被災地障害者センターみやぎ ボランティア報告
期間:2011年7月12日(火)~19日(火)
仙台に到着すると、いたるところに「がんばろう宮城」の文字、文字、文字が見えます。
オリエンテーションでは、ボランティアの心得を聞きました。要は、「自分とこのやり方を押し付けないこと」。私たちが「フレンドリー」と感じることでも、所変われば土足で上がり込む図々しさに変わることもあります。時にそれはボランティア同士にも軋轢を産み、現地スタッフは要らぬなだめ作業に心を砕かなくてはならない。本末大転倒!!「まずは自分の地元での考え方や常識をとっぱらっちゃって下さい」と一発目に言われます。でも、思いを強く持ってきた人ほど、言葉では理解できても色々口出ししたくなっちゃうこともあるとか。
参加期間当時は、宮城県各地の個人&団体状況の集約活動に徹していました。具体的な支援を自らするというより、その支援を提供できているところはないか探したり、あればそこにつないだりする、「黒子的つなぎ支援」が中心。
仮設をまわるなかで、「障害者≒車イスの高齢者」という認識が大半、という印象を受けました。「うちに障害者いたけれど、仮設に来る前に施設に入ったから、特に相談することはない」というお宅もありました。まさにそのことこそ相談することでは?と思っても、その場では言えません。
いくつかまわった仮設の中で、「車いす使用の世帯がスロープなし住宅で、一見健常者に見える世帯がスロープ付き住宅に入居している。こんなミスマッチはもったいないのだが、どうして起こってしまうのか?」と話しておられる自治会長さんもおられました。
やはり「郷に入っては郷に従え」で、私たちは大きな流れのほんの一点。現場をかき乱してまで変えたいものがあるのなら、そこに腰を据えて続けるのが筋です。現地の復興は、あくまで現地のやり方で。ボランティアはその手足。震災直後の明日をも知れぬ状況と今は違います。訪問の仕方ひとつ、報告書の書き方ひとつとっても、それを忘れてはいけないと痛感します。それを踏まえた上での方法論の意見は、スタッフにそっと伝えれば良いのであって、いきなり現場にぶつけて良いものではないのです。
滞在中、新聞に宮城県の復興計画(案?)が見開きで載っていました。詳しく読み込む時間はなかったのですが、八幡さん解説によると、障害福祉については「やっぱ施設は要るし建てましょうか」的流れに向いているとのこと。ぜひとも「そうじゃない!」というパブコメなりを出していかねばならないと、ミーティングでも話し合いました。先に述べたような、仮設に入ることもなく施設へ行った当事者の仲間に会うなど、当事者主体の動きがとれる環境が整うのはまだ先のことかもしれませんが、アクションを作り出していく必要があると感じます。
宿舎では色んな方と話す機会が持てました。1~2ヶ月という長期で滞在されてる方々もおられ、しかも九州やらマレーシアやら、えらく遠隔地からお越しです。長くいらっしゃる分、色々と見えておられる事も多く、話していてとても刺激を受けます。震災支援から原発、諸外国の見た日本まで、ゆっくり真面目な話ができました。震災がなければ一生出会うこともなかった人たちと、寝巻き姿で深く語り合うなんて、考えてみれば不思議なことです。
私たちがすべきは「復旧」でなく「復興」。元に戻すのではなく、問題を改め、新たに立ち上げるべきものは立ち上げる。障害者支援も前進させて然り、絶対に後退なんぞさせてはならない、その気運は東北だけでなく全国からも上げていく必要がある。被災地の当事者が発信する、最も重要なテーマと言えるでしょう。
あれから一ヶ月近く経つ今では、また現地の状況はがらりと変わっているでしょう。ほぼ変わっていないこともあるかもしれません。大阪の自宅で8月6日の8時15分を迎えましたが、あれから未だに苦しみ続けている人だって、まだまだいます。
忘れないこと 伝えること それを続けること。
私はどこまでできるんだろう。そう思い続けたこの5ヶ月です。
(おまけ)
ボランティア6名ほどで連れ立って、六魂祭へ行きました。かなりの人数がメイン会場に集まっていて、改めて「元気を取り戻したい」という思いの強さを感じます。手動や電動の車いすで歩く(高齢でない)人を何人か見かけた時は、「ようやく事務所以外で当事者に会った!」と思いました。
S.Y
いま、八合目か?もっとも苦しいとき、総合福祉部会(第17回)
障害連事務局FAXレターNo.222 2011.8.9(火)
いま、八合目か?
