第5回障害者救援本部会議のお知らせ

震災から3ヶ月が経とうとしています。
お盆まで と首相が約束した仮設住宅も、遅れが予想され
長い避難所くらしのきつさが本当に心配です。
現地では、3県の被災地障害者センターが日々 懸命に救援活動を続けています。
緊急避難所も 宮城に2カ所 岩手に1カ所 設置され 活動が広がりつつあります。
この間、みなさまにおかれましては、被災現地でのボランティア活動や街頭カンパ活動、募金活動など、大変ご尽力いただき、大いに勇気づけられる日々です。
下記のように第5回障害者救援本部会議を開きたいと思います。
この間の動き(救援活動、東京救援本部会議、被災地)のご報告と、これからの動などについて話し合いたいと思います。
どうぞご参加ください。
とき 6月6日(月)午後6時半から
ところ 大国町 パーティパーティ (地下鉄大国町からすぐ)
大阪市浪速区敷津東3-6-10
TEL・FAX  06-6649-0455

ふくしま支援センターニュースつながりNo.3

 東北関東大震災障害者救援本部東京事務局から、被災地障がい者支援センターふくしまより発行されています、ふくしま支援センターニュースつながりNo.3の転記が届きましたので、掲載させていただきました。
被災地障がい者支援センターふくしまより発行されています、ふくしま支援センター
ニュースつながりNo.3を転記いたします。
HTMLでご覧になる方は、こちらのアドレスへ
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/JDF/hukushima_news/news_f3.html
~~~以下転記~~~
ひとりじゃないよ! 信じあい 助けあいながら
ふくしま支援センターニュースつながりNo.3
2011/05/04発行:JDF 被災地障がい者支援センターふくしま
※住所がかわりました!今後とも支援センターふくしまをよろしくお願いします!
■住所 〒963-8025郡山市桑野1丁目5-17深谷ビル B 棟101号
■TEL 024-925-2428 ■FAX 024-925-2429
■メール shienfukushima2011green@yahoo.co.jp
【調査累計(4月27日現在)】
障害者支援事業所 85ヵ所、
避難所(2次避難所含)312ヵ所、
個別相談対応数 108件、
電話相談 56件。
~支援センターふくしま白石代表あいさつ~
2011年3月11日マグネチュード9.0という未曽有の大地震が東北・関東を襲いました。
その地震から引き起こされた大津波によって岩手、宮城、福島の沿岸部はことごとく壊滅されて、27000名以上の死者と行方不明者を出しました。それに伴い、福島県では大津波の影響で、第一原子力発電所が事故を起こし、目に見えない放射線が福島県内の人、農作物、家畜、自然を汚染しています。原子力発電所の事故の終息がいつになるやら予想がつかない状況なので、福島県の復興はまだまだスタートが切れないでいます。
支援センターふくしまでは多くのボランティアさんたちの力を借りて、福島県内の大部分の避難所を回って、障がいをお持ちの方の安否確認と困りごとを聞いたり、ニーズ調査を行ってきました。そして、障がい者の避難所での過酷な生活の全容が浮き彫りになりました。避難所の床が堅くて横になれなくて車いすのまま2週間も我慢している人、お風呂に1か月も入れないでいる人、避難所の駐車場で、車の中で寝起きしている人、自閉症のため集団での生活が難しくて、避難所を転々としている人、「この世の終わりが来る」と言って恐怖している精神障がいの人等、様々な障がい者が避難所では苦労されていました。
私たちは、200か所近くの避難所を見て歩きましたが、障がい者らしき人は100名程度と、割合的には少ない数でした。ことに身体的に重度の障がい者はあまり見当たりませんでした。避難所の生活が苛酷であろうことが分かっているので、知人や親せきの家に避難したり、または在宅で不便な生活に耐えているのではないかと想像しています。
