みやぎ登米支部・活動日誌 NO.52

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.52
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.52
日時:2011年11月7日(月) 天気:曇り
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 あやめ園訪問・見学、登米市役所米山支所訪問
12:00~17:00 Sさん宅訪問、商工団地ポスティング、Wさん迎え
活動した上で感じたこと
【あやめ園訪問・見学】
あやめ園へアンケートをお渡しする。その後、施設の活動内容や園内の様子についてお話いただく。カレー作りやお菓子作りではそれぞれ役割りなどを設け各利用者がやりがいをもって取り組めることを考えて取り組んでいるとお話しされていた。手作り商品や作成の行程なども見学させていただいた。
【登米市役所米山支所訪問、アンケート配布】
始めに米山障害者地域活動支援センターを訪問するが管轄である米山支所へ届けていただきたい、とのお話しを受ける。その後、支所に訪問しアンケートを手渡す。
【K・Kさん宅訪問】
母と面会しお話しを聞く。前回の訪問からあったように送迎のニーズについては強く持っておられる。特に本日は咳き込む様子がみられるなど体調も優れないようで、特にこういう日は送迎があるとありがたい、とお話しされていた。また、仮設での生活ではスペースが限られ衣服の整理も大変であるということもお話されている。送迎については出来る限りご協力できれば、というところで本日は引き上げる。
【商工団地にて案内を配布】
各家に対し当センターの案内をポスティング
【Wさん迎え】
車内での会話でのぞみ園には戻りたくないな、ということをお話しされていた。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.51

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.51
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.51
日時:2011年11月6日(日) 天気:雨
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 中田秋祭り カフェ
12:00~17:00 中田秋祭り カフェ
活動した上で感じたこと
【カフェ】
昨日に続き、隣接する中田庁舎で「なかたの秋まつり」が開催される。センター内でカフェを開設。無料でコーヒーなどの飲み物を提供するが、雨天のため本日は来客なし。また、外でのチラシ配布も見合わせた。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.50

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.50
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.50
日時:2011年11月5日(土) 天気:晴れ時々曇り
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 Sさんレスパイト
12:00~17:00 中田秋祭り カフェ
活動した上で感じたこと
【Sさんレスパイト】
 10時自宅に迎えに行くと既に外に出て待機されている。
後部座席に両脇を男性支援員が付き添う形で座る。出発すぐに支援員の手を取り、プレーヤーの裏蓋を開けて欲しいとアピールする。電池を交換して欲しかったようであるが、電池切れというより、普段の取り扱い方が多少乱暴なだけあって、プレーヤーの不調が原因だと思われた。
途中、平成の森(あづま~れ)でぶどうジュースとクッキーを食べる。その後、三滝堂に立ち寄るが、下車しようとした支援員を手で塞ぐ形で止めており、下車を拒否する。次に行ったひころの里では、一度躊躇したものの、自ら扉を開けて下車をする。数分ほど周囲を歩くと、自ら車の扉を開けようとして車内に戻る。
車中ではCDは聴かなかつた(聴けなかった)が、カーラジオで音楽が掛かっていたことや、両脇の支援員の髪を触りながら機嫌良く過ごせており(長髪を好んでいると思われる)、機嫌を悪くする場面は見られなかった。
【カフェ】
 隣接する中田庁舎で「なかたの秋まつり」が開催されており、センター内でカフェを開設。無料でコーヒーなどの飲み物を提供する。同時にセンターのチラシも配布。センターでの活動を周知した。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.49

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.49
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.49
日時:2011年11月4日(金) 天気:晴れ時々曇り
報告者: Y(育成会)
9:00~12:00 カフェ準備
12:00~17:00 仮設訪問Oさん   Wさん送迎   
活動した上で感じたこと
【Оさん訪問】
姪が不在のため、義姉と話をする。前回の聞き取りを受けて「風の里」の情報提供をする。本人は殆ど外出ができておらず、義姉が散歩を勧めても拒否をする。義姉の話には全般的に耳を傾けず、反抗的な態度であるとのこと。仮設に引っ越してからは周囲に知り合いも殆どいない様子。関節の痛みがあるようだが、通院や服薬は特にしていないようである。
義姉との話の後、本人が屋内から出てきて少し会話を交わす。その際は笑顔が見られ、風の里については拒否的な様子が見られたが、見学のみでも良いことを文字提示で伝えると、笑顔で頷いている。風の里や当センターの連絡先を渡す。
【Wさん迎え】
みのり作業所から荒砥第二期仮設への送り。送り途中、コンビニに立ち寄りたいとのことで、経路上にあるファミリーマートに立ち寄る。買い物は自分でするとのことで、スタッフは店外で待機。雑誌や飲み物などを購入されていた。来週11日(金)は通院のため作業所は休むとのこと(送迎なし)。

