていることが分かったそうです。
この方の支援は初めてなので調査、少し話し相手にもなってきてほしい。ということで出発しました。
現地に着き、挨拶をして早速調査から始めさせて頂き、「雨漏りはどこからですか?」と尋ねるとその場所へ案内してくれました。
そこには確かに雨漏りの跡があったのですが、他の場所を見てみると他に4カ所(計5カ所)の雨漏りの跡が見つかりました。
その内の2カ所は天井の板が外れていて、隙間からは空が見えていました。
他に震災による被害状況を調べてみましたが、食器棚やタンス等は置いている向きが良かったのか、そのままだったようです。
外に出て瓦の状態を見ると何カ所かズレていて、雨漏りの場所と一致していました。
一通り調査が終わったので、世間話を交えながら普段の生活を聞かせて頂きました。
普段、福祉サービスは使っていないとのことでしたが、福祉課の方から封筒(開封済み)がテーブルの上に置かれてあったので断りを入れてから中身の確認をさせてもらうと、福祉サービス更新手続きの書類が入っていました。
また、現在何が困っているか?の問いには、食料品店が遠く、買い物に行けない(移動手段は徒歩)との事でした。
夕方の報告会でブルーシートを被せる必要があること、制度を利用していないのであれば、制度利用を勧める支援が必要であることを報告しました。
午前の支援が終わり、昼食後に事務所に戻ると、5月24日に支援に入って以来連絡もないことから様子を見に行ってもらえますか?とのことで東区にお住いの男性宅を訪問しましたが、呼び鈴を押し、声掛けをするも返答がなく、外観を見ているとお向かいさんが出てこられたのでお話を伺うことができました。
「自転車がないので外出していると思いますよ。帰ってくるのも時間はバラバラなので」ということや訪問したお宅が地震の影響で瓦が沢山落ちていましたが、まだ屋根の端に引っかかっている瓦があり、路地に面していること、余震がまだあるのでいつ落ちてきてもおかしくないので不安感があること。
ある程度お話を聞いて事務所に戻りました。
報告会で会えなかったことやお向かいさんと話をできたこと。家(外観)がどのような状態かを報告しました。
3日(金)
個別支援の予定は6件
この日の支援予定は2件。
1件目は益城町の高齢の男性(SOSはNHKのハートネットテレビを見て)で、現在は奥さん、娘さんの3人で避難所暮らしをされていてセンターとしても初めての派遣でした。
依頼内容は入浴介護だったので、早目に訪問して3人から簡単な聞き取りをさせてもらいました。
身体状況等
震災前は自力で入浴が出来ていたが震災後に精神的な影響なのか右足に力が入りにくくなり、両手も震えが出た。その異常が出た当初は立つのもやっとといった状態だったが日が経ち少し回復した。
トイレ、食事は自立。
入浴は出来るが、髭剃りの部分で一部介助をして欲しい。
今までは親戚に週一回お願いしていたが気を使う。
避難所は今のところが2軒目で、以前の避難所には400円で10時から利用出来たが、介護者分は無料だったので、お願いしている時間が難しければそっちでも良い(現在はANAと(株)エージーピーが提携して運営している施設12時から17時)。
期間は6月中旬に仮設が決まるのでそれまでの間お願いしたい。
以前、保健士(社協の包括支援センター)に相談したが連絡がなくSOS に(たまたまテレビを見ていて、ここ!と思った時に母が普段は避難スペースに置いている携帯をたまたま持っていて、その場で電話した)。
そして「自宅の方に未使用のポータブルトイレがあるので、必要な方がいれば使って欲しい」とのことでしたが、現場で即決は出来ないのでセンターに持ち帰って頂くかどうかを判断することにしました。
話が落ち着き、避難所の玄関で履物を変えるのに段差を降りようとした時に踏み外すような感じで転倒しかける場面がありましたが、介護者が左右すぐ側に居て支えることにより転倒は免れることができました。
入浴では、今までサービスを受けていなくて「他人に」というのが初めてで、パンツを脱ぐことに抵抗を示されていました(この時点ではまだこちらも全裸になりきっていない)が「お風呂に入るのにパンツを穿いていたらおかしいですよね?」とこちらが先に全裸になることで抵抗がなくなったようでした。
浴場入ってすぐに段差はありましたが片側に手摺が設置されており、それを掴んで頂くと共に反対側に介護者が付いて段をクリアしました。
次にバスチェアに座られる際は右足に力が入りにくいので、一人が転倒しないように支え、もう一人がきちんと座れるようにバスチェアの位置を調整して座って頂きました(備え付けのシャワー等が震災の影響で使えないので、ANAの除雪作業車のボイラー機能を活用してお湯を沸かし、浴槽へポンプでお湯を送る)。
先ず洗髪をされましたが、お湯をかぶる際に腕が上がりきらず後頭部が流せていなかったので、声掛けをして流させて頂きました。
次に髭剃りでしたが、鏡を見ながら自分でするとのことだったので、鏡の前に移動して自身でされました。
初めの聞き取りで首付近が難しいと聞いていてやはり難しいようだったので、声掛けをしようとしたら先に「お願いします」と声を掛けて頂いたのでスムーズに剃り出すことができました。