南相馬市のとある事業所では、津波と原発の恐怖から利用者である障がい者が避難してしまったので、もう閉じようと覚悟していたら、避難していた利用者と家族が戻って(避難生活に疲れ果てて)きていて、ぜひ事業所を続けてほしいとお願いされて、現在その事業所に20名もの利用者が通ってきています。その事業所には若い職員さんがいましたが、原発事故の関係から辞めてしまいました。そのような状況にも関わらず、事業所を運営している理事長はじめ職員さんの心に動かされて、南相馬市の事業所に対して、支援センターふくしまでは支援物資とボランティアを送り込む支援活動を続けています。そして、これも原発の関係から南相馬市の計画避難に指定された地区の障がい者の安否の確認と避難意向の調査を上述した事業所の理事長さんに、南相馬市から直々にお願いされ、私たち支援センターの応援部隊に南相馬市に入っていただいて、南相馬市内に散らばっている障がい者の家を回って訪問活動を展開しています。
今後の支援センターふくしまの活動としては、郡山に避難所兼サロンを設置して、南相馬市や川俣町、川内村、葛尾村、その他の地域から避難してきた被災障がい者を受け入れる体制を確立していきます。それから、障がい者用のバリアフリーの仮設住宅を2戸ばかり設置していこうと考えていますが、郡山は放射線量がかなり高いので、可能なら会津若松市に設けていきたいと考慮しているところです。さらに、全国各地の障がい者団体と連携して、全国の避難所に被災障がい者を受け入れる準備をしているところです。
支援センターふくしまは、まだ事務局体制がしっかりしていないので、事務局員や事務作業のボランティアが少なく、データの整理がなかなかできていない状況です。後手後手になっていますが、今、郡山養護学校の卒業生名簿のデータ整理に着手していて、データが打ち終わった段階で養護学校の同窓会の役員の方と卒業生の名簿データを確認しあってから、福島県の浜通りと中通りに住んでいる養護学校卒業生の家を一軒一軒訪問していく活動を展開していきます。
福島県は、何回も述べますが、原発事故の問題で行政も民間も右往左往しています。私たちもこのまま郡山に居続けていいものやら、判断に苦慮しています。私はもう歳なので放射線はあまり問題にはならないでしょうが、若い人たちや子供さんにとっては大変な問題になると警鐘を鳴らしている方たちもいます。原発からどんどん放射線が漏れだしている期間が長く続くのであれば、郡山の若者たちを遠いところに避難させることも考えていかなくなるかも知れません。
このような福島県の状況ですが、いつも笑いを絶やさずに(いつも笑い顔でいると免疫力が上がります。免疫力がアップすると、放射線で壊れた細胞の DNA を修復するとのこと)、きっといつかは福島の復興をやり遂げるという強い意志で支援センターふくしまの活動を続けていく所存ですので、よろしくお願いいたします。
                           白石 清春
~5月4日、乙武洋匡氏が来訪~
5月4日(水)、乙武洋匡氏が支援センターふくしまに訪れました。被災地の障がい者の現状、支援センターふくしまの活動について、支援センターのスタッフと熱心に話していました。
乙武氏はとてもまじめな方で、被災地の現状に熱心に耳を傾けていました。
■■第1次避難所訪問の調査報告■■
調査目的:障がい者の避難状況、そこでの生活状況をつかみ実態を明らかにする。さらに障がい者・家族のニーズをつかみ、緊急かつ専門性がいるものは、相談事業所につなぎ、物資支援などセンターで対応できるものは、対応する。市町村・県・国で対応すべき問題は、要望活動につなげていく。
調査範囲:第1次避難所となっている地域の学校・公民館などの公共施設。
調査期間:4月5日~18日。
調査方法:1チーム2,3人で各避難所をまわり、責任者・行政関係者・障がい当事者・家族などから直接話を聞く。
調査内容:避難所に障がい者がいるか。どういう生活状況か。困っていること、ニーズの把握。
~障がい者・家族はどこに避難したのか~
避難所を訪問して気付いたのが、障がい者の方々が少ないということです。その理由として想定されるのは、避難所の住環境の厳しさ、大集団の困難さ、仕切りもない開放された空間、周囲の目、障がい者のニーズに応えた設備が揃えられていない等が挙げられます。一方指定された避難所を離れ、独力で親戚の家や民間のアパートを借りたとしても、親戚の家にもたくさん避難してきて住みづらくなった、民間アパートを借りたが行政から支援がなく経済的に追い詰めらている、避難所のように物資がもらえない、情報が入ってこない、避難所のように行政職員、保健師、医者、相談員による支援が受けづらい等の問題があります。
また、最近では、周囲とのトラブルや環境の劣悪さなどから3回、4回と避難所を転々とする方々がおり、「疲れた」という言葉をもらしていました。
~1か月余の避難所生活から出てきたニーズ~
●プライバシーが守られず、つい立等で区切ること
●介助等の人的支援の必要性
