★関東は、水不足で取水制限が行われているとか・・・。
大阪も残暑厳しいなか、ステキなメールを頂ましたのでご紹介します!
「初めて投稿させていただきます。
みちのくトライの実行委員をさせていただいた岩手県宮古市にあります、
被災地障がい者センター みやこ の黒柳 奈緒美です。
パソコンアレルギー故、出来る限り触らずにきましたが
今回はどうしても自分の言葉で伝えたくメールさせていただきました。
読みにくい点もあるかと思いますがお許しください。
平素より、ゆめ風基金さんを始め、多くの関係団体やボランティアの皆さまには、
東北の被災地復興にご尽力いただきありがとうございます。
地元の人間として、心より感謝するとともに、
一日も早く自分たちの足で歩いて行けるよう頑張りたいと思っております。
そして、その第一歩となる「みちのくトライ~障がい者も住める街作り~」
まさか、この岩手のしかも沿岸部でこんな大きなことができるなんて…
震災前には考えられないことでした。
もちろん、企画・準備段階から以前より支援していただいている団体、個人の皆様の
大きなバックアップがあったからこそ進めることができたのはいうまでもありません。
私の中では、このトライの準備期間中からトライの連続でした。
同じ岩手の沿岸部とはいえ今まで関わったこともない施設や団体、市役所や
町役場などに出向き、トライの説明や協力依頼をするなど初めてのこと。
最初の方こそ遠慮ぎみでオドオドと交渉していましたが、
次第におばさんパワー炸裂!
やるしかないと開き直ったことで、どんどん思いを伝え理解してもらうことができ、
こちらの申し出以上の協力をしていただけた所がほとんどでした。
「これを機会にこれからも…」といってくださる方が多く、
この沿岸で理解をしてくれる人たちに出会えたことに涙がでました。
震災前には考えられなかったことが徐々に始っているのだと確信したのもこのときでした。
岩手の沿岸部で障がい者を見かけないとよく外部の方から言われますが、
ここで暮らす私達でさえほとんど見かけることがないこの土地。
どれだけの地元の参加者やボランティアが見込めるのか
トライのギリギリまで不安でした。
もし、参加までは出来なくてもトライで当事者が外に出て元気に活動する姿を見てもらうこと、
その活動を支えたいと思う人がいることを知ってもらうことも大事なことだと思っていました。
県内の当事者で、残念ながら全日程歩き通せた人はいませんでしたが、
最後まで歩き通そうと頑張った女性はいました。
一日だけ、2~3日自分の地域のみの参加者は沢山来てくれました。
何かをしたい、変わりたい人たちだと思いました。
ただ、その手段・方法が分からずに苦しんでいたのが
トライ期間中の会話の中で知ることが出来ました。
ほとんどの県内の参加者から、帰る間際にもっと参加していたかった!
次は全部参加したい!
仲間がいれば何でもやれるね!など前向きな言葉を沢山いただきました。
県外の当事者やボランティアのパワーが新しい風を東北に吹き込んでくれたと思います。
マスコミにも取り上げてもらえたこともあり、思ってた以上の反響があり
やってしまったことの重大さを今更ながら感じています。
皆さんの力を借りて、まず一歩前に出ることができました。
次は県内の当事者にもっともっと外に出てもらい、
やりたいことを見つけてもらい「これがしたい!」と声を出して良いことを
知ってもらい、そのお手伝いができたらいいなと思っています。
沢山の繋がりの出来た「みちのくトライ」
この繋がりが切れないよう、足を止めずに前に行きます。
まだしばらくは皆さんにご支援・ご指導いただきながらの
ゆっくりな活動かもしれませんが、
確実に、震災前より誰もが暮らしやすい東北になるよう頑張っていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
また今回、人手が足りないことで失礼があったことと思います。
この場をおかりしてお詫び申し上げます。
そして、関わっていただいた全ての方に感謝いたします。
ありがとうございました。
不慣れなため読みにくいとは思いますが、気持ちのままに伝えてみました。
やさしい気持ちで汲み取りながら読んでいただけたら嬉しいです。」
黒柳さんの想いがあふれるメール、本当にありがとうございました!