―もっとも苦しいとき、総合福祉部会(第17回)―
8月9日(火)総合福祉部会(17回)が行われた。7月26日発表された骨格提言素案の修正等に関する意見交換が中心となった。
その議論に入る前に、これまで違う意見が出ていてもきちんと討論していない。少数意見を尊重して欲しいし、また今後どうやって調整をしていくのか、などの意見がだされた。これに対して佐藤部会長は、「少数意見であっても、重要なものはきちんと明記していきたい」とした。
また最終を8月30日とするのはどうにかならないか、との意見も出された。佐藤部会長は、「新法をつくるにあたって4ヶ月ぐらいの準備期間が必要と厚生労働省は言っている」と答えた。
さらに、「地方自治体の意見をきちんときいてほしい。せっかくの地方の新法がだめになる」との指摘もあった。
骨格提言の法の理念目的では、介護保険優先原則についてのさまざまな問題提起があった。ALSの人が地域生活を行う場合、難病として介護保険の対象となってしまい困っている、という意見もだされた。一方で65歳以上の要介護者が障害者手帳をとり、貧困ビジネスのようなものに利用されているという実態も明らかにされた。
OECDの障害者予算の平均を上回るように、という記述に対しては「今の2倍以上の予算が必要となり現実的な緻密な試算が必要ではないか」という意見がだされた、これに対しては尾上副部会長から「そういう意味でも総合福祉法の輪郭を明らかにして、厚労省に試算をしてもらわなければ話が始まらない」とした。地域移行や重度障害者の長期間介護における国負担の割合を高めていくことが提言に盛り込まれ、自治体の負担割合を低くするため出身地の負担を入れるという考え方も示されているが、それについては賛成反対の意見が出された。
医療では、精神障害者の保護者制度について、「家族の負担を軽くするため保護者制度の廃止が必要」とする意見と、「保護者制度を廃止しそれを新たな公的機関が行うならば反対」とする意見、さらには「家族でも保護者の役割をしたいという人もいるのではないか」との意見に分かれた。
さらに、「精神医療を受ける人は年々増え大きな問題となっている。この状況を止めなければならない」との意見も出た。
障害児支援では、施設について障害の一元化ということが、盛り込まれていたが、様々な障害のある人がいることから、「慎重に段階的に」という意見が出た。また特別支援学校の寄宿舎のあり方についてはその充実を求めていく意見が出され、大谷座長は「学校教育法の位置づけをきちんと整理しなければならない」と答えた。
労働では賃金補てんのあり方について議論され、「所得保障制度と絡めるべきではない」とする意見と、「所得保障のあり方に関係する問題」の意見が出た。
きちんと今後も労働のあり方については、議論すべきである、との指摘も出された。
部会の終了間近に、修正意見を反映させた新しい骨格提言案の議論に入ったため、一時、緊張が走った。基本的には、各委員が文書で意見を出すことになったが、「地域移行に偏りすぎている」という意見の一方で「地域生活をうたう権利条約を踏まえた新法をつくらなければ意味がない」という考え方も出された。さらに、利用者負担と絡める形で「人工呼吸器をつけた人や経管栄養の人などが、十分なケアを受けられないため、命を落としていることが多い」との強い指摘もされた。
次回8月30日(火)骨格提言最終まとめ
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【お知らせ】
障害者・患者9条の会企画
2011年 9月3日(土)「白熱教室2011」
平和に生きる権利を
いま、何を学び、何を行動するか
日時 2011年9月3日(土) 13時受付 13時30分~16時
会場 東京都障害者福祉会館(田町)
記念講演 中澤正夫(精神科医)
「ヒロシマとフクシマ -目を背けてはいけない史実と事実」
ヒデの救援レポート、8月8日
ヒデの救援レポート、8月8日:32
福島、新潟に豪雨が降り、洪水・停電が発生しました。停電は、医療的ケアを必要とする人たちには、いのちに関わる事柄です。
脊髄性筋萎縮症家族の会ALSさくら会人工呼吸器をつけた子の親の会・バクバクの会ベンチレーター使用者ネットワーク全国頸椎損傷者連絡会&連合会東京進行性筋萎縮症協会日本ALS協会日本筋ジストロフィ協会などの団体が、東京都に対して、緊急時の非常用電源確保の要望書を提出するそうです。
蘇生バッグ、足踏み式吸引器、バッテリーなどは、使用者が自由に選べるように。自家発電機所有が、それを必要としているひとの全体の1割に満たない現状から、発電機の貸し出しなどです。
問い合わせ先は、東京都福祉保険局疾病対策課・03-5320-4471。
8月の被災障害者救援本部統一共同カンパ行動は、8月27日(土)午後1時~5時、大阪・難波、高島屋前です。参加者が少しずつ減ってきています。短時間の参加でもかまいませんので、参加方、よろしくお願いします。 8月の被災障害者救援本部大阪の会合は、8月26日(金)、午後6時半より、パーティー&パーティー(地下鉄大国町駅下車すぐです。)で行われます。ご参加をよろしくです。
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、8月2日までに、170572082円です。これまでに支援した団体、個人への金額。支援総額は、67164600円になります。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景
吾亦紅と名付けられた植物は、小さな赤い花をつけます。大輪の紅薔薇のようにではなく、ひっそりと。大きな声、叫び。大勢の群集の権利要求、強い権力ではなく、小さく、ひっそりと。しかし、その大勢の人たちと同じように、わたしにも、赤い血潮がしっかと流れているんだぞと、われも、また、赤い吾亦紅と咲くのです。