洗身は普通のタオルを使われましたが、背中を洗う時にタオルが肘に引っ掛かっていたので、背中にタオルが回るように少し補助をしました。
浴槽へ入る際にも転倒が怖いので、補助が必要でした。
入浴中はしっかり浸かることができ、また足も伸ばせることで「気持ち良い」と喜ばれていました。
浴槽から出る際、右足に力が入りにくく立ち上がるのが難しいようだったので、背後から支え少し持ち上げるようにするとスッと立つことができ、浴場を出ました。
その後の歩行は、入浴で血行が良くなったのか、行きよりも良い足取りになっていました。
そして、ご夫婦を避難所へ送り1件目は終了しました。
2件目
益城町での支援が終わり、そのまま宇城市の男性(躁鬱)の方の家の片付けに向かいました。
ここは既に午前中から支援(2名)が支援に入っていて、その増援という形でした。車で約1時間半かけて到着し、状況を聞き作業を開始しました。
先ず、「外壁が垂れ下がっていて危険だったので外した」という外壁をハンマーや手作業で運べる大きさにちぎり(針金が入っていたので、それをちぎる)猫車に乗せて別の場所に。
それが終わると、2階へ上がり(家の中は靴のまま入らないと危険な状態)濡れた畳を取り敢えず上げて少しでも水分が抜けるように立てかける作業をしました(畳と畳の隙間からキノコが何本か生えていたのは少し衝撃でした)。
その後、本人の指示で押入れ内、倉庫?内の布団を全て出しました。結局、その現場を出たのは17時になってしまいました。
それから事務所に戻って報告。
1件目は継続した支援が必要(仮設に入るまで?)なのと、ポータブルトイレの件。
2件目はあと少しだけ支援が必要(まだ片付けが必要)となりました。
4日(土)
個別支援の予定は5件
この日は予定では1件。
前日の調査で屋内の片付けをある程度すれば一般のボランティア団体で対応可能と判断。
お住いの益城町の社協を紹介することに。
この日は件数に対して人数が多かったので、人海戦術で早く終わらせよう!と4人で向かいました。
炊事場は昨日の調査の時にある程度片付けをしてきたそうでしたが、1階の残り3部屋(どの部屋も地震の影響で靴を脱いで入るのが危険だったため靴を履いたまま上がらせて頂きました)の片付けでしたが、捨てる物と残しておく物の区別が僕たちには分からないので聞きながらの作業でした。
小物、衣類等色々あり、「もうここにこづんでおいてください」と言われるも「あ!言葉が分からないですよね?」と。
たまたま福岡の久留米市議の方がこの日、手伝いに来られていて「ここに積んでおいてください」と教えてくれました。
仏壇が置かれてある部屋は仏具が落ちて灰も撒かれた状態で、周りに置いていた置物も倒れてガラスや壺の破片が散乱していました。
それらは要らなくなった服等に包み処理。
また、動物とみられる骨が出てきて「いのしし?」と話をしていると「いのししの骨です」と昔、おじいさんが狩ってきて料理をしていたと話してくれました。
そんな話もしながら作業も終わろうとした時に、「10年くらい使っている辛子色のカフェオレボウルが見当たらない」とのことで昨日片付けをされた台所に向かい一緒に行っていた人が「これじゃない?」と手にして見てもらうと当たりだったようで、すぐに見つかり喜ばれていました。
約2時間片付けをして終了し、事務所へ戻りました。
昼食後の予定は何も無かったのですが、事務局長の東さんから「Mさん宅に行ってきて欲しい」との事で午前中に一緒に活動した4人で訪問しました(この方は2日に訪問して不在だった方)。支援内容は地震で本棚が倒れて起こして欲しい。
この家に住めるのか?等沢山ありました。
4人いっぺんに訪ねて動揺されてもいけないので、先ずは2名が先に訪ねて話を伺いました。
その間に家の周りを見ていると、屋根にはブルーシートか被せられ、落ちていた瓦も綺麗に片付けられていました。
そうしていると、先に入った人から呼ばれて片付けのために中に入らせていただきました。
2階に上がり本棚をどのようにして起こすか?また、その隙間に時計が落ちていて(大切にしておられた)どうにか割れないように取り出せないか?問題と思われることがありましたが、本棚は意外と軽くて一人で持てる程でした。
そして時計を取り出せる隙間を作り、時計を取り出しました。
今度は本棚そのものを起こす作業でしたが、元々置いてあった場所にも本があり下敷きになっていたので、本棚を浮かせている間に除けてもらい本棚を起こすもグラつきがあったので、何か?ます物が無いか尋ねると牛乳パックを渡されましたが、何重にも折ることでグラつきを抑える事ができました。
散乱していた本は簡単に大小分けて本棚に戻し、後は自分で出来るとのことでお任せしました。
その後、他の被害状況を確認すると、階段の壁(板)がズレていて1階の部屋の壁も落ちている等ありましたが、先に片付けをしてしまうと家屋被害の調査(判定)が不利になるので、写真だけ撮らせてもらいました。
その後、久留米市議の方が本人さんと話をされている間、外に出ているとお向かいさんが外出されるところだったので、ブルーシートが掛かっている件を聞く事ができました。
