障害者派遣プロジェクト7
岩手プロジェクトチーム報告
平岡文華、藤田可奈子
8月 6日(土)岩手到着 平田・楠ペアから引き継ぎ
7日(日)宮古被災状況田老町の仮設状況見学
8日(月)10日の納涼焼肉大会の打ち合わせ
9日(火)ハックの家のOさん訪問
10日(水)納涼焼肉大会 被災地センターいわてとCIL盛岡初の交流会
11日(木)ハックの家Oさんの買い物に同行 個人ILP(自立生活プログラム)
12日(金)CIL盛岡訪問
13日(土)帰宅
平岡・藤田の活動報告
①9日のOさん訪問と11日の買い物同行
Oさんと初対面しました。このときに話した内容は、平岡が事前にメインメンバーから引き継いでいた個人ILP(自立生活プログラム)で買い物に同行することを伝えました。彼女はハックの家と自宅程度の外出しかしたことがなく、自分で買い物をしたことがないそうです。彼女の希望は「自分で見て選び、好きなものを買いたい」という内容でした。そこで、買いたい物のリストをあげ、かばん・ファスナーにつけるキーホルダー・服(年齢相応の落ち着いた色)などいろいろ要望が出てきました。会話をしている最中彼女の表情がすごく笑顔でした。
2日後の11日当日は、まず第一希望のかばんを見るということでした。選ぶ基準は色、金額、どの程度のものが入るかなどを考え、何カ所かの店をまわりました。買ったのは、緑色の仕切りがある使いやすそうなかばんでした。そのあと、いろんな店をまわりましたが、買うことはなく「ファスナーにつけるキーホルダーが欲しい」と言ったので見に行きました。彼女の買い物中の様子は、わりと冷静で「今何時?」「かばん買ったけどお母さんに怒られないかな」など、気にしていました。初めてなのにいろいろ考えているな、と私は思いました。限られた時間でしたが、購入したいものが買えたのでよかったのではないかと思います。
②10日の納涼焼肉大会、被災地センターとCIL盛岡の交流会
参加者は40人ほどでした。この日のために急遽、畑くんが来ました。宮古市のAくん、田野畑町のOさん、山田町のSさんなど、私たちメインストリーム協会メンバーが関わった人たちがほぼ初めての外出というかんじで参加されました。被災地センターとCIL盛岡のスタッフの協力で用意された食事は焼肉、流しそうめん、おにぎり、飲物でした。司会はメイクも衣装もばっちりの自立の王様に扮した畑くんで、始まりの挨拶、乾杯の音頭と、にぎやかに始まりました。
宴会の途中で、気分が良くなったのか突然Sさんが「私歌いまーす!」と言いだし、アカペラで歌っていました。Sさんは歌い終えた後、周りの人にマイクをまわして「歌って歌ってー!」と楽しそうでした。スイカ割りなどもしてとても盛り上がりました。最後には、みんなで花火を楽しみました。
その日の夜は、平岡が中心となり、田野畑町のOさんと山田町のSさんは初めての外泊を体験しました。 今回の外泊を通して自分の意思を介助者に伝えること、一日を通して介助者にどういう風に自分の意思を伝えることを学んでもらえたらと思って、取り組みました。
入浴介助以外では介助者を使うことがなかったOさんですが、宿泊と買い物に付いた介助者に自分の意思をしっかり伝えることはできていていました。介助者を使いなれていないため、なんでも時間をかけやろうとしてしまうところがあるため、時間や体力を有効に使えるためにもうまく介助者を使うことも学んでいってもらえればいいかと思います。
積極性はあってやる気もあったので、これからいろいろ体験してもらうことで、自立ができそうな気がしました。
③まとめ
この活動をきっかけに、出会った人たちが自立へ少しずつでも進んでもらえれば嬉しく思います。私自身もこの活動は自分自身をまた一歩成長する良い経験となりました。一つ残念だったのが、障害当事者と話すだけでなく介助で関わる健常者の人たちとも自立についての話をしたり、当事者と健常者の関わりについてもう少し話ができたらと思いました。
障害者派遣プロジェクト第7組のレポートをお送りします。
メインストリームからの派遣は、いったんここで小休止となります。
8月30日に私と夢宙センターのH君とで岩手に行き、
今後のプロジェクトについて話し合うことになっています。