3・11から、4ヶ月の間に3回目の東京訪問となる、凸凹コンビです。トウキョウ物語7月11日、ゆめ風基金呼びかけ人代表の小室等さんの音楽活動50周年記念ライブ復興に参加すべく、牧口代表と新大阪駅で落ち合い、新幹線に乗り込みました。品川駅に到着。駅ホームのムッとする暑さに、呼吸困難になりそう。東京では、すでに、猛暑日が何日も続いているそうな。
駅では、東電、関電からの要請で、節電のために、電力を落としています。お客さまのご協力をお願いしますとのアナウンスが流れ続く。思わず協力出来ないと、どうするんだ。結局、節電するんやろ。つまり、それは、押し付けと言うんだと悪態をつく。山手線に乗り換えて新宿を目指す。どのホームにも、暑さで顔を火照らした乗客の群れが並ぶ。本当に暑い。あちこちの街角で、節電に協力するために、無料のうちわを配布しておりますと、企業名がデカデカと入ったうちわが係員によって、配布されていたり、素足の女性も目立つ。
新宿駅南口から、会場の全労災ホールまでの道のりは、日傘の群れ。午後5時過ぎ、凸凹コンビは、へろへろと会場に到着。すでに朝から来ていた、ゆめ風基金スタッフ4名の手によって、ゆめ風基金展示ブースが立派に完成しとりました。ロートルの出番なし、ガックシ。
ライブの開演は、6時30分より。6時頃から参加者が並び始めた。開演10分前には、凸凹コンビも協賛団体の招待客として、指定席に陣取る。ゆめ風ネットさいたまの樋上さんも電動車椅子で参加。この段階で指定席チケットは完売されている。全席400名。
いよいよ開演。ゲストも半端じゃあない。演じられた音楽や、トークもボクなりの乏しい感性で受け止めて、感動的だったけれど、その感想については、ゆめ風基金スタッフの細谷さんが堪能なので、細谷さんに譲ります。ゆめ風基金ブログでごらんください。ここでは、ボクの浅はかな知識に引っかかるゲストだけをランダムに敬称略で紹介します。
永六輔さん。谷川俊太郎詩人さん。井上陽水歌手さん。林英哲和太鼓奏者さん。坂田明サックス奏者さん。谷川賢作音楽監督さん。小室ゆい歌手さん。李政美歌手さん。梅津和時フリージャズさん。などなど多士済々。ボクなんかは、当日パンフレットでしか分からない、一流奏者や歌手の方々が15名以上登場して、セッションは、大盛り上がりでした。復興への想いがギッシリ詰まった音楽が、会場を占拠して、お客さんもノリノリ。ボクの脳の中は、ゆめの音の大洪水で、渦巻いてしまいました。午後8時半に終了する予定が、幕が下りたのは、午後10時半でした。
トークでは、ゆめ風基金活動のことが、沢山話され、終演後のロビーでは、永六輔さん自ら募金箱を持って、救援基金を呼びかけられるという、びっくりするような場面もありました。その後お願い片付けを済ませて、ゆめ風基金スタッフだけのささやかな打ち上げの夕飯をし、ホテルにたどり着いたのは、12時を過ぎていました。それから、また打ち合わせ。復興コンサートの模様は、秋にCD化されるそうです。
さて、その事務局が予約してくれたホテルなんですが、かの新宿の歌舞伎町のど真ん中の格安ホテル。コンサートホールからは、歩いて30分。夜の店の呼び込みを避けながら、大汗かきながら、一年分は、歩きました。(笑)次の日は、全員で朝食を取り、東京に居残るひと。仙台に行くひと。早く帰り、事務所を開けるひととに別れ、新宿駅で、解散。
ボクたち凸凹コンビは、カタログハウスでの、冬のゆめ風基金東京イベントの打ち合わせに臨みました。それも上首尾に済ませて、午後2時半の新幹線に乗り込み、座ったとたんに、ふたりとも眠り込んだまま、新大阪駅に帰着。無事に汗だく解散でした。これで、3回目のトウキョウ物語は、オワリ。行き帰りともに、富士山は、雲に隠れて見られませんでした。以上。
ゆめ風基金に届いたお便りから
ゆめ風基金さまへ!風のようにフォークは流れその10・プレミアムコンサート第2弾・における義援金の明細・於・めぐろパーシモン大ホール、5月28日(土)開催
コンサート開催利益分の全額、433057円、コンサート開催時に用意した義援金瓶から集金した全額、170155円で、義援金トータル、603212円。
私たち、OTアール・リィユニオンと、当日のお客さまのお気持ちをお届け致します。どうかよろしくお願い致します。7月2日(土)。郵便251-0035-藤沢市片瀬海岸3-21-8- 代表古西のりこ
ボランティアのつぶやき
私のボランティア活動はいよいよ残り数日となりました。先月6月5日に仙台に入り、全国各地からあつい想いを持って集まった老若男女のボランティアの皆さんと、日中はチームとして夜は共同生活者として過ごしてきた1ケ月半でした。
九州地方から参加されたベテラン介護士さんに元短距離選手のヘルパーさん、四国から来られた一級建築士さん、中国地方から参加の元宮大工のヘルパーさん、東海地方からの福祉住環境コーデネィターさん、関東から来られた訪問看護師さん、北海道から参加のラガーマン兼ヘルパーさん、そして大阪を中心に全国各地の福祉関連団体に従事されている皆さんとともに、それぞれの方言で多種多様な意見を交換しあった1ケ月半でした。
ここ被災地障害者センターみやぎに来なければ一生お会いすることが無かったであろうボランティアの皆さんに出会えたことは、私にとって宝だと思っています。
そして、主に私の被災地障害者センターみやぎでのボランティア活動は、市役所等の公共機関から情報収集したり、仮設住宅のスロープ付き住宅や避難所・自宅等で生活されている障害をお持ちの被災者の方々を一軒一軒訪問し生活状況などをお聞きすることでした。
こういう身体になったからこそ見えて感じる視点があるはずと、福祉住環境コーデネィターに挑戦し続けている、親戚宅に3世代10数人で避難生活中の若い男性。