●トイレに行くまでに階段がある、和式しかないなどトイレの改善
●ベッド、お風呂の椅子など日常生活上の問題への個別対応
●糖尿病などの持病を持った方の食事内容の改善
●「眠れない」「集団生活にストレス」等の精神的な部分のケア
●感染症の不安や健康上の不安を解消すること
●毎日の生活のリズムや社会との結びつき、目的をもった活動
●医者の診察や今まで通りの福祉サービス継続ができないことへの不安を解消すること
●もっと分かりやすい情報の提供
●避難所への支援体制格差の是正
~避難所の方々が抱く将来への不安~
「2次避難をするが、その後の見通しをもてない」「先の見通しが見えず、いつまでこの生活が続くのか知りたい」「いつ避難しなければならなくなるのか不安」「これからの住宅が心配」など震災後の復旧への見通しの不安がありますが、あわせてその見通しを考えようにも福島では、原発の問題が大きく立ちはだかっています。原発による放射能汚染状況の変化、それに対応した避難の追加や変更、依然根強い風評被害なども絡み見通しが立たない状況が続いています。そのことにより避難所では、将来への不安が膨れあがってきているという印象を受けました。
~第1次避難所を訪問して~
第1次避難所訪問の調査は実態やニーズ把握の入り口であり、まだまだ多くの障がい者の生活上の困難さやニーズは顕在化してはいません。今後とも様々な形で実態を明らかにし、ニーズを拾いだしていくことを私たちの取り組みの柱として、活動していきます。
■障がいを持つ子どもたちとその家族の避難支援情報■
『福島の子どもたちとつながる宇部の会』さんから
地震、津波、原発事故と大変な状況の中、自閉症のお子さんをお持ちのご家族は避難所にも行けないのではないだろうか。もしそういうご家族がおられるなら、こちらでしばらく暮らせるようにサポートしようと、表記の会を立ち上げました。会には自閉症の子どもを持つ親や永くサポートをしている人、25年前のチェルノブイリ原発事故で被災した子どもや医師を受け入れた人などがいます。この動きに対し、市のほうも住宅を始め、さまざまな支援を連携してくれることになりました。希望があれば、ぜひお問い合わせください。
<概要>
・宇部までの交通費は当方負担
・宇部まで移動が可能な子どもさんとそのご家族
・住宅はこちらで準備(家賃と水道代は無償)
・生活一時金として一世帯に対し、宇部市から10万円
・孤立を避ける意味でも、2家庭を受け入れる
・最長1年間は滞在できるよう、私たち生活サポーター20~30名で経済面を支える
・それ以外の一般サポーターが、さまざまに支える
<連絡先>
「福島の子どもたちとつながる宇部の会」
代表: 木下文雄 Tel:090-6838-2881
携帯メール:kinochan-dont.vs-yamaguthi-110@ezweb.ne.jp
事務局:武永佳子 Tel&Fax:0836-33-3982
携帯:090-8359-2863
PC メール:ntakena@mail.bbexcite.jp
『カム バック プロジェクト実行委員会』さんから
しょうがいをもつ子どもさんとそのご家族の支援。生活基盤が崩壊してしまった中で、次の一歩を踏み出すためには多大なエネルギーの蓄積がご家族お一人お一人に必要です。現実からの逸脱や地域からの離脱としてだけではなく、次のステップの充電のために、大阪や神戸の地で1週間から約6カ月の期間、心身のケアを含めた生活の場をご提供し、専門家の人的支援により、今後の人生に向けての「リセット」をしていただける場になりますよう支援していきたいと思います。
<プログラム内容>
1.移動支援
2.住居の確保(被災者向け公営住宅等のご利用)
3.お子様の園・学校・専門機関につなぐための支援
4.親の就労支援
5.学童保育支援事業との連携
<対象> しょうがいをもつ子どもさんとそのご家族
<期間> 1週間~約6カ月
※相談窓口を設置し、期間をはじめ、ご家族の意思を反映した支援の実施をします
<スタッフおよび協力機関>
フレンドシップミーティングの専門ボランティアチーム、児童支援、家族の心理面をサポートする専門スタッフ、しょうがい児をもつ兄弟姉妹の会、地域支援学校・支援学級・通園事業施設、各医療機関、その他の支援サポートのチーム、行政機関
<連絡先>
合同会社ユニバーサルプラン (事務局 田伏高治)
住所:兵庫県神戸市東灘区魚崎北町5-3-5-201
電話:078-413-5111 メール:tabushi@universal-plan.jp
~~~以上~~~