その結果を受けて、9月以降のプログラムを考えて、再開したいと思います。
佐藤 聡
メインストリーム協会
〒662-0844
兵庫県西宮市西福町9-3
TEL:0798-66-5122 FAX:0798-66-5133
HP:http://www.cilmsa.com/
とっておきの音楽祭 映画「オハイエ」上映会
今週の金曜日の夜、映画「オハイエ!」の上映会を開きます。
お知らせがおそくなったことをお詫びします。
映画「オハイエ!」は、とっておきの音楽祭の感動のドキュメンタリーです。
ステージで生き生きと輝く障害のある出演者たち、笑顔にあふれた街、魂を揺さぶるこの感動のひとつひとつを丁寧に紡ぎ、映像化しました。障害も音楽も個性です。映画を観た観客のお一人お一人が、「ハンディとは、人間とはなにか」と自問することでしょう。
急なお知らせで申しわけありませんが、みなさんのご参加をお待ちしています。
とっておきの音楽祭 映画「オハイエ」上映会
とき 8月19日(金)6時半~
ところ パーティパーティ
大阪市浪速区敷津東3-6-10
大国町駅3番出口より徒歩4分!(車椅子のかたは5番出口にエレベーター)
TEL・FAX 06-6649-0455
映画の予告編をごらんいただけます。
障害者派遣プロジェクト6
障害者派遣プロジェクト6
被災地障がい者センターいわて 活動報告
2011年8月9日
平田・楠の2人は7月30日~8月6日まで活動してきました。
被災地センターでは、ピアサポート部門として被災された方や施設に居られる方など色々な方にお会いして来ました。
被災地障がい者センターいわてでのスケジュール。
7月30日(土) 岩手到着、茂上・中来田ペアと引継ぎ。
7月31日(日) 大槌町にある障害者入所施設、四季の郷の夏祭りにボランティアとして参加する。頚椎損傷の方に出会う。
8月 1日(月) 休み 岩手さんさ踊りを見に行く
8月 2日(火) CIL盛岡に行く。
8月 3日(水) 田野畑町のハックの家に来ている脳性マヒの方に会いに行く。
8月 4日(木) 大槌町の四季の郷に入所している頚椎損傷の方に会いに行く。
8月 5日(金) 大船渡の仮設住宅に住んでいる胸椎損傷の方、陸前高田に住んでいる筋ジストロフィーの方に会いに行く。
被災地障がい者センターいわてでしてきたこと。
①7月31日に大槌町にある障害者入所施設にボランティアとして行きました。そこでたまたまセンターの専従スタッフの方が介助に入ったのが頚椎損傷(C3)の男性で、西宮から同じ障害を持った人が来ていると伝えると、是非話したいとのことでお会いすることが出来ました。
その方は施設に入って6年になるそうで、地域で生活したいと話されていました。7年前に自立に向けて盛岡市と話をしたのですが、1日4時間しか出ないと言われ諦めていたそうです。施設では地域で生活する話が出来ないので後日会うことにました。
8月4日に大槌町で改めてお会いし、昼食とお茶にしながら自立の話やCIL、ILPの話などしました。その方は地域で生活をしたいと強く願っているようですが、それをどうすれば実現できるのかが分かっていないようでした。私たちもできる限りは伝えてきましたが、今後地域生活に向けてさらにサポートが必要と感じました。
②8月2日に田野畑町にあるハックの家に来ている脳性マヒの女性に会いに行きました。前回茂上・中来田がお会いしていてその時には携帯の使い方を教えて欲しいとのことで聞いていましたが、使い方をお客様センターに電話して自分で調べて使っていました。
その他にもお金を自由に使いたいことや、外出はハックの家しかしていないので他に行く場所を見つけたいなど今後の自分の生活について考えていました。今後も同じ障害を持った人と話すことで世界も広がるのではと感じました。
③大船渡の仮設住宅に住んでいる胸椎損傷の男性にお会いしました。その方はいち早く仮設住宅にスロープを付けた方で家族4人住まれていました。震災当日の話から現在までの話をしながら市の対応への不満や生活のしにくさ(周りが砂利で移動しにくいことや、仮設が小さく車椅子で移動しにくく床ずれが出来た話など)をされていました。