震災後に自宅に入ることができなくなった障害を持つ子どものために、日中は自家用車を中心に子どもと生活するお母さん。
自らの障害と家庭の問題?抱え、その解決のために越してきた転居先で震災に会い、ほとんどの家電製品が壊れたアパートでこの先の生活に戸惑う女性。
障害を持つ次男と震災で仕事が減少した長男を抱え、自らは関節の痛みをこらえて家事を営み、車いすに乗りタクシーとJRを乗り継いで次男の通院に付き添うお母さん。
家族4人二間で生活する仮設住宅から就労支援先に通いながら、両松葉杖の移動では困難な仮設住宅内の諸々のバリアの改善を単独で町役場に訴え続けている男性。
ショートステイを利用中の百歳の旦那さんの夏服の不足を気遣いながら、自らは4つの病院に通院し、ボタン操作が複雑な家電製品が並ぶ仮設住宅に暮らすご高齢の奥さん。
奥さんを震災で亡くされ、寝たきりのお母さんを近所に住む兄弟と共に介護しながら、車を流されたため片道一時間かけて自転車で通勤する状況を健康のためと気高く答えられた男性。
津波の爪痕残る地域で、身重の娘を気遣いながら末期癌の夫を自宅で介護する奥さん。
避難所から何とか仮設住宅に入れたけれど、これで生活が終わりじゃあない。生活はこれからが始まり。寝たきりの母には出来る限り心地よい生活環境を整えたい。と、市役所に仮設住宅の改修を相談したが思うような返答はもらえず、自ら業者に依頼し自費で住宅改修し、そして炎天下の日中にお母さんの車いすを押して通院介助する娘さん。
こうした皆さんの生活のしずらさに、ボランティアとして即答できる立場はなくただただ聞いてくるだけの自分に自問自答した1ケ月半でもあったように思います。それでも、この国難の中、目の前の課題や生活に前を向いて立ち向かおうとされている被災地の皆さんの声と姿は、私のこれからの人生に筆舌しがたい貴重な学びの機会となりました。
5月末に日本に帰国し仙台で1ケ月半を過ごした私自身は、この後日本を離れ再びアセアンの途上国を生活の拠点とすることになります。日本を経済成長の模範と尊ぶアセアン諸国にとって、東北を含めた日本のゆるぎない復興は祈りであり必然でもあります。祖国日本の力強い復興をアセアンの皆さんと共に信じております。
7月18日・被災地障害者センターみやぎ・ボランティアH
ふたつのイベントのお知らせです!
8月23日(火)、午後5時半~7時半。仙台市あすと長町仮設住宅・交流広場。永六輔さん・小室等さんと話そう会in長町!永さんと小室さんがやってくる!小室さんの歌もお楽しみに!入場無料。手話通訳あります。
お問い合わせ・被災地障害者センターみやぎ・022-746-8012
主催・被災地障害者センターみやぎ 共催・NPO法人ゆめ風基金
協力・一般社団法人 パーソナルサポートセンター
東日本大震災支援第12回ルピナス会チャリティーコンサート
被災地に心を寄せて
第1部・小室等さんの歌とトーク。第2部・鹿児島大学ハーモニカバンド。
9月19日(月・敬老の日) 開演14時・開場13時
(台風などで延期の場合は、12月18日)
場所・鹿児島県肝付町文化センター
入場料・大人千円、小中高生五百円
12時から、2時まで、リサイクルバザーも開催します!
問い合わせ、実行委員会・0994-63-8839
第28回共同連全国大会・東京大会
大震災からの再生・仕事起こし
8月20日(土)午後1時から8時分科会・交流会
午前10時から4時30分
会場は、オリンピック記念青少年総合センター
21日全体特別報告
東日本大震災における障害者の状況ゆめ風基金理事、八幡隆司
問合わせ・052-916-5308
年度末にも政策委員会スタート?制度改革推進会議(第34回)
障害連事務局FAXレターNo.221
年度末にも政策委員会スタート?
―推進会議(34回)、どうなる障害の定義―
制度改革推進会議(第34回)は8月8日行われた。
障害者基本法改正について東室長からあった。「7月29日参議院で成立し8月5日公布」とのこと。「政策委員会はいつスタートするのか」に対して、東室長は「年度末にもスタートするかもしれない」との見通しを述べた。
つづいて総合福祉部会、佐藤部会長から総合福祉部会における新法の骨格提言についての報告があった。
はじめの議論では、障害の範囲、支給決定などであった。
質問では、「障害制度区分認定基準の客観的指標には問題がある」というくだりは自治体の立場からどうかと思う表現だ、などが出され、「審査会で区分変更が多い実態があることに着目した」などと佐藤部会長や尾上副部会長は答えていた。
障害の定義について、障害者基本法をよりある意味広くしていることについても、矛盾が生じるのではないか、との指摘が何人かからあった。
これに対して、佐藤部会長は「これまでの枠組みではなく、新しい枠組みで障害の定義を検討している」と答えた。
次の議論は、権利擁護、相談支援、支援体系などであった。
デイアクティビティセンターにおける重症心身障害の人に対する医療的ケアについての考え方を評価する意見が出され、さらに地域で生きるという権利条約の理念に立ってすすめてほしいとの発言があった。
また、「どれを優先するかという議論が出されてなく予算的に膨大になってしまう」との危惧が出され、「相談支援についてはカットしてもよいのではないか」という発言もあった。
それに対して、佐藤部会長は「特定相談はニーズに応じたサービスはどれくらいかを明らかにさせ、個人のエンパワメントを発揮させる場として重要」と答えた。
つづいて、利用者負担、地域資源整備に移った。
障害にかかわる費用は無料とし、一部高額所得者について応能負担を導入するとした考えについて評価する意見が出される一方で、「一部応能負担という考え方はおかしい、高額所得者は税制で反映されるべきだ」との意見が出された。また、重度障害者については「一部お金を払ってでもきちんとした介助を保障してほしい」との発言もあった。