「昨日朝から災害支援の車が3台くらいきて作業されていました」との事で安心しました(この災害に乗じて詐欺が横行しているそうです)。
話の聞き取りも終わり事務所へ戻り、心配されていた東さんに報告。
17時からの報告会でも報告させてもらいました。
5日(日)
個別支援の予定は3件
3日と同じ益城町の高齢男性の入浴介助でした。
避難所に着くと準備万端で車を停めたら直ぐに出てこられました。
この日は本人さんと奥さん、娘さんも一緒でした。
入浴施設に着くも時間が早く建物内で話をしていると娘さんが「昨日は友達に温泉に連れて行ってもらったのですけど、のぼせたみたいで力が入らなくなって座り込んでしまいました。たまたまその友達が介護の仕事をしていて介抱してくれて、父の話をすると、2人体制で支援してくれるって凄いね!凄く安心できるね!と言っていたんです。自分が介抱されて改めて思いました。
本当にありがとうございます」と言って頂きました。
このご家族は本当に良い家族だと感じました。
入浴の準備が出来たとANAの職員さんから声をかけて頂き入浴へ。
前回脱いだことで今回は何の抵抗も無かったようでお父さんはタオルを持って浴場へ。
石鹸類は僕が持たせてもらいました。
ご自身がされることをずっと観察していましたが、やはり腕が上がらないようで頭を流しにくそうにされていましたが、その他は問題ありませんでした(今日は洗身は無しでいいとのこと)。
湯船への出入りは前回同様に行いました。入浴が終わり避難所へ戻る途中にポータブルトイレを引き取らせて頂く話をし(前日に岡崎さんから連絡済み)避難所でお父さんを降ろして自宅へ向かいました。
自宅は避難所から歩いて10分くらいだということで、車だったのですぐに着きました。
ポータブルトイレも玄関の出しやすい所に置いてくれていました。
そしてご自宅を外から見させて頂くと裏手に被害が集中していることを教えてくれました。
また窓枠も歪んでいて壁と枠の間に隙間ができていました。
そして親戚が色々野菜を持ってきてくれたけど、「避難所で料理は出来ないから皆さんで食べてください」と玉ねぎを頂き、お風呂の洗剤まで頂いてしまいました。
避難所まで送り届けようかと思ったのですが、自宅のことをもう少ししてから避難所に戻られるとのことでそこで別れました。
午後からは時間があったので、その方の第一希望の仮設住宅(建設中)を見に行きましたが、長袖とヘルメットが要るとのことで中までは入れてもらえなかったので、警備員の方にその場でいろいろ伺いました。
この場所の仮設住宅は73棟で同居家族の多さで広さが変わる。
お風呂はユニット式で身障者用は無い。
身障者用トイレはもとからある公衆トイレを使ってもらうことになる。
スロープの予定は無いが、玄関前には1?2段の段差を作る予定。
と障害者や高齢者には配慮されていないことなど5年前と同じ事を繰り返していることが浮き彫りになりました。
また、交通に関しては道路が土砂崩れで通行止めになっているところはまたいつ土砂が崩れてくるか分からない。
土砂を退けても次から次に流れてきて終わらない。
車での移動の場合は、抜け道はデコボコになっていたり、崩れた家の影響で通れなくなっている恐れがあるので多少時間が掛かっても大通りを通るのが良いと教えてもらいました。
そして、被害の大きかった木山地区がどんな事になっているのかを見に行ってきました。
一部損壊、半壊、大規模半壊、全壊と一つの地区でもいろいろありました。
家は大丈夫だけど小屋が潰れている。
家そのものが崩れている、傾いている。声にならない状況でした。
また、橋が2トン以上は通行禁止となっていたので行ってみると、道路と橋の繋ぎ目が横にズレていました。
テレビで見るよりも被害の状況を知ることができました。
今度は西原村へ。
西原村も被害が大きかった地域で少し見学に行ってきました。
西原村は木造の仮設住宅が建設中で、そのすぐ側には普通の仮設住宅も建設されていました。
被害状況は益城町と同じで地域によって違いました。
時間もあまり無かったので、大津(おず)町に行き、ボランティアセンターに行ってきました。
ここでは地域包括支援センターの方にお話を伺うことができ(既に別の方が一度訪問してSOSのビラを配布済み)、障害のある方の現状を教えて頂きましたが、大津では現在は支援が出来ているとのことでしたが、実際は埋もれているニーズがあるのではないかと思いました。
6日(月)
個別支援の予定は2件でその他、福祉避難所まわり、精神の病院まわり
僕が行ったのは東区にお住いの視力障害の方のお宅でした。
支援内容は落ちた瓦の残骸の撤去と、壊れた門扉をどうにかして欲しい。
という内容だったので、ここも人海戦術で7名で訪問しました。
庭に散乱した瓦礫やプランターで使っていたと思われる土が盛られていて破片を集めて軽トラに積み、土をどうするか尋ねるとそれも廃棄ということで土の中に埋もれていた瓦礫を取り除きながら袋に入れて軽トラに積みました。
残る問題は門扉で敷地内に置かれていました(近所の人たちが協力して移動させてくれたとのこと)。
物は鉄製で大きくて軽トラには乗りきらないサイズでしたが、処分して欲しいとのことで一旦そのままにしておき、どうするかを事務所で協議することにしました。