9月8日の街頭募金の写真
みちのくトライに参加して
みちのくTRY。
多くの人に「何か」を伝えたこの活動、今回は、
大船渡市にお住まいのFさんの声をご紹介します。
「みなさんは、8月19日から宮古市田老地区スタートして、
8月28日(火)マイヤインターから、市役所に寄り、
そこから古澤が参加してあるきました。
東日本大地震被害地区の障がいがおもい障がい者から
かるい障がい者まで、生活がかわりました。
僕は、大船渡市内福祉の里内の障がい者しせつ朋友かんクリーニング班の仕事しています。
センター星雲そうだんセンターにいっています。
東日本大地震復興には、バリアフリー化など、要望します。
かるい障がい者一般就労も、要望します。
みちのくトライの発展をお祈りし、東日本大震災復旧復興をのぞみます。
応援をよろしくおねがいします。」
とのことです。
また、理事の八幡からは、
「8月19日(日)~8月31日(金)までの期間、バリアフリーなどを訴えて宮古市田
老町から陸前高田市の奇跡の一本松まで歩きました。(31日は盛岡での要望活動)
途中沿岸部の役所に要望書を出したり、地元の人と交流会をしたり、町の人への
アピール活動など様々な活動をしながら、みんなで無事に150キロの道のりを
ゴールしました。
途中沿岸部の人たちの沢山の声援を受け、見知らぬ人からの差し入れもあり、
本当に感謝です。
寝泊りは避難所となった公民館や文化ホールのロビーなどを利用しましたが、
バリアーいっぱいの施設でも見何の協力があればなんとかなるということを
実感しました。
「災害から復興する街が障がい者の住みやすい街となってほしい」、
参加者それぞれの色々な想い声に出しながら、過酷なコースに加え、
例年にない暑さの中、みんなが声を掛け合い、気持ちを一つにして歩きました。
ゴール地点では「ここがゴールではなく、これから始まる復興をみんなで支え
ていくスタート地点だ」という確認をしました。」
との感想がメールで届きました!
皆さんともこういった思いを共有したいですね!
石巻を訪問してきました!
2012年9月3日
ゆめ風基金理事の細井さん、永村さん、八幡さんが被災地障がい者センター石巻を訪問しました。
石巻の取組み状況や事業所化にむけた展望、障害者雇用の実現などについて、情報の共有と意見交換をしました。
みちのくTRY参加者の声
★「ゆめごよみ 風便り」に寄稿してくださった「みちのくTRY」参加者の声を
一足お先にご紹介します!