さらに「消費者的な視点で捉えていくことも重要ではないか」との指摘もあった。
自立支援協議会と市町村政策委員会は役割が重複するのではないか、との指摘があり、東室長は「政策委員会は障害者基本法のものであり、自立支援協議会は総合福祉法上のものですみわけが必要とされる」と述べた。
最後に“医療”“障害児”“労働”の合同作業部会の報告がそれぞれあった。労働の作業部会の座長である松井委員は、東室長の質問に答える形で、「労働については包括的な差別禁止法による差別禁止とともに、雇用促進法においても差別禁止条項を設けるべきだ」との考えを示した。
次回9月26日(月)
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【お知らせ】
障害者・患者9条の会企画
2011年 9月3日(土)「白熱教室2011」
平和に生きる権利を
いま、何を学び、何を行動するか
日時 2011年9月3日(土) 13時受付 13時30分~16時
会場 東京都障害者福祉会館(田町)
記念講演 中澤正夫(精神科医)
「ヒロシマとフクシマ -目を背けてはいけない史実と事実」
7月23日の街頭募金に35人が参加、募金額は90,062円でした。
7月23日の街頭募金行動は35人の方が参加され、募金額は90,062円でした。
この日は午後からきつい日差しで、暑い中参加してくださったみなさん、そして募金の呼びかけにこたえてくださったみなさん、ありがとうございました。
次回の街頭募金は8月27日(土)午後1時~午後5時 大阪なんば高島屋前です。
みなさんのご参加をよろしくおねがいします。
障害者派遣プロジェクト5
障害者派遣プロジェクト5
岩手報告
茂上裕太郎・中来田護
メインストリームから5組目として、7月24日から8月1日まで活動してきました。被災地センターの雰囲気は明るくとてもとけ込みやすかったです。
被災地センターの主な活動内容は、障害者の支援や物資提供(7月で終了)ですが、高齢者の支援が多い印象でした。
最もうれしかったことは、1週間のすべてのスケジュールをピアサパート部門として組む事ができたという事です。
私達のスケジュールです。
7月23日(土) 岩手到着 鍛冶・脇ペアから引き継ぎ
24日(日) 休み
25日(月) 会議(この会議で1週間の予定が決まる)
26日(火) Aくん宅訪問(一緒に外出)
27日(水) 宮古市の障害者支援団体を訪問
28日(木) CIL盛岡訪問
29日(金) ハックの家訪問(Oさんと話)
30日(土) 平田・楠ペア到着 引き継ぎ
31日(日) 四季の郷 夏祭り(障害者入所施設)
8月 1日(月) 帰宅
月曜日の会議で1週間のスケジュールが決まります。メインストリームのメンバーで支援中のAくんとOさんのところに訪問したいという事と、CIL盛岡に行きたいという希望を出して上のようなスケジュールになりました。
Aくん宅訪問
Aくんは宮古市に住んでいる重心の男性です。宮古市は津波の被害が合った場所ですが、Aくんの家は小高い場所にあり被害は少なかったようです。
被災地センターから定期的にボランティアを派遣していて、メインのグループも必ず行っています。
今回の内容は、車で浄土浜に外出しました。(ちょっとしたILP)今回、初めてお母さんは家で待機し、ボランティアスタッフだけでの外出です。
観光地も少しずつですが、復興しつつありましたが、エレベーターは壊れており観光船には乗れませんでしたが、Aくんも楽しんでいました。
ご飯を食べて家に帰りました。帰ってからはお母さんとの話しです。
お母さんは、自分が先に死んでしまうので、介助になれた生活を望んでいます。
メインストリームの人達も係わっていたので、自立のことも少しながらわかっていると思います。ただ、自立の事が周りの親に分かってもらえずに、周りから浮いてしまうという事も話しておられました。本人は「大丈夫!」笑いながら話しておられましたが、サポートが必要であると思いました。
Aくんは、日曜日の四季の郷のお祭りにもこられます。ちなみに、土曜日から初の泊まり介助(被災地センターのボランティアスタッフ)を利用してこられるそうです。そして、8月10日のCIL盛岡での納涼焼き肉大会にも参加されるようです。
Aくんと行った浄土が浜 船に乗れなくて残念!!
Oさん訪問(ハックの家)
金曜日に田野畑村の作業所「ハックの家」に行ってきました。利用者Oさんと1時間ぐらい話をすることができました。その中でひかりさんから、
・外出したい。
・リハビリに行きたい。
・自由に使えるお金が欲しい。
・ケータイの使い方を教えて欲しい。
などの気持ちが出てきました。
ヘルパーは使っているようでしたが、入浴などの家の中で使うことが中心で外出はできていないようでした。Oさんは「お店も遠いしね…」と行っていました。
8月10日にある焼き肉の案内も渡して来ました。Oさんは「遠いからどうかな…」と言っていましたが、家族との問題もあります。もし行けるのであれば、介助者、送迎を考え、担当職員のKさんには家族との間に入ってもらい、焼き肉に行けるように支援していく方向です。
田野畑村の「ハックの家」 ここのパンおいしいです!!
今回、1週間岩手に行って感じた事は、社会資源が少ない事と、閉鎖的という事です。元々、社会資源が少ない地域が被災してしまって、そこに住んでいる障害者はさらに困っているって感じです。被災地センターの利用者には高齢者も多く、自立を目標とした支援ができる利用者はわずかです。今後活動の中で障害者を探し、表に出てこないニーズを見つける事がピアサポート部門の役割だと感じました。
仮設住宅
砂利がとても深く車椅子では走れません。
電動車椅子操作不能になりました!!