④陸前高田の筋ジストロフィーの男性にお会いしてきました。その方は藤原と1度会っていて、藤原に会ったことがとても大きかったようでまた会いたいといってました。今後どういう生活をしていきたいか、将来どんな風になりたいかの話など沢山してくれました。今後はその方がどんな風に進んで行きたいか聞きながらサポートしていく必要があると感じました。
感想
私が西宮で社会資源を活用して当たり前に生活していることが、岩手では実現されていないと感じました。この地域はまだまだ社会資源が少ないですが、その前にその少ない社会資源を知らなかったりどう使っていいか分からない人たちが沢山居ると思いました。社会資源を伝えていくことも支援の一つと感じました。地域で生活することにつながるにはまだまだ時間がかかったりすると思いますが、今後施設等を回ったり地域で生活することに向けての支援をしていくことが私たちの役割であり、被災地の方々が地域で当たり前に生活できる道になるのではないかと思います。
自分とこのやり方を押し付けないこと
被災地障害者センターみやぎ ボランティア報告
期間:2011年7月12日(火)~19日(火)
仙台に到着すると、いたるところに「がんばろう宮城」の文字、文字、文字が見えます。
オリエンテーションでは、ボランティアの心得を聞きました。要は、「自分とこのやり方を押し付けないこと」。私たちが「フレンドリー」と感じることでも、所変われば土足で上がり込む図々しさに変わることもあります。時にそれはボランティア同士にも軋轢を産み、現地スタッフは要らぬなだめ作業に心を砕かなくてはならない。本末大転倒!!「まずは自分の地元での考え方や常識をとっぱらっちゃって下さい」と一発目に言われます。でも、思いを強く持ってきた人ほど、言葉では理解できても色々口出ししたくなっちゃうこともあるとか。
参加期間当時は、宮城県各地の個人&団体状況の集約活動に徹していました。具体的な支援を自らするというより、その支援を提供できているところはないか探したり、あればそこにつないだりする、「黒子的つなぎ支援」が中心。
仮設をまわるなかで、「障害者≒車イスの高齢者」という認識が大半、という印象を受けました。「うちに障害者いたけれど、仮設に来る前に施設に入ったから、特に相談することはない」というお宅もありました。まさにそのことこそ相談することでは?と思っても、その場では言えません。
いくつかまわった仮設の中で、「車いす使用の世帯がスロープなし住宅で、一見健常者に見える世帯がスロープ付き住宅に入居している。こんなミスマッチはもったいないのだが、どうして起こってしまうのか?」と話しておられる自治会長さんもおられました。
やはり「郷に入っては郷に従え」で、私たちは大きな流れのほんの一点。現場をかき乱してまで変えたいものがあるのなら、そこに腰を据えて続けるのが筋です。現地の復興は、あくまで現地のやり方で。ボランティアはその手足。震災直後の明日をも知れぬ状況と今は違います。訪問の仕方ひとつ、報告書の書き方ひとつとっても、それを忘れてはいけないと痛感します。それを踏まえた上での方法論の意見は、スタッフにそっと伝えれば良いのであって、いきなり現場にぶつけて良いものではないのです。
滞在中、新聞に宮城県の復興計画(案?)が見開きで載っていました。詳しく読み込む時間はなかったのですが、八幡さん解説によると、障害福祉については「やっぱ施設は要るし建てましょうか」的流れに向いているとのこと。ぜひとも「そうじゃない!」というパブコメなりを出していかねばならないと、ミーティングでも話し合いました。先に述べたような、仮設に入ることもなく施設へ行った当事者の仲間に会うなど、当事者主体の動きがとれる環境が整うのはまだ先のことかもしれませんが、アクションを作り出していく必要があると感じます。
宿舎では色んな方と話す機会が持てました。1~2ヶ月という長期で滞在されてる方々もおられ、しかも九州やらマレーシアやら、えらく遠隔地からお越しです。長くいらっしゃる分、色々と見えておられる事も多く、話していてとても刺激を受けます。震災支援から原発、諸外国の見た日本まで、ゆっくり真面目な話ができました。震災がなければ一生出会うこともなかった人たちと、寝巻き姿で深く語り合うなんて、考えてみれば不思議なことです。