11月12日の街頭募金

11月12日の街頭募金に20人の方が参加していただきました。募金額は85,746円でした。
また、遅くなりましたが、10月22日の街頭募金には26人の方の参加、募金額は22,959円でした。
参加していただいた方、ほんとうにご苦労様でした。募金してくださった方々、ほんとうにありがとうございました。
次回は11月26日(土)午後1時より なんば高島屋前です。
みなさんのご参加をよろしくお願いします。

緊急報告!ぜひごらんください。

緊急報告!ぜひごらんください。
東北関東大震災の被災障害者の現状と支援活動を伝えるテレビ番組を2つ紹介します。
11月3日(木)8Ch 関西テレビニュース番組「アンカー」特集
18時15~20分ごろから約10分間
滋賀県のポテトファーム・佐野さんの活動が報道されます。
11月5(土)8ch 関西テレビ ザ・ドキュメント
「いのちの居場所~車いすから問う大震災~」

深夜1時45分~2時45分
 障害当事者派遣プロジェクトをすすめるために積極的に活動された西宮のメインストリーム協会の活動を中心に、テレビではあまり放送されない被災障害者の状況を伝えるドキュメント番組です。
松本さんというジャーナリストが半年以上かけて被災地をまわって、障害者の声をきいて取材された労作です。ぜひごらんになってください。
番組ホームページより
 東日本大震災で、岩手・宮城・福島の3県にある37市町村で被災した障がい者は、およそ9000人。そのうち2.5%にあたる230人ほどが死亡または行方不明となっており、健常者の割合と比べると障がい者の被害が2倍に上っていることが、内閣府の「障がい者制度改革推進会議」で公表された。さらに支援が必要と思われる障がい者は1800人以上もいるとも報告されている。(今年5月時点)
 しかし、地震発生から半年を過ぎた今でも一体どれだけの障がい者がどのように被災したのか、国や自治体も詳しい実態を把握できていない。
 本企画では、これまであまり伝えられることがなかった障がい者の被災状況を現地取材。
 そこから見えてきたのは、過去の教訓が活かされず、様々なハンディをもつが故に過酷な状況を強いられている被災障がい者たちの姿だった。
 その一方で、阪神淡路大震災を経験した関西の障がい者団体の多くが、被災地の障がい者支援を積極的に行っていた。その一つ、かつて事務所が全壊し、メンバーの1人が壊れた自宅の下敷きになるなどの被災体験をもつ「メインストリーム協会」(兵庫・西宮市)は、いち早く障がい者スタッフを被災地へ送り込む活動を開始。同時に、福島での放射能被爆を避けて関西へ移住を決心した障がい者も受け入れている。番組ではこのメインストリーム協会の支援活動を通して「障がい者の視点」から東日本大震災の被災障がい者の現状を捉え、天災だけでなく様々な人災によって翻弄され、自らの“いのちを守る居場所”すら定まらない人々の声を伝えていく。