七万人が自宅を離れてさまよっている時に
東京新聞2011年8月1日
「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何をやっているのですか」。火を吐くような気迫に衆院委員会室は静まり返った。先週、厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授の発言だ▼教授の試算は衝撃的だった。福島第一原発の事故で漏出した放射性物質は広島原爆の約二十個分。一年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発から出た放射性物質は十分の一程度にしかならないという▼福島県南相馬市で自らが手掛けている除染活動を通じ、内部被ばくから子どもを守ろうとする責任感が伝わる発言だった。国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある▼細野豪志原発事故担当相は日本記者クラブでの記者会見で「除染作業こそ国家的プロジェクト。福島の皆さんに希望を持っていただける」と語っている。今後、除染作業が兆単位の公共事業になるのは間違いない▼児玉教授は、民間の技術を結集し直ちに国の責任で除染研究センターを設置するよう求めた。避難住民を無視した利権まみれの公共事業にしてはならない▼「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」。教授は医学雑誌にそう記した。学者の良心に希望を感じる。
被災地障がい者センターみやぎ本部から
被災地障がい者センターみやぎ本部からのお知らせ
「被災地障がい者センターみやぎ県南支部」が6/1より新たに発足しました
長年、山元町で住民互助の精神に基づき助けあいの活動をしてきた、NPO法人住民互助福祉団体 ささえ愛山元が、6月1日から被災地障がい者センターみやぎ県南支部として、被災した障がい者の支援活動をスタートしました。
このことで、被災地障がい者センターみやぎが大切にしている「顔と顔が見える関係」での地域密着型支援を更に進めていきます。
事務所:宮城県亘理郡亘理町新町34-3
「被災地障がい者センターみやぎ登米支部」(県北地域)が新たに発足しました
被災地障がい者センターみやぎ“登米支部が発足しました。新たに専従スタッフとなった地元キーパーソンに全国からのVTが協力するかたちで運営。今後も各地域の団体やキーパーソンと連携し地域密着型支援を進めていきます。
事務所:宮城県登米市中田町上沼字西桜場32-1
被災地障がい者センターみやぎ
ヒデの救援レポート、8月1日
ヒデの救援レポート、8月1日・31
7月15日~16日の、精神障害者地域生活支援協議会全国大会での、ヒデの記念講演に対しての、反応ハガキが届きましたので、テレ印付きですが転載します。
あみ全国大会in徳島で沢山お話しを聞かせてもらって、とても嬉しかったです。それで、やっぱり河野さんは素敵やと思いました。もちろん真実を見抜く眼やブルドーザーのような馬力もすごい素敵なのですが、なにより惹かれるのは、話しの端々から現場でがっつり本人たちと向き合ってるっていうのが伝わってきちゃうところです。大震災救援活動も一緒です。本人たちと本気でぶつかって、楽しんでやりとりしている臭いみたいなものがぷんぷん臭ってきて、ぼくもそう在りたいと想ったのです。またお酒を飲みながら、沢山お話しさせてもらえたらと思います。茨木の実家に帰る時に、一度お寄りしたいとも思っています。
徳島県板野郡、障害者就業・生活支援センター・わーくわく・S
被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、7月25日までに、167586438円。7月30日までに、168752004円です。これまでに支援した団体、個人への金額。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。
東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
京都からの情報発信の風景文化を変えるには
京都花園大学の八木晃介さん発行の個人情報紙・試行社通信よりの抜粋。
連絡電話075-221-2672
たとえ電力が不足しても、しなくても、原子力発電はいらないのだ。否、あってはならないのだと私はようやく判然と宣言する決断がつきました。いまごろ何を寝惚けたことをいっておるのかと、きびしい批判が集中しそうですが、原発由来の電気の約三割方を依存してきた従来の生き方を総括しないままに脱原発や反原発を主張することに、どこか多少の後ろめたさがあったことは否定できません。
だが、問題は過去ではなく現在であり、今後なのです。今、そして、これから自分はどのようにどんな生き方を選びとるのか、そこから考えなおす以外にありません。戦争中のことはしりませんが、戦後、私にものごころがついて小学校に入学した1950年中頃まで、しょっちゅう停電していたことは記憶に鮮明です。戦後の混乱期における電力不足ですね。あわてて蝋燭をさがして灯をともした途端、突然、何事もなかったように、再び電灯がつくことの繰り返しでした。電化製品といってもラジオ以外なにもなく節電などしようにもできなかった時代です。
いまはライフラインを電力とITに依存しているので、突然の停電がおおいなる混乱をもたらすことはいうまでもありません。3.11以後、無意識に節電している自分に気づくことがあります。これまで使っていない部屋の電気を点けっぱなしにするということはあまりなかったのですが、今はそれが飛躍的に徹底できています。各部屋のエアコンその他の電化製品もパソコンと冷蔵庫以外はコンセントから引っこ抜いています。
マンションの部屋は八階で、おまけに軽症ながら椎間板ヘルニアの持ち主なのでさすがにエレベーターをもちいますが、大学の研究室は四階なので昇降とも大部分歩きです。その他いろいろ。原発が全部停止しても電力が不足しないことは理解していますが、それとは別に、大袈裟にいえば自分の文化を少しかえたくなっているのかも。とはいえ、まだまだ不十分ですが。ウンヌン。
被災地3県障害者センター統合本部のある、仙台市の自立生活センター・シィILたすけっと機関誌ステップ震災特別号より転載
○震災、そして復興へ・・・たすけっと代表・及川智○
2011年3月11日14時46分、M90、最大震度7という凶暴な地震は、津波というより凶悪な怪物をつれ、東日本太平洋岸を襲った。発災時、たすけっとでは重苦しい会議中で、弱く始まった揺れに乗じて軽口を言いながらいた。揺れは大きく強くなっていき、私は電動車いすの上におり、頭を抱えたり、アーレストを抑えたりと、無意味な行動を取っていた。5分以上にも及ぼうかという揺れが治まったとき電動車いすはよっぽど重いのだななどと倒れなかったことに感心した。