私たちがすべきは「復旧」でなく「復興」。元に戻すのではなく、問題を改め、新たに立ち上げるべきものは立ち上げる。障害者支援も前進させて然り、絶対に後退なんぞさせてはならない、その気運は東北だけでなく全国からも上げていく必要がある。被災地の当事者が発信する、最も重要なテーマと言えるでしょう。
あれから一ヶ月近く経つ今では、また現地の状況はがらりと変わっているでしょう。ほぼ変わっていないこともあるかもしれません。大阪の自宅で8月6日の8時15分を迎えましたが、あれから未だに苦しみ続けている人だって、まだまだいます。
忘れないこと 伝えること それを続けること。
私はどこまでできるんだろう。そう思い続けたこの5ヶ月です。
(おまけ)
ボランティア6名ほどで連れ立って、六魂祭へ行きました。かなりの人数がメイン会場に集まっていて、改めて「元気を取り戻したい」という思いの強さを感じます。手動や電動の車いすで歩く(高齢でない)人を何人か見かけた時は、「ようやく事務所以外で当事者に会った!」と思いました。
S.Y
7月23日の街頭募金に35人が参加、募金額は90,062円でした。
7月23日の街頭募金行動は35人の方が参加され、募金額は90,062円でした。
この日は午後からきつい日差しで、暑い中参加してくださったみなさん、そして募金の呼びかけにこたえてくださったみなさん、ありがとうございました。
次回の街頭募金は8月27日(土)午後1時~午後5時 大阪なんば高島屋前です。
みなさんのご参加をよろしくおねがいします。
障害者派遣プロジェクト5
障害者派遣プロジェクト5
岩手報告
茂上裕太郎・中来田護
メインストリームから5組目として、7月24日から8月1日まで活動してきました。被災地センターの雰囲気は明るくとてもとけ込みやすかったです。
被災地センターの主な活動内容は、障害者の支援や物資提供(7月で終了)ですが、高齢者の支援が多い印象でした。
最もうれしかったことは、1週間のすべてのスケジュールをピアサパート部門として組む事ができたという事です。
私達のスケジュールです。
7月23日(土) 岩手到着 鍛冶・脇ペアから引き継ぎ
24日(日) 休み
25日(月) 会議(この会議で1週間の予定が決まる)
26日(火) Aくん宅訪問(一緒に外出)
27日(水) 宮古市の障害者支援団体を訪問
28日(木) CIL盛岡訪問
29日(金) ハックの家訪問(Oさんと話)
30日(土) 平田・楠ペア到着 引き継ぎ
31日(日) 四季の郷 夏祭り(障害者入所施設)
8月 1日(月) 帰宅
月曜日の会議で1週間のスケジュールが決まります。メインストリームのメンバーで支援中のAくんとOさんのところに訪問したいという事と、CIL盛岡に行きたいという希望を出して上のようなスケジュールになりました。
Aくん宅訪問
Aくんは宮古市に住んでいる重心の男性です。宮古市は津波の被害が合った場所ですが、Aくんの家は小高い場所にあり被害は少なかったようです。
被災地センターから定期的にボランティアを派遣していて、メインのグループも必ず行っています。
今回の内容は、車で浄土浜に外出しました。(ちょっとしたILP)今回、初めてお母さんは家で待機し、ボランティアスタッフだけでの外出です。
観光地も少しずつですが、復興しつつありましたが、エレベーターは壊れており観光船には乗れませんでしたが、Aくんも楽しんでいました。
ご飯を食べて家に帰りました。帰ってからはお母さんとの話しです。
お母さんは、自分が先に死んでしまうので、介助になれた生活を望んでいます。
メインストリームの人達も係わっていたので、自立のことも少しながらわかっていると思います。ただ、自立の事が周りの親に分かってもらえずに、周りから浮いてしまうという事も話しておられました。本人は「大丈夫!」笑いながら話しておられましたが、サポートが必要であると思いました。
Aくんは、日曜日の四季の郷のお祭りにもこられます。ちなみに、土曜日から初の泊まり介助(被災地センターのボランティアスタッフ)を利用してこられるそうです。そして、8月10日のCIL盛岡での納涼焼き肉大会にも参加されるようです。
Aくんと行った浄土が浜 船に乗れなくて残念!!