まずは、盛岡在住のKさんの文章です。
「 東日本大震災後、被災地支援に取り組んで来られた皆さまの活動の集大成として、
TRYをやろうと決意したのは、3月末でした。
ゆめ風基金、全国自立生活センター協議会に事務局を置く東日本大震災救援本部からの
バックアップを受けて、被災地障がい者センターいわて、被災地障がい者センターみやこ、
被災地障がい者センターかまいしが中心となり、みちのくTRY実行委員会が結成されました。
CILもりおかは内陸事務局。
被災地障がい者センターみやこが沿岸事務局です。
あれから5ヶ月、関係団体個人や地域のみなさんの協力のもと、
一丸となって準備に取り組みました。
そして、150キロの道のりを行く
「みちのくTRY~復興に向けて、障がい者も住める街づくり」の旅が始まりました。
ターコイズブルーのおそろいのTシャツが青空に映えました。
日に日に盛り上がるみんなの気持ち。
8月30日の陸前高田一本松ゴールの時のみなさんの表情は、
ぐしゃぐしゃの汗と日焼けと笑顔と達成感でいっぱいでした。
私は、期間中4日しか参加していませんが、全国から集まって下さった参加者の皆さんと、
歩きながらも休憩しながらも寝袋に入ってからも、言葉を交わせて嬉しかったです。
これまでの過去のTRYは、野宿をしアクティブで野生的だったと聞いています。
今回のTRYは、数時間の参加や日帰りなど可能な範囲での参加をOKにしました。
当初そのことに反対意見もあったわけですが、結果、より多くの方が参加でき、
予定より多く泊まったり、一回帰ってまた来たりと、相乗効果が生まれて良かったと思います。
ひとことに復興に向けてと言っても、ひとりの力では何もできない。
声をあげる勇気がありません。
でも100人にも届くほどのみんなの声が集まってこそ、沿岸市町村、県、交通機関に
重みのある要望書を届けることができました。
このみちのくTRYを通して得た「繋がる力」を、今後の岩手の当事者活動に
少しでも活かしていければと思います。
行きたくても実際に現地に行けなかった仲間もいます。
でも、思いはTRYに向かっていましたよ。
最後になりますが、このTRYに直接だけでなく間接的に関わって下さった方、
多くのみなさまへ、本当にありがとうございました。」
ゴールの瞬間の感動がよみがえってくるような息遣いが
行間から立ち上ってくる気がしました。
みちのくTRY ゴール!!
2012年8月30日 いよいよ最終日、陸前高田市役所に向かってスタート。
みちのくTRYが終りました。
8月19日から連日の猛暑がつづき、体調管理が大変だったと思います。しかしながら、自らの体と行動で無数の魂への追悼と、誰にとっても暮しやすいバリフリーの街づくりに障害者の参加を求め、必要とするひとのために必要とする人がになう福祉制度を、被害の大きかった沿岸部の市民と行政に呼びかけたみちのくTRYは、これからの被災地の再生に大切な提案であるだけでなく、日本の障害者の運動に勇気をもたらす行動であると思います。
みちのくTRYに参加されたみなさん、そしてみちのくTRYを企画、準備されたすべてのみなさん、ほんとうにご苦労様でした。
陸前高田市役所に到着、市長に要望書を提出。
ゴール!! 奇跡の一本松の前で記念写真。大きな事故もなく、無事に着くことができて良かったです。
参加されたみなさんお疲れ様でした。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。
復興はこれからです。まだまだ応援よろしくお願いします。少しずつ変わっていくと思われます。
何年か後にまた岩手の沿岸部に遊びに来てください。変わった姿を見に来てください。
(被災地障がい者センターいわてのブログより)
被災地障がい者センターいわてのブログの最新記事で、29日と30日の現地報告が掲載されていますので、こちらもぜひごらんください。
被災地障がい者センターいわてのブログ
また、動画の記録も合わせて転載させていただきます。動画はこれ以外にもUSTREAMにあります。「みちのくTRY」で検索してください。
Video streaming by Ustream
みちのくTRY事務局に寄せられたメッセージを転載させていただきます。
みちのくTRYに参加して
私は、始めてみちのくTRYに参加しました。
参加して、暑い中でボランティアに押してもらい、いろんな人とお話をしました。
このお話の内容は、現在の日本の福祉の事や、お家の事などを話してきました。
いろんなお話の中で、沖縄の自立生活支援センターの女の人との話は、私が思っている気持と同じでした。
暑かったけれど、いろんな人とお話しをできて、楽しいイベントでした。
又、このようなイベントがあったら、参加したいと思っています。
スタッフの皆さんはじめ、ボランティアの皆さん、暑い中、本当にどうも有難うございました。
滝沢村 S
みちのくTRY現地報告2
みちのくTRY現地報告2
くわしくは被災地障がい者センターいわてのブログをごらんください。
8月23日 4日目
山田町の豊間根 島田鉱泉に泊まり45号まで車で移動後、みんながそろったところで出発しました。
牛小屋を発見!!