雪が降る中、車いすを小学校へと走らせる。途中で貸して頂いた毛布は雪にまみれていた。16時過ぎ、暗くなりかけていた体育館でじいっと待つ。余震が起きる度にどよめく館内は次第に人数が増え、トイレへ動くことさえままならない。時間を追って配られる、毛布やバナナをもらいに行くことさえ、ためらわれた。22時を回り、通路が確保できなくなった頃に、水が出て、石油ストーブがあったたすけっとの事務所へトンボ返りしたのである。
事務所には同じように避難所にいられずに戻ったメンバーがおり、相談室として使っていた部屋に15名程度固まり、毛布にくるまりながら、ラジオから流れる情報に聞き入った。横になれず、一睡もしなかったが、いつも一緒にいるメンバーがそばにいるということで安心だった。夜が明けると、安否確認とともに、事務所を緊急避難場所にすべく、寝具や食料、日用雑貨などを持ち寄った。
3月12日夜には、事務所に電気が通った。拍手が起こり、明かりのありがたみが身に染みる。携帯が動く、PCが使える!一斉に安否確認のメールを送信した。事務所前で携帯電話の充電サービスをはじめた。できる限りのことをしよう、そういう思いだった。
震災から一週間後、全国からあったかい気持ちがたっぷり詰まったたくさんの救援物資が届き、それを障害を持つ方へお届けする活動を始めた。普段受けている支援が受けられない、普通支援を受けていなくても震災で支援が必要になる場合もある。たとえば震災でけがをしたとか。
私も普段の介助体制ではなく、なるべく少ない人数で介助を受けた。災害が起こると、一番置き去りにされやすいのは障害者だ。サポートをする人も被災していれば、どうしても支援・救援は遅れる。裏を返せば、普段からの支援者からしか支援が受けられない。もっと広い関係性を持つことが重要だと反省も込めて思う。
自宅アパートは奇跡的にもさほど被害はなかった。書類や本が落ち、風呂のタイルが一部はがれただけだった。電気が通った3月14日、事務所からアパートに戻った。マンションのエレベーターが動かず、部屋に戻れないメンバーとの共同生活だ。灯油使用も最小限にするために設定温度を最低にした。相当節約できたので、現在も設定は最低のまんまだ。
津波の被害があった地域と被害がない地域、この震災はそこで生活が二分されるように思う。津波の被害がない地域は電気、ガス、水道、物流が戻りほぼ元の生活が可能である。私も生活自体はもとに戻った。しかしながら、3月31日に立ち上げた被災地障害者センターの活動を通して見えるニーズは、震災があったから生まれたニーズよりも震災前にもあったが表に出てこなかったニーズが多いと思う。これらのニーズに応えられる街をつくっていかねばならないと思っている。以上
サポートグループ風からのお便りゆめ風基金事務局の方へ!
先日は、お電話で失礼致しました。早速、リーフレットとたよりを送って頂き、ありがとうございます。私たち「風」の新しいパンフレット「売り上げを被災地の障害をもつ方々へ」を作りました。そこにゆめ風基金さんを通して行うこと等書かせて頂きました。フエルト作品を買って下さった方には、このパンフレットとゆめ風さんのリーフレットをお渡しして頂こうと思っています。
このフエルト作品を常時置いて下さっているのは、鎌倉にあるお店で、
アジアンCafe「ソンベ カフェ」さん
フェアートレードの店「かまくら富士商会」さん
岩盤浴の店「ハマム」さん(おしゃれな女性専用)
です。
この他にも、フリーマーケット等にも、余裕があれば出していきたいと思います。夏はフエルトのシーズンオフですが、同封致しました虹とお日さまは、少しずつ売れています。
秋はハロウィンシリーズ。冬はクリスマスシリーズ。春はおひなさま。そして、バラのコサージュを作っております。私たちの活動をそちらのブログで紹介してくださるようなお話しをして頂き、ありがたいです。このパンフレットの文章は、どこでも使って下さい。
彼らの写真はなしでお願いします。作品はOKです。
売上は、ほんの少しずつですが、貯まりましたら、振り込みますね。4、5月分の売上プラス今までの分が少しありますので、7月中に振り込みます。どうぞこれからもよろしくお願い致します。
6月30日・サポートグループ風代表・関原和佳子
被災地障害者支援センターいわて活動報告の2
CiLもりおかの事務局長である今川さんを代表として、責任者八幡さん、専従スタッフ5名と全国からのボランティアが集まり、被災沿岸部を中心に被災障害者を支援しています。
主に、避難所や仮設住宅、自宅で生活をしている障害者への物資提供や人的支援などを行っています。物資提供のみの支援は、7月末で終了し、人的支援や移送サービス、社会資源への引き継ぎに移行していく。その他では仮設住宅の調査スロープの設置状況、集会所の有無、障害者の入居状況、住宅改修の相談等を行っています。
開設当初は、被災されている障害者がどこにいるのか町の人に聞いたり、ポスティングを行ったりしていました。 6月半ばくらいから何人かの支援がはじまり、そこから口コミで支援センターのことが伝わり、支援が本格化していきました。現在は見守り支援、移送、自宅への介助者を派遣、引き続き聞き込み、ポスティングを行っています。以上。つづく
福島の子どもたちを招く夏休みキャンプボランティア募集と募金のお願い
3月11日に起きた東北関東大震災と原発事故により、今、福島県では多くの子どもたちが被災の苦しみに加え、屋外での活動を制限され、不自由な毎日を送っています。
子どもたちに、夏休みの一時期だけでも、放射能汚染の不安を感じることなくのびのびと遊べる環境で過ごしてもらいたい。その思いから、明石を中心に、主に子育てに関する市民活動をしてきたメンバーが福島の子どもを招きたい!明石プロジェクトを立ち上げ、二週間の夏休みキャンプを企画しました。
どうか多くの方にこのキャンプをご支援をいただきたく、お願い申し上げます。
明石であそぼう!たこ焼きキャンプ
期間011年7月30日(土)~8月11日(木)
場所・明石公園内・兵庫県高等学校野外活動センターあさぎり寮
対象・福島県内の小中学校生、乳児およびその保護者30名
はんごう炊さん、海でのカヌー体験、ミニ縁日、近郊施設の見学など、様々なメニューを考えています。子どもたちが楽しくゆったりと過ごせ、リフレッシュした気持ちで帰れるようなキャンプを目指します。
ボランティアを募集します。子どもたちと遊ぶ、子どもたちを見守る遊びボランティア・子どもたちの食事や洗濯など、生活面を支えてくれるホストペアレント、明石近郊の方・食材の提供、炊き出しをしてくれる炊き出しボランティア・そのほか、楽しい企画の持ち込みなど。
どうぞ、募金をお寄せください。子どもたちの家庭への負担は最小限に抑え、費用の大部分は募金でまかないます。ぜひ多くのみなさんのご協力をお願いします。
賛同団体・市民まちづくり研究所・被災地NGO協働センター・NPO法人フリースクールふぉーらいふ協力団体・NPO法人寺子屋万丈舎、会津若松市・NPO法人ビーンズふくしま、福島市・コープともしびボランティア振興財団・神戸大学ボランティア支援室
以上!