また、この日に罹災証明の書類が届いたそうで、その申請も支援することになりました。
約1時間で瓦礫の撤去が終わったので、環境センターに瓦礫を運び入れる班と事務所に戻る班に分かれました。
(僕は事務所に戻る班でしたが、運び入れ班に環境センターの場所を伝えるのに携帯を使っていて何を血迷ったのか携帯を車のボンネットとフロントガラスの段の所に置いたまま車を走らせていました。事務所に着いて同乗していた人から「こんな所に携帯が・・・誰のかな?」と言われて初めて気付きました。みなさん気をつけましょう)。
事務所で少し休憩をしていると、岡崎さんが緊急で支援が入って出ないといけなくなったとのことで、緊急用ダイヤル(携帯)の電話番をお願いされましたが、岡崎さんが出るまでの間に新しく来る方が道に迷っている(自分のセンターからもらった行き方が解りにくい)とのことで、車で迎えに行くことになりました。
僕も初めて行くところでしたが、ナビに従って無事に任務を遂行できました。
そして1時間半程電話番をしましたが、他に出ている支援は1件だけだったこともあり、電話が掛かってくることはありませんでした。
7日(火)
個別支援の予定は4件でその他、足湯手伝い、阿蘇での薪小屋修理?
この日僕は最終日で、益城町の高齢男性(3回目の支援)でした。
岡崎さんより「もしかするとNHKさんから取材があるかもしれないのでよろしくお願いします」と。
11時半に迎えに行くことになっていてもう一人のリュックが壊れたとのことで訪問前に買って行くことに。
が、車の鍵が軽トラしか残っていないことにもう一人が気付き、何故か?を究明。
ホワイトボードには4件。
事務所の車はステップワゴンが5台。
余っているハズ・・・。
ホワイトボードに書いていないのが2件あったのです。
自分が訪問するケースを除いて個別支援が3件、阿蘇班、足湯班の計5班。
軽トラが残っていましたが、乗車定員は2名。
前2回を踏まえると、本人さんと奥さんの2名が乗るのではないか?このままでは行けない!と事務所から一番近くに支援に行っている2名に電話するも繋がらず、取り敢えず直談判で軽トラと交換をしてもらえないかと。
その支援先は前日に行った場所なので住所が分からなくても行くことができました。
交換はスムーズに出来ていざ益城町へと少し車を走らせたところで「交換した先も罹災証明の申請で本人さんたちも乗るのでは?」とまた急いで引き返すと2人が軽トラで出るところでした。
話を聞くと「委任状を書いてもらったので、軽トラで大丈夫です」と安心して益城町に向かうことができました。時間的に間に合う状態なったので途中でカバンを買って行きました。
避難所に着き、2人を乗せて入浴施設に向かう車内でNHKの取材の話になりました。
どうやら前日に避難所の方に取材に来られ、その中でセンターの話をされたようで説明が出来ないので、迷惑をお掛けすると思ったのですが、センターの方が来られる時に取材となったようでした。
結果としてはこの日の取材はありませんでした。
入浴の方は動きが徐々に回復されているように見えましたが、まだ腕は上がりきらない様子でした。
この日も支援は1件だけだったので、避難所に戻って暫くお話をさせて頂きました。
震災前には奥さんは旅行が好きで、エジプトや香港、プーケットに行かれたことがあるそうで「食事は日本が一番美味しかったです。
こうして被災して、避難生活をしていても3食頂いて美味しくいただけるのが本当に幸せです」というのが印象的でした。
お父さんは元々大工をされていて、職人気質なところもあり、何を話していいのか分からないような感じで、話を振られると恥ずかしそうにされていました。
また、自分たちがいつから熊本に来ているのか?と聞かれた時、もう一人が「実は田中さんは今日が最終日になるんです」と話すと少し寂しそうな表情をされ、本当にこの人たちの生活が落ち着くまで(仮設住宅に移った後、どういった支援が必要になるのか分からない)支援できないことに申し訳ない気持ちになりました。
話が終わり、避難所を後にする時、奥さんだけでなく、お父さんも玄関まで見送りに来てくれて「ありがとうございました」と声を掛けてくれ、この人たちの支援に携わることが出来て、心残りはありますが本当に良かったと思いました。
事務所に戻り、マッタリと時間を過ごして帰阪の時間になり、みなさんに挨拶をしていると「みんなで写真を撮ろう!」となり、写真を撮って頂きました。
備えにはどういった物が必要か?というのをゆめ風基金の八幡さんに聞いてきました。
・非常食は5年とかの物が増えているが、それだと防災について考える機会は5年に1回になるので、それでは防災には繋がらない。1年の物でも半年で買い換えるようにして、その買っていたものは会議とかおやつに出せる物にしていると、同じ5年でも10回防災について考えることができる。
・飲み物に関しても非常食と同様の考え方で用意するのが良い。
・避難場所での寝具の準備は寝袋、アルミブランケット、レジャーマットがあればいい。これだと布団より収納スペースを確保しやすい。
・お湯を沸かしたりするのにカセットコンロやガスボンベも用意していると良い。