写真撮影会です。牛もびっくりしてこちらを見ていました。
この日は元々参加予定だった山田町在住の佐々木るみさんが、急遽家庭の事情で参加できなくなり、家の近くで応援に駆けつけてくれました。
山田町の被災地域を歩き終わり、歩道をテクテク進むと突然階段出現!!
来た道を戻ります。
その後歩道がなくなったり現れたり・・・
歩道が現れてもボコッと邪魔なものがあるため、歩道を歩くことができなくて、しばらく車道を歩きました。
4日目のゴール!!山田の道の駅
この後宿へ移動!!
8月23日 5日目
山田町コミュニティーセンターを出発
役場のとなりということもあり出発してすぐに山田町に要望書を提出。
この時も佐々木るみさんが参加してくれて、町長さんに要望書を渡しました。
前日のゴール(山田の道の駅)まで移動して再スタートしたました。
この日の宿は、大槌波板促進センター
震災後避難所になっていたところでした。
sakie
8月24日 6日目
大槌町波板促進センターからスタート!!
キレイな青空です。
でも歩くのには暑くてしんどいですね。
トンネル越えがある日です。
市長さんに要望書を受け取っていただきました。
釜石駅で交渉中・・・日が暮れてしました。
お腹がすいて宿に戻りお弁当をパクパク・・・
食後少々ピリピリ会議が行われました。
みんな協力して頑張ろう。
8月25日 7日目
釜石地域活動支援センターを出発
釜石にはセンターかまいしがあり、そこを通じての参加者もいました。
盛岡で活動しているときからつながりのある方もご兄妹で参加いただいたり、釜石の駅からは家族で参加されたりしました。
お昼休憩・・・釜石平田の仮設の中にあるサポートセンターで休憩してお昼ご飯を食べました。
ご飯のあとはアンダーパスのライブです。
振り付けもあったりしてみんなで踊って楽しみましたヽ(・∀・)ノ
内緒の話・・・
お茶の用意で、サポートセンターに残っていた私はサインをいただきました(^-^)。
夜は大船渡の吉浜拠点センター
何日か前にいただいた滝沢西瓜でスイカ割り大会!!
吉浜荘在住の方も参加されました。
8月26日 8日目
吉浜拠点センターで美味しい朝食をいただいて出発です。
峠越えがはじまりました。
お昼休憩は消防署を借りて一休み・・・
お弁当をいただきました。
坂を下り被災地域に入り『三陸町中央公民館』で休憩
そして地震・津波を想定した避難訓練
『三陸町中央公民館』から高台にある『南区公民館』でした。
みんな緊張感たっぷりで行動されていました。
避難までにかかった時間は11分くらいでした。
この日の宿は、この南区公民館です。
ここでは、センターおおふなとの千葉さんがバーベキューを用意してくださっていて、美味しいホタテやイカやお肉をいただくことが出来ました。
8月27日 9日目
大船渡市南区公民館から大船渡支所へ車で移動して出発!!
峠越えの前で休憩
大きな峠越えや狭いトンネルを抜けるので大忙し・・・
みんなで協力して峠越え
ごめんなさい。自分が歩くので精一杯でお手伝い出来なかったので、声を出してみんなを応援していました。
トンネルを抜けて一休み
その先下り坂でUピンカーブ!!
坂が終わるころお昼休憩になりました。
お昼は結婚式場のお部屋をお借りすることができて、汗だくのみんなで中華丼をいただきました。
漬物も付いていておいしかったです。
午後は坂道はなくホームセンターで一度休憩してゴール
ゴール!!