差別禁止法と総合福祉法の制定に向けて
太田修平 ota@imail.plala.or.jp
tel 障害連 03-5282-0016
fax 03-5282-0017
障害連のホームページアドレスが変わりました
http://www9.plala.or.jp/shogairen/
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障害連事務局FAXレター NO.220
東日本大震災はまだ終わっていない
―障害連シンポジウム、行う(7.30)―
「福島では、震災当日から、今に至るまで大変な日々が続いている」とは、白石さんの言葉。7月30日(土)午後、東京都障害者総合福祉センターで、障害連シンポジウムPart8「真の安心・安全の暮らしとは何か―全身性障害者の立場から―」を行った。
白石清春さんは、JDF被災地障がい者支援センターふくしま代表を務めている。日ごろは障害者自立生活センターの運営をしている白石さん、3月11日から今に至るまで休む暇はない。福島では原発大事故が重なり、障害者の暮らしは振り回されている状態だ。「原発事故により、優生思想的な問題が出てきており、それとの闘いは長くなりそう」と語った。
古井正代さん、彼女は元青い芝の会の闘志として知る人ぞ知る。彼女も福島に支援に行った。避難所における差別、医療においても障害者が差別されていることや、自己決定権無視の実態、それらを率直に話してくれた。まず住宅問題が重要。「アメリカやヨーロッパでは、差別禁止の理念に基づき、すべての住宅をアクセシブルにする取り組みが当たり前」と語った。
上原泰男さんは、東京災害ボランティアネットワーク事務局長として、今宮城県の南三陸町の被災者支援を行っている。障害連との付き合いもあしかけ20年となる。福祉のまちづくり、帰宅困難を想定した訓練、いろいろと障害者と関わってくれた。上原さんは「どれだけ人とのつながりを持てているか、このことが災害時に大きな影響を与える」と述べた。
関根義雄さん(障害連副代表)は「避難所のバリアをなくしていくことをはじめ、誰もが地域で安心して暮らしていけるための整備が求められているのではないか」と語った。
指定発言で、越智大輔さん(東京都聴覚障害者連盟事務局長)は、「耳の不自由な人は、どれだけ危険がせまっているかなどの情報を得ることが難しい。避難所の状況も知ることが難しい。見た目では一般の人と変わらないので、なかなか理解してもらえない」と話してくれた。
フロアからは、「震災当日外出していたが、車いすで休める所が欲しかった。トイレが何より心配。」との発言もあった。
シンポジウムのなかで何人かの人が「被災地や避難所に障害者を見ない」と語っていたことは、これからの大きな課題としてのしかかってくる。
今回のシンポジウムは障害連にしては多い60名以上の人たちが参加してくれた。
集会の後、白石さんと古井さんは、障害者差別禁止法をぜひとも制定しなければならず、今後も障害連と連携をとりながら運動をしていくことを約束してくれた。
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差別禁止法と総合福祉法の制定に向けて
―2011年度障害連総会行う―
シンポジウムの7月30日(土)、障害連は、2011年度の総会を行った。自立支援法にかわる総合福祉法の制定や、差別禁止法の実現などを盛り込んだ2011年度方針を採択した。さらに会計報告や予算案についても承認された。
また次期役員改選においては、世代交代をさらに進めることも確認された。
総会では以下の人たちが役員に選ばれたが、今後補充も必要ということから、補充については、役員会に一任された。代表 伊藤雅文(どろんこ作業所)、副代表 春田文夫(仰光会)、副代表 関根義雄(スタジオI)、事務局長 太田修平(仰光会)、幹事 杉井和男(船橋障害者自立生活センター)、幹事 渡辺正直(静岡障害者自立生活センター)、幹事 大濱眞(全国脊髄損傷者連合会)、幹事 木賀沢元(どろんこ作業所)、幹事 土屋淳子(ピアサポート八王子)、相談役 宮尾修(船橋障害者自立生活センター)、相談役 金澤恂(心の灯)、相談役 三澤了(全国頸髄損傷者連絡会)、会計監査 宮原映夫(全国頸髄損傷者連絡会