Oさん訪問(ハックの家)
金曜日に田野畑村の作業所「ハックの家」に行ってきました。利用者Oさんと1時間ぐらい話をすることができました。その中でひかりさんから、
・外出したい。
・リハビリに行きたい。
・自由に使えるお金が欲しい。
・ケータイの使い方を教えて欲しい。
などの気持ちが出てきました。
ヘルパーは使っているようでしたが、入浴などの家の中で使うことが中心で外出はできていないようでした。Oさんは「お店も遠いしね…」と行っていました。
8月10日にある焼き肉の案内も渡して来ました。Oさんは「遠いからどうかな…」と言っていましたが、家族との問題もあります。もし行けるのであれば、介助者、送迎を考え、担当職員のKさんには家族との間に入ってもらい、焼き肉に行けるように支援していく方向です。
田野畑村の「ハックの家」 ここのパンおいしいです!!
今回、1週間岩手に行って感じた事は、社会資源が少ない事と、閉鎖的という事です。元々、社会資源が少ない地域が被災してしまって、そこに住んでいる障害者はさらに困っているって感じです。被災地センターの利用者には高齢者も多く、自立を目標とした支援ができる利用者はわずかです。今後活動の中で障害者を探し、表に出てこないニーズを見つける事がピアサポート部門の役割だと感じました。
仮設住宅
砂利がとても深く車椅子では走れません。
電動車椅子操作不能になりました!!
被災地障がい者センターみやぎ本部から
被災地障がい者センターみやぎ本部からのお知らせ
「被災地障がい者センターみやぎ県南支部」が6/1より新たに発足しました
長年、山元町で住民互助の精神に基づき助けあいの活動をしてきた、NPO法人住民互助福祉団体 ささえ愛山元が、6月1日から被災地障がい者センターみやぎ県南支部として、被災した障がい者の支援活動をスタートしました。
このことで、被災地障がい者センターみやぎが大切にしている「顔と顔が見える関係」での地域密着型支援を更に進めていきます。
事務所:宮城県亘理郡亘理町新町34-3
「被災地障がい者センターみやぎ登米支部」(県北地域)が新たに発足しました
被災地障がい者センターみやぎ“登米支部が発足しました。新たに専従スタッフとなった地元キーパーソンに全国からのVTが協力するかたちで運営。今後も各地域の団体やキーパーソンと連携し地域密着型支援を進めていきます。
事務所:宮城県登米市中田町上沼字西桜場32-1
被災地障がい者センターみやぎ
障害者派遣プロジェクト4
障害者派遣プロジェクト4
「被災地障がい者支援センターいわて」での活動報告 2011年7月25日
≪活動内容≫
私達は7月16日~7月23日まで活動しました。私達が一週間の活動としましては主に現地の障害当事者の方の支援と岩手県宮古市にセンターを立ち上げると言う事でその物件探しなど当事者目線で行ってきました。
最初に私達がした事は、当事者をさがす目的で岩手県田野畑村にある「ハックの家」という作業所の夏祭りに出かけました。田野畑村までは盛岡のセンターから片道2時間半ほどかかる所にあり山の上にポツンとあるような作業所でした。その祭りには作業所関係者や地元の住民や青森のボランティアなど150名ほど来ていました。お祭りでは青森からのボランティアの方々がお肉やスイカなどを無料で振舞っており活気があり復興ムードが伝わってきました。中でも岩手名物「さんさ踊り」は祭りの盛り上げをいっそう引き立てていました。その祭りで作業所の当事者のOさん(27歳女性、脳性まひ)に出会いました。手動車椅子に乗っているが自分ではこぐ事はできないかたでいろいろ話をすることができました。その中で彼女の悩みとしては主に3つありました。