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.48

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.48
 社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.48
日時:2011年10月28日(水) 天気:晴れ
報告者: M(育成会)
9:00~12:00 Wさん送迎、荒砥仮設移動カフェ(HUG ハウス)
12:00~17:00 Sさん訪問、Wさん送迎
活動した上で感じたこと
<Wさん 送迎>
 AM 到着後、座った状態で前かがみになって顔が地面についている状態。転倒した様子が伺える。車を停めスタッフが降りるときには起き上がられる。(本人に)状況の確認をすると「大丈夫」と話される。見新しい外傷は見られないため対応は確認のみで終了。母は扉を開けたときにその状況に気付いた様子。
 車内での様子は顔見知りのスタッフとは「私も姪っ子が欲しい」「甥っ子はいるけど・・・」と会話が弾む。道中は落ち着いて過ごされている。
 PM 車内で週末の過ごし方について話題があがる。「(週末は)寝る」と笑いを誘いながら話をされる。顔見知りのスタッフとの会話中心だったが適度に話題をあげ信頼関係を築いていきたい。
<荒砥仮設 移動カフェ>
 AM 高齢者の方々と仮設の集会所で「お茶」をしながら会話をする。
初対面とあってか当時の被災の状況と現在の状況や沿岸部での漁業活動の話を気さくに話される。会話の端々では復興に向けての大きなビジョンというより「仮設に断熱材が入って少しはましになったかな~」などひとつひとつ現在の生活が緩和されていく近況をプラスに捉え日々を前向きに生きている力強い印象を受けた。
<Sさん 訪問>
 PM 訪問時は、おばあさん・母・姉・本人。スタッフの名刺を確認して名前(下の名前)を覚え声に出して読んでおられる。
 自宅の中に入らせてもらい会話。母に①のぞみ作業所がベイサイド近辺に11月中引越し予定で4月には定員増の申請をしているため入所が可能になるかもしれない旨伝え、のぞみ作業所にアポをとり施設見学を勧める。もし見学されるなら前もって本人さんの生活面やニーズなどの情報は引き継ぐ旨も合わせて伝える。
 前向き返事をされる。
 ただ、本人が過去学校や作業所で「モノ」を壊したことがあり、作業所では対応面で心配になられている。
今後はケースについてどういった方向性や体制で支援に取り組むかなど社会資源をつなげる際に引継いでいきたい。その為には本人に対応方法など具体的支援のポイントを整理していく必要があるのでは?
先ずは率先した情報収集を訪問した際に取り組んで行きたいと感じた。

東日本大震災派遣報告書 NO.47

みやぎ登米支部・活動日誌 NO.47
社会福祉法人「そうそうの杜」、大阪市知的障害者育成会、加島友愛会は、被災地障がい者センターみやぎ登米支部を拠点にして、登米市や南三陸町の仮設住宅にいる障害者の情報収集と個別支援活動をしています。
東日本大震災派遣報告書 NO.47
日時:2011年10月26日(水) 天気:晴れ
報告者: K(育成会)
9:00~12:00 名足カフェ、菊池氏来訪
12:00~17:00 29~31日の申し送り
活動した上で感じたこと
<名足カフェ>
 ハグハウスのマドフォ氏よりH.M.さんについての情報交換。県北支部が2回訪問しているが、不在。生活支援員が数回にわたり聞き取り調査に行っているが、そこから支援につながっている形跡は無いよう。室内の移動は膝這いの状態とのこと。訪問しているのが平日の日中であるため、曜日や時間帯を変えての訪問も検討していく。明日はルート確認があるのでその際に訪問してみる。様々な団体が被災者支援に来ているので、その中から障がいを持った方の情報を得たり共有したりしていくことが必要であると感じた。
(PM)29,30日、ボランティア受け入れに関しての連絡調整。31日までのイベント参加についての確認・調整。
感じたことを改善・向上させるのに必要なこと
社会資源の情報に関しては、状況が刻々変わっていることもあり、情報集めは重要。