・何処かで災害があって、人を派遣するかどうか迷った場合は取り敢えず現地に人を派遣する方が良い。結果的に何もする事がなかったのなら、それでも構わない。兎に角、現地に行って現状を知る事が大事で、何もなければ溝掃除だけでも構わない。被災者は他府県、地域から人が来ることで安心できる。
とのことでした。
【熊本地震】大阪からのボランティア:活動報告~「自立生活センター・あるる」
【熊本支援レポート!! 自立生活センター・あるる】
[6月9日]
午前中は昨日相談のあった方の訪問を行わさせて頂きました。
僕を含む三人での訪問となりました。
ブロック塀の撤去の依頼で下見に行かさせて頂きましたが、その場で対応出来そうとの事で、
そのまま作業に入らさせて頂きました。
一緒のお二人が住宅関係のお仕事をされている方で、作業はスムーズに進みました。
様々なニーズがある中で色んなスキルを持った方々が集まる事はとても大切だなと思いました。
午後からはセンターに戻り電話対応などさせて頂きました。
昨日よりは少し慣れてきた感じはありますが、一つ一つを一からご説明頂く手間を考えると、
やはり今後来られる方々へのスムーズかつより明確な引き継ぎを意識して取り組む必要があるなと思います。
また、合間をみてボランティアで来られてた方に向けたマニュアルの作成も行いました。
●一日の大まかなスケジュール
●活動内容やそのやり方・留意点
●センターや宿泊先を利用するにあたっての説明や留意点
など
今回のコーディネーター派遣同様に、限られた期間で来て頂くにあたり、
『慣れた頃に帰ります』では、とてももったいないので、
少しでも効率的かつ安心して過ごして貰う事も大切な事かなと思いました。
(勿論、事務局の方々の負担軽減にもなると~)
夜は本日、合流したリアライズの方とゆめ風から来られているスタッフの方と会食させて頂きました。
『支援に来られている方への支援の必要性』というテーマを中心にとても勉強になるお話しをさせて頂きました。
※コーディネーター向けのマニュアルは一定出来たので、
明日からは、先のボランティアさん向けのマニュアル作成にあたりたいと思いますっ!!
いつもながら乱文にてすみません!!m(_ _;)m
[6月10日]
今日は以前に瓦が崩れた方のお宅の瓦の処分に行かせて頂きました。
(センターとしては三回目の訪問との事です)
前回に行かれた方がまとめられていた物をトラックに積み込み、処分場まで運ぶという流れの作業となりました。
※かなり暑かったので、差し入れアイスが身体に染み渡りました~(*┳┳)ヽ
処分場には『申請書』と代行の場合はご本人さんの『委任状』が必要で、そちらがないと入れないみたいです。
(※地震に際し出た廃棄物に関しては、費用は免除されるとの事)
例えるのが、難しいくらいに広大な敷地で、持ち込む物によって分けられていました。
当日は晴れという事もあり、粉塵がまう中での作業だったため3Mのマスクは必須でした!!
ただ、現地の職員さんらしき方々の多くはマスクも何もされていない状況で、
むしろその方達の健康被害が心配されました。
予定では午後から電話対応させて頂くつもりでしたが、結局センターへ帰ってきたのが16時半頃で、
その日は作業のみで終了となりました。
ミーティング終了後は、昨日の報告で上げた ボランティアさん向けのマニュアルの作成にあたりました。
明日6/11が私の最終日という事で今日中に仕上げたかっため、結局、23時頃までセンターで作業してしまい、
少し前に食事から帰って来られた女性の方には申し訳なく反省でした…m(_ _;)m
※パソコン持っていけば良かった~と後悔しました
被災地センター・事務局長の東さんも同時間くらいまで残って作業をしておられ、日々のハードさが伺えました(>_<)
マニュアルに関しては、一定作成出来ましたが、少ない期間でしか見えていない事もあるかと思いますので、
コーディネーター間で随時引き継いでいってより充実して頂けるようにさせて頂けたらと思います。
(上手く役立てて頂けそうであればですが(^^;)ヽ)
※今回、作成したデータに関しましては、何かしらの形で提出させて頂けたらと思いますっ!!m(_ _)m
[6月11日]
今日は支援はありませんでしたので、午前中はリアライズのコーディネーターの方と、男性ボランティアの宿泊先の掃除・物品の整理・毛布の天日干しなどを行いました。
僕を含め、ボランティアさん一人一人の滞在は短い方が多く、整理整頓は個々でされているため、
ムチャクチャ散らかる事はないですが、随時、人が滞在する中で、日中の活動を行いながら、
床やシンク・トイレなどの掃除まではなかなか行う事が難しいだろうな~という印象でした。
事務局の方も配慮されておられましたが、只でさえ慣れない環境での滞在ですから、衛生面も
含めて体調崩しては元も子もないな~と(>_<)
勿論、震災初期の段階からそれらも考え運営していく事は到底難しいかと思います。
昨日のマニュアルなどもそうですが、中・長期的に継続していく事を見据えた中で少しずつでも、
形を組み立てていく事も今回、支援に行かせて頂く目的として一つ大切だなと感じましたっ!!