とっておきの音楽祭

 仙台で開かれる「とっておきの音楽祭」まで、あと一週間になりました。
 6月4日の前夜祭は「ゆめ風コンサート神戸~仙台」というコンセプトで開催されます。短い期間にも関わらず、「とっておきの音楽祭」とゆめ風基金が出会ったことはゆめ風基金にとってもとてもうれしいことです。
 ゆめ風基金がこの音楽祭に参加することを願って努力してくださった被災地障がい者支援センターみやぎのひとたち、当初1、2曲でも出演することを快諾してくださった小室等さん、前夜祭に出演してくださるさとう宗幸さん、出演するミュージシャンでありながら、現地スタッフとステージの打合せに心をつくしてくださった加納浩美さん、ほとんどプログラムが決まっている中で小室さんのステージを確保し、さらに前夜祭をゆめ風基金といっしょにプロデュースしてくださった実行委員会のみなさん、そしてこの音楽祭を特別な思いで準備されたすべてのみなさんに、心から敬意を表します。
 6月5日には市民広場の一角にゆめ風基金のブースを借り、被災地障がい者支援センターみやぎと協力して被災し困っている障がい者の相談受付をする他、ゆめ風基金の活動を紹介します。
 大阪のゆめ風基金の事務局からも3名が現地に入り、何か手伝えることをしたいと思います。
 
 「歌の力」とよく言われますが、被災地のひとびとひとりひとりが体験したそれぞれのかなしみ、おそれ、不安、絶望はそのひとにしかわからないけれど、その心に寄り添い、止まった時間をゆっくりと動かし、そのうごきはじめた時間を共に歩むための道を照らすことはできるかもしれません。それを、「希望」と呼んでもいいのかもしれません。
 大きすぎる悲しみが、その悲しみをこえて希望に変わることがあるとしたら、寄り添う心と心がともに生きようとする「友情」なくしてはかなわぬことでしょう。歌はそのプロセスの中で生まれ、歌い継がれ、それを必要とする心に届くのだと思います。
 テレビの歌番組や劇場で歌われ、聴かれる歌よりも、「とっておきの音楽祭」で市民が歌い、市民が聴くストリートでの歌の数々は、たくさんの無念のいのちをなぐさめ、いまを生きるひとびとの希望をたがやすことでしょう。
 心に深く、大地に広く、歌は流れる 
 東日本の方々へのご案内になるかもしれませんが、みなさんのご参加を心よりお待ちしています。
 

被災地報告会に50名の方が参加され、充実した報告会になりました。

 5月20日、ゆめ風基金・八幡理事の被災地報告会には約50名の方々が参加してくださいました。今回の報告会では4月の終わりから5月のはじめにかけて現地でボランティア活動をされた方々も多数参加されていて、お一人お一人の体験を通じて感じたことや課題などがつぎつぎと報告され、とても充実した報告会になりました。
 支援活動の中味は、今もつづけている安否確認、一般避難所や福祉施設の避難所と自宅にいる障害者の介護、支援物資の配達などですが、他の支援活動とちがうのは個別ニーズに対応することを徹底的に実行することです。
 現地のボランティアとして活動された人たちが異口同音に語ったのが「ニーズがなかなか上がってこない」ということでした。ある所では、行政が「すでに調査は終わっています。ゆめ風基金さんにお願いするようなニーズはありません」といったそうです。また、一般の避難所でも「障害のある方はいらっしゃいませんか、困っておられることがありましたら連絡してください」と呼びかけたりチラシをおいたりしても、「はい、わたしは障害者です」と名乗ってくれるはずもありません。結果、「ここには障害者はいません」といわれてしまうのでした。
 それでも、粘り強く呼びかけたり、個別のニーズに対応した支援活動をし続けることで、「こんなことも頼んでいいのかな」と声をかけてくれる人が現れたり、ひとりの障害者への支援を通じて、あの人もこの人もと教えてくださったり、反対に支援活動のことを伝えてくださったりして、少しずつですが確実に活動が広がっていったそうです。
 一般避難所での支援活動は、「みんな困っているのだから、あのひとだけというのは問題」とみられる反面、障害者に限らず特別のニーズを持っている人がいることを周りの人が知るチャンスにもなります。それがきっかけでいろいろなニーズが上がってくることもあり、またいろいろな人が助け合うコミュニティを新しくつくっていくことにつながったらというお話もありました。
 また、避難所には物資が届いていても、自宅に避難している人には物資が届かず、毎日物資を届けて、とても喜ばれたという報告や、「とにかく支援が早い」とほめられたこともうれしいことだったそうです。
避難所から仮説住宅へと移る時にバリアフリーになっているかどうか、また仮設住宅の改修はできないことになっていて行政との交渉が必要ということ、これから移送サービスなどもニーズが上がってくること、また親戚に避難していた障害者が仮設住宅に移ったときには介護が必要になることなど、支援活動が広がっていくことでさまざまな課題もあきらかになってきます。
 よりきめ細かい支援活動にするため、宮城では亘理町に南地区の拠点をつくり、近くにあった高齢者デイサービスにたずさわっていた職員を地域雇用した他、北の拠点も登米市のそば屋さんの協力でお店を借りることができました。また、岩手では遠野市に拠点を置くことですでに場所を借りました。
 被災地では連休後ボランティアの人数が急減して困っているということで、一週間以上活動できるボランティアの方を求めています。
 現地のボランティアとして活動された人たちが、現地のスタッフがたおれてしまわないかと、とても心配されていました。これから息の長い支援を必要としています。
 そこで被災地では支援センターの障害者を中心に障害者自身による支援体制をつくりだすため、関東や関西の障害者が被災地に入り現地の障害者との交流を深め、障害者による支援ネットワークを広げようとしています。子供の時は大きな町の支援学校での寮生活、大人になれば施設への入居か親元での在宅になってしまう地域事情は、地域での自立生活を支えるための福祉サービスの少ないことに結びついています。その状況を変えて、ひとがひととしてあたりまえに暮らしていく社会をつくりだすために、障害当事者がつながっていくことはいまもっとも必要とされることだと思いますし、現地を長期に支えようとするボランティアのひとたちに勇気を与えることでしょう。
 