8月28日 10日目
もっとこまめに更新したかったのですが、歩いているとできませんでした。ごめんなさい
(支援のため宮古に帰ってきたので書いています。)
大船渡市福祉の里センターを出発しました。
どうやら忘れ物があったようで、先ほどセンターに連絡がありました(^_^;)
8月29日 11日目
私宮古の支援で事務所にいたため報告ができません。ごめんなさい。
北海道から事務所に届きましたトウモロコシを湯がいて杉田さんとトモヨさんが届けてくれましたので、皆さんきっと美味しくいただきました。
ありがとうございます。
みんな頑張っています。
明日はいよいよ陸前高田に入りますよ。
ゴールは近い!頑張ろー
ご協力していただきました皆様ありがとうございます。
8月11日の街頭募金、ありがとうございました。
福島の鈴木絹江さんより2 (メール転載)
絹江です。
ベトナムへの件は、2名からの返事がありました。一人は今年4月まで、JICAの研修で数年間支援に行っていた人なので、人脈を使って広めてくれると思います。
これとは別な人にも近いうちに合うので、ベトナムへの研修生に伝えてもらいます。
昨年のアジア太平洋障害者リーダー研修時に私の話に耳を傾けてくれた研修生たちは、とても意識が高く脱原発の件もよく理解し、絶対自分たちの国に立地することにはしないと話してくれていました。
今年の研修生たちにも、話をしたいと思います。
私は、偏向しているかも知れませんが、障害を持つ人への講演に呼ばれて話をすることが多いのですが、その時には福島原発告訴団の話や福島の現実を話しています。そして、いろんな形で協力や支援をいただいています。
毎週金曜日のデモにも参加している障害を持つ人たちがいます。
今度10月頃には、座り込みをしたいと話している仲間もいます。
その時は私も行きたいと思います。座り込みはできませんが、同行参加はできるかと思います。
しかし、私たちはみなさんとの間に、解決しなければならない問題があります。
それは、この原発事故によりあからさまになった障害者差別の問題です。
障害児が生まれるから、福島から離れた、離れたいとの言葉をいくつか聞きます。
「障害児が生まれたら嫌だから・・・」は母親たちの本音ではあるかと思います。
また、放射能がどの様な結果を私たちに見せつけるのか、分からないというのもほんとだと思います。
現在の社会のありようは、障害を持つ人にとって不便極りありません。
なぜならこの社会は20才の成人男性をモデル(ミスターアベレージと言いますが)にして高度成長時代に作られた社会であるからです。
障害を持つ人以外にも、住みにくいこと極りないと被害を受けているのが、子供にも、妊婦にも、高齢者にも。
ほんの一部の人間に合わせて作られた社会の中で、誰が苦労をするかといえば、立場が弱い障害を持つ人や高齢者、子供、妊婦。
こうして、羅列してみると、原発の被害を最も受ける人たちと同義語になっていませんか?
この人たちが貧しかったら直のこと被害者です。
また、障害を持つことが全て不幸であるということは、ステレオタイプに侵されていないか?と立ち止まって考えていただきたいと思っています。
たとえば山田真ドクター(福島の子供たちの支援をしてくれている先生)のお子さんは障害を持っていて、その家庭の中でどの様にその娘さんを愛し、自分たち家族が考えを改めることが出来たかなどを著書で、または講演で聞いたことはありませんか?