午後からはセンターに戻り電話対応させて頂きました。
本来、土曜日は事務局のスタッフの方はお休みとの事ですが、ミーティングや打ち合わせなどのため、
午前中は出て来られてました。
(きっと毎週その様な感じなのかなと...(>_<))
土日は比較的電話が少ないみたい(特に他団体からの電話は少なめ)で、今日も電話は
これまでより少なく(30分に一回くらい)、関西実行委員コーディネーターの引き継ぎのための
書類整理とお礼の気持ちも込めてセンター内の掃除などを行っておりました。
※(個人的な見解ですが(^^;))
『何曜日はスタッフお休みなため急ぎ以外の電話は極力別の日に~』
みたいな事も、体制がある程度整うまでは意外と大切かもしれないなと思いました
(何となく、その事を知っておられる事業所の方もおられた感じでした)
帰りは、無理言って飛行機の時間を遅らせて頂いたお陰で、最終日の一日をムダにせずに
時間を使わせて頂けました!!m(_ _)m (結局、殆ど掃除ばかりでしたが(笑))
また、帰りの飛行機で他団体の方と同じ飛行機となり、情報交換などさせて頂く事が出来ましたっ!!
※空港までは他のボランティアさんに送って頂きました
※到着と帰る時間は意外と重要
活動としての報告は以上となりますが、
全体的の報告及び総括に関しましては、また追って提出させて頂けたらと思います!!m(_ _)m
またまた、長文・乱文にて失礼しましたm(_ _)m
お疲れ様ですっ!!
(「関西実行委員会」のFacebookにも大まかな活動内容を上げさせて頂いておりますが、
今回、コーディネーターとしての役割としてさせて頂いた内容ですm(_ _)m)
・電話対応
・センター及び宿泊先の掃除(特に男性宿舎は余り掃除してない感じでした)
・ボランティアさんに活動内容や過ごし方などを説明出来るマニュアル的な物の作成
です。
電話対応の仕方やマニュアルに関しましては、データをUSBにて次のコーディネーターの方にお渡ししておりますので、先ずはそちらをご確認して頂き、修正があれば随時変更していって頂けないかと思います。
現状としましては、現地で事務局の方が中の事は殆どまわしている感じですが、
その方の負担がかなり大きいかと思います。
シフト調整しながら、電話対応やボランティアさんの活動の話しを聞いたりと、なかなかの緊張状態で毎日を仕切ってはる感じかと思います。
また、来たボランティアさんに対しての過ごし方などの説明も十分には確立出来ていない感じですので、最初に戸惑われる方も多いみたいです。
今回の僕たちのミッションとしましては、
●コーディネーター間で一定の電話対応などを出来るように連携して、事務局の方の負担軽減
(事務局の方が、いちいち一から教えていたら逆に負担増なので)
●ボランティアさんへのフォローと宿泊先などの整備
→マニュアルを構築して、少しでも過ごしやすくして頂けたらと
が、メインになるかと感じております。
後日入っていかれる各センターのコーディネーターの方でしたら、上手く引き継いで頂き
更に充実して頂けるかと思います(^^)
大体の物はあちらにもありますが、かなり暑いですので、着替えは少し多めに持って行かれた方が良いかと思います。
乱文で申し訳ございませんが、また何か御座いましたらご連絡頂けたらと思いますので、
よろしくお願い致しますm(_ _)m
【熊本地震】大阪からのボランティア・活動報告(自立生活夢宙センター)
「自立生活夢宙センター熊本支援レポート??」
6/10(金)
本日の昼頃、熊本に到着。
紹介されたルートとは別ルートで被災地障害者センターくまもとへ。
益城インター口から歩いて熊本の町を見てきました。
途中、屋根にブルーシートを被せている家が何軒かありましたが、大きな被害はない模様。
障害者センターに到着後、緊急の依頼が入ったので早速現場へ。
今回は車で40分ほどかけて熊本市城南町舞原へ身体障害の方の家のブルーシートと塀の状況確認をしに行きました。
塀は地震でかなり傾いていて危ない状況。
ブルーシートはすぐに直せそうだったのでハシゴを借りてロープで補強。
一緒に向かった小野田さんという方が今回で2回目の来熊で、何も分からない僕に色々教えてくださり助かりました。
2016/6/11(土)
熊本支援2日目です!