●同年代の当事者と話をしてみたい。
●買い物などを通して外出してみたい。
●もう少し自由に使えるお金が欲しい。
と言うことでした。同年代の当事者と話しをしてみたいということについては、やはり私達の住んでいる西宮とは違い障害当事者と出会うことがめったに無いようでした。その作業所にも会話ができる人はいるようですが2人しかいないし1人は入院していているようでした。
買い物などを通して外出してみたいと言う事については買い物に行くための支援がないということでした。
もう少し自由に使えるお金が欲しいという事については、作業所から貰える工賃(3000円程度)しか使えないらしく買い物もままならないようでした。
それをふまえて今後の支援体制としては一週間交代でくるメインストリーム協会からの当事者スタッフが支援を継続していくことになりました。
具体的な支援内容としては本人の胸の内を話をしてもらい(ピアカウンセリング方式で)
つつ外出などにつなげていければと考えています。
次に活動した事としましては被災地障害者支援センター岩手が岩手県宮古市に被災地障害者支援センターを立ち上げたいということで宮古市で物件探しを行いました。
なぜ宮古市でセンターを立ち上げるかと言うと盛岡市と宮古市などの沿岸部は車で片道2時間以上かかり効率が悪いということと、冬になると盛岡市と沿岸部をつなぐ道路が寸断される可能性があると言う事でした。被災地センターがどういうセンターを宮古市につくりたいかと言うと現地の当事者があつまれるような場所にしたいと言う事でした。
その物件探しでは宮古市で2件ぐらいみることができました。そのうち1件は津波で80センチつかってるものの、当事者目線でみても、とても広々としていて当事者が集まれる環境としてはとても良い印象を受けました。
この他の支援としましては仮設住宅に住んでいる方々の人工透析治療のための通院の送迎を何件か行いました。仮設住宅と病院とはかなり距離があり、毎回タクシーを使っているとお金が凄くかかってしまい生活ができなくなるいう状況でした。
送迎のサービスなどは被災地はまだ機能していないようで困っているふいともまだまだいそうな印象を受けました。
≪全体を通して≫
被災地の街の現状は震災から4ヶ月経っていてガレキなどは片付いているとはいえ街がまるまる無くなっている様子は悲惨な状況であった。所々に、まだ震災当時の被害をうけた建物が残っており津波の凄さを物語っていました。支援を通して被災した方々にいろいろな話をうかがう事ができました。沿岸部は漁業の町なだけに港が壊れていたり船が流されていて仕事に復帰できない人が多数いられると言うことでした。
障害当事者に関しては街で見かけることは極端に少なく、もう少しいろいろな人と出会いたかったが出会えなかったことが少し残念ですが、ハックの家で出会ったOさんとの出会いを大切にし、これからもいろいろな形でつながっていきたいと考えています。
今回のこのような経験や活動を今後の私達の活動に生かしいろいろな方に伝えていきたいと考えていると同時に岩手県の障害者福祉の発展に微力ながら貢献していこうと考えています。
鍛治 克哉
脇 英二郎
7月22日京都市右京区社会福祉協議会学習会 八幡理事の講演
八幡さんの講演とアンケートの記録です。
東日本大震災の経験に学ぶ 2011.7.22 <ゆめ風基金八幡さん>
その時、知的障害者は、避難所でどうしていたんだろう?