ロシナンテ社が昨年から原発事故特集の中に、山田先生の発言が書かれています。とてもわかりやすい言葉で書かれています。ぜひ皆さんには読んでいただきたいですね。
放射能により被曝し、作為的に遺伝子を傷つけられることには強く反対であると同時に、しかしどの様な時代にも必ず障害を持つ人が社会には存在することもまた事実です。
その存在を否定することは、今、障害を持ち生きている人の生命を脅かし、それを生んだ母親を強く傷つけること、考え方・価値観・優生思想であることを受け止める必要があります。
そして、その事をどう自分の中で受け止めていくのか、どのように消化していくのか、考えてほしいと願っています。
そのために、私は仲間と共にどの様にこの偏見の壁をのり越えて、脱原発の人たちと連帯するか模索しています。
「福島県人とは結婚しない」「福島県人は汚染されている」「福島県人は来るな!」との発言は、無知と無理解と偏見が差別的であることは、私たち福島県人はよく知っています。
しかし、それを発言する人は、その無知や無理解・偏見が差別につながっているとは、思って発言していないのですよね。
マスコミの思惑に染められて、それが事実だと思ってしまっているのですよね。
自分の頭で、自分の目で、自分の耳で、自分の体験で判断することを置き去りにしてきた人たちは、いとも簡単に固定化されたステレオタイプの言葉を信じ、自分の力で真実に近づこうとはしない。
しかし、まずは障害を持つ人の差別も、福島県人への差別も付き合ってみなければ、話してみなければ、理解しようと歩み寄らなければ、わからないことがたくさんありますよね。正しい情報は、自分の時間とお金をかけないと手に入らないということですね。
この原発事故が起きたから差別が出てきたのではなく、以前から人々のなかにあった優生思想に裏打ちされた差別意識が顕著になっただけの話です。ここは違わないでほしい出発点であると思っています。
メールでは、なかなか上手く伝えられませんが、子の幸せを願う両親の思いと障害を持つ人がこの世に誕生することは、決して相反する形で存在するのではなく、どのような環境や肉体を持とうが、自分らしく、大切に尊厳をもって生きることのできる社会を作っていくことが今を生きている大人の責務だと思っています。
原発事故がある前からこの考えには変わりはありません。
社会を変えることに責任をもつことが、この世に存在する役割だと私は考えています。
原発事故により、深く傷つき、巨大な相手に無力感にのさいなまれましたが、ゆっくりでもいいから、後戻りしない一歩を歩きたいと思っています。
とても長くなりました。すみません。皆さん時間のあるときに読んでください。絹江
福島の鈴木絹江さんより1
こんにちは。
福島県田村市に住んでいる鈴木絹江です。
福島県の原発は下降どころか、今も出続けているのに総理大臣は、終息宣言を出しました。
これらに反対して毎週金曜日には官邸前で10万人単位でデモが行われています。
今、ベトナムに原発を輸出しようとしています。
どうか皆さんにベトナムに知り合いがおりましたら、下記のメールとブログを添付してください。
一人でも多くのベトナムの方に見てもらってください。
今福島の人たちは、命をかけて必死に原発を止めようと動いています。
メールでは、たくさんの福島の思いを伝えられないのが残念ですが、福島の原発事故が何も終わっていないのに、ベトナムに原発を輸出しようとしている日本政府の頭の中がわかりません。
しかし、とにかく、原発をとめなければ、災害に弱い障害を持つ人の命は脅かされ続けます。
原発をとめても電気が足りなくなることはないことは皆さんは知っていますよね。
ベトナムの人海外の知り合いがおりましたら、このメールを転送してください。絹江
みなさま
是非、ベトナムにお知り合いの方いらっしゃいましたら、下記、本田さんからご紹介のサイト、お知らせください!!
本田さん、有難うございました! (佐早)
………
子どもたちを放射能から守る世界ネットワークの本田です。
以下のブログで福島や原発にまつわるニュースを毎日アップしています。
http://www.save-children-from-radiation.org/
このサイトをベトナムの方に見てもらうことも一つの手ではないかと思います。
ベトナムへの原発輸出
きょうは終戦記念日。
韓国、北朝鮮、台湾の方々から見れば日本の支配が終わった日。国民にとってもやっと苦しい戦争から解放された日。
でも、戦争を押し進めた人たちにとっては認めたくない日。
天皇陛下の玉音放送を阻止しようとした一派がいたそうです。もし実行されていたら…。
ところで本日の民報新聞三面に小さく
「原発事故賠償制度整備協力で合意 経産相、ベトナムと」という記事が載っていました。
原発を輸出するなど、倫理的に許されないと思います。
是非、再生可能エネルギー発電設備の輸出に変えるべきだと思います。
ベトナムの需要が変われば問題は解決すると考えます。
なんとかベトナムの方々に伝える方法はな いでしょうか?
ベトナムの方々の「平和」のために。
佐早