◆本日の作業内容
本日は身体障害者の入浴介助で震災が酷かった益城町へ。
益城町に入ると世界が一変。
家の全壊、半壊、地面のヒビ割れなど道路が整備されただけでまだまだ手つかずのまま。
相談者が避難している津森公民館へ着いて、そこから少し離れた憩いの湯へ。
こちらは震災の際に配管が壊れてお湯が出なくなり、ANAが益城町水道センターから水を提供してもらい除雪車のボイラーでお湯を沸かして浴場に送っていると、作業をしている方から聞かせて頂きました。
入浴介助後、相談者の方を公民館へ送り避難されている方と交流。そこにはしっかりと笑顔がありました。
6/12(日)
◆本日の作業内容
熊本支援3日目。
本日は1日目、2日目の緊急で向かった身体障害者の家の片付け、引っ越し準備の手伝いをしました。
(2日目のレポートで書き忘れてましたが玄関のカギがかからないとの事で17時から緊急で向かいました。無事解決。)
今回のチームは男性2人、女性3人の計5人。
車で運べそうな大きな物(テーブル、イス、テレビ、小さな棚)を男性陣で新居へ運び、旧居の片付けを女性陣と、二手に分かれて行動しました。
昼過ぎに旧居へ戻り、今後やっていかなければならない事、わからない事などの相談を聞き本日は終了。
◆感じた事
相談者の初めて出会った時と2日、3日の顔は明らかに違うくて、しっかりと話を聞いていくうちに、緊張してた顔が解れていくのが分かりました。
作業をしてはい、終わり。ではなく、話を聞くことの方が大切なのではないかなと感じています。
作業によってはできないこともあるので、できないことは業者に頼むように促したり、どうするか一緒に考える。
話をして一緒に考えることが大切だなと思いました。
【熊本地震】活動報告~ゆめ風事務局№4
6月8日 活動報告
■10:00~【手続き支援】
・精神障害のかた(熊本市南区)
罹災証明書では「全壊」だが避難せず自宅に住み続けている。
「災害見舞金」、「家屋損壊等見舞金」(今回は基礎支援金のみ申請)、「被災者生活再建支援金」の申請。
受理され完了した。
(「被災者生活再建支援金」は審査に3,4ヵ月かかる。)
・ご本人は「被災住宅の応急修理」制度の利用を希望されていたが、一旦本申請をしてしまうと、仮設住宅と家屋取り壊しの申請ができなくなることが本日判明したため、今後の居住場所をどこにするか悩まれていました。
→【今後の対応】
・今週中に「被災住宅の応急修理」の件で、市役所に相談。申請は行わない予定だが、その他、じっくりご本人のお話を伺い、支援を継続??
(部屋も汚れている。)
■15:30~【仮設住宅建設状況確認、益城町】
・被災地障害者センターの事務局長:東弁護士とともに益城町の仮設住宅の建設状況を確認。
・風呂、トイレ間口が狭すぎて、車イスではまったく入れない。
・外はアスファルトが敷かれていない部分も多く(砂利が敷き詰められており、手動車いすだと移動が困難。)
電動車いすも、空回りするのではないかと思われる。
・雨の日は車輪が泥だらけで室内に入らないといけなくなる。
・「東北よりもひどい」と東弁護士は抗議されていた。
※詳しくは後ほど被災地センターFBもしくはHPで意見を公開するとのこと。
(入口に段差が2段ある。車いすでは入れない・・・)
(いったいどう曲がったら玄関にたどり着けるのか。この急な角度。電動車いすは使えないと思う。また右手は段になっていて、そこから転倒する恐れもある。)
■17:00~【全体支援会議】
①同行支援(視覚障害のかた)
ボランティアが付き添って外出し、徐々に外出に慣れてきたご様子。引き続き支援。
②温水器の確認(身体障害)
ソーラーパネルの鉄線が切れていたが、修理した。
近隣の方から、ハシゴを借りて、電信柱沿いに屋根に上がり作業。
③雨どい掃除(身体障害)
異物を除去し、雨どいに水が流れるようになった。
さらに、軽トラ約2台分のガレキがあり撤去必要か。こちらから連絡することに。
④入浴介助(身体障害)
「入浴・家事援助をしてほしい。」
ヘルパーを使いたいが、どのようにサービスとつながるのかは知らない様子。
次回、相談支援所の方に相談を勧める。
福祉サービスを受けるには、障害の状態を「区分認定」という方法で出すが、これを最優先にした方がよいか?