こんな素朴な疑問に対しては、「一般の避難所や体育館に知的障害者は殆ど居なかった」との事でした。やっぱり、おとなしい子供しかだめなんです。
「パニックをおこしたり、走り回ったり、奇声を発する障害者に、なれていない健常の人たちの中では、居たたまれず、壊れなかった作業所や施設や、親類の家で過ごしている人が殆どでした。でも、その施設も、つぶれたり、職員が誰もいなくなったり
で、なれていない遠い遠い施設に避難したり、大変だったようです。
宮城でも、福祉避難所は、130カ所もあっても、ほとんど100%は高齢者で、車いすなど身体障害者はそれと分かるけれど、知的障害者は、いわゆる障害者だと思われていないのが現実です。しかも、小さなグループホームや小規模作業所は、指定でないので、食事も届かない。支援学校などは、避難所にも使えなかったそうです。
地震の時間が、昼間だったために、親子がバラバラに被災し、施設に居た子どもは、
助かったけれど、親だけがなくなったケースがたくさんあります。
この経験を踏まえて、私たちは、どうすればいいんでしょうか?
地域の人に、わかってもらえて、避難所や体育館で受け止めてもらうために、ふだんの地域のコミュニテイ・つながりが、こんな時、生きてくるのです。
私たちは、ついついヘルパーさんや、作業所の指導員や、福祉関係とだけ繋がってきている。それは大切だが、地域の中で、自治会や民生委員や各種団体などと一緒に
日常的に、学校などで避難訓練ができていれば、本人もまったく知らないところに
急に、つれていかれて知らない人達の中でパニックが起きることは、少しはましだろうし、「ああーこの子たちは、走り回るんや!」「奇声も発するんや!」そんな事がわかってもらえた上での、人間関係ができて、避難所での知的障害者も含めての過ごし方、運営の仕方が、生まれてくる。
又、一緒に過ごした小学生や中学生は、大人になった時、障害者と過ごした体験が
貴重な宝となって、生きてくるだろう。
地域みんなで、障害者も含めて考えられるようになれば、今は体育館しか開放されない学校も、「あばれるこの子たちには別の空き教室を!」「授乳中の母親やオシメを変える赤ちゃんにも空き教室を!」「病気の高齢者にも空き教室を!」というような発想が出てくるんじゃないでしょうか?
「障害者にやさしい・居やすい環境は、普通の人たちにもやさしい居場所なんだ」
そのために、私たち障害者の母親は、自分の地域の回りに人に声を掛けていこう!
タネをまいていこう!
お話の中で、本当に大切なことだと分かったけれど、一番難しいことだと思う。
でも、やっていかなくっちゃー。
38名の参加者のうち、右京区長はじめ社協や福祉事務所や支援センターの職員が
14名も参加され、今回の学習会が、、行政や地域や親が一緒になっての受け止めの
キッカケになればと思っています。
学習会ありがとうございました。「良かった!」「ためになった」「目からウロコだった」など
感動の声が一杯上がっています。何よりも、今後の親のすすめ方の目標が、出来たと
思います。行政の方との、つながりのキッカケにもなったと喜んでいます。
【平成23年度 障害を持つこども(青年)たちの 将来を考える学習会 アンケート集計結果】
☆回収数・・・23件
(回答者 育成会会員13件、その他9件、未回答1件)
※その他の方の所属・・京都市社協、区社協、通所施設、福祉ボランティアセンター、
サークルペガサス、会員外保護者、他圏域支援センター
☆全体の内容に関して
育成会会員
○大変よかった・・12件
・少し早口だったので聞けなかった事も多かったです。この話しは他の区役所の方々も聞いていただ
きたかったです。
・災害があった時に、障害のある子と何処へ避難すれば良いのか(親子で居る時、一人の時、事業所に居る時)考えておかないと・・。
・子供の様子を身近な方にとにかく知ってもらう事が大切である。親の元気な間に頑張りたいと思いました。
・自分達家族の対応のしかた。これからの地域でどう対応するか。
・ずっと気になっていたので、とてもありがたかった。今はおどろく事ばっかりで書けませんが、家に帰って一人で考えてみたいと思っています。