 あっという間に時間がすぎてしまい、報告会は終わりました。
 八幡理事は23日に現地に戻る予定です。

現実の事とは思えない惨状。まるで空襲にあったかのような状況です。

 神戸の共働作業所シティライトのスタッフの溝渕裕子さんから現地レポートを送っていただきました。
 溝渕さんは16年前の阪神淡路大震災の時に神戸に来たボランティアでしたが、神戸の障害者運動の一員として活動されています。
 ゴールデンウイークの一週間、東北に行ってきました。ゆめ風基金が地元の障害者団体と共同で設立した、被災地障害者センターで活動するためです。
 仙台で2日間、その後の5日間が岩手でした。被災地障害者センター岩手は盛岡に拠点があります。そこから被災地の沿岸部までは片道二時間半~三時間もかかりますが、そこを車で往復する毎日です。
 宮古市、釜石市、大船渡市などの避難所や障害者作業所、社協などをまわったり、保健師さんなどに聞いたりして、障がいのある方を探し、状況を聞いたり、ニーズに対応するなどをしました。これら沿岸部の被災状況は、そこにいながらにして、現実の事とは思えない惨状。まるで空襲にあったかのような状況です。
 避難所めぐりをしましたが、避難所になかなか障害者がいません。元々、大型入所施設が幅をきかせており、地域で生活している障害者自体が少ないのです。また、避難所で過ごすことができず入所施設に入ったり、親戚の家に避難したりしている方も多いようです。それでも何人かの方にお会いすることができました。元々様々な課題がある上に、震災がおきて問題が少しずつ表面化した感じです。
 震災から2ヶ月。仮設住宅への引っ越しも少しずつ始まってましたが、まだまだこれからです。しかし、被災地には様々な解決すべき問題が山積しているのに、圧倒的にボランティアが少ない!阪神淡路の時はボランティア元年と言われるほど、たくさんのボランティアが来ていました。しかし今回本当に少ないのは、原発事故などの影響もあるように思います。私も後ろ髪を引かれる思いで神戸へ帰ってきました。
 東北には、神戸よりひと月遅れの桜が咲いていました。小さな漁村で、いつもだったらみんなで花見をしてるのになあ、と寂しげに桜を眺めていたおばあさんに出会いました。いつかまた桜を楽しめる日がくるよう、これからも被災地を見続けていきたいと思います。

ゆめ風ネット・しまねの太田明夫さんが中国新聞に寄稿されました。

ゆめ風ネット・しまねの太田明夫さんが中国新聞に寄稿されました。太田さんは被災地障がい者支援センターいわてを通じて支援活動をされました。その活動を通して感じられたことをとても的確に書かれていますので、ご紹介します。ゆめ風基金のこともご紹介いただきました。ありがとうございました。
中国新聞「今を読む」2011年5月15日 太田明夫さん

被災地の支援活動で走り回る車窓から

 現地の支援活動は一般避難所や福祉施設の避難所、あるいは自宅におられる障害者の生活介護や支援物資の配達と、いまだ孤立したままの障害者がいないかと安否確認などするために、車で走り回る毎日です。
 一つの避難所から次の避難所へと、移動する車の車窓から見る被災地の映像が現地から送られてきました。
テレビの報道で見ている映像ですが、その風景画を映している人が向かう場所、そこで待っている障害者の姿が目に浮かびます。