美容師ボランティアの方が同行していたので、ヘアカットも行った。
避難所は、男性女性の間仕切りなしだった。
次回、避難所の責任者に「間仕切り」を提案しては。
⑤通院・買い物同行(女性)
徐々に震災関連のヘルプではなくなってきている。
「ももくり基金」の移送サービスを提案したが、スタッフが全員男性なので躊躇されている。
スタッフと一度会ってもらうことを提案する予定。
6月10日 活動報告
■10:00~【手続き支援/救済制度情報収集/エピソード把握/自宅被災状況確認】
・手続き支援
「応急修理」制度の詳細を聞いた。
応急修理制度は、応急・みなし仮設住宅との併用ができない旨の説明を市職員から改めて受けた。
・救済制度情報収集
応急仮設住宅、みなし仮設住宅の詳細説明を受けた。
ご本人が住み続けるか、取り壊すか迷われており、その判断材料として情報収集。
市職員よりそれぞれの立地条件、入居方法、入居可能時期、条件等の説明を受け、概要説明資料を受領。
ご本人もある程度理解が進んだご様子。
・エピソード把握
ご本人の精神・身体状態、過去現在の生活状況、障害認定の経緯等。
・自宅被災状況確認
台所の梁が落ちていた。
いつ崩れてもおかしくない状況。
【今後の対応】
・6/18(土)16:00~行われる、富合町応急仮設住宅説明会に同行支援。
■17:10~【全体ミーティング】
①片付け手伝い(精神障害)
県外引越しを希望しているが、引越し先も決まってない。
不要家具処分の要望もあり(軽トラでは運べないかもしれない)。
対応→何が原因でどこに引越ししようとしているのか、詳しく聞き取る。
②ブロック塀片付け(身体障害)
夫婦ともに身体障害。
スコップを借りて作業。
軽トラ1台で運ぶことができた。
③移送支援(身体障害)
④入浴介助(身体障害)
入浴介助と部屋の片づけ支援も行った。
同じものがたくさんあった。たぶん、同じものを重複購入されている様子。
【今後の対応】
ヘルパーがこれまで入ってないが、相談支援事業所につないで、どのような支援が提供可能か、など説明も必要。
ヒデの救援レポート 2016年6月9日:№189
●いよいよ、2016年の半ばを迎えました。
みなさんは、4月14日、16日に起きた熊本地震を、どのような気持ちで迎えましたか?
日本という火山列島のどこに住もうと、自然災害は襲ってきます!
にしても、人間世界では、メディアが、自然災害が来るぞぉと、脅し情報を垂れ流してます。
私たちは否応なく身構えて暮らします。
自然災害がおこらなければそれに過ぎることはないのですが、やはり自然災害は、人間の力では、コントロールできないシロモノだから、用心するに越したことはありません。
ゆめ風基金も、東北被災地の当事者団体とつながり、息の長い支援を行いながら、新たなる自然災害に向き合いつつ、防災活動を強めます。
支援金を集めて、いざに備えて身構えて行きたいと考えています。
腰を落ち着けて、今以上に、みなさんのお力添えを得て、支援金を集めるので、ご助力をおかしください。
●5月19日、東京で開催した、東北、熊本被災地障害者支援イベントに引き続き、大阪でも支援イベントコンサートを開催します!
たくさんの方々のご参加を呼びかけます!
第3回、ゆめ風であいましょうin大阪、感謝と希望のつどい
イベントテーマ
・東日本大震災から、5年。ありがとう。そしてこれから
・日時等
2016年7月2日(土)午後1時30分開場 2時 開会 午後4時30分終了予定
・場所
近畿ろうきんメインホール(大阪市西区江戸堀ろうきん肥後橋ビル12F)
(最寄り駅、地下鉄肥後橋駅・地下鉄御堂筋線淀屋橋駅)
・参加協力費:1500円(障害者1000円・介護者1000円)
お問い合わせは、認定NPO法人ゆめ風基金
電話 06-6324-7702
FAX 06-63:21-5662
・コンサート
小室等&こむろゆい
・報告
5年目の被災地、障害者の今・いわき自立生活センター長谷川秀雄さん
他
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これまで届けた救援金
379,060,649円(2016年6月7日現在)
内・東日本大震災救援金総額
309,492,139円(2016年6月7日現在)
ただいまの基金残高
247,778,066円(2016年3月31日現在)
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌:そよ風のように街に出よう:編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。
●東日本大震災救援活動の中のボクの風景
「吾亦紅」と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。
大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。
大きな声、叫び。
大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。
しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、『われも、また、赤い【吾亦紅】と咲くのです。
●「厳しい環境にいるなかまは、自分たちの手で守っていく」を合い言葉に、被災地障害者センターくまもとが結成されました。
代表:倉田哲也さん。
日本で初めて、足で車のハンドルを操作し運転。
その記録ドキュメンタリー映画は「もっこす元気な愛」。
(上映会募集中。)
●熊本地震が起こった時、熊本学園大学が門戸開放し、多くの障害者市民が大学に避難し、その後、各団体や事業所が活動を継続中。
ゆめ風基金も、八幡理事を中心に、たびたび現地を訪問していますが、多様なニーズに人手不足、掘り起こしが重要と発信している。