・当事者が常に地域とのつながりを持つこと。障害者でかたまるのは良い場合もあるが、常に障害を理解してもらうよう努力する。勇気はいるが本人を外に出す。
・災害時のみばかりでなく、福祉のあり方などの再認識ができた。地域でのコミュニティーづくりは今後の大きな課題となりました。育成会会員であることは安心ポイントの1つであると感じています。
・地区によっていろいろちがうので、結局は自分のことは自分で守る。近所によく知ってもらえるようにしておく。地域の繋がりが大事だということ。
・指定避難所の必要性、地域でのつながり、まず日頃から感じていました。これをきっかけによりつながりが広がることを考えてというか行動を出来ることから、とより感じました。
・どの報道からも聞かれない新しい切り口の話だった。「知的障害者がひなん所でどう過ごしたんだろう?」でなく、そこで普通に過ごせるための地域のつながりや、地域全体での防災訓練など、まわりの人々と一緒に自ら切り開いていく事が大切だとわかった。しかし、声をかけていくのはかなりむつかしいが、やっていかなくっちゃ-。
○良かった・・1件
その他
○大変良かった・・7件
・「防災」をキーワードにして、地域のコミュニティー作りの大切さを改めて考えることができ、今後のとりくむべき方向性を見いだすことができた。
・今回の災害で障がい者の被災状況、避難状況はほとんど見られなかったように思い、「どうされているのか」というのはずっと感じていたので、現地の状況を少しでも伺うことができ、良かったです。日々からのつながりのために防災訓練!!というのが、私の中になかった視点だったので新鮮でした。「つながりがないからできない」に陥らずに行動を起こさねばと改めて感じました。
・施設職員として普段からの実践の大切さを再認識できました。参考になるお話もたくさんお伺いすることができました、ありがとうございました。
・実際におこっていることをお話いただけて、課題がより具体的に見えてきました。今あること、やっていることを丁寧に見直し、みんなで意見を出し合うことでも対応できることがたくさんあるとも思いました。
・コミュニティー作りの大切さを痛感しました。安否確認における相談援助の大切さを聞き、日頃からシミュレーションしておくことが大切だと感じた。
・障害者に対する配慮が、災害弱者すべての配慮につながるという話など、現地の話が具体的に聞けたこと。
・各参加者それぞれに知りたかった内容についてわかりやすく教えていただいたこと。
○良かった・・2件
・安否確認の重要性。新しいコミュニティーづくりを考えて(先のこと)。
よい種まきをする。日頃の顔の見える関係を作っておくことの大切さ
災害の経験を生かせる。相手の気持ちに寄り添うことが大事(相談員)
・親の力(私自身の)程度がわかった(弱点が)。親の会の社会参加活動が大切かも。
活動の現場が思ったより遅々としていることがわかりました。
未回答
○大変良かった・・1件
☆今後、学習会で取り上げて欲しいテーマやその他ご意見など
・地域とのコミュニティーづくりについて
・右京区避難所はどこにあるか
・将来について専門職としてこれからも考え、実践していきたいと存じます。運営・企画ありがとうございました。
・地域の民生委員や社協役員も接点を求めています。我々が仲介すべきではあるのですが、何かを一緒に取り組むとか(防災訓練など)そういったところから顔の見える関係につなげていけたら、と考えています。
・講演をきくだけにとどまらず、地域でネットワークで更に議論を深めたいと思います。
・地域の中で日々の努力、つながりの種まきが必要。どんなことが具体的にあるだろう・・か?
思いつくままに・・あきらめない気持ちが大切。なでしこジャパンから学んで。
・2年、5年、10年後継続して活動報告をききたい。具体的に何を子供にふだんから調整できるものがあるでしょうか(思いがけない状況の中でも生活して行ける為に今から何が必要なの?)。親子だけで施設の往来をしているだけではだめと言っておられたのが印象的でした。
・「障害者にとってやさしいひなん所、住みやすい町、地域は普通の人にとってもやさしいのだ」
この事を堂々とまわりに声を出せる様、がんばりたい。