障害当事者ボランティアレポート

障害当事者ボランティアレポート
2011年10月4日
精神障害者当事者団体「いこいの場ひょうご」
高瀬 建三
ゆめ風基金御中
「被災地障がい者センターみやぎ」をご紹介くださり、有難うございました。
お礼申しあげると共に、上記センターでの5日間を報告させていただきます。
9月29日(木)
宝塚市の自宅より宮城県O市のWさんの自宅へ直行。途中、仙台空港上空より目にしたのはまだ地震と津波の爪あとがくっきり残る光景だった。付近は水をかぶり、JRから代替バスによる1時間弱でJR仙台駅着。仙台駅近辺は私の知る30年前とは別の町に変ぼうし、高層ビルが林立していた。
 仙台からWさん宅まではJRバスで1時間弱。バス停で待っていてくれていたWさんと固い握手。市営住宅のWさんの自宅へ徒歩10分。「下戸」な二人は鍋を囲んで歓談。さまざまな分野の話に及んだ。
 Wさんは宮城県内の精神病院(今は精神科病院)に30年間社会的入院。現在63才だから人生の半分を精神病院で過ごしたことになる。Wさんは病院時代の事を殆ど語らない。
 Wさんの「今」は自由に尽きる。1、2階共有のメゾネット住宅が長屋のように10戸くらい並んでいる。それが数棟。Wさんはそこの自治会長を数年つとめている。往き交う人々が声をかける。人望が厚い。モダンジャズが好きで「BOSE」で流している。静かに夜が更けていき、明日は仙台市内の精神障害者の団体へ連れて行ってくれる約束をして、私の最初の目的であるピア・サポートを果たして就寝した。
9月30日(金)
 仙台市太白区の「宮精連」(宮城精神しょうがい者団体連絡会議)のYさんに会う。精神医療、福祉問題を長時間話し合った。
 その後、太白区長町の「ピアサポートセンターそら」のKさんと会った。Kさんとはまだ暑さの残る東京で会った病友の女性だ。お互いに「震災ネットワーク」を作ろうと「阪神・淡路」「新潟・中越」「東日本」と仲間が集い、力強いネットワークを築いていく固い約束をし、2つ目の「ネットワーク」作りの目的を果たし、別れた。
 話は変るが、この夜「センターみやぎ」で食事作りをした。「かぼちゃのいんげん炊き」、「茄子とピーマンの煮びたし」、「冷奴の甘みそがけ」の3品だ。思ったより好評で、日頃のヘルパーの経験が活かせた事をうれしく思った。夜は近くのマンションでボランティア3人と計4人、6畳2間で就寝。
10月1日(土)
 少し風が強いが快晴。Tさんの運転でSさんと山元町方面へ向かった。途中、常磐線の亘理(わたり)町から山下駅の間、ガレキの山と使えなくなった住宅が数棟建ち残っている現場を見せていただいた。まだ新築の家も多い。
 近くの「ささえ愛山元」の開所記念式典に参加した。盛大だった。昼食をいただき、山元町の仮設住宅へ。「パラソル・カフェ」を楽しむためだ。もちろん主人公は仮設住宅の方々。風が強くパラソルは使えなかったが、多くの人々に参加してもらい、成功裡に終わる事ができた。「近くで沢山とれる」という「いなごの佃煮」を仮設住宅の方にもらった。おいしかった。
 この日はTさんが被災各地を案内して下さり、テレビや新聞でしか知らなかった被災地の現状を目のあたりにして、惨状を前にしてカメラを押す指も心なしか震えた。福島県境まで行き、立ち入り禁止の札と太平洋の荒波を前に足がすくんだ。私はこの日、山元町の仮設住宅でピアサポートをするためにやってきた。しかし、家族を、家を、仕事を失った人々の前で私は無力だった。「阪神・淡路」の体験を、「仮設住宅での実体験」を共に語ろう、傾聴しようと思ったが、被災地の方々は明るい希望の持てる話題を心から欲していた。これまで多くの関西系の「阪神・淡路」体験者の来場に「心」はどう動いたのか。私はどう話しかけ、どのように接して良いのかわからなくなり、現状を叩きつけられ、つきつけられた思いがした。
 「仮設住宅住民とのピアサポート」は実現しなかったが、被災地をこの目で見たという強い感覚は忘れない。TさんとSさんに感謝しつつ、仙台へと帰路についた。
 夜、宿舎近くの銭湯へ。一人で行ったので道に迷い、冷や汗をかいた。初めての土地では慎重な行動を、と改めてそう思った。
10月2日(日)
 休日。青葉区の図書館で情報収集。朝日新聞(東京本社)縮刷版の2011年3月分を何枚かコピーした。気のせいか「3・11」の記事は関西で目にしたものとは違って見えた。精神科医の中井久夫先生の記事もあった。
10月3日(月)
 来仙最後の日。朝からセンター事務所でミーティング。私は昼食の炊事当番に手をあげた。メニューは親子丼、サラダ、吸い物。早速、隣のスーパーへ買い出し。事務所近くは被災地の修理工事の最中だった。20世紀梨をむきながらTさんといろいろ話をした。「閖上(ゆりあげ)」地区の惨状をまとめた写真集を買って読んだ。前日の夜、NHKで「閖上」の特集をしていた。とても哀しい、忘れてはならない貴重な「時」を刻んだ本だった。
 9月29日に来仙してから多くの人達に会った。本当に良い人達に出会え、忘れられない日々を過ごした。帰路の仙台空港へのアクセス(JR線)が全線開通して仙台~仙台空港間が30分、630円だった。帰るのが寂しい。忙しい関西へ帰るのがしんどい。ゆるやかな「東北ペース」でボチボチと暮らして行こう。